012
トウヤは頬についた泥を左手で乱暴に拭った。
戦闘用の籠手は獣皮と鋼の針金で作られているために、擦られた頬はひりひりと痛んだが、それぐらいの方が丁度良かった。
痛いくらいの方がにじむ涙をこぼさずに済む。
「早くしろっ。もたもたするなっ!」
パーティーリーダーが耳障りな声で怒鳴る。
今日も戦列が崩壊したことが不満でならないらしい。
それも無理はなかった。経験者らしい経験者はそのパーティーリーダーだけ。トウヤにしたって壁役としてむざむざパーティーを危険にさらしたくはないが。何と言ってもまだレベル24に過ぎない。
壁役は前線で戦列を支えるのが役目だ。
そのための要素は二つ。第一に死なないこと。第二に、敵の攻撃を自分一人に引きつけ、他のパーティーメンバーの安全を確保すること。
(シロエ兄ちゃんに稽古つけてもらったから、基本は理解できるけど……)
それにしたって、調和がものを言うのだ。
確かに戦列を支えるのは壁役の責務だ。存在意義と云っても良い。しかし、それはパーティーの仲間の支援無しは成立しない。
戦士職が死なずに前線を支え続けるためには、後列から回復してもらう必要がある。そして同時に、回復役が周辺の敵を気にせず回復に専念できるように戦士職は戦列を支えなければならない。
この2つはコインの表裏一体であって、どちらが欠けても前線の戦士職であるトウヤは倒れて――引いては戦列が崩壊してしまう。
さらに敵を引きつけるためには、パーティーの誰よりも、敵に対して敵愾心を煽り注視されなければならない。戦士職は敵の意識を集中させ、自分に攻撃を集めるための特技を数多く持っている。多くはタウントと呼ばれる挑発技だ。ある種の精神操作とも云えるこれらの特技で、戦士職は敵の意識野から自分以外の存在を忘却させる。
――引きつけたあとは、度胸と冷静さ。そして仲間のヒールを信じる意志の強さの問題だ。トウヤはミノリのこと信じているんだから、簡単でしょ?
(シロエ兄ちゃんは云ってたけど……。それだけじゃ、だめだよ……)
通常戦士職の挑発特技は、敵と味方がおおむね同じ程度の実力であれば、何の問題もなく機能する。しかし、自分以外の味方のレベルが壁役より著しく高かったり、攻撃が激しすぎる場合はこの限りではない。
つまり、前線で敵を引きつけるはずの戦士よりも、攻撃役、もしくは回復役の方が敵から見て「脅威」であると判断されてしまうのだ。
トウヤの現在のパーティーがこのケースだと云えた。
リーダーを任された男のレベルは46。〈エルダー・テイル〉では丁度中堅レベルに当たる。トウヤから見れば二倍のレベルを持っているのだ。
〈召喚術師〉である彼の攻撃力に対して、トウヤの前線掌握能力は圧倒的に不足している。敵モンスターから見た場合、前線を支えるトウヤよりも、〈召喚術師〉の方が優先的な攻撃目標に見えるのだ。
当然彼の過剰な攻撃は敵モンスターの怒りを引きつけ、攻撃はトウヤではなく彼に向かって流れることになる。しかし、リーダーはあくまで〈召喚術師〉であり、二倍のレベルを持っていても、その防御能力はトウヤに劣る程度でしかない。
また、敵の攻撃がトウヤとリーダーに分散しているような状況では、、回復役の意識も分断されてしまう。パーティーから攻撃を受ける被害者が二人も出れば、回復量は分散をして、最悪の場合「どちらの回復も必要に足りない」という事態を引き起こす。
さら足並みが乱れれば、事前に組んだフォーメーションは乱れ、攻撃担当者は、どの敵から落とせば事態を収拾出来るか判断がつかなくなるのだ。予定通りトウヤの戦っている正面の敵を一匹ずつ倒せばよいのか、それともリーダーの〈召喚術師〉を救うため、群がる敵に目標を変えるべきなのか? そのように攻撃担当者がの意志が乱れれば、攻撃力の集中も各個撃破もままならない。
結果として、戦闘は長引き、ただでさえ崩れた戦列が更に傷口を広げることになる。……悪循環である。
(だからシロエ兄ちゃんは「師範システム」を使ってたんだなぁ。まともにやったら自分の方にモンスターが来ちゃうから……)
トウヤは最近やっとそのことに思い至った。
シロエが決して伊達や酔狂で、あるいは同情で自分たちのレベルに合わせてくれていた訳ではなく、そのことによって集団戦闘の基礎を仕込んでくれていたと云うことに。
そこへ行くと、いまのリーダーである〈召喚術師〉は違う。
今日の狩り場の対象モンスターのレベルは25。トウヤを始め初心者組からすれば格上で相手をするのはいっぱいいっぱいのモンスターであるリザードマンが相手だった。
しかし、リーダーにすれば自分よりも10レベル以上下の雑魚モンスターなのだ。そのような雑魚にちんたら戦うのが耐えられない。――俺がお前達に合わせるんではなく、お前達が俺に合わせるのが筋合いだ。彼ははっきりとトウヤ達にそう言った。
そもそも彼にしてみれば、ギルドマスターに押しつけられた子守りに過ぎないのだ。採取や稼ぎのノルマが果たせなければ、彼自身もギルド上層部から何らかの注意を受けるのだろう。
彼にすれば、トウヤ達は「足手まとい」に過ぎない。
暗紅色のローブを纏ったリーダーは、苛立ちを隠そうともしなかった。
仲間達は一様にくたびれ果てて、虚ろで精気のない瞳をしている。
今日は仲間のうち4人が死んだ。そのたびに大神殿からの再出発になるのがリーダーの苛立ちを更に募らせるらしい。
