第四十三話 教育
7438年10月5日
昨晩、ファーンとシャーニは客間で寝たようだ。昔ファーンも寝ていた子供部屋で俺とミルーはかなり遅くまで小声で話していたがついにファーンは子供部屋に戻って来なかったのだ。婚約状態なのだろうから当たり前と言えば当たり前なのだが俺たち姉弟にしてみると多少寂しいものがあった。
魔法の修行の後、ミルーはファーンとシャーニに捕まって、現在は絶賛修行中の身となっている。いまのうちに両親にシャーニについての当家の秘密開示について確認しておこう。
「父さん、剣の稽古中に申し訳ないんだけど、どうしても今確認しておきたいことがあるんだ」
ヘガードとの剣の組み手のときに小声で話しかける。
「? なんだ? 稽古が終わってからじゃだめなのか?」
うん、今じゃないと都合が悪い。
「母さんと一緒にすぐに話したいんだ。ウェブドス卿のことだよ」
「! ああ、ゴムのことか?」
もう、まだ稽古つづけるのか、よっ、っと。ヘガードの攻撃を剣で防御しつつ後ろに下がった。
「え? うん、あと魔法も、……ったぁっ!」
すぐに前進し、ヘガードに突きを入れようとするが、ゆったりとかわされ、逆に側面からの攻撃を受ける。かろうじてその攻撃をかわしてヘガードに向かって剣を振るが、防御されてしまった。
「……そうだな、お前の意見も聞いてみるか、よし、厩舎の裏にシャルを連れて来い」
ヘガードはそう言うと、くるっと振り返ってすたすたと厩舎に向かって歩き出した。俺は母屋に向かい、シャルを呼びにいく。
・・・・・・・・・
厩舎の裏で剣の素振りをしていたヘガードのもとにシャルと歩いていった。ヘガードは剣の素振りをしながら言う。
「シャル、魔法やゴムの件だが、シャンレイドにはどこまで話したらいいか家の次男坊が心配だそうだ」
「あら? そうなの、アル?」
二人とも何ということも無いかのように話し始めた。
「ええ、僕の考えを聞いてもらってもいいですか?」
俺も深刻にとられないような声音で話す。ヘガードも素振りをやめ、二人とも何も言わないのでOKだと取って話を続けた。
「僕はまだ世の中のことをよく知らないので、失礼な事を言い出すかも知れませんが、まずは僕の考えを聞いてください……。当家はウェブドス侯爵の騎士団にゴム製品を卸しています。それらは騎士団の正式な装備品として今では無くてはならないものに取り立てられていると聞いています。また、兄さんは騎士団に入団してから順調に昇進し、半年ほど前に正式な騎士に叙任されています。今回の戦でも大手柄だったそうじゃないですか」
俺は自分の声音がだんだんと真剣味を帯びてきた事を意識しながら話を続けた。
「ゴム製品についてはまぁいいでしょう。原料の木はどうもバークッド周辺にしか無いようですし、他で発見されゴム製品を作られたという話も聞きませんから、騎士団や侯爵の弟君の商会でもせいぜいが、ああ、バークッド村は運がいいな、程度の感じ方をされているのではないかと思っています。ここでまず知りたいのですが、バークッド村や当家は侯爵領の他の領主たちからはどう見られているのでしょうか。出来ればゴム製品が出来る前と出来た後について教えてください」
一息にここまで言うと俺はじっと両親の顔を見た。両親は一度だけ顔を向き合わせたがすぐにヘガードが言った。
「……アル、本当にお前は……。そうだな、ゴム製品を作る前は一番辺境にある普通の士爵家というところだったろうな。領内の平均よりは大分貧乏で下から数えられる程だが、一番貧乏、という程ではない。俺も領主を継いでからは畑の開墾や魔物を追い払うパトロールは一生懸命やっていたから、領地経営に熱心な領主、という見方をされていたとは思う。お声がかかれば戦争にもきちんと兵を出していたし、貧乏とは言え他の領主たちから借金をしてもきちんと全て返済していたから恨まれたり、侮られたりすることも無かったと思うぞ。どうだ? シャル」
「ええ、そうね。私は結婚するまでグリードの家が士爵家だなんて知らなかったから、王都では知らない人のほうが多いと思うし、少なくともその頃まではグリード家は話題にすらなったことは無かったわね。私が結婚するときにちょっとだけ話題になったかもしれないけど、公爵家の血筋とは言え、サンダークの姓も名乗れない傍流だったし、別段どうということも無かったと思うわ。あなたが領主になってから、私は殆ど村で暮らしていたから外からどう思われているかまではよくわからないわね」
そう言えばシャルはサンダーク公爵の孫だったんだよな。確か三男の四女だっけか。それってもう貴族じゃないだろ。三男だったらどこぞに婿として入ったのだろうが、サンダーク姓ですらないみたいだし、四女なんて味噌っかすもいいところだろうし。
