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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(下)

11/126

011

「やばい。なんだこれ、すげぇよっ!!」
 直継が感極まったような声を漏らす。
 5人の目の前でパチパチと火の粉をあげるたき火。

「主君、主君っ。これは何と言おうか、至福だっ」
 普段は感情の起伏に乏しい感じの生真面目なアカツキでさえ、紅潮した頬をオレンジの炎で染めて嬉しそうな声を上げる。

 ここは「ライポート海峡」を渡ったばかりの、海沿いの丘陵地帯。一刻も早く〈エッゾ帝国〉の版図を離れようと無理をしてグリフォンを急がせた結果、その日の野営は多少遅くなってしまった。

 五人が適当な丘陵地帯を見つけてグリフォンを着地させたのはすでに闇が迫ってきた時刻だった。もう少し野営の場所を、と探しているうちにグリフォンがもう飛べない程の闇が空を覆っていったからである。
 飛行生物として非常に強力なグリフォンだが、その頭部は鷲であるために、夜闇の影響は強く受けざるを得ない。俗に言う鳥目というものだ。

 丘陵地帯まで到着した5人は、野営の準備を始めた。
 日は暮れていたがこの辺りのゾーンに強力な敵生物の気配はない。
 直継とセララは小さな天幕を張り始める。この季節、寝袋さえあれば星空の下で一晩を過ごしても問題はないが、万が一夜中に雨でも降り出すと面倒だ。
 アカツキとにゃん太は互いに声を掛け合うでもなく、無言のコミュニケーションで森へと向かった。おそらく枯れ枝を集めに行ったのだろう。

 シロエはマリエールに念話による報告を行なおうと、周囲を見晴らせる丘の上でメニューを開く。ずっと連絡を待っていたであろうマリエールは、明らかにほっとした声でシロエ達の報告を受けてくれた。いつでも明るく笑みを絶やさないマリエールではあるが、やはり心配はしていたのだろう。
 シロエの後ろから声を上げるセララからの報告も聞いて喜んでいるのが手に取るように判った。

 このような遅い時間から始める野営は効率が悪い。
 魔法の明かりがあるとは言え、闇の中では天幕の設置も、薪集めも時間が掛かってしまう。丘陵の下生えを掘り起こし、風よけの石を幾つか並べてたき火を起こしたのは、グリフォンが着地してから二時間近くが経ったあとだった。

 この分では朝までに十分な休養も取れないかも知れないが、それでも5人の表情は明るい。何と言っても救出作戦は山場を越えたのだ。
 グリフォンでいくつものゾーンをまたいできた以上、追っ手が掛かる心配はまず無いだろう。残る任務は安全にアキバに帰還することだが、セララとすでに合流した以上、迎えに来たときに比べて速度を要求される旅ではない。
 体調によってはこの丘陵でもう一泊したって構わないのだ。
 そんな余裕が、みんなの表情にも表れていた。

 そして、もっとも嬉しい事件はその後に起きたのである。

 事の起こりは、薪を集めに行ったにゃん太とアカツキが、一匹の鹿を仕留めて帰ってきた事だった。
 この異世界において、野生動物は珍しくはない。むしろ、現実世界の日本と比べて人口が1/100程度になってしまったこの世界において、野生動物は楽園と云っても良いほどの繁殖環境を手に入れていた。
 だから森や丘陵などの自然豊かなゾーンにおいては、鹿や野鳥、猪、ヤギなどの自然の、もしくは野生化した畜産動物を比較的頻繁に目にする。もちろん、そう言った野生動物の中には、野犬や狼、熊のように危険な動物も居る上に、それらは〈緑小鬼〉(ゴブリン)などと比べてもなかなかの戦闘能力を持っていた。

 だがそういった一部の危険な野生動物さえ避ければ、鹿や野鳥などは比較的与しやすい相手であり、低レベルの冒険者の格好の練習相手として、また食材の供給源として非常に重宝な存在だ。

