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八男って、それはないでしょう!  作者:Y.A
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第六十七話 ようやく裁定が始まったと思ったら……。 

「ようやく裁定の始まりですか」

「ブロワ家側も、もう限界なのでしょうね。向こうから裁定を言い出した以上は、手加減はしませんけど」

 俺が参加していない期間も含めて、二ヶ月近くも行われているブライヒレーダー辺境伯とブロワ辺境伯による紛争は、次の段階に移行していた。

 全ての紛争案件で以前から持っていた利権や領地を全て失い、多くの貴族や家臣や兵士達も捕らえられ、本軍同士の戦闘でもお抱え魔法使いが捕らえられるなど。
 誰が見ても、ブロワ辺境伯家側の不利は明らかだ。

 このまま対峙だけ続けても、それでブロワ家側が有利になるわけでもない。
 費用面などを考えると、余計に不利になるだけだ。

 どうせ負けなら、早めに決着をつけてかかる費用を抑えたい。
 そういう腹積もりなのかもしれない。

 だが、まだ何か隠し玉を持っている可能性もあり、裁定には俺も参加する事になっていた。
 さすがに、ブライヒレーダー辺境伯の暗殺を目論むとかは勘弁して欲しいところだ。

「そうですね。ヴィルマさんとエリーゼさんもお願いします」

 裁定の会場は、双方の軍勢が睨み合う草原の中心地点。
 そこに臨時で大型テントを張り、どちらも二十名までの随員が認められるそうだ。

 ブライヒレーダー辺境伯は、数名の家臣にブランタークさん、諸侯軍に参加している貴族数名とその付き人に、俺はヴィルマとエリーゼを伴って参加する事になっていた。

 正直なところ、ヴィルマがこの手の交渉で役に立つはずもない。
 だが彼女は、エドガー軍務卿の養女であるし、護衛には最適なので選ばれたていた。

 エリーゼも、あのホーエンハイム枢機卿の孫なので当然であろう。
 この国に、教会の影響力が無い場所などほとんどないのだから。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今日は顔合わせくらいでしょうし」

 貴族として交渉に臨むという初めての経験に、俺は柄にもなく顔を真面目にさせていたようだ。
 それを見て、ブライヒレーダー辺境伯が話しかけてくる。

 裁定は、何日間かをかけて行われるようだ。
 まずは双方が独自の裁定案を主張し、当然そう簡単に合意には至らないので条件のすり合わせを行う。
 夕方になれば今日はこれで終わりとお互いに引き上げ、また明日の朝から交渉を行う。

 大筋で合意したら、今度は担当の家臣達が実務者協議を行って細かい細則のすり合わせや、条件履行の確認などを行うそうだ。

「とはいえ、向こうは圧倒的に不利ですしね。支払う金額をいかに減らすかですか」

 例えば河の中州の取り合いなど、無理矢理こちら側の物だと認めさせても、また時間が経つと元も木阿弥になる事が多いそうだ。

 ただ、双方ともそれは十分に理解している。
 それに片方が独占をすると、もう片方にいらぬ禍根を残して争いが広がる可能性もあるそうだ。
 世代が変わると、『昔に取られた利権を取り戻す!』と宣言して家中の支持を集めるような新当主が出て、また兵を出したりする。

 結局キリがないので、所有権が曖昧で半分ずつくらいの方が良かったりする事も多いのだ。

「前の条件にして欲しければ、多額の和解金に、捕まった人達への身代金もありますね。アレ、捕虜の期間が長いと増額になりますし」

 捕虜には、それぞれの身分に応じた待遇が必要となる。
 貴族本人などは金がかかるので、当然その費用は身代金に上乗せされるわけだ。

「それに、紛争の原因は向こうにありますしね」

 ルールを破って、事前告知無しの奇襲まで仕掛けたのだ。
 和解金の額はかなり高騰するはずだと、ブライヒレーダー辺境伯は説明していた。

「とにかく、まずは顔合わせです」

 両軍が睨み合う草原の真ん中に、先に裁定を言い出したブロワ家側の兵士達が急ぎ野営用の大型テントを設営する。
 それが終わると、ブロワ家側の兵士の一人が甲高い笛のような物を吹き、暫くするとブライヒレーダー家側からも同じ笛の音が響いていた。

「準備完了というわけです。では、参りましょうか?」

 ブライヒレーダー辺境伯に促されて、合計二十名の交渉団がテントの前まで歩いて行く。
 到着するとテントの入り口が開かれ、中に入って来いという事らしい。

 ブライヒレーダー辺境伯を先頭に中に入ると、二十名が向かい合って座れるように長いテーブルと椅子がセットされていた。

「貴殿が、ブライヒレーダー辺境伯であるか?」

「いかにも。そちらは、ブロワ辺境伯とは違うようですが」

「総大将代理の、カルラ・フォン・ブロワ様である」

 手紙の通りに、現在のブロワ軍の総大将はカルラという娘が務めているようだ。
 彼女は、俺達と大して年齢が違わないように見える。
 オーダーメイドだと思われる高価そうなミスリル製のチェインメイルを着ていて、腰くらいまである黒い髪を後ろで束ね、少し大和撫子風に見える美少女である。

 身長は百六十五センチほどで、スタイルも良かった。
 胸の大きさは、イーナとカタリーナの間くらいであろうか?

