第七十五話 貴族は、結婚式も初夜も面倒だ!
「伯爵様。ガチガチじゃねえか」
「いや。それは緊張するでしょう」
ブロワ辺境伯家との紛争が終わり、エルが失恋したり、大お見合い会が開かれて、それから更に一ヵ月後。
遂に俺は十六歳となり、ようやく完成したバウマイスター伯爵家本邸において結婚式が行われる。
勿論、前世も含めて俺に結婚した経験などない。
前世で二十五歳で独身の奴など珍しくなので、これは仕方が無いのだと言い訳しておく事にする。
何度か、早婚の友人や親戚の結婚式に出たくらいである。
その時は、当事者でない気楽さから新婦の友人で可愛い娘に連絡先を聞いてみたり、披露宴のキャンドルサービスの時に自分のテーブルのロウソクの芯を水で濡らしたりと。
本当に、人様の結婚式とは気楽な物であった。
ところが、今の俺は貴族である。
しかも伯爵様で、王家の肝入りで未開地の開発を進めている。
当然、沢山の偉いお客さんを招待しなければいけない。
各地の大物貴族に、中央の大物法衣貴族に、縁ができた普通の貴族達にと。
相手がもう少し格が落ちる貴族だと跡取りが代理として出席するパターンも多いそうだが、今回は全員当主が出席すると返答したそうだ。
閣僚クラスの人達は、まだ見慣れているだけマシであろうか?
他の招待客も、なるべく漏らさず呼ばないといけない。
『呼ばれないと、臍を曲げる貴族もいますからな』
ローデリヒはリストの確認に余念が無かったが、貴族とはプライドが高い生き物なので、自分が呼ばれないだけで激怒して感情的に邪魔をしてくる可能性があるのだ。
彼からすると、第二のルックナー男爵はゴメンなのであろう。
『来ないのは自由ですので、なるべく招待はしたいと思います』
『面倒くせぇ……』
『実は大半の貴族が、内心では思っていますよ。お祝いも大量に包まないと駄目ですし、お返しとかも面倒ですから……』
『お返しが面倒なのはうちじゃないか』
『向こうの冠婚葬祭への出席もありますね』
『もう今から行きたくねえ』
『いや、絶対に招待されますから』
彼らを含めた招待客達と、その付き人や護衛などでバウルブルクの町は人で溢れていて、トリスタン達は何かがあってはいけないと警備に大忙しであった。
勿論、ローデリヒはもっと忙しい。
結婚式に関わる雑務全てを取り仕切っているので、新婚なのに全く休みが取れていない状態が続いていた。
結局彼は、八歳のルックナー財務卿の孫娘を正妻にして、他に商務族のレッチェ伯爵の長女カチヤを妻に迎えている。
これからバウマイスター伯爵領の開発が進むと商業関連の話が出て来るので、そういう形になったわけだ。
八歳の子の方はまだ結婚が出来ないので、今は王都で嫁入り修行中という扱いで、彼女の子供があのお騒がせ男ルックナー男爵家を継ぎ、カチヤの子が陪臣家を継ぐという事で話が纏まったそうだ。
その話し合いに、あまりローデリヒ本人が加われていない時点で、貴族とは面倒臭い生き物である。
こういう風に決めても子供が生まれないケースもあるので、またそれはそれで面倒になるらしい。
出来れば、ちゃんと子供を作って欲しいところである。
『あの。お館様も人の事は言えないのですが……』
エリーゼに男子が生まれないと、同じく面倒な事になるそうだ。
とは言われても、こればかりはその時になってみないとわからない。
平成日本では、よほどの田舎でもないと子供が男でも女でもそれほど問題にもならないので、あまりその辺の危機感が良く理解できないのだ。
『それにしても、結婚ラッシュで疲れましたな』
ローデリヒの言う通りで、この一ヶ月ほどは結婚式に出てばかりであったと思う。
あの大お見合い会ですぐに決めてしまったカップルの結婚式に、みんなで毎日駆け回る羽目になっていたのだ。
『エーリッヒ兄さん。二次会には出られません。ごめんなさい』
『忙しいのかい?』
『今日は、これから家臣の結婚式が二つ行われますので……』
『ご愁傷さま』