「ゴム製品を納め始めてからは、キールに行ったときにたまたま会った他の領主からは羨ましがられた事はあったが、もともと大して金持ちだったわけでもないし、家に取っては大きな収入源になったが、侯爵領には家以上に収入のある領主も沢山いるからそうやっかまれるなんて事はないと思う。だが、収入が増えたおかげで領地が潤ったのは確かだから、まったくやっかまれていないというのも不自然かも知れん」
「そうね、でもそんなに深刻な状況にはならないでしょうね。収入が増えたといっても下から数えて何番目、程度の領主が平均的になったくらいだから、侯爵あたりは税収が増えて喜んだくらいじゃないかしら」
ふーん、そういうもんか。確かにそれほど豊かな生活をしていたわけでもないし、今は収入が増えたと言ってもせいぜい6~70%増えた程度だからこのくらいがウェブドス侯爵領の一般的な地方領主の収入なのかもしれないな。確かに現代日本でも宝くじで6億円も当てたら羨望と嫉妬の的になるだろうけど、一千万円くらいだと素直に良かったねおめでとう、くらいだろうしな。
例えが悪いな。侯爵を大企業、地方領主をその子会社と考えたほうがいいか。ある子会社が画期的な製品を開発し、それが大企業の一部製品の部品として採用された。おかげで自転車操業だったその子会社は連結決算時に多少なりとも利益貢献が出来るようになった。そのとき、他の子会社は……。うん別段どうと言うことはないだろうな。大企業もいままでお荷物に近かった子会社が改善され、やっと成長期に入った子会社からわざわざその新製品を取り上げるなんて事はないだろう。だが、あまりにも有望なら役員の一人でも送り込んでおくか、という感じだろうか。ここまでは予想通りだな。
「わかりました。では、次です。兄さんは順調に騎士になれました。それは兄さんの努力の賜物であることは確かですが、入団して二年で正式な騎士になることは良くあることでしょうか? やっかまれたりしないでしょうか?」
これには両親は即答だった。
「ああ、普通だ。平民の子供であればもっとかかるのが一般的だが、ファーンは小なりとは言え、領主の一番の跡取り候補だ。そう言った立場であればよほど出来が悪くない限りは大体二年くらいで正騎士になれる。俺はファーンがつい何かの折に魔法を使ったりしてあまりにも有望過ぎると言う理由で二年以内に騎士になってしまうのじゃないかという事を心配していたくらいだ。だが、ファーンはどうしても必要になった場合の治癒魔法以外は魔法を人前では使わなかったと言っていた。それもかなり簡単なものに限定していたとも言っていたな。だから魔力量や魔法の技術についてはまず気取られていないだろう……ああ、そう言う事か……」
ヘガードも俺が言いたいことを理解してくれたようだし、安心する情報もくれた。
ファーンの魔力量について、兄貴は騎士団内で隠し通したのだろう。少なくとも本人がそう思えるくらいには制限して使っていたのだろう。
「そうです。僕が心配したのは、二つあって、まず一つはシャンレイド様……ウェブドス卿が侯爵直系のご長女であるということ。ここに侯爵やセンドーヘル騎士団長のお考えがどの程度、どういった方向で含まれているのか、という事です。次に二つ目、そのお考えが妥当なものだったとして、僕達兄弟の魔力量や独特の魔法の修行法についてどの程度彼女に話すのか、話した場合、彼女はそれをご実家であるウェブドスの家に報告するかどうか、という点です。兄さんとの結婚は決まっていますから、いずれ子供が生まれるでしょう。その子に同じように修行をさせるのであれば母親である彼女がそれを知らないでいる、という事は無いと思いますので」
今度はシャルが答えるようだ。
「アル、つまり貴方はこう言いたい訳ね。一つは彼女がゴム製品の製法をご実家に流し、バークッドから既得権になっている独占状態を取り上げようとしているのではないか、と言うこと。もう一つは何らかの理由でファーンの魔力量か魔術の技量に気づいたかしてその秘密を探りに来て、有効であれば同じようにそれをご実家に流すのではないか、と言うことね」
うん、多少違うし、足りない部分もあるけれどだいたいその通りだ。
「あなたの心配はわかるわ。私達も遠征先でセンドーヘル様からファーンとシャーニの結婚について提案されたときは即答できなかったし、今と同じようなことを相談したから。
でも、考えても判らないからファーンを呼び出して聞いてみたわ。ああ、最初からこんな聞き方はしなかったわよ。そもそも、遠征に行っても最初から結婚の話は出なかったしね。私達がファーンの結婚について初めて聞いたのは戦が終わった帰り道よ。どうもシャーニはもともとファーンの事を嫌っていたらしいわ。
同じ年齢でありながら、彼女は騎士として何一つファーンに勝てなかったんですって。センドーヘル様のご長女とは言え、男のご兄弟が三人に妹もいらっしゃるらしいから、自分は何とかして騎士として出世するんだ、それしか無いんだって思って頑張っているのに、ことごとくファーンの後塵を拝していたから、相当嫌われていたらしいわ。ファーンの方は騎士団の修行中はそんな事考える暇は一切無くって必死に修行していたから判らなかったと言っていたわ」