 アカツキとにゃん太は、薪を拾いに行った森の中でその鹿を仕留めたらしい。

 そしてあろう事か、にゃん太は怪訝そうに見つめるシロエ達の目の前でその鹿を捌き、驚くほど美味な鹿肉の串焼きを作り上げたのだ。

 それはたき火でじゅうじゅうぱちぱちと爆ぜるところからして、今までのものとはまったく違っていた。

 脂身の焼ける甘い香り、
 本当の料理とはこんなに複雑で豊かな香を持っていたのかと愕然とさせられる。まるで何日間も食事をしていなかったように、突然空腹感を覚えた三人はもう我慢できないような気持ちになってしまった。

 そしてにゃん太が差しだしてくれた切り身をひとくち食べた途端に広がる、塩とローズマリーで味付けられた肉汁のとろけるような味わい。「食料アイテム」ではなく、「料理」。その違いは目の前に突きつけられてみれば圧倒的だ。

 蛍の光と稲妻ほどにも似つかないものだった。

「美味しいです……けど。――なんでっ?」
 シロエ達もこれには驚きの声を上げてしまった。
 直継もアカツキもあっけにとられている。ただセララとにゃん太だけがニコニコと自慢げな表情だ。

 それはここ一ヶ月で食べた中でもっとも美味な食事だった。
 料理としては決して手が込んでいる訳でも、気取っている訳でもなかった。鹿肉を捌いて、香辛料やハーブ、それに岩塩で味付けをして、フライパンでソテーをしたり、直に火で炙っただけのもの。
 それは最高級ではなかったけれど、日常生活にまですっかり入り込んでいた「塩気のないふやけ煎餅」に比べれば天上の美味と云えた。

「美味しい! これすっげぇよ。にゃん太班長すごいっ! おぱんつの次くらいに愛してる!!」
「大げさですにゃぁ」
 にゃん太はそういうと、バッグから取り出した鉄串にどんどんと鹿肉を刺しては焼いていく。その隣に膝をきちんとそろえて座ったセララが、かいがいしく食器を並べて、小さなナイフで付け合わせのタマネギを剥いている。

「班長っ。おい! にゃん太先生っ。何でこんな味なんだ? っていうか、何で煎餅味にならないんだよっ!? 被告の証言を求めます祭りだぜっ」
 直継は両手に串を一本ずつ握りながら尋ねる。「お代わりは沢山あるからそんなにがっつかないでも良いですにゃ」というにゃん太の言葉に納得しない直継はこうして食べる分をキープしなければ安心できないようだった。

 普段だったらそんな直継に「卑しいバカ直継」と突っ込みを入れる役のアカツキも「美味し……。美味しいぞ」と小動物のようにローストされた鹿肉を食べている。

「料理するときに、素材をそろえてメニューから作りたい料理を選ぶと、食料アイテムが完成するですにゃ?」
 にゃん太は慎重な手つきで内臓を切り分けながら言葉を続ける。

「そうやって料理をすると、どうやってもあの味の食料アイテムになってしまうのですにゃ。素材を集めて、メニューを開かないで直接切ったり焼いたり煮たりして料理をすれば良いんですにゃ。現実世界とまったく同じですにゃ」
 にゃん太はこともなげにそう説明する。

「でもそれは――」
 肉を飲み込むアカツキに水筒をわたしながら、シロエが台詞の後半を引き取る。
「それはやってみましたけど、その方法でやっても結局は謎アイテムが出来るだけでは? 魚を焼こうとしたときも魚とは無関係な奇妙な消し炭か、スライムみたいなペーストが出来るだけでした。……この世界では普通の料理が出来ないはずですよね?」
 それがシロエ達の知っているこの世界の常識のはずだった。

「それは、〈料理人〉ではないか、〈料理人〉であっても調理スキルが低いために起きる現象ですにゃ。現実と同じように調理する場合であっても、調理スキルは必要なのですにゃん。
 ……つまり〈料理人〉が料理作成メニューを使わないで、普通の手順で料理をする。そうすれば素材の味を生かした料理になるのですにゃ」
 シロエはにゃん太の言葉に呆然として、やがて納得する。
 考えてみれば、食料アイテムに塩をかけて食べていた事がすでにおかしかった。もし仮に料理は料理メニューでしか作れないとするのならば、塩をかける事すらもメニューから選択しなければ出来なかったのではないだろうか?

