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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
カナミ;ゴー・イースト
76/134

076



◆08




 旅は順調だった。

 テケリの廃墟を脱出したレオナルド達は、アオルソイの大地を進む。

 目的地は大地の果てるところ、極東、日本。

 しかし、闇雲に東へと進むことは出来なかった。

 一口に荒野の国とは言っても、ユーレッド中西部は起伏に富んでいる。大地そのものが高地であるのだが、その標高の高い荒れ地のあちこちには、山地が数百も走っているのだ。

 もちろん、それら山脈は、たとえて言うならば、大地というハンカチに走るしわのような規模に過ぎない。ユーレッドの広大さに比すればたいした高さでは無かっただろう。

 しかし、その大地に張り付くように進む四人と一頭にとってはそうではなかった。視界の中に次から次へと現れる屏風のような山脈は、それぞれが数千キロメートル級の高さを誇っているのだ。

 余りにも大地が広大なために、どうも感覚が麻痺して、ひょいと越えて行けそうに思える。それほどに、遮るもののない大空は広い。

 北方には地球有数の高山地帯である、天山山脈が存在するはずである。〈エルダー・テイル〉においてシャンマイと呼ばれるこの地は、ドラゴン種モンスターの生息地帯として知られ、未だ人跡未踏の大地であるはずだった。

 初心者プレイヤーは意外に思うことが多いのだが、〈ハーフガイア・プロジェクト〉を採用した〈エルダー・テイル〉において人跡未踏である地域は、さほど珍しくない。

 十二倍の時間加速があり、地球のサイズが半分であったとしても、この大地は広大だ。さらに言えば、地球人口に比べて、〈エルダー・テイル〉のプレイヤー

数などたかが知れている。確かに二十年の歴史を誇る超級MMOではあるが、その人口は全サーバー合わせても累計七千万人ほどでしかない。

 世界の全てを探索するのは夢また夢だ。

 〈エルダー・テイル〉の一般的なプレイとはどんなものか。

 それは、通常、それぞれが根城にしているプレイヤータウンにおいてその日遊ぶメンバーとパーティーを組む。もしくは一人で遊ぶ場合は買い物などの準備を行なう。そして〈妖精の輪〉を使って、目的地のダンジョンやフィールドゾーンまで移動。目的のゾーンに到着したならば、冒険や戦闘を行なう、という流れが一般的だ。

 そうやって遊ぶかぎり、〈妖精の輪〉ネットワークから外れている場所は、自然と未開の地になってしまうわけだ。これは仕方ない構造でもあるし、逆にこのようにしているからこそ、未開の地の探索や新規コンテンツの導入がロマンたり得るのである。

 拡張パックの導入というのは、今まで未開であった場所に、街やダンジョン、魅力的なフィールドゾーンをデザインし、モンスターや宝物などを配置、さらにはクエストという形で物語を設定し、そこに〈妖精の輪〉を用いて冒険者達を案内する。

 それはある種のニュータウン開発を地球規模で行なうようなプロジェクトだとも言える。

 このアオルソイは、人口密度が低い。

 それはつまりプレイヤー人口が少なく収益性が低いことだ。他の地域が過密になってくれば開発の手が伸びるだろうが、いま現在は、まさに枯れた荒野が広がっているばかりだ。


 その荒野を馬に乗った四人が進んで行く。

 レオナルド、エリアス、コッペリアはそれぞれが召喚した戦馬にまたがり、カナミはKRが〈幻獣憑依〉(ソウル・ポゼッション)した〈白澤〉(はくたく)へとまたがっていた。

 午前の日差しは、ただキラキラと四人と大地に等しく降り注いでいる。

 一口に荒野と言っても、表情が平坦なわけではない。彼らの足下は、灰色にくすんだ崩れやすい砂岩質の大地だが、五百メートルほど左手の切り立った崖からは、眼下遙か下方にS字型に蛇行する大河が見える。

 河の太さはざっと五百メートル以上あるだろうか。枯れ果てた大地ではあるが、その河が削り混んだような両脇にだけは、鮮やかな針葉樹が深い森を形成していた。

 その森の緑と、天を写す大河の青が、目に染みいるように鮮やかだ。

 一行は、その大河を見下ろす高台を、おおざっぱに言って南へと進んでいる。理由は幾つかあったが、山脈を越えるのが難しいと言うこと、東に行くにしても騎乗したまま通れるような街道を探さなくては効率が悪いなどがあった。