 事前にエリーゼから聞いた情報によると、彼女はつい一年ほど前までは王都で生活をしていたらしい。
 母親が貧乏法衣騎士の娘であったせいで他の姉妹達に嫌われ、東部には一度も入った事がなかったそうだ。

『俺。全然面識がないな』

『王都でブロワ辺境伯様から仕送りを受けて生活をしていたそうで、ヴェンデリン様と接触するのを避けたようです』

 エリーゼ自体は、かなり長い期間面識があったそうだ。
 ただ、親友同士というわけでもない。

 カルラが教会に嫁入り修行も兼ねて勉学や家事などを習いに来ていて、たまに教会主宰のチャリティー活動などの手伝いを一緒にした。
 お互いに自己紹介をして、何度かお茶を飲んだ事がある。

 そのくらいの仲だそうだ。

『教会で勉強ね』

 ブロワ辺境伯から仕送りがあるが、そう大金でもない。
 母娘で実家に居候しているので、それなりの金額は入れないといけない。

『カルラさんのお爺様や伯父様などは、あまり優秀な方とは……』

 爵位に差はあっても、同じ王国から任じられた貴族同士なのに金欲しさに娘を差し出しているのだ。
 当然、他の法衣貴族達からもあまり良い目では見られていなかった。

 更に、その仕送りを利用して役職を得ようと付け届けなどをしているらしいが、周囲からの悪判に能力不足もあってただ金を無駄にしているらしい。

 カルラが無料で学べる教会に来ていたのには、そういう理由があったそうだ。

『そのカルラさんも、残念な家族に振り回されていると』

『はい。そういう事になります』

 そのせいなのかは知らないが、実は彼女武芸はかなり嗜んでいるそうだ。
 特に、弓とナイフの投擲術には優れているらしい。

『俺と被るなぁ……』

『前回の武芸大会で、弓の部で準優勝だそうです』

『レベルが違うぜ……』

 いや、訂正しよう。
 比較的弓が得意なバウマイスター一族でも、束になってかかっても敵わない逸材だ。

 前世的に言うと、『女版那須与一』というやつであろう。
 ただ、さすがに今日は弓は持っていないようだ。

「総大将代理のカルラ・フォン・ブロワです。裁定交渉に参加いただき感謝しております」

 結局、彼女が発した発言はそれだけだった。
 主な交渉は彼女に随伴している家臣達が行い、彼女はお飾りでしかない。
 相続を争っている二人の息子の内のどちらかでもいれば主役になるであろうが、カルラは女性なので実務などしないからだ。
 隠してはいるがブロワ辺境伯は病欠で、というかこの場にいない時点で彼に何らかの不都合があるのは明らかであった。

「(ふう……)」

「(どうかしましたか?)」

「(長くなりそうですね)」

 ブライヒレーダー辺境伯は家臣の一人から何かを耳打ちされると、溜息をつきながら俺に小声で話しかけていた。
 交渉の席にいる家臣達が、全て武官なのが気に入らないらしい。
 そういえば、前に長男の支持母体が諸侯幹部に多いと聞いたような気がした。

「(多分、今回の出兵は長男のフィリップ殿が大きく関与しているようです)」

 相続を争っている二人であったが、今はいつ死ぬかわからないブロワ辺境伯から離れられないはず。
 なぜなら、ここで総大将などをしている内にブロワ辺境伯が死ぬと、残っている方が遺言を偽造し、勝手に王都に襲爵の許可を取ってしまう可能性があったからだ。

 そこで、諸侯軍に支持者が多いフィリップが、彼らに手柄を立てさせて相続を決定付けるために兵を出した。
 いくらブライヒレーダー辺境伯と険悪でも、この時期の出兵は王宮側の非難が大きくなるので、ブロワ辺境伯が健在ならば行わないはずだ。

 次男であるクリストフの考えは不明だが、彼のシンパである文官が混じっていないので、彼も出兵には反対なのかもしれない。
 エリーゼの話によると、一年ほど前に父親であるブロワ辺境伯から領地に呼ばれたカルラは、つい最近までは彼の世話でもしていたようだ。

 だが、急に諸侯軍の総司令官代理にされた。
 当然お飾りであったが、もし本当に指揮を任されても困るので、これで良いのかもしれない。

「(紛争絡みの大規模出兵って、代替わり直後とか、その直前に良く起こりますから)」

 現当主が明日をも知れぬ命で家臣達に動揺が広がったので、跡継ぎが己の力を見せるために兵を出した。

 または、襲爵直後に己の力を見せるために兵を出した。

 どちらも、内部の不安を外に向けさせるための物で、これは某半島の反日政策とか、某お米の国の世界の敵認定に似ていると思う。

「(ただ、そうなりますと……)」

 勝てていれば裁定で有利な条件を得られたので、これはフィリップの功績となり、彼を支持する諸侯軍幹部の将来も明るかったはず。

 だが実際には、完全なボロ負けで戦前に持っていた利権を失うか、取り戻すのに莫大な和解金を払わなければならず、加えて多くの貴族や兵士達も捕まっている。
 身代金だけでも、かなりの金額になるはずだ。

 想像ではあるが、捕まっている彼らが掟破りをしてまで兵を出したのは、もし負けて捕まったり負けたりしてもその損害を補填するとかの密約があったのかもしれない。

 だがそうなると、ブロワ辺境伯家の財布には大ダメージであろう。

「(更に悪い事に、クリストフ殿を支持している文官達の姿がありません)」

 ブロワ家側の家臣達が武官なので、負けても金を支払う準備が出来ていない可能性があった。
 何しろ、予算を執行する文官がいないのだから。
 あったとしても、ボロ負けの上にブロワ家の財政に止めを与えかねない一撃である。

 その失態をクリストフ支持の文官達に突かれれば、最悪フィリップは後継者争いから転落という可能性も大きかった。

「(いくら向こうがバカでも、現実くらいは……)」

 見えているのかと思ったのだが、第一日目の裁定はただ双方が己の主張を言い合うだけで終了していた。
 元々普通はそうなのだが、この状況でブロワ家側が全く譲歩しなかったのだ。

 捕虜への身代金は払うが、紛争地帯の配分を無条件で戦前の状態に戻せと言い放ち、ブライヒレーダー辺境伯も含めて、参加しているこちら側の貴族達が話にならないと激怒したのだ。

「そちらが先に掟破りをして来たのですよ。それに反撃した私達がなぜ損をしなければいけないのです?」

 ブライヒレーダー辺境伯の言い分は、もっともであった。
 向こうも内心ではそう思っているのであろうが、無条件に不利な裁定案を受け入れた時点で、自分達の未来は終わるのだ。
 いくら時間をかけても、引き分け程度の裁定案を勝ち取ろうと足掻いているらしい。

 ただ、その裁定が長引けば長引くほど、ブロワ家側の財布には厳しくなっていく。
 進むも地獄、退くも地獄とはこの事であろうか?

