第102話
「それで、仕事というのは?」
せせらぎ亭の一階にある食堂。
そのテーブルをひとつ占領して、アルディスとキリルは遅い昼食を取っていた。
テーブルの足もとでは、犬のふりをしたロナが五人前の食事を平らげるのに忙しくしている。
最初こそロナの存在に目を丸くしていたキリルだが、「まあ、アルディスさんですし……」と謎の理解を示した。
『アルディスだから』の一言で片付けられるのは不本意であったが、それを掘り下げてもまったく益がないことをアルディス本人もよくわかっている。
キリルがロナを恐れないのなら面倒がなくていいと、それ以上考えないことにして本題を切り出した。
「家庭教師をして欲しいんだ」
黒兎肉のパイ包みをかじりつつ、アルディスが答える。
宿の主人でもあるメリルの父親が作る料理は、娘の生み出す決戦兵器と違い十分な満足感と何より安心感をもたらす。
「家庭教師……ですか?」
「うちにワケありの子が居てな。ここのところ家庭教師を探していたんだが、なかなか見つからなくて困ってたところなんだ」
「でも僕、ただの商人見習いだった人間ですよ? 一応魔法を学ぶってことで学園に入りますけど、まだ授業もろくに受けてませんから教えるなんてとても」
「なにも魔法を教えてくれと言ってるわけじゃない。教えて欲しいのは一般常識とか言葉遣いとかそういうのだ」
「ああ、それなら……って、だったら別に僕じゃなくても王都中にいくらでもいるんじゃないですか? なかなか見つからないってこともないでしょう」
「だからワケありだと言っただろう。歳は十二。女の子がふたりなんだが」
「特に問題がありそうには思えませんけど?」
「それが双子だと言ってもか?」
さりげなくアルディスは口にするが、キリルの方は体を跳ね上げて反応する。
「双――!?」
思わず大声を出しそうになり、キリルはとっさに片手で口を塞いで周囲を見回す。
幸い客の少ない時間らしく、注目を浴びた様子もないことにキリルは安心した表情を見せた。
「そんなわけでな。下手な人間を家庭教師にすることもできん。その点キリルは気にしないだろう?」
キリルが落ち着いたのを見計らって、アルディスが言葉を続ける。
義理とは言え、慕っている姉が双子の片割れである以上、キリルが双子を忌諱するわけもない。
「……確かにそれはワケありですね。でもそれならアルディスさんが教えてあげればいい話じゃないんですか?」
キリルの疑問はもっともである。だが――。
「俺はなんだかんだと家を留守にすることが多いから難しい」
さすがに双子へつきっきりというわけにはいかない。
実際、家ではアルディスの代わりにネーレという従者が双子の面倒を見ている。
普通に考えれば彼女に双子の教育役を頼むのが自然な流れだろう。
「一応留守役がいるにはいるんだが……。あー、ちょっと問題があってな」
何とも言えぬ表情をつくって、アルディスが歯切れの悪い口調で言う。
それがおかしかったのだろう。テーブルの下からはロナの忍び笑いがかすかに漏れ聞こえた。
それから二時間後。
せせらぎ亭を後にしたアルディスたちは、家へ向けて森の中を歩いていた。
「まさかまたこの森に来るとは思いませんでした」
「心配するな。今日はあんなに奥までは行かない」
四年前に出会った時のことを思い出しているのだろう。
キリルは不安そうに周囲を窺いながら、アルディスの後ろをピッタリとついてくる。
そういえば、とアルディスも初めて会ったころのキリルを思い起こす。
四年前に八歳だった双子が今は十二歳。
ちょうどあの頃のキリルと同じ歳だ。
当時のキリルと今の双子を比べてみれば、やはり双子の幼さをひしひしと感じさせられる。
街中へ連れ出すこともできず、同年代の友人もいない状況では仕方ないのだろうが、もしかしたら大事にしすぎたかもしれない。
十二歳のキリルは、たったひとりで国境を越え、傭兵を雇い、そして魔物や獣の徘徊する森へと踏み込んだのだ。
それが果たして今のフィリアやリアナにできるだろうか。
たとえ双子ということを別にしても、だ。
いずれにしてもこのままではまずい。そうアルディスは考えるようになっていた。
町で見かける他の子供と比べて、やや精神が幼いように感じられるのも気がかりだった。
アルディスが双子の教育を考えはじめたのはいつからだろうか。
きっかけはふたりの言葉遣いであった。
おそらく変化の予兆はあったのだろう。
「アルディスー。今日のお土産はなんぞー?」
無邪気さだけが目立っていたその言葉へ妙な語尾がつきはじめたことに気付いたのは、ここ一年くらいのこと。
以前から憂慮していたが、決定的だったのは数ヶ月前に『白夜の明星』の面々が訪ねて来たときだ。
強面顔のテッドに向かって十二歳の女の子が「お主は――」と語りかける様子など、保護者としては目を覆いたくなる場面であった。
原因は明らかだった。
「これ、フィリア。そのような食べ方は不作法というものぞ。正さねばお主のためにならぬ」
いくら双子の庇護者がアルディスだとしても、常にふたりの側へついているわけではないのだ。
代わって双子と最も長い時間を共有するのはネーレである。
自分たち以外誰ひとりとして存在しない、人里から隔離された森の中。
そして双子はまだまだ周囲から多くを学び、吸収する年頃。
となればネーレからの影響を大きく受けるのは当然のことであった。
