058
出発の準備は問題もなく進んだ。
〈冒険者〉の財産の多くは自室やギルドホール、銀行の貸し金庫の中、あるいは自らの荷物の中にある。この世界のベテラン〈冒険者〉は、いくつかの重量軽減バッグ、すなわち〈魔法の鞄〉を持つことが常識だ。冒険に必要な消耗品や装備をそっくり持ち運ぶことは決して珍しいことではない。
ましてや〈シルバーソード〉は大規模戦闘に特化したレイドギルドだ。その精鋭メンバーともなれば日常がそのまま戦いである。ウィリアムの命令がくだされれば夕暮れまでにその準備はすっかりと揃っていた。
〈大災害〉のこの世界は〈エルダー・テイル〉がゲームだったその頃と比べ、十二倍の体感時間を持っているようだ。さらに〈妖精の輪〉を自由に使えない現在、長距離を移動する時間は驚くほど必要になっている。ススキノから見た場合、〈パルムの深き場所〉へとたどり着くためにはライポート海峡を渡らなければならない。シロエと直継、リ=ガンは〈鷲獅子〉で海峡を飛び越えたが、総勢二十四名となるとそういうわけにもいかないと思われた。
〈シルバーソード〉もヤマトサーバーで覇権争いに参加していたレイドギルドの一角として、飛行騎乗生物を所持しているメンバーは多かったが、全員ではない。無理をすれば揃えることもできるようだったが、ウィリアムはあっさりと陸行を決定。シロエもそれに従った。
〈シルバーソード〉はウィリアムのギルドであり、指揮をとるのは彼がふさわしい。
シロエも直継もその理屈はよく分かるため、ウィリアムの指揮下へとあっさり入ったのだ。なんだかんだとごねていたのは、むしろデミクァスとてとらのほうであった。デミクァスはそのプライドがじゃまをするのだろう、文句を言わずにはおれないようだったし、てとらはてとらで「ボクは空飛ぶアイドルになりたい」などと直継を困らせていた。
全くなつかれたものだとシロエは思う。
直継にもいろんな春が到来なのだろう。
陸行となるとルートはひとつに限られる。ライポート海峡の地下トンネルを通り抜けるのだ。この地下トンネル〈Z五三九〉も〈エルダー・テイル〉の例に漏れずダンジョンとなっているのだが、中心レベル九十三に達する二十四名フルレイドの部隊にとっては、全く脅威とはならなかった。そもそも四十レベルもあれば、単独行でも通り抜けられるダンジョンなのである。
ウィリアム率いるレイド部隊は、海峡地下を通るそのダンジョンを進んでいた。
〈エルダー・テイル〉における集団戦闘の単位の基本は、パーティー、すなわち六名である。フルレイド二十四名も、基本はこのパーティーだ。六名の部隊を四つ組み合わせることによって構成され、この時それぞれのパーティーを第一から第四の名前で呼称する。
大規模戦闘は千差万別であり編成に正解は存在しない。しかし一般に言って、第一パーティーは防御力に優れた編成を行い、第二パーティーは遊撃的な動きをするためにバランスを重視して編成する事が多い。第三、第四は攻撃をその主任務とするために火力を重視してメンバーを揃える。
この部隊編成は大規模戦闘をするにあたって最初の難問だといえるだろう。
組み合わせの基本となる考えは、メンバーのメイン職だ。たとえば、第一パーティーの戦士職つまり第一防衛役は、大規模戦闘全体を通して、最強のモンスターの攻撃を常にひとりで引き受け続けなければならない。そのためには最高の防御能力と高水準のHP、さらには最強のタウント能力によるモンスターの敵愾心を一身に集める能力が必要とされる。これらの要求を満たすメイン職は〈守護戦士〉をおいて他にはない。〈武士〉も候補にあげられるが、盾の装備の有無を考えると〈守護戦士〉のほうが安定度の点で優れている。
しかし、これはあくまで一般論だ。
参加している〈武士〉のほうが〈守護戦士〉よりもレベルの高い場合や、装備の質で優れている場合などはこの限りではない。さらにいえば装備やレベルよりも大きな影響をあたえるのは、第一防衛役をつとめる〈冒険者〉の性格だ。大規模戦闘におけるまさに中心、敵の攻撃を長い間受け止め続けるという防衛役は、大きな負荷のかかるポジションである。技術ももちろんだが、そこでは精神の強さや、仲間との絆が求められる。同じ〈守護戦士〉でも攻撃に意識が向きがちで、仲間全体を誘導したりかばったりするのが好きではない〈冒険者〉もいる。彼らは第一防衛役よりも、指揮や、第三、第四といった攻撃斑での活躍に向いている。
つまり、大規模戦闘を行う部隊の編成というのは、職業やレベルだけではなく、参加者全員の性格まで考えぬかなければベストな組み合わせを見つけられない難しいパズルなのである。戦う相手のモンスターによって弱点や行動は様々であり、その対応策も考え合わせると、答えは千変万化、二十年もの間指揮官を悩ませ続けてきた難問なのだ。
ウィリアムが陸行を選択した理由は、そこにあるのだろうな、とシロエは当たりをつけている。つまり新入りメンバーの性格や癖を把握して、本番の編成の参考にするためだ。
(でも、これ、まったく参考にならんだろ)
そう思うシロエは第二パーティーの取りまとめを指示されている。
メンバーは、〈付与術師〉のシロエ。
〈守護戦士〉の直継。
〈施療神官〉のてとら。
〈森呪遣い〉のルギウス。
〈盗剣士〉のフェデリコ。
〈武闘家〉のデミクァスだ。
ルギウスとフェデリコは〈シルバーソード〉の古参であり、思ってたよりずっと友好的にシロエを迎えてくれた。