しかしそれでも自らのやり方を改めないのだ。いっそ「師範システム」を使ってトウヤ達新人組と同じようなレベルにあわせれば戦闘連携のバランスが取れるはずなのだが、「そんな事をすればただでさえペースが遅い戦闘が更に遅くなって、ノルマが達成できない」と彼は云う。
アキバの街の路地裏、何でもない小道なのによろめいた〈吟遊詩人〉の仲間が倒れそうになる。
「……ごめん。……ごめんね」
支えたトウヤにその少年は謝罪する。少年の瞳の中には疲れ切って淀んだような濁りしか見ることは出来ない。
「もうちょいだ。がんばろーぜ」
トウヤは肩を貸しながら励ます。トウヤより更に1、2レベル低いはずの〈吟遊詩人〉の体重は、軽い。汗と垢にまみれたマントのすえた匂いが鼻をつく。それは自分も一緒だろう。身体を洗うような暇も余裕も、与えられては居ない。
パーティーはリーダーの先導で中央広場までやってくると、隊伍を整えさせられる。リーダーは口を歪めてトウヤ達を睨むと、一人一人から今日の狩りで得た素材アイテムを回収してゆく。
幾らギルドホールがあるとは云っても、アイテムを無制限に貯蔵できる訳ではない。中途半端で要らないアイテムは、狩りの直後にマーケットに販売してしまうのが〈ハーメルン〉のやり方だった。
「ずいぶんため込んだなぁ、トウヤ」
粘つくような声でリーダーが絡む。トウヤはレベルが低いとは言え、戦士職だ。他の職業より当然筋力は高く、多くの荷物を持てる。仲間の疲労を少しでも軽減しようとした結果に過ぎない。
「頑張って運びました」
そんな事はリーダーだって判っているはずだ。トウヤは視線をあわせずに答える。殴りかかりたい気持ちがわき上がるが、ここはすでに戦闘行為禁止区域だ。そして仲間達はもう体力の限界を迎えようとしている。こんなところでいざこざを起こして、わずかな休息の時間を減らしたくはない。
「ふんっ」
そんなトウヤを馬鹿にしたように鼻を鳴らしたリーダーは、回収したアイテムを全てマーケットに流す。
「お前達の実力じゃこの二束三文のアイテムを集めるのがせいぜいって事だな。ま、それでも食い扶持を支給されるってのは有り難いことだ。“ポット”があるお陰とも云えるけどな」
トウヤの奥歯が意識しないままにギリリと鳴る。
ミノリが。
トウヤの姉がギルドホールに軟禁を受けて居なければ、こんなしたり顔をした小悪党に好き勝手なことを言わせてはおかなかったのに。自分でも視線に敵意が籠もり、重油のような怒りがわき上がってくるのが判る。トウヤはそれを悟られないように、土埃にまみれた街並みに視線を逸らす。
リーダーは所詮中間管理職に過ぎない。
(こんなクズ野郎。切ったら俺の刀が汚れるって。……だけど、こんなのがいつまで続くんだ。何でこんな事になっちまったんだよ。
……ポットなんて俺達は要らない。そんなのはちっとも欲しくない。ミノリだってもう限界なんだ。こんなギルドに入りさえしなければ……)
「――だいま帰りました。はい、ありがとうね。うん……大丈夫」
トウヤの灰色に煙っていた視界に突然真っ白い光が差してきた。
それはわずか一ヶ月足らずの間に懐かしくなってしまった声。忘れかけていたシロエの、どこか思慮深いような、少し困ったような話し方。
顔を上げて、広場に視線を走らせる。
マーケット、違う。露天商、違う。鍛冶屋、違う。武器屋、裁縫師、酒場、宿屋……そこにあるべき顔を探して、探して……絶望しかける。トウヤはこの声の持ち主の顔を知らないのだ。
この声を聞いたのは、ボイス・チャット越しでしかない。トウヤはそれに気が付くと、胸を押しつぶされたような感覚に襲われる。
しかし、広場と大通りを結ぶアーチ状の門を十数人の騒がしい集団が入ってくると、そこにトウヤの瞳は吸い寄せられた。いかにも長旅から帰ったかのような小集団を、何人もの街住みギルドの連中が囲んでいる。
その中心部にいるにもかかわらず、浮かれたところのない、ちょっと困ったような拗ねたような表情の青年は、トウヤが思い出していた一人の青年を確信させた。
「大丈夫やって! うちらの仲間の〈料理人〉だってその話聞いてからすごいんやて。もうな、毎日試食の嵐やね。英語にするとストームやねっ。シロ坊達帰ってくるって言うたららんらんるーでパーティー大準備やもんっ」
「うっわ、ご馳走かよ。期待祭りだぜっ」
「それは素晴らしいですにゃー」
「そんなに大げさにしなくても良いのに。マリ姐」
もどかしく感じるほどに慌てて脳内メニューを開くトウヤ。目の前の人物の名前を確かめるために、カーソルを当てて名前と所属ギルド表示を呼び出す。ギルド、未所属。名称、シロエ。職業、〈付与術師〉。
それは〈大災害〉が起きるまでのほんのわずかな期間、トウヤとミノリと共に過ごし、ゲームの基本を仕込んでくれた熟練のプレイヤー。今でもトウヤと姉の間では「兄ちゃん」と呼ばれる青年だった。
「にいちゃ――」
しかしトウヤが張り上げようとした声は、途中でせき止められたように凍り付く。
シロエがこっちを向いたような気がしたのだ。
それは錯覚かも知れなかったが、こちらを向いたシロエの表情の中に、トウヤは以前よりもずっと逞しくなった何かを感じた。
シロエもまた、〈大災害〉後のこの世界を「生きて」居る。
それを感じた瞬間、驚愕したトウヤは言葉が凍ってしまったのだ。
世界は変わった。
あの〈大災害〉によって不可逆で決定的な変更を受けてしまった。
夢見がちな少年や少女なら必ず一回や二回夢想する、異世界召喚。しかも、ゲームの世界が現実化するという冗談のような出来事。
