第三十九話 呪文
7438年4月28日
へガード達バークッド村派遣部隊の出立を見送った後、ミルーと今日のゴムの製造作業について話しながら母屋に戻った。
午前中は魔法の修行なので二人で領主執務室にこもって修行をする為だ。
「そういえばアルは『ライトニングボルト』は使えるようになったのよね?」
ミルーが羨ましそうに言ってくる。
『ライトニングボルト』の魔法は地魔法と水魔法を低レベル、風魔法と無魔法をかなり高レベルで使用しないと使えない高度な魔法だ。
風魔法が使えないミルーには一生かかっても無理なので羨ましいのだろう。
「うん、もう『ライトニングボルト』はいつでも使えるようになったよ」
幾つかの組み合わせで使用可能になる、ある程度高度で有用な魔法には名前がついていることが多い。
以前から使っている『フレイムスロウワー』や『キュアー』更に『キュアー』の上位版である『キュアーシリアス』や『キュアークリティカル』、有名なところでは『ファイアーボール』『○○ミサイル』や毒を抜く『リムーブポイズン』、毒を防ぐ『プロテクションフロムポイズン』などがある。
因みに○○には色々な名前が入る。俺が使っていた氷の槍は『アイスジャベリンミサイル』という感じだ。
魔法の修行とは単純に言って、これら名前が付けられている有名な魔法を使えるように練習するということに他ならない。
使いたい魔法に必要な各元素魔法と無魔法さえ習得していて、精神集中のために充分な時間さえ掛けられるのであれば、基本的には誰でも使うことは出来る。
使おうと思って必要な魔力を込め(これは魔力を練る、と表現されることが多いらしい)、無魔法で調整をすればいいだけだからだ。
集中を乱されない限り、まず失敗はしない。
しかし、練習をしていないと発動に長い時間が掛かってしまったり、効果が低くなってしまう。
魚を捌く事を考えてみてほしい。
包丁を使えない人間は存在しない。
技術が足りなくても時間を掛けさえすれば誰にでも魚を捌き、刺身にすることは出来る。
たとえ不恰好で手の温度が切り身に移ったとしても刺身は刺身だ。
旨くはないかもしれないが、充分に食うことは出来るし、食えば何の魚を刺身にしたかくらいはわかるだろう。
まぁ、そのぐちゃぐちゃになった魚の肉片を刺身と呼べるのならだが。
しかし、誰でも何回もやれば上手になるし、刺身も綺麗に切りそろえられる。
骨から複数枚でサク取りし、かつ無駄に身を残すこともない。
皮も上手に引けるようになる。
そして、出来上がるまでの時間は短縮される。
つまりはそういうことだ。
何回も反復練習を繰り返すことによって無駄な魔力を使うこともないし、魔法の完成までに掛かる時間は短縮される。
要はコツをつかみ、要領を得て自分の技術として確立させることで初めて「○○の魔法を習得した」と言うのだ。
普通の人は魔力量の関係であまり練習が出来ないため、一生をかけてせいぜい3種類くらいの魔法を「習得」する程度だ。多い人でも5種類くらいらしい。
だが、俺たち三人の兄弟はMPの多さのおかげで、普通の人たちと比較すれば飛び抜けて習得した魔法が多い。
当然だ。練習の機会がそれだけ多くなるのだから。
さっきの魚を捌くことの例を借りると、普通の人は1日1匹のアジを捌くとMPが少ないのでもうその日は練習が出来ない。
だが、俺たちは何匹でもアジを捌く練習を続けることも可能だし、その気なら鯖、鯛、鰹のようなもっと大型の魚や鯒や鮃など、ちょっと変わった形の魚を捌く練習だって可能だ。
当然、最初は上手く行かない事は当たり前だが、練習を繰り返せば鼻歌を歌いながら、タバコを吸いながらだって変わらないスピードで上手に捌けるようになるのだ。
「いいなあ、全部の元素魔法が使えるって……。ところで、今日は『ファイアーボール』の練習するから、『アンチマジックフィールド』お願いね」
ミルーはそう言うとニッコリと笑う。
ちぇっ、汚ねぇな。
自分は全元素魔法が使えないから『アンチマジックフィールド』はいつも俺の役目だよ。
おかげで俺は何かに対して攻撃する魔法を練習する機会は殆ど無い。夜に狩りに行ったついでにちょこっと練習するくらいだ。
だから、俺が使える攻撃魔法は限られたものになってしまう。
『フレイムスロウワー』は別に何かめがけて使わなくても練習できるからものすごく上手になったが、それ以外はさっぱりだ。
『ライトニングボルト』や『アイスジャベリンミサイル』だって真夜中の修行でようやっとまともに使えるようになった部類だ。
さっきミルーの言った『ファイアーボール』も使えないことは無いが、今の俺が使っても発動には30秒くらい掛かってしまうと思う。戦争ならともかく、戦闘にはとても使えない。
だが、ミルーはここ2年ほど、かなり攻撃魔法に特化して修行をしている。
理由は知らないが、大方、以前のホーンドベアー戦で『フレイムアローミサイル』くらいしか使えなかったからそれを気に病んだのだろうとは思うが。
俺だって『ファイアーボール』とか『フレイムアローミサイル』とか練習してみたいよ……。
生活や何らかの生産に密着した魔法は攻撃魔法なんかよりはるかに有用なことは解るけどさ……。
こんなんで一国一城とか、どうなのよ? いや、有効だよ、確かに。でもさ、当面は争いごとを腕ずくで解決しなきゃいけないわけじゃん?
