071
平野部の町に対する〈鋼尾翼竜〉の群れの襲来。
それは住民や為政者にとって悪夢のひとつだろう。
一般的に考えて、街などの生活拠点に対する襲撃が予見された場合、生活空間や生産拠点に対する被害を考えるのであれば、できる限り町から離れた場所で応戦すべきである。
撃退に成功したとはいえ、町や周辺に被害を受けてしまえば、直接的人的被害がなくとも、間接的な被害で生活の維持能力にダメージを受ける可能性が高いからである。中世的な食糧生産生活を送っているこのセルデシア世界において、生産拠点への被害は致命傷になりうるのだ。
しかし、そうはいかない場合もある。
相手の〈鋼尾翼竜〉は中堅クラスとはいえ飛竜、つまりドラゴンの一種なのだ。炎のブレスや前足によるかきむしり攻撃、魔法攻撃能力がないとはいえ、特化したその空中機動力は、本家のドラゴンにさえ勝るというのが〈鋼尾翼竜〉の特徴である。
レベル分布はかなり広範で、最低レベル四十から九十レベルにちかい個体まで存在し、それは生息地域による。〈レッドストーン山地〉周辺に生息するものはその中でも比較的くみしやすい〈鋼尾翼竜〉であるはずだった。
「個体レベル確認、四十二、四十六、四十三……五十!」
ミノリが望遠鏡を片目にあてたまま報告する。
このレベルであれば、トウヤたちでも十分に打倒が可能であるというのが、アキバから〈レッドストーン山地〉へと向かってきた理由なのだ。
しかしそれは一体から数体を相手にした場合の話であった。その程度の数であれば十分に戦闘は可能だ。あるいは、たとえば自分たちは浅い洞窟に立てこもり、攻めてくる〈鋼尾翼竜〉を順序良く倒すのであれば、十体以上でさえ撃退することは十分に可能だとトウヤは考えている。
「ミノリ、セララ姉ちゃん! まずは町はずれに向かう!」
「はいっ!」
しかし、この町の立地はいかにもまずかった。
周囲は田園が広がる見晴らしの良い空間で、その中サフィールの町という守るべき対象がある。〈鋼尾翼竜〉は高速飛行を持ち味とするモンスターであり、その〈鋼尾翼竜〉とこの戦場の組み合わせは最悪に近い。
チョウシの町のように亜人の集団に襲われるのとはまた違った、しかし、同じかそれを超えるくらいの始末の悪さがあった。亜人集団は、その数により防衛作戦を難しくする。こちらの防衛部隊の数をこえる波状侵攻部隊を繰り出してくることによって、浸透されてしまうのだ。
〈鋼尾翼竜〉はそこまでの数はいないが、絶望するほどの空中機動能力を持っている。長射程攻撃を持たない防衛部隊は壁として役に立たないし、防衛部隊が崩れ、町の住民が逃げ出すことになった場合、追撃をうけて凄惨な事態になるだろう。
飛行に長けた〈鋼尾翼竜〉にとって、逃げ惑う〈大地人〉の背中に鋼鉄の尾を振り下ろし、そのやわらかい肉を食べるのは、気の利いたレクリエーションである。
この状況下では突出しての機動防御は難しい。敵の方が機動力で勝っているからだ。もちろん、今のトウヤたちには機動力だけではなくあらゆる意味で戦力が不足している。トウヤたちがたとえレベル九十であったところで、わずか五人、ひとつのパーティーでは町を守りきることはできないだろう。
空のかなたとはいえ、飛竜の群れが黒い霞のように現れて、それが町に向かってくる。サフィールの町におきた騒ぎは決して小さくはなかったが、パニックにまでは達しなかった。
おびえた表情の〈大地人〉は出来る限りしっかりした建物に逃げ込んでいるようだった。高い音を立てて窓を閉める家々の間を、トウヤたち三人は走っていく。
思ったよりは冷静に避難を進める大地人たちの理由が分かったのは、町はずれが見えるころだった。
どこから集まったのか十人以上の〈オデッセイア騎士団〉が出陣する場面だったのだ。そろいのマントをつけた彼らは、熱病に冒されたような表情で次々と川沿いの道を駆け出してゆく。その先にあるのは開墾された田園であり、明らかに〈鋼尾翼竜〉を迎え撃つつもりだ。
「どけ!」
短い言葉ひとつで、トウヤたちの横をまた一群れの〈オデッセイア騎士団〉が駆けていった。六人組の彼らは、後衛ふたりがあの奇妙な〈移動神殿〉をかつぎ、剣を抜き放ち血走った眼で戦場へとひた走る。
「トウヤ、前に出ないで」
「うん」
