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八男って、それはないでしょう!   作者: Y.A
バウマイスター伯爵

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第六十八話  戦争の後始末は、勝っても負けても面倒だ。

「……」


「大丈夫? ヴェル?」


 俺、ブランタークさん、カタリーナの三人で、一万人ブロワ辺境伯軍にエリアスタンを掛けて魔力が尽きて気絶した。

 そこまでは覚えているのだが、その先の記憶が無い。


 敵は夜に襲撃して来たのに今は日の光が眩しく、どうやらかなり長時間寝ていたようだ。


「ブロワ軍は?」


「全滅したわ」


 目が覚めた俺を心配そうに見つめるイーナが、俺達が気絶した後の出来事を説明してくれた。


「広範囲のエリアスタンは成功したのよ」


 三人で分担を決め、何十個もの魔晶石を用いたのが功を奏したようだ。

 ただ、イーナが見せてくれた俺の魔晶石は全て魔力が空っぽになっていた。

 

「ブランタークさんとカタリーナも、魔力切れで寝ているわ」


「そうか。でも、何でエリーゼは奇跡の光を?」


「怪我人が多いのよ。ブロワ軍はほぼ全員が戦闘不能になったから、怪我人の治療を優先して欲しいとブライヒレーダー辺境伯が」


 俺達は魔力切れで気絶していただけなので、そのまま寝かされていたらしい。


「そんなに損害が出たのか?」


「死者だけでも百人近いのよ……」


 俺は、昨日の夜の事を思い出していく。

 ブロワ軍全てをエリアスタンで絡め取るために相手を引き寄せたが、その前にブロワ軍は多くの矢を放っていた。

 

「当たり所が悪い人がいて、味方も三名の死者が出たそうよ」


 ブライヒレーダー辺境伯軍側でも応戦して矢を放っているので、ブロワ軍側にも多くの死傷者が出ているようだ。

 むしろこちらは待ち構えて大量に矢を放ったので、ブロワ軍側の方が矢による死傷者が多いらしい。


「あとは、騎士に死傷者が集中したか」


「ええ」


 かなりの速度で走る馬に乗っている時に、馬ごと麻痺させて落馬させたのだ。

 死傷者が増えても当然と言える。


 日本の戦国時代や江戸時代には、落馬して死んだ武士や殿様も多かったそうで、この世界のサラブレッドに近い大きさの馬から勢いをつけて落馬をすれば、死者が激増するのも当然と言えた。


「エリーゼは、治療で大忙しなのよ」


 ブロワ軍がまだ戦えるのなら、俺達の魔力を『奇跡の光』で回復させていただろうが、運良く一回でブロワ軍はほぼ全員が戦闘不能になっている。 

 

 昨晩は、麻痺したブロワ軍側の兵士達の捕縛と救助に、数百名ほどの後方でエリアスタンを逃れた敵軍がいたのでそれの捕縛を。

 もっとも、いきなり目の前の味方がほぼ全滅したので、特に抵抗もせず武器を捨ててしまったらしい。

 

 あとは、ブロワ本軍が置かれた本陣の接収も行われた。

 ただこれも、物資などの警備のために百名ほどしか兵が残っておらず、これも本軍が全滅したと聞くとすぐに降伏したそうだ。

 

「エルが軍を率いて本陣の接収に成功したわ」


「あいつ。結構働いているんだな」


 ブロワ本軍兵士達の捕縛と治療を続けている内に朝が近くなり、その頃になると昨晩の緊急要請で五月雨式に小型魔道飛行船などで緊急輸送された兵士達が到着した。


 彼らは、味方の手伝いと、偵察に出て本陣後方にあった十数箇所の食料補給所を占領したらしい。

 