へー、そうだったのか。じゃあ何でそんな嫌な奴のところに嫁に来るんだよ。ますますおかしいような……。俺がそれを指摘すると今度はヘガードが言う。
「今のシャルが言った事はファーンではなくて、結局はシャーニから聞いたことだ。もともと嫌っていたとは言っても、憎からずは思っていたらしい。最初はライバルだと思って何かと張り合っていたらしいが、ファーンはろくに自分のことを相手にせず、あっさりと好成績を修める。一生懸命努力してもファーンも一生懸命努力しているからその差がなかなか埋まらない。どんな修行をしているかと思えば、当然同じ騎士団だから相手の修行内容も完全にわかる。特別なことは何一つしていなかった。ただ一生懸命に修行に励んでいるだけだった。剣や槍、馬術などの戦技で及ばず、それならと机上戦闘で挑んでもことごとく返り討ち、それはもう憎かったそうだ。なぜこいつは自分の進路の邪魔をするのかと、憎んで憎んでファーンの観察ばかりしていたらしい」
なんだそりゃ、ストーカーかよ。
「そんなこんなで1年ほど経ったとき、野戦訓練があったそうだ。ファーンも彼女も従士として徒歩で、ある先輩の騎士のお供として参加したそうだ。その時に彼女達の部隊は追い詰められ敗走状態になってしまったんだと。普通ならそこで諦めて降参するか、討ち死に覚悟で最後の突撃をして部隊壊滅になるらしいが、ファーンは冷静に状況を分析して反撃の足掛かりを作ろうとした。
殆ど全員諦めて最後の突撃をしようとしていたが、そこで更なる後退を行い、部隊を再編し、機を狙った反撃を主張したファーンは従士の分際で作戦に口を出すとは何事か、と叱られたそうだ。それに対してファーンは途中で諦めたり、意味の無い突撃をしたりすれば負けるのは当たり前で、負けるということは捕虜になり、身代金などで領地や領民に大きな負担をかけてしまうし、死んだりして部隊が壊滅すれば、自分達の後ろにいる領民や領地を守れないばかりか、それらが敵に蹂躙されることになる。負けると言うことはそういう事だ、従士と言えどそんな事は認められない、貴方はそれでも騎士か、と言い放ったそうだ」
ああ、兄貴はそうでなくちゃな。
「先輩の騎士達は生意気で知った風な口をきいたファーンをよってたかって殴りつけたらしいが、それでもファーンは自説を曲げなかった。その時、シャーニは初めてファーンを認めたそうだ。ああ、こいつには敵わない、という気持ちになったらしい。
まぁその訓練はそんな揉め事で時間を食って結局負けちまったらしいが、訓練総括の際に作戦に口を出し、あまつさえ正式に叙任されている騎士を侮辱した無礼な従士を吊し上げよう、との思いからファーンを越権行為と侮辱で告発しようとした騎士がいたらしい。騎士団長であるセンドーヘル様は事態を重く見てその場で関係者から証言を取り裁きを下した。
ファーンは作戦に口を出す権利が無いにも関わらず許可無く発言したことで厩舎の掃除を6ヶ月間、騎士を侮辱した罪で退団という罰だったそうだ。しかし、発言内容とその時部隊が置かれていた状況、ファーンが進言した作戦、侮辱した状況と内容について考慮されて罰は3ヶ月に減らされ、退団は無しとなったそうだ。
証言は殆ど全てシャーニがしたらしい。ファーンはその裁きの間中、発言を許可されなかったこともあって一言も発せず、退団を言い渡された時でさえ胸を張っていたそうだ。告発した騎士と侮辱した相手の騎士がどうなったかは聞いていないから知らん」
……ファーンは本当にまっすぐだな。
「とにかく、その時からシャーニはファーンを認め、と言うか好きになってしまったことを自覚したらしい。もともと相当気にしていたようだしな。驚いたことにその後すぐにセンドーヘル様の所へ行って結婚の許可を求めたそうだ。センドーヘル様もファーンには思うところもあったらしいが、許可に条件をつけたそうだ。
ファーンが正騎士として叙任を受け、その後ファーンもシャーニを娶ることを承諾し、且つその父親、俺だな、が許可するのであればいい、と言ったそうだ。但し、ファーンが正騎士として叙任を受けるまではそれらを一切口外せずファーンにも話さない、ということも条件の一つだった。だが、叙任とほぼ同時に戦が始まってしまった。本当ならさっさとファーンに結婚について相談し、俺の許可を求めに来たかったらしい。ファーンには騎士叙任と同時に話したらしいが、戦争中に俺には話せなかったそうだ。俺はファーンともゆっくり話す時間がなかったくらいだしな」
なるほど、シャーニはファーンにベタ惚れ状態で裏の考えがほぼ無いであろうこともわかった。ゴム製品については、自分の娘が嫁入りすればまぁそれでいいと思ったのだろうか?