問題なのは当たり前ながらデミクァスであり、戦闘が始まるたびにパーティーの誰よりもはやく飛び出しては、うっぷんを晴らすかのようにモンスターを打ち倒してゆく。モンスターの平均的なレベルは三〇から四〇。レベル九三のデミクァスが障子紙でも引き裂くように撃破できるのは当然である。しかし、それでは性格も連携も見れはしない。
シロエは何度か諌めようと声をかけたのだが、デミクァスの威嚇するような短い返答に会話にならない状況だった。
「焦っても仕方ないですよ」
人懐っこい表情のルギウスはそう声をかけてくれる。
「年内くらいに終わればいいですね」
ルギウスのその考えはある意味当然だった。
そもそも大規模戦闘は、挑戦さえすれば一朝一夕に突破できるような課題ではないのだ。〈エルダー・テイル〉時代を思い出してみても、ひとつの大規模戦闘ゾーンには無数の通常モンスターと、五体から十体のボスモンスターが存在する。通常モンスターでさえ気を抜けば全滅だ。ボスモンスターともなれば、十数回の全滅を繰り返しながらその能力を探り、突破口を見つけてやっと勝利するというのが大規模戦闘である。
大規模戦闘ゾーンでは全滅をしてもプレイヤータウンの大聖堂まで移動するなどということはない。ゾーンの入り口で復活である。いわばゾーンの入り口が、大聖堂と同様の復活エリアとして機能しているのだ。
全滅したとしてもゾーン入り口から再挑戦できると考えたとしても、試行錯誤の回数は相当な数にのぼるだろう。一ヶ月程度はかかると考えるのは妥当であった。
ルギウスの発言を裏付けるように、シロエもウィリアムの指示で、一ヶ月分以上の食料や消耗品を買い込んできている。用心深いシロエはそれに飽きたらず〈魔法の鞄〉が許す限り様々な素材や道具を詰め込んできたため、実際には二ヶ月程度攻略ゾーンにこもることも可能だろう。
監視を逃れるためにはそのほうが都合が良い。シロエはそう考えている。ススキノは辺境で過疎だとはいえ、プレイヤータウンのひとつである。人目につく可能性は高い。未発見だったゾーンにこもることができるのならばまだしもそのほうが安全だった。それもどこまであてになるかわからないとシロエは思うのだったが……。
もちろん、とはいえ、時間をかけたいわけではない。
いくら篭っているとしたところで長引けば長引くほど情報漏洩の危険は高まる。そもそもシロエの予想が正しければゾーン切り替え程度で振りきれる監視ではないのだ。アキバの街ではにゃん太とアカツキがシロエのアリバイ工作をしてくれているはずだが、それさえも、どこまで通用するかわからない。だから、できればはやく決着をつけたい。
シロエはそう焦る思う気持ちの中に、人恋しさ混じっていることに気がつく。
不思議だな、とつぶやいて頬を人差し指で掻いた。
過ごした時間はたかが半年にすぎないのに、古木に包まれたようなあのギルドホームが懐かしい。ミチタカに作ってもらった木の香りするフローリングのダイニングで、みんなの明るい声を聞いていたい。風がそよぐベランダで夕日を眺めながらほうじ茶を飲んでいたい。そのためには今回の任務を成功させなきゃいけない。今は自分がギルドマスターなんだから、とシロエは気合を入れなおした。
「わうっ?」
シロエが奇声に視線をやると、てとらが目を丸くしてこちらを見ていた。
「なんだなんだ?」
「シロエさんが笑ってた! ひとりで笑ってたよボク見たよ」
「そりゃ笑うくらいすんだろ」
「ほんと!? 初めて見た……」
極めて失礼なやりとりをしているのは、直継とてとらの二人組だった。
「シロは、ほらあれだよ。むっつりだから」
「ああ。そうかあ……。シロエさんかわいそう。ぱんつみる?」
「お前アイドルとして自分からみせちゃいかんだろ」
「見せないよ。聞いただけだよ。興味本位の質問だよ。見せるくらいなら不可抗力を装うよ。そんで見た人を通報するよ」
「お前本当に最低のアイドルだな」
「やだなあ。直継さん。惚れなおしてもボク、一人のモノになるわけにはいかないのに」
全く口を挟む隙のないコンビネーションにシロエはもちろん表情にこそ出さないがびっくりする。そんなシロエの前で「惚れてない」と直継がてとらを一喝して、てとらはてとらで「そんな冷たいことを言うなんてツンデレさんだなぁ、登るぞう」と直継にしがみついていた。
本当に相性がいいのだろう。
見てるシロエも、失礼な言葉にむっとしていたのも忘れて、なんだか楽しい気分になってくる。考えてみたらまだ出会って二日目なのだ。シロエの笑顔を見たことがないのも当然だし、お互い知らないことしかないくらいだ。
何かを言って直継を怒らせたてとらが逃げ出し、それを追いかけて直継が駆け出す。シロエも別段止めたりはしない。ふたりであればこのダンジョンのどんなモンスターでも問題なく倒せるだろうし、そもそも付近の敵はデミクァスが片付けている。
それでも一応「気をつけろよー」と手をふったシロエの背後から、「おまえら本当に余裕あるんだな」という声がかかった。
巨大な弓矢を背負った完全装備のウィリアムは、前方を鋭い表情で見つめながらシロエの隣に並ぶ。
「余裕が有るというか、お気楽なだけなんですけどね」
シロエはそう返す。
ウィリアムはその言葉に苦笑したようだった。
ここ数日でわかってきたのだが、ウィリアムの鋭い、警戒するような表情は、その内面を表しているわけではないようだ。彼にとってその表情は平時のそれであり、別に不機嫌だということはないらしい。皮肉そうな小さな笑いだって、べつに深い意味は無いのだ。それがウィリアムの通常運転である。
