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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

Route43

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 突如頬を炙られるような熱塊が出現した。
 〈妖術師〉(ソーサラー)の攻撃呪文〈火刑〉(バーンドステイク)だ。ルンデルハウスの魔術とは比較にならないほどの高温が空気の層を隔ててさえも圧力となって押し寄せ、その犠牲者たる〈鋼尾翼竜〉(ワイヴァーン)を空から叩き落としたのだ。熱気に交じる石つぶてと塵芥にトウヤは左腕で目をかばう。横を確認すればミノリやロエ2、セララはほのかな障壁呪文の輝きに守られていた。トウヤはそれだけで満足して、鋭く右腕を一閃させる。
 武器を持たずに発動させた〈飯綱斬り〉は旋風となってトウヤの前方を切り裂いた。クリアになった視界には、一斉に退却してくる〈オデッセイア騎士団〉と〈鋼尾翼竜〉の群れが映る。
(どうして!?)
 叫びに近い言葉が思わず口に出る。
 町の被害を抑えるためには前進しての戦闘が必要なはずだ。〈オデッセイア騎士団〉はそれがわかっているから町はずれから距離をとって戦っていたのではなかったか? さっきまで戦局は互角のはずだった。〈オデッセイア騎士団〉の不気味な自爆攻撃はあったものの、それを差し引いてさえ、九十レベルの〈冒険者〉と、数だけは多い五十レベル前後の〈鋼尾翼竜〉はかみ合っていた。消耗戦の様相を呈していたし、だからこそトウヤたちも手に汗は握りつつも、町を背にその戦いを見つめていたのだ。
 しかし、そんな均衡はミノリとロエ2の会話に気を取られた一瞬の間に脆く崩れ去ったようだ。
 航空機ともヘリコプターとも違う、生物のうねるような風切り音を立てて〈鋼尾翼竜〉が低く滑空してきた。抜き打ちざまに〈兜割り〉で迎え撃ったトウヤだが、その硬い外皮に刃が滑るのを感じる。
 〈オデッセイア騎士団〉にとってははるかに格下かもしれないが、トウヤにとっては同格のパーティーランクモンスターだ。一撃で倒せる相手ではない。かといってヘイトを集めるには乱戦状態でありすぎた。
「逃げろおお!!」
 トウヤが喉も張り裂けよと叫びをあげるその先で、廃ビルの基底部に鋼の飛竜は巨大な投げ斧の様に突き刺さった。ビルそのものが衝撃に震え、まるで古木のように傾く。
 あのビルの中に〈大地人〉が隠れていたのならば、犠牲者が出たに違いない。現に恐怖に目を見開いた〈大地人〉たちが周辺の建物からはじかれたように出てきた。崩れつつあるビルに誰かが隠れていたのかどうかはわからないが、この地区にはまだ〈大地人〉が残っているのだ。

「トウヤちゃん、あれですっ」
 セララの指さす先には黒い影があった。〈闇精霊の従者〉だ。いま、この戦闘のさなかになぜ彼らがここにいるのかトウヤにはまるで分らなかったが、重要なのはそこではなかった。〈闇精霊の従者〉数体が抱え上げ、地面にたたきつけているそれは〈北風(ボレアス)の移動神殿〉だったのだ。
 それが〈オデッセイア騎士団〉の戦線を崩壊させたのは明らかだった。
「っ! 出るっ」
「あ、トウヤちゃん!? あ、わわっ。わたしも出ますっ! ウルフちゃんっ!」
 駆けだしたトウヤは一気に加速する。
 〈一騎駆け〉は〈武士〉(トウヤ)の移動速度を短時間ながら大幅に上昇させる特技だ。普段であれば後衛の補助呪文を考えて加減して使う特技である。〈電光石火〉と組み合わせれば仲間をはるか後方に置き去りにすることすら可能なのだ。しかしトウヤはその躊躇もかなぐり捨てて〈闇精霊の従者〉へと突き進んだ。
 視界が狭くなるような集中のなか、風切り音を置き去りに〈浮舟渡り〉。攻撃技を教えてくれないソウジロウはしつこいくらいに歩法だけを仕込んでくれた。その歩法で身体を沈め、直継仕込みの心構えを思い出す。敵の配置を見きって、その中心部に己の置き所を占領するのだ。
 わずかな隙間に身体をねじ込む。地面を舐めるよう疾走り、一気に刀を解き放った。つむじ風のように〈旋風斬り〉をふるい、〈闇精霊の従者〉を弾き飛ばす。
「トウヤちゃんっ」
 悲鳴のような声でトウヤを追いかけてきたセララは、息切れしながらも〈脈動回復〉(ハートビート)をトウヤにかけた。擦り傷が薄れていく中で、トウヤは燃えるような瞳で〈闇精霊の従者〉を睨みつける。
 足元の〈移動神殿〉はもはや使用できないだろう。
 低いうなりのような音とともに、時に弾けるように電光をほとばしらせている。破壊された部分から魔力(マナ)が漏れ出しているのがはっきりとわかった。
 トウヤが見ただけでも〈オデッセイア騎士団〉は〈移動神殿〉を三つか四つ守っていたはずだ。だから、このひとつが壊れたからと言ってすぐさま全滅するということはないだろうし、恐らくは予備もあるだろう。
 しかし、そうだとしてもこの〈移動神殿〉が騎士団の急所であることは疑いようがない。〈闇精霊の従者〉はトウヤの視線をうかがうように、じりじりと後ずさる。その動きは奇妙に人間臭く、不気味だった。トウヤはそこに悪意を見た。戦場を乱して混沌を拡大させてやろうという、陰湿な意思だ。

 しかしその〈闇精霊の従者〉も横合いから殴りつけるような巨大な一撃で粉砕された。二メートルを越える工具めいた印象の打撃武器(モール)はろくに狙いもつけないまま、集団を粉砕したのだ。その持ち主の〈冒険者〉は鎧の隙間からタールのような赤い血をこぼし、ゆらゆらと揺れていた。
 騎士鎧をつけたその〈冒険者〉は〈オデッセイア騎士団〉の中でも主要な位置を占めているのだろう。眼前で見た九十レベル級の破壊にトウヤは生唾を飲み込んだ。わかってはいたが、それはでたらめな威力を持っている。円形に陥没した大地は、人間というよりも建築機械のもつような衝撃を表していた。
 トウヤが畏怖と警戒を込めて見つける騎士は、しかしトウヤのことを無視するどころか気づいてさえいないようだった。ゆらりと不確かな足元で身体を大通りに向けると、大音声を張り上げる。

