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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
アキバの街の日曜日
44/134

044

「ダメですよぉ。そんな無理強いをしちゃっ」

「並んで下さい、並んで下さいっ!」

「はい、こちらで書類を預かっています。はい、はいっ」

 華やいだ声が行き交う。

 声の主は妙齢の美少女達だ。

 〈エルダー・テイル〉はゲームという性質上、プレイヤーの扱うキャラクターも、街を行き交うキャラクターも、女性は基本的には可愛い、もしくは美形揃いである。男性の場合には渋い、格好良い、可愛いなどという形容詞が付く。


 そうである以上、一定数の女性が集まれば、特にそれが〈冒険者〉であれば全員見目麗しいと云うことになるのだろうが、それにしたところでこの華やかさは度を超えていた。

 展示会大ホール入り口近くに急遽設置した「対策本部」の中で、シロエはこっそりとため息をつく。


 ソウジロウのために頑張っている少女達を見るのは、初めてではない。俗に恋に落ちると、女性は美しくなるなどと云うが、あれは真実である。頬は上気して瞳は潤み、柔らかい表情が多くなって魅力的に見えるのだと、シロエは解釈している。


 しかし、ソウジロウの取り巻き――本人達曰く親衛隊は、その上、全身からハートマークを飛ばしている風情なのだった。そのオーラは声にも出ていて、蜂蜜のような甘さを含んでいる。


(これ、予想以上だ)

 仏頂面でシロエは会場を見回す。

 大ホールのあちこちには、青い腕章をつけた少女達が、行列を捌き、場合によっては〈大地人〉商人と〈冒険者〉の交渉に立ち会い、アドバイスをしている。

 その行動は滑らかで、手際が良く、訓練時間にして数百時間の熟練を感じさせた。


 もちろん、そんな時間を掛けたはずもない。

 全て、シロエが口八丁でまるめこんだソウジロウ親衛隊の力である。外部観察では想像も付かないが、彼女達は高度に組織化された集団だったのだ。

 しかも念話による連絡網で、どんどん人が増えている。


 シロエの知る限り、ソウジロウがギルドマスターを勤める戦闘系ギルド〈西風の旅団〉は現在その総数30数名であるはずなのに、どう見たところで、今回の作戦に参加している女子は優に50人以上は居るように見える。


「シロエ参謀」

 きりっとした表情の少女が、シロエに声を掛ける。

 どうやらいつの間にか、シロエの待遇は『参謀』と云うことになったらしい。ソウジロウが「現場の指示はシロエ先輩に従うように」とお達しを出したせいである。


「新規5名到着しました。小隊編成にて出撃可能ですっ」

 きびきびとした報告は滑らかで練度を感じさせる。

 大規模ギルドでも、ふやけたメンバーではこうはいかない。


「あー」

 シロエは言葉を探す。

 自分で立案した作戦とは言え、いま現在自分の表情が、どれだけ複雑で微妙かはよく判っている。


「ソウジロウは?」

「はっ。ソウ様はただいまホール内をデー……巡回中であります。側付きは、第4小隊でありますっ」

 シロエは窓を眺めて時間を計る。そろそろ時間だろう、次のステップに進むべきだ。


「ではソウジロウに連絡。対策本部に帰還後、第5小隊と合流。45分間のホール内巡回を続いて行なう。第4小隊は、現在第5小隊が行なっている任務、すなわち本部直衛および、受付補助を引き継ぐものとする。……それから新規到着者は3名ずつで、新規小隊を編成。こちらを市内の巡回任務に当てる」

「了解でありますっ。わ、わ、わっ」

「?」

 突然真っ赤になる少女に、シロエは首をかしげる。

「わたし達第5小隊は、シロエ参謀の指示に従い、ソウ様と巡回に出かけるでありますっ」

 その復唱に、ちらちらとこちらを窺っていた数名の親衛隊――つまり第5小隊の少女達は隠しきれない黄色い声を上げる。


 「ソウ様と一緒!」「わたし初めてぇ」「どうしよう、わたし可愛いぱんつ履いてないよぅ」とつっこみ処満載の呟きを漏らす少女達。瞳は潤むを通り越してハート型になりかかっている。


 彼女達の認識は、おおむね間違っていない。

 今回シロエが立案した作戦は、ソウジロウとの巡回警備……という建前のグループデートをエサにした、現場人員の水増しである。


 3名から4名の小隊と共に、秋冬物溢れるこの展示即売会場を、ソウジロウはゆっくりと巡回している。決して急がないように指示をしてあるから、その行動はデートそのものだ。1人あたり金貨20枚までのプレゼントを購入するようにソウジロウには指示済みだ。代金は全て〈円卓会議〉につけておけばよい。


 自分で思いついたとき、シロエとしては「これは名案だっ!」というひらめきと共に「おい、こんな作戦で上手く行くのかよ」というつっこみも存在した。しかし、結果としては今ホール内で機能しているように、想像を超えた効果を見せている。


 シロエも詳しくは知らないが、ソウジロウ親衛隊は鉄の結束を誇るのだという(先ほど話していた少女がそう自慢していた)。なんでも、ソウ様側居役(チーフマネージャー)から新入隊員(ニュービースタッフ)にいたるまで、ピラミッド状に指令系統が存在するらしい。

 その指揮系統を活かして有機的に隊伍を組織、今ではこのホール内のトラブルを一手に処理している。


 ソウジロウ達がゆっくりと練り歩いていても、それ以外の6つの小隊が巡回し、トラブルを未然に防いでいるのだ。

 もしやっかいな口論が発生しそうならば、構わないから自分に念話を入れるか、それとも〈円卓会議〉の立ち会いの下で話を続けるように商人たちを脅せ、とシロエは指示をしてある。

 初めはそれでも〈大地人〉の商人もしくは密偵が騒ぎを大きくするかも知れないかと警戒したが、魅力的な少女達が相手では、〈大地人〉達も勝手が違うのだろう、トラブルはほとんど根絶された。


 何しろ、少女達のモチベーションがすごいのだ。

 文字通り目の色を変えて規律正しく、油断のない巡回を続けている。それで居て誠実、柔和と申し分のない会場対応だ。

 このボランティアに参加すれば、もしかしたらソウジロウとお近づきになれるかも知れない。なんて想像が止まらないのだろう。真面目に巡回をしている彼女達の前には、たびたびと云って良いほどソウジロウが現われるのだ。しかも毎回のように違う小隊を率いての巡回である。それは勤労意欲も上がるだろう。