しかし、それは蓋を開けてみれば灰色の牢獄だった。
“初心者を助けるためのギルド”――そんな言葉に引っかかってしまったトウヤとミノリが悪かったのかも知れない。しかし、それを差し引いたとしても、この世界は「持つ者」が強大な世界なのだとトウヤは思う。
金、アイテム、経験値。全てのリソースは、そのリソースが集まるものにその恩恵を与える。金貨を持つ者はより多くの金貨を得、アイテムを多く持つ者はより多くのアイテムを得る。そして多くの経験値――すなわち高レベルプレイヤーはより強い敵と戦い、より一層の実力を得て行く。それがこの弱肉強食世界の真理だ。
「持つ者」はさらに能力を手に入れ、「持たざる者」は永遠の後発者として、「持つ者」の背中を眺めるしかない。それが〈エルダー・テイル〉の世界――オンラインゲームの世界の真相の一端ではある。
現実になってしまったゲームは、その残酷な真理を一層明確にさせるのだ。
トウヤのまだ幼いとも云える思考回路では、明確な言葉にして、その真理を説明は出来なかったが、それでも、その幼さゆえに真理の実体を鋭敏に嗅ぎ取ってもいた。
トウヤもミノリも、初心者プレイヤーだ。
初心者プレイヤーは戦力が低く、世界に対する知識も少なく、財産も持っていない。……その意味するところは、お荷物であると云うこと。周囲のプレイヤーが全て初心者ならばそれでも良い。平等の条件下で競争をしてゆける。
でもそうでなかった場合、弱いものには己を守る力がない。そして弱い者を守ってくれるようなルールは、この異世界に有りはしないのだった。
トウヤが飲み込んだ言葉は、「助けてくれ」だったか、「救ってくれ」だったのか。断ち切られた今、それはトウヤ自身にも判らない。
トウヤの意識の中でシロエはゲームの達人だった。誰よりもこの〈エルダー・テイル〉に詳しいように見えていた。シロエであればどんな苦境からも自分たちを救ってくれると思っていたのかも知れない。
しかし、何でそんな事が云えるのか。
〈大災害〉が起きる前、〈エルダー・テイル〉がただのゲームでしかなかったときに、一週間かそこら遊んでくれただけの、ただの知り合いに。自分は救いを求める権利があるのか。
この厳しい異世界で己が生き延びるために必死なのかも知れない知人に。いや、シロエでさえもこの世界で生き抜くために代償を払っているに違いないというのに。
トウヤはそう考えると握りしめていた拳を降ろした。
いつの間にか広場には、細かい雨が降り出していた。
◆
ギルドホールにも多様な種類がある。
たとえば、このアキバの街のギルド会館で貸し出すギルドホールは大きく分けて4つのクラスがあり、それぞれ3部屋、7部屋、15部屋、31部屋となっている。更に大きな一流ギルドになると、ギルド会館ではなく、外部のビルを丸ごとひとつ借り受けるなどしている例もあり、ギルドの本拠地というのは実に様々なケースがあるのだ。
〈三日月同盟〉のギルドホールは、アキバの街のギルド会館で云うBクラス。7つの部屋を持っている。
決して広大というわけではないが、この規模のギルドにしては十分な設備――4つの部屋とひとつの作業場、ひとつの倉庫、そして中規模の会議室を持っていて、マリエールに云わせると「使い勝手がよい」と云うことらしい。
だが、その会議室でさえも、せいぜい15人も入ればいっぱいで、とてもではないがシロエ達を含めた30人以上の宴会に耐えられるようなサイズではない。
そのためにマリエールらギルドのメンバーは、セララ帰還のこのパーティーに際して、ギルドホールの倉庫以外の部屋全てを飾り付けていた。
部屋のあちこちには心ばかりの生花が飾られ、普段は小物作りや作業に使われているテーブルには清潔なクロスが敷かれていた。ギルドホールは隅々まで綺麗に掃き清められ、部屋によっては車座になって歓談が出来るように、背の低い籐の燭台や多くのクッションが用意されていた。廊下にさえも臨時の藤椅子が並べられているほどだったのだ。
それらは決して高価なものではなく、むしろ〈三日月同盟〉に所属する生産職人達が、自分たちの作れる範囲内で出来るものを作り、持ち寄った成果であるらしかった。
セララを救出したシロエ達が街に帰還すると、街外れまで迎えに来ていたマリエール達は大喜びでギルドホールに迎え入れてくれた。念話機能で毎日のように連絡を取っていたから、シロエ達が帰り着くのは数日前から〈三日月同盟〉のメンバーにはすっかり判っていたのだ。
同じく念話での連絡によってにゃん太から「本物の料理」の秘訣を聞かされた〈三日月同盟〉の〈料理人〉は、その数日の間に多くの食材を組み合わせて、パーティー用の料理を作り上げていた。
マリエールの話によれば、伝えられたまったく新しい料理の仕方、すなわち〈料理人〉がアイテム作成メニューを使用せずに直接料理を作る方法に馴れるために、〈三日月同盟〉の〈料理人〉はそれこそ寝る間も惜しんで多くの料理を作りに作ったのだそうだ。
その試食でさえも、いままでの単調で気の滅入るような食料しか与えられなかった〈三日月同盟〉の仲間には大好評で、セララ帰還と共に、大きな喜びになっているとのことだった。
もっともこの新しい調理術にも問題がない訳ではない。
まず、新しい手法では実際に時間をかけて調理をする必要がある。いままでのアイテム作成メニューを使用した調理では、煮込み料理だろうと漬け物であろうが10秒で完成したが、新手法では煮込み料理には煮込むだけの、発酵調理には発酵するだけの時間がしっかりと掛かってしまう。