途中、王都で側室を迎え入れたエーリッヒ兄さんの結婚式に出たのだが、あまりゆっくり出来なかった。
なまじ『瞬間移動』が使えるので、鬼のローデリヒによってガッチリとスケジュールが組まれてしまったのだ。
『一日に三件の結婚式に出る貴族って、初めて聞いたな』
『ヘルムート兄さん。代理で出てくれませんか?』
『いやいや。ヴェルの家臣の式だから無理!』
同じく昨日に式を行ったヘルムート兄さんが、同情の視線で俺を見つめる。
側室を迎えるだけの式なのに俺絡みなので規模が大きくなってしまい、スケジュールにも無理があったので父、母、ヘルマン兄さん、パウル兄さんなどは俺が王都まで一緒に『瞬間移動』で連れて来ている。
さすがの両親も、もうこの手の付き合いからは逃げられない。
五十歳を過ぎて初めて大物貴族などに挨拶をして、色々と大変そうである。
俺もその役割りはまるでタクシーのような物で、しかも式に出れば、出席者の偉い貴族達から歯の浮くようなお世辞や未婚の娘を紹介されたりする。
ようやくそれが終わって席に座ると、ただ溜息しか出なかった。
『ヴェル様。これ美味しい』
『ヴィルマは変わらずに可愛いなぁ……』
『いい気持ち……』
こういう時には、いつもと全く同じ行動を取るヴィルマが可愛く思えて、思わず頭を撫でてしまう。
彼女がパーティーに出ると、ひたすら美味しい物を探して食べていたからだ。
連れている婚約者が彼女一人なのは、あまりにクソ忙しいので一人ずつ順番にという事になっていたからだ。
出席していないエリーゼ達も自分達の結婚式の準備で忙しいので、別にサボっているわけではない。
『バウマイスター伯爵は、もっと食べた方がいいぞ』
その義父であるエドガー軍務卿も、ヴィルマと同じようなタイプであった。
ヴィルマの隣で、義娘の勧める肉料理をまるで導師のように頬張っていた。
『エドガー軍務卿は良く食べますね』
『食うくらいしか趣味がないからな』
とはいえ、普段は太らないように体を鍛えて粗食に耐えているらしい。
これは、息子であるトリスタンから聞いている。
他の貴族から招待されたパーティーで食べる事で、己の欲望を発散させているそうだ。
『食っていれば、面倒なダンスの誘いとかをかわせるからな!』
『義父上。これ美味しい。食べる?』
『おお我が娘よ! 皿に一杯盛ってくれ』
『わかった』
多分、軍系の貴族だからそれが許されているのだと思う。
しかし、血が繋がらないのに良く似た親子である。
『パウル兄さんは、どんな感じですか?』
『奥さんが二人いると面倒。ヴェルは良く五人も貰うよな』
俺は、エドガー軍務卿と一緒にいたパウル兄さんにも声をかける。
彼は警備隊時代のツテで寄り親がエドガー軍務卿なので、側室もその縁であり、今日の付き添いも大切なお仕事というわけだ。
『この前、六人になりかけましたけどね』
『ブロワ家の末娘だっけか?』
『今は、元ですけど……』
『よくぞ突っぱねた! 褒めてやるぞ!』
エドガー軍務卿に思いきり背中を叩かれて、俺は一瞬息が詰まってしまう。
彼からすると褒めているのであろうが、力が強過ぎて俺の体にダメージが大き過ぎるのだ。
『ヴェルの友達のエルヴィンが失恋した話も聞いた。大丈夫なのか?』
生粋の貴族ならばエルを批判するのであろうが、パウル兄さんもあまり貴族らしくないので、同じ男として純粋に失恋したエルに同情しているようだ。
『俺も、警備隊時代にあったからなぁ……。声をかけようにも、身分違いでそれすら不可能とか。それを思うと、今は隔世の感があるけどな』
『そうだったんですか』
普通に考えると、パウル兄さんが貴族になれる可能性は薄かった。
だから、気になる女性が貴族の娘だとどうにもならなかったのであろう。
『エルは大丈夫だと思いますよ』
『確かに。彼は逞しいなぁ……』
『こんにちは。お嬢さん。私はバウマイスター伯爵家に仕えるエルヴィン・フォン・アルニムと申しまして』