 〈料理人〉などの生産職は未習得の場合でも、経験値5程度の最小限の値は持っている。「塩をかける」という最小限の調理は、〈料理人〉ではないそのほかのサブ職業を持つ者でも出来る最高のレベルの「現実的な調理」だったのだ。

「んじゃ、もしかして班長はさっ」
「そうですよ。直継っち。〈料理人〉ですにゃ。……さぁ、もう一本にいかがですにゃ?」

 にゃん太の薦めで肉にかぶりつくシロエ達。
 中型の鹿は5人で食べてもまだ余りある分量で、明日の食事もこれでまかなえそうだった。にゃん太からあのススキノの街で作っておいたというアップル・ブランデーを振る舞われて、賑やかな夜の宴は続く。

 にゃん太がセララのことを3人に紹介する。
 ギルド〈三日月同盟〉の〈森呪遣い〉(ドルイド)。現実の世界では女子高生。

「はじめましてっ。ご挨拶も遅れましてっ。今回は助けて頂いてありがとうございます、セララですっ。〈森呪遣い〉の19レベルで、サブは〈家政婦〉で、まだひよっこ娘ですっ」
 セララはたき火の周りに車座になって座っている最中だったのに、丁寧に立ち上がってぴょこんと頭を下げる。

(元気な女の子だなぁ)
 少女らしい穏やかな顔と、なだらかで小さな丸い肩。後ろでひとつにまとめた髪の毛をもつ娘に、シロエはそんな感想を持つ。

「クラスの三大可愛い娘で云うと三番目なんだけどラブレターをもらう数は一番多いとかそんな感じだぜっ」
「は、はひぃっ!?」
 初対面のはずの直継の、返答に困るような評価に言葉が詰まるセララ。アカツキはそんな直継の顔面に音もなく膝蹴りをたたき込む。

「膝はやめろっ! 膝はっ!」
「主人、失礼な人に膝蹴りを入れておいた」
「しかも事後報告かよっ!?」
 そんな直継は顔面をかばいもせず何をしているのかと見れば、両手に構えた鹿肉串を落とさないように必死に耐えている。その様子を見てセララも笑みを零す。

「ふふふっ」
「あー。これは直継。〈守護戦士〉(ガーディアン)。腕は信用できる」
「でも下品でお馬鹿」
 シロエとアカツキの解説に、微笑んだままのセララが頷く。
「前線での活躍、見てました。わたしの拙いヒールでは回復しきれなくて済みません」
 直継はその言葉に「気にすんなよ、あれで十分助かったぜ」と返す。セララはしきりにレベルが低くてごめんなさいと謝っているが、ここはシロエも直継に同感だ。覚悟を決めた後のセララの集中力と、後先考えない全力投入の果断さは、十分評価に値するとシロエは思う。

「直継っちは昔からこうなのですにゃ。えっちくさい人だと思って大目に見てあげて欲しいのですにゃ。それに、さっきの台詞はセララさんを褒めているのですにゃん」
「え?」
 自分の隣に座る、細い眼を更に細めて微笑むにゃん太をセララは見上げる。

「クラスでも一番もてる。そう言ってくれてるのですにゃ。直継っちは照れ屋ですからにゃー」

「おい、ちょっとまて班長。別にそう言う訳じゃねぇ。おれは美少女よりもおぱんぎゅっ!!」
 直継の台詞を遮るように再びアカツキの膝蹴りが決まる。

「痛っぇ~。だんだん容赦が無くなるな、ちみっこ」
「主君、変態の顔を陥没させました。あと肉を没収しました」
「え? あっ。あ~っ!!」
 アカツキは膝蹴りの瞬間に直継から奪った、鹿の焼き肉を刺した串をもぐもぐと食べている。

「そんなのねぇよ……」
 落ち込む直継に新しい焼き肉を与えたにゃん太は、そちらのお嬢さんは? とアカツキに話を振る。それに気が付いたシロエはアカツキの紹介をにゃん太に始める。

 直継や自分と一緒に旅をしてきた少女。〈暗殺者〉にして〈追跡者〉。腕の良い職人で頼れる存在。
 にゃん太をじぃっと生真面目な視線で凝視したアカツキは、やがて頭を下げると「若輩者のアカツキです、老師」と挨拶をする。

 俺の場合とずいぶん態度が違うじゃないかと騒ぐ直継の口の中に、まだ生焼けの肉を突っ込んだアカツキ。ちみっこ、バカ直継! とやり合う2人の果てしない小競り合いに、他の3人は笑い声を立てる。