「これより戦場を市街地に移す!!」
 恐ろしい声に背後でセララが息をのむのがわかった。
「〈闇精霊の従者〉が出た! すべて殺しつくせ! 〈鋼尾翼竜〉は地上行動をさせればただの的だ。ビルに誘い込んで殺せ! すべてだ、一匹も逃すな、殺せ、殺せ、そして死ね!」
 声にならない応答が騎士団に伝わる。
 その傲慢にとうとうトウヤの何かがはじけた。
 ボクスルトの峠を越えてからため込んできたぐらぐらと煮え立つ感情が堰を切ったようにあふれだして、トウヤ自身にも押しとどめられないような勢いで逆巻いたのだ。
「トウヤちゃん!?」
 騎士鎧を殴りつけた拳がびりびりと痺れた。
 構わずにもう一度殴りつけた。
 予想通りダンプカーでも殴りつけたようだった。相手は気が付いているかどうかも怪しかった。
「おい!」
 怒鳴りつけてやった。見上げるような相手の偉容のまえで自分の手足が割り箸のように細いことを自覚しながらも、トウヤは止まらなかった。
「おいっ!」
 感情的になってひび割れた声が自分でも制御できなかった。重ねるように叩きつける拳が割れて血を流し、それが〈脈動回復〉の踊るような輝きで癒される。
「おいっ!!」
 三度目の叫びで、〈冒険者〉はやっと気が付いたようにわずかに身じろぎをした。兜に包まれた視線はわからなかったが、トウヤはそれを感じた。
「どうしてだ。なんでそんなことするんだよ!? なんで……みんなを、なんでそんななんだよ! 〈闇精霊の従者〉も、〈鋼尾翼竜〉も、〈オデッセイア騎士団〉もっ!!」
 あまりにも強い感情が胸の中にはじけて言葉にならなかった。
 あまりの苦しさに、トウヤは武器を持たぬ左手で、自らの胸の辺りをぎゅっと握った。それは車いすの上で何度も何度も繰り返した仕草だ。しかし、地面を見つめていたかつてとは違う。トウヤはその痛みを一瞥さえしないで、顔を上げて騎士をにらみつけた。
「なんでそんなに勝手するんだよ! ここには、みんなが住んでいるんだ」
「俺たちは住んでない」
 にべもない返事だった。
 その言葉に頭がおかしくなりそうなほどの怒りを覚えた。
 しかし同時にトウヤは自分が間違えたことも知った。一番いいたいのはそれではなかった。確かに〈大地人〉の町も大事だ。しかし、トウヤが感じていたのはもっと別のことのはずだ。
「そうじゃない。なんで、そんな……もっとほかに、あるだろっ? もっと他に戦い方が、もっとちゃんとした戦い方がっ」
「子供が口出しをするな」
「なんで、そんな、自殺するようなことをするんだよっ。兄ちゃんたちならもっとちゃんと……っ」
 結局は、そういうことだった。
 トウヤが感じていたのは理不尽だ。
 この人たちはもっと他の事ができるはずなのだ。他のやり方が。
 この人たちは九十レベルで大人だ。大人であるのなら、もっとましなことができるはずではないか。子供でしかないトウヤとは別のことが。
 〈ハーメルン〉で噛みしめた痛みはトウヤがずっと味わってきたものだ。
 家族に迷惑をかけないようにおとなしくしているしかなかった。心配をかけないようにおどけた態度を身に着けた。ずっと押さえつけてきた理不尽に対する怒りが吹き上がった。トウヤは子供である自分を長い間呪ってきた。大人であれば、自分の人生を決められるのに、トウヤはそれができなかった。
 ダリエラの白い指先を痛みと共に思い出した。
 トウヤの額から前髪を掻きあげる柔らかい感触を。
 この騎士団の男にたたきつけた拳は過去から続くそれなのだ。トウヤは確かに子供だ。だが、トウヤを「子供」と呼んだこの〈冒険者〉は、ならばそれ以外を見せてくれるべきではないか。ちゃんとした大人であるのならば、トウヤには出せない答えを見せてくれなければ。
 そうでなければ、トウヤの胸は潰れてしまう。

「お前には、関係ない」
「そうじゃなくてっ!」
 胸の中の憤りに任せて叩きつけた拳を鋼鉄の籠手で受け止めた男は、それをぎりぎりと締め付けた。一歩も引かないトウヤに、男は少し前傾姿勢になり呪詛のような声で語りかけてくる。
「自殺じゃない。この世界では死なないんだ。だから自殺なんてものは存在しない。俺たちは、帰りたいんだよ。――家に帰るんだ。死ぬと、家族が見えるんだ。知っているか? 死ぬと元の世界が少しだけ見える。あっちの世界の夢を見られる。きっとあそこはつながっているんだ」
 それは夜中の管理病棟から吹き付ける様な声だった。
 長期入院患者ばかりがあつめられた、めったに見舞客の来ない病棟の、深夜の薄青い明かりを思わせるような、どこにも行き場のない声だった。
「俺はさ、夏になったら結婚する予定だったんだ。結婚したらこんなゲームやめる予定だったんだよ。マンションの展示会だって行ったんだ。嫁ができるんだよ。こんな子供だましを続けるわけにはいかない。あっちに帰るんだよ」
 男はトウヤの顔を覗き込むように(ヘルム)の角度を合わせてきた。
 しかし、トウヤは男の視線が自分を見つめているようでいて、何も見ていないことを感じた。眼前の騎士は、もう、この世界を見ていない。
「次の家賃更新の時期に合わせて引っ越すんだよ。面倒くさい女でさ、実家を出たくて毎日文句を言ってるからさ。早いところ一緒になってこっちに引き取ってやらないと。メンタル弱いから俺が面倒見てやらなきゃダメなんだよ。あっちにさ、わかるだろ。お前だってこんな茶番は嫌だろ?」
 帰りたくないと言えば嘘になる。
 我慢をしていないわけじゃない。
 でも、トウヤは知っていた。「言ってはいけない我儘」というのはあるのだ。トウヤは子供かもしれないが男だ。男が呑み込まなければならない言葉はある。かつてのそれは「サッカーがしたい」だった。トウヤは飲み込むことになれていた。みんなが笑ってくれるほうが、ずっと良い。
 なんでそれがこの男にはわからないのか?
 激情がこぼれだしてトウヤは泣いていた。
「|世界はいつだって本物なんだ《、、、、、、、、、、、、、》。大切に生きてる人がたくさんいるじゃんかっ」
 トウヤは吠えた。
 それしか言えない自分に絶望しながら吐き出した。
「ふざけたことを言うな。こんな世界が本物であるはずがない。死んでも死なないなんて、そんなリアルがあるもんか。死んだら死ななきゃダメだろおっ。死んだら静かにならなきゃ、そんなのゲームだろ。お前たちみたいなのが死なないから、〈冒険者〉とかおだてられていつまでも生きてるから、みんなが死なないから、俺たちはこの世界から出られないんだよっ」
「そんなことない。兄ちゃんたちがどう思ってるかわからないけど、この世界は――」