「わたしたち、あの乱戦に入っても役に立てない。ここで防御を担当しよう」
「わかった」
ミノリの指示で、トウヤたちは大通りを一本はずれた貯水池のほうへと進路を向けた。周辺を監視するにせよ、合流するにせよ都合がよい地点だ。
「ミノリちゃん、五十鈴ちゃんは?」
「さっきルンデルハウスさんと連絡つきました。ふたりで装備をまとめてこちらへ移動中です」
「う、うん」
「まだ時間はありそうだ。焦んなくていいぜ」
トウヤは視界の先に移る交戦を見つめながら、仲間たちに告げた。
豆人形のように小さくしか見えないがそれは異様な戦いだった。
〈オデッセイア騎士団〉は突撃し、狂ったように剣をふるい、〈鋼尾翼竜〉に抱き付くように巨大な雷の柱を召喚しては戦っていた。そして当然にように傷つき、血まみれになっていく。
それは、言い様によっては数十人の騎士団による決死の突撃であり、町を守るための我が身を省みぬ奮戦であった。
しかし突撃の号令もなく血だまりの中にひた走っていく姿は、一種異様な迫力と、身の毛のよだつようなおぞましさをトウヤに感じ出せた。
「トウヤ。トウヤ……」
ミノリの震える声があった。
トウヤの相棒は、直継からもらった望遠鏡で戦場の様子を観察している。その筒先へと目を凝らして、トウヤはミノリが何を見ているのか理解した。
〈オデッセイア騎士団〉のレベルはほぼ九十である。
〈鋼尾翼竜〉と比較すれば倍にも達するだろう。しかし〈鋼尾翼竜〉は〈オデッセイア騎士団〉よりも数倍の数を持っている。〈オデッセイア騎士団〉の〈守護戦士〉や〈武士〉は周囲のバランスも考えずに、〈アンカーハウル〉などを使って〈鋼尾翼竜〉を引き寄せ続けている。そうでもしないと、飛竜たちが町へ向かってしまうかもしれないのだ。
しかし無制限に敵を招きよせれば、モンスターより高いレベルを持っていたとしても持ちこたえることは難しい。現に彼らは倒れている。
そして彼らは光になって散り、
さして離れてもいない〈北風の移動神殿〉で蘇生するのだ。
トウヤは我知らず、刀の柄にかけた汗まみれの手を何度も握りしめていた。ミノリの声が震えているのも当然だ。それは見たことがない光景というわけではなかった。モンスターが倒れたときに発生する虹色の光はすでに見慣れていたし、思い出したくないとはいえルンデルハウスを失って大神殿で取り返したことも、トウヤやミノリたちの経験にはある。
眼前の光景は、それと同じか、少なくとも同種の光景であるはずだった。
しかしだとしてもそれは、悪夢的な手触りを持っていた。
蘇生をした〈オデッセイア騎士団〉は何事もなかったように立ち上がると、嬉々として剣を携え、戦場へと戻っていく。その背中に、トウヤはあるはずもない狂笑を聞いたような気さえした。
大神殿による蘇生というのはたやすいものではない。
シロエの講義によれば、それ相応の経験値を失う行為である。蘇生した直後はHPだって十分ではない。いま蘇生をして駆け出した〈暗殺者〉だってそうだ。体力が低下したままに駈け出して、地上すれすれにかすめようとした〈鋼尾翼竜〉にとびついた。その翼に大剣を叩きつけ、きりもみ状に落下していく。
彼らは己の命を何とも思っていないのだろうか。
勇敢な突撃という言葉が脳裏に浮かんだが、笑えない冗談のようにしかトウヤには思えなかった。
「……うん」
震える声のミノリを、トウヤは励まそうとしたが、その返答は喉に絡んだようで、いつもの声にはならなかった。
するどい電光がトウヤとミノリの網膜を焼いた。
〈妖術師〉の広範囲攻撃呪文〈ライトニング・ネビュラ〉だ。渦巻くような電撃が半径十メートル余りを巻き込んで電撃によるダメージを与える。ルンデルハウスが最近覚えたばかりの強力な攻撃魔法である。
何度か試した結果、前衛がヘイトを維持するのが難しく、トウヤたちのパーティーでは「もう少し練習をして連携に組み込むまで実戦では控えよう」という結論になった魔法呪文だ。
その〈ライトニング・ネビュラ〉が炸裂し、数体の〈鋼尾翼竜〉とほぼ同じ数の〈オデッセイア騎士団〉を巻き込んだ。凄惨な光景に似つかわしくないような音を立てて虹色の泡がはじける。
一呼吸二呼吸ほどの間をおいて、同じ色の輝きを放つ〈移動神殿〉が騎士を復活させた。低周波のような振動を立てる〈移動神殿〉はまるで呪われてでもいるかのようにトウヤの目には映った。
