第二十二話 メイドの話
「最初から目的があってバークッドに来た、と思っていいのかな?」
「はい、8年前のセリノー村での攻防でロンベルトに入り込む予定で、結局首尾よく潜り込めました。セリノー村の攻防の事はご存知ですか?」
「名前は知ってる。父さまが参加したことも。それ以外はよく知らないな」
本当は知っている。ミュンが当家に来る、と言うかダングルに引き取られる契機となった紛争だし、調べるのは当たり前だ。へガードに尋ねるときは、誤魔化すために当家が出陣した全ての紛争について聞くことになったんだ。尤も、へガードが参戦した紛争は『セリノー村の攻防』だけだったので、あとは更に昔の紛争でへガードも伝え聞いた話だったので、この戦程は詳しくは知らないが。
『セリノー村の攻防』というのは、8年前にあった隣国デーバス王国との毎度の紛争の一つだ。ロンベルト王国とその南にあるデーバス王国とは国境線の解釈でかなり昔から国境地帯を巡る紛争が頻発している。ロンベルト王国側で言う南の国境線で毎年のように紛争が発生していると言ってもいい。まぁ、大体4年に5回くらいで毎年1回よりちょっと頻度が高いかな? という程度で発生している。勿論大規模な衝突ではなく、両国とも補給部隊も含めて2000人程度がぶつかっているだけだ。実際に戦場で鉾を交えるのはいいところその半数くらいではないだろうか。
で、適当にぶつかって勝ったり負けたりを繰り返している。両国が最後に数万規模同士の総力戦の様相で衝突したのは、記録だと120年くらい前のことで、それ以降はその時の衝突の結果、暫定的に引かれた国境線を主軸に毎年のようにどこかでちまちまと紛争を繰り返している。で、その大規模な衝突のことを『ダート平原の会戦』と呼んでいる。ダート平原はロンベルト王国とデーバス王国との境界にある肥沃な平原だそうだ。いい感じに河川や林、適度な森があり、起伏の少ない開拓するにはもってこいの土地なのだ。
もともとはこの平原の中程に緑竜が棲んでいて、ダート平原をその狩場にしていたらしく、ある意味でロンベルト王国とデーバス王国の丁度いい壁になっていた。紛争もダート平原の東の端の竜の狩場から離れた場所でたまに発生する程度だった。しかし、あるときに強力な冒険者の一行が緑竜を討伐した。その冒険者の一行には両国の出身者が含まれていたので、かくしてダート平原は両国がお互いに領有権を主張して『ダート平原の会戦』を経て今に至っている、とこういうわけだ。
当然、両国はこの平原が欲しい。この世界には地魔法があるので、肥沃そうだとは言え、なにも人の住んでいないような都市部から離れた平原を開拓せずとも、もっと別の、そう、国内の林や丘陵地帯を開拓すればいいと思えるが、魔法で開拓するのは現実的ではない。シャルは一般的な魔法使いくらいのMPは持っているが、地魔法を使えたとしても、シャルの持っている程度のMPで開拓出来るのは、恐らく毎日全力且つ休息を日に4回取って開拓に従事しても、開拓面積はひと月かかって1aも無いだろう。土地を均すだけでなく、地中の石や邪魔な根を取り除き、地上から最低1mは掘り返し、一度は耕さないと作物は上手く育たない。
そもそも元素魔法は元素を生み出すことは得意でも、既に存在している元素を消したり、別の場所に移動させるのは無魔法と組み合わせて使わなくてはならない。俺に言わせると無から有を作り出す方が無茶苦茶なのだが、とにかくこの世界ではそうなっている。更に、魔法の技能のレベルで効率が段違いになっていく。魔法の話に逸れそうなので話を戻そう。
結論から言うと、肥沃で起伏の少ない土地はそれだけ開拓を含めた開発も容易であり、少しでも国力を伸ばすのであれば有れば有るだけ欲しい、ということになるのだ。当然、ダート平原はその意味で理想に近い土地であり、開拓に成功し、都市でも築ければ国力は飛躍的に上昇することになる。まかり間違ってその都市を要塞化でも出来れば隣国に対してその差は圧倒的なものになるだろうし、勢いに任せてそのまま隣国の領土を切り取ることすら出来るかも知れない。
