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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

供贄の黄金

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 大規模戦闘(レイド)とは通常のパーティー行動の制限数である六名を超えた多くの〈冒険者〉が合同で行う戦闘である。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代から盛んに行われた高難易度(エンド)コンテンツであり、数多あるクエストの最高峰も多くは大規模戦闘であった。
 一口に大規模戦闘といってもその種類はいくつかある。主に人数規模によって分けられ、最大規模総勢九六名で構成されるものはレギオンレイドと呼ばれるが、それを必要とするクエスト数はヤマトサーバー全域全レベル帯を合計してもけっして多くはない。
 もっとも一般的であり、大規模戦闘の醍醐味を凝縮したといわれるのは、六名パーティーを四つ束ねた戦闘規模、すなわちフルレイドである。総勢二四名の参加者を必要とするこの大規模戦闘は、サーバーにおける名誉獲得の花形であり、かつて〈エルダー・テイル〉がまだゲームであったころは、毎週末ごとに大手ギルドがどのような成果を上げるかの予測と発表がともなう、ゲーム内での注目ニュースだった。
 シロエがその昔所属していた〈放蕩者(デボーチェリ)の茶会(・ティーパーティー)〉もこのフルレイドをターゲットに活躍をしていた団体である。予備人員を含めれば百名を越える参加者が必要なレギオンレイドでは、とうてい大手ギルドにはかなわないという現実があったにせよ、フルレイドがサーバーの注目と人気を集める晴れの舞台だったことは間違いがない。
 一般には誤解されているが、大規模戦闘に必要なものは強力な装備ではない。
 もし大規模戦闘の入門に、大規模戦闘でしか入手できないような装備品や特技の等級が必要なのであれば、このエンドコンテンツをプレイできるプレイヤーは存在しないことになってしまう。いくら難関クエストであろうと、それはゲームとしてそうデザインされているのだ。プレイ可能なユーザーがいないのでは、運営会社はなんのためにそのコンテンツを用意したか判らなくなってしまう。
 プレイヤーの憧れであるためには難関でなければならないが、クリア不可能であってはいけない。レイドコンテンツのデザインとはセンスと経験を必要とするのだ。
 良いレイドコンテンツとはどういうものか?
 かつて〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、デザイナーズレターと称されるゲーム制作者からのメッセージの中でこのような言葉があった。
――仲間と一緒に成長してゆけるコンテンツ。
 シロエは、それは言葉通りの意味だと思う。
 レイドとはある時点の装備、強さを持った集団が、練習を繰り返すことによって突破できる難易度のコンテンツなのだ。この場合の練習とは、そのレイドコンテンツの仕組みの解析であったり、敵の特性の調査であったり、適切な作戦の立案であったり、その作戦を実行するにあたっての連携の習熟である。

 もちろん、ゲームキャラクターとしての性能は重要だ。それがあれば力尽くでレイドコンテンツを突破することが出来る。しかし、それでは早晩、高い性能を必要とするコンテンツで躓く。 そこで必要なのはメンバー同士の意識統一や意思疎通であり、装備や特技の等級といったゲームキャラクターを超えた人間同士の繋がりだ。
 つまり難易度の高いレイドコンテンツに本気で挑戦しようとするのならば、盟友と言えるような仲間が必要なのだ。連携の習熟には、時間がかかる。寄せ集めの〈冒険者〉で厳しい戦いに突入すると、要求される難易度から人間関係まで悪化しかねない。そうなってしまえばギルドのようなコミュニティは崩壊は免れ得ない。

 それだけにシロエは苦しんでいた。
 シロエはザントリーフ奪還作戦を通して、多くの知己を得ている。〈エルダー・テイル〉古参プレイヤーであったシロエにとってさえ、いままでに数倍するほどの〈フレンドリスト〉を手に入れたのだ。しかし、その念話による連絡網をいかせないでいる。〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉、あるいは〈西風の旅団〉といったレイド踏破専門の大型ギルドへ依頼をするのが一番勝率が高いのであろうが、アキバの主要戦力はすべて〈Plant hwyaden〉やさらなる一団の監視下にあると見ていい。いや、事実監視下にあることをシロエは確認している。これらの戦力を動かすことはシロエの予定上不可能だ。
 もちろん個別の〈冒険者〉で腕の良い人間もいる。しかし、レイドは集団コンテンツであるがゆえに、集団での習熟が不可能だ。即製の組織ではリスクが増大する。これから徐々に仲を深めていけばいい場合ならばそれでもいいだろうが、今回の任務は手早く終わらせたい。そう考えると、新しい組織をセットアップするのも躊躇われる。
 〈放蕩者の茶会〉があればなんの問題もなかったのに。シロエはそう思う。あの命知らずの集団であるならば、どんなレイドでも二つ返事で引き受けただろう。ぬるかんだのトゥリだのが奇声を上げて駆け出すのがまぶたに浮かぶようだ。あらゆる困難を目立つ機会くらいにしか捉えないカナミの仲間たちならば、今回の任務はうってつけだったのだ。