「なかなか面白いことを考えるもんだね」
「え……?」
「あれは、蘇生装置なんだね。大神殿同様、再生場所のガイドビーコンなわけだ。記憶には存在しないけれど、ずいぶん有用なアイテムだね。……だれかが発明でもしたのかな」
「ロエ2姉ちゃん」
トウヤは隣に立つ女性を見上げた。
白いコートマントをなびかせたロエ2の表情には余裕があって、それは頼りがいと言っても良いものなのだが、いまはどことなく異質にも見えた。
「顔色が悪いぞ、トウヤ少年」
「あれは、悪いもんだろ! おかしいよ、あんなのっ!」
トウヤは拳を振った。
この気持ちをロエ2に伝えようとしたのだ。
「いや、おかしくはないだろう。この世界の法則に則ったシロモノだ。そうでなければ動作しない。あれがああして存在する以上、何らかの原理と機構を以て存在しているのだ。否定してもいいけれど、あれはなくなったりしないよ?」
「そうじゃなくてっ……」
トウヤの言葉は届かないようだった。
いや、おそらく伝わってはいる。
会話として成立しているからだ。
しかしそれは意味が伝わっていると言うことであって、トウヤの焦燥や恐怖が共有されているという事ではなかった。
「それにみたところ、彼らは〈共感子〉の提供に前向きなようだ」
「え?」
「あれだけ死んでくれると採集効率が高い。〈採集者〉は助かっていると思うよ。いや……そもそも彼らの仕込みなのか? それはそれで監査の必要があるけれど」
「なに言ってるんだよ! 死んじゃってるんだ、何とかしなきゃ!」
焦るトウヤの手が押さえられた。
振り返れば、後ろに立ったミノリが唇を噛みしめて、トウヤを、いや、ロエ2を見つめていた。
ミノリの瞳はらんらんと光り、彼女が何事かを真剣に考えていることがトウヤには判った。考えると言うことと決意するということはミノリの中では分かたれていない。トウヤの相棒はその点未分化なのだ。トウヤはその表情を見て一気に頭が冷えた。
そんな目をしたミノリは、強い。トウヤが言うのもおかしな話だが、自分と双子だとは思えないほどに激しくて、まっすぐで、強くなる。
でもその反面とても脆くもあるのだ。だからトウヤはミノリの手を握りしめた。
「その点が争点になっているのはわかるんだが、トウヤ、ミノリ。――彼らはそれを望んでいるように、わたしには見えるよ?」
ロエ2は涼しげな瞳を戦場に向けたまま、歌うように続けた。
「彼らは死を望んでいるんだ。麻酔のような一時の走馬灯を。その代価として〈共感子〉を提供している」
「ロエ2さん……」
「わたしにはよくわからないけれどね。そもそも私には、君らがなんでこんな非効率な社会を構築しているのかがわからないし。でもそれをいえば可知世界は常に不可知世界よりはるかに狭い。理解可能領域が針の先ほどなのだから、判らないことそのものに不思議はないわけだけど」
彼方で続く激しい戦いを背景として、汗で湿った手のひらは、ミノリの動揺をトウヤに伝えてきた。いつの間にか前に進み出てセララを後ろに庇うようにロエ2と視線をあわせたミノリは、短くない逡巡ののち、はっきりとした質問をした。
「ロエ2さんは誰なのですか? どこから来て、どこへ行くのですか?」
気を飲まれたような一瞬の静寂にロエ2は瞳を丸くした。
そして軽くコートを払うと、まるで初対面であるかのように胸を張り、トウヤたちと正対したのだ。
◆
「ミス五十鈴、ミス五十鈴」
パーティー念話では連絡しておいたから起きているのは確認済みだが、だからといって女性の居室に踏み込むわけにもいかず、ルンデルハウスは女子部屋のドアへ呼びかけた。
町の付近に〈鋼尾翼竜〉が現れたとの報を受けたのだ。
トウヤやミノリ、セララはすでに町の防衛の一助となるべく、貯水池のほうへと向かってるという。駆けつけようとしたルンデルハウスは、五十鈴との合流を指示されたのだ。モンスターが街中に侵攻したわけではないとはいえ、この状況下では何が起きるかわからない。いったん五十鈴と合流したうえで、ふたりでトウヤたちのグループにさらに合流するのが正しい判断だろう。そんな指揮を誤るような少女ではない。ルンデルハウスは、ミノリのことをそう評価していた。