 もちろん、モチベーションどころかアドレナリン急上昇の彼女達に比べて、シロエのバイオリズム(盛り上がり)は限りなく低下中である。


 別にソウジロウが羨ましいわけでもハーレムを築きたいわけでもないが、ここまで明確な差を見せられると格差社会という言葉が思い浮かんでくる。

 確かにソウジロウは好青年である。穏やかで優しいし、紳士的で、戦闘では間違いなく頼りがいがある。そのうえ、どうにもそそっかしくて不器用なところが庇護欲をそそる……という、理屈は判る。

 ソウジロウのどこがそんなに魅力的かについては、かつて〈放蕩者の茶会〉に居たときに、ナズナと詠が懇切丁寧に語ってくれたからだ。


 しかしそれでも尚釈然としない。

 そう云った要素だけで、こんなにもてるものだろうか?

 なんだか詐術か、でもなければ魔術なのではないかと疑うほどの大人気である。羨ましいわけではないのに、腹立たしさだけは存在するのである。まったく不思議だと、シロエは考える。


「参謀どの、初めまして、ただいま着任した、そにょっ、えーと、第16? そう、第16小隊でありますっ」

 目の前で直立不動の姿勢を取る舞い上がった少女を見て、シロエは先ほどまで感じていた不思議さを再度確認する。


(何だってこういう女の子が生産されちゃうのかなぁ? 恋って本当に不思議だよな。もてる人間ってのは、やっぱりこう、ある種の天才だな。危険物に近いけど)

 ソウジロウのことを思い浮かべる。

 ちょっと線が細い、そのくせ戦闘大好き美少年だ。友達にするのには不足がない。それで良いではないかと思うのだが、女性から見ると違うのだろうか。


「判った。第9小隊から第18小隊は、これより市中警備に出る」

「市中警備ですかっ? 新撰組ですねっ」

 何故か盛り上がって嬉しそうな少女に、シロエとしては適当に頷く。このノリの女性を相手にするには、無駄なツッコミを入れないことと、逆らわないことだとシロエは理解しているのだ。


「え、あ。主君っ」

 声を上げるアカツキ。アカツキは、シロエと〈三日月同盟〉のブースを交互に見ている。きまりが悪そうな表情は、おそらく着ている服装の所為だろう。


「どした?」

「あの……出るのか? ステージの約束はどうするんだ?」

 アカツキの言葉に、シロエはそう云えば、と思い出す。

 ヘンリエッタと交わした約束の一部は、販促のためのステージであった。シロエの方は小道具係かおまけというところだろうが、アカツキは当てにされているのだろう。ヘンリエッタに着せられたであろう、現代世界風のこの衣装は、ステージ用のそれだと思われる。


 しかし、現在はアキバの街が攻撃を受けている事態だ。

 それどころではないと言えばそれどころではない。


「主君は、約束をしたのだろう……?」

「そりゃ、そうなんだけどね」


(いや。……そうとも限らないのか?)

 シロエは眼鏡を押し上げながら考える。


 『敵』の目的が〈円卓会議〉の処理能力に対する飽和攻撃と、信用失墜、おそらく内部分裂を狙っているのであれば、天秤祭りは出来るだけ予定通り行なうべき。そう考えていたシロエだが、その思考を多少修正する。


(そもそも『予定』なんて外部の人間に判るわけもない。成功したように見えれば、多少のアドリブは問題ないわけだ)


 そう考えれば、シロエの自由度はずっと上がる。

 呼吸を詰めて、脳内のタイムテーブルで思考の駒を動かす。自分の手番、他のプレイヤーの手番。手に入った情報と、未確認の情報を厳密に区分けして、一つずつ盤面を埋めてゆく。

 神ならぬシロエには、もちろん見えていない局面は多い。しかし、指し手というものは一手指すごとに思いのほか多くの情報を開示してしまうものだ。『敵』がその傲慢なやり口から自分の粗雑さを露呈してしまったように。

 そう云った付加情報を加えれば、見えていない盤面もおぼろげながらに浮かび上がってくる。


 住民それぞれの努力。現場での誠実さ。祭りの空気を背景に、アキバの街を巡る様々な勢力の思惑が蠢いている。

 自分と同じ程度の指し手は、世界にいくらでも居ると考えているシロエにとって、それは自問自答の一形式。自分に対応できない局面などあふれている。

 現に今、『敵』の一手に自分一人では対応しきれず、ソウジロウの『能力』を借りた。


 そしてまた。

 〈生産者ギルド連絡会〉から連絡してきた、小さな仲間の声を思い出す。ミノリをあそこに残したのは、彼女が望んだからだったが、その細い指先を、シロエは盤面に感じる。

 シロエが打たなければならなかった位置に、まだささやかでおぼろげだが、しっかりと意志を持った札が切られているのを、シロエは幻視する。

 クラスティとアイザックに連絡をしてアキバの街における暴力が絡んだ事件を片っ端から鎮圧してもらっているシロエだ。そのほかにも、動かせる駒は残らず動かしている。

 しかし、その中でも大きな影響力を発揮し始めているのが、ミノリだ。カラシンの処理速度が上がり、明らかにトラブルの処理速度が向上しているのを感じる


 それはアイザックらが率いる警邏隊への援護射撃であり、そうして作り出したわずかな余裕を、ソウジロウ親衛隊の力が無理矢理こじ開けにかかっている。


(だとすれば)


 思ったよりも、形勢は押し戻しつつあるのだろう。

 まだ形に見えるまではなっていないが、事態収束のイメージは見えてきている。いまならば、シロエは『強い一手』を打つことが出来るはずだ。


 アカツキの言葉に気付かされた「自由」についてシロエは考えを巡らせる。天秤祭りのタイムテーブルを破壊せず、しかもその予定外の行動を行ない『天秤祭りを盛り上げる』。そんな手を。

 なぜならば『敵』のやり口、負荷をかけたり流言飛語をばらまいたりというのは、究極的にはアキバの街の結束力低下を企んでいる以上、最も有効な反撃策は、天秤祭りを盛り上げて参加者の満足を最大化することだからだ。