優れたレイドの指揮官は、メンバーの進みたい方向性や性格を把握していなければならない。そうでなければ編成も指揮も機能させることができない。
その一方で、レイド参加者の方も、自分たちを率いる指揮官のことを少しづつわかっていく。指揮官の指示にしたがうだけでは意味が無いのだ。その意味や込められた意志を理解して初めて、連携行動に必要な反応速度を得ることができる。
第二パーティーのリーダーを任せられたシロエは意識的にウィリアムの人となりをつかもうと努力していたし、そうすれば、ウィリアムが、その不機嫌そうないつもの表情からは想像できないほど、自らのギルドメンバーや周囲のことを考えていることがわかった。
それもある意味当然で、その程度の能力がなければ、〈シルバーソード〉というサーバーランキングに登場するような戦闘ギルドを率いることなどできるはずもないからだ。
「あいつはあのまんまみたいだけどな」
その曖昧な言葉の意味は、ウィリアムの視線がモンスターを撃破する巨漢に向かっていることでわかった。たしかに、第二パーティーの連携の中で、デミクァスだけは浮き上がっている。
「不安はそこなんですけどね」
罪悪感と申し訳無さを感じたシロエの言葉にはその色が滲んでしまっていた。しかし、ウィリアムは不敵に微笑むと小さく頷いたのだ。
ウィリアムはその細いアゴを摘むように左手で撫で回し、鋭い双眸を苦笑するように眇めた。
「だけど、あいつにだってチャンスは必要だろうぜ。挑むにしろ、諦めるにしろ。レイドが始まればわかる。デミだってわかるさ。わからなきゃ、本当にそこまでだってことなんだからな」
いろんな部分がかけたウィリアムの言葉の意味を、シロエはまだ理解することができなかった。
◆
そして三週間がたち、一行は攻略の途上にあった。
一ヶ月で目処をつけると予定はもろくも崩れ去り、先行きはどんどんと不透明になっていった。三週間が経過して撃破したボスはまだ二体。ゾーンの全体像すらつかめてはいない。
一行の雰囲気は厳しさと倦怠感を増していた。
「くっそがああ!」
高く吠えたデミクァスに心の中で毒づきながら、ルギウスは必死に単体脈動回復の呪文をかける。これでデミクァスのHPは二十秒程度の間、一定量ずつ回復をし続ける。巨漢戦士の身体を取り巻くグリーンとオレンジの拍動は魔法の視覚効果だ。
デミクァスはお得意の突進から中段の突きを黄土色の粘体生物に付きこむ。
〈ライトニング・ストレート〉。思い切り前傾姿勢となって放つ渾身の一撃は、いともたやすく泥濘のような敵をうちぬく。しかし、それではダメだとルギウスは悲鳴をあげそうになる。
デミクァスの攻撃は〈貪り食う汚泥〉の身体を貫き、粘着質の音を立てて飛散させた。周囲に飛び散ったそれらは鼻を突くような異臭をたてて、溶解を開始する。攻撃を加えた当の本人、デミクァスさえもが白煙を立てているのだ。強酸性の身体をもつ〈貪り食う汚泥〉に対する近接攻撃は、攻撃者本人にも大きなダメージを与える。そのくせ、五メートルを超えるような巨大な粘体はさして痛痒を感じていないようにさえ見える。
「いわんこっちゃない!」
ルギウスはデミクァスへ向かって駆け出す。脳筋戦士の突進によって、回復呪文の有効射程距離である二十メートルを超過しているのだ。事前に付与した〈ハートビートヒーリング〉によりデミクァスの体力は回復し続けているが、それでは全く足りてない。即時回復や小回復をくみあわせてHPを維持しなければ、デミクァスはまた倒れる。
いつもこうして連携を乱すデミクァスへ、ルギウスは苛立ちを感じていた。
左右の排水口から重い音を立てて新手の〈貪り食う汚泥〉があらわれる。
混戦である。
ルギウスが信奉するウィリアム率いるこのレイド部隊は二十四名、四パーティーから成り立つが、一定以上の防御能力を持つのは第一、第二のふたつのみである。第一パーティーは防衛と敵の固定に特化しているため、最前線で多くの〈貪り食う汚泥〉を引き受けなければならない。
第三、第四パーティーは火力を担当し、その任務は、敵性存在の殲滅だ。モンスターを倒すことに特化しているが防御性能はさして高くない。第一パーティーが引き受けたモンスターをすみやかに排除するのがその役割となる。
と、すれば、ルギウスが参加中の第二パーティーの役割は遊撃である。
第一パーティーが受け止めきれないほどのモンスターが現れたときは分配して受け止め、あるいはレイド部隊へ不意打ちをしてきた多数の敵がいる場合は、それらから第三、第四といった柔らかいパーティーを護衛するのが任務だ。
レイドの華はやはり最大最強の敵と相対して一歩も引かない第一パーティーだが、第二パーティーは臨機応変な判断と即応を求められる戦術的にも重要なポジションである。メンバー全員が自分たちのパーティーに求められる役割を理解していないと、有機的な連携は難しい。
左右からモンスターの待ち伏せによる追撃。
第一パーティーは前線へ突出しているために引き返すことは難しい。デミクァスはなかなか進まない戦況に焦れてそちらへ特攻していってしまったのだ。そのタイミングでの敵増援は危険だった。増援が現れたのは第三第四パーティー、つまり防御能力を持たない後衛部隊の両脇なのだ。特に遠距離攻撃を行っていた魔法職は軽装だ。襲われればひとたまりもない。
(他人の事言ってる場合じゃないじゃんよ!?)