「今は有利でも、こちらが兵を出せばまた不利になるぞ!」

「へえ。また兵を出して紛争案件を取り戻すと。宜しい、我らもその時は兵を出します」

 元々、攻撃側よりも防衛側の方が有利であるし、その時には俺やブランタークさんやカタリーナもまた出陣する。
 エリアスタンで麻痺させ、捕らえて身代金を要求する。

 人を殺さずに済んで、お金まで稼げてしまう大変に美味しい商売なのだ。

「ところで、バウマイスター伯爵のご意見は如何に?」

 ブライヒレーダー辺境伯が、俺にも意見を言うようにと振ってくる。

「私としては、我が家とヴァイゲル準男爵家で捕らえた捕虜の身代金さえ貰えれば。あとの利権を元に戻す和解金は、卑怯なだまし討ちをかけた各貴族家の方々に誠意を持って交渉するしかないでしょうね。勿論また何かあれば、寄り親であるブライヒレーダー辺境伯殿の要請で私も兵を出すでしょうし」

 俺の言い分に、交渉に当たっているブロワ家側の武官達は顔を真っ青にさせていた。
 また戦闘になって大量に捕虜など出たら、身代金で破産しかねないからだ。

 かと言って、ここで自暴自棄になって人を殺す戦争になれば、今度は王宮から待ったがかかる。
 今まで貴族同士の紛争が見逃されて来たのは、一部の暴走を除き極力人死にが出ないようにコントロールされてきたからだ。

 一種のガス抜きという扱いだから黙認されてきたわけで、それを破れば最悪ブロワ辺境伯家はお取り潰しの可能性があった。

「バウマイスター伯爵殿は、他に何か?」

 ブロワ家側の重臣と思われる武官が、俺に思わせぶりな口調で聞いて来る。
 多分、トーマス達をけしかてバウマイスター騎士爵領内で反乱を起こさせたのは、こいつなのであろう。

 反乱は僅かな時間で鎮圧され、挙句に捨て駒にしたトーマス達が新しい姓を名乗って俺の家臣になっている。
 トーマスは実の兄を一騎討ちで捕らえてしまうし、ニコラウスのように他の姓を名乗って堂々と捕虜になって向こうにプレッシャーまで与えた者までいた。

 この幹部は、俺がいつその切り札を切ってくるか不安で堪らないのであろう。

「いえ別に。ああ、ここのところ不足している人手を補うために、結構人を雇いましてね。いやあ、ブロワ辺境伯家のように人材が充実していると羨ましいですね」

 あえて言わないが、その後ろは『後方かく乱で、若い連中を二十名以上も使い捨てに出来るのですから』という文言が入る。
 それに気が付いた初老の重臣は、更に顔を真っ青にさせていた。

 別にこちらには、無理に早く交渉を纏める必要などないのだ。
 急いで纏めようとして、ブロワ側家の思惑に乗る事の方が損なのだから。

「そういえば、喉が渇いたな。エリーゼ」

「はい」

 俺の指示で、エリーゼがお茶を淹れて味方の人員に配り始める。
 お茶請けは、やはりチョコレート菓子の新作だ。

 こういう席では、相手に余裕を見せるためにあえて優雅にお茶などを飲んだり、お菓子や軽食をつまむ事がある。

 だが、これは味方同士にしか配られない。
 もし敵方に飲み食いさせた後に、運悪く急死などをされると毒殺を疑われるからだ。

 こういう席では、自分の飲み物や食べ物は自分達で準備するのが決まりであった。

「これは美味ですな」

「今度、ブライヒブルクの店舗にも卸すそうですよ。うちの御用商人が」

「それは羨ましいですな。是非に、我がクリーガー子爵領内でも販売して欲しいものです」

「では、時期を見てその商人を伺わせましょう」

「それはありがたい」

「バウマイスター伯爵殿、我がクメッチュ男爵領も宜しく」

 わざと暢気にお菓子の商談などを行い、ブロワ家側の焦りと怒りを誘っていると、ついに我慢出来なくなったらしい。
 お互いに最初の条件を持ち帰り、明日にまた新しい裁定案を出すという結論になって解散となっていた。

「明日は、もう少し折り合えますかね?」

「さあ? わかりませんね。向こうとしては、最低でも引き分け判定に持ち込みたいでしょうし」

「その条件が、最初から無理なんですけど……」

「そこでそれを認めてしまうと、彼らは揃って失脚です」

 自分達が支持する長男に跡を継がせるため、当主不予を利用して兵を勝手に出したのに、逆にボロ負けして莫大な金を払う羽目になった。
 そうでなくても開発利権から外れているのに、更に経済的なダメージを受けるのだ。

 次男支持の文官達からすれば、彼らを追い落とす決定的なチャンスとも言える。
 何しろ、ライバルが勝手に自爆してくれたのだから。

 最悪、御家取り潰しに全財産没収もありえる厳罰を覚悟しないといけない点が、次男からしても悪夢かもしれないが。

「結局、多少時間はかかりますけど。こちらの裁定案を受け入れざるを得ないのですがね」

 こちらに、譲歩する理由などないからだ。
 一日目の交渉は、ただの顔見せであった。
 だが、二日目になると様子が一変する。

「交渉の公平性を保つために、王都からマーラー外務委員にお越しいただきました」

 突然、ブロワ家側が王都から来たという法衣貴族を連れて来たのだ。
 五十代前半くらいに見えるデップリと腹が出た、いかにも汚職とかに身を染めていそうな男に見える。
 そもそも、公平性を保つとか言っている癖に、こちらへの通告もなくいきなり連れて来るのが怪しい。