エルは、綺麗目な未婚に見える女性に声をかけて理想の嫁探しに奔走していた。
ついこの前に失恋したとは思えないタフさである。
『そのくらい逞しくないと冒険者は出来ない』
『なるほど……』
パウル兄さんは、ヴィルマの意見に深く頷いていた。
『ところで、ヘルマン兄さんのところはどうなったんだ?』
元バウマイスター本家なのでルックナー財務卿などが気を使って側室探しをしたのだが、実は一つ問題があった。
ヘルマン兄さんの正妻であるマルレーネ義姉さんは、親族とはいえ陪臣の娘なので身分が低い。
次男であるヘルマン兄さんは元々陪臣家の跡継ぎとして期待されていたので、外から嫁を迎え入れなかったのだ。
『下手に外から側室を迎え入れると、側室の方が身分が高くなってしまうんですよ』
どんな貧乏騎士の娘でも、さすがに陪臣の娘よりは身分が高いからだ。
『うわっ! その手の面倒な話かよ!』
パウル兄さんもその手の話はお腹一杯のようで、露骨に嫌な顔をしていた。
『それでも、ルックナー財務卿達は懸命に探したそうですよ』
『俺も探したぞ! 骨折りだったがな! あははっ!』
肉料理のお代わりをヴィルマに頼みながら、エドガー軍務卿も話に加わってくる。
『例は少ないが、こういう状況だと普通は妻の序列の交換を要求するんだがな。バウマイスター伯爵の兄貴に断固拒否されてしまった。あいつ、意外と男気があるな』
大物貴族の陪臣の娘でもまだマルレーネ義姉さんの方が格が低いという現実もあり、ルックナー財務卿達は側室探しに思わぬ苦戦をしたそうだ。
名乗り出た家は多かったのだが、みんな口を揃えて『では、うちの娘が正室になるのですな』と言い始めたらしい。
『ルックナーのバカが一度折れて、バウマイスター伯爵の兄貴に一度奥の序列の交換を頼んでな』
『そんな事をヘルマン兄さんに言えば……』
ヘルマン兄さんは、次期当主であったクルトにも平気で逆らった人なのだ。
そんな要求を呑むはずがない。
『案の定、では側室はいりませんとキッパリと言われてな』
『ヘルマンの兄貴なら、そう言うよな』
現在、マルレーネ義姉さんは三人目を妊娠しているらしいし、領地の開発が進んで名主や陪臣が足らなくなれば領内で側室を探せばいいのだから。
『それで、どうなったんです?』
『ルックナーが、涙目で寄り子達を探してだな……』
『あの人、たまにチョンボするなぁ……』
『フォローの才能は凄いんだけどな』
とある男爵家の四女にあたる、義娘を嫁がせる事を決めたそうだ。
『義娘?』
『当主が、他所で平民の娘とだな……』
外で作ったので本家には入れられず、実の娘なのに養女としてヘルマン兄さんに嫁がせる。
養女だから、側室でも構わないですという事のようだ。
『嫌な話ですね……』
『そいつは知っているけど、本妻がえらくキツイ女でな。外に安らぎが欲しかったとか? その娘も家に入れようにも本妻が虐めるのは目に見えていたしな。渡りに船だったようだな』
援助はしていたが平民として暮らしていたので、うちのような田舎貴族領ならばさほど苦労はしないで済むはずだという理由もあるらしい。
『本人は喜んでいたよ。子供が名主や陪臣になれるからな』
『となると、あとはマルレーネ義姉さんの機嫌か……』
『ヘルマンの兄貴なら何とかするよ』
俺とパウル兄さんは、あとは本人同士の問題であるとその話題について考えるのを止める。
決して、マルレーネ義姉さんが怖かったからではない。
『バウマイスター伯爵も、気を付けろよ』
『俺は、エリーゼ達の子供に不自由させないようにする義務がありますので』
全員に伯爵位はやれないが、それなりの生活を確保してやらなければいけない。
当主というのも、なかなかに大変なのだ。
『バウマイスター伯爵は、自分を殺そうとした兄の子供達にも爵位と領地を渡す剛毅な男だからな。心配はしていないぞ』
何か引っかかるエドガー軍務卿の物言いであった。
もしかすると、アマーリエ義姉さんとの件がバレているのであろうか?
