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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
6章.人形少女の恋路
182/321

20. 価値観

(注意)本日2回目の投稿です。(3/4)














   20



 マクローリン辺境伯が偽勇者討伐の兵を真島に差し向けた話を、謎の人物から聞かされた次の日。

 二ヶ月近く行動をともにしていたゴードンさんと別れて、わたしはマクローリン辺境伯領に向かった。


 戦いが始まる前にとめられれば一番良いし、始まってしまっていたとしても、とめるのは早ければ早いほど良い。

 そのためになら、無理にでも足を動かした。


 辺境伯が居を構えるのは、鉱山都市ヌルヤスだ。


 通常なら一ヶ月半ほどかかる旅路を、わたしは一週間で走破した。


 辿り着いたヌルヤスは、山麓に築かれた巨大な都市だった。


 中央には、ヌルヤス砦と呼ばれる古めかしい要塞が鎮座している。

 セラッタなどがそうだが、この場所もまた、もともとは樹海攻略の最前線であった時代があったのだという。


 現在では、近隣にある山々から良質の魔石を採掘することのできる、帝国屈指の大都市として知られていた。


 この世界では常のことではあるが、街は頑丈な防壁で守られていた。

 都市の拡張に伴い何重にも張り巡らされた防壁は、これまで見たなかでも特に重々しく、じっと見ていると圧迫感を覚えるくらいだった。


 有事には軍団が行き来するのだろう物々しい門をくぐって、わたしはヌルヤスに足を踏み入れた。


   ***


 辺境伯への面会はすぐに叶った。


 ゴードンさんが聖堂騎士団の名前で紹介状を書いてくれていたのが大きかったのだろう。

 偽勇者の噂話が流布している以上、必要だろうと渡されていたものだった。


 辺境伯のもとで働いている男性に案内されて、わたしはヌルヤス砦に向かった。


 ひとつ予想外だったのは、探索隊がまだヌルヤスに到着していなかったことだ。


「探索隊の皆様がたでしたら、ヌルヤスのすぐ近くにある町に逗留されていると、お話をうかがっております」


 案内をしてくれた男性は、親切に話をしてくれた。


「なんでも、立ち寄られた町々で、モンスターの討伐を行っていらっしゃるのだとか」

「ああ。それで、予定よりも到着が遅れているんですね」


 わたしもマクローリン辺境伯領に入ったところで、探索隊のモンスター討伐の話は聞いていた。

 着実に成果をあげているらしい。


 きちんと準備をしたうえで、討伐作戦を決行してきたのだろう。


 補佐役の栗山さんはそうしたあたりぬかりはないし、あれでリーダーもしっかりしているのだ。


 河津くんたちも、もう少し考えて行動してくれていれば、あんなことにはならなかっただろうに。


「どうかなさいましたか、飯野様」


 考えが顔に出ていたらしい。

 怪訝そうな顔をされてしまった。


「いえ。なんでもありません」


 伏せられている偽勇者の真実について、まさか話すわけにはいかない。


「それにしても、大きな街ですね。この世界に来てから、これほど大きな街は他に見たことがないです」


 適当な世間話を振ると、辺境伯の部下は誇らしげな顔をした。


「すべては領主様のお力の賜物です」

「良ければ、辺境伯についてお話いただけませんか」


 そう頼むと、彼は嬉しそうに教えてくれた。


 現マクローリン辺境伯、グラントリー=マクローリンは、豊かな辺境伯領を堅実に経営する優れた領主として知られているらしい。


 特に、領地の西に位置するアラリア河の治水事業で成果をあげているのだという。

 また、モンスター討伐にも力を入れており、ときには領軍に命じて、困窮した別の貴族領に助力したりもしているという話だった。


 帝国南部の安定化に寄与する大貴族。

 それが、領内での評判だ。


 ここに来るまでの間にも領民の声に接する機会はあったが、おおむね、好意的なものだった。


「良い領主さんなんですね」

「まさに。領主様は我らの誇りです」


 ……そんな人でも間違えるわけだ。


 という感想は、心のなかだけでとどめておいた。


 言っても仕方のないことだ。


 それに、その間違いを正すために、わたしはここに来たのだ。


 こちらも道中で聞いた話だが、辺境伯が偽勇者討伐の軍を出したのは事実らしい。


 真島の名前こそ出てはいなかったものの、謎の男から聞いた話の信憑性は高まったわけだ。


 案内の男性の背中を追いながら、わたしは気を引き締め直した。


   ***


「ようこそ、おいでくださいました」


 わたしは応接室で、グラントリー=マクローリン辺境伯と対面した。


 覇気のある老人だった。


 真っ直ぐな髪をうしろで束ねて、顎髭は整えられている。

 背筋はぴんとしており、細身の体には指先まで活力が通っていた。


 身に纏ったシャツとズボンは、広大な領地を持つ貴族として恥ずかしくないものではあるのだろうが、華美な装飾はなく、嫌みのない品の良いものだった。


「どうぞおかけください」


 深みのある声で勧められて、わたしはソファに腰を下ろした。


 まずは初対面の挨拶を交わし、突然の訪問を詫びる。


 その間に、給仕がお茶を準備して出ていった。


 対談の準備が整った。


「さて。本日はどのようなご用向きでしょうか」


 年月が皺となって刻まれた顔が、こちらに向けられていた。


 わたしは膝の上で拳を握り締めた。


 さあ、ここからだ。

 お腹に力を入れて、わたしは口を開いた。


「マクローリン辺境伯。わたしはあなたが差し向けたという、偽勇者討伐軍についてお話をしにきました」


 単刀直入に切り込んだ。


「とある人物から、真島孝弘を討伐するために、辺境伯が軍を差し向けたと聞いています」


 どんな些細な変化も見逃してはならない。


 噂通りに善良な為政者であるのか、それとも腹に一物抱えた悪人なのか。

 そこを見極めるのだ。


「これは事実ですか?」

「真島孝弘の名前は、巷間には流れてはいないはずですが……いいえ。そちらについては、深くは聞きますまい」


 辺境伯は静かに頷いた。


「ええ、確かにわたしは、偽勇者である真島孝弘を討伐するために、アケルへ軍を差し向けました。正義の軍団。邪悪を滅ぼすための一矢として」


 落ち着いた物腰だった。

 表情からも口調からも、やましいものは感じられない。


「わざわざアケルまで、ですか?」

「飯野様。古くから続く貴族の一門として、わたしには世界の安寧を守る義務があるのです」


 踏み込んでみたが、やはり揺らぎはない。


「この世界の人々の生活は、常に揺らぐ波のうえにある小舟のようなものです。確かにアケルは遠く、そもそも、帝国領ではありません。しかし、そこに生きる人々がいる以上、他国のことと座視するわけにはいかないでしょう」