「そこを守っていたのは少数の警備兵達だけで、彼らもほとんど抵抗せずに降伏するか、逃げ出してしまったそうよ」


「大勝利ではあるか」


 何を考えてか、追い詰められたから勝って道を切り開くというとんでも思想に犯されたブロワ軍が全力で攻撃をしかけ、逆に俺達の魔法で多くの戦死者と捕虜を出してしまった。


 その数は、一万人を超える。

 本軍には十名ほどの貴族達もいたし、ブロワ軍とて諸侯軍の幹部達やお飾りとはいえブロワ辺境伯の娘もいる。

 身代金だけで、またブロワ辺境伯家の負担が大幅に増えたわけだ。


「その件で、ブライヒレーダー辺境伯様がお話があるって」


「わかった」


 もう時間はお昼前なのだそうだ。

 長時間眠っていたので魔力は全快していたし、また少し魔力の量が増えた感覚もあった。

 その代わりに恐ろしいほどの空腹感で、少し眩暈もするようだ。

 魔法の袋からチョコレートを取り出して口に入れてから、イーナの助けを借りて簡易ベッドから起き上がる。


「大丈夫?」


「ドラゴンゴーレム戦の時と同じさ。すぐに、回復する」

 

 暫くすると、脳に糖分が届いたようで頭がスッキリとしてくる。

 これでようやく、ブライヒレーダー辺境伯の元に行けるはずだ。


「支えはいる?」


「大丈夫だけど、暫く支えていてくれ」


 立ち上がってみると特に眩暈などはないようだが、イーナに寄りかかると良い匂いがするので、少し具合が悪いフリをしておく。


「カタリーナは?」


「ヴェルと同じよ。まだ寝ていると思うわ」


 少し離れたカタリーナが寝ている簡易ベッドに移動すると、彼女はもう目を醒ましていたようだ。


「お腹が空いて……。ですが、ここは我慢ですわ」


「ダイエットか?」


「あくまでも念のためなのですが、私が太ったかもしれないという可能性が……」


「念のためねぇ……」


 別にそうは見えないが、実際はどうなのであろうか?