「わかった。いいぜ」
 だからシロエはそのあっけない返事に、必死に抑えてはいたけれど安堵のと域を吐きだした。
 目の前の銀髪の男は複雑そうな表情でシロエの要請を受け入れたのだ。
 ここはススキノ。日本で五つしかないプレイヤータウンのひとつ。現実世界でいえば北海道札幌の位置にある街だ。そのススキノの中心街にある大きな酒場は、いまや〈シルバーソード〉のギルドホールとして活用されていた。
 酒場とは言うものの天井の高いこの建築物は、開放的で湿った空気がない。ソファというよりはベンチのような木製の長椅子の上で、総髪のエルフ、“ミスリルアイズ”ウィリアム=マサチューセッツは鋭い視線をシロエに向けていた。
「ありがとうございます。――でも、詳しい話を聞かなくていいんですか?」
「聞かなくても教えてくれるんだろ」
 〈シルバーソード〉のギルドマスターと向かい合ったシロエは、言うべきことを頭のなかでまとめる。ともあれ、いったんは引き受けてもらえたのだ。後は詳しい説明をして協力を確定させなくてはならない。
 〈円卓会議〉結成のためのあの集まりを思い出せば、ウィリアムが相当に短気なことははっきりしている。長々とした事情説明はかえって良くないだろう。手分けをするためにも直継と別れ、〈シルバーソード〉本部までやってきたのだ。良い結果を持ち帰りたい。
「目的のゾーンは〈パルムの深き場所〉の深部から接続する新規レイドゾーン。侵入調査はしました。フルレイド規制です。敵のレベルは初期八十七より。発見者は僕たち。クエストで封印を解除しました。難易度は非常に高いと考えています」
「ふむ」
 菫星との会談のあと、シロエたち一行は再度〈パルムの深き場所〉最深部まで赴き封印の奥の調査を行った。封印そのものは継続中だが、リ=ガンの許可を受けた者は封印の大扉の奥へと侵入することが可能になるという上書きをしてもらっての調査である。その結果、予想通りその内部は大規模戦闘ゾーンであることが確認された。
 内部は天井の高い古代遺跡風――つまりは〈パルムの深き場所〉のイメージをそのまま地下へ掘り進めたようなエリアであった。発光する水晶に照らし出された地下空間は、縦穴とアーチ、無数の伽藍が連結したような不思議な施設である。
 遠目に確認した敵性存在は黄土色のゼリーのようなモンスターだった。この種の不定形生物は封鎖されている地下施設などで見られる。そのレベルは八十七。レベルだけでいえばシロエたちで十分討伐可能だが、ランクはフルレイド級、つまりは八十七レベルの〈冒険者〉二十四人で戦うことが想定されたモンスターだ。シロエたちは一戦も交えずに後退した。
 また、シロエがしていた予想のとおりゾーンは進入規制の制御下にあるようだった。二十四名までしか、このゾーンには侵入できないのだ。人数に任せた力任せの攻略はできないということである。

 シロエの簡潔な報告を、ウィリアムは唇のはしを歪めるような表情で吟味しているようだった。ほとんど最小限ともいえるようなシロエの言葉から、多くの情報をくみ上げているのだろう。レイド慣れしたベテランの〈冒険者〉であるのならばその程度のことはする。
「敵の種類は? 予想でもいい」
「見かけたのはスライム状のモンスター。大きさは直径五メートル以上。ここからは推測になりますが、施設形状と伝承から、巨人がいるのではないかと考えています」
「巨人か」
 〈エルダー・テイル〉には多種多様なモンスターが登場する。それは、製作会社が想像する限りありとあらゆる種類だといってもよいだろう。だがそれらモンスターにもいくつかの種別と呼ぶべきものが存在した。シロエたちがザントリーフ半島で戦った〈水棲緑鬼〉(サファギン)族や〈緑小鬼〉(ゴブリン)族などがそれだ。そのほかにも不死の|〈骸骨》《スケルトン》族や最強の幻獣〈真竜〉(ドラゴン)族なども有名である。そういった種別のひとつに「巨人」と呼ばれる区分がある。言葉のとおり巨大な人型のモンスターである。〈弧状列島ヤマト〉では比較的ポピュラーで、主に関東以北に生息している。〈単眼巨人〉(サイクロプス)〈霜巨人〉フロスト・ジャイアントなど、巨人といってもさまざまな種類が存在するのだが、総じて高いHPと攻撃力を誇り、一方で敏捷性は低い。一般的な巨人のイメージに反し、高レベルの巨人族は強力な攻撃魔法を行使する。〈魔狂獣〉(ダイアビースト)族や〈歩行樹〉(トレント)族にくらべて、強敵だといえるだろう。
「都合が良い。おれたちはススキノを根城にしてるから、慣れている」
 ウィリアムはそう言った。
 シロエはその言葉にうなずく。実際それは、シロエが〈シルバーソード〉をスカウトしようと決めた理由のひとつだった。現実世界の北海道、〈エッゾ帝国〉は〈大地人〉が巨人族と戦う最前線だ。アキバを離れた〈シルバーソード〉は巨人討伐のレイドコンテンツが豊富な薄野に本拠地を移した。その情報を知っていたシロエは、今回の任務を果たせる数少ない団体として〈シルバーソード〉をたずねてきたのである。