ルギウス当人からして、突出したデミクァスを追いかけるために駆け出しているのだ。
あまりにもゆっくりと地面を蹴りつける自分の足を意識しながら、半透明の汚いマンゴーゼリーのような壁が迫ってくる。
やばいかな。そうおもったルギウスの右手に、銀色の塊が突っ込んできた。
「〈アンカー・ハウル〉ッ!」
鼓膜をビリビリとしびれさせるような気迫で〈守護戦士〉が〈貪り食う汚泥〉の一体を引きつける。同じ第二パーティーの直継だ。有名ではあるが小さなギルド出身と聞いていたルギウスは、何度目になるかわからない感心をする。なかなかどうして大規模戦闘に慣れた動きだ。
モンスターは、醜悪な身体をぶるるんと震わせて、直継へと目標を定めたようだ。盾をかざして防御的な戦闘を継続する直継は、自分から積極的な攻勢に出れば酸による反撃で被害が増えることを理解しているのだろう。挑発特技や盾をうまくつかってダメージを抑える姿は、技術的にはルギウスたち〈シルバーソード〉の専任防御役、おなじ〈守護戦士〉のディンクロンを超えているかもしれない。
その直継を挟み撃ちにするように近づいてきた左側の〈貪り食う汚泥〉は、膨れ上がる餅のような姿で伸び上がり、そのまま動きを止める。
〈アストラルヒュプノ〉という鋭い呪文詠唱を聞くまでもなく、それは〈付与術師〉の催眠呪文だ。この呪文の対象となったモンスターは、二〇秒程度ではあるが、一切の行動を停止する。もちろん「催眠」であるために、少しでもダメージを与えればその状態は解除され攻撃をしてくるが、それでも戦闘に参加する敵の数を減らすことができるというのは、巨大な恩恵だ。もっともこのゾーンは大規模戦闘ゾーンであり、登場するモンスターはすべて強化された大規模決戦ランクである。催眠による停止時間は短縮されおおよそ四秒。しかし、四秒あれば、伸び上がったモンスターの脇を駆け抜け、前線まで到着することなど、造作も無い。
「敵増援、支援要請! 進行方向八時、〈貪り食う汚泥〉っ!!」
〈アストラルヒュプノ〉を仕掛けたシロエの声が響く。
その声に従い、第三第四の攻撃パーティーがその目標を変えた。まっさきに着弾するのは司令官ウィリアムの〈ラピッドショット〉だ。水晶の矢が流れ星のようにきらめき、巨大な〈貪り食う汚泥〉の横腹に拳大の貫通痕をあける。そして、炎、氷、雷撃の魔法攻撃が間断なく振りそそぐ。
レイドモンスターは例外なく膨大なHPをもっている。十数人の集中攻撃をもってしても、とどめを刺すためには短くない時間がかかる。当然、シロエが行動を抑止していた〈貪り食う汚泥〉も活動を再開するが、四秒もあれば〈守護戦士〉が十分な敵愾心を稼ぐことは十分に可能だ。
ルギウスは軽装の〈施療神官〉が跳ねるのを見た。
てとらとかいうあの回復屋も見た目以上に場数を踏んでいる。〈ライトインディゴ〉なんて聞いたこともないような泡沫ギルドだが、一週間でレイドに適応したようだ。装備品は軽装で、全身鎧を装備可能な〈施療神官〉のセオリーからは外れている。しかし、それを理解して弱点が露呈しない立ち回りを工夫している姿には、非凡なセンスを感じた。
てとらは小刻みな出入りを繰り返して、反応起動回復をばらまく。そして〈貪り食う汚泥〉が身体をギュッと圧縮する動作を盗んで、直継の背後に隠れた。〈守護戦士〉の強力な防御力を城塞のように使って、レイドモンスターの強力な範囲攻撃から身を隠すためのプレイヤーテクニックだ。
「直継さん、平気ー?」
「ばっちりこいだぜ、このスライム祭りっ」
「やったー! 直継さんカッコいー!」
「お前俺を盾にしたよな!?」
「回復したげるからまたボクの犠牲になってよ!」
毎回騒がしい二人にルギウスは笑ってしまう。シロエとその連れ二人は全くそのタフさを失わない。大したものだと思う。
このゾーンの高い天井からは不思議な光が降り注いでいる。魔法式の明かりか、発光キノコかなにかだろう。そのせいでダンジョンの中とはいえ、ほのかな明かりで周囲を見回すことは難しくない。探索時には〈蛍火灯〉による照明もある。
しかし、それでもここは地下数百メートルなのだ。〈パルムの深き場所〉の最下層、さらにそこから大規模戦闘ゾーン〈奈落の参道〉に入った現在、どう少なく見積もっても頭上には数億トンの土砂や岩盤があることになる。それは普通の学生や社会人だったに過ぎない〈冒険者〉にとって少なくないプレッシャーだ。
ましてやこうして探索中ともなれば、どこから不意打ちを受けるかわからない複雑な構造と排水口がさらなる圧迫を加えてくる。攻略状況も芳しくはない。別にサボっているわけではない。このゾーンの難易度がルギウスの想定以上なのだ。