また、アイテム作成メニューから作成する場合、必要とされる素材は多くて5種類程度に制限されていた。細かい調味料や油、副次的な材料などはゲームとしての利便性から省略されていたのだろう。しかし、新しい手法では、用意しなかった素材は、ごく当たり前だが完成品にも入っていない。肉とジャガイモとタマネギと香辛料だけでつくったカレーには、にんじんは入っていないのだ。
また、ある程度以上に難しい料理を作成しようとすると、調理スキルの判定が行なわれるらしいことも判った。調理スキルの判定が失敗すれば、どのような材料を使っていようが、その料理は失敗し、黒こげの奇妙な物体か、スライム状の粘塊になってしまう。全体的な傾向として、揚げたり、ローストしたり、蒸したりと云った特殊な調理器具を用いると、必要とされる調理スキルの値は高くなる傾向が伺えたが、詳細はまだつかみ切れてはいない。
さらにより根源的な問題点もあった。
いままでは、同じ材料を使い、アイテム作成メニューから同じ目的アイテムを選択さえすれば、誰が作ってもまったく同じ食料アイテムを作り出すことが出来た。もちろん見かけも同じだし、味も(湿った煎餅という固有ではあるが)同じものだ。
しかし新しい手法では、アイテム作成メニューを使用しないために同じレベルやスキル値をもった〈料理人〉同士であろうと、出来上がった料理の質については大きく開きがある。調理スキルが高かろうと、実際に調理をするのはそのプレイヤー本人なのだ。調理スキルは「どれくらい難しい料理を作って良いか?」という上限を表す数字となり「どんな料理を作れるか?」という保証を表すものではなくなったと云える。
このように、制約の多い新しい手法であったが、だからといって価値がない訳ではなかった。いや、むしろ莫大な価値のある発見だったと云えるだろう。
何しろ、時間が掛かることも、様々な材料が必要なことも、作る人によって味が違うことも、元の地球の調理の常識からすれば、むしろ当たり前なのである。
なにより、シロエ達と同様〈三日月同盟〉のメンバー達も、あの味気の無い工場生産の栄養バーにも似た食料アイテムには飽き飽きとしていた。
「いっやー。自分たち、食料アイテムに調教されてすっかり見失ってましたよ。餌と食事は違うんス! 俺達がいま食ってる。これが食事っていうもんス!」
宴の最中〈三日月同盟〉の若い魔術師が言ったとおり。美味しい料理にありついて、初めて自分たちが如何にひどい食生活を送っていたかを悟るという状態であった。
嵐のような、料理の支度と飾り付けの慌ただしい準備期間が過ぎ、シロエ達がメインゲストとして招かれたギルドホールはすっかりとお祭りの雰囲気だった。
シロエ達は会議室に作られた大テーブルに案内されて、「もう1時間もすれば料理もすっかり出来上がるから!」とまずは食前酒を出された。旅装をほどいたシロエと仲間達はそれぞれに歓待を受ける。
もてなされるシロエたちもだが、もてなす〈三日月同盟〉のメンバーにとっても、それは楽しい宴だった。こんなにも豪華で華やかで、しかも美味しい料理に満ちた大騒ぎは、あの〈大災害〉以降初めてだったのだ。
しばらくは感謝の言葉で埋め尽くされていた会議室だが、にゃん太は「ちょっと見てきますにゃ」などと言い残すと立ち上がる。セララは慌ててそのにゃん太について行く。
微笑ましい様子の二人は、後から聞いたところに寄れば、作業場全てを占領している臨時厨房に行って〈三日月同盟〉の〈料理人〉と一緒になって激戦区の古参兵のように料理にいそしんでいたらしい。
新しい料理手法を用いようとすれば、アイテム作成メニューに登録された食料アイテムの一覧は役に立たない。〈料理人〉はその〈料理人〉が知っている料理と料理方法しか実践する事は出来ないのだ。こればかりは、現実世界でどんな料理をしたことがあるかに大きく左右される。
そこで、にゃん太と〈三日月同盟〉の〈料理人〉は、お互いの料理の知識を分け合って、知っているレシピを分かち合い、宴会のご馳走により一層の彩りを加えるのだった。
会議室以外の全ての部屋でも、会議室には入りきれなかった〈三日月同盟〉のメンバーが思い思いに陣取って酒盛りを行なっている。
料理は次から次へと運ばれてきた。
野鳥の揚げ物、トマトのたっぷり入ったオムレツ、コーンとレタスのサラダに、海産物たっぷりのサフラン入りのパエリア、ナンに似た無発酵パンに、香辛料をきかせた羊肉のスープ。岩塩とハーブをきかせた鹿肉のロースト。大皿に盛られた色とりどりの果物に、カスタードに似たクリームをたっぷりとかけた薄焼きのビスケット。
そんな料理の大皿を持って、セララはあちこちの部屋を廻っては給仕をして歩いた。セララはどの部屋でも「せっかく無事に助かって戻ってきたセララを祝うための宴なのだから、ゆっくり座って楽しめばいいのに」と云われていた。
でも、そんな言葉には笑って「それでも自分を助けてくれた皆さんへの恩返しですから」とまめまめしく給仕をしてまわるのだった。
そんな様子のセララはいじらしくて、〈三日月同盟〉の中に大いにファンを増やし、それならせめてと、どの部屋でも乾杯に付き合わされて、すっかり酔ってしまったようだ。
シロエ達の仲間も、あちこちで引っ張りだこだった。
直継は若手のプレイヤーに囲まれて、戦闘談義をしている。
〈三日月同盟〉はまだ若いギルドだ。90レベルになっているのはマリエールを始め数人しかいない。そのマリエール達としても90レベルになっただけで「その先」を見た訳ではない。