 挙句にマーラー外務委員とやらは、交渉が始まると一方的にブロワ家側の肩を持ち始めたのだ。

「これ以上の東部と南部の騒乱を、王宮は望みません。ここで片意地を張っても仕方がないでしょう。戦前の状態に戻し、捕まっている貴族達の身代金は相場通りという事で」

 昨日ブロワ家側が出した条件を、まるでオウムのようにマーラー外務委員が言い始めたのだ。
 しかも丁寧に、これ以上の争いの継続は王宮が望まないという大義名分付きである。

 当然、お話にもならない。
 ブライヒレーダー辺境伯は昨日と同じく理論的にブロワ家側の非を指摘し、昨日とまるで同じ条件を言ってから席を立っていた。

「あのマーラー外務委員って何者なんです?」

「外務卿をしている、シュティーリケ侯爵の子分です」

 そういえば王都滞在時に、その名前と顔くらいは見た事があった。
 ただ、ヘルムート王国において外務卿の影響力は小さい。

 その理由は、唯一の交渉相手であるアーカート神聖帝国の相手だけをしているからだ。
 他に沢山の国でもあれば、外務卿も花形の閣僚であったはず。
 だが、現実には一国のみの相手なので役所の規模も予算も小さい。
 戦争が二百年以上も無いので、定期的に送っている親善団の編成とガイドをするか、向こうの首都に置いている大使館で情報を収集するくらい。

 更に、親善団の編成とガイドは交易をしている商務省と工務省の管轄に被っているし、情報収集も大使館には軍も駐在武官を派遣しているので、これも半分仕事を奪われている。

 なら、『こういう貴族同士の裁定などは?』と聞かれると、これも同国の貴族同士の争いなので内務卿の管轄に入っていて、『全閣僚の中で一番影が薄い』、『体の臓器に例えると盲腸』などと言われてしまうほどであった。

「外務委員とは言っても、特に仕事などありません。貴族にポストを分け与えるために存在していますので」

 そんな名誉職にあるので、誰も彼の動向など気にもしない。
 もし裁定で大きな影響力を振るえるのなら、事前にルックナー財務卿などから注意が行くはずだ。

「ブライヒレーダー辺境伯は、彼をご存知なのですか?」

「はい」

 法衣子爵で、能力的には凡庸。
 ただ、ブロワ辺境伯の妹を妻にしていて、その縁で外務委員に就任できた人物らしい。

「思いっきり、ブロワ家側の人間ですね」

「まあ、何の役にも立ちませんけど」

 マーラー外務委員は、別に王宮からの命令でこの交渉に参加したわけではないからだ。
 しかも、交渉の席でこちらを脅かすように王宮の名前を出している。

 潰すのは容易であった。

「というわけですが、シュティーリケ外務卿はブロワ辺境伯家側の肩を持ったという認識で宜しいでしょうか?」

『それは大きな誤解です。常時王都に詰める義務がある外務委員が勝手に紛争の裁定に乗り込んだ挙句、王国の名前を出して一方の肩を持つなど、絶対にあってはならない事なのですから』

 魔導携帯通信機は全ての閣僚が持っているし、俺はいつでもシュティーリケ外務卿と通話が可能だ。
 そういえば彼とは初めて話をしたのだが、こちらの訴えを受け入れる度量はあるようであった。

 あと、マーラー子爵の行動は独断であると断言している。

『私的に顔を出しているのに、公的な役職を名乗るなど。それ以前に、役職持ちなら誤解を招くので顔など出すべきではない。彼は委員に相応しく無い』

「その判断は外務卿閣下のご裁量の内ですので、私としては口を挟むつもりはございません。ただ、マーラー子爵の行動は常識を外れていると」

『十分に解任の理由になります。奴の御託など無視されても結構です』

 私的な理由で公職を名乗り、王国の名前も出し、他の役所の職務に手まで出している。
 しかも、貴族家同士の紛争で血縁がある片側に一方的に肩入れしているのだ。

 それがどんなに危険なのかを考えたら、彼の解任は当然とも言えた。
 可哀想に、もう彼は外務委員ではなくなる。
 どうやらシュティーリケ外務卿にとっては、マーラー子爵は特に惜しい人材でもなかったようだ。

 その解任を本人が知るのは、もう少し先かもしれないが。

「というわけで、シュティーリケ外務卿にはお世話になったから。チョコやフルーツなどを、適当に見繕って贈っておくようにとアルテリオさんに伝えくれ」

『承知しました』

 シュティーリケ外務卿との話を終えると、すぐにローデリヒと通信をして彼にお礼を贈るようにと頼んでいた。
 賄賂ではないが、お世話にはなったのでこういう事も必要というわけだ。

 もう一度言うが、決して賄賂ではない。

「素晴らしきは、人脈ですかね」

「ただ、あの子爵が失業しても、それが裁定の進展に繋がる補償もありませんよ」

 ブロワ家側からすると切り札であったマーラー子爵であったようだが、三日もすると姿が見えなくなっていた。
 どうやら、外務委員の職をクビになって裁定に顔を出すところではないようだ。

 なぜそれがわかったのかと言えば、事前に王宮から裁定の仲裁に入る特使を送ると連絡が入ったからだ。
 特使は、ベッカー内務卿の下で貴族籍の管理をしているクナップシュタイン子爵であった。

 年齢は三十歳ほどで、短めの頭髪を真ん中でピッチリと分けている、真面目なお役人といった風貌の人であった。
 どういうわけか、役職を世襲する貴族というのは代々似たような雰囲気や容姿を纏う人が多い。