「――主君?」

 心配そうなアカツキの声にシロエは顔を上げると、微笑みを返した。ヘンリエッタの云う所の『腹ぐろ』の笑みである。


「あー。アカツキ? ヘンリエッタに衣装用意してもらって。付近のギルドにも声をかけて、全身コーディネートをどうにかしろって云っておいて。鼻血もののやつな」

「え?」

「第9小隊から第18小隊っ!」

「はいっ!?」

 すかさず返ってきた返事にシロエは立ち上がり、不敵な表情で告げる。


「市中の警邏に出かけるっ! 面倒をかけるがよろしくお願いしたいっ。今日の任務終了後、美味しい食事を経費でサービスするので、張り切って可憐な所を見せてあげて欲しいっ」




 ◆




 レイネシアはルンドスタード卿の言葉に青ざめる。

 理解して、ではない。まだ理解には届かない。

 レイネシアはルンドスタード卿の言葉に焦げ臭い危機感を感じ取ったのだ。


「さぁ、早く準備をして頂きましょうか? 姫」

「え。あ……。いえ……」

 助けを求めるように振り返るレイネシア。その視線の先では、エリッサが配下のメイドをしかり飛ばし、ルンドスタード卿の部下から受け取った書類の写しを確かめている。


「姫さま」

「どうなの?」

「書類は本物です。……考えにくいことですが、こちらの手落ちで処理が漏れたとしか」


 手落ち。

 処理が漏れた。

 その言葉を聞いても、レイネシアの脳はすぐさま反応しなかった。そしてゆっくりとその失態が意識にしみこんでくる。それは凍るような冷たい液体の感触を持っていた。


 つまり、ルンドスタード卿は輸送船でアキバに向かうに当たり、事前に倉庫を借りられるよう、レイネシアの方に打診してきたと云うことなのだろう。同様の書面をマイハマへも届け、それを承認する返事も届いている。


 つまり、レイネシア自身が倉庫の準備を確約していたと云うことだ。それを祭りの準備の中で失念してしまった、と云うのが事の顛末らしい。

 もちろん、実際には何が起きたかは判らない。伝達の事故で連絡そのものが届いていなかったのか、それとも事務メイドが失念したのか、それともレイネシアがあまりの忙しさに書類をどこかに紛れ込ませてしまったのか……。


 しかし、今更それを問い直している暇はない。

 ルンドスタード卿は、レイネシア側からの返事も所持しているのだ。事ここにいたってはレイネシアの落ち度という他はない。


 そもそもレイネシアはホスト役であり、招待客の便宜を図る義務があるのである。またアキバの街に居候を決め込んだコーウェン家の娘と、西の海運貴族ルンドスタード卿ではそもそも個人としての位が違う。また、東西の緊張を孕んだ関係を考えれば、ここは下手に出る他はないのだろう。


 レイネシアは女性だ。

 〈大地人〉貴族の慣習に従って、政治向きの教育は受けてこなかったが、それでも社交界にいれば、それだけで耳に入ってくるものはある。


「ふんっ。どうしたのですかね? よもや準備が出来てないなどとは云いますまい? あれだけ事前に申し込みを行なったわけですし」

「その……」

 謝ることは、容易い。

 しかしこういった交渉に不慣れなレイネシアは、頭を下げて良い場面なのかどうなのか判断がつかないのだ。こんな流れになるのであれば、もっと学んでおけば、とは怠惰な彼女は思わなかったが、それでも何らかの手は打てたはずだとは考える。

 マイハマから優秀な文官を数人回してもらい、近くに控えていてもらう程度のことは当然すべきだった。もちろん祖父から許してもらえる範囲内で付き人を選んだわけだが、それでも足りなかったのだ。


「それがコーウェンの作法ですかな? それとも〈冒険者〉――アキバの街との協力関係を作ったというのが眉唾であったのかな?」

 せせら笑うような声に俯いたレイネシア。

 云い返したい言葉はあふれているのだが、そのどれが正しく、あるいは危険なのかが判らないのだ。

 とにかく謝罪し、船荷の保証を含め、事を穏便に処理しなければ。細かい手順については追々考えるとして、今はこの問題を、せめて宴の後に繰り延べられないか? レイネシアは痺れきった頭でそう考える。


「こんばんわ!」

 豪華な絨毯に視線を落とし、凍り付くように固まっていたレイネシアは、その色がふと陰ったことにより、自分の前に誰かが立ったことを知る。弾かれたように上げた瞳に映った背中は、見慣れない衣装に包まれていた。

 〈大地人〉が知らないような、柔らかそうな布地で作られたシャツの上に、丈の長いフード付きチョッキをまとった姿。その青年は、ザントリーフへと向かった運命の演説の日、レイネシアを引き返せない崖から突き落とした犯人である、シロエだった。


「シロエ……さま?」

「これはどちらかな」

「失礼いたしました。僕は〈円卓会議〉11ギルドのひとつ〈記録の地平線〉を率いるシロエと云います」

「シロエ……。家名は無いのですな? ほうぅ」

「ええ。〈冒険者〉ですからね」

 レイネシアの目の前で、街着を身につけた青年は、西の大貴族を前にしても、飄々とした態度を崩さなかった。言葉につまったレイネシアはそれでも半歩踏み出す。〈大地人〉の礼節や風習を知らない〈冒険者〉では、どのようなトラブルを呼び込むか計り知れない。彼女はそれを防ぐためにアキバの盾となる決意を固めたのだ。


 しかしそのレイネシアの肩をそっと、だが有無を云わせぬ力強さで制止する手があった。筋張った男性らしい大きな手は、クラスティのそれである。レイネシアを後ろから制止したクラスティは肩越しに見上げるレイネシアに、視線を落とさず声をかける。


「心配要りませんよ」

 眼鏡に阻まれてその表情は読めないが、口元にはずいぶん酷薄そうな笑みが浮かんでいる。


「アキバにようこそ。ルンドスタード卿。精霊を動力機関に採用した精霊船の成功と、海運におけるその手腕のお噂はかねがね伺っておりました」

 にこやかなシロエの言葉に、ルンドスタードの瞳が少しだけ大きくなる。だが、皮肉そうな口元はそのままに「それはどうも」と告げるのみだ。これは〈大地人〉の礼節からすれば、嘲りにも近いほどの態度だった。

 明らかにシロエを、そしてシロエが〈円卓会議〉構成議員であると名乗った事実と合わせて考えれば、アキバの〈円卓会議〉をも嘲笑するその態度に、レイネシアは頬が熱くなるほどの苛立ちを覚える。