数瞬をおき、もう一度ノックをしようと拳を上げた先で、安そうな木製のドアは開き、部屋の中を見せた。
痩身の少女五十鈴は装備を身に着けてこくりと頷いたが、ルンデルハウスは言葉を失う。
五十鈴の顔はひどかった。
瞼は腫れぼったかったし、鼻はこすりすぎたのか赤かった。
夜の裏庭で彼女のそばを離れたとき、彼女は真珠のような涙をこぼしていた。そのあとも泣いただろう。優しい五十鈴は自分を責めるかもしれないとルンデルハウスは思ったし、そばについていてやるべきだと考えもした。しかしそれはおそらく僭越なのだと思いなおし、そっとそばを離れたのだ。その夜から、まだ十五時間ほどしか過ぎてはいない。ルンデルハウスも部屋の中で夜明けを待ってまんじりともせずに過ごしたのだ。
だからそんな五十鈴の泣きはらした顔は予想していなかったわけではない。なのにルンデルハウスは胸が詰まったように言葉を失ってしまった。とてもひどいことをしたような気分がした。五十鈴を泣かせたのはルンデルハウスだし、その涙をぬぐうべき時にそばを離れたのもルンデルハウスなのである。
間違った決断だとは思っていなかったけれど、それで痛みがなくなるはずもなかった。ましてや、五十鈴の悲嘆は自分に数倍するのだから。
「ルディ」
「お、おう。ミス五十鈴」
「バカみたいな顔してないの」
「バカとは何だ。バカとは!」
「んっ」
五十鈴は口をへの字にしたまま、ルディの肩を押して回れ右をさせると、そのままぐいぐいを宿屋の廊下を進んだ。
「ほら、行くよ。ミノリたち、待ってるよ!」
「それはわかったから。自分で歩く、ミス五十鈴」
「ちゃんとしなさい、ルディ」
ちゃんとしていないのはキミではないか。
ひどい顔をしているぞ。
ほら、これで顔をふきたまえ。
それらの言葉をルンデルハウスは飲み込んだ。
そんなことを言ったら〈フロストスピア〉よりも強力な五十鈴の拳骨を食らうという理由はほんのちょっぴりだった。そんなセリフを言って五十鈴の涙をぬぐう自分を想像して、不思議と胸が痛んだからだ。
早足に宿から出たふたりはすばやく左右を確認すると、連絡の通り、町の北西部へと急いだ。通りに人影はない。町の人々は、自分の家に隠れているようだった。その証拠に、細く開けられた鎧戸や、ドアの隙間から、こちらの様子をうかがう人影がある。
ルンデルハウスにはその気持ちがよく分かった。
ナインテイルを出る前の自分と同じだからだ。災難に立ち向かう力が自分にないとはわかっていても、覗き見ることをやめられないのだ。家にこもって耳目をふさいでいるのは、それはそれでいやな想像ばかりが膨れ上がり耐え難いせいだ。
五十鈴はルンデルハウスに声もかけずに、小走りに移動を始めた。
不機嫌そうな態度にルンデルハウスはほっとした。
五十鈴が昨夜の消沈から立ち直ったのがわかったからだ。それに、見かけほど怒ってもいないのだと、ルンデルハウスにはなぜか伝わった。〈冒険者〉特有の魔法的な伝心能力だろうか。ルンデルハウスは時に五十鈴の気持ちが痛いほどわかることがある。
いまの五十鈴は怒っているように見えるが、その実あまり怒っていない。困っているか、慌てているか、ふてくされているか、照れくさいのか、大体そんな気持ちだろう。経験上、こういう時の五十鈴に「鼻が赤い」とか「顔を洗ってくるとよい」といった実利的アドバイスをすると、拳骨を食らうことはわかっている。
驚くべきことに、五十鈴は怒っていないときでも拳骨を落とすのだ。
むしろ怒っていないときのほうが手が早いほどである。
気持ちが多少わかるようになったとはいえ、だからと言って回避能力が上がるわけでもない(〈妖術師〉の防御能力は〈吟遊詩人〉以下なのだ!!)。そもそもその気持ちだってたいていの時はさっぱりである。それは〈冒険者〉か否かにかかわらず、性別の違いによるものと諦めているルンデルハウスだった。
ともあれ、小走りの五十鈴を追いかけてルンデルハウスは街を駆けていった。
ちりちりと灼けるような泡立つような緊張感が漂っている。
それは戦の空気だった。
「ルディ」
「なんだい、ミス五十鈴」
「なんだか、ぞわぞわするね」
それは同意すべき意見だった。