『(バレてはいないはず……)』
心の中で必死に考えていると、不意に肩を叩かれる。
叩いていたのは、肉料理を大量に盛った皿を持ったヴィルマであった。
『エリーゼ様は、黙認するって』
『(バレてるぅーーー!)』
俺は冷や汗を流しながら、心の中で叫び声をあげていた。
もし声にしてしまえば、それはその事実を認める事になってしまう。
もうバレているが、あえて認める必要などないとバウマイスター伯爵っぽく格好つけてみる。
『何の事か良くわからないなぁ』
『(あのさ。ヴェル。週に五日も来てバレないはずがないだろうが……)』
『(いや、アレは仕事で……)』
『(うちの領地の開発が早過ぎるんだよ)』
どうやら、領地開発にかこつけて密会を行う方式が良くなかったらしい。
パウル兄さんに指摘されて、俺はようやく己の失態に気が付くのであった。
密会の回数は、意地でも減らさないと決めて。
そんな感じで、このところ忙しかったわけだ。
『この一ヶ月ほど、全く狩りをしていないな』
『スケジュール的に不可能ですな』
土木工事か結婚式への出席で、俺のスケジュールは99%埋まっていたほどだ。
そして今日は俺の結婚式というわけで、この日のために誂えた貴族専用の高価な礼服に着替えた俺は、様子を見に来たブランタークさんからガチガチに緊張しているのを指摘されてしまう。
「あの面子だと緊張しますって」
「確かに、うちのお館様でもあそこまでの面子にはならなかったらしいし」
貴族が沢山いるのは良いのだ。
家族も別に構わない。
どうせうちの家族は、エーリッヒ兄さん以外貴族のオーラに乏しいのだから。
閣僚クラスに、導師、ブライヒレーダー辺境伯、新ブロワ辺境伯と、既に知己なので問題ない。
「王太子殿下って、あまり顔を合わせた記憶が無いんですよね」
「俺なんて、一回も顔すら見た事が無いけど」
「えっ! そうなんですか?」
将来、南部を統括する二大貴族家の一つになるバウマイスター伯爵家当主の結婚式に、王太子殿下が出席をする。
まだ未開地開発には時間がかかるので、将来の陛下が出席する事に意味はあるのであろう。
だが、あまり顔を合わせた記憶が無いので、陛下と会うよりも緊張してしまうのだ。
「ヴァルド殿下は、あまり目立たないと評判だからな」
文武共に優れた人らしいのだが、どういうわけかあまり目立たない人らしい。
現代風に言うと、ステルス殿下とでも言うべきであろうか?
「殿下はまだ良いんですよ」
何しろステルス殿下なので、式が始まれば気にならないはずだからだ。
「なぜに総司祭が?」
この世界の結婚式は、限られた親族と厳選された出席者しか参加できない教会内での式と、屋敷などで行われる披露宴とに別れている。
この辺は、地球の結婚式と大差は無い。
だが、結婚式を取り仕切るのはカソリック教会で一番偉い総司祭様である。
地球で言うと、ローマ法王が結婚式で神父様をしてくれるわけだ。
これで緊張しない方がおかしいと思う。
「ホーエンハイム枢機卿は、孫娘の結婚式だから神父役は出来ないのさ」
身内の神父役は出来ないという、教会独特の決まりがあるのだそうだ。
本当ならば、次期総司祭に一番近いと言われている人物なので神父役をしても不思議は無いそうだが、今日は親族側の上座で大人しく座っていた。
式の時に新婦を誘導する役は、エリーゼは父親であるホーエンハイム子爵が、ヴィルマはエドガー軍務卿が、カタリーナはハインツが、ルイーゼとイーナはそれぞれの父親達がその役に決まっている。
そういえば、初めてルイーゼとイーナの父親に会ったのだが、彼らはあの出席者の中で娘とバージンロードを歩く大役のために緊張して顔が強張っていた。
気持ちは良くわかる。
俺だって、本来はそちら側の小市民的な人間なのだから。
『ヴェンデリンが娘でなくて良かった……』
うちの父は、自分がそれをやらないで済んで心から安堵の表情を浮かべていた。
「人生の墓場へようこそ」
「それを、新婚のブランタークさんが言うのですか?」
「へん。一応、俺は既婚者の先輩だからな」
「わずか数週間でしょう?」
「それでも、先輩は先輩さ」
死後の遺産相続で迷惑をかけるなという理由により主君から強制的に結婚させられたブランタークさんは、心なしか前よりもローブが綺麗だったり、身なりに気を使っているように見える。
仄かに香水の香りもして、やはり結婚すると男性には変化が訪れるようだ。
以前に、エリーゼ達から加齢臭を指摘されて気にしているのかもしれない。
「それよりも、奥さんが多くて大変だな」
一度に五人というのは、大物貴族でも多い方らしい。