「だが、問題がないわけじゃねえ」
 ウィリアムは相変わらずの狷介な表情のまま続ける。
「〈シルバーソード〉はいまんとこ、開店休業だ。メンツ欠けてんだよ」
「え?」
「レイドについてこれねえメンバーもいたってことさ。ギルドにはとどまってても、もう大規模戦闘はいやだってヤツもいるし、ススキノにいついたやつだっている」
 ウィリアムの返答は厳しいものだった。
「つまり引退さ。ぬるいレイドならいけるだろうが、一番熱いレイドは、もうだめだ。。今回は最難関だ。俺たちは九十五までレベルを上げたが、だから楽勝とは思えねえ。連れて行けるのは二十人がいいところだろ」
「それは――記憶ですか」
 シロエの問いかけ、記憶喪失への恐怖を、ウィリアムは首を振って否定する。
「記憶が欠けていくって与太話だろ。俺たちはあんな話、信じちゃいない。それにびびってるわけでもないぜ。少なくとも化け物どもにびびってるわけじゃない」
「じゃあなんで?」
 シロエにはわからない。
 恐怖であるというのはわかる。いくら死からの復活が事実であったとしても、自らの息が絶えることには生理的な恐怖が付きまとう。痛みそのものは希釈されている。HPの大半を失った時点でも筋肉痛程度の痛みなのだ。死に逝くその瞬間でさえも耐えられないほどのものではないだろう。しかし、たとえば自分の胸から生える鋼鉄の剣は現実の光景として〈冒険者〉の克己心を打ち砕く。魔獣の爪で引き裂かれ、はらわたを貪り食われるという光景は一切の手加減をしてくれない。死には死だけが持つ恐怖がある。
 〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉などといった大手レイドギルドも、〈大災害〉以降最難関レイドへの挑戦は行っていない。そもそも〈大災害〉以降、戦闘の難易度は上昇しているのだ。パーティー単位でさえ視界不良やステータス監視の難しさから、〈エルダー・テイル〉時代よりも倒せるモンスターのレベルは下がっているというのは、多くの〈冒険者〉が指摘する事実である。大手ギルドがターゲットにする大規模戦闘の難易度を低めに設定するのも当たり前だろう。
(だから、死への恐怖が強くて、レイドメンバーが不足しているというのなら、わかるけど)
「なぜなんです?」
「シロエ……あー。さん」
「シロエでいいですよ」
「おう。シロエはあれからこっち、何回死んだ?」
 あれというのは〈大災害〉のことだろうと検討をつけたシロエは、「一回も」と答える。その答えにウィリアムは、その不機嫌そうな顔を困惑に歪ませて横を向いた。
 その表情は不機嫌と言うよりも、困惑しているようであった。
「判ってないやつには説明できねえ」
「……」
「死ぬと色々判んだよ。自分の下手くそとかセコいとことか、つまんねーとことか。百回死ねば、百回判んだよ。それが辛くて続かねえんだよ」
 唇を噛みしめたウィリアムは、若く見えた。
 やり場のない悔しさを抱えた、若きレイドマスターを、シロエは見つめた。シロエが理解すべきなにかがそこにあったが、シロエが必死にそれを考える瞬間はあっという間に尽きてしまったようだ。
 爆発的な音にシロエが振り向くと、見知った男が憤怒の表情で迫ってきたのである。


 ◆



 一方そのころ、直継とリ=ガンは同じススキノを彷徨っていた。
 季節は十二月。真冬のススキノは高い青空のもと銀化粧だった。そのススキノの広い街路を二人は歩いて行く。行く先は多くの飲食店や広場などだ。シロエとは別口でレイドメンバーを集めるつもりなのである。
 〈エルダー・テイル〉において、名前やメイン職業、レベルはその人物を見つめれば見れば表示されてくる。今回の冒険にあたってレベル九〇は最低必要だろうというのがシロエと直継の見解だった。そのほかにも所属ギルドや装備、物腰、話し方など、メンバーをスカウトするにはさまざまな要素があるのだが、最終的には勘でいいんじゃないのかと直継は考えている。
「仲間を集うのですか?」
「おう」
 猫背の魔法学者と並んでススキノの街をあるく直継は答えた。
「さくっと二〇人って訳は行かないだろうけど、目星はつけておきたいよなあ」
「そう上手くゆくものなのですか? 決戦のための戦士集めというのは」
「上手く行く時は行くんだけどな」
 直継はそんな生返事を返して付近をきょろきょろと見回す。以前来た時に比べて、街はずいぶんと穏やかになったように見える。〈冒険者〉同士が猜疑心の表情で伺いあうような荒れ果てたススキノではなくなった。
 〈シルバーソード〉がずいぶんと環境を改善したのだろう。それはシロエ経由のニュースで何となく聞いていた。アキバを離れたあのギルドはレイド環境を求めてこの北の町へとやってきたが、その影響は大きかったようだ。治安が崩壊して暴力都市になりかけていたススキノは〈シルバーソード〉に救われたのである。彼らはアキバの〈円卓会議〉に所属していないとは言え、一時はその十二ギルドへ選出されるほどの規模と強さを兼ね備えた団体だ。ススキノの街を我が物顔であるいていたごろつきたちとは練度が違う。同じ九十レベルであったとしても、彼らはれっきとした訓練を積んだ武力集団なのである。
 一級品の武闘派ギルドがススキノにいるだけでずいぶんと状況は改善したのだと、直継はシロエに聞いていた。
 毛皮のコートに円筒形の帽子を被った〈大地人〉の老婦人が大きな紙袋を抱えて歩いて行く。紙袋の中は食料品だろう。取り立てて上機嫌というわけではないが、警戒も顕わというわけでもない。子供のほうは楽しそうなので、きっと悪い状況ではないのだろう。足早なのは寒さのせいである。
 この通りを見る限り、歩く場所は除雪され、その両脇には十五センチほどの雪がのこっているようだ。寒いには寒いが、それなりに調和の取れた、優しい景色のように直継には見えた。軒先にはキラキラと輝く氷柱が垂れ下がり、街はクリスタルで飾られたアートのようだ。
 〈大地人〉が多い住宅地区を抜けると、通りが広くなる。中心部へとつながるススキノの動脈だ。以前来た時と同じように廃ビルは城塞じみた無骨さを見せているが、直継には、五月の冒険行のときよりも風景の中でずっと馴染んで見えた。それはこの雪国の建物が、外見通りの威嚇を目的としているというよりも、実は防寒を意図しているからなのかもしれない。
「おっさんは、ススキノは?」
「数回は来訪歴がありますよ」
「しばらく留守番してもらうことになると思うんだけど」
「ええ覚悟しています。あの深奥を探索するには、わたしでは足手まといでしょうからね」
 リ=ガンはいくぶん残念そうに答えた。
 パーティー前提のゾーンであるのならば、そこに出てくるモンスターは五、六人の〈冒険者〉が倒すことを前提としている。レベル差がある直継やシロエであるのならば、難易度にもよるが、リ=ガンを守りながら戦うことも可能である。そうして護衛をしながら〈パルムの深き場所〉を探索したのだ。しかし、二十四人の高レベル〈冒険者〉が挑む前提のレイドゾーンともなれば戦いは熾烈を極める。リ=ガンは予めの相談によって、このススキノで直継たちの帰りを待つことになっていた。
「やっぱり残念そうな」
「それはまあ。なにせ供贄一族の秘密ですからね。そこで見聞きできる情報全てには、まさに黄金以上の価値がある」
「できる限りはみやげ話持ってくるって」
 直継はリ=ガンにそう答えた。
「いえいえ、お気になさらず。これも〈ミラルレイクの賢者〉の御役目ですよ。それに、この街だって珍しいものはたくさんあります。いままさに冒険者の皆さんが発展をさせている現場ですからね。直継さんたちが攻略を進めている間、わたしはわたしで、ススキノを学ぼうと思ってます。北のこの地にどんな新しいものが生まれているか考えると、今からワクワクしますね」
 そう言いながらも、リ=ガンはニコニコとあたりを見回した。
 本当に好奇心が旺盛なのだろう。一応敬語は使っているが、直継から見れば同年輩の男性である。理系の学科で実験室に住み着いたゼミ生みたいなやつだなと直継は思う。人見知りのない直継にしてみれば、ざっくばらんに話を進められる面白い相手である。シロエと気が合うのも判る気がした。
「ま、そうだよな。このススキノだって見どころはたくさんあるさ」
「そうですね、この際ですから、〈都市間移動ゲート〉なるものも調査してみようかと」