「つまり、レベルってのは仲間と揃ってればそれで良いんだって。大切なのはレベルじゃなくて、レベルの先にあるものだなっ」
「なんですか? それ」
串焼きにした甘辛い鶏肉にかぶりついた直継に、酒に酔ったのか赤い顔をした〈盗剣士〉の小竜が尋ねる。小竜は、〈三日月同盟〉では戦闘や狩りの取りまとめをしている若手で、直継とも何回も出掛けていた。彼からすれば、直継は英傑に見えるのだろう。
「ふむ。それは――おぱんつだっ!!」
直継の力強い宣言に、部屋の中の空気が一瞬あっけにとられて、何とも気まずいものに変わる。さすがの小竜も「何を言ってるんだ、この人は」という表情になってしまう。
その空気については、直継もまずいと思ったのかなんども咳払いをした後に誤魔化すように続ける。
「あー。いまのはつかみだ。小粋なジョークだ。
……えーっと、なんだ? レベルに頼った戦い方をしている限り、敵に負けた理由は“レベルが足りなかった”って事になるだろ? そのまま最高レベルになったらどうなる? 最高レベルになっても勝てない相手には、永久に勝てないってことだよな。
だってもうレベルを上げることはできないんだから。そうなったら最後、大絶賛絶望もう勝てない祭りだぜっ。
そうならないためには、勝つための工夫と仲間との連携だな。このふたつが無ければ、結局はどこかで負ける。
レベルが上がりきった後に気が付いたとしてももう遅い。一回も仲間と力を合わせたことのないヤツが、敵に勝てないからってすぐさま連携行動なんて取れる訳がない。
逆に言えば、連携だの工夫だのなんて、どんな低レベルだって出来る。そしたら、もう後は最強一直線だぜっ。
『他には出来ることはないか?』って問い続けるのが重要だ。うちのシロエなんてその道の大家だぞ。なんせ“腹ぐろ眼鏡”だからな。勝つためだったらどんなせこい手でも使いかねない」
今度の演説はそれなりに感銘を与えたようだ。
その後は、じゃぁこんな敵と戦うときの工夫はどうするのか、こんな状況ならどうするのか――様々に話は盛り上がった。良くも悪くも、この世界にいるプレイヤーはゲーマーで、異世界に飛ばされたとしても、魂に活気さえ取り戻せば向学心はあったのだ。
一方、アカツキは一室に監禁されていた。
〈三日月同盟〉の女性が使っている部屋のひとつである。
ポプリや鏡台が飾られた部屋は、シンプルではあるが清潔感があってどことなく女性らしい。その部屋の中でアカツキは5人の女性に囲まれている。
「さ、アカツキちゃん。そろそろ覚悟の時間ですわ」
「拒否する」
いつもの少し不機嫌そうに見えるほど生真面目な表情のアカツキは、それでも視線を左右に走らせて逃げ場を探すが、完全に包囲されていてその隙は見あたらない。
「そんなに怖がらないで、優しくしてさしあげますから」
「それは悪役の台詞だと自覚しろっ」
女性達のリーダー格、明るい蜂蜜色の巻き毛が可愛らしい〈吟遊詩人〉のヘンリエッタが両手をわきわきさせて迫ってくるのが怖くて、アカツキは一歩下がる。しかし、その一歩の後退は、背後にいた長身の女性に抱きしめられる結果を招き寄せてしまった。
「小さくて可愛ゆいっ」
「小さいゆうな。わたしの方が年上だ、多分っ」
〈三日月同盟〉のギルドマスターはマリエール。
女性が代表を務めるギルドというのは、なかなかに珍しい。そのために〈三日月同盟〉には他のギルドと比べて割合多めの女性が集まっている。その中にはギルドの会計を取り仕切っているヘンリエッタ――この〈吟遊詩人〉の女性のように可愛いものに目がない、等というプレイヤーも少なくはないのだ。
アカツキはその背丈の低さと人形のように愛らしい顔立ちから、〈三日月同盟〉ではファンを獲得していた。もちろん密かに想いを寄せている男子もちゃんと存在したのだが、より熱狂的で始末に負えないのは女性側のファンクラブである。
「じゃぁん。本日は三種類のサマードレスを用意しましたっ」
「待て。どんな戦闘に着ていくのだ、そんな服っ」
少女用の華やかなワンピースドレスを、何を勘違いしたのか恥じらいに頬を染めて紹介し始めるヘンリエッタにアカツキはすかさず突っ込みを入れる。
女性が相手なので直継にするような攻撃的な合いの手も入れられず、アカツキはじたばたと暴れるしかない。しかし、その暴れる姿が可愛いと云われてしまうのだから、アカツキとしても抵抗の手段も気力もそがれてしまう。
そのうえ、すみれ色のコットンドレスだの、レースとフリルたっぷりのオーガンジーワンピースだの出されては、余りにも少女趣味で目の前がくらくらする。
「わたしは主君の忍びなのだっ。そんな浮ついた服が着れるかっ」
「シロエ様の許可はもらってます。さっ。諦めてっ」
「謀ったなぁ! 主君っ。謀ったなぁ!?」
半分涙ぐんだアカツキは、目の色を変えた女性達にもみくちゃにされる運命を辿るのだった。
◆
そして宴もたけなわとなり、楽しい時間は繰り返し述べられる感謝と祝いの言葉、乾杯とご馳走に対する賛辞の中に過ぎ去っていった。
呆れるほどに食べ、呆れるほどに飲み、そして騒いだ。
すっかり月も沈んだころだろう。
宴の熱気がかすかに残る〈三日月同盟〉のギルドホールは、お祭りのあと特有の満足したような、どこか心残りのような、幸せで穏やかな雰囲気に包まれている。
あちこちに設置されたテーブルには、酒瓶や飲み物を冷やすための氷入りの器や、散々に食べ散らかした料理の皿などが台風の後の海岸線のように散らかっている。
