第五話 それではここで初体験
「栄次から話は聞いていたから、とんとんとんっと、進めちゃいましょうか」
カウンター(は受付窓口だった)前のソファに座り、ガラステーブルに置かれた半永久的に枯れない真空保存のバラを見つめ、牧野店長は話し始めた。
紗枝は、出された暖かいカモミールのハーブティーを一口飲んだ。
「今回は、痩身でこられたんですよね?」
店長が微笑んでたずねた。
「えーと……」
紗枝はどぎまぎしていった。
店長の美声とは裏腹に、ぎこちない返事で紗枝は下ばかり向いている。
「紗枝さん、もしかして緊張してます?」
おもむろに、店長が尋ねた。
「ええと……はい。い、いえ!
実は栄次から詳しい事は何も聞いてなくて」
「ああそうだったんですか。意地悪な弟で申し訳ありまっせん」
ほほほと笑って、牧野店長は一瞬にして、部屋の雰囲気を爽やかにした。
―すごく綺麗に笑う人だなぁ……
紗枝は店長の笑顔に感動しつつ、うらやましいと思った。
「ほらほら紗枝さん。背中を曲げてると、血流が滞っちゃって、新陳代謝が鈍くなっちゃいますよ」
店長が、紗枝の背中をぽんぽんと叩いた。
「肩こりとか、大丈夫ですか?」
「あ、そうですね、最近ちょっと辛いかな」
紗枝は右肩をさすっていった。
「あらまあ、それは大変ですね。
どうです、話は後にして、一度、こちらの体験コースやってみませんか?」
「え? マッサージとかですか」
紗枝は驚いて尋ね返した。
「そうですね。インドマッサージとか、リンパマッサージとか、ソルトマッサージとか。
色々種類がありますけど。体験なら、まずはインドマッサージがお勧めですね」
「えと……インドマッサージとは……」
紗枝の頭の中には、サリーを着たインド人女性と、バリ島の黒人女性の姿しか思い浮かばなかった。
「体の血流をよくするための、全身マッサージで……
うーん、説明するより、一度やってみるのがいいですって。さ、どうぞ」
「え、えっと」
紗枝はだんだんと、店長が話す専門用語と、魅惑的な店の雰囲気に、理性をなくしそうになってきた。
―何か怖いよう、逃げたい!
紗枝は泣きそうになって目をぎゅっとつむった。
そのとき、
《本気できれいになりたいんだな?》
栄次と誓いを立てた、あの部屋の光景が、紗枝の頭をよぎった。
「…………」
目を開いて、紗枝はぐっと下唇をかんだ。
「紗枝さん?」
紗枝の顔を覗き込んで、店長が優しくたずねる。
「……はい、じゃあ、どうやってやればいいんですか?」
めいっぱいの勇気で、紗枝は店長の顔を見つめ返していった。
「じゃあまず、向こうの部屋でお着替えしていただけますか」
にっこりと微笑み、店長がバスタオルと、ブルーの紙ナプキンを紗枝に手渡した。
紗枝はどきどきしながらそれを受けとった。ノドはからからに乾いていた。
*
「どうでした?」
ソファに座って、新しいハーブティーを紗枝の前に置き、店長はたずねた。
「はい……あ、ありがとうございます」
紗枝は少しぼんやりとして、ソファに身を沈めていた。
彼女の体は、温泉帰りのようにほこほこに温まっている。
マッサージを受けてみて、紗枝は明らかに体に変化を感じた。服が心持ちぶかぶかしている気がする。
「すごいです。足とか腰が、あんなに細くなるなんて」
マッサージ後のシャワー室で見た自分の身体のラインを、紗枝は思い出していた。
「紗枝さんが、変化の出やすい体だったというのもありますね」
微笑んで、店長はカルテをめくりながら、紗枝にいくつか質問をした。
「紗枝さん、何か運動とかされてました?」
「あ、はい。テニスとバトミントンを、学生のときに」
「へえ、じゃあ今も?」
「いえ、今はやって無くて……」
「ふんふん、じゃあ、ちょうど今、大学一年生だから、そろそろ代謝が落ちかけてくるときかなぁ」
店長は唇をとがらせていった。
「あ、そうなんですか」
「うん、身体の代謝は、大体二十歳から落ちてきますからねぇ。
だからそこから、いかに急激に落とさないかが、大事になってくるんです」
「へぇー……あのね、牧野店長?」
紗枝はためらいながら、店長の話を一度、切った。
「何ですか?」
「私、最近よく考えるんですけど、ここは外見を綺麗にするところですよね?」
「ええそうですよ。外見を綺麗にする、それはまた、体の中からお客様を綺麗にしていくという事。『ビューティー』では、お客様の体質改善を目指していますの」
「えっと、それは、メイクとか強引なダイエットとかで、一時的に綺麗に見せるだけじゃなくって、健康的に痩せるってことですか?」
「そうです。健康的に痩せなくっちゃ、意味ないじゃないですか」
牧野店長は続けていった。
「今日体験していただいたインドマッサージも、リンパの流れをスムーズにして、血液の循環をよくし、脂肪燃焼を促進させています。
これを続けることにより、痩せやすい体にしていくことを目的にしていますの」
「はぁーすごい」
店長のトークに紗枝は感動した。
「紗枝さんは、今日施術に入らせてもらって、やりがいのある体でしたよ」
「えぇ、どのあたりがですか?」
「足とか長いし。ちょっと太ももの筋肉が固まっちゃっていて、頑固なセルライトがあったけど、頑張ってほぐせば、すっとした綺麗な足になりますよ。」
「……足が長いなんて言われたの、初めてです」
「ええ、ほんとですか」
「…………」紗枝は目を伏せ、黙りこんだ。
「どうしたんですか?」
「いえ……やっぱり、人って外見重視なのかなぁって思って」
紗枝はうつむいたまま、つぶやいた。
「最近、好きな人に告白したんですけど……フラれちゃって」
「あら、なんて男」
「その人、すごいかっこよくて、優しくて。
結構、仲よかったんですけど……
でも、私とは『そんなんじゃない』って。
性格が、合わなかったんでしょうか……
それとも私が可愛くなかったからかなぁ」
「紗枝さん、外見にコンプレックスとか持ってます?」
店長がきいた。
「う〜ん、はい。めっちゃ持ってます」
「こんなに可愛いにねぇ」
牧野店長は紗枝の頭をなでた。
紗枝は恥ずかしいような嬉しいような気持ちではにかんだ。
「外見って、何なんでしょうねぇ」
紗枝はつぶやいた。「内面より、外見のほうがよく見られるのかなぁ……」
「私の意見ですけどね」
店長が前置きをした。
「はい」
「やっぱり、見た目は大事ですよ」
紗枝の胸がズキンといたんだ。
しかし、店長はそんな紗枝に、やさしく微笑みをもって続けた。
「『見た目は重要じゃない。大事なのは心だ』という人は、外見への劣等感からそういっているのではないかと、私はつい疑ってしまうんですね。
何をごまかそうが、大事ですよ、見た目は」
「うう」
紗枝はうなだれた。
「でも、考えてみて、紗枝さん。
誰しもみんな、好きな俳優を見てうっとりしたりするじゃないですか。
きれいな人が隣にいると、エネルギーをもらったりしません?
外見は大事なんですよ。特に『第一印象』という点においては」
「え?」
紗枝は店長の顔を見つめた。