 また、大河沿いに南下を続ける限り、万が一食料が底をついたとしても、何らかの生物を狩猟できるという計算もある。尋ねてみると、カナミは生産職として〈料理人〉を選択しているらしく、いざという時は頼れそうな話であった。


「このまま南下すれば村がひとつあるよ」

「物知りだねぇ、KR(ケイアール)は」

 白馬に似た三つ目の幻獣〈白澤〉へと憑依している〈冒険者〉は、背中のカナミに話しかけた。もっとも、その声の大きさから、周囲の仲間たちにも同時へ伝えたのは明白だ。

 カナミという女性は、天性のリーダーシップというか、周囲を巻き込む陽気なカリスマを持っている。我が儘ではあるが、それを無理強いしようとする陰湿さや、その我が儘で私欲を満たそうという強欲さは欠片も見て取れない。万人向きとはいえないが、憎めない性格だ。

 しかし、カリスマを認めるのと敬意は別であるらしい。

 古馴染みであるというKRは、カナミのリーダーシップを認めながらも、地理感覚や、周辺の知識はまったくと言って良いほどあてにしていないようだった。ほとんど独断とも言える態度で荒野を進んでいく。

 カナミの方は、鷹揚な態度でそれを受け入れて何の問題も感じていないようだ。そんな関係をみてみると、彼女の器量だけはたいしたものだと思う。

「村、デすか?」

「そうだねぇ。本当は街でもいーんだけどさ」

「どういうことなんだい? KR殿」

 そのエリアスの質問に、KRは言葉を止めて、そのまま歩を進めた。無視をしたと言うよりは、どう答えるべきか考えている風だった。

 それもそうだろう。

 エリアスとカナミは親しそうだし、コッペリアが合流したときには、すでに二人旅をしていたらしい。しかし、エリアスは〈古来種〉だ。地球の人間ではない。〈エルダー・テイル〉のゲーム的な都合の部分を説明しても良いのか、それともまだ秘密なのかは、判断が難しい。

 先日のキャンプ以降、拡張パックについてレオナルド達は話してしまっているが、エリアスはそれをどうやら、世界そのものに影響を与えるほど巨大な儀式魔術だと理解しているようだ。その理解はある一面――この世界に影響を与えるという点では正しいが、この世界以外、地球に存在するゲーム開発会社によってこの世界が創造されたという点では、的外れである。この世界を作ったのはプログラム・コードであって魔術ではないとレオナルドはため息をついた。

 ユーレッド中央部、このアオルソイ近辺は、いまだゲームのコンテンツとして開発が十分ではない地域だ。地形は、衛星写真とレーザー計測からの自動作成物だし、植物や岩などは、プログラムによるフラクタクル配置のオブジェクトである。

 それと同様に、今から向かう『村』も、『村落自動生成プログラム』により、一定の乱数を元に自動的に作成された、何の特徴もない村のはずだ。


 現実の地球には、河川や地勢の条件から、村落が作られる。そして村落は道路で結ばれ、条件が良ければ、街や都市になるまで肥大して行く。

 〈エルダー・テイル〉の世界は地球をモデルに設計されているが、架空の歴史はあっても、実際の進歩発展を経たわけではない。そのため、現実の地球において一定規模の街があった場所には、居住地が作られるという手法で村落の発展をおおざっぱにシミュレートしているのだ。

 大都市であれば、それは最初からゲームデザイナーが手がけて、特徴溢れる居住地として個別のモデリングがなされる。特にプレイヤータウンと呼ばれるゲームを開始する地点の都市は、凝った建物や景観が作られて、多数の〈大地人〉や施設が設置される。

 中規模の都市は、主に〈大地人〉居住用の街だ。しかし、〈冒険者〉が訪れたときのために、幾つもの店舗や、クエストを進めるための、特別な会話データを持たせられた〈大地人〉が配置されている。


 しかし、よりさらに小さい村落は『村落自動生成プログラム』により作成されるのだ。

 レオナルドはただのプレイヤーなので、ゲーム情報サイトによるインタビュー記事くらいでしか、開発体制に関する知識はない。しかしその記憶によれば、街の位置と大きさ、人数を決めれば、後は実際の地形に応じて木造の家を配置し、適当な〈大地人〉を住まわせ、付近の景観を畑などで装飾する。つまりは、特徴はないが、「それらしい雰囲気の村」が作られる、そんなデザイン補助プログラムが『村落自動生成プログラム』だった。