 代々軍家系であるアームストロング伯爵家の人達など、その典型例であろう。

「特使のマテュー・オスカー・フォン・クナップシュタインです。念のため先に申しておきますが、私は片方に肩入れなどしません。あくまでも中立の立場で動きますので」

 最初に一言だけ挨拶をすると、もう静かに聞き役に徹してしまう。
 彼はここに来る前に、今回の紛争の経緯やら今の状況を調べて来ているそうだ。
 そして、その情報と過去の裁定案を参考に、自分なりの裁定案は持っている。

 だが、それを口にするのは、双方の交渉がなかなか纏まらない時だけらしい。
 出来れば当事者同士で解決してくれた方が、王宮側から裁定案を押し付けた格好にならず、丸く収まるからだそうだ。

「では、昨日の続きから……」

 そう口にする、ブライヒレーダー辺境伯の表情は冴えない。
 なぜならこの四日間、互いの条件に差があり過ぎて折り合いの糸口すら掴めないでいたからだ。

「身代金は別途交渉。紛争案件を戦前の状態に戻す和解金は、百万セントだ」

「何度同じ事を言わせるのですか? その和解金では、今回の紛争の食料代にもなっていませんよ」

「百一万セントだ」

「ふざけているのですか? 私としては、和解金無しでこちらが抑えている利権を全て認めるという条件でも構わないのですがね」

「ふざけるな!」

 やはりとしか言いようがなかった。
 双方の主張は、平行線を辿るばかりだ。

 ブロワ家側は、今回の失態で自らのプライドを保ちつつ、なるべく経済的な損失を負いたくないなどと虫の良い考えを持っている。
 一方のブライヒレーダー辺境伯は、そこまで強欲でもないようだ。
 彼からすれば、一方的な快勝とはいえあまり過分な金額を要求すると、向こうが意固地になると思っているらしい。
 味方の貴族達の手前あまり手心は加えられないが、早く解決して開発の協力に回った方が利益になると判断しているのであろう。

「和解金は五億セントです。これ以上は引けません」

 今回の紛争で余計な負担をした貴族達に、利権の分け前を戦前にまで戻す事を納得させる。
 そのためにはある程度の現金を渡す必要があり、それをブライヒレーダー辺境伯家が負担する義理もない。

 金が払えないなら、今の状況を容認せよ。

 立場のあるブライヒレーダー辺境伯としては、これでもギリギリの譲歩なのだ。

「そんな大金は払えん!」

 ブロワ家側で交渉を一手に引き受けている重臣は、声を荒げてその提案を否定していた。
 いくら地方の雄でも、その和解金を一括で払えるかは微妙なところなのであろう。

 今回は戦費も相応にかかっているし、間違いなく捕虜になった貴族達の身代金も負担しなければいけないのであろう。
 更に、この金を払っても未開地開発の利権には加われない。

 経済的には、もっと困窮する未来が予想された。

「バウマイスター伯爵はどう思います?」

「はあ。お互いの主張に違いがあり過ぎるので、このままだと何日経っても解決しなさそうですね。まあ、その分身代金の額も上がりますけど」

 身代金は、捕虜の管理費も上乗せするのが普通だ。
 なので、紛争が長引けば長引くほど負担が増えるのは当然ともいえた。

「私は若輩者なので、和解金の相場などは良くわからないのです。そこで、中立に立つ特使殿に指標となる案を出していただくのは如何でしょうか?」

「私がですか?」

「はい。念のために計算はされていると思いますが」

「そうですね。念のために、計算はしてあります」

 真面目な官僚タイプであるクナップシュタイン子爵は、やはり自分なりの裁定案を作って来ているようだ。

「ただ、こういう王宮側の裁定案はあまり採用された事はありませんよ」

「構いません。採用されなくても、指標にはなるでしょうから」

「そうですね。私も、参考にはしますよ」

「……。念のために聞いておこう」

 ブライヒレーダー辺境伯も、ブロワ家の重臣も、俺の提案を受け入れたようだ。
 というか、間違いなくブライヒレーダー辺境伯はその提案を受け入れる。

 なぜから、王宮はほぼエコヒイキせずに今の状況を客観的に見て裁定案を作るからだ。
 こちらが不利になる事などあり得ず、多少の和解金の減額があってもそれを受け入れる方が利がある。

 ブライヒレーダー辺境伯としては、多少の和解金の減額など開発利権ですぐに補えると思っているし、王宮側の裁定案に素直に従った事で王国に貸しも作れる。
 紛争当事者の貴族達に不満が出ても、それは少し利権を増やしてやれば解決可能だと思っているはずだ。

 更に、もしブロワ家側がその裁定案を受け入れない場合、彼らは王宮からも嫌われて孤立の度合いを深める事となる。

 どちらに転んでも、ブライヒレーダー辺境伯に損などないのだ。

「わかりました。試算した裁定案を発表します」

 とはいえ、条件はブライヒレーダー辺境伯が最初に出した物と差などない。
 唯一、和解金の額が四億セントに減額されただけだ。

「和解金の額が高過ぎる!」

「そうでしょうか?」

 ブロワ家側の抗議に、クナップシュタイン子爵は表情一つ変えないで首を傾げていた。

「あの和解金の根拠は?」

「根拠ですか?」

 クナップシュタイン子爵は、冷静な表情のまま和解金の内訳を話し始める。

「今回の紛争は、条文の無い慣習法とはいえ、ブロワ家側の貴族達による奇襲から始まったと聞いています。事前通告は法には記載されていませんが、長年の慣習となっております。よって、ブロワ家側は慣習破りの責を負うべきです。あとは……」