「ひべっ」
 二人の会話を唐突な声が遮った。
 反射的に視線をやれば、コテージ風の家の脇に積まれた雪山に上半身を突っ込ませた姿があった。転倒したにしてはすさまじい姿勢だ。雪山に斜めに突っ込んだ顔面は直継からは見えない。ただ、ほっそりと形の良いホットパンツのおしりが突き出されていた。
「ないすぱんつ!」
 直継は笑顔で大きなサムズアップをした。
 小さめのヒップからなめらかで象牙のような太ももへの線が素晴らしい。
「同意せざるを得ないですね」
 となりで笑顔なリ=ガンをみて、ああ、こいつはやはり友だちになれそうだと直継は考える。むっつりぱんつだ。シロエと同じタイプだが、こういう時に素晴らしいと表明できる分、シロエよりも男気もありそうだった。
 そんな直継に、リーガンは理知的な返答をする。
「しかし、わたしは冒険者の風俗に詳しくありませんが、あれはいわゆるローライズなホットパンツなのでは? つまり、本当の意味でのパンツ礼賛に不適格では?」
「いいんだよ。仲間はずれはかわいそうだろ? 心にパンツがあればそれはパンツなんだよ」
「至言ですね」
「助けてよっ!」
 そんな二人に雪山を盛大に爆発させて立ち直った人物は抗議の声を上げた。随分深く頭を突っ込んでいたはずで、転んだというよりは、屋根から落ちてきたような有り様だったはずだが、可愛らしい鼻の頭の先端がちょっぴり赤くなっているだけのようだ。〈冒険者〉のタフネスはこんなところにも影響している。
「わるいわるい祭り」
「よいお尻があったので、つい」
 ふたりの悪びれない態度に、小柄な影は噛み付くように吠えた。
「ボクみたいな美少女のお顔が傷ついたらときめく男子の損失だよっ」
 直継は自分の胸のあたりまでしかない自主的被害者を見つめた。
 小さくて可愛らしい姿だった。全体的にほっそりとしたシルエットは、ブラウスにベスト、真っ白い脚を長く見せたホットパンツ、絶対領域も眩しいハイソックスにネクタイという出で立ちだった。上半身はどこかの制服のようなイメージなのに、下半身はぎりぎりまで露出させているところが憎らしい。
 男性的にいえばその気がなくてもドキドキさせられてしまいそうなファッションだった。事実、直継も、頬が熱くなってしまう。義理を感じるので、少しだけだが。しかし、コケティッシュな装いの小さなシルクハットを載せた表情が裏切っていた。
 それは直継が見たこともないほどに自慢そうで、嬉しそうで、してやったり感のある――いわばドヤ顔だったのだ。男子の損失と言い切るほど自分が可愛いと宣言した表情はあっぱれ晴れやかで、本人がまるで自分の発言を信じ切っているようだった。
 可愛い。
 確かに、可愛い。
 悔しいが、可愛くないと言えば、嘘になる。
 しかし「ときめく男子の損失」かといえば、それはいくらなんでも盛り過ぎだろうと直継は思った。思ったのだが、ゼリーのようにつややかな唇で微笑んでいる娘にその突っ込みをするのはさすがに鬼だろうと自粛した。
「それはいくらなんでも盛り過ぎでしょう」
 鬼リ=ガンは自粛しなかった。
(またひとつリ=ガンの株が上がった)
 直継としては感心しきりだ。
「うっ……。ボクくじけないっ」
「あ、立ち直った」
 よろめきから復帰する彼女をリ=ガンはあくまでからかうようだ。表情は楽しそうである。リ=ガンのひょうひょうとしたツッコミに、彼女は顔を赤くして怒っている。
 そうやっていてさえも、どことなく楽しそうで自慢気な表情をしているのが、美少女としてはやや嘆美さに欠けるかもしれない。しかしそれも彼女独特の愛嬌であるように思われた。表情が豊かな彼女は、本人が言うとおり、たしかに魅力を感じさせる存在ではあったのだ。
「うーん……。可愛いには可愛いんだけどあんまりドヤ顔だから可愛いって絶対に言いたくはない祭りか……様々な要素を加味して総合的に判断をする限り、てか、明確に、ボリューム的に、パンツ的にもマリエさんのほうが勝ち! つまり祭り!」
「は?」
 直継が腕を組んでつい漏らしてしまった言葉の意味は、幸い少女にもリ=ガンにも悟られなかったようだ。直継はどこを見ていたかをごまかすように手を振り、荷物からタオルを出して少女に投げつけてやった。
 軽装の彼女はマジックバックを持っていないように見えたからだ。
「む、もうわかったよ。ボクはファンには優しいからね」
 彼女は遠慮なくタオルで雪を拭う。どうも不器用らしく小さなシルクハットの縁に残った雪を指先でとってやりながら、直継は彼女のステータス表記を見た。
「てとら、か」
「てとらちゃんと呼んでね!」
 きりっとした顔の彼女に直継は毒気を抜かれる。レベルは九二。直継と一緒だ。〈大災害〉後もきちんと戦闘を繰り返してきた実戦経験のある〈冒険者〉らしい。ギルドは〈ライトインディゴ〉。メイン職業は〈施療神官〉(クレリック)
「よし、こっちのおにーサンのほうが与しやすそうだぞ」
「そんなこと自分で言ったら効果がないだろっ」
 直継が突っ込む間にも、てとらは猫のような身軽さで直継の左手にぶら下がるようにつかまった。
「そう? 効果ない? ない? ボクのハグ効果ないかなあー?」
 どうもそれが基本らしいもったいぶった自慢顔でそう問いかけられる。効果がない! と否定するのは簡単なのだが、そこは男の悲しい性。からかっているだけだというのは判っていても、美少女に親しげにくっつかれると悪い気はしない。てとらはオレンジのような甘い匂いまでするのだ。
「は、は、はなせっ」
「はっはーん。ダメだよ直継サン」
 いつの間にやらステータスを読んだのだろう。この世界では、初対面の相手でさえ互いの名前を知っているのは当たり前なのだ。
「ボクは慌てふためく男の人にすりすりするのが大好きなんだもん。ちなみにすりすりされるのは大嫌いなんでわきまえてね!」
「だから、はっなっせっ」
 身をよじるその動きで直継の背中側に回ったてとらは、そのまま首にしがみつくように、肩の方まで登ってしまった。〈冒険者〉の敏捷性のためか、体重さえ余り感じない。
 直継の頭を抱きかかえるようにくすくすと笑うてとらは本人が自己申告したとおり可愛らしかった。
 システムからの補正がある〈エルダー・テイル〉において美男美女は珍しくないが、それは外見だけであって、本人が放つ雰囲気までごまかせるわけではない。てとらは華やかで陽性の雰囲気を放っていて、目立つという意味では直継が今まであった冒険者の中でも群を抜いている。
「木登りをするナキウサギのようですね」
「こっちの骸骨おにーさんはキツイよね!?」
「骸骨って」
 リ=ガンはそんなてとらの返答に楽しそうだ。
「大事件だよ。助けるべきでしょ? ボクみたいな可憐な少女の鼻がすりむけたらファンが泣いちゃうよっ。っていうか、あんなところで無様な姿だった事実だけでアイドル生命が絶たれるよっ」
「ああ、さかさパンツ」
「ぱんつじゃないよっ! ホットパンツだよ!」
 リ=ガンも負けていない。本人が気にしている醜態をすかさず察知して弱点を攻撃しているようだ。
「ホット……あたたかいぱんつ……。あっ……。つまりショックで少しちびりました?」
「ち、ち、ちびるわけないでしょ!!」
「本当言うと?」
「雪国はお腹冷えるから……」
「ですよね」
「なに言わせるんだよ、このお茶目骸骨!」
 自分の頭を抱え込むように抱きつくてとらとリ=ガンの言い合いに、直継は頭を抱え、大きなその両手を上げて、てとらの両脇を掴むとひょいと地面に降ろした。リ=ガンからの視線を感じたのだ。
 その意味するところはすぐ伝わった。つまり、この娘は誘うにはどうなのか? という意味だろう。
 直継はレイドを念頭に置いててとらを観察してみる。