「周囲の河の交通や、道路や、交易の規模から言えば、本来、市か街であってもおかしくない場所だが、今は村でしかない……。そんな意味の話だよ、エリアスさん」

 レオナルドはそう言葉を継ぐ。

 この数日で、レオナルドはパーティーの面々とそれなりの友好関係を築いていた。カナミは気を使わない性格だし、コッペリアは万事控えめで、好感の持てる少女だ。

 エリアスは、妖精族と人間の間に生まれた英雄という、何というか非常にコメントしづらいものではあるが、性格自体はさっぱりした、付き合いやすい人物である。時たま混じる誇大妄想じみた(実際に実行できる魔力があるので一概に妄想とは言えない)発言に注意さえすれば、旅の道連れとしては、悪くない相手だった。


「前方に、村落とおぼしき影を感知しました」

 メイド服を着た小柄な影が、横座りで巧みに乗馬をこなしたまま、はるか先の一点を指し示した。

 透き通った玻璃のような青空に、まるで白い糸のような煮炊きの煙が幾筋か上がっているのが見える。

 たとえ自動生成で作られた村であろうと、当面必要な食糧などの補給物資を得ることくらいは出来るだろう。また、尋ねれば、付近の交通状況や、街道の整備具合を知ることが可能かもしれない。

 東へと進むためには、結局沙漠越えが必要なのかどうかも現状では判らない。情報を手に入れる必要があるというのが、気楽なカナミは別として、パーティーの一致した意見だった。

「そう、あれだ。あれが探していた村、セケックだよ」

 KRののんびりとした声が聞こえた。




◆09




 セケックは何の変哲もない〈大地人〉による村だった。

 当たり前の話である。プログラムによるランダム生成の思想から言って、変哲があっては困るのだ。その地形に合わせたなりの「普通」こそがむしろその意図にかなっている。

 おそらくサーバーや地方ごとに、おおざっぱなデータやモデルは登録されているのだろう。埃っぽい村の家々は、日干し煉瓦や、節くれ立った木材で作られていて、如何にも荒野に立てられた、遊羊の民らしい作りであった。

 村の入り口には井戸があり、それだけは暗い灰色の石できっちりと組んである。そののほとりに立つ広葉樹が、秋の始まりの日差しに、黒々とした影を落としていた。



 家の数は、三十やそこらだろうか。

 村人達はほとんどが家の中にいるか、付近の狭い畑に出ているか、びっくりするほど多数のの羊を追って荒野から帰ってくる途中である。見回せば視界に収められる程度の小さな村落。ニューヨークでいえば街路の1ブロック程度の人口。それがこの荒野に浮かぶ泡のすべてであるらしかった。

 レオナルド達一行が村の中心部を走る道を進んでいくと、〈大地人〉達は道をあけた。警戒している様子はあるが、恐れている様子はない。おそらく〈冒険者〉に直接面識はなかったとしても、噂くらいは聞いているのだろうとレオナルドは考えた。

 レオナルドも、あの最悪の罠があったテケリの廃墟にたどり着くまで、このアオルソイの大地を一人で旅をしたものだ。ビッグアップルでの経験から、同業者の集団は避けてきたが、〈大地人〉の村には幾つか立ち寄った。食料と油などの必需品が目当てだ。

 その経験からしても、この村での〈大地人〉の反応は順当なものだった。

「ねー! ご飯売ってるところある?」

 レオナルドの前方を進んでいたカナミは、明るい声で〈大地人〉の男性に尋ねた。頭部に四角い帽子をかぶった中年の男性は、その声に面食らった表情をしていたが、少し考えて言葉を返す。

「料理を食わせる所なんかは無いな。小さな村だから。しかし、旅の食料なら、ヤグドのところで分けてもらえると思う」

「ヤグド?」

「村長だ」

 その短い会話で、この村には独立した商店がないことが判った。

 人口が三百人もいないような村ならばそんなものだろう。外からの交易品は旅商人で十分だ。レオナルドが今まで立ち寄ってきた似たような村もそのような規模だった。

「そっか、ありがとうね!」

 礼の必要はない、と告げた中年の村人は、家へと戻っていった。

 辺りの〈大地人〉達も、畑の世話や水汲みなど、自分の仕事に三々五々に戻って行く。おそらく、〈冒険者〉が珍しかったのだろう。その目的が、どうやら旅の途中の補給らしいと判って、好奇心が満足したらしい。