 シロエの方は全く気にしていないようだ。そもそも、〈大地人〉の礼節について何も知らないのかもしれない。


「それで、何かあったの? エリッサさん? どこ?」

「はい、シロエさん。……これが経緯です」

 だがそんな苛立ちも、シロエの言葉に水を差される。

 レイネシアはぽかんとした表情で、自分の侍女がシロエに先ほどの書状を見せるのを見る羽目になった。二人が知り合い同士だとは知らなかったのだ。エリッサの方は苦虫をかみつぶしたような表情だが、それでもシロエという青年にはなにがしかの敬意を払っているらしい。


「ああ、ふむ。……そうか、その可能性もあった(、、、、、、、、、)よな。だいたい判った。……おーい、ミチタカさーんっ」

 シロエは念話をかける手間すら掛けずに、会場にいる大男に声をかけた。その声に悠々と近づいてきたのは〈海洋機構〉のギルドマスター、クマのような体躯を持つ〈鍛冶師〉のミチタカだった。近づいてきて一同に会釈をするミチタカ。挨拶の口上を遮ったシロエは、そのミチタカにいきなり用件を切り出す。


「不手際ね。不手際というか粗雑というか、品がないというか……ミチタカさん。レイネシア姫がポカして、トラブルが発生したそうですよ」

「ほう。そりゃそりゃ、またまた」


 この青年は礼儀を知らないと云うよりは、異様なまでに性急か、実利的な性格らしいとレイネシアは考えた。第一印象からそうなのだが、レイネシアはこのシロエという青年は苦手だった。

 クラスティも苦手だが、クラスティは何を考えているか判らないという点から発生する「苦手」である。

 このシロエという青年に感じるのは、「やると決めたら、どんな無茶なことでもやるのだろうな。しかもこちらの言葉には耳も貸さずに」という種類の苦手意識である。

 クラスティのことは、純粋に理解不能で怖いが、このシロエという青年の前に出ると卑屈な気分になってしまうのだ。レイネシアが祖父に対して感じる怖れに近い。


「キミは一体何なのだね? わたしは、そこのレイネシア嬢の不手際に関して質問をしているのだよ」

 ルンドスタード卿の言葉にシロエは、唇の端を上げると事情をミチタカにもわかるように説明する。

「こちらの大きな男性は、〈円卓会議〉構成11ギルドの一つ、〈海洋機構〉の主、ミチタカさんですよ。――ルンドスタード卿は、海路で荷物を運んできて倉庫を必要としています。レイネシアさんの方に倉庫を用意して欲しいという要請書面は届いていたにもかかわらず、忘れたか無くしたか。まぁとにかく、失敗したとか云う状況です」


 シロエの言葉にルンドスタード卿はしたり顔で頷く。

「そうなのだ。今回の積み荷には、食料品や貴重な香辛料なども含まれている。暑く湿った船倉に放置すれば、数日で腐ってしまうに違いない」

 それを聞いて、レイネシアは否定のための声を上げたくなる。

 身に覚えがない云いがかり……ではあるのだが、それを今問いただしても仕方がないというのも事実なのだった。


「随分と大きな商いをもくろんでおられたのですね」

「わたし自らが出るのだ。我が商館のもっとも優美なる船を足代わりに使うのは当たり前のことだよ、シロエ君と云ったか」

 シロエの態度に気をよくしたのだろう。化粧の臭いのする中年貴族は、喉を鳴らすような動物的笑い声を上げる。


「先月就航したばかりの〈新型精霊船エーギル〉ですか。噂でしか知りませんが、白鳥を思わせる美しい船だとか」

「ほう。そのような噂がもうアキバにも? いかにも。……その船の荷物の全ては、レイネシア嬢の過失で全て失われることになる。ひどい裏切りだと思わないかね、〈冒険者〉諸君」

「それは残念なことですねー」


(シロエさんは、いったいなんでそんなにルンドスタード卿の言葉に追従するんですか。〈冒険者〉だから〈大地人〉のことなどどうでも良いとでも……? 事はもはやアキバの街の尊厳にも関わっているでしょうにっ)


「まぁ。僕がここに来たのもレイネシア姫に用事があったからなんですよ。アカツキ、ヘンリエッタさん」

「へ?」

 シロエに気を取られて気がつかなかったが、すっと現われたのは眼鏡をかけた有能そうな女性と、いつかの演説の時ひどい目に遇わされた黒髪の小さな少女だった。


「姫もこの祭りの成功に力を貸してくださるそうだ。着付けをよろしく」

「へ? へ?」

 良く判らないレイネシアは右のエリッサを見る。

 エリッサは左右に首を振って、小さくため息をつく。頼りにならない友人に見切りを付けて左の肩越しにクラスティを振り向くと、そのクラスティは肩をすくめるばかりだ。


 そうこうするうちに、真剣な黒髪の少女と、笑みを浮かべる眼鏡の女性がレイネシアを捕捉した。丁寧な態度なのに有無を云わせない雰囲気で、公衆の面前にもかかわらず、レイネシアの服に手を伸ばしてくる。


「なっ。なにをっ!? え? 着替え、そんなことこんな場所で出来るわけ……いや、そうではなくて、わたしは今、ルンドスタード卿と大事な話をっ。アキバの街を守るために、これは重要なっ。クラスティ様っ! 何とか言ってください、あなたはわたしの騎士ではないですかっ!!」

「――それは領主会議の間だけではなかったのですか?」

「騎士の誓いというのはそんなに移ろいやすいものですかっ! 冗談で口にしたと、このレイネシアに思わせるんですか~っ!?」

 半ば以上パニックに襲われたレイネシアはクラスティに泣きつく。白皙の眼鏡騎士が密かに黒い笑みを浮かべているのは見えていたが、この場において助けを求められる相手はクラスティくらいしか居ないのだった。


「では契約延長を」

「ど、どうにかしてくださいっ。着、着替えます! 後でちゃんとしますから、今は、とにかくルンドスタード卿への説明をっ」


「シロエ君。……あー。我が姫の仰せなんだがね」

 レイネシア姫の腕を両側から押さえた、微笑むヘンリエッタと生真面目なアカツキの騒ぎは、いつの間にかホールの注目の的になっていた。一同を囲む人垣の中で、クラスティはシロエに『続き』を促す。