テーブルの下に、あるいはソファに、クッションを抱きしめたままうずくまって、あちこちにギルドのメンバーは横になっていた。
直継は会議室で大の字になっていびきをかき、〈三日月同盟〉の誇る少女趣味のエース、ヘンリエッタに飾り付けられてしまったアカツキは、いまではその疲れからか大きなクッションに埋もれるように眠りについている。
「――っと」
シロエはテーブルの縁でゆらりと揺れた酒瓶をキャッチすると、そのほか数本とまとめて背負い袋に放り込む。内部のアイテム重量を消去するこのマジック・アイテムは、部屋の掃除の時にも威力を発揮するのだ。
今、この寝息漂う会議室で目を覚ましているのは、シロエとマリエールの二人きり。
部屋の隅に寄せたテーブルには、大きな皿が何枚も重ねられ、食べ残しもあるが、酔ってぶつかって部屋に巻散らかすようなものは全て片付けた。会議室で雑魚寝をする仲間達に、ウールの毛布を掛けて回ったマリエールは、腰に手を当てて伸ばすとシロエに声をかける。
「こんなもんでええかな?」
「あ、はい」
どこかで小さく寝言のような声がする。
その声を笑いながら、シロエはマリエールに答える。もちろんみんなを起こさないように声を潜めてだ。
「どする? シロ坊も寝る?」
「そんなに眠くはないんですけど……」
「ほうかー」
マリエールはシロエに近づいてくると、まるで久しぶりに見たかのように表情をのぞき込む。
「んじゃ。お茶でも煎れよか。ここじゃなんやし、ギルマス部屋に行こ」
マリエールはシロエを誘って会議室を後にする。「ちょっとだけ待ってや」と囁いたマリエール。ひとつひとつの部屋を確認してゆくが、どの部屋にもご馳走をお腹いっぱいに食べたギルドメンバーが、ソファやクッション。あるいは床の上で眠りについている。
「明日は大掃除やね」
「手伝います」
「お客にそんな事、させられへん」
メンバーを見るマリエールの表情は優しげで温かいものだ。そんなマリエールを見ることが出来ただけで、今回の任務を引き受けて良かったとシロエは思う。
危険そうな酒瓶や大皿だけを片付けて、二人はギルドマスターの執務室へと向かう。ススキノへと向かう前、マリエールからの話を聞いて出発を決意した、あのファンシーなギルドマスターの部屋だ。
執務室という名にふさわしいのは大きな書類机ぐらいで、後はマリエールの私室と云って良いほどに、パステルカラーでコーディネートされている。
「何がええ?」
「なんでも」
「んじゃ、なんかありもんでええな。……えーっと」
マリエールは、厨房に残っていた飲料から、黒葉茶を持ってくる。黒い茶葉から入れられたこの茶は、暖めても冷ましても飲めて、果実をブレンドしたものは特にすっきりと爽やかな飲み口だ。
二人はソファへと座って、やっと一息つく。
こんな大騒ぎの後、シロエが一番最後まで起きているのはいつものことだ。宴が嫌いな訳ではなく、むしろ大好きなのだが、楽しければ楽しいほどに、なぜかしみじみと大切な気持ちになってしまい、最後まで見守ってしまう癖は昔からで、にゃん太などにはいつもからかわれていた。
今日に限って、その気持ちはマリエールも同じようで、一人一人の仲間を愛しそうに見つめては毛布を掛けている姿がシロエの印象に残っている。
ギルドホールの中から、人が眠る気配や、寝返りの音が静かに聞こえてくる。その音は全くの無音よりよほど安心感をもたらすのだった。
「今回は本当に世話になったん。ありがとな」
「もう良いですって。僕は何も大したことしてないし」
お祭りじみた宴会の熱気に当てられて、シロエはふわふわとした気分のままに答える。こんなに感謝されるとは思っていなかった。いや、正確に言うと、感謝はされると思っていたけれど、こんなに“みんな”に云われるとは思っても居なかった。
顔中口になったような気の良い〈三日月同盟〉メンバーの笑顔を思い出す。
どちらかと云えば人見知りしがちの……直継やにゃん太、アカツキに対して喋るように口のきけない、どこか畏まったシロエの元にみんなやってきては、食べ物を勧めて喜びの声をかけていくのだった。
(こんなに喜んで貰えるなんて)
もしかしたら、余計なことをしたと。外部の人間なのに何様なのかと云われる可能性も覚悟していた。シロエとしては、八つ当たりだったのだ。
この世界が「そんな風」になるのが許せなくて、その苛立ちをぶつけるためにわざわざススキノまで遠征に云ったようなもので、それは極めて個人的なシロエの規範の押しつけに過ぎない。
その傲慢さを、シロエは自覚している。
(反省はしてないけど。感謝される事じゃないって、判ってる)
だから手放しで感謝されると、なんだか答えに窮して、畏まってしまうのだ。
「あれが大したことじゃないゆうなら、なにが大したことやんね。なんかお礼考えんとなぁ」
「そんなのは良いですけど……。いない間、こっちは、どうでした?」
「こっちかぁ」
シロエの問いに、マリエールは微妙な表情をする。
その表情を問いただすことはせずに、シロエはただ手元のグラスの茶をゆらして待った。
「アキバの街は……いっときよりは、落ち着いたかなー」
「落ち着いたですか」
「うん。PKはずいぶん減った。治安も……悪うはないんやと思う。いや、どこと比べるかっちゅー話なんやけどな。少なくとも最悪だったときよりはマシに思えるんよ。そこんとこは、マシ」
マリエールは言葉を探しながら語り続ける。