一日八時間から十時間をかけて、モンスターとの戦闘は十回前後。その程度しかできていないのだ。一回一回の戦闘が厳しく、体勢復帰にも時間がかかる。探索範囲もなかなか広がってはいない。
にも関わらず、臨時加入した三人組は少しもへこたれてはいないようだった。
ウィリアムに率いられた最精鋭である〈シルバーソード〉のメンバーでさえ少なくはないストレスを感じているというのにだ。一般的な〈冒険者〉とくらべれば、この三人は一言で有能という以上の活躍を見せていた。それはレベルや特技、装備というよりも、性格に由来するもののようであった。
「いくよー。いっちゃうよー。もしボクに恋しちゃったらゴメンね?」
「いいからはやくしろよっ」
「てへ。ではいきます。みんなのリクエストに答えて。――聞いてくださいっ! 〈オーロラヒール〉!!」
七色の光が乱舞して、周辺エリア広範囲の仲間たちの怪我を回復してゆく。〈貪り食う汚泥〉の範囲攻撃は、ターゲットとなる防御役だけではなく、剣や斧など近接攻撃の間合いにいる攻撃職すべてを巻き込む。同輩のフェデリコもそのHPは半分ほどまで低下中だ。もちろん余裕があれば彼らを回復するのもルギウスたち回復職の役割だが、役割から言えば、モンスターの直接攻撃を一身に受ける戦士職をどうしても優先せざるを得ない。
てとらはデミクァスのフォローへ駈け出したルギウスの穴を埋めるために、詠唱の長い大技でその穴を埋めてくれたのだ。
「やったあ。ボクって賢くて可愛くて完璧じゃないですかあ!」
「はいはい、態度はあれだけど、ヒールは感謝だぜ! せやっ!」
「攻撃を集中! 近接範囲攻撃は控えてっ」
シロエが支援呪文をてとらに向ける。それと同時に癒やしを受けたフェデリコも前線へと復帰したようだ。
あくまで楽しげな声を背後に聞き、ルギウスも必死で回復呪文を繰り出す。
どうやらこの〈貪り食う汚泥〉は武器攻撃職や戦士職にとってはかなり相性が悪い相手のようだ。近距離で攻撃を加えるたびに飛沫が飛び散り、反撃のようなダメージが発生する。強酸性の煙によって発生するステータス異常や範囲攻撃も脅威だ。それが一体ならまだしも、戦場の位置取りによってはいまのように、四、五体も同時に襲い掛かってくるのだから始末に悪い。
「デミクァス下がれっ」
「こんな雑魚相手にっ」
叫びながらデミクァスは〈ファントムステップ〉で後退する。その両腕からは刺激性の白煙がもうもうと立ち上っている。武具の傷みもバカにならないはずだ。
「くそ、はやく治せよっ」
「でかい声で喚かなくても聞こえるよ」
ルギウスは〈ヒール〉の詠唱を開始する。デミクァスのHPは残り僅かだ。このまま再突撃すれば、あっという間に戦闘不能になる。それがわかっているから下がってきたのだろうが、苛立ち悪態をつく態度はいただけない。
デミクァスはルギウスの返答が気に入らなかったのだろう。凄まじい目つきでにらみ「わかってんならさっさとしろ!」と吐き出した。
ルギウスはやれやれと溜息をつく。
確かにデミクァスは厄介者だ。
同じパーティーメンバーとしてどうにかしてほしい。
こうまで単独での突撃をされれば、回復作業が破綻してしまう。こちらの呪文の射程範囲を全く考えずに突撃するので、陣形が引きずり回されこういったピンチを招くのだ。
もちろん本人の死亡回数も多い。大人数でレイドをする場合、周囲には必ず回復職がいるために、戦闘中に死亡してもすぐさま蘇生を受けることが可能になる。ルギウスたちレイドギルドの〈冒険者〉にとってそれは気絶をしてたような軽い意味合いだが、それでも死亡している間は一切の行動ができない。戦力という視点で見れば、死ぬということはレイド部隊全体のパフォーマンスを下げる行為にほかならない。
さすがに最近ではそれを学習して、死ぬ前にこうやって後退をしてくるのだが、これもまた効率の面から見ればいただけない。回復待ちの間、前衛は第一パーティーが支えているのだ。デミクァスが退いた隙を、第一パーティーが出力を上げ補完している。
つまり、デミクァスの身勝手な突出は、周囲の善意やフォローによって支えられているのだ。それが途切れれば、部隊全体を巻き込み崩壊させるスタンドプレーであろう。
(けどなあ)
さらに〈ヒーリング・ウィンド〉〈ハートビートヒーリング〉を重ねたルギウスは、鎖から解き放たれたように前線復帰するデミクァスと並走しながら考える。
しかし、それでも、公平な視点で見た場合、デミクァスはまだ優秀なのだ。