 〈施療神官〉のレイドにおける役割は前線型の回復役(ヒーラー)である。重武装をあてにしながら、第一防御役(メインタンク)の回復を行うことが期待される役割だ。そのために回復三職のなかでは最も重装備を付けられる性能を持っている。
 もっといってしまえば、全十二職中、直継が務める〈守護戦士〉(ガーディアン)、ソウジなどが務める〈武士〉(サムライ)に並んで、金属製の全身鎧を装備できる三職のひとつでもある。更には盾を装備することも出来、装備面での防御能力は十二職中、〈守護戦士〉に続き二位となるだろう。
 〈施療神官〉はそれらの装備を頼りながら、前線から回復魔法によって第一防御役のHPを支えるのが任務である。第一防御役はレイドという激戦において、モンスターの攻撃を真っ先に引き受ける最も過酷なポジションである。当然その攻撃は剣や斧の一撃だけではなく、竜の吐息(ドラゴンブレス)や広域の攻撃魔法なども含まれる。
 そういった攻撃は第一防御役を狙って放たれるが、範囲攻撃であるだけに至近距離の〈施療神官〉を巻き込むことが多い。もちろん至近距離にいるのは、そのほうが強力な回復魔法を利用できるためだが、そうはいっても最前線は恐ろしい場所だ。リスクにひるまず重責を担うことになる〈施療神官〉は、〈エルダー・テイル〉において「最も堅固な守り手」と呼ばれることもある。
 改めててとらの装備を見れば、随分軽装のようだ。
 もっともいまのてとらの装備は街歩き用で戦闘用ではない可能性もあるし、この判断はあまりあてにはならない。シロエであれば、彼女が装備しているスマートなベストなどがどんな魔法の能力を秘めているか見ぬくことが出来るかもしれないが、それは直継には無理な芸当だ。結論としては、わからないというのが直継の判断となる。レベルは申し分ないし、レイドにおいて優秀な回復役は喉から手が出るほど欲しい。
 が、事が事だけに、女の子を命の危険がある戦場へ連れ出すのに直継はためらいを覚える。