「了解です、クラスティさん。……準備できました」

「ルンドスタード卿。お話は承った。しかし、その書状はすでにアキバ〈円卓会議〉に送られてきているのだ」

 眼鏡の奥に表情を隠したクラスティは、決して大きくはない声で、しかしその場に居る人間には比類なく印象に残る独特のタイミングで、簡潔に発言をした。

 虚を衝かれたルンドスタードは、一瞬間の抜けた表情を晒すが、すぐさま気を取り直したように、大きな声を張り上げる。


「なっ。〈円卓会議〉に連絡が!? そんなはずはないっ。……いや、倉庫なのだぞっ。そう容易く用意が出来るモノか。判っていないな。わたしは馬車で来たわけではないのだぞ!? 聞いていなかったのか」

「〈新型精霊船エーギル〉ですよね? たしか積載量は500トン。氷室も備えた、まさに精鋭艦の」

「そのとおりだ〈冒険者〉よ。それだけの物資を搬入可能な倉庫が、しかも温度管理が出来るしろものなどどこにある? すぐに用意が出来るなど、ばかげた夢物語だ」

 ルンドスタードは傲慢を絵に描いたような態度で云い放つ。いらだたしげな舌打ちを繰り返す様子が彼の思い上がりを表わしていた。


 レイネシアはぞっとする寒気に襲われる。

 ルンドスタードの傲慢さにでは、ない。

 ルンドスタードの怖れ知らずについてだ。ルンドスタードは〈大地人〉貴族として、他者が従うのに慣れすぎている。その種の傲慢さはイースタルの貴族にもあったが、その威光は〈冒険者〉には全く通用しないのだ。ここまで挑発的な態度を取れば、ルンドスタードが斬られる可能性は決して低くはない。

 貴族は〈大地人〉社会において大きな権勢を誇ってはいるが、その肉体は不滅のものではない。〈冒険者〉にかかれば1秒の10分の1以下の時間で、消し炭にされうるのだ。

 別にルンドスタードに同情するわけではないが、そうなれば戦争が始まりかねない。〈冒険者〉はその正義の怒りでもって自分たちの破滅を導くことになりかねない……。


(あ、ああっ。何でわたしがこんな白豚の心配をしてやらなければいけないんですかぁっ!?)


「は? 〈円卓会議〉への連絡が行っていたと。それならばそれでも良い。しかし、君ら〈冒険者〉が貸し出す倉庫は、旅商人の荷物でいっぱいだと聞いたぞ。連絡を受けておきながらこの体たらくなのかね」

「申し訳ありません、今回の件はこのレイネシアがっ」

 〈冒険者〉と〈円卓会議〉にターゲットを変えたルンドスタードのネチネチとした物云いに、とうとうレイネシアは悲鳴のような声を上げる、


「ミチタカさん。これが書状です」

 しかし、シロエが魔法のように取り出した一通の書状で場は凍り付く。ちらりと見えただけだが、それは先ほどルンドスタードが振り回していた写しとそっくりに見えた。

 確実なことは云えないが、レイネシアの手元にはなかった連絡が、アキバの街の〈円卓会議〉には届いていたのだ。


 そしてそれを受け取ったミチタカは、内容を一読するなり鷹揚に頷いたのだ。


「……荷物を運ぶための台車も手配するか?」

 安請け合いにしか見えないその肯定の意思表示に重ねて、ミチタカは男臭い太い笑みを浮かべると、肩をすくめてみせる。


「まさか……っ」

「あるよ、倉庫くらい。……500トンだろ? たいした量じゃないさ。〈海洋機構〉の私有する倉庫は、〈円卓会議〉のもつ公営倉庫の数倍の床面積をもっている。旅商人の相手でもうパンクしていると思ったのかな? ――それとも〈冒険者〉(おれ達)〈大地人〉(お姫さん達)を助けないとでも思ったのかな?」

「っ」

 ミチタカの言葉にレイネシアは拳をぎゅっと握りしめる。

 レイネシアのミスを、この〈冒険者〉は救おうとしてくれるのだろうか。ミチタカは〈エターナルアイスの古宮廷〉の領主会議において、並み居る〈大地人〉貴族を前にして、冒険者の誇りを高々と謳い上げた硬骨漢である。その彼が、ここまで無私に申し出てくれるとは、レイネシアは思わなかった。


(いえ、わたしにじゃなく……)


 レイネシアは自分の肩を押さえる青年をこっそりと窺う。距離が近いせいか、見上げないとその表情を見ることは出来ないし、見えたとしても今ひとつ判然としないのだろうけれど。

 薄く笑っているようにも憮然としているようにも感じる、この何を考えているか判らない妖怪が、ミチタカに頼んでくれたと云うことは判っている。


「クラスティ様……」

「よもや警備の方が完璧に過ぎるとはね。――物理的なトラブルが防止できた所為で、逆に気がつくのが遅れたということですね」

 クラスティの呟きは、レイネシアには掴みきれない。


「……クラスティ様? そのわたしは……」

「大事な盾……いえ、姫ですからね」

 視線を下げないクラスティに、レイネシアは不本意ながら感謝の言葉を口にする。この青年に『借りた』恩義は増えるばかりだ。雪だるま式にふくれあがる負い目に、良心とプライドがずきずきと熱を持ったように悲鳴を上げる。

 しかし、その感謝の言葉に、クラスティは「礼ならシロエ君でしょうね」と意味のわからない言葉を返すだけだった。


 一方、険しい表情になったのはルンドスタードだった。

 彼はいらだたしげに舌打ちを行なうと、シロエに視線を投げる。シロエの方はと言えば、ルンドスタードの視線を何食わぬ顔で受け流すばかりだ。激しい怒気をみせたウェストランデの大貴族は、叩きつけるように辞去の言葉を残すと、大広間から去って行く。


 レイネシアは、両脚からへなへなと力が抜けていくのを感じた。ルンドスタードは去っていった。プライドは傷ついたかもしれないが、とにかくその命は無事のままに。思いがけないほどの結果に、安堵のあまり背骨が泡になったかのようだ。


「良し、こっちは処理終わった。後はよろしく」

「判りましたわ、シロエ様」

「了解だ。主君」

 その精神的な隙を突くように、レイネシアはずるずると引きずられてゆく。契約延長をしたはずの自分の騎士が小さく手を振って見送った事に、レイネシアが気づいたのは下着だけに剥かれた後のことだった。