その代わりに、最初は人数は少ないが後で増やす人も多いので、それほど多いというわけでもないのだが。
成功した大商人の中には数十人の愛妾を抱える人もいるそうで、その数の多さも自分がどれだけ商売に成功しているのかというパロメーターの一つとなっていた。
「アルテリオさんとか、実は何十人も居たりして」
「そんなにいませんがね。バウマイスター伯爵様」
「よう。大商人」
「よう。ようやく結婚した我が友よ」
式の前に控え室で話をしていると、そこにうちの御用商人の筆頭になっているアルテリオさんが挨拶にくる。
彼は、まだ人手が足りないバウマイスター家のために、商会から手伝いの人達を出したりしてくれていた。
「うちは最近膨張が激しいからそういう話も多いけど、忙しいんですぜ。伯爵様」
それでも、アルテリオさんレベルの財力を持つ人の奥さんが一人だと周囲が五月蝿いそうで、彼も奥さんは三人いるそうだ。
「別に興味がないわけじゃないけど、仕事の方が面白いという現実もありますわな」
「俺はどっちなのかな?」
「若いのですから、新婚時代くらいは色に溺れていてください。子孫繁栄的な意味も含めて」
御用商人になったアルテリオさんは、その口調を丁寧な物に変えていた。
ただ、いきなり謙り過ぎると俺が引くと思ったのであろう。
少し中途半端にしているようだ。
ブランタークさんは俺の師匠なので、公式の場でもなければ今までのままである。
その方が気楽で、俺は良いと思っているのだが。
「ブランタークは、良く奥さんが一人だけで済ませているよな」
「この年で複数は辛い。アガーテは若いから、普通に子供は産めるだろう」
アガーテとは、ブランタークさんの奥さんの名前である。
ブライヒレーダー辺境伯領に接した、小領主混合領域にある小さな騎士爵家の長女で二十歳。
ブランタークさんが冒険者時代に仕事でそこを訪れた経験があり、その顔を知っていたそうだ。
「もっとも、十五年も前だ。『魔法使い様だぁーーー』と言いながらちょこまか付いて来た子供が女になっていて、更に俺の嫁になるとはな。世の中は不思議な物さ」
年齢差は三十歳以上であるが、この世界では別にロリコンだとかは言われない。
特に珍しい話でもないからだ。
「遂にバウマイスター伯爵も結婚か。感慨深いのである!」
最後に導師が、女性陣の着付けなどが終わったようで俺を呼びに来る。
彼の案内で領主館の隣に建設された教会正面の入り口に立ち、大きなドアが開くと事前の打ち合わせ通りに神父役の総司祭が待ち構えている。
教会の造りは、そうキリスト教の物と差は無かった。
聖餐台があって、中央の通路がバージンロードになっていて、招待客が座る長椅子なども設置されている。
まだ細かな装飾などは完成していないらしいが、教会の隣にバウマイスター伯爵領中に建設される教会の統括を行なう管区本部もあるので、天井や壁にあるステンドグラスなども合わせて非常に豪華な造りになっていた。
「(さすがは教会。金があるなぁ)」
その辺は、地球とそう差は無いようである。
一人で歩いて聖餐台の前に立つ神父の前に立つと、今度は新婦が父親などのエスコートを受けて入場してくる。
最初はエリーゼで、彼女は正妻なので一番豪華なウェディングドレスを着ていた。
父親であるホーエンハイム子爵に手を引かれて俺の隣まで歩いてきて、俺は彼からエリーゼの手を引く役割を引き継ぐ。
「(この辺も、親戚の結婚式が教会式だったけど同じだな)」
全く違う段取りなら緊張しまくりだったかもしれないが、その点では助かっていた。
続いて、ヴィルマ、カタリーナ、ルイーゼ、イーナと入場してきて、聖餐台の前がかなり混んでしまう。
普通は多くても三人くらいらしいので、仕方が無いとも言えた。
「さて。これより、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターの結婚を神に報告する旨をここに宣言する」
八十歳近い総司祭が、式の始まりを告げる。
俺の名前しか言われないのは、それが風習だからとしか言い様がない。
男性の伯爵が結婚する。
この事実だけで、十分というわけだ。
地球のフェミニストの人達が聞けば、それだけで憤慨物なのであろが。
「汝ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターは、エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイム、ヴィルマ・エトル・フォン・アスガハン、カタリーナ・リンダ・フォン・ヴァイゲル、ルイーゼ・ヨランデ・アウレリア・オーフェルヴェーク、イーナ・ズザネ・ヒレンブラントを妻とし、これを終生愛する事を誓いますか?」