「でも、あの筋肉達磨を一瞬で倒した技は?」
 アカツキは生真面目な表情で尋ねる。武器攻撃職最大の攻撃力を持つはずの〈暗殺者〉(アサシン)である自分が最高の一撃を放ったとしても、その一撃で90レベルの〈武闘家〉(モンク)を絶命せしめる程の攻撃力はない。
 もちろんあの時点でアカツキはデミクァスを援護していた回復術師を制圧していた。デミクァスのHPは万全ではなかっただろう。しかし、だからとは言え、戦士職を一瞬で落とすなど異常だ。

「……ああ。あれですかにゃ。あれはシロエちとの連携技ですにゃ」
「あれは〈ソーンバイド・ホステージ〉だよ」

 それは〈付与術師〉のもつ設置型のトラップ的呪文。味方の攻撃に連動して1000程のダメージを与える茨を5つ仕掛ける呪文だ。しかしそれら全てを発動させても合計5000ダメージ。
 前衛で盾を務める戦士職のHPの半分弱でしかない。

 それを指摘したアカツキにシロエは云う。
「つまり、〈ソーンバイド・ホステージ〉の再使用規制時間は15秒なんだよ」
 その説明では判らなくて少しだけ困るアカツキににゃん太が補足する。
「つまり、こういう事ですにゃ。シロエちは〈ソーンバイド・ホステージ〉をデミクァスにかける。我が輩は、攻撃をしない。
 攻撃をしないまま14秒耐える。そしてその時間を耐えきった後に、十連続攻撃を発動する。――当然十連続攻撃の頭五回は〈ソーンバイド・ホステージ〉を誘発しますにゃ?
 そして、その瞬間にシロエちは、再使用規制の解除された“二回目”の〈ソーンバイド・ホステージ〉をキャストするですにゃ。そうすれば我が輩の六回目から十回目の攻撃にも追加ダメージが乗る訳ですにゃ。5000ダメージが二回分と、我が輩の高速攻撃が10回分。それが答えですにゃ」

「確かにそれなら戦士職でも沈められる……。でも」
「それは……。そんな事、出来るんですか?」
 話を聞いていたセララも冗談だとしか思えない、と云う口調で尋ねる。

 確かに云ったとおりの作戦を実行できるのであれば、回復呪文で助ける事も出来ずに、一瞬でデミクァスを沈められるだろうし、実際にデミクァスは倒れた。
 しかしひとくちに連続攻撃の6回目に合わせる、等と云うが、あの戦いの最中セララはその連続攻撃を目で追うことも出来なかったのだ。十連続攻撃とは今聞いたからそうなのだろうと思うが、本当のところ何回攻撃していたのかも判らない。

「……それは修練で?」
「そうなりますかにゃ」
 アカツキの生真面目な問いに、にゃん太は和やかに応える。
 黒髪の美少女は何か思案しているようだったが、ひとつ頷くと「わたしも練習する」と呟いて、また食事へ戻った。

 アカツキのその納得を切っ掛けに、食事はまた賑やかな宴へと戻った。水で薄めたアップル・ブランデーはジュースのようなものだったが、それでも鹿の焼き肉と共にみんなを陽気にして、話を弾ませた。

 ギルドのことや互いのこと、美味しい食事と、この世界の星空のこと。飽きもせずに話合い、夜は更けて行く。
 久しぶりに食べた味わい深い食事と、オレンジ色の炎に5人の冒険者の笑い声が重なる。とうとうにゃん太が断固として就寝を宣言をしたのは、もはや東の空が白み始める頃だった。

「あー。食った食った! こんなに旨い飯食ったのは久しぶりだ。この飯を食えただけでエッゾくんだり来たかいってものがあるんだぜ祭りっ。やっぱさぁ、旅って云うのはこうじゃなきゃいけねえよなっ」
 満腹と眠さで足下もおぼつかなくなり、それでも漏らした直継の一言が、全員の偽らざる心境だった。