 ◆




 レイネシアの夕餐会は崩壊していた。

 崩壊しつつも、盛況だった。


 大使館に用いられているマイハマ公邸の正面ドアは大きく開かれて、全ての招待客は、アキバの中央広場にあふれ出し、同時に、中央広場で夕暮れの祭りを楽しんでいた人々と入り交じった。用意されていたご馳走は、次々に広場へと運び出されては供された。


 もちろん、広場にあふれる人々にはそれだけで足りるはずもなく、広場に面した飲食店は、全てその厨房をフル回転させている。シロエが密かに発布した、今晩の売り上げはその全てを〈円卓会議〉が持つという契約のおかげで、在庫も切れよとばかりにありとあらゆる食べ物や飲み物が、人々には提供されているのだった。

 そのせいで、レイネシアが意図したよりも、平均した料理や種類のレベルは下がってしまっている。これでは立食式の夕餐会と云うよりは、殆どお祭りというか、花見などのそれに近いだろう。


 しかし、多くの〈冒険者〉達は、そんなことはちっとも気に留めていないようだった。


 クラスティに広場に導かれてきたレイネシアを見ると、〈冒険者〉の間にはどよめきが走った。あの決起演説以来、〈円卓会議〉やあちこちの集まりには顔を出していたレイネシア姫だが、こうして広場に直接顔を出すのは、初めてと云って良かった。


 クラスティにエスコートされた姫は少し視線を俯かせた、貞淑そうで、それでも恥じらいに頬を染めた完璧な笑みをみせる。

 その様子は初々しくて、まさに夢のような美しさを見せる美少女ぶりだった。


 びっくりさせられたのは、その装いだった。

 レイネシアは、デニムのマーメイドラインスカートをはいている。秋物らしい若草色のシャツの上には、丈の短いボレロ風のジーンズジャケット。長いスカートがお淑やかだが、カジュアルなファッションだった。黒いリボンが編み込まれた長い銀の髪が背中で揺れている。

 〈大地人〉の貴族であることを示す、ゴシックなドレス姿しか披露したことのないレイネシアがこのような装いで現われるとは、アキバの街の誰も予想していなかったのだろう。

 広場はどよめきに包まれた。


 憮然としたクラスティに導かれて広場の南側に進んだレイネシアは、そこに急遽作られた大きなソファベンチに腰を下ろす。

 この大きなソファベンチも、木工細工のメニューから作り出されるアイテムであり、簡易的な四阿の用意はシロエが依頼をしてから15分とたたずに整ったのだ。


 もはや陽が暮れてしまった広場は多くの松明で照らされていたが、気の利いた〈召喚術士〉が呼び出したのだろう、〈光の精霊〉(リュミエール)によってレイネシアの周囲には他に倍する光が満ちる。


  “黒剣”アイザックがトレードマークの剣を鞘走らせ、警備上の理由から姫はこちらの長椅子から動けないということ、しかしこの広場にて祭りの夜を分かち合いたいこと、そして望むものであれば、何処の誰でも、この四阿にて挨拶をすることが出来る旨を伝えると、〈冒険者〉のざわめきは一層大きくなった。


 とはいえ、やはり中身は日本人である。

 レイネシアがマイハマから呼んだという粋人の一団が、ヤマトに伝わる古い小夜曲を奏で始めても、それぞれに祭りを楽しみながらも、遠慮しているようだった。


 最初に口火を切って近づいたのは、やはりミチタカだった。

 彼はギルドの主だったメンバー10人ほどを引き連れて、豪華なソファとそれを囲むように屏風や傘などで作られた四阿を訪れる。ほっとした表情のレイネシアと和やかな挨拶を交わす様子を見て、他のギルドも徐々に動き出したようだ。

 挨拶を申し込んだ〈冒険者〉は多く、エリッサの部下達は慌てたように動き出す。


 広場を見下ろす荒廃した空中歩道からそれを見下ろすシロエは、手元の小壺から、果汁茶をグラスに注ぐ。どうやらアキバに対する攻撃はしのいだようだった。攻撃の起点は、やはりレイネシアの夕餐会で撤退していったウェストランデの貴族ルンドスタードだったのだろう。


(まぁ、あの短絡さじゃ黒幕とは云い難いけどな)


 とはいえ、これで攻撃が終了したと油断することは出来ない。

 現に祭りの警戒段階は引き上げたままだ。アイザック、クラスティ二人が率いる治安警備部隊は、相変わらずアキバの街の出入りを中心に、暴力沙汰に発展しそうなもめ事を取り締まっている。

 またソウジロウが率いる女性部隊も。こちらは主に商取引上のもめ事や、色恋沙汰のもめ事を中心に警戒しながら巡回を続けている。


 参謀を任じられたシロエの元には、定期連絡や、事件解決方法の指示を願う念話が断続的に入ってくる。

 こうして広場を見下ろす地点で観察を続けているのには、そう云った連絡に応じて、いつでも動けるように待機をしているという理由もある。

 だがシロエ自身は、その心配は今回、あまりしていなかった。

 処理速度や〈円卓会議〉の信用に対する攻撃は、いずれにせよある種の攪乱攻撃である。攪乱は不意打ちや相手から不可知だからこそ効果のある戦術であって、〈円卓会議〉が対応策を取った今、さほど大きな効果は望めない。

 もちろん、より悪いシナリオはあるがそれは今詮索しても仕方がない。時には望む手の全てを打てない、受け身の戦いもある。警戒しつつも祭りの期間を切り抜けるのが、目下取れる中では、もっともましな選択オプションであろう。


(詮索するまでもなく、襲いかかってくるとは思うけどね)


 そんなシロエの眼下で、広間の動きは続いている。

 飲食とレイネシア姫の周りの人だかりはそのままだが、新しい音楽と人だかりが発生しているのだ。ギルドホールから続く石畳の道の両脇には、ずらりとソウジロウ親衛隊が並び、その中央は広く空いている。


 その空間の先頭を歩いてくるのはマリエールだった。

 ウェーブする緑の髪に、光が差し込んでくるような無邪気な笑顔。魅力的に揺れる大きな胸を、すっきりしたデザインのジャケットに押し包んで弾むように歩いてくる。

 ファッションモデルとしては失格なのかもしれないが、ステージ代わりの通路の先端までやってきて四方に手を振っているのが、らしかった。


(マリ姐、まったく。ほんっと、へこまないよなぁ)