 俺は気にならないが、本人には深刻な問題なのかもしれない。


「そうか? それよりも、ブライヒレーダー辺境伯が呼んでいるぞ。名誉準男爵殿」


「そうでしたわ」


 彼女も貴族なので呼ばれていたのだが、魔力を全て使い果たしてから半日近くも寝ていたせいで、脳に糖分などが足りていないようだ。

 思うように立ち上がれないで、簡易ベッドの上で座ったまま頭をフラ付かせていた。


「ほら、甘い物を口に入れろ。楽になるから」


「甘い物は……」


「ブランタークさんに教わっただろう。ええいっ! ダイエットなんて必要ないだろうが!」


 こうなれば、強引に口に押し込むだけだ。

 だが、手で押し込むと口を塞ぐ可能性があるので、ここは冷静な判断力を奪ってしまうに限る。

 俺はチョコの欠片を口に含むと、そのままカタリーナとキスをして舌でチョコの欠片を押し込んでしまう。

 強引に口移しで食べさせたのだ。


「っーーー!」


 俺のまさかの行動に、この手の免疫が皆無なカタリーナは頭がまた沸騰してしまったようだ。

 顔を真っ赤にさせて呆然としていたが、口の中に押し込んだチョコはモグモグと食べているようだ。


「もう少し食べさせるか」


 続けて三回ほど、口移しでチョコの欠片を食べさせる。

 頭が沸騰したままのカタリーナは、何の抵抗もなくチョコを食べて飲み込んでいた。


「上手くいったな」


「ヴェル。最初のはともかく、後のは口移しにする必要あったの?」


「一応、あったという事にしておこう。おっと、そうだ!」


 こういう事に不公平感が出ると良くないので、俺はもう一度チョコの欠片を口に含むと、今度はイーナとキスをしてチョコの欠片を舌で押し込む。


「ちょっと! うぐっ……」


 恥ずかしさからか最初は少し抵抗していたが、すぐにそれも弱まっていく。

 俺が舌で押し込んだチョコの欠片を口に受け入れ、暫く舐めてから飲み込んでいた。


「私は、チョコを食べる必要はないじゃないの!」


 イーナは、顔を真っ赤にさせながら俺に文句を言い始める。


「ここは、平等にと」


「今はいいのよ! 早くブライヒレーダー辺境伯様の元に行かないと」


「そうだったな。おーーーい、カタリーナ」


「ヴェルがおかしな事をするから……」


 カタリーナが寝ていた簡易ベッドに視線を向けると、彼女はまだ顔を真っ赤にさせながら放心したままであった。

 どうやら、刺激が強過ぎてまだ現世に戻って来ていないらしい。


「おーーーい、カタリーナ」


「カタリーナにいきなりそういう事をしちゃ駄目でしょうが!」


 婚約者の中で一番真面目なイーナでも、少し顔を赤くさせるくらいですぐに復帰したのに、カタリーナは少しキスをしただけでこの有様。

 なるほど、見た目と中身のギャップが大きい人間というのは見ていて面白い物だと感心してしまう。


「感心している場合じゃないでしょう。早く、カタリーナも連れて行かないと」


「それを忘れるところだった」


「忘れないでよ!」


「そうだぞ。お館様から呼んで来いと言われて来てみれば、伯爵様が見ているこっちが恥ずかしくなるような事をしているし」


 いつの間にか俺達の傍にブランタークさんが立っていて、しかも今までの痴態を全て見られていたようだ。


「ヴェルぅーーー!」


「若いって素晴らしいと思うけどな。今はお話があるからよ」


 恥ずかしさからか?

 再び顔を真っ赤に染めるイーナが、俺に非難の声をあげていた。


「ところで、カタリーナの嬢ちゃんはいつ起動するんだ?」


「さあ? 何しろ初めて試した事なので」


 そして三人で騒いでいる間も、カタリーナは簡易ベッドの上で顔を真っ赤にしたまま放心し続けるのであった。






「バウマイスター伯爵、魔力の方は回復しましたか?」


「はい」


 どうにかカタリーナを起動させた俺達は、急ぎブライヒレーダー辺境伯本軍の本陣へと向かう。

 そこでは、ブライヒレーダー辺境伯と数名の家臣、諸侯軍を編成している十名ほどの貴族やその家臣も集まっていて、俺達が最後に到着したようだ。


 俺はイーナを護衛として連れていて、カタリーナは諸侯軍は出していないが自身が名誉準男爵なので、貴族の一人としての参加だ。


 席に座ると、若い従兵がお茶を出してくれる。

 飲むとエリーゼが淹れる物より少し味が落ちるが、彼女は昨日の戦闘で出た大量の負傷者達を治癒するためにここに居ないので我慢するしかない。


「さて。昨日は、思わぬ『戦争』に巻き込まれて大変でした」


 ブライヒレーダー辺境伯が、殊更『戦争』という単語を強調するわけ。

 それは、今までに貴族間で起こっていたそれを一線を画すからだ。


 貴族同士が利権を巡って兵を出し、なるべく人が死なない方法で争う。

 面倒なので戦争と呼んでいる人がいるが、王国的に言えばそれは『紛争』であった。

 王国政府の見解としては、戦争はアーカート神聖帝国と停戦を結んでからは一回も発生していない。


 これは、ちょっとした味方貴族同士の争いなので『紛争』だと言うわけだ。


 ところが、昨日のアレを『紛争』と呼ぶのは難しい。

 死者が百名近く出ているし、数十年前の偶発的な衝突とは違って、ブロワ軍は明確に戦闘を仕掛けて来た。


 後方に伏せていた援軍も呼んで合計一万の兵力で、武器も訓練用の物から通常の物に戻し、馬に乗った騎士達を先頭にブライヒレーダー辺境伯本軍を蹂躙して粉砕しようとしたのだ。