 クナップシュタイン子爵は、俺の方にわざとらしく視線を送っていた。

 慣習破りの奇襲に、俺を出兵させないための後方かく乱工作にと。
 当然王宮にはバレていて、それも裁定案がブロワ家側が不利になる理由となっていたようだ。

「捕虜に対する身代金については、王宮は関与しません。そちらで決まりに従って交渉してください。あと、紛争案件を戦前の状態に戻すための和解金ですが。ここまで負けているのですから、諦めて支払わないと全てを失うと思うのですが……」

 睨み合いだけなら双方兵を退けで済むが、もう実際に戦ってブロワ家側は全てを失っている状態だ。
 王宮側としては、和解金を支払えとしか言えないとナップシュタイン子爵は説明していた。

「とにかく、高過ぎます!」

「いきなり攻められ、一度利権を失いかけた当事者達が聞くと怒ると思いますよ」

 そもそも、戦前の状態に戻すというだけで不満が出て来る可能性があるのだ。
 それなりの和解金を支払わないと、納得するはずがなかった。

「それと、私としては一つ疑問があるのですが」

 クナップシュタイン子爵は、ブロワ家側に聞きたい事があるそうだ。

「何でしょうか?」

「裁定案が纏まったとして、誰がサインをするのですか?」

「それは当然、カルラ様である!」

 全く声質を変えないクナップシュタイン子爵の質問に、ブロワ家の重臣は何を当たり前の事をという口調で答えていた。

「カルラ殿のサインでは、その裁定案は履行されない可能性がありますよね?」

「しかし、カルラ様はブロワ辺境伯様の代理で……」

「そこがおかしいのです。今回の紛争ですが、片方の責任者であるブロワ辺境伯殿は一体何をしているのですか?」

 どうやら、クナップシュタイン子爵も俺達と同じような疑問を感じていたようだ。

「ブロワ辺境伯殿ご自身がサインをしないと、いくら合意に至っても裁定案など無意味です」

「いや……。しかし、その……」

「もし、ブロワ辺境伯殿が自らサインなど出来ないほどの重病なら、跡取りが代理としてサインをすれば宜しい」

 カルラの総大将代理は飾りとしてはギリギリ有効だが、裁定案を記した書類にサインをしても、それは公的には有効にならない。
 クナップシュタイン子爵は、まるで役所の職員のように貴族法の解説を始めていた。

「ご長男のフィリップ殿か、ご次男のクリストフ殿か。こちらにお来しいただいて、交渉に参加されるべきだと思いますが」

「それは、その……」

 まさか、ブロワ辺境迫が明日をも知れぬ重病で、死んだ時に傍にいないと残っている方に出し抜かれるとも言えず、口をモゴモゴさせながらうろたえた姿を曝していた。

「では、ブロワ辺境伯殿を」

「それも……」

「なら、この交渉はお話にもなりません。条件を詰めて調印を迎えても、それが効力を発揮しないのですから」

 クナップシュタイン子爵は呆れた表情を浮かべながら、今度はブライヒレーダー辺境伯へと標的を変える。

「早く裁定案を決めたいのはわかりますが、出ても無意味な物に時間をかけて意味があるのですか?」

「私としましては、ブロワ辺境伯は屋敷から外に出られず、今回の出兵もこの裁定協議も彼が後方から指示し、全権をカルラ殿や家臣の方々に委ねたと認識しています。裁定案が出れば、どなたか調印に姿を見せると。この会議は、予備会議扱いだという認識ですね」

「はあ……。やはり、そういうお考えですか」

 こちらが集めた情報によると、ブロワ辺境伯の容態はかなり悪い可能性が高い。
 擬態の可能性も考慮したが、ならばここまで戦況が悪化する前に前線に出て来なければおかしいわけで。

 長男のフィリップが後継者として優位に立つために支持が多い諸侯軍幹部達に兵を集めさせ、今回の紛争を起こさせたという予想で大筋の一致を見ていた。

 多分、父親であるブロワ辺境伯が不予なのを利用して、かなり強引に兵を出しているはずだ。
 成功すれば優位に立てるが、失敗すれば次男のクリストフと文官達の突き上げが厳しくなる。

 だから、裁定案で無理な条件を出してこちらを辟易とさせているのであろうと。

「条件のすり合わせはこのまま行って貰っても結構ですが、そろそろブロワ辺境伯家側は、誰が協定書にサインを行うのかを表明する必要があると思います」

 クナップシュタイン子爵の勧告にブロワ家側の人達は意気消沈してしまい、その日も碌に条件をすり合わせられないまま、その日の協議が終了するのであった。





「なぜ協定書にサインを行う人を決めるように言ったら、戦争になるのか理解できない。クナップシュタイン子爵の勧告には、彼らを挑発する何かが含まれていたとか?」

「ただ単に、追い込まれた故の暴走と言いますか……」

「ブライヒレーダー辺境伯が、追い込み過ぎたとか?」

「あれで追い込み過ぎたのなら、裁定などする意味がありませんよ」



 その日の夜中、俺は突然モーリッツに起こされていた。
 何でもブロワ辺境伯本軍に動きがあり、全軍に緊急対応指令が出たそうだ。
 モーリッツとトーマスに軍を整えるように命令を出してから、急ぎブライヒレーダー辺境伯の元に行くと、そこでは軍の指揮官達が厳しい表情で伝令達に指令を出して戦の準備を進めていた。

「数十年前の悪夢再びですか」

 魔法の袋から出した望遠鏡でブロワ辺境伯本軍の様子を探ると、彼らは大量の松明を炊きながら軍の隊列を整えていた。
 多分、それが終われば全軍で突撃を開始するのであろう。

「奇襲でなくて良かったですね」

「うちも向こうも、そこまでの練度はありませんから」

 音も立てず、火もほとんど炊かずに夜中に軍の隊列を整え、相手に気が付かれないように突撃を行い、同士討ちをしないようにする。
 この二百年で、そこまでの練度を持った軍はこの大陸から消えたそうだ。
 精鋭を訓練するにも維持するにも、とてつもないお金と手間がかかるからだ。