 語られる言葉からは、鉄のように強固な意志が感じられた。


 口先だけで言えるようなものじゃない。

 そこには、長い年月をかけて、ひとりの老人の核となったものが込められていた。


 そう感じられたことに、わたしはほっと胸を撫で下ろした。

 それと同時に、苦しさも感じた。


「この世の邪悪は滅ぼされなければなりません。そうでしょう?」

「……ええ。その志は、素晴らしいことだと思います」


 わたしは胸を圧し潰されそうな気持ちで告げた。


「ですけど、真島の件については違うんです」

「違う、ですか?」


 怪訝そうに尋ねてくる姿に胸が痛む。


 この人は正しい。

 けれど、間違ってしまった。


 状況は、わたしが真島を追ったときに似ていた。


 だからこそ、これ以上は間違えさせたくなかった。


「真島孝弘は偽勇者なんかじゃありません。悪いことだってしていません。あいつはわたしたちと一緒にこの世界にやってきた、転移者のひとりなんです」


 わたしは懸命に言葉を紡いだ。


 半分は真島のためだったが、もう半分は目の前の男性を想ってのことだった。


「……なんと。まさかそのようなことが」

「驚くのも無理ありません。でも、本当のことなんです」


 つぶやく辺境伯に、身を乗り出した。


 辺境伯は悪人ではない。

 それどころか、他者への慈しみと責任感、悪を憎む心を備えた人物だ。


 一言でいえば、わたしは辺境伯に共感していたのだった。


「だから、争う必要なんてないんです。無駄な犠牲を出したらいけません」

「……なるほど。お話はわかりました」


 言い募るわたしに、辺境伯は頷いてみせた。


 理性的な態度だった。


 行動を咎められて、怒り出すタイプでもないようだ。

 懸念がまたひとつクリアされて、ほっとする。


 これならば、説得は容易い。


「兵を退いていただけますね」


 確認をするわたしに、辺境伯は静かな視線を向けた。


 相変わらず、落ち着いた物腰で――。


「それはできかねます」


 ――口にされたのは、拒絶の言葉だった。


「……え?」


 わたしは凍り付いた。

 なにを聞かされたのか、理解ができなかった。


「い、いま、なんて……?」

「兵を退くことはできかねると言いました」


 聞き返しても、返ってくる言葉は変わらなかった。


「なんでですか!?」


 わたしは思わず腰を浮かせた。


 ここで戦いをやめない理由がわからなかった。


「真島は悪いことなんてしていません! なのに、どうして……」

「真島孝弘という男は、モンスターとともにあると聞きました」


 静かに諭すように辺境伯は言った。


「理由はそれだけで十分ではありませんか」


 わたしは呆気に取られた。


 そんなの理由になっていない。


「い……意味がわかりません」

「わかりませんか」


 辺境伯は眉間のあたりを揉みほぐすようにした。


 当たり前の事実をどう説明しようか、迷っているような風情だった。


 ややあって、辺境伯は口を開いた。


「良いですか、飯野殿。モンスターは人の世界を脅かす邪悪そのものです。そんなものとともにある存在は、ただそれだけで邪悪でしょう」

「ただそれだけで……?」

「ええ。議論の余地などありえない」


 滅茶苦茶な言い分だった。


 少なくとも、わたしにはそう思えた。


 悪い人間というのは、悪いことをした人間のことだ。


 そのはずだ。


 けれど、辺境伯の意見はそうではない。

 極端な話、『悪行を為しているかどうかなんてどうでも良い』と辺境伯は言っているのだった。


 滅茶苦茶だ。

 なにかの言いがかりとしか思えない。


 それなのに、辺境伯は堂々としていた。

 揺らぎなどかけらもなかった。


 彼は本心から言っていた。

 吐き気を催すほどに、その姿勢は善意と義侠心に満ちていた。


 そう感じられたからこそ、ようやくわたしはおぞましい事実を認識したのだった。


「邪悪は滅ぼされなければなりません。わたしが差し向けたのは、そのための『正義の軍団』なのです。彼らは必ずや、この世の邪悪を滅ぼしてくれることでしょう」


 辺境伯は決して邪な人格の持ち主ではない。