この点についてはふたりの素直な性格が裏目に出たと言える。
気が付けば双子の口調は、すっかりネーレのそれと大差ないものになっていた。
「お主は誰ぞー?」
「ふむ。アルディスのお友達かねー?」
家にたどりついたアルディスとキリルを待っていたのは、笑顔で誰何するフィリアとこれまた好奇心を瞳に浮かべて様子を窺うリアナだった。
ふたりともこの四年間で身長もグッと伸び、顔は日に日に幼さが消え大人びてきている。
出会った頃のように怯えた様子は見せなくなり、時折アルディスが連れてくる客人にも気後れすることなく接するようになっていた。
日々成長を見せるふたりの愛らしさは以前と変わらないが、最近はその中にも少しずつ可憐さが垣間見えている。
「フィリアたちはフィリアとリアナであるー」
それを台無しにするのがネーレを原因とするこの口調であった。
黙っていれば理想の令嬢といった外見のネーレだが、口を開けば出てくるのは遠慮のないぶっきらぼうな言葉ばかり。
双子に対する偏見もなく、森の中をうろつく魔物も余裕で蹴散らし、家事もそつなくこなす。料理もうまい。
双子をあずける相手としては適任だが、その言葉遣いがふたりに移ってしまうところまではアルディスも考えが及ばなかった。
「変わったしゃべり方ですね……」
「……左のがフィリア。右がリアナだ」
戸惑った様子で感想を述べるキリルへ、アルディスは眉間を指でつまみながら投げやりに紹介する。
「フィリアちゃんにリアナちゃんだね。僕の名前はキリルだよ。よろしくね」
「うむ。よろしくキリルー!」
初対面の人間にも怯えなくなったのは良いことだ。
一応挨拶もできている……はず。
だが、この言葉遣いはいただけない。
数年後、ふたりがアルディスのもとを巣立って独り立ちするにしても、このままではさすがにまずいだろう。
たとえ双子であるということを別にしても、明らかに周囲から浮いてしまう。
今ならまだ間に合うかもしれない。
そんな可能性に望みをかけて、アルディスは教育役を探していたのだ。
「まあ、そういうわけでな。キリルにはふたりの教育をして欲しいんだ」
「確かに言葉遣いは……、何とかしないとまずそうですね」
双子と実際に会って、その必要性をキリルも感じたらしい。
「おまけにふたりとも世間の一般常識というものをほとんど知らない。今まではそれでも良かったが、今後のことを考えるとそろそろ外の世界についても教えなきゃならんからな」
「でも、それだったら――」
と、キリルの視線がキッチンでお茶の準備をしているひとりの女性に向く。
優雅な動きでカップへ茶を注ぐそのたたずまいは、貴き家の令嬢を思わせる。
「あちらの女性ではダメなんですか?」
「ああ……、やっぱりそう思うよな」
だがアルディスの口から出るのは歯切れの悪い答え。
そうこうしているうちに、ネーレがお盆へ五人分のお茶を入れて持ってきた。
その姿に見ほれるキリルへ一瞬天色の瞳を向けると、すぐさまアルディスに向けて口を開く。
「我が主よ。客人を迎えていつまでも立ち話もなんであろう。のども渇いているであろうから、まずは一服してはどうかね?」
キリルの目が丸くなった。
「さあ。客人もかけられよ」
思いもよらぬネーレの口調に、キリルがもの言いたげな目をアルディスへ向ける。
どうやら明敏な彼は言わずとも事情を察してくれたようだった。
「と、いうわけだ」
「……わかりました」
それから約一時間ほど。
アルディスとキリルは仕事の期間や報酬について調整を行い、さほど難航することなく合意に至った。
実際、アルディスから提示された報酬は相場からすると破格の金額であり、学園に通いながらできる仕事を探していたキリルにとってはこの上ない好条件だったからだ。
王都では他の町と比べて家庭教師の仕事も多いが、それでも通常なら一般教養レベルの内容で得られる給金の五倍を提示されれば、断る理由などないだろう。
アルディスとしては双子の存在を口外しない口止め料も込みの金額であるし、ロナと組んで討伐依頼で稼ぐ額を考えれば大した出費でもなかった。
「では学園が休みの日に午後から授業、ということでいいですか?」
「ああ。基本的にはそれで構わない」
「基本的には、ですか?」
キリルが首を傾げた。
「しばらくの間は一時間を双子の教育に使って、残りの時間はキリルの訓練にあてる」
「へ? 訓練? 僕の? ……なぜです?」
予想外の単語を耳にして、キリルの表情は『わけがわからない』と主張していた。
「何を言ってるんだ。しばらくは俺がいるからいいが、いずれ俺が遠出するようになったら、キリルひとりでここまで来るんだぞ?」
「へ? え? …………ええっ!?」
アルディスの言った意味をようやく理解したキリルがたまらず立ち上がる。
「当たり前だろう。俺がいつまでも王都まで送り迎えするわけにはいかないんだ。ふた月の内にはラクターの一体や二体、ひとりで撃退できる程度になってもらわないと困る」
「あ……、いや、そんな無茶な!」
「大丈夫だ。実戦中心に訓練をすれば獣程度はすぐ慣れる」
「えっ、や、あ……」
「……まあ、最初の内は何度か死にかけるかもしれんが」
言葉を失ったキリルをよそに、アルディスがさらりと小声で物騒なことを口にした。
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