「まあボクくらいの娘になると、どんな時でもフェロモンが出ちゃうんだよなあ」
 胸を張ってやれやれ困っちゃうという表情のてとらはそう言った。
 どうやら、直継がてとらのことをまじまじと見ていたのを誤解したらしい。直継はそんなことを言われても困るのだが、てとらのほうは腰に手を当てて、フェロモン、フェロモン、仕方ないにゃー見ぬきだにゃあ、ふんふんふーん、と楽しげにリズムをとっている。なにが嬉しいのか自慢げに直継に抱きつこうとするあたり油断がならない。直継も引き離そうと必死になる。
「突きだしたお尻から出るのはフェロモンじゃなくて、おならだと思いますが」
 顎先に指を当てて思案顔のリ=ガンは、そんなてとらの態度を一刀両断にした。
「なっ!?」
「な?」
 悲痛な顔になって、直後に崩れかけた膝を無理やり立て直したてとらは、それでもなお強硬に言い張った。
「アイドルはおならしないんだよっ!」
「しっこも?」
「しないっ!」
 反射的に突っ込んだ直継の言葉もてとらは的確に拾いあげる。その間合いは天性のものだった。
「よし合格」
「は?」
「合格。――あのさ、急な話なんだけど」
 リ=ガンにも言ったように、最終的には勘なのだ。
 それに直継は懐かしい匂いをてとらから感じた。それは勝敗など求めずに、それでも突っ走った仲間たちに似た匂いだった。
 直継はこうして新しいレイドメンバーの勧誘に成功したのだった。


 ◆


「よくここにもう一度顔を出せたなあ。〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエッ」
 振り返ったシロエが見たのは全身から怒気を振りまくようにやってきたデミクァスだった。
 更にその後ろでは、彼が蹴散らしてきたらしい倒れたテーブルや床にぶちまけられた料理などが散乱し、〈シルバーソード〉のメンバーが剣呑な表情でデミクァスを、つまりは自分たちのリーダーであるウィリアムと客人シロエのついたテーブルを見つめている。
 このゾーンはススキノ市街に存在し、当然のように戦闘行為禁止地帯だ。
 だから武器を抜いているメンバーはいない。そのうちひとりが、怯える〈大地人〉に「ここはいいから、奥で休憩してなよ」と声をかけた。
 その言葉にシロエはちょっと頬をゆるめる。良いギルドじゃないか、と思ったのだ。
 しかし激情に駆られたデミクァスはそう受け取らなかったようだ。
「その余裕ぶった態度、全く変わりがねえなっ」
「お久しぶりですね、デミクァスさん」
 この筋骨隆々たる巨漢のほうこそ、半年前の様子そのままだった。装備品などはかなり更新されたようだが、丸太のように太いむき出しの腕も、血走った瞳も変わらない。この世界はやはり〈エルダー・テイル〉を色濃く引いているのだ。時間がたってもその容姿には変化がない。そろえにとってそれは当たり前だががっかりするような発見でもあった。
 この出会いは予想していないわけではなかったのである。ススキノへ向かうと決めたとき直継から真っ先に心配されたのも、デミクァス及びそのギルド〈ブリガンディア〉との遭遇だ。
 シロエは〈大災害〉直後のセララ救出行において、このススキノで〈ブリガンディア〉と敵対をした。当時暴力でこの街を支配していた〈ブリガンディア〉から、マリ姐の心配するセララを救出したのだ。戦闘行為による決着が死という抑止力にならないこの世界において、シロエたちが彼らに対してあげた勝利は大局にはなんの影響も及ぼさなかったかもしれないが、それでもセララの救出だけは成功させたし、暴力にすがりついていた彼らの自尊心を傷つけたことは想像に難くない。