 言いたいことがあった。
 騎士の青年は間違っている。
 死ぬとか死なないとか、それがそんなに大事なことかよ、と叫びたかった。
 だいたい兄ちゃんは、元の世界で死んだことがあるのかよ、と尋ねたかった。死んだことなんてあるわけがない。死んでいたら〈エルダー・テイル〉なんてやっていないはずだ。死ぬのがリアルで、死なないからゲームだなんて、だれが決めたんだと怒鳴りたかった。
 トウヤは冗談みたいに跳ね飛ばされて、アスファルトがまるで大根おろしみたいに自分を削っていった事を覚えている。足の骨の白さを自分の目で確認し、それどころかはさみこまれた腰が奇妙な角度になっているのも見た。
 トウヤは死を見たことがある。それはお終いということだ。救命治療室の隣のベッドで、トウヤを交通事故に巻き込んだ運転手は命を落とした。トウヤは長くて苦しいリハビリの末に、車いすで暮らせる程度には回復したが、運転手は事故の夜を越すことができなかった。
 トウヤの入院した大学病院は半ば冥界のような場所だった。
 痛みどめで朦朧とした視界の中で、深夜の病棟は墓場の底のようにひっそりとしていた。毎日のように誰かがいなくなり、ものも言えない患者が運ばれてきた。職業的なやさしさを持つ看護婦たちは疲れた様な静謐さを抱えていた。トウヤの主治医は沈痛な表情が張り付いたように固まった人物だった。トウヤの知る限り病院は異世界の入り口で、そこに飲み込まれた人間は死者と生者の中間のような存在だった。
 トウヤにはそれがわかる。トウヤはしばらくの間、生者ではなかったからだ。
 だから言いたかった。そんな解決方法は間違っている。
 そんなに死のある元の世界に戻りたいのならば、死を真面目に考えているのならば、なおさら自殺みたいなことはするべきではない。〈大地人〉のみんなが死ぬかもしれないような戦闘なんて、できるはずもない。そう叫びたかった。

 しかしトウヤはそんな気持ちを一言も口にすることができなかった。
 兜から覗いた青年の瞳は濁っていて、見覚えがあった。二度と歩けないと言われたトウヤと同じ色をしていた。それは生者の瞳ではなかったのだ。
「文句があるなら、運営に報告しろよ。俺が悪けりゃBANされる。そうでないなら、お前も死ね」
 突き飛ばされたトウヤは瓦礫の中から世界を見上げた。
 周囲の闘いは刻一刻と激しさを増し、死の世界が広がりつつあった。



 ◆



 鋭角的なシルエットの鋼鉄車両、それに一度だけ軽くつま先をついたにゃん太は、上空から落下したその勢いを殺さずに〈ユニコーンジャンプ〉で跳ねた。元の世界にいたころは空想の世界でしかありえなかったような軌道を以て、木の幹を〈クイックステップ〉ですり抜けつつ、落下方向に〈ライトニングステップ〉。
 これらの技は俗に移動系特技と言われ、〈エルダー・テイル〉時代はキャラクターを高速で移動させたり、特殊なアクションをさせるために存在した。ゲームの開発時から存在したわけではなく、回線速度の向上に伴ってアクション的な要素が増えていった〈エルダー・テイル〉に搭載された要素である。

 その身に備わった超人的な能力を駆使して、にゃん太はざわめく木立の緑の中を加速した。
 腹の底を焦がすような悲しみと憤怒があった。
 眼下の森を侵攻する黒い精霊系モンスターを勢い任せに切りつける。剣先は重い体液に粘つき一撃では仕留めきれなかった。〈盗剣士〉の得意とする範囲攻撃にありったけのダメージ増加特技を乗せても、即死させるというわけにはいかないようだ。
 もちろん戦闘を続ければ勝てる。にゃん太は九十レベルで、眼前の〈闇精霊の従者〉は四十レベルと少しなのだ。しかし、数が多い。にゃん太は無言で細剣(レイピア)を二度ふるい、両脇を抜けようとしていた影を倒すと、馬に乗った魔術師に呼びかけた。
「ロンダーク」
「ほう……。ここで出会うのか」
 ふたりの距離は十メートルほど。
 森は魔力でゆがめられ、奇妙な広場とでもいうべき場所で、陰気な顔をした〈妖術師〉(ソーサラー)はにゃん太に応えた。
 互いに知らぬ顔ではなかった。にゃん太にすれば、ススキノのプレイヤータウンで何度か遠くから互いを見かけ、セララ救出の一件で対決しかけるほどになった男だった。ロンダークのほうもそれを思い出したのだろう、苛立ちとも敵意ともつかぬ視線を向けてくる。
 しかしにゃん太はそんなロンダークの感傷に付き合う余裕は持ち合わせていなかった。
 表面的にはいつもの冷静なスタイルを崩さなかったが、にゃん太こそ強い憤りを持て余していたのだ。もし可能であれば、その細剣で周囲の闇精霊すべてを切り裂きたいほどに。
「ここで何をしているのにゃ。ロンダーク。その車両の列は何なのにゃ。この黒い影は、そしてサフィールをどうするつもりなのにゃ! 何が起きているのにゃ、ロンダーク?」
 にゃん太は交差させた剣を構えてロンダークに突きつける。
 それは質問というよりは詰問の口調だった。

 にゃん太はおおよその、見て分かる程度の事情は察している。
 〈記録の地平線〉を代表してミノリたちのフォローをすべく、〈鷲獅子〉を用いてここまで見守ってきたのだ。ここから直線距離で二十キロメートルほどのサフィールの町が現在〈鋼尾翼竜〉に襲われていることも、それが〈闇精霊の従者〉による山狩りともいえる包囲殲滅の結果であることも今やわかっている。サフィールの町から騒動の原因を探るべく川の上流へと偵察を広げた結果この車両を発見し、それを知ったのだ。
 だからこそにゃん太は憤っている。
 それはとても信じられないような、あり得ないような愚挙であるとにゃん太の心が叫んでいるからだ。

「ロンダークっ!」
「ふはは」
 にゃん太の叱責にロンダークはひどく浅薄な笑いを上げた。
 皮肉そうに片頬をゆがめたロンダークはススキノにいたころとは別人のようだった。ひどく薄っぺらく、無責任で、取り乱したような自堕落な雰囲気をまとっていた。笑い声は余裕の表れとはとても思えなかった。
「ここで何をしているかと聞かれれば雇われ仕事だ。車両の護衛と先導さ。この車両の列は見ての通り魔法型の自動車両。そこらの黒い影は〈闇精霊の従者〉で召喚生物だ。サフィールをどうこうするつもりは全くない。俺にはな。何が起きてるのかって? ――俺の関知するところじゃないさ」
 ロンダークは何も隠すつもりはないようだった。
 取り繕うほどの価値も見出してない、にゃん太にはそう見えた。
 それでいてその答えは、にゃん太の知りたいことをひとつも含んでいなかった。ロンダークの答えは、にゃん太の知っていること、つまり見て分かる通りのこと以上をなにひとつ示していないからだ。
「そんな怖い顔をするな。俺は、あんたとは戦うつもりがない。あんただってそうだろう? 俺は何もしていない。依頼を受けて護衛をしているだけだ。ススキノの一件は――そうだな、反省してるよ。〈大地人〉に手を上げるのは、悪いことかもな。これでいいか? そこをどけよ、猫剣士(スワックラー)
 ロンダークは馬上にあって腰のホルダーから抜き出した杖をぶらりと下げたまま、小さく笑い、ため息をついて、疲れたようににゃん太に答えた。
 投げやりで、適当で、どうでもいいかのような態度だった。
「お前は、お前が何をしているのかわかっているのにゃ? ロンダーク」
 にゃん太はそのロンダークにいぶかしさを覚えながら一歩近づいた。
「わかっているさ。俺は金をもらって仕事をこなしている」
「その結果についてにゃ。ロンダーク!」
 にゃん太の質問に、ロンダークはこわばった笑いを返した。
「俺のマニュアルには書いてないな。――もらってないから当たり前だが」
 その言葉は、どこまでも他人事であった。それが、にゃん太の奥深い部分を刺し貫いた。
 ロンダークの言葉やその指し示す未来が不意打ちだったからではない。むしろどこかで聞いたことがあるのではないかと錯覚してしまうほどに恐れていた言葉だったからだ。それはにゃん太が聞きたくはないと願っていた言葉だった。