 5人はそれぞれの寝袋にくるまって、たき火のぬくもりの中で眠りについたのだった。


 ◆


 それからの旅は順調だった。
 往路では3人でも切り抜けられた旅路だ。そこに〈放蕩者の茶会〉で修羅場をくぐり抜けたにゃん太が加わり戦力が強化され、そのうえまだレベルは低いとは言え回復役のセララが加わったのだ。
 多少の強引な攻めで負ったかすり傷程度ならばセララが回復させてくれるとなれば、戦術の幅は広がる。フィールドゾーンのモンスターや野生動物には負ける恐れはなかった。

 かといって5人は強行軍をした訳ではない。
 シロエ達はむしろ旅の前半よりゆっくりとしたペースの移動を心がけていた。最初の野営の大きな寝坊のあとは、午前中の良い時間を選んでグリフォンを駆る。グリフォンの使用には時間的制限があるため、正午を過ぎるあたりになると大地に降り立ち、馬や徒歩でゆっくりと移動しながら、午後の早い時間には野営場所を探し始める。

 彼らは夕暮れになる前に天幕を張り、たっぷり時間をかけて夕食の準備をした。用意されるのは当然ながら野外料理ではあったけれど、いままでの貧しい食生活に比べれば夢のようなご馳走だった。

 もちろん、にゃん太も努力をして、その料理にレパートリーを持たせようとしていた。小さなたき火でじっくりと煮込まれたシチューは好評で、星空の元の野営を大いに慰めた。

 5人は様々な話をした。
 セララがススキノの街で受けた嫌がらせについては深く触れなかったが、セララがそれを恐怖しつつも今では乗り越えているらしいことがシロエ達には救いだった。

 意外にもセララはにゃん太に想いを寄せていて、それにまったく気が付いていないのはにゃん太本人だけのようであった。もっともセララ自身はにゃん太を含め、シロエたち全員に、自分の思いを隠し通せていると考えているようなのが、可笑しくもあり微笑ましくもある。

 にゃん太と離れているときのセララは、ふとした拍子に視線がにゃん太を探している。夕飯時、たき火の周りに集まると、いつもにゃん太の隣に小さく座って幸せそうにしている。
 セララにとってここ最近でもっとも幸福なニュースは、にゃん太がこのままアキバの街まで付き添って、しかもその後はアキバに活動拠点を移すという決心だったらしい。思わずにゃん太に抱きついたセララは、鍋をひっくり返しそうになり大変恐縮していた。

 そんなセララをみて、直継とシロエは悪戯を思いついた悪ガキのような笑いを浮かべている。自分のことを「年寄り」だなどととぼけるだけあって、にゃん太は〈放蕩者の茶会〉においては浮いた噂ひとつ無かったのだ。にゃん太の過去を知る二人にとってこれはビッグ・ニュースであり、ちょっとしたイベントだった。

「それにしても、なんで中年趣味かねぇ」
「セララは趣味がよい」
 直継のぼやきに、アカツキは答える。

「アカツキもにゃん太はOKなの?」
「老師は一流の剣士だ」
 興味本位でシロエが尋ねると、アカツキは丁寧に頷いた。それはそれで評価軸としてはどうなのだろうと思うけれど、近接攻撃職同士では通じる、技術への敬意というものがあるのだろうとシロエは納得した。

 確かに大人の落ち着きという意味でにゃん太は頼りがいがある。
 年寄り、年寄りなどと本人は連呼しているが、客観的に見て40代前半か、30代後半だろう。細身の身体はすらりとして長身だし、多少眼が細すぎる嫌いはあるものの、なかなか見栄えも良い。

(……あり……ですか?)

 考え事をするときの癖で顎さきに指を添えながらシロエがそんな事を思っていると、アカツキは何を思ったのか近づいてきて、その袖を引っ張る。

「主君。主君」
「どうした?」
「主君は剣士ではないが、大層手練れだと思うぞ」
 どうやら慰められたらしいと気が付いたシロエは、アカツキの滑らかな前髪にそっと触れて、礼の言葉を述べる。少しだけ困ったようなアカツキが「別に大したことは云ってない」とそっぽを向くのがくすぐったかった。

 彼らが「アーブ高地」の上空を飛んでいると、遙かに南西の方角から墨汁をかき混ぜたように不吉な暗雲が速いペースで進んできた。
 直継は前方に垂れ込めつつある雲を発見して、目を凝らす。遙か遠くにあったが、雲の内側には、時にひび割れるような白光が瞬いているように見えた。