「表へでろ、シロエっ!」
 デミクァスは鉄の塊のような拳を重厚な樫のテーブルに叩きつけた。
 直継の予想はあたっていたらしい。外すのも難しい当然の予想だが、デミクァスが半年前の一件を忘れ果てているだとか、水に流してくれるということはなさそうだ。
「外へ出てなにをするんですか?」
 シロエは完全にわかりきった上で一応たずねてみる。
 デミクァスが望むものはわかっているが、それでも途中の手順を飛ばすわけにもいかないだろう。お定まりの挑発と挑発のやりとりだ。これもシロエが過去に作った因縁なのだから、逃げるわけにもいかない。ウィリアムに弱みを見せるのは、レイドメンバー募集の交渉中である現在、避けなければならない。
「おまえハンバーグとメンチカツどっちが好きだ?」
「豆腐が好きです」
「柔らかくて好都合だ。グッチャグッチャにしてやるから外へ出ろ!」
「黙れよ、デミ」
 しかしそれを短く遮ったのは、ウィリアムだった。
「そいつは、俺んとこへの客人だ」
「知ったこっちゃねえ! ウィリアム、こいつは俺のっ」
「負けたんだろ」
「っ!」
「お前は負けたんだろ。それにいちゃもんつけるなよ」
「だけどよっ」
「もう一度潰すぞ、デミクァス」
 ウィリアムは底冷えのする声でデミクァスに警告を発した。
 シロエは指先で眼鏡を押し上げると、じっと考える。ススキノの状況そのものは報告を受けて知っていた。半年前、シロエたちがススキノを去った後混乱が続いたこと。〈円卓会議〉が成立した後、何回かアキバ-ススキノ間のキャラバンが組まれ、ススキノに取り残された人々の救出が完了したこと。その後〈シルバーソード〉がこの北国に本拠地を移し、現在のススキノは多少殺伐とした雰囲気はあるものの、辺境のプレイヤータウンということに落ち着いている。
 幾つもの武闘派ギルドが乱立して無法都市だったススキノは、〈シルバーソード〉というサーバーでも上位のレイドをこなす集団が居つくことによって不安定ながら治安をとりもどしたのだ。ウィリアムたちはヤマトサーバーにおいて〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉に続く戦闘能力をもったギルド集団であり、積極的に街を治めたわけではなかったが、彼らの前で生意気な大口を叩く素人たちを許さなかった。ウィリアムたちにしてみれば、集団で、しかも〈冒険者〉よりも戦闘能力では明らかに劣る〈大地人〉に乱暴を働くような輩は、唾棄すべき軟弱者なのだ。そんな奴らが〈エルダー・テイル〉や戦闘を語ることを、彼らは許さなかった。
 そんな報告の実例をシロエは目の当たりにすることになった。
 調理場のカウンターから、六つの耳がつきだしている。目から上だけをのぞかせた猫人族の〈大地人〉が、フロアの様子をうかがっているのだ。その瞳は困ったなあという雰囲気ではあったが恐怖は感じていないようだ。
 〈シルバーソード〉はこのススキノの街で、〈大地人〉から信頼を受けているのだろう。〈エルダー・テイル〉時代から、巨人族との抗争の最前線であるこのススキノの街は荒くれ者どもの集う開拓都市という設定をもっていた。それが良い方向へ作用したのかもしれない。
 〈ブリガンディア〉をはじめとしてならず者が街を我が物顔で闊歩している状況より、無愛想な武闘派集団であれ統制の効いた〈シルバーソード〉は街の守護者として期待を満たせるのだろう。
 ウィリアムから強い言葉を受けたデミクァスはぎりぎりと歯を食いしばり、呪いのこもった視線でシロエを射抜かんとばかりに睨みつけてくる。

「どだい、お前、そこのシロエに勝てねえぜ」
「俺だってあれからちっとはレイドアイテムを手に入れたっ」
 確かに見てみれば、デミクァスの装備する〈ワイバーン・レガース〉は大きな改造が加えられているようだ。その他にも使い込まれたと思しき装備品の数々は、彼がこの半年の間、幾つもの大規模戦闘に参加してきたことを示している。しかもそれらは低レベルのものではないはずだ。〈獣王の外装〉は九〇レベル対象のフィールドレイド 〈テンヴィクトリ平原の主〉の拾得アイテムである。〈大災害〉後にそれを実行したのであるとすれば、それは称賛に値するほどの難易度のチャレンジを成功させたということだ。
「装備で勝てるって思ってるから、お前はシロエには勝てないんだよ」
「~ッ!!」
 言葉にならない殺気を発するデミクァスに対して、ウィリアムはあくまで余裕の態度を崩さなかった。二人の間にどんな関係が構築されたか知らないシロエは、それでも想像を巡らせる。おそらく力比べのような事態になって、ふたりの格付けは済んでいるのだろう。それこそデミクァスが黙り込まざるをえない程圧倒的な勝利をウィリアムはおさめたのだ。