 〈円卓会議〉が設立することになったあの場で、〈D.D.D〉のリーダー、クラスティはシロエに尋ねた。「〈大地人〉と戦争の可能性があるのか?」と。それにシロエが返した言葉は「それは僕が今考えることではなく〈円卓会議〉が考えることだと理解しています」だった。
 果たしてその返事の意味を正確に捉え得た者が、あの会議にどれほどいただろう? にゃん太は折に触れてそう思い起こした。クラスティには確かに伝わっていたように思う。彼はひねくれたやり方でシロエに協力しようとしていた。だがそれ以外の若者たちにどれくらいそれが伝わっていたのか、にゃん太にはわからない。
 シロエの言葉は予言であり忠告だった、
 あの返事は、戦争の可能性を肯定するものでも否定するものでもない。戦争があるかないかではなく、それ以前の段階、つまり「自分たちが戦争の起こりうる世界にいる」という指摘であり、そこに住む個々人が「戦争の可能性とどう向き合うか答えを出すべきだ」というメッセージなのだ。
 そしてそのメッセージに誰よりも向き合おうとしたのがシロエという青年だった。シロエが人知れぬ苦しみを抱えてきたのを、にゃん太は知っている。この件に関しては、あるいは年若く楽天的な直継や、シロエにあこがれるアカツキよりも、自分自身がシロエに近い場所にいるのかもしれないとにゃん太は思ってきた。
 自分の半分ほどの年齢でしかないあの生真面目な友人ににゃん太は敬意を持っていた。そんな年下の友人を持つというのは、歳へた人間にとって得難い宝だとにゃん太は理解している。そしてにゃん太自身もシロエの指摘と向き合ってきた。

 ヤマトに住む〈冒険者〉同士の戦争。その可能性は早いうちに無視しうるほどに低くなったとシロエやにゃん太は考えていた。元来戦争には強い忌避感を持つ日本人である。特に日本人同士ともなれば精神的な抑止力が働く。凶悪事件やストレスによる自爆的な犯行は起きるかもしれないが、全面的な戦争の可能性は低いとみている。それは、ヤマトの〈冒険者〉が〈円卓会議〉と|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》に分かれた現在でもだ。
 〈冒険者〉と〈大地人〉の戦争については、それよりも可能性が高い。特に〈大地人〉を人間だと認めない〈冒険者〉が多ければ大問題に発展するだろう。しかし、その可能性は〈冒険者〉同士のそれに比べて高いとはいえ、そこまでではないと思われた。戦闘能力が違いすぎるためだ。戦争よりも、支配や征服のほうが可能性としてはよほど高い。
 このいびつな世界において〈冒険者〉と〈大地人〉は互いに補完し合う存在だ。生産や消費などのあらゆる側面において、互いが互いを支えるような構図になっている。その事実を早い時期に実感として周知できた〈円卓会議〉の功績は限りなく大きいとにゃん太は考える。
 残された組み合わせは〈大地人〉同士の戦争であり、これについてはにゃん太もシロエも答えを出せなかった。
 ふたりは〈大地人〉ではないのだ。戦争は悪だという教育を受けた二人は、もちろんそれに忌避感がある。しかし、〈大地人〉同士が戦争を決意したとき、それを止める権利があるかと言われれば首をかしげざるを得ない。彼らにも主権があると言われれば、理屈の上ではその通りだからだ。
 そのうえ現在の状況や〈大災害〉後の技術的発展を見れば、〈冒険者〉自らが積極的に関与しなくても、〈大地人〉が戦争を行った時、その規模を拡大させる片棒を担いでしまうのではないかという恐怖があった。それについてシロエと話したことはないが、恐らくシロエが見詰めてきた未来の一端は、そこにある。

「ロンダーク、お前はこの世界に戦乱をばらまく気なのにゃ?」
「そんなつもりはまるでない。それを考えているかもしれないのは俺にクエストを発行した〈大地人〉さ」
 その言葉をきっかけに戦闘が再開された。

 突き(ファーント)を繰り返し、にゃん太は距離を詰める。
 にゃん太の中で燃え盛る炎は青白いほどに猛り狂っていた。
「お前はそれに手を貸しているにゃ!」
「それがなんだ」
 ロンダーグが手を一振りすると、五つの光球が産まれた。雷光の小さなアークを浮かべる〈インパティエンスボルト〉が術者とにゃん太の間に割り込むように動く。この呪文は、近接攻撃を受けたとき自動的な反撃を行う〈妖術師〉の防御術だ。本来前線に出ない〈妖術師〉にとって重要度の低い呪文ではあるが、それだけに威力は大きく対人戦(PvP)戦術の起点ともなる呪文である。
 にゃん太の左腕がはじかれて痺れる。
 いつもだったら躱せていた攻撃であるはずだが、突き動かされるような衝動が制御できなかった。
「たくさんの〈大地人〉が喪われるにゃ!」
「あいつらの望みだ。望んでする戦いだ」
「未然に防ぐことができるにゃ」
「そのクエストは見てないな、〈盗剣士〉(スワックラー)!」
 ロンダークの〈フロストスピア〉も〈バーンドステイク〉もその出がかりをつぶした。発動を察知して詠唱に割り込む技は〈盗剣士〉のなかでも最速に属する〈二刀突剣〉(ツインレイピア)のにゃん太の得意とするところだ。しかし、同時ににゃん太の側の大技も封じられている。ロンダークは〈アストラルバインド〉によるにゃん太の機動力封じを狙ってくるために、隙の大きなキメ技を出すことができない。
 それでも普段のにゃん太であるならば冷静で軽妙な返し技から勝負を有利に進めることができたはずだ。それができない自分に、にゃん太は苦い若さを感じた。久しく感じていなかった激高が己の内側にある。