ミノリからの連絡によれば、敵は〈鋼尾翼竜〉である。強力で数は多いものの、町はずれでは〈オデッセイア騎士団〉の突撃が行われ、現在その結果はまだ出ていないとのことであった。どちらが勝利するのかはまだわからないが、どちらにせよ、その結論が出るのにはいましばらくの時間がかかるはずである。
いや、結論がどう出るにせよ、町の中心部に近いこの地区にその影響が出てくるのはまだ先のはずだ。この泡立つような緊張は大げさであるかのように思える。
ルンデルハウスは遠くで響く剣戟を探るかのように耳を澄ませた。
ルンデルハウスのすぐ隣では、五十鈴が生真面目な表情で耳を澄ませている。貝殻のように可愛らしいその耳は、ルンデルハウスよりもずっと高性能で戦場の様子を探ることができるのだ。
「どうだい?」
「平気っぽい。少なくとも近くにはいない」
「そうか」
「いこ! ルディ」
「あ。ミス五十鈴」
ルンデルハウスはつい反射的に呼び止めてしまった。
怪訝そうに振り返った五十鈴にかける言葉を探すが、うまくいかなかった。果たして何を言えばいいのかと五十鈴の顔をじっと見つめながら考えてみるのだが、とっさのことなのでうまくいかない。見つめれば見つめるほど、五十鈴が少しずつ不機嫌になっていく気がするばかりだ。
「あのー?」
「うむ。ミス五十鈴」
ルンデルハウスは胸を張った。ここはひとりの男子として、戦場の空気に動揺する少女の不安を拭い去らなければならないだろう。
「突然のモンスター来襲に不安を覚えるのはわかる、ミス五十鈴。しかし、このルンデルハウス=コード、〈冒険者〉がいる限り大丈夫だ! サフィールの町も、ミス五十鈴も、ミスミノリやミスセララも、きっとボクの〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉が守って見せるさ! そもそも僕たちは百戦錬磨のパーティーだ! こんな苦難なんてスイートな試練にすぎない。だから安心してくれ、ミス五十鈴!!」
殴られてしまった。
ふざけてなどいないのに釘を刺された。
しかしその一撃でルンデルハウスの心にあるもやもやは吹き飛んだ。
視界がクリアになり、今まで曇っていたものまでくっきり鮮やかに見えるようになった。おそらく五十鈴が抱えていた不安を拭い去ることに成功したのだろう。そして同時に、ルンデルハウスが抱えていた陰鬱な気持ちもなくなった。何を抱えていたのか、何に躊躇していたのかはよくわからないが、心が軽くなったことが事実のすべてである。
ルンデルハウスは我知らず、その心の軽やかさこそが〈冒険者〉の資質だと思っていた。チョウシの町で手に入れた宝がそれだからだ。
あのころルンデルハウスは〈冒険者〉にはその強さの秘密があると思っていた。〈大地人〉に比べて何倍もの戦闘能力を持つ〈冒険者〉は、〈冒険者〉だけの何か秘密の呪法や道具があり、その戦闘能力を育てているのだと考えていたのだ。五十鈴たちには言えないけれど、夏季合宿に参加を決意したころのルンデルハウスは、その秘法を〈冒険者〉から盗み出すつもりでさえあったのだ。
しかしそれは誤解だった。〈冒険者〉にそんな秘密は存在しない。
彼らが強いのはそういう生き物であるからであって、それは秘密や修練であるというよりは、むしろ呪いに属するものであるようだった。彼らは故郷に帰れないという悲劇と引き換えに、現在の戦闘能力を手に入れたのだ。それはまさに呪いという他ないと、ルンデルハウスは思う。
一方で、〈冒険者〉は気高き人々でもあった。
ルンデルハウスにしてくれたように、彼らは苦難に喘ぐ民を見捨てることがない。それがルンデルハウスがあこがれた〈冒険者〉の姿なのだ。
あのチョウシの町の決戦において、〈魔狂狼〉にしがみつき、その口腔に籠手を突き入れたルンデルハウスの心は軽やかだった。
恐怖も後悔もなく、ただただ仲間と使命だけがあった。
救ってくれたシロエその人も、ルンデルハウスはすでに〈冒険者〉だったのだと言ってくれた。あの時ルンデルハウスの心はすでにして〈冒険者〉だった。
それと同じように心が軽くなったのだ。
五十鈴がルンデルハウスの額に当てた拳は少しも痛くなかった。
こつんと当てられたそれはルンデルハウスがいまだに修得せぬ〈冒険者〉の伝心方法であるようだ。鼓動のたびに生まれる熱い塊が胸の内を駆け回り、全身に活気をもたらすのがはっきりとわかった。