 シロエはその仕草に頭が痛くなるような、あるいは励まされるような気分になる。続いて現われたのはヘンリエッタ、そしてアカツキだった。

 いつもは少女趣味な服を着ているヘンリエッタ、黒づくめの忍び装束のアカツキ。だがしかし、今日ばかりはそれでは目的が果たせない。ふたりは〈三日月同盟〉お勧めの、少しだけエスニック風味の入ったカジュアルなチュニックに巻スカートをはいている。アレンジ違いの衣装をまとった2人は、年の離れた姉妹のようだ。


 ――背丈のせいで“年の離れた”姉妹に見えるというのは黙っておこう。興奮のあまりアカツキを抱き上げて頬ずりをしながら華麗なターンを決めたヘンリエッタを見て、シロエは小さく笑って決心する。

 殆ど観客の視線を意識せず(その意味ではアカツキにとっても幸いだったかもしれない)、じゃれ合っていた2人だが、マリエールに促されてステージを降りると、広場に向かって進んでいった。

 呆気にとられる周囲を振り切ってそのままレイネシアに近づくと、その腕を引いて立ち上がらせる。人に対して物怖じしないマリエールらしい態度だった。

 マリエール達は、そのまま広場にレイネシアを連れ出すと、くるくると回り始める。


 このショーならばホールで行なうよりも、よほど多くの人々の目に触れることが出来るだろう。ギルドホールのビルの屋上で羽を休める〈火の鳥〉と〈雷鳳凰〉が投げかける明かりが人々の横顔を照らし、度重なる拍手がまるで寄せては返す潮騒のようだった。


 レイネシアは困惑して、おろおろと周囲を見回しているが、やはりその辺美少女というのは得なものだ。普段は着慣れていないであろう、地球の街で見かけるようなファッションに身を包んでいても、申し訳なさそうに微笑めば、これ以上はないと云うほど似合って見えてしまう。


「シロエ、さん」

「お疲れ、ミノリ」

 遠慮がちに掛けられた声に、シロエは眼下の広場から視線をあげた。ギルドホールの方から、空中歩道を歩いてきたミノリは、誇らしげな、嬉しそうな、それでも遠慮がちで、尻尾を垂らしたような、複雑な表情をしている。


 この小さな仲間が何を考えているのかシロエは判らなかったが、今日一日の騒動の中で、どんな役割をこなしたかは判っている。

 カラシンの傍らにあり、騒動全体の処理を支えるヘッドクォーターの事務を取り仕切ったのだ。それは、フルレイド回復班の仕事に等しい重責だ。


「座りなよ」

「え、でも……」

 遠慮をするミノリに、シロエは自分の座った木製ベンチの隣を示す。なんだかやたらに恐縮するミノリに、シロエはバッグから取り出したもうひとつのグラスを磨いて、自分のと同じ果実茶を注ぐ。


「……そのぅ」

「ありがとう。で、良くやった」

「は、はひっ」

 声が裏返り背筋が一直線に伸びるミノリが面白くて、シロエはちょっと笑う。ミノリは判っているのだろうか? 自分の務めた仕事の価値を。

 両手でグラスを持ったミノリは、おどおどしながら小さく一口、呑み込む。2人の足下から視界の先には、多くのたいまつや〈蛍火灯〉(バグライトランプ)、召喚された魔法生物で照らし出された賑やかな祭りがある。

 その賑わいの少なくとも何分の一かは、ミノリの手によって守られたのだ。


 小さい手だな、とシロエは思う。

 〈冒険者〉の筋力は、外見とはまったく比例しない。

 だが、そう云う意味ではなく、この中学生の女の子の小さな手には、覚悟があった。それは、自らの持ち場を死守するという覚悟だ。

 ミノリから「〈生産者ギルド連絡会〉で作業を手伝っている」と聞いたとき、意外な気持ちを感じるとともに、どこか腑に落ちた。ミノリと一緒のギルドにいて、この小さな少女の内側に押さえつける事の出来ないエネルギーを感じていた。

 その弾け出すエネルギーは双子の弟も同じだが、トウヤが職人的な体術の道をいち早く選んだのに比べて、ミノリは選択を迷っていたように思う。だが、ミノリの中の方向性を持たない意志は、いつまでもそのままではいられなかったのだろう。


 ミノリは、今回の戦いで、自ら選んだその場所で、シロエが望んだ以上の結果を出した。〈生産者ギルド連絡会〉に居るミノリと、シロエは無理に合流しようとはしなかった。呼び寄せれば、指揮補助や雑事などを手伝ってくれるのは判っていたし、正直魅力はあったのだが、それではもったいないとミノリの声に感じたのだ。


(僕なんかより、ずっとしっかり者だよ……)

 シロエは内心で自嘲のため息をつく。自分が中学生の頃を思い出せば、目を覆いたくなるばかりだ。

 ミノリにあるような、外側に開かれた強さなんて、探しても見つけられないような過去の自分がそこにはいる。典型的な自意識過剰の“痛い中学生”だったと、自分のことを思い出す。他人と違う自分が格好良いと考え、その“違う”部分が実は他人そっくりであることにさえ気が付いていない、中学生のシロエ。

 思い出すだけで、恥ずかしい。


「あの、シロエさんは……」

「なに?」

「ご挨拶には行かないんですか? その、〈円卓会議〉で、挨拶に出向いていないギルドは〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)だけじゃないですか?」

 シロエは曖昧に肩をすくめる。


「さっき顔は合わせたしね」

 その言葉は長い間空中にあったが、やがて足下から沸き上がる歓声にかき消される。どこかのギルドが斬新な衣装でも発表したのだろうか? 念話からもたらされる報告に耳を澄ませ、時に短く返答をしていたシロエに、ミノリはかなり長い時間が経ってから、新しい質問を付け足した。


「わざと……なんですね?」

「うん」

「……ごめんなさい。シロエさん」

 ミノリは恥じ入ったように頭を下げてきた。


「別に謝るほどの事じゃないよ」

「でも、わたし。お節介をやいて、シロエさんを夕餐会に連れ出そうとしちゃって……。考えてみたら、そんな必要ないのに。11ギルドのシロエさんが、招待状を手に入れられないはずがないですよね。つまりそれって――最初から、レイネシア姫に嫌われるつもりだった、という事ですよね」