「おーい。シロエ~。にゃん太班長~」
 念話機能を立ち上げる手間も惜しんで、直継は自分より十メートル下方を飛ぶシロエ達に声を張り上げる。

「雨雲がぁ、来てるみたいだぞ~」
 シロエはその声に目を凝らせば、確かに西の方では日も遮られているようだ。空気が重くなってきているのか、グリフォンも高度を上げるのに苦労している。

『シロエち。今日は早めだけど雨宿りの場所を探した方が良いにゃ』
 こちらは冷静に念話を繋いできたにゃん太が提案する。雨雲を再確認したシロエは右手を掲げるとそのまま大きく風の道を外れて降下を始めた。

 シロエ達が駆け込んだのは広大な「アーブ高地」に点在する、小さな集落だった。旧時代の農村だった場所にあるのだろう。何本かの未舗装の道路の交差点に、肩を寄せ合うように二十軒ほどの木造の建物が群れている。
 危ういところだったと云えるだろう。
 グリフォンが村はずれに着陸すると、その直後に腹の底に響くような音を立てて雷光が走り始めたからだ。夏の初めに見られる唐突な空模様の変化だった。

 シロエ達は急いで村の中心部を目指す。
 この集落は典型的な農村のようだった。この種の農村は、いまや日本サーバーの管理区域である五つの領域のどこででも見ることが出来る。旧世界の科学文明が殆ど崩壊して環境が千年単位で逆行した(という設定)らしいこの異世界では、野生動物の大繁殖と共に豊かな土壌が復活。モンスターの少ない地方では農業が復権を遂げているのだ。

 もちろん、こういった農村部に住むのはプレイヤーではない。
 〈大地人〉と自らを呼ぶノンプレイヤーキャラクターだ。〈エルダー・テイル〉がまだゲームだった時代、各地に残るこういった村々を回って、様々な問題や事件を解決するのも、クエストの大きな割合を占めていた。

 天気の急変に気が付いたのだろう、村の通りには白いブラウスと厚手のふんわりした布地を持ったスカートを着けた主婦や、犬を連れた牛追いの少年が小走りに駆けている。
 年齢も様子も様々な農民達が現われては、足早に農作業具を片付け、あるいは羊を小屋に入れようと奮戦している。

 シロエ達の予想通り、中心部の大きな家は共用の倉庫と公民館をかねたような建物であるらしかった。このような開拓村では良くあることだ。

「こんにちはぁっす!」
 先頭を切って大きめの木造建築に入った直継が、乾燥した草の爽やかな匂いのする屋内に声をかける。

「はいはい。旅人さんかね」
 現われた老人は、村の世話役を名乗るノンプレイヤーキャラクターだった。短く刈り込んだ白髪と、度の強い眼鏡をかけた60歳ほどに見える老人だ。荒野に暮らす開拓民の世話役だけ有り、年齢に似合わずまだ背筋はしゃっきりと伸び、壮健そうである。

 彼はしっかりした物腰でシロエ達の話を聞くと、格安で一晩の屋根を貸すと申し出てくれた。
 シロエ達は礼を言って、倉庫の中に入る。
 そこは冬場のための牧草を貯蔵しておく場所らしく、いまでも余り物の藁が山のように積まれていた。その頃になると、雨雲はすっかり辺りを覆っていた。冷たくはないが初夏の雨は強く、大粒の鉛玉のように村を叩いている。

 シロエが戸口から村の通りを振り返り、暗い空を見ていると、背後の室内からは明るい声が聞こえてきた。

「こりゃいいな。藁の山とか俺大好きだぜっ」
 直継が喜びの声を上げる。
 ゲームの世界の利便性を受け継いだこの異世界において、寝袋や天幕などの性能はかなり良い。だが、多少寝心地が良いとは云え、寝袋は所詮寝袋だ。地面の上で一晩寝れば体温も奪われるし、筋肉もがちがちになってしまうことは少なくない。
 それに比べれば、藁の山で寝られるなど、宿屋のベッドの寝心地に等しいというものだ。