「その代わりに、今まで見えていなかった予備がいたようですね」

 後方にまだ軍勢を隠していたようで、ブロワ家本軍は合計で一万人ほどにまで増えているらしい。
 数が倍近くになったので、先制すれば勝てると思っているのであろう。

「その代わりに、とんでもない犠牲が出ますけど」

「私が昔に参加した紛争よりも、多くの人達が死にますね」

 俺に付いて来たクラウスですら、表情を暗くするような無謀な戦争である。
 もしここでブロワ辺境伯側が勝ったとしても、とんでもない禍根を残すはずだ。

 本当に戦争になってしまえば、もう王宮も介入を躊躇わないであろう。

「ブロワ家の連中、何を考えているんだ?」

「誤魔化す事でしょうか?」

 ブライヒレーダー辺境伯は、交渉で代表代理を務めていた諸侯軍の幹部が企んだのではないかと予想していた。

「貴族同士の戦争ですから、勝てば一定の評価は得られるかと」

「その前に、損害が多過ぎて総スカンになりますよ。まだ何もしない方が……」

「ですから、このまま何もしないと彼らは破滅なのです」

 どの程度長男フィリップの意向を受けて兵を出しているのかは知らないが、ボロ負けしたので不利な裁定案を受け入れる未来は避けられないであろう。
 そうなれば、軍を率いている彼らは揃って失脚である。

 なぜなら、後継者は次男クリストフに決定してしまうからだ。

 このまま何もしないで失脚するのなら、いくら犠牲が出ても万が一の可能性に賭ける。
 どうせ、死ぬのは他人なのだからと。
 随分と無責任な考え方であったが、人は特権を失いたく無いもの。
 陪臣でもブロワ辺境伯家ほどの大貴族だと、下手な法衣男爵などよりもよほど力を持っている。
 それを失ってしまうかどうかの瀬戸際なので、無理をした可能性は高かった。

「軍人って、そんなに血の気が多いんですか?」

「血の気というよりは、追い込まれたが故の無謀な強硬策ですかね?」

 先に奇襲をした挙句に、勝手に兵を出して紛争を招いたのに、それで負けそうになるとルールすら無視して本当の戦争を企む。
 恐ろしいほどに、自分勝手な連中であった。

「戦争は論外ですけど、私も今日はこちらで泊っているのですがね。巻き添えで死んでも構わないと思っているのでしょうか?」

 クナップシュタイン子爵も、困惑した表情を崩せないでいた。
 中立の特使なので、彼は双方の陣営に一日交代で宿泊をしていたからだ。

「クナップシュタイン子爵が殉職されると、もう少し自分達を贔屓してくれる特使に代わってくれると期待しているのでは?」

「面白い冗談ですね」

 クスリとも笑わずに、クナップシュタイン子爵は俺のジョークに反応していた。
 王宮から派遣された特使が巻き添えで戦死などすれば、それは王国すら敵に回してしまうからだ。

「それで、どうしましょうか?」

「攻撃を防ぎつつ、援軍待ちですね。もう援軍の要請は出してあります」

 今から撤退をしようにも、兵の練度の関係でそれは難しい。
 背中を見せたところを攻撃されれば、大敗は必至だからだ。
 一糸乱れぬ退却など不可能なので、防戦して援軍を待つしかなかった。

「ただ、私の指揮能力ですとねぇ……」

 こう言っては悪いが、ブライヒレーダー辺境伯は戦が上手ではない。
 後方支援などの軍政面は得意なのだが、軍の指揮能力が大分低いのだ。
 当然家臣頼りになるわけだが、数の関係で支えきれるかは微妙だと答えていた。

「なら、やるしかないですね」

 もし戦争になれば、うちの合計百人以下の諸侯軍などひと揉みにされてしまう可能性がある。
 女性も複数いるし、このまま蹂躙されるわけにはいかないのだ。

「魔法で吹き飛ばすのですか?」

「いえ、エリアスタンで戦闘不能にします」

「難しくないですか?」

 一万人もの広範囲に渡って押し寄せる敵軍を、エリアスタンで全軍戦闘不能にする。
 俺の魔力を全部使っても、まず不可能であろう。

「そこで、工夫するのです」

 時間が無いので、説明する時間が惜しい。
 なので、早速準備をしながら説明する事した。

 まずは、ブライヒレーダー辺境伯本軍の最前列から二十メートルほど前進し、草原にドカっと腰を下ろし座禅を組む。
 魔法の袋から、前の教訓を生かして準備していた魔晶石を全て取り出して両手に握れるだけ握り、残りは全て組んだ足の上に乗せる。

「魔力全開ってか」

「ブランタークさんも協力してください」

「そうだな。それしかないよな」

 ブランタークさんも俺のすぐ横で座禅を組み、やはり大量に準備していた魔晶石を両手に持ち、余った分を組んだ足の上に載せていた。

「それだけの量の魔晶石も用いて、広範囲のエリアスタンですか?」

 俺とブランタークさんの様子を見に来たカタリーナは、その無謀そうな作戦を知り、顔を引き攣らせていた。

「こうなったら、伯爵様の魔力の量に賭けるしかないな。俺は、自分で出来そうな範囲だけ担当な。名誉準男爵殿はどうする?」

「何を聞かれるのかと思えば。当然、参加いたしますわ」

 少し恐れもあったようだが、自分なりに計算して勝算有りと思ったのであろう。
 俺を挟んで、ブランタークさんの反対側に座禅を組んで座る。
 更に、自分の魔法の袋から大量の魔晶石を取り出していた。

「魔力のコントロールが難しいですわね」

「無理そうなら、辞退しても良いぞ」

「せっかく受けた特訓ですので、成果は確認したいですわ」

 広範囲にエリアスタンを発動させるわけだが、三人で被らないように範囲を分担する必要があるし、体内の魔力が一気に消費されるので、その補填を上手く意識してコントロールしないといけない。