当然両国とも開拓民を送り込み、村を作ろうとする。当たり前だが、最低でもある程度、つまり一定規模以上の軍隊が駐留できる規模になるまでは村を秘匿しなければならない。そういった秘匿された開拓村をお互いに幾つか持っている。だが、両国とも馬鹿ではないので目立たないように少人数でのパトロール隊を定期的に送り出し、相手の村の位置や規模についてはほぼ正確に掴んでいる。
そして、ある程度大きくなるか、なりそうなら潰す。これの繰り返しだ。そして、数あるそんな紛争のうちの一つが『セリノー村の攻防』とこの国では呼ばれている。
セリノー村はダート平原の中心部からはやや西よりにある、もともとはデーバス王国が開拓した秘匿開拓村の一つだ。その後ロンベルト王国が占領し、直後にまたデーバス王国に奪い返された。2回の占領を経て再度ほぼ1からの開拓をせざるを得なくなったのだが、デーバス王国は苦心してロンベルト側のパトロール隊を排除しある程度の規模への目処がつきそうになった。セリノー村の開拓状況についての情報の入らないロンベルト王国は危機感を抱き、セリノー村を蹂躙すべく軍隊を派遣したのが8年前の『セリノー村の攻防』だ。
で、その時にここバークッド村にも陣への参加要請があり、当時既に領主であったへガードが総勢10名の部隊を組織して参戦した。その中に含まれていたのがミュンの養父であるダングル・トーバスだ。で、セリノー村を攻め落とし、占領したのはいいが、その後に巻き返してきたデーバス王国の軍に攻撃を受ける。なんとかこれを退けるも被害が大きく撤退せざるを得なくなった。撤退時にはセリノー村に火をかけたそうだ。
一時的にセリノー村を占領した時の戦果確認の際にダングルはミュンを拾い、そのまま連れ帰ったが、ミュンがトーバス家、ひいてはバークッド村の住人となった経緯は既に話したのでここでは細かいことは省略する。
「ロンベルト王国がセリノー村に軍を派遣するという情報を得たデーバス王国は、長く続く紛争を解決する手段を模索していました。ええ、それはロンベルト王国も同様でしょうが。デーバス王国側は、とにかく紛争を有利に運ぶことに腐心していました。ロンベルト側の参戦貴族の情報を得ることもその一つです。そういった訳で私はウェブドス侯爵領に潜入することになりました」
「やっぱりスパイだったか」
「スパイ?」
「間者のことだ」
「はい、そうです。そこまでお判りであれば隠しても意味は無さそうですね……。セリノー村に来る予定の軍にウェブドス侯爵軍が参戦している情報は村への攻撃が始まる数日前に私の家にもたらされました。私の家、サグアル家は間者を育て、あちこちに送り込むことを得意とする、デーバス王家直属の従士です。私は、今のアル様と同じくらいの年からそういった訓練を受けてきました。いつか敵方に忍び込み、情報を流すためです。ステータスを偽装できるのはサグアル家に生まれたものが大抵持っている力です。頭の中で思い浮かべた人物のステータスを自分のステータスの替わりに出すことが出来ます」
うん、MAXレベルの鑑定で技能のサブウインドウも見て確認したから知ってる。使うとMPを1消費するけど、偽装の技能レベルと同じ時間、ステータスを偽装できるよね。特殊技能になってるけど、生まれた時に一定確率で親から受け継ぐ技能なので後天的に取得することは出来ないし、固有技能みたいなもんだよね。一定確率とは言え、かなり高確率なので、サグアルの血筋がどのように遺伝するのかは判らないが偽装の技術はある程度有名な気もする。
「そうか、で?」
「ウェブドス侯爵領にはまだ間者を潜入させてはいなかったので狙っていました。出来ればウェブドス侯爵の常備軍の騎士や従士に入り込むことを目標にしていましたが、私はお養父様に連れ帰られました」
「不満なのか?」
「いいえ。確かに最初は目的通りの潜入が果たせなかったので不満ではありましたが、お養父様に引きとられ、旦那様にお仕えしているうちに不満は感じなくなりました。私がサグアルの家にいた頃から考えると皆さん良くしてくださいましたし、夢のような生活でした。だいたい、こうして間者が目的通りに潜り込めること自体が希です。普通は潜り込むこと自体が難しいのです。そういった意味では、少なくとも私はウェブドス侯爵領に潜り込むことが出来たので、満点とは言えなくとも成功と言っても良いと思います」
「そうか、今までもこうやって情報を流していたのか?」