 どこの村でも同じなんだな。

 レオナルドはそう思った。

 まあ、それはましな認識だった。ビッグアップルの〈大地人〉より、こちらの方がよほど良い。あちらの顔に浮かんでいたのは絶望と虚無でしかなかった。それであればこの村のように警戒の表情の方がずっとマシだ。荒野の村ではよく見られるものでもあったし、レオナルドが彼らの立場でもそんな気持ちになるだろう。


(そういえば、僕はアオルソイで旅を続けてきたけど)

「なぁ、カナミとエリアスはどこから来たんだ? 今までもずっと馬で旅をしてきたのか?」

 気になって声を掛けてみる。

「そうだよ。まぁ、アルスターからこっち、一緒だよね」

「アルスターってなんだ?」

「ブリテン」

「イギリスにも行ったのか。でも、じゃ、ヴィア・デ・フルールっていうのは」

「コッペリアと出会ったのは、パリのあたりだったよ。その前は、欧州をぐるっと回ってたんだ。あたし。色々知りたいことがあったから」

 〈白澤〉(はくたく)から降りてマジック・バッグをかき回しているカナミは、上の空で答える。それを察したのだろうか、同じく馬から降りてその首筋を撫でていたエリアスが助け船を出してきた。

「カナミ殿とは、ロンデニウム郊外で合流してな」

「そうなのか」

 レオナルドも馬から降りた。

 この辺りは、伝統的に遊牧民が暮らす土地だ。〈大地人〉は子供でさえ、器用に馬を操る。しかし村の中心部に馬でのりつけるのは不作法にあたるかもしれないと考えたのだ。

 まごまごしているコッペリアに手を貸してやる。

 予想外に重い。一見メイド服に見える重装甲のせいらしい。

 とはいえ、〈冒険者〉になって強化されたレオナルドの腕力にとって、それは何程の負荷でもない。この世界のレオナルドは、家に籠もってサーバーやECサイトのメンテナンスを請け負う、ITワーカーのギーグではない。不屈のニンジャ・ヒーローなのだ。

「欧州を回っていたと言ったよな。そのぅ……欧州は、どうなんだ?」

 レオナルドは尋ねた。

 故郷である北米のことを考えると、声に躊躇いが出てしまった。エリアスはそれに気が付いたのか、気が付かなかったのか、太い息を吐くと遠くを見つめた。

 その先にあるのは、西の大空。

 青い空をゆっくりと太陽が進んで行く、その先にあるのはヨーロッパ連合だ。

「欧州か。耳慣れない言葉だが、西端ユーレッドも、おそらくレオナルド殿の想像する通りだな」

 エリアスは馬のくつわを取り歩きながら続ける。


「リドルーツの沿岸部や、七女王国は、閉鎖してる」

「閉鎖――?」

「独立都市だな。都市国家とでも言うべきか。それらはいずれも〈冒険者〉の集団を騎士団のように抱え込み、他の都市に対して備えると共に、自らの身を守っている」

「戦争でもあるのか?」

「いや、一概にそう言う訳じゃない。しかし、世界は過酷だ。放置しておけばモンスターの勢力は拡大し、人々を襲い始める。王侯や貴族は、自らの住む都市を要塞化して、そこに立てこもることを選んだのさ。一部の善良な支配者達は、領内の治安と防衛につとめているが、防壁や兵を持たない、多くの小規模な町や村は、見捨てられている」

「どういう意味だ?」

「文字通りさ。モンスターが襲ってきても、助けは来ない。少なくとも、領主の兵は助けに行かない」

「なんでさ? 自分らの領地だろうに?」

「助けにいった隙に、自分たちの本拠地が襲われたらより多くの領民が被害にあう、と言うのがその主張だ」

 エリアスの表情は嫌悪に歪んでいた。

「モンスターから身を守るために、〈冒険者〉を身近に集める。しかし〈冒険者〉を身近に集める都市があれば、周辺都市は侵攻を警戒してしまうだろう? だから防御力として、自らも〈冒険者〉のギルドと契約し、都市防衛の任務につかせなくてはならない。軍備競争だ」

 レオナルドの脳裏には、ありありとその光景が浮かぶ。

 この混沌とした世界では、いかにもおきそうな話だった。

「七女王国や、ガリアン武国では、〈大地人〉の連合はもはや有名無実となってしまった。伝統あるアルスター騎士剣同盟も瓦解だ。城塞都市は、いまやどれだけ強力で高名な〈冒険者〉ギルドと契約出来るかを競っている。有力な〈冒険者〉ギルドを雇うことの出来た都市は、その安全度を喧伝し、付近の農民や商人への影響力を強めるんだ。教会勢力も〈冒険者〉にすり寄っているために、契約金はうなぎ登りだ」