 もし成功していたら、ブライヒレーダー辺境伯軍の犠牲は軽く四桁に達していたはずだ。


「とにかく、困った事態です」


 エリアスタンをかけた俺達が気絶した後、ブライヒレーダー辺境伯は一切の睡眠を取らずに事後処理に奮闘していたそうだ。


 麻痺して倒れていたブロワ軍全ての兵士達を武装解除して捕縛し、怪我人などはエリーゼや従軍している治癒魔法が使える司祭などに治療させ。

 次第に小型飛行船などで援軍が来ても、まだ捕虜の方が多いので管理などにも苦労し、本来こういう紛争で越境は禁止なのだがそんな事も言っていられず。


 少数の部隊を派遣して、ブロワ軍の本陣や後方の食料備蓄所なども抑える事となった。

 本陣には百名ほどで、各所の食料備蓄所にも二~三十名ほどの兵士達がいて、彼らはそのほとんどが降伏したのでこれの管理もあった。


 更に、捕虜の奪還を目指して別の部隊が攻撃を仕かけてくる可能性もある。

 偵察なども必須で、人手が足りないのでモーリッツ、トーマス、エル、ルイーゼも十名ほどの兵を連れて周辺の探索に参加しているそうだ。


「幸いにして、ここに特使であるクナップシュタイン子爵殿がいる事ですかね?」


 この『戦争』が、ブロワ家側から仕掛けられた事の証明になるからだ。

 少なくとも、こちら側が一方的に責められる事は無いであろうと思う事にする。


 もしかすると、土壇場で裏切って何か企む可能性も否定できなかったが。


「私が王宮側の人間なので多少のご懸念を抱いている方もいるでしょうが、この『戦争』がブロワ家側によって引き起こされたのは事実です」


 慣習に則って相場通りの裁定案を出したのに、それが嫌で今の不利な状況を打破するため、後先考えないで『戦争』を仕掛けるなど論外だとクナップシュタイン子爵は述べていた。


 表情はいつも通りであったが、彼も個人的に怒りを覚えているように見える。

 昨晩はこちらに宿泊していたので、最悪自分が殺されていた可能性もあったからであろう。 


「ただ、大きな問題が一つ」


 この、更にグジャグジャになった状況をどう解決するかという問題が出て来たのだ。

 俺達が捕らえて紛争地帯の味方側領主達に管理を任せている、ブロワ家側の貴族や兵士達も合わせ、現在ブライヒレーダー辺境伯家側で管理している捕虜の数は二万人近くいる。


 後で費用を請求するにしても、大きな手間になっているのは確かであった。


 加えて、必要とはいえ既にブロワ家側の領域に軍を進めている。

 本陣に、十箇所を超える食料備蓄所に、早朝に食料を運んで来た荷駄隊も人員ごと全て捕らえたそうだ。


「人数が多いから、食料の頻繁な輸送は必須だったんでしょうね」


 ただ、荷駄隊が戻って来なければブロワ家側の不審に思うはずだ。

 その前に大敗北で周辺に噂は広がるし、一人も逃走者を出していないはずなどない。

 数日もすれば、ブロワ家側にも情報は伝わるはずだ。


「当面は接収した食料を食べさせますし、もはや『戦争』状態なので軍の追加徴集も行っています」


「何が問題なのです?」


「これから先、私達は誰と交渉すれば良いのでしょうか?」


 同席していた若い貴族からの質問に、ブライヒレーダー辺境伯は乾いた笑みを浮かべながら答えていた。


「クナップシュタイン子爵が、裁定の協定書にサインする人間を聞いたら攻めて来ましたからね」


 現在、ブロワ家を動かしている人間が不明なので困っているのだ。

 間違いなく、ブロワ辺境伯本人は生きていても人に指示など出せる状態ではないはずだ。


 普通は、跡取りを領主代行にして領地の運営を行うはず。

 だが、あの家は相続争いが発生しているわけで、だからこそ長男フィリップを跡取りにしようと諸侯軍の幹部達が兵を出し、挙句に敗北している。


「あの軍勢を率いていた幹部連中は、全て捕縛しました。偉い連中はフル装備で前線などにいるはずもありませんので」


 エリアスタンによる落馬などで、死んだ人はいないそうだ。

 せめて一人くらい前線に出て犠牲が出ていれば同情も出来たのだが、怪我も無く捕虜になったと聞いてその無責任さに反吐が出る思いであった。


「あの姫様はどうしました?」


「本陣にいましてね。エルヴィンさんが降伏させたようですね」


 抵抗されるかと思ったそうだが、すぐに降伏してくれたそうだ。


「ちゃんと丁重にもてなしていますよ。戦場に女性を連れて来るから面倒ですけど」


 もし彼女に何かあれば、それはブライヒレーダー辺境伯の恥となってしまうそうだ。

 なので、丁重に隔離してあるらしい。


「あのお姫様には、何の権限もありませんよ。軽い神輿でしょうね。問題は……」


「これから裁定を再開するにしても、誰が来るのかですよね?」


 長男か次男かは知らないが、跡取りが指名されていない以上は、条件は詰められても協定書にサインする人間がいないわけだ。

 