「いいえ。最初は連絡員の間者が私の潜入が確実かどうか隊商に紛れて何度か確認に来ました。しかし、バークッド村はウェブドス侯爵領でも辺境ですので、流すような情報は得られませんでした。アル様もご存知の通り、あれ以来旦那様が出陣したことは御座いませんでしたので、流す情報がありませんでしたから」
「では、いままでサボって居たくせに何故今日から急に勤労意識に目覚めた?」
「もう予想はついていらっしゃるとは思いますが、ゴムです。あのスリングショットとサンダルは我々間者には非常に都合の良いものです」
「なるほどね。それだけか? コリサルペレットは接触の合図か?」
「はい、コリサルペレットを流すと、この先で引っかかるところがあります。サグアルの連絡員は最低でも三ヶ月に一度は見回りに来ているはずなので、最長でも三ヶ月、ペレットを流し続ければ私が接触を求めていることがわかります」
やっぱりそうか。ペレットが引っかかる場所があることは知らなかったが、まぁ似たようなもんだ。
「で、接触してスリングショットとサンダルの事を伝えようとしたのか」
「はい、その通りです。私が話せるのはここまでです。接触を取るサグアルの連絡員について詳しいことは判りませんので。もう隠していることは御座いません。そろそろ始末しますか? そうならお養父様にご伝言をお願いします」
「え? なんで? ミュンは死にたいのか?」
意外だった。俺の持っている間者のイメージは日本の忍者だ。それも漫画に出てくる忍者だ。本物の忍者なんて知るわけないしな。俺が子供の頃に読んだ漫画の忍者は任務達成の為に高い目的意識を持ち、決して諦めない。いよいよダメな時には自害して秘密を守ったりはするが、基本的には絶体絶命の窮地に追い込まれでもしない限りは死を選ぶことはない。自分の組織への忠誠心が高く、上司の命令には絶対服従し、組織を抜けること自体が忍者組織の中で重罪とされる。ぶっちゃけて言うと白土三平の漫画なんだけどさ。
ミュンはこっちがミュンのことを掴んでいるとわかると、今置かれている状況からの脱出の方策を練ることも、俺を懐柔しようとすることも無くぺらぺらとまぁよく喋った。正直なところ普通の日本人的な感覚の俺には全く解せない。
「死にたくはありませんが、私は間者であることが露見しました。責がお養父様に及ばないよう、全て喋りました。露見した間者は見せしめのために殺すべきでしょう」
あー、たまに思ってたけど。この世界の人達って基本的にアレだよな。考え方が真っ直ぐって言うか、良くも悪くも一本気な人が多いよな。バークッド村しか知らんけどさ。父ちゃんと母ちゃんはあれで凄くマシな方なんだよな。封建社会などの身分階層社会で、多様な情報に触れさせずにまともな倫理教育もされてなければこういう一本気な考え方になるって昔なにかの本で読んだことがあるけど、本当なんだな。ああ、防衛大学校の教科書だ。ソ連や中国で取られていた教育法の一種になんか似たようなのがあった気がする。
諦めないで目的を果たす、とか本当は物凄い精神力を使うしな。生まれてから諦めることばっかりだった、ある意味諦めることが人生だった大多数の人はちょっとしたキッカケで諦めてしまうのだろう。ひょっとしたらMPの問題かも知れない。ミュンのMPの最大値は10だ。魔法が使えるからへガードよりも多いが、魔法を使ってしまえば当然減る。先ほどコリサルペレットに魔力を注ぎ込んでいたので今は1だしね。MPは6以上ないと眠らない限りは回復しないのだよ。
1ってことは今のミュンはよくて5歳児程度の精神力のはずだ。ちょっと悲観入ったら一直線かも知れん。しかし、俺は別にミュンを殺したいわけではないし、今まで一緒に生活してきた情だって当然ある。それに、ミュンは養父のダングルには深い感謝の念を抱いていることは今更言われなくても知ってる。その情報が裏打ちされただけだ。ここはあれだよな。
「あのさ、ミュン。お前、まだ全然喋ってないよ。俺はもっと知りたいことがたくさんあるし、それをミュンがいくらか知っていることも確定した。もう少し付き合ってもらうぞ」
「……? わかりました。なんでもお聞き下さい」
5歳児のメンタリティー、チョロいな。
「まず、サグアルについてだ。何人くらいの間者をロンベルトに放っている?」