そこで土出して埋めるとか、絵面が地味だよね。
「わかったよ……。今日は何発くらいやるの?」
攻撃魔法の威力は無魔法に込めるMPで決まるといっても過言ではない。当然、使う元素魔法のレベルにもよるが、大方は無魔法のレベルと量の加減、誘導や速度、指向性によって決まる。
地魔法で石を出してそれを飛ばすことを考えればすぐに理解してもらえるだろう?
弾丸の威力は弾頭の材質も大事だけど速度や重量、その形状の方が威力に占める割合が大きいだろ?
○○ミサイルのような魔法は元素魔法で弾頭を作り、無魔法でそれを発射する銃や砲を作るようなものだ。発射薬である火薬も無魔法だが、別に爆圧で飛ばすわけじゃないので銃身や砲身にあたる助走距離を多く取り、その銃身内の弾頭を魔力で加速させる。
だから威力は無魔法でどれだけ長距離=長時間加速させられるかにかかってくることが多い。
誘導は銃身を捻じ曲げて銃口を対象に密着させると考えてくれ。
勿論誘導には魔力を使わず、魔法の射程外まで飛ばしっぱなしにすることも可能だ。
そのためには銃弾に当たる弾頭をかなり加速させないと魔法の射程距離を過ぎたところで空気抵抗やその形状などですぐに威力は激減してしまい、しまいには地上に落下する。
そしてその練習は弾頭ごとにやらないとだめだ。
ある程度の応用は利くが、石を大きくしたり変形したりなどで弾頭が変わると、ただ飛ばすだけならともかく、加速や誘導に使う無魔法の使い方も多少異なってくるのだ。
だから1MPで作った石を使って『ストーンミサイル』に習熟しても『アイスジャベリンミサイル』とか『ストーンアローミサイル』とか『ファイアボルトミサイル』とか弾頭毎、弾頭に使用するMP毎に練習が必要になる。
これが弾頭を飛ばさず、加速せず、ただ単に作り出した土や石を誘導して飛ばしたり埋めたり氷漬けにしたりとかだと別に練習は必要ない。
俺が思うに弾頭の加速が一番練習が必要だと思う。
勿論時間さえ掛けられる状況で充分にMPを使えるならどんなものでもそれなりの効果を発揮させられるとは思う。
だが、『ファイアーボール』の魔法は特殊で爆弾を飛ばすようなものだと思ってほしい。
ある程度の速度が必要になるのは当然だが、この魔法は弾頭自体によりMPを使うことになる。
地魔法と火魔法で弾頭を作り、それに無魔法を使って思い切り圧縮する。
圧縮を維持したまま飛ばし、目標あたりで圧縮を解放してやると燃えた石や土くれがそこで飛び散る事になるのだ。
弾頭の飛び散りには加速をしていないので飛び散り方は大したことは無いが、真っ赤に灼熱した石などが飛び散るさまはまるで爆発のようだ。
使うのに必要なMPは最低限で地魔法の1、火魔法の1、無魔法の指向性、拡散の反対の圧縮で1、飛ばすための3、圧縮持続の4で合計10MPだが、この程度だと爆竹に毛が生えたようなものなので、殺傷を目的にするのであれば最低でも弾頭にこの3~4倍は欲しいところだ。
それでも人を殺すのは難しいだろう。
爆発のすぐそばにいたとしていいところ重傷で、当たり所が悪ければ死ぬくらいではないだろうか。
だが、そんな程度の威力でもMPを20以上(弾頭に地と火でそれぞれ4、圧縮も同様に4×2で8、飛ばして3、圧縮持続で4だ)も消費する。
普通の魔法使いであれば、その後のことを考えてもう魔法は軽々に使えなくなる。
シャルくらいの魔法使いが昏倒も辞さずに全ての魔力を注ぎ込んでダイナマイトくらいの爆発を作り出して数人を殺傷できるくらいらしい。
だが、ミルーは違う。
50とか100とかアホみたいな量のMPを注ぎ込んで弾頭を生成するのだ。
ちょっとした軍事用の爆弾程度の威力があるのではないだろうか?