「でもな。やっぱり雰囲気は悪いんよ。何がどうとは、はっきり云えへんのやけど。つまり……。うーん。どこそこが悪いから悪い、とは云えへんのやけど。
それでもやっぱり、どこかが壊れてるん……。
どうにかしたい気持ちはあるんやけど、どうにもならん。きっと、それは、格付けが済んでもうたってことなんやと思う」
――格付け。
それはどことなく不安で不吉な響きをもった言葉だった。
「うちらは、30名弱の中小ギルドやろ? そんでもって90レベルなのは4名で、50レベル以下が半数や。それがどうこういう訳や無いけど、現実問題そうであるってのは事実なんよね。
そこんとこは、もう客観的なモノで、動かせへん。
たとえば〈D.D.D〉はいま、アキバの街で最大手の戦闘系ギルドや。メンバーは1500人を越えてるっちゅー話やん。たぶん90レベルも比較にならんほどおるやろ。
これも客観的な事実やから、動かせへん」
マリエールはテーブルにグラスを置くと、指先を組み合わせて続ける。
「そういうのが悪いことや云うてるんやないねん。
大手はんには大手はんの苦労があるのもよぉ判るん。
でも、そういうのが積み重なって、どうにもならんようになってなってまうっていうか……。やっぱり大手で設備の整ったギルドの方が羽振りが良いのは当然やし、そう言うところが街の雰囲気やルールを作ってるっちゅーとこは、あるんよ。
たとえば、マーケットの優先使用とか」
「そんな事が……」
「明確なルールっちゅー訳や無いよ。ただ、あんだけ数がいるとな。やっぱ、街で大きな顔をするのは大手ギルドの連中のほうなんよね。
あっちの方が何かと実力ある訳で。そこに所属してるプレイヤーは、それなりに大きな顔をしても、通るし、当然だと思うてる」
――馬鹿らしい。
シロエは思う。それは、大手ギルドの方が人数が多いのだろうし、様々なことの効率が良くなるのは当然だ。たとえば狩りそのものにしたって、狩りの報酬である素材アイテムの有効活用にしたって、自前で生産職や仲間を数多く備えていた方が、有利に進む局面は多い。
でも、だからといって、そこに所属しているメンバーの個人個人が強くなった訳ではないし、ましてや偉くなった訳でもないはずだ。
〈彼女〉だったら笑い飛ばしただろう。
せせこましく群れて生きるしかないプレイヤーを見て、高笑いをしながら宣言しただろう。お前らちっとも格好良くないな。と。
「PKが減った云うたやろ? それも同じ理屈なんよ。
どこそこのギルドはどこそこのギルドより、強い。じゃなければ、弱い。それがはっきりしたから、これ以上戦闘で白黒つけても始まらんっちゅーことなんやね。
負けるのが判ってる方は、噛みついてくる相手が居るところには近寄らんやろ? 別の狩り場に出掛ける。
でも、別の狩り場って云うのは、大抵遠いか、稼ぎが悪い所が多い訳や。PKは減ったけれど、それは要するにギルドによって、出掛けるゾーンの棲み分けが出来てきたって言うだけのことなんよ。
強いギルドが美味しい狩り場に縄張りを持つってことやねんな。
街の中では戦闘は出来ひん。だからそう言う意味では、角突き合わせるようなことにはなっとらんよ? でも、それでも目に見えない縄張りはだんだんと出来上がっていくん。
それが、格付けいうことなんやと、うちは思う」
元から酔って居た訳ではないが、シロエは頭の中がしんと冷えていくのを感じた。それはシロエが想像していた治安の悪化よりも、なお嫌な状況だった。良い、悪いで云えば、確かに悪くはない。PKも減ったと云うし、いざこざも減ったのだろう。
(でも、なんだか……いやだな。気持ちが悪い……)
――それは少しも格好良くない。シロエはそう思う。
しかしだからといってその嫌悪感は渦を巻くばかりだ。
――どこそこが悪いから悪い、とは云えへん。マリエールはそう云った。たとえば、狩り場を占有するのは確かに見栄えのすることではないかも知れない。しかし、悪いかと云えばそうとも言い切れない。少なくともこの世界には法律はなく、その意味で法的に罪と言うことは出来ない。
効率よく採取をするために一定の範囲を巡回するのは常套手段だし、その地域に対する経験を積めば効率は上がる。つまり、その地域の専門家になるのは、決して間違った戦略ではないのだ。
ましてやその戦略を実行するために、大手ギルドは少なからぬリソースを消費している。メンバーを投入してその地域を警邏しているとも云える訳だから。
その戦略を頭ごなしに批判するつもりは、シロエにはない。
もしそれを弱者が批判して許されるのであれば、弱者による逆搾取と云うべき現象が起きるだろう。
だから誰が悪い訳でもないというマリエールの言い分はよく判る。実際これは「物事の成り行き」に過ぎないのだろう。
しかし、それでもなおかつ割り切れない思いが残る。
法のないこの異世界では、実力あるものが無いものの上に君臨してそれで許されるのか? その問いの答えがこんなに格好悪くて良いのかと思えば、答えは「否」だ。しかし「否」と答えてるその根拠は、極論するとシロエの好みでしかないことも、シロエ自身には理解されている。
「小さいギルドの方から何とかしようって云う動きはなかったの?」
「それは……あったんよ。たとえば、小さなギルド同士で連絡会を作って狩り場を押えて、どうにかしようって云う話もこの二週間であったん。
でも、うまくいかなかってん……。