 おそらく、ここで言う〈冒険者〉の有力ギルドとは、大規模戦闘を行なうような、大手ギルドをさすのだろう。その規模のギルドは、レギオンレイド――九十六人規模の作戦単位を結成出来る。

 冒険者が百人弱から集まって編成されるこの単位は、〈エルダー・テイル〉におけるもっとも強力な軍事部隊と言えるだろう。

 もちろん、〈大地人〉はこれ以上の人数の軍を招集することも出来るだろうが、個々の戦闘能力に優れ、念話機能で意思疎通する〈冒険者〉の部隊は、九十六人で〈大地人〉数千人以上の戦闘能力を持つはずだ。


「だが、その契約金を支払うための金は領民から吸い上げることになる。〈大災害〉に対応しようとする貴族や領主達は、あちこちで重税を掛けては財政を破綻させているよ。暴動が起きたりとひどいものだ。中には、〈冒険者〉に権益や現物で支払う契約を望む領主も居る」

「現物――?」

「聞かないでくれ。口にするのも嫌なのだ。引き受ける方も、引き受ける方だと、私は思うがね」

「それでも」

 呟くような声が聞こえてレオナルドは振り向く。

 それはコッペリアだった。

 彼女は表情を見せないままで馬の手綱を握りしめ、言葉を続ける。

「都市部の生活は、荒野や辺境のそれよりも、安全だと、コッペリアは言いマス。農村生活の危険度は、前年比一五〇〇%に達しました。巡回する〈冒険者〉と、未達クエストの影響デス」

 掛ける言葉を失ったレオナルドとエリアスにコッペリアは続ける。

「ロマルネスでは、〈腐食屍鬼〉(ポイズングール)が発生しました。伝染性の病にも似た『死』が地方部在住の〈大地人〉に広がっていマス。コッペリアはロマルネスの塩の大地で五千六百二十九体の〈腐食屍鬼〉を討伐しましたが、状況に変化はありません」

「何でそんなに? 一人で?」

「私とカナミ殿が通りかかったとき、コッペリア殿は一人で戦闘をしていた」

「……」

 コッペリアは何でもないことのように頷いた。

 藍色のショートカットの上で、純白のプリムが揺れている。話した内容は、コッペリアにとっては何でもないことなのだろうか。特にどうと言った表情も浮かべないままに、少女は淡々と続ける。

「コッペリアが戦闘を行なっていた緑の平野には、丁度ここと似たような村がありましタ。どこにでもあるような、取り立てて特徴のない村デス。その村には、特徴のない住民が住んでおり、その数は四百五十九人でした。その村は、〈冒険者〉にとって都合の良いことに、武具の修理が可能な〈鍛冶師〉が存在しました。食料店も存在しました。どちらも〈大地人〉であり、年齢、性別を含め、取り立てて特記すべき項目はありません」

 レオナルドはコッペリアの声に耳を澄ませた。

「コッペリアにとってその村は、利便性の高い拠点でした。コッペリアは付近のターゲットを狩るために巡回をしましたが、たびたびその村に戻り、装備を修理し、時にアイテムを補充しましタ。コッペリアが七回目にその村に訪れたとき、村の住人は一名増えました。取り立てて特徴のない〈大地人〉の幼児が追加されたのです。コッペリアは村の住人に祝福を頼まれましタ。〈施療神官〉はなんらかの善に属する能力を持っていると、村の人々は、コッペリアに期待しているようでしタ。コッペリアは祝福の方法を知りませんでしタ」

 それは奇妙に胸に迫る話だった。

「コッペリアは“治癒をご所望デスか?”と尋ねました。村の人々は良く理解していないようでしタ。コッペリアはレベル八十五の〈太陽の韻字〉(シンボル・オブ・サン)を使用しました。村人は無知なためにそのエフェクトを奇跡だと信じたようでしタ。コッペリアに多くの感謝の言葉をかけました。コッペリアは他者に希望を尋ねることを学びました。それは役に立つ知見でしタ」

 コッペリアは何かを思い出すように遠くを見つめた。

 しかし、レオナルドにはその捜し物が見つかったようには見えなかった。

「コッペリアが九回目にその村に立ち寄ったとき、村の人口はゼロになっていました。村には数十体の〈腐食屍鬼〉が残っていました。コッペリアはターゲットを殲滅し、さらに平原に移動して、戦闘行為を続行しました。ターゲットの数は多く、コッペリアは対象に不足しませんでしタ。武器が破損し、修理すべき拠点がないのは不便でしたが、狩りの結果は順調でした。コッペリアはオーダーに完全に従いました。マスターとの邂逅がなければ、コッペリアはいまでも先行オーダーを遂行し続けていたでしょう」

