最終話 追加注文
ジムの近くの喫茶店で、紗枝と栄次は話しこんだ。
気温3度の外から暖かい室内に入ったからだろう、紗枝の頬はピンク色にそまっていた。
そんな紗枝を、栄次はただ見つめていた。
紗枝はハーブティー、栄次はココアを頼んだ。
ジャージや靴が入っている、大きなボストンバックを蹴りながら、紗枝はいった。
「あたしのコト、大崎君は好きじゃなかったのよ」
「あんま思い返すなよ」
痛々しくて、フォローに困る。
栄次は胸をキリキリさせた。
「だって、妥協はしないって」
栄次は、ううっと言葉つまされた。
「それは向こうに問題があるんだって」
「そんなことないよ。だって恋愛って相互関係でしょ?」
紗枝は、真顔になっていった。
「う、ま、そうだな」
栄次もそれには同意した。
「気が合わなかったのかなぁ。けっこう話して、みんなで遊びにも行ってたけど……きっと何かが足らなかったんだなぁ。
人の価値って、外見だけじゃないって、エステで教えられた。
だから、なおさら次好きになる人には、外見も内面も、もっと綺麗になって出会いたいと思ったの」
「大崎にじゃないの?」
栄次がいった。
「え?」
きょとんとして、紗枝は顔を上げて栄次を見た。
「大崎に会うために綺麗になるんじゃなかったのか?」
「大崎君にはもう会ったよ」
紗枝はいった。
栄次は、なぜか胸がざわついた。
「へえ、そう」
つとめてそっけなく栄次はかえした。
「うん」
目を細くして、紗枝は静かに微笑んだ。
「もう、いいのか?」
「……うん」
紗枝はいった。
「これからは、新しい自分のためにがんばるの。新しい自分と、新しい人のために」
「……前向きだなぁ」
栄次が言葉をこぼした。
「そう?」
紗枝が笑った。
「失恋者のたわごとですよ」
「そんなことないよ」
栄次は真摯にいった。
「もちろん、誰かと付き合うことになっても、ずっと努力は怠らないよ。
美に終わりは無いんだから」
紗枝は嬉しそうに、ふふっと笑った。
「ふむふむ」
栄次はこくりと一口ココアを飲み、唐突にいった。
「彼女と別れた」
それは紗枝を驚かせた。
「……どして」
真顔で紗枝は聞いた。
「どしてって」
栄次は返事に困った表情を見せた。
「いや、ああ、そうよね、ごめん!」
慌てながら、紗枝は栄次に謝った。
「でも……何でよ、ほんとに」
紗枝は少し、寂しそうにいった。
「ほんとに何ででしょうねぇ。最初、メールで《もう別れよ》とかいわれるし」
「はあ何それ、面と向かっていえっちゅうに」
啖呵をきって、紗枝は、呆然とした栄次を見てはっとした。
なんにしても栄次に失礼な発言ではないか。紗枝はしゅうんと小さくなった。
そんな紗枝を見て、栄次は少し笑った。溜息をつき、テーブルに頬杖をついた。
栄次はいった。
「いや、ほんと、俺もそれは気分悪いからさぁ。直接話して、ちゃんと別れたんだよ。
何かなぁ、どうも俺といると、つまんなかったらしくて」
「あたしはつまんなくないよ」
紗枝が勢いこんでいった。
栄次はきょとんとして、紗枝を見つめた。
―は! またやった。
慰めがまったく慰めになってない気がして、もう紗枝は、うつむいて黙ることにした。
―ばか。じりじり、お口にチャック!
栄次はちょっと困ったようにして、笑ってみせた。
「まぁねぇ、俺も俺だよ。彼女が出来たからって、別段、オシャレする気も無かったし。
なんとなく、いてくれていいいなぁって、思ってたんだけどねぇ……
こういうのも、相性の問題だったって言うのかなぁ」
「…………」
「俺も、紗枝みたいに、外見をもっともっと磨こうとしてれば、続いたんかねぇ」
前置きなく、栄次は紗枝に、一人の男として尋ねた。
頬杖をついて、紗枝を覗き込むようにして見ながら、栄次はささやいた。
「女ってさ、隣においておく男が不細工だったら、耐えられないってホント?」
「どこからそんな情報入手したのよ」
苦い顔をして紗枝はいった。
「どうなの?」
「人それぞれなんじゃない。
恋愛中は、言葉なんていらないって、はっきり言う子もいるし。
でもあたしは、話せなきゃ嫌だし、別に外見はそれほど、だよねぇ。
話して、すっごい楽しくて、それで好きになることの方が多いもん。
だから、人それぞれ」
「ふうん」
栄次はうなずいた。ココアをもう一口飲んだ。
「そのままでいいのにねぇ」
紗枝がつぶやいた。
彼に、そっとつぶやいた。
「…………」
栄次は、ココアをソーサーの上に戻して、じっと紗枝の顔を見た。
「本気で言ってる?」
「茶化す理由がどこにあんのよ」
紗枝が少し、むっとした表情で栄次をたしなめた。
栄次は笑った。
それは、はにかみ笑いとも、苦笑ともとれる笑みで、そして栄次はウェイトレスに、コーヒーを追加注文した。
紗枝はそれを、頬を赤らめて見つめていた。
「もう少し話そうよ」
栄次はいった。優しく、まどろんだ笑顔だった。
窓の外は、かすかだけれど、粉雪が舞っていた。
外を歩く人から見れば、喫茶店のガラス張りの壁の向こうの楽しそうな二人の姿は、どうしたって恋人同士にしか見えなかった。