来るべき舞台へ向けて期待を込めた高揚感が走り出しそうになっているのだ。
「ミス五十鈴!」
「もう、なに?」
口をとがらせて振り返る五十鈴に、ルンデルハウスは杖を一振りした。不可視のマナが風の諸力を実体化して、輝く青の力場を結成する。その力場はふたりを地上から十センチほど浮き上がらせた
「わわっ。な、なにこれ!?」
「〈雲雀の靴〉の呪文だ。ボクの力量では空を駆けるとはいかないが、悪路を無視して移動速度を上げてくれる」
「おっと。えっとこれは……。足が速いってことかな?」
つま先で透明な足場を確かめるようにステップした五十鈴はにっこり笑った。まだまぶたに腫れぼったさは残っていたが、それは雨上がりの虹のような笑顔だった。
これならば、町のはずれだって、戦場だって、どこまでだって行けるだろう。駆けだしたふたりはさっきまでに数倍する速度と滑らかさで進んでいく。
ルンデルハウスは魔術の選択に深い満足を覚えた。
莫大な研鑽と膨大な才能を必要とする呪文だ。その可能性のすべては、今のルンデルハウスでは、残念ながらすべてを発揮させることはかなわない。自分と五十鈴を少しだけ浮遊させて戦場へ届けるのが精いっぱいだ。しかしその報酬が五十鈴の笑顔であるのならば、悪くない。
「いいね、ルディ」
「もちろんだとも。ミス五十鈴。ぼくは天才〈妖術師〉だからな!」
「調子に乗らないの!」
軽口をたたきながらも滑るように進むふたりに金属的な響きを立てて雄叫びが降り注いだ。〈鋼尾翼竜〉だ。まだ町を抜ける前だというのに、矢を受けて傷ついた〈鋼尾翼竜〉が廃ビルの壁面を削るように落下してくる。その雄叫びで、ルンデルハウスははっきりとわかった。
今まで感じてきた泡立つような緊張感は、町の人々のものなのだ。ルンデルハウスのものではない。逃げ出す先のない住民たちの焦慮や恐怖がふたりにまとわりついていたのだ。それを視線としてルンデルハウスは感じていた。
しかしだからと言ってそれはもはやなんの足枷にはならなかった。
一足先に宙を駆けた少女がいた。
その茶色のしっぽのようなおさげに負けないように、ルンデルハウスも思いっきり跳躍をした。手元で実体化させた火炎球から魔法のエネルギーを圧縮して一気に射出する。〈フレア・アロー〉は五十鈴の槍先と一緒に、手負いの〈鋼尾翼竜〉に突き刺さったのだ。
ルンデルハウスと五十鈴は、恐れげもなくサフィール防衛へと参戦していった。
◆
魔法陣式連鎖軌道が前方三十メートルほどに投射されると、その魔方陣に設定された効果によって自然が捻じ曲げられていった。〈桂花麗人〉や〈歩行樹〉に干渉して、生い茂った樹木には、トンネル状の空間が作られる。周囲の樹木が身をよじるようにして避けているのだ。
円形魔法陣はそのまま先へ、先へと同じ円形の同胞を生み出していく。この魔方陣は周囲の自然物に干渉して空間を作るだけではなく、浮遊力場を発生させて移動を助ける、魔力式の軌道でもあるのだ。
魔法陣の上を反発力の助けを借りて進むのは鉄鋼車両だった。八メートルほどの巨大な馬を持たない馬車のような、箱状の乗り物だ。武骨な装甲を持つこれらの車両はガラスをはめ込まれた窓こそあるものの、それらも暗く染まり内部をうかがうことは出来ない。
その先頭から四車両目、開閉可能な天蓋と二階建て構造をもつ指揮車両の中には一人の女性がいた。
肉感的と言うよりは肉食科の動物を思わせる均整の取れた身体を軍服につつんだその人は、ミズファ=トゥルーデだ。
〈神聖皇国ウェストランデ〉に仕える上級将軍である。
狷介さと浅薄さをあわせたような皮肉な笑みを張り付けたまま、女将軍は遮蔽ガラス越しに外界を眺めていた。高く組んだ美しい脚はリラックスを示し、左手の指先が剣の柄を愛撫するようになぜ回している。
ミズファは走行車両の性能に満足していた。
連鎖軌道がなければ動かすこともできないほどの重量を持つこの車両だが、魔法陣の助けを借りれば、この山中のような一般の馬車が通り抜けられないような場所を進むことも可能だ。扱いにくい重量も、防御性能と考え合わせれば、欠点だけというわけでもなかった。
〈冒険者〉は空を飛べる機械をほしがり、この鉄鋼車両を開発途中の失敗作、使えない玩具だと切り捨てたが、ミズファたち〈大地人〉にすれば、その廃棄された玩具でさえも黄金に勝る宝なのである。その圧倒的な技術力の差は、ミズファの笑いを誘った。