 自分の良識に従い、正義を尊び、邪悪を憎んでいる。


 そこはわたしと変わらない。


 けれど、その価値観にずれがあった。


 邪悪とするものに、致命的なまでの違いがあった。


 こんなの説得のしようがなかった。


「で……ですけど、真島がわたしたちと一緒にこの地にやってきたことは確かなんですよ」


 わたしが最後に縋ることができたのは、自分たちが勇者であるという事実だけだった。


 この事実だけは揺るがない。

 それがどれだけこの世界の住人にとって大きなことなのか、わたしは実感を持って知っていた。


 だから、これが最後の砦だった。


「それなのに、真島が邪悪だって言うんですか」

「もちろんです」


 あっさりと返されてしまい、わたしは絶句した。


「なっ……なんっ……」

「真島孝弘は、確かに転移者なのかもしれません。ですが、だからといって、彼が偽勇者ではないということにはなりません」


 辺境伯は断言した。


 その力強さは、わたしにとって、あまりに不可解なものだった。


「ど、どうして? 真島は、確かに……」

「そう難しい話ではありません。此度の勇者様の降臨には、多くの例外がありました。百名以上の勇者様がエベヌス砦を訪れるのみならず、降臨した数はさらに多く、千を超えたとか。それ自体は、本当に素晴らしいことです。しかし、かつてない規模であったがために、歪みも生じたのでしょう」

「歪み……?」

「わたしは辺境伯という立場にあります。その責任ゆえに、わたしは様々な情報を得る必要がありました。前線の砦、各地の貴族、また、聖堂騎士団からも。だから、前々からおかしいとは思っていたのですよ」


 男の目が刃のように鋭くなった。


「勇者様のご威光に翳りなどあるはずがありません」


 それは、エレナーさんと同じ言葉。


「だからこそ、おかしいのです――チリア砦の首謀者だったという転移者の暗躍も、それに加担した『魔軍の王』の跳梁も。救世主たる勇者様であれば、ありえない」

「あ……」


 慄然としたものが、背筋を走り抜けた。


 そうなのだ。


 エレナーさんからは、偽勇者の一件については、勇者の威光に傷がつくという理由で真相を伏せると聞かされた。


 だが、そういう観点で見れば、チリア砦襲撃事件のほうが余程に事態は深刻だ。

 なにしろ、あれは過失ではなく故意なのだから。


 無論、こちらについても、事実は伏せられている。


 伏せ切れるかどうかはわからないが、少なくとも、現状では。

 今頃、聖堂教会のほうで、なにか手を打ってもいるのかもしれない。


 けれど、だとしても、マクローリン辺境伯に関しては話は別だ。

 そもそも、チリア砦の兵士を保護したのは彼なのだ。


 隠し切れるはずもなかった。


「転移者のなかに、そのような邪悪な者がいる。しかし、勇者様がそんなことをなさるはずがない。ならば、結論はひとつでしょう。すべては勇者様に紛れ込んだ偽者のしでかしたことなのですよ。そうでなければ、説明が付かない。モンスターを率いるなどという邪な術を操る真島孝弘のごとき存在がいるのは、そのためなのです」


 転移者であるという事実自体は、辺境伯を説得する材料にはなりえない。


 もはや打つ手は尽きたのだ。


「偽勇者が逃げ延びたのがアケルであったのも、ある意味では、都合の良いことかもしれません」


 思考を空転させるわたしは、ただ続く言葉を聞くことしかできなかった。


「なにしろ、あの土地は不浄な存在に満ちています。巨大な邪悪とともに、すべてを一掃することができるでしょう」


 なにかを祝福するような口調は、いまのわたしにとっては不吉そのものに感じられた。


「不浄な存在……すべてを、一掃?」


 顔面から血の気が引いていく。

 さっきまで共感を覚えていたはずの老人が、なにか得体の知れない生き物のように見えた。


「な、なにをするつもりですか」


 尋ねるわたしに、老人は穏やかでいて包容力のある――それゆえに、ひどくおぞましい笑みを浮かべたのだった。

◆もう一回更新します。

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