「(言い切ったな……)誓います」
長い五人のフルネームを、まるで呪文のように総司祭はひと呼吸で言い切っていた。
多分、事前に懸命に覚えたはず。
なぜなら、俺だってたまにルイーゼとかカタリーナのフルネームが言える自信とかないからだ。
その時は何となく覚えるのだが、一週間もすると危うい。
フルネームなんて呼ぶ機会が無いので、すぐに脳が忘れてしまうのであろう。
「次に、エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイムは、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターを夫とし、これを永遠に愛する事を誓いますか?」
「はい。誓います」
続けて、四人にも同じ事を聞く。
妻達には、一人一人聞くようであった。
みんな『はい。誓います』で、突然某映画のように別の男性が来て連れ出すとかいう展開は無かった。
警備的に考えて、無くて当たり前とも言えるのだが。
「(ヴェル。何か変な事を考えてない?)」
勘が鋭いルイーゼに小声で聞かれてしまうが、小市民の俺にはこの空気が重たいので、他の事を考えて気を紛らわせていたのだ。
「次に、誓いの口付けを」
式の前にも結構していたが、ここでみんなの前でキスをする事によって『俺の妻だから手を出すなよ』と周囲に伝える意味があるそうだ。
ただ、神官の前なのであまり派手なキスは禁止である。
少し唇が触れる程度で順番にキスをしていく。
「(カタリーナ。大丈夫か?)」
「(さすがに慣れましたわ)」
見た目とは違ってこの手の事にまるで免疫が無いカタリーナを心配したのだが、さすがに慣れてきたらしい。
俺と普通にキスをしていた。
「次に、指輪の交換を」
これも、事前に準備していた五つの家紋入りの白金製の指輪をエリーゼ達に着けていく。
「以上をもちまして、神への報告が終わりました。新しい夫婦の門出に神もお喜びになるでしょう」
本当に神がいて喜んでくれるのかは不明であったが、俺をこの世界に送り込んだ奴がいるのかもしれない。
その前に決まっている文言なので、特に何も感じずに総司祭の言葉を聞き流していた。
「さて。最後にですが……」
教会から出て、地球の結婚式ではお馴染みのブーケトスが行なわれるのだ。
教会内に入れなかった参加者達の未婚の娘達が最前列に並び、大貴族の娘だと自分がはしたなくブーケを取りには動かない。
その代わりに、メイドや使用人などを動かしていた。
取った人が次に結婚できるというジンクスはこの世界にもあり、無事に取ってこれると褒美が貰えるケースが多いので、メイド達も真剣だ。
『取ったメイドが次に結婚できるんじゃないの?』と質問するのはご法度らしい。
自分で取りに行けないからこそ、メイドを使って取らせるのだから。
「では、投げ入れてください」
これが取れたからといって、本当に次に結婚できる保障も無いと思うのだが、彼女達は真剣に五つのブーケを取り合っていた。
まさしく、肉食系女子達の取り合いである。
ブーケは無事に五人のメイドの手に渡り、それぞれが仕えている令嬢の元に持っていく。
中には早速、褒美の入った袋などを貰っている者もいた。
そしてその中に、一人色物的な人物が混じっていた。
「良くぞブーケを取ってくれたの。褒美を与えよう」
どう見てもアラフォー以下には見えない豪華なドレスを来た女性が、ブーケを取って来たメイドに褒美を渡している。
初めて見るが、彼女があの噂のアニータ様のようだ。
ブライヒレーダー辺境伯は、どういう意図で彼女を連れて来たのであろうか?
かなり謎であった。
「(というか、まだ結婚する気あるんだな……)」
口には出せないが、周囲でそう思っている人は多いはずだ。
「式も無事に終わりましたので、披露宴に入りたいと思います」
結婚式は一時間もしないで終わったが、その後は日が暮れるまで披露宴とパーティーに拘束され、俺達は疲労困憊のまま夜を迎えるのであった。
「貴族の結婚式は公式行事と同じであるので、これは仕方の無い事なのである!」
長い拘束時間が終わり、完成した屋敷のリビングでみんなで寛いでいると、導師が俺に声をかけてくる。
「結婚式が一番楽だった……」
そんなにする事も無いし、地球とそうやり方に違いもなかった。
総司祭の手際も良かったし、時間もさほどかかっていない。
その代わりに、披露宴やパーティーでは面倒が多かった。