「クエストがなければできないのかロンダークッ!」
「黙れよ、偽善者。俺は、俺はっ――。この世界に、招かれてないんだよ」
 悲痛な声が響いた。

「俺はな、この世界に招かれてない。用無しなんだよ。異世界に行きますか、イエス、ノーって、選んだか? お前は。――俺は選んでない。無断で俺はこの世界に連れてこられた。俺に選択肢はなかったし、招かれてもいないんだよ。お前たちは、招かれたんだろう? だからそうして呑気にしてられるんだろう!?」
「ちがう、我々は、誰ひとりとして招かれてないのにゃ」
「お前たちがどうかなんて興味はない。だが俺は少なくとも招かれちゃいない。俺は俺の意志とはかかわりなくこの世界に連れてこられたんだ。この世界は俺を俺の意志とは関係なく、俺を勝手にしようとした。だから俺も世界に勝手なことをしてやる。俺は間違ってるか、〈盗剣士〉!」
 火球が産まれた。二つに分裂しさらにそれが四つに分裂し、唸るような吠え声を立ててにゃん太に迫ってくる。その攻撃呪文をにゃん太は懐から取り出した投げ札(スローイングカード)で迎撃する。銀色の鉄片が火球を打ち抜き三つまでを防ぐが、残りのひとつはにゃん太の細剣にまで迫り、負傷を負わせた。

 間違っている。
 そう言えれば良かった。にゃん太は潰れそうな思いを抱えて細剣を操った。泣きわめくようなロンダーグの魔法を、切り裂き、跳ね飛ばし、確実に勝てるはずの闘いの決着は遠かった。
 ロンダーグは間違ってはいないのだ。少なくともロンダーグの世界において、ロンダーグは間違っていない。怒りに燃えるにゃん太は、それでもそれがわかってしまった。だからこそにゃん太は引き裂かれていた。
 ロンダーグの怒りと慟哭は正当なものであった。ロンダーグは被害者で、その状況は正されるべきだ。元の世界への帰還を望む〈冒険者〉は、速やかにその希望をかなえられ、弁済を受けられるべきである。
 もちろんロンダーグ個人の希望を叶えるため、その憂さ晴らしのために、ほかの個人が傷つけられたりその権利が侵害されるべきではない。それは社会のルールだ。しかし、その社会自体、ロンダーグを招いてはいない。少なくともロンダーグはその社会に参加すると契約をしたわけではない。ロンダーグは部外者だ。すべての、部外者なのだ。
 そこにあるのはロンダーグとこの世界という戦争状態である。戦争状態であるロンダーグはこの世界に何をしてもいいと考えているし、それは間違っていない。戦争だからといって人道は守るべきであるというのは簡単だ。しかし、ロンダーグに対して〈大災害〉が人道を守ったのかと言われれば、守っていないという事実しかない。つまるところロンダーグの復讐は正当なのだ。
 アキバの街が目をそらしてきたのが彼らで、この世界には同じ痛みを抱えた〈冒険者〉が数多くいる。ロンダークの痛みは、かつてにゃん太が感じたことがあり、またすべての人々が感じたものでもある、その怒りは正当であり反論することが事実上できない。
 もし地球でそういう思想の人間が社会に存在した場合、自らを社会と戦争する個人であると考える存在がいた場合、社会はその個人を武力制圧することはできるだろう。警官隊で取り押さえ、拘束し、拘禁することができる。場合によっては軍が出動することもあるかもしれない。彼らの復讐はもはやテロリズムの域にあるからだ。
 そのようにして何らかの処罰を下すことはできる。しかし、それはつまり「除去」である。社会のほうが絶対的正義であるからそれが可能であるわけではない。ほぼすべてのケースで社会のほうが人数が多く、単純に言えば、強いから、戦闘能力があるから、個人を暴力で排除することができるだけである。
 本人の同意なく個人に理不尽を強いたという、世界の罪が解決されたわけではないのだ。

「……それはすべての人がそうなのにゃ」
 剣を下ろしたにゃん太にロンダークの乱流魔法〈タービュランス〉が襲い掛かった。
 おびえ、自暴自棄になったロンダークの攻撃がにゃん太を切り刻んだ。
 しかしにゃん太はもはやそれを防ぐ気にも、切り返す気にもなれなかった。
 にゃん太の感じていた怒りが消え去ったわけではなかったが、それを超えるほどの悲哀に包み込まれて、胸がつぶれそうな痛みだけが残っていた。
 ロンダークの問題は、にゃん太には解決できない。
 おそらく誰にも解決することはできない。
 できるのは被害者であるロンダークを暴力で排除することだけであり、にゃん太はそれが正しいとは思えなかった。
 セララを救うことには意義があった。あのススキノでセララをかばいながら〈ブリガンティア〉と対峙できたのは、恐らく幸運だったのだろう。にゃん太と仲間たちは、このロンダーグと向き合わないですんだからだ。いまもにゃん太の背中には〈記録の地平線〉の仲間たちがいる。それはわかっているが、にゃん太の剣は動かなかった。
 ただ無力感がにゃん太を縛り付けていた。



 ◆





「わたしも出ますっ! ウルフちゃんっ!」
 そんな叫びと共に駆けだしたセララのほうを一瞥もせず、ミノリはロエ2を見上げていた。トウヤとセララは戦場に駈け出し、本来であれば自分の援護が必要かもしれないとちらりと考えはしたけれど、彼女はこの場に立ち止まることを選んだ。
 ロエ2との会話は重要で、おそらく今をおいて他に機会がないということを直感したからだ。

 にわかに視界が精度を増して、ミノリの耳元に予感がざわざわとささやきを続けた。それはチョウシの町で〈緑小鬼〉(ゴブリン)の防衛に駈け出した時と同じおののきだった。あるいは〈生産者ギルド連絡会〉でシロエの援護をすると決めたときの感覚だった。
 いま何かがミノリの上に訪れて選択肢を提示した。ミノリは息をつめて心の中で大きな跳躍を選ぶ。間違えているかもしれないし後悔するかもしれない。しかし、選ばなければらない。目を見開いてだ。自分がなにもできないと思うその思い込みこそが、自分を縛る鎖なのだ。ミノリはそれをかつて〈ハーメルン〉で学んだ。高い授業料だったと思う。だから決して忘れない。
 トウヤが戦場へ向かって駆け出したのだ。同じ戦場ではないかもしれないが、ミノリが戦場に立たないということはあり得ない。
 そしてミノリが最も重要だと直感した相手が今ミノリを興味深げに見つめているのだ。
「いいのかい? ミノリはあっちに向かわなくて」
 ミノリは唾液を飲み込んで、こくりと頷いた。
「そうか。その質問は、二回目だね」
 再び頷くミノリはロエ2をみつめた。
 丸い眼鏡の奥の瞳は理知的で、その光彩に自分が写るのをミノリは見つめた。ロエ2がシロエに似ていると思ったのはその瞳のせいかもしれなかった。瞳の色と眉の形が、シロエによく似ていた。
「……」
「……」
 ふたりは見つめ合った。
 緊張感をはらんだそれであっても、ミノリはちっとも物怖じしなかった。
 それがとても不思議でミノリはその理由を考えていた。まだ出会って数日の見ず知らずの〈冒険者〉だ。気さくな口調の女性だから親しみやすくはあるが、先ほどの発言を考えれば、好意的にとらえても正体不明と評するほかない。
 そんな女性に対してもっと恐れたり危機感を覚えてもいいはずなのに、ミノリは緊張こそすれ、そういう気分にはなれなかった。そんな自分の心を、ミノリは興味深く記憶した。