「ブロワ辺境伯本人は?」


「来れるのでしたら、最初からここまでチグハグにはならないはずです」


 確かに、彼に指導力が残っているのなら、娘を総司令官代理などにして兵を出さないはずだ。

 

「ブロワ辺境伯は死んでいて、それを周囲が隠している。もしくは、既に人に何か指示を出せるような状態にない。意識が無いなどでいつ死ぬかわからず、だから軍からの支持が強いフィリップは軍幹部に紛争で功績をあげるように命令した。娘は、一族の者が飾りでもトップにいるべきであろうという判断からかな?」


「バウマイスター伯爵の想像通りですかね」


 紛争で病床の父親から離れている間に彼が死んでしまうと、残っている次男が勝手に跡取りだと名乗って王家に使いなどを出しかねない。


 だから、双方共に屋敷から離れないのであろうと。


「腹心とかに任せて、前線に来ればいいのに」


「印綬官の去就が不明なのでしょう」


 貴族家の当主は、書類にサインをしてその効力を発揮させる。 

 なので、日本のように判子は存在しないのだが、当主の証として金で出来た紋章を彫った判子が王家から下賜されていた。

 手紙に蝋で封をする時に、それを押してその手紙が本物である証明にするわけだ。

 これを所持する者こそが当主というわけだが、大物貴族にはこれを管理する印綬官という役職の家臣が存在していた。


「非常に地味な役職なんですけど、大物貴族は印綬官を優遇しています」


 能力以前に、誠実で主君に忠実な者が選ばれる。

 自分だけが、密かに主君から後継者の名前を聞いているケースも多い。

 主君が後継者を伝えていれば、その死後には命を賭してその人物に印綬を渡す。

 過去には、他の後継者候補に殺される者も多かったそうだ。


「ブロワ辺境伯がまだ死んでいないとすれば、印綬官は意地でも印綬をどちらにも渡さないでしょう。ただ……」


 死んでしまってから、ブロワ辺境伯が後継者を定めていなければどうするのか?

 それは、誰にもわからないわけだ。


「印綬官も文官の類ですからね。フィリップ殿が出陣してからブロワ辺境伯が亡くなり、クリストフ殿が印綬官に印綬の授与を迫る。フィリップ殿が腹心を残していても、何の役にも立ちませんから」


 だから二人共、意地でもブロワ辺境伯の病床から離れないのであろうと。


「こんな物がねぇ……」


 さっと、袋から取り出してみる。

 印綬なら俺も貰ったのだが、普段は魔法の袋に仕舞っていた。

 

「バイマイスター伯爵は新興ですから、もう何十年かしないと印綬官なんて決められないでしょう」

 