『私。アロイス・ヒルデブレヒト・フォン・ヴァルタースハウゼン子爵と申します』
主だった来客全てに挨拶に行き、しかもどういう順番で挨拶に向かうのかとか色々と面倒であった。
その辺はローデリヒが全て仕切ったのだが、良くあれだけの貴族を覚えられるものだ。
『さすがに、紋章官のイェフからレクチャーは受けていますよ』
『やっぱりそうか』
『でなければ、覚え切れません』
バウマイスター伯爵家は新興なのだが、未開地開発の件で多くの貴族と接する機会が増える。
そこで、急ぎ専門の紋章官を雇ったのだ。
名前はイェフといい、彼はブライヒレーダー辺境伯家の紋章官をしているブリュア氏の次男であった。
あの紛争でツテが出来たので、彼の子供を雇い入れたのだ。
「挨拶はまだ良いんですよ」
挨拶だけしておけばいいからだ。
気疲れはするが、それだけとも言える。
「人の結婚式に来て、『六番目以降の妻を迎える気は?』とか聞くか?」
自分の未婚の娘を連れて来てアピールしたり、お見合い写真を渡そうとする貴族が何名か存在していたのだ。
「未開地に加えてヘルタニア渓谷の鉱山利権も増えたので、みんな必死であるな」
娘を差し出してでも、もっと食い込みたいというわけだ。
何にしても、それもあって俺もエリーゼ達もヘトヘトである。
あのすぐにお茶を淹れたがるエリーゼがドミニクに一任している事からして、よほど疲れているのだ。
「だが、今日は初夜だよな?」
「ぶっ!」
突然ブランタークさんが妙な事を言うので、俺は口に含んでいたマテ茶を吐き出してしまう。
「汚いなぁ。伯爵様はよ」
「ブランタークさんが、妙な事を言うから」
「別に妙な事じゃない。ドミニクが監視役なんだろう? 失敗しないように頑張れよ」
「それが一番キツイですよ」
そういえば、前世に何かの本で見た事があった。
初夜の時に、ちゃんとやれたのかを確認する役割の人が任命されるのだと。
この世界でも、貴族が結婚した時にちゃんと性交渉が持てたのかを確認する風習があるというわけだ。
「エリーゼ様が、遂に奥様となられるのですね」
男性に覗かせるわけにはいなかいので、この役割りは既婚の女性が務める。
先月にドミニクは、カスパルという庭師をしている二十歳の青年と結婚していた。
彼もホーエンハイム子爵家の庭師の次男で、ドミニクとは幼い頃から知り合いであったそうだ。
「ドミニクに覗かれるとは、恥ずかしいですね」
「すいません。エリーゼ様。これも、決まりですから」
普通の人は、エリーゼのようにそんなところを覗かれたくは無いはず。
俺の方も、見られて興奮するような性癖は持ち合わせていなかった。
「しかも、五日連続だろう?」
「エルヴィンさんは駄目ですよ」
「俺は普通に、主君や友達のそういうシーンは見たくないんだけど……」
何とか失恋から立ち直り、今は『恋の狩人』という恥ずかしい二つ名を掲げているエルは、ドミニクにからかうように質問していた。
「私もですが、他に人がいませんので」
雇ったばかりのメイドにいきなり初夜の監視役など任せられないようで、エリーゼから始まり、ヴィルマ、カタリーナ、ルイーゼ、イーナと。
五人全員の確認を、ドミニクがする事になっていた。
「(物凄い、羞恥プレイ……)まあ、仕方が無い」
と言いながら、俺は師匠が残してくれた魔法の本を捲り始める。
まだ六歳の頃に師匠から受け継いだ本であったが、実はこの本。
雑誌のように袋とじの部分があった。
師匠が細工していて、俺に渡す時に『結婚したら袋とじを開けてね』と言い含められていたのだ。
週刊誌のフロクでもあるまいし、だが師匠に相応しいやり方とも言える。
あの人は、意外と茶目っ気が多かったのだ。
「アルが結婚してから開けろって?」
「はい」
「むむむっ。もしかして」
「あの魔法か……。あんまり難しくないからな。伯爵様なら大丈夫だよ」
ブランタークさんと導師は、何の魔法か想像がついたようだ。
視線を合わせて苦笑いを浮かべていた。
「とにかく、開けますよ」
ペーパーナイフで綺麗に袋とじを切ると、そこには『水』系統の大人魔法『精力回復』の解説が書かれていた。
「こんな魔法。あったんですね……」
なるほど、当時まだ子供だった俺に教えても無意味だと思われたのであろう。
「そういう魔法とか薬とか。貴族には必須だろう?」
子孫繁栄のために?
それとも、多くの奥さん達を満足させるために?
いや、大半は『年を取っても、昔のままの自分で』という目的で使っているとしか思えなかった。
若い愛人相手などには重宝しそうである。
ブランタークさんも、実は愛用しているのであろうか?