 ロエ2は不意に視線を上げると、戦場のほうを見やった。
 その視線の先をミノリも追いかけて、醜悪な戦いを目撃することとなった。崩れた戦線はもはや秩序だった戦いを不可能にしていた。どこにあるのかはわからないが〈移動神殿〉で復活したのであろう〈オデッセイア騎士団〉のメンバーが、〈闇精霊の従者〉や〈鋼尾翼竜〉の区別もつけずに突っ込んでいく。
 本来であればレベル差により圧倒的優位なはずの〈オデッセイア騎士団〉は蘇生直後の能力低下により本来の実力を発揮できていないようだった。そして発揮しようとも考えてはいない。戦士職によるヘイト管理も、回復職による状態管理も関係なしに、やみくもに攻撃を加えては、討ち果たし、討ち果たされていく。
 そこにあるのは混沌とした消耗戦であり、狂気の戦場だった。
 平和なもとの世界はもとより、この異世界ですら見たことのないほどの混乱がミノリたちの眼前には広がっていた。
「ひどいね」
 頷いた後にそれがロエ2の言葉だったとミノリは気づいた。
「まったくひどいありさまだ。行ったことはないけれど、地獄というのはこういう場所なのかもしれないね。ここには得るものがひとつもない。これに関わるのはひどくリスキーだしメリットに欠けると思う。なんで彼らがこんなことをしているのか、わたしにはさっぱりわからないよ。別段わかりたいわけでもないけれど。それをするためのコストが回収できる気もしない」
 ロエ2は女性にしては低い声でつぶやきを続けた。
 内容が完全にわかるわけではなかったが、その口調はどこかシロエに似ているようにミノリには思われた。
 ロエ2とミノリはその戦場をしばらく眺めていた。
 地面に引きずりおろされ、狂乱したかのようにのたうつ〈鋼尾翼竜〉が打ち取られ、討ち果たした〈オデッセイア騎士団〉の背中に黒い炎のような闇精霊の魔法が撃ち込まれ、混迷はその度を深めていった。

『そうじゃない。なんで、そんな……もっとほかに、あるだろっ? もっと他に戦い方が、もっとちゃんとした戦い方がっ』
 トウヤの悲痛な叫びが聞こえた。抗うような叫びだった。
 その声はパーティーチャットを経由してミノリやロエ2のもとに届いたのだ。その叫び声に背中が炙られるような焦慮を感じながら、ミノリはそれでもかじりつくようにロエ2を見つめ続けた。

 近頃だんだんと距離ができて、以前の重ね合わせたスプーンのようだったトウヤの気持ちや考えがわからないことが増えてきた。しかし今のトウヤの憤りはわかる。トウヤの言葉にならない慟哭は、自分たちの無力への嘆きだ。子供でしかない自分たちへの真っ白い怒りだ。双子であるミノリにはそれがわかる。
 世界はあまりにも強大だった。あまりにも理不尽だったし、圧倒的で、ミノリやトウヤの気持ちなどお構いなしだった。すべての物事は大質量の工場機械のようだった。それらがベルトコンベアーのようにミノリたちを運んで、望むと望まないとにかかわらず、未来へと連れていくのだ。その未来とは小さくかしこまるしかない未来であった。ミノリたちにとって世界はそうだった。
 学校でも、家でも、街を歩いていても、ミノリたちが自分たちの自由にできることはあまりにも少なかった。
 たとえばスニーカーの色を選ぶことはできた。ノートの柄を選ぶことも。たまに夕食のメニューをリクエストすることもできた。でも肝心のことは何一つ自由にはできなかった。転校したことも。誕生日に両親と一緒にいたかったことも。トウヤの足を元通りにすることも。
 聞き分けの良い子供を演じていたトウヤが人一倍自分の無力を憎んでいたことをミノリは知っている。無力だからこそ、少しでも背伸びをしようとしていたのだ。無力だからこそ、自分たちの力を夢見て〈ハーメルン〉の罠にかかりもした。
 そんなトウヤの慟哭がわかるからこそ、ミノリはこぼれる涙をぬぐいもせずに、ロエ2を見つめた。

「トウヤが泣き叫んでいる。セララは〈大地人〉すべてに手当たり次第に〈ハートビート・ヒーリング〉をかけている。五十鈴とルンデルハウスも町の人々を守りながらこちらへと進んでいる。――しかしそれでも、これ(、、)はどうにもならない」
 ロエ2は芝居がかったしぐさで右手を振って戦場のすべてを指し示す。ミノリはその言葉に頷いた。それはただの事実だ。どんなに胸がきしもうと、事実なのだ。
 ロエ2はそれを確認するとミノリに逆に問いかけた。
「こんな場所で質問するんだ。ミノリの答えを聞かせてほしいな」
「え?」
「そんな質問をするのだから、ミノリは答えを持っているんだろう? ミノリは何者なんだ? そしてわたしは、誰だい? どこから来て、どこへ行く?」
 ロエ2の問いが世界を止めた。
 戦場の怒号が意識の中で一気に遠くなりホワイトノイズめいた背景音にかわる。
 ミノリは問の意味を考えた。
 ロエ2の正体なんて、ミノリにはまるで分らなかった。〈エルダー・テイル〉において知らないことのない、ヤマトサーバー屈指のプレイヤーであるシロエなら知り合いであるかもしれない。あるいは卓越した推理力で、ロエ2にまつわる謎を解いてくれるかもしれない。でも、ミノリには無理だ。何か秘密があるとは思うのだが、それが何なのか、ミノリにはさっぱりわからなかった。ロエ2はなんだかとても遠くから来たような雰囲気を感じる。その程度の事しか言えない。
 それでもミノリはロエ2を見つめながら、その瞳の中に答えを探そうとした。
 おうむ返しのような問いかけそのものではなく、その意図するところを考えた。ロエ2の理知的な微笑みの意味を考えた。彼女の望みを考えた。
 そして、その問いかけの中でミノリは自分自身に出会った。
 ロエ2の問いはロエ2に対するミノリの洞察を訪ねているのではないのだ。ロエ2がだれなのか? 真実は何なのか? それすらも今この瞬間、重要度が下げられた。
 ミノリは自分の落ち着きの正体を知った。ミノリは、ロエ2のことが好きなのだ。最初から親しみを感じていた。その話を聞きたいと思ったし、考えが知りたいと思った。だから恐れなかった。ロエ2に近づきたいと思った。それは不思議な感情の動きだった。