「そうですにゃ~。ここは居心地の良さそうな場所ですにゃ」
 大きな倉庫の中を調べて、窓や裏口の位置を確認してきたアカツキが頷く。木造の建物だが、壁には漆喰のような粘土が塗りつけてあり、すきま風もない。屋内はひんやりと乾燥して、清潔な匂いがしている。
 屋根に穴を開けよとばかりの豪雨が降ってきている今、この開拓村にたどり着けたのは相当なラッキーだと云えるだろう。

「どこか火をおこせるところはないですかにゃ」
「にゃん太さん。あっちに(かまど)がありましたよっ」
 早速晩ご飯の心配をし始めたにゃん太を、セララがひっぱってゆく。そちらは任せたとばかりに、直継とアカツキは2人で藁の山を崩し始めた。おそらく5人分の寝床を作るつもりなのだろう。

「おい、なんだよそのちいせぇ寝床は。ハムスター用かよ」
「うるさいバカ直継。あっちの端っこに寝床作れ」
 2人の言い合いの声を聞きながら苦笑しているシロエに、先ほどの老人が話しかけてくる。

「旅人さん達は、ツクバの街からですか? 〈冒険者〉の皆さんでしょうか?」
「ええ、はい。〈冒険者〉です。もっともアキバの街へと向かっている最中ですけれどね」
 シロエは感じの良い老人に答える。
 〈冒険者〉というのは、ノンプレイヤーキャラクターがプレイヤーのことを指し示すときに用いる言葉だ。

「どうですか?」
「これは有り難い……。おお、これは美味ですな!」
 シロエは鞄から取り出したにゃん太特製の甘い茶をブリキのカップに注いで老人に手渡す。自分は水筒の蓋に注ぐと、手近にあった木挽き台に腰をかけた。
 老人は丸太細工で作った椅子を引きずってくると、シロエの近くに場所を定めて腰を下ろす。

「おおっ?」
 目を丸くする老人。
「どうです? なかなかいけませんか?」
 初めて味わったのか、びっくりしたようにその甘くてほろ苦い茶を飲む老人にシロエは微笑みかける。老人は、これは素晴らしいと相好を崩した。

「なんだよ。丁寧に作ってるじゃないか」
「これは主君のだ。当たり前だ」
「ふーん。そうなのかぁ。人間サイズの寝床を作るの大変だろう?」
「バカにするな。スケベ人間」
 なおも小競り合いを続けながら寝所を整えるアカツキと直継。その小競り合いに近いような声をBGMにシロエと老人はゆっくりとお茶を飲む。ひさしの外の街路はぬかるみ始めているが、老人が動じていないところを見ると、この程度の降雨はさほど珍しくないらしい。

「元気の良いお仲間ですなぁ」
「そうですね。お恥ずかしいです」
「いやいや、旅暮らしにはそれくらいの覇気が必要ですよ。〈冒険者〉の皆さんであれば、それも当然です」

 プレイヤーの間では〈大災害〉後、もっとも影響を受けた事象のひとつがノンプレイヤーキャラクターだと云われている
 ゲームとしての〈エルダー・テイル〉におけるNPCというのは、他のあらゆるゲームと同じように人格を持った存在ではなかった。出来の悪い家庭用RPGよりはずっとキャラクターとして高性能だし、簡単な質問にならば答えてくれたが、それもあらかじめ定められたキーワードに反応するようなレベルであり、プログラム仕掛けの自動人形でしかなかったのだ。
 だが〈大災害〉後の異世界において、ノンプレイヤーキャラクターは殆ど完全な人間に思える。〈ブリガンティア〉のメンバーはそう思っていなかったのかも知れないが、少なくともシロエにはそう思えた。

 彼らは考え、呼吸をし、食事も行い、生きている。
 こうやって一緒のお茶を飲むことも出来るし、様々なことを話し合うことも出来る。一人一人が名前を持ち、記憶を持っている。もちろん彼らが、〈大災害〉の瞬間にその記憶すらも持ち合わせたまま、つまりいま見えるのと同じように子供は子供として、老人は老人として「瞬間的に作り出された」可能性は、それで否定できる訳ではなかったけれど、だからと云ってそんな仮説が何かの役に立つとも思えない。

 シロエと直継、アカツキの三人は、〈大災害〉以降、アキバの街には長期滞在をしていない。郊外での連携修練に重きを置いていたからだ。そして、アキバの街は実を言えば、同規模の街としては比較的ノンプレイヤーキャラクターが少ない。
 それゆえに、シロエにはいままでノンプレイヤーキャラクターと余り親しく接する機会がなかったのだ。けれど、こうやって話していると、これがゲームのキャラクターだと思うことはどうしても出来なかったし、話せば話すほど同じ人間という感覚しか持てない。