 そうそう信用できる誠実な家臣など見付からないし、逆に言うとただ印綬を預かっているだけで給料が貰える存在なので、大物貴族にしか専任の印綬官など雇えない。

 普通の貴族は印綬を自分で持つか、他の家臣に職務を兼任させているのが普通であった。


「えらく豪勢に改良をしていますね」


「ローデリヒが、派手な方が良いって言ったからですね」


 印綬は王国が下賜する物だが、見た目は文具屋などで売っている三文判と大差が無い。

 判子の先端部分が金で、残りの持ち手の部分は銀で出来ている。

 そして、判子の部分は駄目だが、持ち手の部分は自由に改造が可能であった。

 大物貴族は、持ち手の部分を改造してその豪華さを競うのだ。

 誰に見せるでもないのに、やはり貴族とは見栄を張る生き物であった。


「竜が二匹絡み合う姿ですか」


「一応、ドラゴン退治で立身出世をした家だからという理由です」


 竜は金細工で、目の部分にはエメラルドが入っていた。

 細工は、ローデリヒが知っていた王都でも評判の細工職人に依頼している。


『職人にも知己がいるんだ』


『冒険者の仕事で、少し特殊な素材を採取して持って行った事がある縁からです』


 ローデリヒの顔の広さは、相変わらずであった。

 すぐに細工職人への依頼が行なわれ、バウマイスター家の派手な印綬は完成している。


「でも、持ち難そうですね」


「それに気が付いたのは、細工が完成してからでしたね」


 そこまでは、俺もローデリヒも予想していなかったのだ。

 二人の間に妙な空気が広がったので、話を変える事にする。


「しかし、面倒な事になりましたね」


「苦労した分、精々ふんだくってあげますけど」


「ふんだくるというのは少々下品かと思いますが、余計な夜襲などかけるから和解金と身代金の額は大幅に増えますね」


 クナップシュタイン子爵は、表情も変えずに懸命に参考となる裁定案の改定を始めていた。

 

「裁定案で有利になるように、どこかの街でも占領しますか?」


「いえ、街を占領すると面倒なので」


 他の貴族の領地なので、略奪などをするバカが出る可能性があるからだ。

 これ以上騒ぎを大きくしたくないのに、また揉める元を増やしても仕方が無い。

 ブライヒレーダー辺境伯は、若い貴族からの提案を却下していた。


 だが、その代わりにエチャゴ平原の大部分を占領している。

 敵軍本陣や食料備蓄所の占領のついでに押さえてしまったのだ。


「ここまで揉めた以上は、占領地があった方が裁定で有利でしょうし」


 結局その日の会合は、ブロワ側が使者を出してくるまで占領地の確保と捕虜の管理を続ける事だけを決めて閉会していた。


「そういえば、バウマイスター伯爵にお願いがありまして」


「お願いですか?」


「はい」


 捕虜になっているカルラとか言うブロワ辺境伯の娘を、こちらで預かって欲しいのだそうだ。


「バウマイスター伯爵の所には女性がいるので、同じ女性同士という事で預かって貰えないかなと」


 注意しているとはいえ、ブライヒレーダー辺境伯の所には男性しかいないし、向こうも男ばかりに囲まれたら気も滅入るであろうと。


 彼女は貴族の娘なので、捕虜とはいえちゃんと面倒を見る必要がある。

 もし何かあれば、ブライヒレーダー辺境伯の評判が落ちてしまうからだ。


「面倒だから、女性なんて連れて来なければ良いのに」


 捕虜になった、交渉で代表を務めていた初老の重臣に思わず言ってしまったそうだ。

 勿論、その重臣は何も言わずに憮然とした表情を崩さなかったようだが。


「構いませんが、俺が気に入って嫁にするとか言い出したりして」


「英雄色を好むですか? それは勘弁して欲しいですね」


 俺の発言を、ブライヒレーダー辺境伯は冗談だと思ったようだ。

 実際に冗談だし、周囲に反対されて成立しないのでまずあり得ないのだが。


「(でも、彼女って……)」


 黒髪に黒い瞳で、西洋風の人達が多いこの世界では日本人寄りの顔をしていて、しかも雰囲気が前世の学生時代の彼女に良く似ていたのだ。


 あくまでも雰囲気で、カルラ嬢の方が圧倒的に美少女であったが。


「イーナ。大丈夫か?」


「女性同士は纏めてって事でしょう? わかったわ」


 ブロワ軍の掟破りの夜襲を防ぎ更なる戦果をあげたものの、俺達は余計に面倒な事態に巻き込まれてしまったのかもしれなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ただ、荷駄隊が戻って来なければブロワ家側の不審に思うはずだ。 →唯、荷駄隊が戻って来なければ、ブロワ家側は不審に思う筈だ。
[気になる点] このページだけではないけど、バウマイスターがバイマイスターになってるのがチョイチョイ有る。
[気になる点] 作中1年経ってないのに3回も油断からの瀕死やらかすとかさすがに・・・
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