『そんなことない。兄ちゃんたちがどう思ってるかわからないけど、この世界は――』
『そんなこと、あるもんか。僕たちはいつだって――』
 パーティーチャット越しに聞こえたふたりの叫びとともに音楽が降ってきた。
 空から落ちる〈鋼尾翼竜〉がスローモーションになる世界の中で、懐かしい旋律が聞こえてきた。千切れてしまいそうな思いを、必死であつめて、つづるような、それは五十鈴の歌声だった。
 相手(ロエ2)の正体のすべてがわかったから親しくなりたいと思ったわけではない。
 親しくなりたいと思った後に正体を知りたいと思ったのだ。
 ミノリが出会った自分自身は、つまり、自分の望みだ。ロエ2は、ミノリに望みの形を聞いてくれたのだ。もしかしたら「聞いてくれた」というこの推測さえ、ミノリの願望なだけかもしれない。でも、そう考えただけでミノリは救われた。
 もはや謎解きの時間は終わった。
 ミノリはただまっすぐ願いを口にすればいいのだ。
 だからミノリは、この場で口にすべき唯一の回答をロエ2に告げた。

「わたしはシロエさんの弟子です。ロエ2さんはわたしたちのお姉ちゃんです。遠くから来て、遠くへ行っちゃいますけど、今はここで、ここに、一緒にいますっ」
 ロエ2がびっくりしたように眼を見開いた。
 それはやはり、ミノリの大好きな人によく似ていた。



 ◆



「〈エレガントアクト〉!」
 近接攻撃技で〈闇精霊の従者〉を弾き飛ばした五十鈴は、身体をケープのように包む繊細な波動で反撃を察知すると、回転するように身をかわした。
 その回避行動で開いた射線には一条の火線が引かれ、すでに手傷を負っていた〈闇精霊の従者〉は一瞬の停滞の後、虹色のシャボンとなって消え失せた。
「なんなんだ、こいつらは一体」
「わかんない。でも急に出てきたね」
 五十鈴とルンデルハウスのふたりはミノリたちの待つ町はずれへと向かっていた。とはいえ、まだ戦闘は遠いというミノリの言葉に甘えて、街中の避難などに手を貸していたためにすっかりと出遅れてしまったのだ。そうこうしているうちに、街の北側はなぜか乱戦状態に突入しているようだった。
 いまのところは敵の数も大物も少ないためにふたりでもなんとかなっている。
 個別撃破に徹すれば〈吟遊詩人〉(バード)〈妖術師〉(ソーサラー)の組み合わせは攻撃力もあり悪くはなかった。
 五十鈴の顔を見て上機嫌になったルンデルハウスがいつにもまして気合いを入れているという事情もある。五十鈴としては涙で腫れたみっともない顔を見られたのが不本意で仕方ないが、そういう恥は頭から追い出すことにした。考えることが多すぎるし、今は戦闘中なのだ。
 実を言えば、苛立ち紛れにルンデルハウスに当たってはみたが、五十鈴はちっとも覚悟が決まっていなかった。吹っ切れたし、気持ちが軽くなったことは確かだったが、五十鈴が一晩苦しんだ問いかけは、そう軽いものではない。五十鈴にしてみれば生まれて初めての「本当の問題」だ。答えを出せと言ったって、出るものではない。
 だからこそ放置もできない。本当に、真剣に悩んだ。いくつもの願いが心の中に去来して、五十鈴はぐちゃぐちゃにかき回されている。本当は、五十鈴だって、一歩踏み出したい気持ちは、あるのだ。
 それを自分に対して認めるのが怖い。
 いまこうして戦っている現在でも、それについて意識を向けると叫びだしたいような気分になる。
 五十鈴は要するに普通の女子高生なのだ。
 どこにだっているわき役なのだ。
 大それたことをすれば、笑いものになるのはわかっている。細いばかりでパイプみたいな手足も、頑固者なこの髪も、ケアをしてても消えてなくならないそばかすも、身の程をわきまえろと五十鈴に忠告しているようだった。

「もうっ、困るっ」
「どうしたんだ? ミス五十鈴」
 つい愚痴のようなつぶやきを吐き出してしまったせいで、先行していたルンデルハウスが振り返った。
「ううん、なんでもない。わわっ!」
「む?」
「危ないよ、ルディ。こっちこっち!」
 五十鈴はルンデルハウスの腕を引っ張って脇の廃ビルへとひっぱってゆく。気が付けばルンデルハウスのMPが三割ほどになっていたのだ。左右を用心深く見回しながら緑に覆われた遺跡に入り込んだふたりは、柱だけになって壁を失った二階の瓦礫に背中をくっつけて座った。
「大丈夫かな」
「このビル周辺には〈闇精霊〉の気配はなかった。しばらくならば平気だろう」
 顎先を指でつまんだルンデルハウスが思案顔で答えた。
 〈エルダー・テイル〉における十二のメイン職業のうち〈妖術師〉(ソーサラー)は最大の火力を持っている。しかしそれと引き換えるかのように、MP消費は激しく燃費がいいとは言い難い。ヘイト上昇というデメリットを無視したとしても、攻撃力を求めれば求めるほど湯水のようにMPを使ってしまうため、戦闘の合間にこうして小休憩をはさむことはどうしたって必要になるのだ。
 五十鈴の援護歌があるから、五分もあればルンデルハウスのMPは回復するだろう。もっともたかが数分とはいえ、この種の休憩はなかなか難しい。戦闘の物音というのはモンスターを引き寄せることがあるのだ。もし見つかってしまえば連戦になる可能性もあるし、そうなればMPが底をついて全滅することもあり得る。数分の休憩とはいえ、見通しの良い通路などは避けて、出来れば周辺監視ができる物陰に入ることが望ましい。
 連携訓練でさんざんやったおかげで、その辺は抜かりがない。
「ミス五十鈴、問題はないか? 息は切れていないか?」
「ん。大丈夫。ルディこそ」
 そうはいったが、ルンデルハウスは息遣いもだんだんと静まってきた。こう見えて彼は負けず嫌いなのだ。基礎訓練の上に個人鍛錬までしているのを、五十鈴は知っている。
 遠くで爆発音や破裂音が響いた。大規模魔法特有の響きだ。
 ふたりはそれに耳を澄ませた。戦場の音だった。
 どうやら完全に乱戦になってしまったようだった。海側はともかく、町の北側はそこかしこで火柱が上がり、あるいは鋼の響きが木霊している。〈闇精霊の従僕〉は人間サイズゆえに前線を突破することが可能だし、〈鋼尾翼竜〉はその飛行能力で戦場を蹂躙する。防衛は最初から無理があったとしか言えなかった。