そんなものを屋内はおろか、屋外でもまともに使うわけには行かないので実際の爆発は見たことないから知らんけどさ。
要するにそれを受け止める『アンチマジックフィールド』にはそれ以上のMPが必要になるので、あらかじめそれだけのMPを注ぎ込んでおかないと爆発が『アンチマジックフィールド』を超えてしまうのだ。
だから何発くらいやるのか聞いておかないとあとでまた『アンチマジックフィールド』を使いなおすことになるし、俺がボケていた等場合によっては家の中で爆発させるという大惨事を招きかねない。
「ん~、3発くらいかなぁ……。選別の修行もしないといけないしね」
あ、そうですか……。じゃあ多少多めに700くらいでいいかな。
ミルーは攻撃魔法の修行もしてはいるが、ゴム生産のための選別の魔法や風魔法を使わない乾燥の魔法についても一応きちんと修行をしている。乾燥はともかく、採集してきた樹液に含まれている不純物の除去なんか、水で薄めて沈殿させるなり漉し取るなりすれば時間はかかるが出来るのに、少しでも生産を効率的にやりたいといって修行を続けているのだ。
ミルーはさっさと『ファイアーボール』を3発撃ってから選別の修行でMPを使い切って休んでしまった。
しょうがないので俺は弾頭だけ作ったりして練習をする。
弾頭自体はもうかなりの種類をコンマ何秒で作れるようになっているが、それを加速して飛ばしたりする練習は昼間はまず出来ないので仕方ない。
それより最近は治癒魔法の練習をしている。
練習には怪我をしなければいけないので痛いから嫌なんだけど、肝心なときに集中に時間がかかって死ぬとかのほうがよほど嫌なので辛くても練習を重ねている。
自分の足や腕に切り傷を付けるくらいのうちはまだ我慢できたのだが、思い切って足に銃剣を突き立てるまでにはかなりの時間と覚悟を要した。
思い立ってから実際に開始するまでに、多分1年くらいは掛かった気がする。
だが、どうしても腹や胸を突いたりする勇気がない。
今度こそ、と思って修行に臨んでも、いざ突き立てようとすると、ぶるってしまう。
だって、あまりの激痛とかで集中が乱れて治癒が間に合わないことを考えるととてもできねーよ。
指を落とすこともしていない。欠損が接続できなかったら大変だし、その場合、欠損した部分は一生ついて回るだろうしな。
だけど、大きな切り傷なんかが治癒魔法であっという間に接合され皮膚に跡も残らず回復されていくことを考えると、欠損してすぐならくっつく気もするが……。
だめだ、怖い。やっぱ出来ないわ。
とにかく手足の切り傷や突き傷ならかなり大きなものでも一瞬にして治せるくらいまでは修行した。
いまさらこんな傷の修行は殆ど意味ないので、腹や胸の修行をしたいのだが、どうしても思い切れず結局二の腕や腿とかに銃剣を突き立ててお茶を濁してしまう。
因みに治癒の際に血液もある程度造っているくさいので貧血になったことはない。
もうこれはあの練習法に頼るしかないかな?
村の治癒師のシェーミ婆さんに昔聞いた修行法だ。
魔法の練習をする場合のもう一つのやり方でもある。
それは呪文を唱えること。
どんなに上達しても呪文を唱え終わるまでは決して魔法は発動することも無いが魔法への集中をある程度減らすことが出来る。
それ以外の効果はないが、魔法の修行法の一つとして比較的ポピュラーなものらしい。
昔ゴブリンと戦って傷ついたファーンを治療したときに言っていたあれだ。
――我が身体より魔素を捧げる、この者に癒しのお恵みを、治癒。
特定の速度で呪文を唱えることによって半自動的に魔力を使い魔法を完成させる。
呪文自体に別段意味はない。
唱える内容も『じゅげむじゅげむごこうのすりきれ』だっていい。
自分の中で特定の単語と一定の魔力量とその元素や効果とを紐付けられさえすれば良いらしい。
心が平静でない場合などで効果を発揮する魔法の行使方法だ。
とは言え、シャルなどは「発声出来ない状況ではまったく役に立たないし、普通に魔法を使うよりも時間がかかるし呪文と自分の魔力の相性を発見するまでは意味がない」と言って切って捨てていた。
そもそも、魔法の発動までにはそれなりに時間が掛かるのが普通だから、戦闘の際など一刻を争うような時に魔法を使う魔法使いなんかいないとも言っていた。
さっきの治癒の魔法だって呪文を書いてみれば大したことない量だけど、あれを正確に5秒くらいのリズムで唱えないといけないらしい。
人によってはもっと長いこともあるそうだ。
短いこともあるだろうが。
呪文とそれに対応する魔力なんかを見つけるまでにかなりの時間がかかることが難点の一つでもある。
俺もそれを聞いて、馬鹿馬鹿しいので諦めた口だ。
要するに呪文ってのは、治癒師なんかが魔法のありがたみを演出する材料として修行するのが一般的らしい。
だって、商売の道具だしな。それだって本当は呪文なしで魔法を使っている治癒師が殆どらしいが。
シェーミ婆さんは治癒の魔法は呪文がないと使いにくいとは言っていた。
しかし、俺の魔力と相性のいい呪文を探すって、簡単に言ってくれるが一体どうやって探せばいいのだろうか?