 せっかく大量の魔晶石があるので、全部使い切るのが最大の目標であった。
 体内から魔力が完全に尽きれば気絶するので、その前に意識して次々と準備した魔晶石から魔力を吸収するのだ。

 もしコンマ一秒でも対応が遅れれば、魔晶石の魔力を吸い上げる前に気絶する。
 もしそうなれば、それほど広い範囲にエリアスタンがかけられない。

 前に出ている俺達は突撃する敵軍に押し潰されるであろうし、本格的な戦闘で死傷者も膨大に出るであろう。

「体内の魔力を細く長く搾って使うのではなく、体から一気に無くなるのを、なるべく素早く持っている魔晶石から次々に吸い上げるんだ」

 三人で持っている魔晶石の数は、合計で六十個ほど。
 ブランタークさんの計算によると、全ての魔力を気絶する前に全て使い切れれば、何とか大半を戦闘不能には出来るそうだ。

「担当は……」

 時間が無いので大雑把な説明であったが、ブランタークさんは端っこの十分の一ほどで、カタリーナも同じく端っこの五分の一ほど。
 最後に俺は、中心部の大半が担当になっていた。

「残念ながら、魔力の量の関係で俺とカタリーナの嬢ちゃんはこのくらいが限界なんだよ」

「ですわね。前の器合わせで私の魔力量も頭打ちですし」

 俺がしくじると、そのまま作戦の失敗に繋がる。
 もし二人が失敗しても、軍勢の数では上回れるので援軍が来るまで十分に持ちこたえられるからだ。

「出来れば三人共成功して、犠牲は減らしたいものですわ」 

「失敗したら、他から文句を言われようとヴェル達を担いで逃げるぞ」

 広域エリアスタンの準備を終えると、そこにエル、イーナ、エリーゼ、ヴィルマ、クラウスが姿を見せていた。

「そうね。こんな事になるなんて想定外だもの」

 イーナも、俺を担いで急ぎ小型魔道飛行船にまで逃げると宣言していた。

「カタリーナ。少し重そう……」

「ヴェンデリンさんと住むようになって少し太りましたけど、そこまで重くは無いですわ!」

 ヴィルマがカタリーナが重そうだと毒舌を吐き、それに彼女が反論していた。

「あの、ヴェンデリン様にいただいた指輪もありますので、『奇跡の光』が二回かけられます」

「なら、伯爵様と名誉準男爵様の回復を頼む。俺だけ担げば、負担も少ないだろう?」

 エリーゼには、魔力も半分だけ回復できる『奇跡の光』がある。
 これを使えば、もしかすると二撃目も可能かもしれない。
 駄目なら、逃げるという選択肢も選べるわけだ。

「ブランターク様を抱える。オヤジ臭い……」

「嘘だぁ! 俺にはまだ、加齢臭とか無いぞ!」

 残念ながら、ヴェルマの言う事に嘘はなかった。
 ブランタークさんももう五十歳超えで、どうしてもそういう物からは避けられなかったのだ。
 いくら香水で誤魔化しても、ヴィルマの鋭い嗅覚は誤魔化せなかった。

「嬢ちゃん達! 俺は、まだそういう臭いはしないよな?」

「ええと……」

「何と言いますか……」

「交渉に来ていた、ブロワ家の重臣の方ほどは……」

「ぬあぁーーー! あんな豚と一緒にするなぁーーー!」

 全ての女性陣に加齢臭があると認定されたブランタークさんは、まるで戦いの前に士気を上げるためだと言わんばかりにその場で絶叫していた。

「そろそろ、来ますけど」

「よしっ! あの豚は捕らえてやる!」

 完全に八つ当たりのような気もするが、クラウスの指摘通りに前方数百メートル手前から地響きが鳴り響いていた。
 馬に乗った騎士達や駆け足の歩兵達が、こちらを蹂躙しようと突撃していたからだ。

「本気で戦をしてどうするんだか」

「勝てば何とかなると思っているのでしょうな」

 一応大貴族の重臣達なのに、追い詰められて思考がヴァルターやカールと大差が無くなっているらしい。

「広範囲エリアスタンの発動は、距離が百メートル以内になってからだ」

 恐ろしいほどの地響きが徐々に増すなか、俺達は魔法をかけるタイミングを探っていた。
 数秒後、敵軍から大量の弓が飛んできてこちらにも迫って来るが、それはエル達が剣や槍で上手く弾いているようだ。

「ちょっ! 演習用の矢じゃねえぞ!」

「本気で、私達を殲滅するつもりなのね……」

 更にルールを無視して、連中は本物の武器を使用していた。
 もうこうなると、完全に箍が外れているとしか言いようがない。
 当然、味方側からも大量に矢が放たれ、当たって落馬している騎士もいるようだ。

「坊主! 嬢ちゃん!」

「行くぞ!」

「エリアスタン!」

 俺達はそれぞれに分担したエリアに向けて、エリアスタンの魔法を発動させる。
 広大な範囲を指定しているので、自分でもわかるほどに魔力が消耗していく。
 急ぎ、意識して持っている魔晶石から魔力を吸い上げていく。
 一つ、二つ、三つと魔晶石が瞬時に空となり、最後の一つが空になった瞬間、五十メートル前まで迫っていた敵軍が一斉に地面に将棋倒しとなった。
 騎士などは馬ごとその場に倒れ、歩兵なども同様なようだ。

「上手くいったか?」

 だが、今の俺には確認不可能であった。
 ブランタークさんとカタリーナも同じで、二人は既に完全に魔力が切れてその場で意識を失っていた。

「(あとは……)」

 『頼む』と言い切る前に、俺はそのまま完全に意識を失ってしまうのであった。
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