「今は判りませんが、私がここに来た時は4人のはずです。他の貴族領ですが。」
「ああ、お前の知る限りの情報でいいよ。……4人か。ミュンが知る限り、その4人はどのくらい前から潜入して、その後どの程度の情報を伝えられたんだ?」
「一番古い人でもう50年くらい前だったはずです。そして、伝えられた情報の最大の功績は次の派遣軍の指揮官の情報だったと聞いています」
ぶっ、何だよ大したことねぇな。
「そうか……で、ミュン以外に間者が露見したことはあるのか?」
「私の知る限りありません。ですから私は役立たずです」
そうは思えないけどな。偽装の技術があれだけ完璧なら、怪しい動きや露骨な情報収集でもない限りそうそう見破れないだろうしな。第一、ミュンが流そうとした情報は、知らなければ重要なものだと言うことも出来る。どうせ商売のために公表するつもりだったので流されたところで痛くも痒くもないが、次の派遣軍にどの貴族が参加する、とかの情報よりはよほど役に立つだろう。
「それはまあいいや。じゃあ次だ。ミュンに接触するはずのサグアルの間者を殺したらどうなる?」
「え? 潜入ではなく連絡員の間者は冒険者並みに腕が立つと聞きます。殺すのは難しいかと思いますが」
「いいんだ、仮定の話だよ」
「そうですね。連絡が無くなったことについて怪しまれるでしょう。当然その連絡員は私に接触しようとしたことまでは報告しているでしょうから、まず私が疑われるでしょう。そして調査のために誰かが新たに接触してくると思います」
「まぁそんなとこだろうな。だが、合図確認の定期巡回時ならどうだ?」
「わかりません。魔物に殺されたか、間者と露見して殺されたかの区別はつかないでしょうから。でもどちらにしろ、いつかは新しい人間が送り込まれて来ると思います」
「なるほどね。ってそれ以外無いか。んじゃ次だ。お前、いままでも偶に夜にどっか行ってたよな。情報を流すのは今回が初めてだと言うなら、あれは何処に何しに行ってたんだ?」
いよいよ経験値の謎についての核心の質問を投げかける。間者として大した働きをしていないのなら、そっちは当面いいや。むしろ個人的にはこっちが聞きたい。
「……やはりそれもお気づきでしたのですね。腕が鈍らない様に訓練を兼ねて魔物を狩っていました。場所は……いろいろですが、バークッド周辺の森が殆どです」
「へー、魔物を狩りにねぇ? ここ数年間、俺は領内のあちこちを父さまと一緒に見回っていたことは知っているだろう? 不審な魔物の死体なんぞついぞ見たことがないんだが? だいたい魔石はどうしてたんだ?」
隠れて魔物を狩りに行っているというのはかなり初期から怪しんでいた仮説だった。しかし、全く不自然な死体をみることがなかったので俺の中で否定されていたのだ。
「サグアルの間者は潜入に成功すると最初に接触した連絡員から予めその間者用に作ってある魔道具を一つ貰います。私の場合はいつも嵌めている腕輪です。これは一定の量までの死体を水に変えることが出来る魔道具です。これを使って魔物の死体を処分します」
「ふーん、見せてもらうぞ」
気づかなかったわ、そんなもん。早速穴を開けるとミュンの腕輪を見て鑑定する。
【サグアルの腕輪】
【真鍮】
【状態:良好】
【生成日:17/6/7417】
【価値:100000】
【耐久値:29】
【水魔法と無魔法の魔力が込められている腕輪】
【10日間に1回だけ水変換の魔法が使える。但し対象は生物の死体のみ。一度に分解できる数に制限はないが体積の合計は10m^3まで。製作には真鍮にサグアルの家系の骨でつけた紋章と、使用者の血液をその紋章に循環させる必要がある。製作時の血液を循環させた使用者にしか使用出来ない】
なんだか凄いな。俺が今まで見た魔道具なんて時計だけだ。結構流通しているらしいのであまり珍しくはないのだが。だが、これは本当の意味の魔道具だな。でも、そうか、ミュンにしか使えないのか。
「じゃあ、いいや。そろそろ帰るか」
「?……。ああ、そうですか……。では、お養父様にお伝え「お前も一緒に帰るんだ。あとは帰りながら話そう」
不思議そうなミュンを掘り出して風魔法と無魔法で土を吹き飛ばす。まだ汚れは残っているが、このくらいは我慢して貰わないとな。
ミュンの話はもうちょっと続きます。