 レオナルドは、コッペリアがどんな気持ちでそんな話をしているのかはよく判らなかった。ただ、コッペリアは淡々と報告をしただけだった。


「コッペリアは――」

 レオナルドが、何を言って良いか判らぬままに声を掛けようとしたその時、前方方向、紹介された村長の家よりはるか先で、大きな破壊音と共に土煙が上がった。騒ぎには悲鳴も含まれている。

「エリアス!」

「ああ、レオナルド殿。カナミがいないっ。ちっ。また突っ込んでいったな!?」

 レオナルドとエリアスは、騒ぎへ向かって一直線へ駆け出したのだった。




◆10






 セケックは荒野に作られた小さな村である。

 当然その大通りは2キロメートルもない。〈冒険者〉の脚力で疾走したエリアスとレオナルドは、ほとんど瞬間的に土煙の現場へと到着した。

「ちょっとたんまーっ!?」

 そのレオナルドに吹き飛んできたのはカナミだった。一瞬避けようかな、と考えたレオナルドだったが、いくら口が悪いとは言え、カナミは女性だと思い直して、抱き留める。しかし、まるでダンプにでもはね飛ばされてきたようなカナミを横抱きにすると、レオナルドはすかさず脇に投げ捨てた。

「なにするのよっ! けろナルドぅ!」

「大丈夫だ、勢いさえ殺せば怪我なんかしない」

 レオナルドはそのまま刀を構えて前方の納屋とも厩とも着かぬ建物をにらみつける。なぜそんな曖昧な表現となったかと言えば、その建築物が、もはや廃屋と言っても良いほどに壊れていたからだ。

 巨大な力を持つ何者かが暴れ、柱をへし折り、壁をぶち抜き、その暴力でもってカナミをはね飛ばしたのだ。

 レオナルドの隣では、エリアスが同じように緊張した面持ちで、透き通った両手剣を構えて居るのが見えた。

「カナミどの、何が居るんだ」

「男の子っぽい?」

「え?」

「男の子に見えた」

 問答はそれ以上続かなかった。

 目前の納屋が轟音を立てて倒壊する。その土煙の中から何かが飛び出してきて、エリアスに正面から激突した。余りの騒ぎに飛び出してきて遠巻きにしている〈大地人〉から悲鳴が上がる。


 エリアスがその剣で受け止めたのは、一人の少年だった。

 何の変哲もない、この村にいる子供と変わらない服装、背格好。だがその表情は狂気に歪み、獣のような姿勢でエリアスの振り下ろした剣を、噛みつきと両手で受け止めている。

 驚愕に固まってしまったエリアスの隙をつき、自ら体勢を崩した少年は、黒い疾風じみた素早さでエリアスの懐に飛び込んだ。

 一瞬の交差で、エリアスの着込んだ純白のコートが大きく裂ける。

 光沢のあるその衣装は栄誉ある赤枝の騎士団所属、エリアスのトレードマークとも言えるものだ。一見、滑らかな布地に見えるが、防刃性能に優れ、中途半端な金属鎧よりも防御能力が高い。

 しかし、そのコートをあっさりと切り裂いた少年は、長く伸びた爪をぺろりとなめ上げた。

 エリアスの胸部には、切り裂かれた衣服の奥に、うっすらと傷が見えている。

「エリエリ、平気っ?」

「問題無い。カナミ殿。それよりあの少年は――」

 会話する隙も与えずに少年は再びエリアスに飛びかかる。まさに獣の速度だ。低くかがんだ姿勢は、二足歩行のそれではない。四足獣のものだった。荒れ果てた大地を足で掴んででもいるかのように、幻惑の方向転換を繰り返す黒影は、予想もつかぬ角度からエリアスへと襲いかかる。

「ダメっ!!」

 カナミの声にエリアスは刃を返す。

 透き通った両手剣は、途中までの軌跡を乱し、まるで巨大な棍棒のように振り抜かれた。そのスイングに少年は飛び退るが、当然傷を与えられるような攻撃ではなかったために、堪えた様子はない。

「けろナルド……」

「判ってる」

 失礼なあだ名での呼びかけにも構わずに、レオナルドはカナミの言いたいことを察する。

 少年のステータス。

 名前はセジン。レベルは三十四。

 そして、その職業は〈灰斑犬鬼〉(ノール)