地下深くに引きこもったまま三週間に及ぶ探索行。その間連日過酷な戦闘を繰り返している。全滅こそしたことはないが、参加メンバーはそれぞれ十回を超えるほど死亡しているだろう。
この状況に置かれた一般人がストレスを貯めて周囲に当たり散らすことは当たり前といえば当たり前だ。〈記録の地平線〉のシロエたちがこんな極限状況で陽気さを保っていることのほうが、ずっと異常なのだ。
ルギウスは自分のことをことレイドに関してはエリートだと思っている。
あのウィリアムに率いられているのだ。地獄の古参兵だという自覚がある。
それはルギウスに限らず〈シルバーソード〉のメンバーは全員がそう思っている。自分たちはサーバーで最強だという自負だ。
しかしその大規模戦闘専門のギルド、最強ギルドだといきがっていた〈シルバーソード〉さえ、その中核メンバーは〈大災害〉前の二割、四十人程度まで落ち込んでしまった。在籍はしていても、一線の大規模戦闘から手を引いたメンバーも居る。
現在の大規模戦闘、しかも、〈冒険者〉とレベルが互角なゾーンへの挑戦は、それ程に過酷なのだ。
その証拠にサーバで一位だとうそぶいていた〈D.D.D〉などは、戦闘レベル五〇程度の〈七つ滝城塞〉などで遊んでいるではないか。
ルギウスたちにしてみれば笑えて仕方がない。九〇レベルが雁首を合わせて五〇レベルのゾーンとは、大規模戦闘ギルドではなく大規模遊戯ギルドを名乗るべきだろう。
だがそうしたプライドを持っているからこそ、デミクァスを否定し切ることはできない。この巨漢の武闘家は頭が悪く連携を理解しない。聞く耳を持たないので周囲に迷惑をかける。態度も最悪だ。レイドという共同作業を行うにあたって、ほとんどの素質を欠いている。
しかし、臆病ではない。
〈D.D.D〉ですら自粛している九〇レベルレイドの只中で、死と暴力が吹きすさぶ混沌のなかで、この小生意気な〈武闘家〉は足だけは止めない。モンスターへの接触を厭うことがない。視線が、逃げない。
その理由がシロエや自分たち〈シルバーソード〉に対する妬みに端を発していることも、ルギウスは知っている。だがそれだけで乗り越えられるような恐怖でもないはずだ。身長の数倍にも達する粘液の塊や、目の前で自分の手足を貪り食う魔獣に、意地だけでどうして向かっていけるというのだろう?
ルギウスは仕方なく、守護の呪文を自身とデミクァスへと掛ける。
形勢は悪い。
探索は一向に進んでいない。〈シルバーソード〉ですら、その克己心がじわじわと擦り切れていくような、おそらくサーバで最も厳しい戦場がここにある。だが、この乱暴者を見殺しにする訳にはいかない。いまはただ被害を防ぐために回復役の本懐を果たすために疾走するのだった。
◆
しかし〈シルバーソード〉の信頼を受けるウィリアムは苦しみの中にあった。
一日の戦闘を終え、仮設というには手の込んだ野営地の中で、彼はいままでの探索結果をまとめた紙束を放り出して、帆布の椅子がひっくり返りそうなほどにのけぞって背筋を伸ばす。
「うまくねえな」
「そうですね」
同席するのは〈記録の地平線〉のシロエだ。この眼鏡の青年は、ウィリアムには太刀打ちできないほど美しい地図を書く。ウィリアムはだらしなく両足を広げて大きな姿勢でチェアを揺らしながら、溜息をつく。自分でも眉根が寄っていることを意識できるほどだ。
「後どんくらいだと思う?」
「そうですね……」
シロエはひときわ大きな絵地図を指先でたどる。
「あと、三。いや、四」
それはこのゾーンで想定されるボスエネミーの数だ。
大規模戦闘には様々な種類があるが、このゾーンは典型的な踏破型のレイドダンジョンである。レイドダンジョンは、一般的なダンジョンをそのまま拡大強化して、レイド用にあつらえたかのようなコンテンツだ。
パーティー用よりも広大なダンジョンゾーンには多くの通路や小部屋があり、場合によっては罠や謎かけが存在する。その迷宮の要所要所には印象的な大広間や空洞があり、それら要衝を守るかのように強大なレイドボスが存在する。
すべてのレイドエネミーは大規模部隊で討伐する対象だ。このゾーンでいえば二十四人での調整が前提となっているために、六人組程度の戦力では挑戦しても蹴散らされるだけである。二十四人で仕掛けても油断をすれば敗退する可能性があるほどなのだ。しかし、通常のレイドモンスターであるのならば〈シルバーソード〉は確実に探索を進めることができる。ここまでもじわじわとこのゾーンの地図を埋めてきたのだ。
問題はレイドボスであり、彼らの討伐は通常モンスターとは別の戦術を必要とする。