適当になにか言葉を喋りながら魔法を使って、これだ! というものを探せばいいのだろうか?
こうやって闇雲に探してもまず無理な気がする。
それなら、実際に呪文を唱えることで修行をしたシェーミ婆さんに聞けばいいのか。
早速シェーミ婆さんの家まで行ってみた。
そして、婆さんに呪文による魔法の修行方法を尋ねてみる。
「ねぇ、シェーミ、呪文でやる魔法ってどうやって自分に合った呪文を見つけたらいいの?」
「おや、アル様は呪文で魔法を使いたいのですか?」
シェーミはにこにこしながら聞いてきた。
「うん、治癒の魔法なんかだと手足の切り傷くらいしか練習できないしね。もっと大怪我をしたときなんかだとちゃんと集中出来るか不安なんだ」
「ええっ!? 練習って……あ! まさか手足を傷つけているんですか!?」
おいおい、急にでかい声出すなよ。びっくりするだろうが。
「え? ああ、見てろよ……ふんぐ!」
俺は言うが早いか銃剣で左腕を突き刺してから引き抜くとすぐに治癒魔法で治療した。
「ちょ、ちょっと、アル様! ……え? あ、ああ、お見事な治癒ですが、そんなことは二度とやってはいけません! いいですね!」
なに、その剣幕。
目を三角にするという言葉の生きた凡例が目の前にいる。
「え? だって練習出来ないじゃんか……」
「だっても糞もありません! 一体何をお考えですか! ご自分で手足を傷つけるなんて……。だいたいすごく痛いでしょうに……。なぜこんなことを……」
思い切り叱られた。
だから練習だってば。
「だから練習しないとうまく使えないだろう? 今は手足だけしか怖くて練習できないけど、腹や胸はさすがに……その、勇気無くてさ」
「……いいですか? この事はお館様と奥様に報告いたしますよ。充分に叱って貰わなくてはいけません。それに、呪文もお教えできませんね」
え?
「そんな……。何でだよ! 修行できないじゃんか! 教えてくれよ!」
「治癒の魔法の修行のためにわざわざ怪我を作るとか、奥様が教えたのですか!? そんなわけないですよね? 間違って大怪我したりして治癒が間に合わなかったら一体どうするおつもりですか!!」
そこまでぎゃんぎゃん言わなくても良いだろうが。
言ってる事は解るけどさ。
俺は自分で治療出来ないと安心出来ないんだよ。
「だから間に合うように練習したいんじゃないか。でも普通に魔法使ったら集中できないかもしれないだろ。だから呪文でも治療できるようにしときたかったんだよ」
「……おっしゃっていることは解りました。ですが、普通は治癒は自分にはそうそう使いません。今アル様がおっしゃられた通り、集中できないことが殆どだからです。普通は他の治癒が使える人に魔法を使ってもらうことになります。ですから、自分への治癒魔法の練習など必要ありません。ずいぶん治癒魔法を上手に使えると思ったら……こういうことだったのですね。私はお教えできません。どうしてもという事でしたらお館様と奥様の許可を取ってください」
シェーミ婆さんはそう言うともう何を言ってもだんまりになってしまった。
まずいな。
だって許可を取ろうにもヘガードもシャルも遠征に行ったばっかりなんだぜ?
それに、シェーミ婆さんの剣幕を考えると両親ともに激怒しそうだ……。
身体髪膚之れを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。という言葉もある。
オースにあるかは知らんが。
おそらくこの言葉と同様の意味で怒っているのだろうということくらいは解る。
解るが俺の事情はそうもいかんのだ。
うーん、どうしよ?
なんとか両親が帰る前にシェーミ婆さんを説き伏せたい。ちょっと考えないとな。