「二人の結婚の経緯はわかりました。ゴムや魔法についての情報や技術を狙ってきた可能性が低いことも理解しました。でも、今後もその気持ちが継続することは保証できないのではないでしょうか?」
「貴族の当主やその跡取りの離婚は認められないから、離婚についてはまず心配はないだろう。あと数年もして、ファーンに子供が出来たら家督を譲るつもりだしな。だが、確かにお前の言う通りシャーニの気持ちが今後どうなるかはまったくわからん。
しかし、ゴム製品については心配しなくてもいい。俺達にとっては非常に大切で大きな商売だが、侯爵家にとってはそこまで大きな商売ではないからな。で、魔法についてだが、これはもうシャーニには事情を説明して全部話すより他は無いと思う。勿論結婚の儀式が済んで、完全にグリード家の一員になってからの話だが。それまでは様子を見て、出来れば二人に子供が出来るまでは隠しておきたいと思っている。
だから、今後当面は魔法の修行を家ではやるな。ゴムの製造やらで魔法を使うのは仕方ないからお前達の魔力が普通よりかなり多いことはすぐに判るだろうがな。これは仕方ないけれど、今後は出来るだけ魔法を使わないようにして作業するんだ。それによって効率が落ちるのは仕方ないが、来年からは従士の家の一つを農業は辞めさせてゴム専属にしようと思っているからいずれ生産量は取り戻せるだろう。それまでは多少きついだろうが頑張れ。ああ、どの家を専業にするかはお前がまず考えろ、決めたらその理由とともに聞かせてくれ。年末までに決めればいいからじっくり考えろよ」
へぇ、貴族の当主はその跡取りも含めて離婚できないのか。それは、なんとも……上手く行っている間は問題ないだろうが、結婚後に性格の不一致とかで別れたくなったらどうするんだ? 我慢して結婚生活を続けるしかないのか? ああ、重婚もできるんだっけか。ならいいのかな? 別居したりはあるような気もするが、それは離婚に近い状態なのではないだろうか。ああもう、めんどくさ。別に俺はゴムはともかく魔法の修行方法のこととかどうしたらいいか判らないから聞いただけで俺の意見はもともと無いのだ。親父が方針を示してくれればそれでいい。
あとはゴム専業の従士の家を考えないといけないけど、これはゆっくり考えればいいから今は問題ない。
「わかりました、父さんの言う通りにします。これでどうしたらいいか心配しないですみます。あとで姉さんには言っておくようにします。話を聞いてくれてありがとうございます」
「アル、心配してくれるのはいいけど、家族をもう少し信用しなさい。シャーニはもうすぐ家族になるのよ。それを言えば私だってサンダーク公爵家の人間と言えない事も無いんだからね」
殴られた気がした。母ちゃんの言う通りだ。つまらん事で家族を疑うなんて、阿呆か、俺は。
「母さんの言う通りです。経緯はどうあれ最終的に兄さんが認めた女性を疑うなんて、どうかしてました。それは兄さんを疑ったのと同じことです。ごめんなさい、許してください」
ヘガードは俺の頭を撫でながら言う。
「いいんだ、アル。俺達も最初はお前と全く同じ事を考えた。それに、疑問を感じてそれを解決し、不安を取り除こうとすることは決して間違ったことじゃない。逆に頭から信用せずよく気がついたな。それは貴族として、領地を任される者として必要な資質だ。判断一つで領民の生活や領地がどうなるか……。いろいろ考えることは決して悪いことじゃないんだ。だが、シャーニはもう家族になる。一度家族になったら疑うのはよせ」
「はい、わかりました」
ああ、ヘガードはいい父親だよな。
そう思うだろ?
俺はちょっとだけ気分が晴れた気がした。