「(魔法版○イアグラ?)」
「その魔法を使って、五人の奥さんと子孫繁栄に励めよ」
「でも、あんまり子供が多いと……」
うちの実家のように、次男以下が悲惨な待遇になってしまう可能性があった。
さすがに、アレは無いだろうと今でもたまに思うのだ。
「身代がまるで違うし、そんな事は後で考えれば良いのである! 子が出来ぬとまた面倒なのである!」
導師が珍しく貴族的な忠告を行い、俺とエリーゼを寝室に強引に押し込んでしまう。
「ええと……。これからも宜しく」
「はい。こちらこそ」
多分、エーリッヒ兄さんならこういう時に何か気の利いた事が言えるのであろうが、俺にはそんなスキルは存在しない。
普段は完璧超人ぶりを発揮するエリーゼも、経験が無い事には対応できないらしい。
二人は、ベットの上で挨拶をしたまま黙ってしまう。
「外に耳があるけど、気にしない方針で」
「はい。そうですね」
本当に、前世の経験とこのところの秘密の練習をしていて助かった。
でなければ、かなり手間取っていたはずだ。
「これからも苦労をかけると思うけど」
「ヴェンデリン様と過ごしたこの四年近くはとても楽しかったです。私は苦労だなんて思っていません。これからもきっとそうです」
「ありがとう」
「ただ……」
「ただ?」
「私達を蔑ろにして、あの方の所にばかり行かないようにしてくださいね」
「……」
前にヴィルマから言われていたように、エリーゼは鋭かった。
大貴族の娘なので、『あてがい女』の風習を知っていたのであろう。
あとは、ブロワ家との紛争で暫く行けなかったから、『瞬間移動』が使えるのを良い事に、時間が空けば遊びに行っていたのも良くなかったのかもしれない。
魔法で匂いなどは消していたし、ほとんど外泊はしないので誤魔化せていたと思っていたのだが。
「ヴェンデリン様。今は私だけを見て、私だけに夢中になってください」
俺は返事代わりにエリーゼの唇を自分の唇で塞ぎ、そのままベッドに倒れこむ。
王都での出会いから四年近く、俺とエリーゼはようやく本当に夫婦になったのであった。
「ヴェンデリン様」
そして翌朝の早朝、長年の風習もあり二人はいつもの時間に目を醒ましていた。
ベッドの上で共に全裸であったが、やはりエリーゼの胸は凄い。
寝ていても、そのままの形を保っているのだ。
ちなみに、前世の彼女はここまで胸は大きくなかった。
「おはよう。エリーゼ。ええと、大丈夫かな?」
「私は大丈夫なのですが……」
共に若く、俺は師匠から袋とじ特別ページで伝授された『精力回復』魔法の練習という大義が存在していた。
いや、ただ自分の欲望に忠実だったわけだ。
エリーゼも、最初は少し痛いとか疲れたとか言っていたが、彼女は治癒魔法が使える。
結果、共に眠くなるまで何度も試行錯誤を重ねたというわけだ。
「朝風呂に入ろうか?」
「はい」
外でドミニクが聞き耳を立てているのと、ベッド上のあまりの惨状に、急ぎガウンを着て二人で逃げるようにして風呂場へと移動する。
「ドミニクも新婚なのに悪い事をしました」
「いえ……。エリーゼ様が無事に奥様になられたという事で……」
部屋の外にいたドミニクにエリーゼは謝っていたが、ベッドの上の惨状に彼女は顔を引き攣らせていた。
「もしかすると、これが五日連続……」
信用するに足るメイドが彼女しかいないせいもあり、その後四日間ドミニクは慣習に従って、寝室で聞き耳を立てる仕事に従事していた。
「他の奥様達も、みなさん凄くって……」
「ヴェル様を満足させる」
「ヴィルマは意味がわかっているのか?」
「本で学習しておいた」
英雄症候群のために隔絶したパワーを持つヴィルマは、体力も隔絶していた。
「『精力回復』ですか? 女性には使えない魔法ですわね」
「その前に、カタリーナの頭が沸騰しないか心配だ」
「ヴェンデリンさん。私はこの中で一番の年長者で、大人の女なのですよ」
「(いや、あまりそうは見えないから心配しているんだ……)」
「ヴェンデリンさんの新魔法習得に協力いたしますわ」
カタリーナも治癒の魔法が使え、やはりエリーゼ同様に自身を回復させながら頑張っていた。
「つまり、体力勝負なんだね?」
「武芸の鍛錬じゃないんだけど……」
「おほほほほ。これも、ヴェルとボクとの男女の修行のような物!」
『瞑想』による治癒が使え、自身も優れた身体能力を持つルイーゼもエリーゼ達に対抗するかのように明け方近くまで頑張っていた。
「私は、他の四人みたいに凄くないわよ」
「俺だって、別に普通だと思うけど」
誤解を解くために言っていくが、『精力回復』とは精力が増大するわけではない。
ただ元の状態に戻すだけなのだから。
「それだけでも十分に凄いと思うけど。私は回復とか出来ないからね」
「はいはい。了解しています。俺は使えるけどね」
イーナは、素の身体能力ではルイーゼとそう違いがない。
加えて、俺が回復させてしまうのでやはり朝まで頑張ってしまう結果となってしまう。
早朝に風呂に行こうと寝室のドアを開けると、ドミニクが涙を流しながら心から安堵の表情を浮かべていた。
「やっと終わりました……。でも、ベッドの上が酷い……。ローデリヒ様にメイドの増員を頼まなければ……」
五日連続の夜勤に疲れ果てたドミニクが可哀想だったので、俺は彼女のメイド増員の陳情をローデリヒ直接伝える。
加えて、三日間の特別休養と特別ボーナスを支給してあげるのであった。