小さなところ同士でも、その細かい人数は違うやん? 細かい意見の食い違いで不満が出たり、我が儘が抑えられなかったりして、揉めて割れたんよ。
そんで、そんくらいならって云うて、いくつもの小さなギルドが大手に吸収されたり合流したん」
そうなのか、とシロエは思う。
それはそれで仕方がないだろう。狩り場の保持、と一口に言うが、レベルによって美味しいと云える狩り場は違う。ギルドの性格やメンバーのレベル、人数によってどこの狩り場に通いたいかはそれこそ千差万別の希望があるだろう。
一致協力して狩り場の幾つかを維持しようとすれば、エゴを押えて協力する人間が多く必要になる。弱小ギルドという利益目標の違う小集団の集まりでは、まとまる話がまとまらないのも仕方がない。
考えてみれば、こんなところにもトランスポート・ゲートの停止と〈妖精の輪〉問題が影響を与えているのだ。日本サーバー管理区域のゾーン数は数万。本来で云えば、ギルドの数が1000やそこらの状況で、狩り場の不足が起きるとは考えづらいのだ。
しかし、都市間トランスポート・ゲートが使用不可能になり、〈妖精の輪〉のタイムテーブルが判らなくなってしまった現在、「街から日帰りできる狩り場」の数はゲーム時代より著しく限定されている。
アキバの街で云えばそれは近郊の約50ゾーン。狩り場の数で云えば300か所あるかないかだろう。その中で儲けの良い場所、街から近い場所、安全そうな場所とランキングをつけていけば、自ずと人気のある場所は取り合いになってしまうのは予想がつく。
「それにな。〈黒剣騎士団〉と〈シルバーソード〉が91を目指してるん」
「え?」
91。それはレベルのことだろう。〈ノウアスフィアの開墾〉が導入されているのならば、レベル上限が解放されているはずなので、そのこと自体には驚きはない。レベル上限が解放されているなら、今までの限界レベルであるレベル90を越えて成長できる理屈だ。
しかし、そのためには少なくとも85レベル以上のモンスターを狩る必要があるのではないか? シロエはこの異世界化した現在の戦闘で、そんな危ない橋を渡れるのかどうかが疑問だったのだ。
「いまだって大手ギルドが強いけど、この先プレイヤーは増えることは望めない訳やろ? だったら人数獲得競争もそうやけど、どんだけ高レベルを抱えられるかが、勢力に大きく影響を与えるって話みたいなん。ほら、もともと〈黒剣騎士団〉はエリート志向だったし……」
マリエールの指摘にシロエは頷く。
〈黒剣騎士団〉はアキバの街でも誇り高い、と云うよりも些か排他主義に映るほどのエリート主義戦闘ギルドだった。
彼らのメンバーには85レベル以下のプレイヤーは居ない。そもそも85レベル以下のメンバーは入団を受け付けないのだ。純血主義の戦闘集団。それが〈黒剣騎士団〉だ。
「〈黒剣騎士団〉は入団にレベル制限を設けたままなんよ。もちろんいまでも〈黒剣騎士団〉は大手ギルドの名門。うちら〈三日月同盟〉なんかとは比べものにもならへんよ?
でも〈D.D.D〉のメンバー1500名には勢いで押されっぱなしや。〈大災害〉以降、あそこは小さなギルドをいくつも飲み込んだし。そこ行くと〈黒剣騎士団〉は入団にレベル制限があるから、小さなところは吸収できひん。
やから、レベル90オーバーを目指して、量より質でひっくり返そうとしてるん」
「でも、どうやって――」
それがシロエの疑問の中心だった。動機は判る。その気持ちも戦略も理解できる。しかし、達成する手法はあるのか?
「〈EXPポット〉を使って、や」
「――〈EXPポット〉」
それは〈エルダー・テイル〉における有名なお助けアイテムだった。水薬状のそのアイテムは、飲めば攻撃力や自己回復能力などがわずかに上昇し、戦闘から得られる経験値が二倍近くに増大する。
また、副次的作用として、普段であれば自分より5つ以上下のレベルのモンスターからは経験点が得られないが、7つ下のモンスターからでもわずかとは言え、経験点が得られるようになるのだ。
このポーションの効果時間は2時間程度に過ぎないが、結果として、その効果中は、非常に経験点を稼ぎやすくなる。
この強力なお助けアイテムは、強力であるにもかかわらず、殆ど全てのプレイヤーが使用した経験がある。
ロングランの人気を誇る〈エルダー・テイル〉はレベル上限が上昇し続けた歴史があり、その意味では「新規参入した初心者が、先行者に追いつきづらい」構造を持っていた。それゆえ運営サイドからは新規参入者には様々な救済手段が提供され、このポーションはその一環なのだ。
具体的には、レベル30以下のプレイヤーに、一日一本このポーションが支給されるのである。それは「早く中堅レベルになって楽しんで欲しい」という運営サイドからのサービスだと云えた。
「だけど、あのポーションは」
「……〈ハーメルン〉いうギルドがあるねん。初心者救済を謳ったそのギルドは〈大災害〉後、沢山初心者を集めたん。
何もかんもが混乱してたし、初心者を助けられるような時期でもなかったんは確かなんよ。うちらも、何も出来んかった。
でも、その〈ハーメルン〉は――集めた〈EXPポット〉を売りさばいてるん。〈ハーメルン〉は金を儲けてるし、大手ギルドは〈EXPポット〉でレベルを上げようとしとる。
誰が悪いのか。悪い人なんておるのかどうかもわからへん。
ただそう言う流れだけがあって、誰も止めることはできひんねや……」
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字修正