「んでんで、〈ブリガンディア〉はメンバー半減しちゃったわけ。まぁ、仕方ないよねえ。ギルドにも入ってないような猫剣士にズタボロにやられちゃったんだもん。そりゃがたがたにもなるよ。そのうえ、うんこたれなロンダークは関西に引きぬかれちゃって」
「おい、自称アイドル。うんこいっていいのか?」
「うんこはないでしょう。人気壊滅になりますよ」
「はっ! い、いってないよ? ボクうんこだなんて言わないよ。お口が汚れちゃうよ」
「色物アイドル路線ですか」
「ボクは正統派美少女銀河系アイドルだよっ。ボイジャーも裸足で逃げ出すほど外宇宙だよっ!」
「なんかボッチぽいなそれ。それよりデミクァスはどうしてんだよ」
「ボクボッチじゃないよ!? デミデミは〈シルバーソード〉の弟分というか舎弟になったし〈ブリガンディア〉もそうっ。そんでもってススキノには平和が訪れたわけ。ボッチじゃないからね? まぁ半分くらいはデミデミのお嫁さんがよく出来たひとなおかげなんだけど。それからボク、ボッチじゃないからね」
 焼けつくように緊迫したシロエ、ウィリアム、そしてデミクァスのテーブルにも、その脳天気で明るい声は届いた。歩いて近づいてくるのだろう、徐々に大きくなってくる。しかし、声を潜めるという思慮はまったくないらしい。
 デミクァスの顔が怒気とはまた別の理由で赤く引き歪む。
「まじでっ!? 嫁っ!? なにそれ祭っ!!」
「妻帯者ですか。憧れますね」
「いやもう、結婚はしてないっていうか本人は頑なに認めないんだけど、ボクの情報網、〈大地人〉さんの話では清掃が行き届き毎日シーツがパリッと洗濯されたギルドハウスは三食用意されてて、ギルドメンバーはメロメロらしいよ。なんと〈大地人〉貴族のお嫁さんに制圧されちゃったんだとか」
「えー……」
「召使にしようと思ってさらってきた〈大地人〉さんにお世話されてとろけちゃったENDってことっ。それどこのエロゲ展開っ。あ、でも、直継さん。ボクにお世話してほしいんじゃないですか。うへへ。相談に乗りますよお、ボク、これでもアイドルですからっ」
「いいから降りろよ、このエセアイドルっ!!」
 可愛らしい声が可愛らしくない口調でグヘヘと笑っているのをシロエは聞いた。
 厄介なことに残りふたつの声は男性で、しかも聞き覚えがある。

「まあそんなわけでデミデミも最近じゃすっかり丸くなって。あ。デミデミだ」
 その瞬間でデミクァスは一切の助走なしで空中を駆けた。〈ワイバーン・キック〉。五メートル程度の滑空を伴う飛び蹴りは、〈武闘家〉(モンク)の代表的な攻撃特技である。おそらくメニューを用いず体幹のうねりだけで発動したその技は、半年前とは比べることも出来ないほど素早い発動を見せた。
 準備動作のないその攻撃を、しかし直継はこちらも抜く手を見せない早業で準備した盾にぶつける。軽く高く澄んだ音はデミクァスの攻撃が本気でない証拠だろう。本気であれば、戦闘行為禁止区域のここには供贄一族の〈衛士〉が転移をしてくるはずだ。直継も本気で受け止めたわけではない。肩の上に盾をかざして警告代わりに接触させただけだ。
 しかし、その攻撃の直接目標、直継の首筋にしがみついていた細身の少女は気圧されてしまったようだ。口をわなわな開いて、クマの赤ん坊のように必至に直継にくっついている。
 ドアからはいってきた直継とリ=ガン、さらには〈施療神官〉の三人組。シロエと敵対する可能性の高いデミクァスの情報を手に入れて、合流のために移動してきたのだろう。しかし間の悪いことに、その当の本人デミクァスに情報共有の雑談を聞かれてしまったのだ。
 悪気はないのかもしれないが、デミクァスは交わされた会話に激怒した。まぁ、それはもっともだとシロエも認めざるを得ない。あんな話を公衆の面前で、しかも、ケンカを売ってる最中に暴露されれば当然だ。その報復で蹴りワザを放つのはやりすぎだと思うのだが、相手が直継ならばそれも杞憂だ。アカツキとの対戦で蹴られ慣れている。アキバの街でも跳び蹴りおよび飛び膝蹴りを受けることに関してはエキスパートと言っても良い〈守護戦士〉なのだ。アカツキ相手に防御率五割だと考えると、アカツキの蹴りは本職の〈武道家〉並なのかもしれない。

「蹴った!?」
「どさくさに紛れてどこに手を入れるんだよ、くっつくなよ、体重かけるなよっ」
「クソてとら。お前、なに好き勝手なこと言ってんだ」
 三人のまったく噛み合ってない会話のおかげで、一層場は混沌としてしまう。
 どうやら、直継の首筋にかじりついている〈施療神官〉はてとらと言うらしい。ずいぶんと可愛らしい名前だ。所属ギルドとレベルを確かめてシロエは納得した。直継がレイドのために集めてきたのだろうというのが判ったからだ。あと一人か二人助っ人を集めれば、自分と直継を加え、なんとかフルレイドを組織できる。シロエがほっとしかけた時、ウィリアムは楽しそうな笑みを唇に浮かべて言い放った。
「調度良い、そこの回復役(ヒーラー)とデミを足せばなんとか人数になるだろ。そんだけ血の気が多いんだ。シロエとのケリはレイドでつけりゃいいってもんだ。はんっ」
 皮肉そうな笑い声にシロエは先ほどまでの気分が吹き飛ぶのを感じた。
 〈パルムの深き場所〉の最深部を探索するレイドは、どこまでも尽きぬ心配と波乱をシロエに運んでくるようだった。
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