技術力だけではない。魔力。体力。発想力。そのすべてにおいて、〈冒険者〉はミズファたち〈大地人〉に数倍する存在である。
それはまるで誰かが彼らを世界の主役だと定めたようだった。
そしてミズファたちはわき役なのだ。
ミズファはその滑稽さに喉の奥でくつくつと笑った。
どこの誰だかはわからないがずいぶん残酷な喜劇をつくりあげたものだ。
「経過順調です」
「あはっ。そいつは結構。――進め、警戒は怠るなよ」
二段ほど低くなった操縦席に座る二名の魔導技術者にミズファは命じた。
この鉄鋼車両の速度はさほど早くない。一般的な街道を進んでも最新式の四頭立て馬車に比べて三割程度の速度が精いっぱいであろう。しかしその一方で、不整地でもその速度が落ちないという特性がある。森の中や渓谷ではさすがにその速度はさらに落ちるが、徒歩進軍よりは早い。
〈冒険者〉が望んでいた「ミナミからエッゾまで十時間」というような驚異の魔導機械に比べれば確かに劣るのかもしれないが、これはこれで非常に有用だ。空という視界を遮ることのできない空間を進むことに比べれば、隠密性では上だと言ってもよいだろう。そもそも、〈冒険者〉ですら飛行機械は完成させていないのだ。ミズファにとってはこの鉄鋼車両だけでも十分な宝である。
ゼルデュスが開発したとされる〈凝魔鍛術〉。それを大規模実用化したジェレド=ガンの凝魔炉。斎宮家に伝わる久爾永の古代技術。それらの子として生まれた魔導技術は、もちろん〈冒険者〉の財産の中核ではあったのだろうが、おこぼれを〈大地人〉にももたらした。この鉄鋼車両も、そうだ。
現在ミズファ麾下にはその装甲車両が十台存在する。そのうち四台は特に大型だ。数は多くないのが悩みではあるし、もっと規格化された装備をミズファは好むが、そればかりは仕方がなかった。
〈冒険者〉というのは、気まぐれで新しいものが好きなのだ。「すでに技術的に完成されたものを量産する」ということに興味を持たない。常に新しい、より異なった、強力な、優れた品を作り出そうとする。それはもちろん技術の発展という意味では優れた資質なのであろうが、ミズファのような軍人にとっては腹立たしいことでもあった。現場環境では修理にせよ運用にせよ、規格化された装備であるほうがずっと好ましいのである。
とはいえ「いらなくなった発明品をいただいた」身分であるミズファはそこまで贅沢をいうつもりはない。最低限のメンテナンスを依頼できる程度の発言権はあるし、いざとなれば、さまざまな賄賂が通じることもわかっている。
〈冒険者〉は子供で、欲に弱い人間でもあるのだ。
「先行偵察にだした〈闇精霊の従者〉が、フェヴァーウェル川上流と思しき流れに行き当たりました」
「ふむ」
ミズファは壁に貼られた軍用地図に視点をやる。
揺れの少ない車内には様々な地図や書類、ファイルが存在した。現場で指揮を執り、曲刀に血を吸わせるのが好きなミズファではあるが、上級将軍ともなった現在、これらもまた自分の武器であることを十分に知っていた。
「鵜飼どもに通達だ。〈闇精霊の従者〉を出せ。半数だ」
その連絡は即座に指令水晶で後続の装甲車に伝えられた。
連絡を受けた後続車両の中では、ふたのない棺桶にもにた狭苦しい寝台の中で、五十名の〈大地人〉が黒い仮面をつけて偽の眠りに落ちる。寝台に備え付けられたソケットで連結された〈従者召喚の宝珠〉が怪しくきらめいた。
この宝珠は術者の意識を投影した〈闇精霊の従者〉を召喚するものだ。
ある意味でそれは〈大地人〉にもうひとつの身体を与えるに等しい。彼らはこの車両の寝台にその身体を横たえたまま、自由に動くことのできるモンスターの身体を手に入れる。〈闇精霊の従者〉そのものは、召喚した術者のレベルと等しいレベルで出現するが、それでも上限の四十五を突破することはない。
〈冒険者〉にすればそれは戦力というのもバカらしいような些末な魔法の品だろう。事実、これを提供してくれた〈冒険者〉たちは、まるで、ジョークアイテムを渡すような気安さでそれらをゆずってくれた。
しかしミズファに言わせれば違う。
このアイテムは、〈大地人〉に仮初めの不死を与えるものだ。