 それはもはや質問ではなく、確認だった。


(ほんと、聡い娘だよなぁ)

 もっともそれほど見抜きがたい策ではないだろう。〈円卓会議〉には他にも気が付いている人物は多い。また、ある程度見抜いてくれる仲間がいないと成り立たない作戦でもある。


「クラスティさんのほうが、姫とは仲が良いからね。好かれる人と嫌われている人がいた方が、話を動かすには何かと都合が良いんだ。今後のことを考えてもね」

「……」

「姫の立場は危ういんだ。あの美貌と真っ直ぐな気性、骨惜しみしない誠意で今はみんなの同情を受けて居るけれど、それは全然永続的なものじゃない。また、姫は今、アキバの街を気に入っているけれど、それだっていつまで続くか判らない。

 〈大地人〉と〈冒険者〉の関係は、もちろん大幅な改善を見せたよ。けど、アキバの街において、それはまだまだ安定したものじゃない。誰かしらが、姫を虐めて同情票を集める役をやっておくべきなんだろうね。内向けにも、外向けにも――都合が良いんだ」


 もちろんそれは、クラスティが姫の気持ちをフォローするという前提での作戦だ。それを察したクラスティは不機嫌な表情をしていたが、仕方がない。役回り、と云うものだ。仮にも〈円卓会議〉を代表する〈冒険者〉なのだ、その程度の荷は背負ってくれなければ困る。

 それにシロエの見たところ、クラスティが気に入らないのはシロエの策に乗って踊らされることだろう。クラスティ自身は、放っておいても、結局はあの姫を助けるとシロエは見ている。


(こうやって見透かされるのが嫌なのかも知れないけどさ)


 それに――。

 シロエは流れ始めた思考のままに、思考視界の限界点に目を凝らす。ほとんど直感でしか覗けない、漠然とした未来予想において、シロエがこのポジションを保持する価値が認められるのだ。


 アキバの街には、クラスティが必要だ。

 クラスティにとってだって、あの姫が必要だ――と思う。


「シロエさんは……それで良いんですか?」

「なんで?」

 自分の思考と平行して周囲を警戒していた、意識の一部がミノリの言葉を拾い上げて、思惟にインサートする。ミノリは、困ったような、辛そうな、悲しそうな表情をしている。


「だって……」

 言葉に淀むミノリ。説明の続きを待ってみたが、続く言葉はない。


「ああ、うん。〈記録の地平線〉が被る不利益に関してか。……それに関しては、ある段階で、例えばにゃん太班長に引率を頼んで、個別にレイネシア姫に挨拶に云ってもらうとか考えている。適当な食事会とかね。もちろん、ミノリにも行ってもらうから、おめかしして行くと良いと思うよ。この間の空色の服とか、可愛かったし」

 シロエの言葉に、ミノリの憂悶の色が濃くなる。

 返答をまずったか、とシロエは頭を掻いた。どうやら言葉がお気に召さなかったか、方向性に誤りがあったようだ。


(そもそも予想ってのはもうちょっと長期的な視野と情報開示の上にするもんであって、こんな近距離、近未来の予測なんて占いじみてて難しいってば……)


「シロエさん本人が辛いじゃないですか」

「……」

 シロエはミノリの言葉に思考リソースを割く。云われてみれば、そのようにミノリには見えるのかも知れない。外部観察においてそのような感想を持たれる可能性も考慮すべきだった。


「ああ、そんな事はないよ。これはこういう役回りなんだし」

「……」

 どうもやはり、ミノリには受け入れがたい話のようだ。

 計画上、必要な配置と、適役と云うことに過ぎないのに。

 唇を引き結んでいるミノリは本当に真剣だった。涙を浮かべそうに大きな瞳、頬は赤く染まって緊張し、怒ったように跳ね上がってる眉は、一歩も引かないという意思を表現してる。


「ミノリが今回、〈生産者ギルド連絡会〉で手伝ってくれて助かったよ。現場での実務担当が10人増えたよりも、価値があることをミノリはしたよ。ミノリは、偉かったよ」

 シロエの言葉に、眼をぱちくりさせるミノリ。


「それと同じだよ。ミノリ。……するべき事が目の前にあって、自分がそれを出来て、望まれているならば、それは仕事にしても良いんだよ。胸を張って良いんだよ。それをすることで、何かに接続出来るなら、それで良いんだと……思う。その、僕にこんなことを言う資格があるのか、自信がないけれど」

 ミノリは、困った顔をする。


 無理もない。シロエだって、判っていてこんなことを云ってるわけではない。むしろ何も判っていないに等しい。ギルドに関わるのが面倒で逃げ回っていたシロエに、こんなことを云う資格など有りはしないのだ。

 控えめに見てもそれはミチタカやクラスティなど、自分のギルドを長く率いてきた者の云うべきセリフだ。


 でも、シロエも仲間を得て、それも、自分でギルドを作って初めて判ったことが少しはある。たった1人で強くなっても、それはやはり幽霊なのだ。そうして得た力は、何処へも向かわない虚空の強さだ。外界に手触りを感じられない、感じさせられない、幽霊としての力でしかない。

 たった1人で得た強さでももちろん強さだけど、その強さを使うためには、仲間が必要で、その仲間を活かすためには社会が必要なのだとシロエは思った。今はまだはっきりとは判らないあやふやな形だけど、〈記録の地平線〉はシロエにとっては大事な場所なのだ。


「ミノリが頑張ってるくらい、僕も頑張るよ」

 ミノリは困ったような怒ったような、そして切ないような表情で頷く。シロエとしては、反省するしかない。結局は中学生であるミノリの頑張りと質問に、まるで様にならないあやふやな返事しかできなかったのだ。

 しかも励まされ叱咤された気さえする。


(――それもしかたないか)


 この小さな少女は、今日の殊勲賞だ。その功労者が、〈記録の地平線〉のメンバーだと云うことは、素直に嬉しい。そんな彼女にちょっと手ほどきをしたことがあるというのも、くすぐったい気分だ。先輩だとか先生だなんて慕われているのは、後ろめたい気分だが、決して不愉快な感覚ではなかった。


 シロエは苦笑を浮かべると、再度頷いた。

「僕はこの位置で良いんだ。ここが僕の場所なんだ。……だからミノリと同じくらい、ここで頑張るよ」

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