 あり得ないことだった。

 〈灰斑犬鬼〉とは邪悪なモンスターの一種だ。犬に似た頭部と小さく丸い耳を持つ邪悪な種族である。ハイエナに似た習性を保ち、集団で狩りを行なう。

 知能も高く、革製の鎧や、片手用の武器も使用する。通常時は二足歩行をするが、長距離移動時や、戦闘時には四足移動も行なう、亜人間と呼ばれる類のモンスターである。


 〈エルダー・テイル〉の世界には、こういったモンスターも多く確認されている。〈緑小鬼〉(ゴブリン)〈醜豚鬼〉(オーク)〈蜥蜴人〉(リザードマン)等が有名だが、その他にも〈爪熊鬼〉(バグベア)〈小牙竜鬼〉(コボルド)等――いずれもコミュニティを形成し集団で〈冒険者〉を脅かす手強い敵だ。〈灰斑犬鬼〉もまた、中レベルの冒険者達が遭遇する障害のひとつなのである。


 当然レオナルドも戦ったことがある古馴染みだが〈灰斑犬鬼〉は断じてこんな姿ではない。全身毛むくじゃらで、灰色とも茶色ともつかぬような不吉なまだら模様をもち、まるで月をはめ込んだかのように黄色に輝く瞳をしていたはずだ。

 断じて〈大地人〉の姿はしていないし、その姿を偽装できるわけもない。

 何より決定的なことに、その少年、セジンのステータス欄は明滅していた。〈灰斑犬鬼〉と言う職業は明滅を繰り返しながら〈開拓民〉と交互に表示され、レベルは三十四と二の間を波打つように行き交っている。

「どうなってるんだ、レオナルド殿っ!?」

「倒しちゃダメだっ」

 エリアスの問いにレオナルドは叫び返す。

 しかし、レオナルド自身にもどうすればよいかなんて判ってはいなかった。

 三十四レベルというのは、たいした強さではない。

 不意を突かれて攪乱をされたからこそエリアスは二回の攻撃を受けてしまったが、倒すという決意さえ出来れば撃破するのは難しくない。

 エリアスはその特性上とどめを刺せないのかもしれないが、それでも行動不能に追い込むくらいのことは出来るだろう。


 レオナルドだって、数回攻撃すれば絶命させることが出来ると確信している。素早い動きでさえ、土煙が晴れてきたいま目視できないほどではない。

 問題はそこではないのだ。

「こいつ、何なんだっ」

「けろナルド判らないのっ?」

「判らないよ。じゃ、カナミは判ってるのか?」

「判ってたら聞かないっってばぁ!!」

 役に立たないカナミを放置して、レオナルドは少年に向かって走った。野生の警戒心だろうか、レオナルドの接近を嫌うように五メートルも飛び退る少年。しかし、レオナルドの身体能力は、もはや彼の動きを完全に補足している。

 余裕を持ってその軌道に合わせるレオナルドは、跳躍の途中で双刀を抜き放った。

「ダメだよっ! レオナルドっ!」

「馬鹿なことをっ。こいつは敵だっ。このままじゃ、被害者が出るだろっ!」

 レオナルドは身体のしなりを利用して、左手の刀で少年の胴体を薙ぐ。最も大きな目標に、小細工無しの一撃だった。どう(かわ)そうと当たらずには済まさせない。必殺でこそ無いものの、鋭い気合いを込めた一撃は、少年――セジンに大きなダメージを与えるはずだった。

「ギシャァッ!!」

 獣じみた叫びを上げた少年は、そのレオナルドの刀を避けなかった。むしろ、右掌を刀の軌跡に垂直にぶつけてくる。レオナルドが制動をかけるいとまもなく、少年の掌に刃は食い込み、両断し、そのままに腕を、肘を、二の腕さえも切り裂いて行く。

 刀は肩口に達するところで止まったが、少年はもはや二本の腕を持つイキモノではなかった。役に立たなくなったぼろぼろのゴムチューブのような紐を、右肩から二本垂らした獣だ。

「ギシャッシャッシャッシャ」

 口から血液の混じったよだれをごぶごぶと垂らし、荒い呼吸を繰り返すその姿は〈大地人〉とはもう呼べなかった。

 集まってきた村人達も、痛ましい悲鳴を上げて目を背ける。

 この少年がこの村落の出身者なのか、それとも侵入者なのか、現時点でそれを判断する材料はなかった。それは幸いだっただろう。もしこの場に少年の母親が居たとしたら、心に消えない傷を負ってしまいそうな、それはおぞましい光景だった。