〈闇精霊の従者〉が倒れたとしても、寝台に横たわった〈大地人〉そのものは被害を受けないのだ。そして戦闘による経験値は、術者、つまり、〈大地人〉が受け取ることができる。
笑わずにはいられないような、まさに冗談のような驚天動地だった。
「十分後、〈Expポーション〉の投薬を始めろ」
その利益を最大化するために経験値取得効率を倍加する水薬を投薬させる。経口では非効率だ。直接注入にすれば負担は大きいだろうがその効果も目に見えて上がる。
「カズ彦殿が中止を要求しておりますが?」
「かまうものか。――偽善者が。あちらは〈冒険者〉、こちらは〈大地人〉。死なないヤツに戦争のなにが判る。命の散らせどころってヤツさ、そうだろう?」
ミズファは嗤った。暗い笑みだ。
散らせるのはミズファの生命ではない。それはより多くの花を刈り取るのに必要な武器だった。
「そんなことよりも、だ」
足を組み替えて、ミズファは血の色をもつ爪先で地図をたどる。
「フェヴァーウェル川、ね。この地区は――」
書き込まれた細かい付記に目を通しながら、形の良いその唇をなめ回して眼を細める。黒い三本爪のマークは、〈鋼尾翼竜〉の生息地だ。
おあつらえ向きによいレベルでもあり、近隣居住区へ与える「丁度よい抑圧」でもあった。
ミズファの頭の中にはめまぐるしく戦略が駆け巡る。
それはいずれも彼岸花の赤をもった血の香る夢だ。
〈冒険者〉がいくら善人だろうと、ミズファがそれに付き合う義理はない。どうあれ、ヤマトは乱世を迎えるのだ。〈神聖皇国ウェストランデ〉は〈ウェストランデ皇王朝〉の血脈を現在に伝える唯一の支配組織だ。
〈自由都市同盟イースタル〉は朝敵なのだ。
もちろん、ミズファはそんな事を信じているわけではない。大義名分があればそれで良いのだ。ミズファのような軍人が武功をあげてのし上がる世の中になった、ということである。元来「雅」だの「歌舞」だのと言いがちなウェストランデ貴族の中で、軍人の位は低い。少ないチャンスをものにしなければならない。
そしてミズファは自分の勲功が血の上に咲くということを知っていた。
いいや、血に酔っていた。勲功を求めているのか、血の香りを求めているのか、もはやミズファ自身にも判りはしない。
「先行部隊。敵と接触」
緊張した通話手が低い声で連絡をしてくる。
慌てずに続報を待つミズファに〈鋼尾翼竜〉との確認情報が入る。
我知らず吊り上がる唇を引き締め、ミズファは剣の束をやわらかくなぜる。
「先行部隊、突撃せよ! 山から〈鋼尾翼竜〉を追い散らせ! 距離をとって魔法攻撃を心がけよと伝えろ。死んでも蘇るとはいえ」
敵はそうそう復活しないのだぞ?
ミズファは言葉の残り半分を飲み込んだ。
丁度良いエサが見つかったものだ。〈冒険者〉の言葉でいえばパワーレベリングとでもなるのか。ミズファに言わせれば練兵だ。鋼鉄の武器を鍛え上げるためには、焼け滾る刃を血で研がなければならない。
「ロンダークに先行させよ。ああ、いや先行部隊の護衛を依頼せよ」
「ロンダーク卿に連絡いれます。――伝声管ッ」
馬車ではなく、その近くを〈幽霊馬〉で走っているはずの〈冒険者〉へ指令が伝えられる。
「……ロンダークでも〈冒険者〉であれば卿付けか」
ミズファの独り言に通話手のひとりが振り返り見上げる。
女将軍は唇をゆがめて「伝えずともいいさ。こちらのことだ」とワインで喉を潤した。ススキノから流れてきた敗残者だが、その分、末端の汚れ仕事には似合う男だ。その意味では感謝しても良いとさえ思う。
鼠には鼠の寝床がある。ことわざは良く言ったものだ。
「!」
そのとき、通話手が突如立ち上がり、耳元の共鳴板を激しく押し当てた。
緊張して動揺し、ミズファの方へ振り返る伝令手。そのとき、確かに鋼鉄車両が軽く揺れた。それは天空から何か柔らかい荷物が落ちてきたように、静かで、何気ない振動だった。
「何があった! 報告しろ!」
「〈冒険者〉です。猫人族の〈冒険者〉が、進行方向に現れ、即座に護衛の〈闇精霊の従者〉を切り捨てました!」
叫ぶような報告にミズファは踵をならして立ち上がった。
無抵抗な敵を切り刻むのは、ミズファの最も得意とする戦術である。
だからといって手向かうものを切り伏せることが、不得意なわけでもない。