このゾーンで討伐を成功させたのは〈一なる庭園のヴァンデミエ〉〈五なる庭園のエルレイーダ〉である。どちらもただ強力なだけではなく、特殊な能力を持ち、複雑な戦闘を余儀なくさせられた。
「厳しいな」
「前の二体との戦闘も、随分アクロバティックでしたしね」
レイドボスとの戦闘はいつでもそうだ。
強力なメンバーを揃えて挑むだけでは、勝つどころか戦闘を成立させることすら難しい。
どちらの戦闘でも全滅こそしなかったが、それは文字通り全員が死んだ瞬間はなかった、という意味であり、二十四名のうち数人の生き残りが逃げ出し、残りのメンバーを安全地帯で蘇生するという意味での撤退は二十回以上繰り返している。戦闘中蘇生も含めて、メンバーは相当回数戦闘不能になっているのだ。
もちろん、いくつかの見返りはある。道中に出現する〈貪り食う汚泥〉や〈変異した鷲獅子〉、〈毒根の多頭花〉などから〈始原の泥〉、〈変異性皮革〉といった大規模戦闘でしか手に入らない高位素材を多数入手することができた。これは職人系の能力を持つ〈冒険者〉がアイテムを作成する時、素材になるドロップである。非常に高性能なアイテムの材料になるわけであり、いくら値がつくかわからないほどの貴重品だ。
さらに〈一なる庭園のヴァンデミエ〉〈五なる庭園のエルレイーダ〉からは合計で七つの強力な幻想級装備を手に入れた。
こういった装備はサーバーの先陣争いをする大手レイドギルドにとっていつも大きなモチベーションになってきた。特に今回手に入れたアイテムは、どれも今まで見たことがない種類のものだ。性能で言えば過去の幻想級アイテムの延長線上にあるものではあるが、〈シルバーソード〉にとっては十分喧伝に値する戦果である。
シロエが二十センチほどの無骨なケトルから湯気を立てるコーヒーを注ぐ。
それを眺めたままウィリアムは残りの日数を計算した。
「十日は、無理だろう」
「……」
ウィリアムを悩ませるのは補給の問題だ。
戦闘を繰り返せば繰り返すほど、〈冒険者〉の装備は摩耗してゆく。死亡した場合は通常以上に損壊するし、それは蘇生呪文では回復できない。装備を適正な状態に保つためには絶え間ない補修が必要なのだ。
もちろんそれは〈エルダー・テイル〉においては常識であり、ウィリアムも計算に入れていた。こういった踏破型の大規模戦闘では〈エルダー・テイル〉時代から懸念される問題点である。このレイドメンバーの中には〈鍛冶屋〉〈鎧職人〉〈裁縫師〉〈木工職人〉なども含まれている。戦闘の合間に修理を行うのは大手ギルドにとっては常識だ。
しかし、それも修理用の資材があってのこと。設備の整った工房のないこの状況下では、補修用の部材の消耗が激しい。そして、〈シルバーソード〉のような一流の戦闘ギルドのメンバーの装備、つまり幻想級のアイテムを補修するための資材は、それそのものも幻想級の素材を用いるのだ。
破損した装備品の補修だけではない。ウィリアムの用いる〈神水晶の鏑矢〉もそうだ。爆発的なダメージを叩き出すこの矢は、一流の職人が幻想級の素材を利用して作る逸品である。消耗品であるがゆえに素材アイテム〈神虹水晶〉から約五百本を生産することができる。しかし、五百という数ですらこの連戦の中では取るに足りない量にすぎない。一万本近く用意した〈神水晶の鏑矢〉もすでに二千本以上使ってしまっている。それは水薬や軟膏、霊符、巻物といったすべての消費型のアイテムにいえることだ。
つまるところ、大規模戦闘というものは大規模戦闘による独特の循環を形成している。
大規模戦闘によって得た装備を維持するためには、大規模戦闘によって得る資材が必要で、それによって、より難易度の高い大規模戦闘に挑戦する資格を得るのだ。より難易度の高い挑戦に勝利をすれば、更に高性能な装備が手に入る。しかしそれを維持をするためには難易度の高い戦闘に挑戦し続けなければならない。
歴史があり安定したレイドギルドは、こういった循環のバランスを取るために、難易度がそこそこでも良い素材が調達できる大規模戦闘を定期的に行う。補給のためにだ。しかし、〈大災害〉で〈妖精の輪〉が機能不全になったいま、世界各地に散らばったレイドゾーンを巡るのは難しい状況にある。仮にそれは可能だったとしても〈シルバーソード〉は実戦武闘派のギルドだ。補給のためだと妥協してぬるいゾーンに行くという判断には忌避感があった。
〈大災害〉以降、ウィリアムは駆けぬけてきた。
それに後悔はないが、だとしてもいままで溜め込んだ大量の素材アイテムや資材を吐き出すという結果につながった。二十四人クラスの人数であれば、自分たちはこのサーバー最強の戦闘集団だとウィリアムは自負している。しかし、その懐事情は散々なものなのだ。