(動きを、止める……)

 レオナルドは覚悟を決めた。

 先ほどの一撃も決して手を抜いていたわけではないが、本気の一撃にはほど遠かった。次の一撃で運動神経を飽和させる。麻痺攻撃〈パラライジング・ブロウ〉だ。もしそれで止まらない場合には〈スイーパー〉の使用さえも躊躇わない。

 その意志を固めたレオナルドは、セジンの奇襲にも驚くことはなかった。冷静にバックステップし、その腹部に突き放すような前蹴りを喰らわせる。逃亡に移ろうとした少年の前方に回ったエリアスに声を掛ける余裕さえあった。

「エリアスっ。こっちに投げろっ」

「承知っ! はぁぁっ! 黒き夜の妖精の(かいな)よっ! 〈ナイトスプラッシュ〉ッ!!」

 まるでサッカーボールのようにはね飛ばされた少年は、獣じみた嗅覚で自らの求める獲物を探し出した。大地に叩きつけられた反動を利用して、ほとんど地面すれすれの動きで、走る。走る。一迅の黒い影となって。

 その目指すところは、遠巻きにする人影をかき分けてやっと姿を現したコッペリアだった。

 表情の乏しいコッペリアの小さくて優しい姿に迫る黒影を見たとき、レオナルドは全ての制御を捨てた。傍目にはまるで瞬間移動したかのように見える速度で少年の首筋に迫る。

 音さえもが粘液質になるほどのゆっくりした刹那の中で、レオナルドはその首筋に、青く光る死点を見る。それは即死攻撃〈スイーパー〉のマーカー。セジンのレベルが七十もあれば話は変わってきただろうが、三十四では免れることは出来ないそれは死神の鎌。

「ハッ!」

 大仰なかけ声も必殺技の名乗りあげもなく、しかしレオナルドは〈パラライズ・ブロウ〉を選択した。NPCだなどと言うことは判っている。緊急避難だと言うことも判っている。にもかかわらず、その首をはね落とすことを考え、コッペリアや旅の道連れにそれを見せることを想起し、ひどく生理的に不快な感触を覚えてレオナルドは表情を歪めた。

 幸い、少年は地上に貼り付けられたように落ちた。

 身体の運動神経が麻痺し、それでも無理矢理動かそうとしているのだろう。昆虫じみた動きで痙攣を繰り返すその身体を、レオナルドは手早く取り押さえる。少年の喉から出るのは、くぐもったうめき声だ。

 こうやって拘束してみれば、哀れなほど小さく、この地方に暮らす〈大地人〉特有の、そぎ落としたように痩せた顔を持つ、アオルソイの浅黒く日焼けをした少年の一人にすぎなかった。その少年が凶相を浮かべ壊れた機械のように麻痺する姿には、禍々しいまでの陰惨さがあった。

「コッペリア……」

「大丈夫です。コッペリアは、事態を認識していまス」

 少年の傍らに跪いたコッペリアは、回復呪文を詠唱する。

 コッペリアが何を考えて回復しようとしているのかは判らなかったが、彼女が近づいた途端に、少年の様子が変わる。怯えたような、興奮したような痙攣は一層強くなり、声も出せないその喉からはひぅるひぅると絶息にも似た呼吸が漏れ出した。

「七つある鐘、鳴らして褒むべきかな白き翼、打ち鳴らしたる幸い用いて御心に叶え――〈セイクリッド・キュア〉」

 呟きのような静かな声は、少年の〈麻痺〉を癒す。

 だが、少年の狂態はステータス異常などではなかったはずだ。〈麻痺〉だなどという見慣れた異変とは違うはずだ。もっと得体の知れない恐ろしいなにかだったはずだ。しかし、レオナルドの危惧を別に、少年の顔からは凶相が抜け落ちていった。

 彼の額に手を当てて冷静に観察するコッペリアの見守る中、少年の呼吸は次第に規則正しく、穏やかになって行く。そこに先ほどまでの、獣じみたオ-ラはない。

「助かった……の?」

 カナミの声は、一同の疑問を代弁していた。

 その言葉にコッペリアはひとつ頷くと、宙を払った。

 レオナルドの瞳は、コッペリアの指先によって吹き払われた漆黒の影を捕らえたような気がしたが、一瞬あとには、まるでなにごとも起きていないような、アオルソイの澄んだ冷たい風が残るのみだった。




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