 パーティーチャットを経由してトウヤの叫びが聞こえた。
『ここには、みんなが住んでいるんだ』
 トウヤの声に、ルンデルハウスが拳を握りしめたのがわかった。そう、このサフィールは〈大地人〉の町で、多くの〈大地人〉が住んでいる。
 ルンデルハウスは〈冒険者〉になったけれど〈大地人〉でなくなったわけではないのだ。五十鈴にはそれがわかっていた。チョウシ防衛戦の時、五十鈴にはそれがわかっていなかった。知ってはいたが、理解していなかった。
 あの時五十鈴はルンデルハウスの命を守ろうとして、その心配ばかりをしていた。向う見ずに飛び出そうとするルンデルハウスを思慮の足りない青年だと思いさえした。しかし、それは違ったのだ。ルンデルハウスは同胞である〈大地人〉を守ろうとしたのだ。命を落とすことを恐れない愚者ではなく、命をかけることをためらわない勇者として戦おうとしたのだ。そのあり方こそがルンデルハウスの目指した〈冒険者〉だったからだ。チョウシの町において、ルンデルハウスは、シロエとの契約を結ぶ前から〈冒険者〉だった。
『散開しろ! ビルを盾にしろ!』
『なんで、騎士様たちはわたしたちの守り神じゃないの』
『うるさい!』
 表通りの叫びはあまりにも凄惨だった。〈オデッセイア騎士団〉はとうとう町を守るというポーズすらもかなぐり捨てたようだった。これだけの乱戦になれば、後ろを守る余裕がないのはわかる。
 守れ、とは言えなかった。〈オデッセイア騎士団〉は対価をもらって守護任務を遂行しているわけではないのだ。たまたまこの町に、そしてあちこちに滞在しているだけなのだ。五十鈴は知らないが、彼らは彼らの目的があるのだろう。勝手にあがめて勝手に期待して、守れとは、言えない。たとえ〈冒険者〉が不死であってもだ。
 しかし、五十鈴の隣ではルンデルハウスが拳を震わせていた。じりじりと回復していくMP残量を睨みつけながら、唇をかみしめていた。

――自殺じゃない。この世界では誰ひとり死なないんだ。だから自殺なんてものは存在しない。俺たちは、帰りたいんだよ。
 五十鈴は念話越しのその叫びを聞いた。
 それは胸を突くようなひとりの男の叫びだった。ただ元の世界に戻りたいと、それだけを願う望郷の告白だった。五十鈴はそれをかなえてあげたいと思った。しかし同時になんてひどいことを言うんだろうとも思った。この世界には、死んでいく人(だいちじん)だって確かにいるのだ。
 五十鈴はライブの夜を思い出して胸を抑えた。
 五十鈴の歌に必死にふってくれた手は、〈大地人〉のものではなかったか?
 あの手の持ち主のきらめく瞳は、五十鈴に何を告げようとしていたのだろうか。

「ミス五十鈴」
「ルディ?」
 食いしばった口から漏れた言葉は強く、何かをこらえるようだったが、
「それでも、僕らは」
 ルンデルハウスの言葉は途切れた。

 それでも僕たちは、生きているということを言いたかったのか、それとも、それでも僕たちはここにいる、ということを言いたかったのか、五十鈴はわからなかった。たぶん、ルンデルハウス自身にもわからなかったに違いない。
 戦場のかなたを睨むように見開かれた瞳は隠しきれない涙をためていた。
 死闘の中にあっても胸を張り、天に召されようとするあの瞬間にさえ小さく笑っていたルンデルハウスが、歯を食いしばって涙をこらえていた。その涙は己のために流す涙ではなかった。〈大地人〉が、理不尽に耐えるための涙なのだ。災厄のような化け物に襲われ、〈冒険者〉の一団を頼り、すげなく見捨てられ傷ついていく同胞。それだけではない。〈オデッセイア騎士団〉は〈大地人〉を同じ人間だとはみなしていないのだろう。
 ルンデルハウスの握りしめた拳は「それでも僕たちは」と同じ途絶を表していた。それはどこへも辿り着けない怒りだ。理不尽と出会い、その苦情を申し立てるべき相手すらいないのだ。
 ルンデルハウスは理不尽(それ)と戦うために〈冒険者〉となったが、しかし勝利が保証されるわけではない。ルンデルハウスはあと何回、この思いを味わうのだろうか? その数はおそらく数えきれない。
 それでもルンデルハウスは胸を張りたいのだ。
 それは〈大地人〉すべての願いでもあるのだと、五十鈴は思った。

(ああ。そだよね)
(わたし。ラッキーだった。地球に生まれて、パパの娘で、ラッキーだった)
(悲しいときも、つらい時も、たくさん歌があったから)
 五十鈴は目をぎゅっとつぶって、胸元を確かめた。
 昨晩一晩荒れ狂い、押さえつけていた想いがとうとう溢れ出してしまった。

 五十鈴は救われてきた。
 常に救われてきた。
 悲しいときには悲しい曲が。
 楽しいときには楽しい曲が。
 勇ましいときには勇ましい曲が。
 五十鈴の周りにはあふれていた。

(ひどいね。ここ、ひどすぎだよ)
(神様に文句つけなきゃ、絶対だめだよ、こんなひどいことないよ。歌がないなんて。四十二しかないなんて。そんなの耐えられない)
 そんな場所があるなんて想像したこともなかったのだ。
 生まれたときから当たり前にあったから、あまりにも身近だったから、その恵みに気が付くこともできなかった。
(泣きたいときに歌えないなんて、そんなのないよ)
(怒ってる時に歌がないなんて、悲しすぎるよ)
(神様に言いつけるための歌がないなんて、ずるだよ)

 朝焼けも、青空の昼も、茜色の夕暮れも、星の夜も。五十鈴の歩くすべての場所に、五十鈴の過ごすすべての瞬間(とき)に、あふれるほどの音楽があった。
 そこには無数の綺羅星のような音があふれていた。

〈大地人〉(みんな)には――ないんだね)
 五十鈴は持っていた槍を投げ捨てた。金属音を立てて転がっていくそれには目もくれず、背負っていた〈精霊遊戯のリュートフライング・ドルフィン〉を構えた。視界を奪う涙を思いっきり袖でこすり上げ、乱暴に弦をかき鳴らした。
 五十鈴の愛器は威嚇するような響きをたてた。
 きっと五十鈴と同じ気持ちなのだ。
 不愉快だ。こんなのってない。間違っている。
 思いが裏切られるのも、理不尽に申し立てができないのも、笑顔でいられないのも、音楽がないのも、間違っている。五十鈴はただの女子高生だが、間違っているものは間違っているのだ。五十鈴が偽物だろうが何だろうが、もう、関係ない。

「ミス五十鈴……?」
「ルディ、行くからね」
「へ?」
 胸の中が燃えていた。絶対に許さないと思った。
 ほんの僅かばかりの曲を作っただけでこの世界を放り出した神様にケンカを売りに行くのだ。その決意は五十鈴が今までした中で最大のものだった。五十鈴が大好きで、大事にしてきたものをバカにされたのだ。神様か五十鈴がへろへろになって倒れるまで、いいや、神様が泣いて謝るまで、絶対にやめない。五十鈴は誓った。
 ルンデルハウスが拳を握って言葉を失う必要なんて、何一つない。

「ケンカに」
「ケンカに?」
 びっくりしたようにおうむ返しをするルンデルハウスを無視するように、五十鈴は廃ビルの崩れ落ちたフロアから、大通りを見下ろした。もはや階段を使ってやることさえも苛立たしかった。
 最初のストロークはCの和音だ。
「ミス五十鈴!?」
 弦を滑り落ちるグリッサンドのように、五十鈴は埃っぽい空中へと飛び出した。
 ルンデルハウスも、トウヤも、ミノリも、セララも。
 五十鈴自身も。
 うつむかなければならない理由なんて、ひとつもありはしない。

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