「僕の方でもアキバで用意した素材があります」
「どのくらい、もちそうだ?」
「それでも追加して十日」
シロエの返答も苦いものであった。〈記録の地平線〉は聞けば八名足らずの弱小ギルドだという。そんな零細が〈シルバーソード〉最精鋭部隊補給の十日分を用意している、そのことだけでおどろくべきことだが、それでも事態打開には届かない。三週間でボスを二体撃破したのだ。二十日でその二倍、四体の撃破は難しいだろう。通例によれば、ボスは先へ行くに従い強くなっていくものと決まっている。
それに、ウィリアムの悩みはもうひとつあった。
それは目前の青年に由来する。
その表情を隠すように俯いて黙りこむシロエはなにか多くを隠している。
そもそもこのゾーンは不自然なのだ。
〈一なる庭園のヴァンデミエ〉。
〈五なる庭園のエルレイーダ〉。
他のボスは見たことがないが、その名前さえウィリアムは当てることができる。〈二なる庭園のメザラクラウ〉〈三なる庭園のイブラ・ハブラ〉〈四なる庭園のタルタウルガー〉だろう。このゾーンを守るボスたちは〈ヘイロースの九大監獄〉が誇る、悪夢の管理者たちと同じ名前、同じ姿を持っているのだ。もちろん、完全に同じではない。拡張パック〈夢幻の心臓〉で提供された大規模戦闘コンテンツ〈ヘイロースの九大監獄〉において、彼らは〈一なる監獄のヴァンデミエ〉、〈五なる監獄のエルレイーダ〉と呼ばれていた。翼を持つ蛇と、忘れ去られた白馬の姿を持つレイドボスだ。その彼らが、名前や姿をわずかに変えて再び姿を表している。当然のように強力になり、過去の攻略方法を葬り去った形でだ。
キャラクターデータの使い回しはゲームでは珍しいことではない。だから、このゾーンもそういう意味ではそういった数多い例の一つでしかないのだろう。そこには何らかの背景があるはずだ。この世界が、ゲームであるのならば。
シロエが何を隠しているのか、言えないでいるのかが判らない。
もっとも他人のことを言うとやかく言える立場ではない。
それもウィリアムの正直な気持ちだ。
自分たちが間違っているとは思わない。アキバを離れたことも、北の地で何度もレイドを繰り返したこともだ。思わないが、〈シルバーソード〉は様々な声から離れすぎてしまった。人間は間違ってないだけでは前に進むことはできない。そんなことをウィリアムはわかりたくなかった。俺たちは最強だと叫んでいればそれでいいと思いたかった。仲間たちが気弱になったら、ウィリアムが大声を張り上げてやれば不安を拭い去れると思っていた。
しかし、その果てまでやってきて、それでは足りない現実もあるとわかったのだ。
結局は認めたくないだけでウィリアムは間違っていたのかもしれない。
あの日シロエの誘いを断って〈円卓会議〉を蹴飛ばしたことがだ。
ウィリアムは、その話をシロエとしたかった。
しかしシロエはいま、なんだかはわからないが大きな秘密を抱えているし苦しんでいるように見える。そんなシロエに頭を下げて自分の迷いの答えを聞けるほど、ウィリアムは大人ではなかったし、そんな大人になりたいとも思っていなかった。
子供のプライドだと自分のあざ笑うような気持ちもある。それでいいじゃないかなにが悪いと開きなおる気持ちもまたある。
徐々に悪化していく備蓄状況、地下深くで逃げようのない場所での大規模戦闘、そんなジリ貧とも言える状況の中で、自分についてきてくれる〈シルバーソード〉の仲間たちへなにを言ってやれるか? 生まれてこの方真剣にやったことなど〈エルダー・テイル〉しかないゲーム廃人の自分になにが言えるのか?
ウィリアムはなにもないと思う。自分にあるのは根拠のない強がりだけだ。
そのたった一つしかない武器を振り回して虚勢を張る子供が自分だと思う。しかし、一個しか武器がないのならそれを使うのもまた、当たり前なのだ。ゲーマーであるウィリアムにはそれが判る。
「シロエはどうおもう?」
「なにがです?」
その問い返しに、ウィリアムはがりがりと乱暴に頭を掻いた。
問い返されても応えることはできない。
つまり、ウィリアム自身にもチャンスが必要なのだ。挑むにしろ、諦めるにしろ。
自分が何者で何者になりたいかを証だてるために。道に迷って目に入るもの全てに喧嘩を売るデミクァスと〈シルバーソード〉になんの違いがあるだろう?
そしてチャンスは目の前に、戦いの中にある。ウィリアム自身がそう定めた。
だから苦しくてもやり続けるしかないのだ。