「わたし達〈大地人〉は旅をあまりしませんからなぁ」
 老人は好々爺のように眼を細めて、アカツキを見ながらそんな事を云う。
 〈大地人〉と云う言葉は、たとえば人間やエルフ、ドワーフなどといった種族を表す言葉ではない。〈冒険者〉に対応するように、ノンプレイヤーキャラクターが自分たちをさして呼ぶ言葉である。
 これらの呼称はゲームとして〈エルダー・テイル〉が稼働している時代からあったが、その頃は〈大地人〉などという呼び方をしているプレイヤーは居なかった。自分たちはプレイヤー。機械仕掛けの登場人物はノンプレイヤーキャラクター。それで済んでいたのだ。

 しかし、いまとなっては違う。
「〈大地人〉ですか――」

「ええ、この村は良いところですし、困ることはあまりありません」
 彼らがプレイヤーを〈冒険者〉と呼ぶとき、そこには大きな畏怖が表されている。彼らにすれば、プレイヤーというのは自分たちとは異なる文化を持ち、根本的な能力の違いを持った存在である。

 〈冒険者〉は戦闘を繰り返すことによりどんどんと成長し、その初期段階と比べて数十倍から数百倍の戦闘能力を手に入れることが出来る。そのうえ致命傷を負っても完全には消滅せず、大神殿へと戻って復活をする無限の魂を持ち、世界各地に残る遺跡へ赴きジャイアントやアンデッド、ドラゴンという恐るべき脅威を秘めたモンスターとさえ戦いを行ない勝利を収める。
 そういう超越的な存在を指して、かれらは〈冒険者〉と呼んでいるのだ。

 〈大地人〉というのは、そのような戦闘能力を持たず、身体が傷つけば倒れ、死んでしまえば復活することも出来ない。そういった「この世界の普通の人間」を差す言葉だ。
 もちろん一部のノンプレイヤーキャラクターはゲームの仕様上、プレイヤーと同じくらいの、時には凌駕するほどの能力が与えられている場合もある。そのような存在は〈大地人〉からは自分たちとも〈冒険者〉とも違う生物として、〈古来種〉と呼ばれている。

 〈大地人〉は、その区別方法によればもっとも力弱い存在だ。
 〈ブリガンティア〉の事件に見るまでもなく、もし〈冒険者〉がその気になれば、一方的に命や財産を奪われる対象となる。
 〈大災害〉以降の人口爆発を受けて、〈大地人〉はその数を5~10倍に増やしたようだが戦闘能力で見ればまだ開きがある。

 だがシロエの見る限り、彼らにはそのことに対する怨嗟も悲嘆も無いように見える。彼らにとってはそれが自然で、生まれ育ったこの世界そのものが「そういう世界」として初めからあったせいなのだろう。

(〈大地人〉って名前からして、もうそうだよな……。地面と一緒に生きてるんだもん。なんか、敵わない感じだ……)

 老人と言葉少なく、ぽつりぽつりそんな話をしていると、しみじみとそう感じる。この世界にはどれほどの〈大地人〉がいるのか? このような村落は、おそらくこの「アーブ高地」だけでも100はくだらないと思える。

(考えてみれば、僕は〈大地人〉のことなんてろくに知らないんじゃないか? 〈大地人〉が普段何を食べて、何をしているのかもよく知らないし……。それって何かすごく……)

 言葉にならない危機感に急かされるように、老人に尋ねようとしたシロエ。そのシロエに朗らかな声が背後からかけられる。

「シロエち。朗報があるにゃ!」
 にゃん太が軽い足取りで近づいて来る。じゃれるように傍らで弾んで居るセララの笑顔からすれば、彼女はその朗報の中身をすでに知って居るらしかった。

「どしたの?」
「何件かお隣を廻ってみたのにゃ。お話をしたら、食料を売ってくれたのにゃー」
「すごいんですよ! ミルクでしょ。チーズでしょ? ソーセージもあるしベーコンもあるし、それに卵っ! 卵もあるんですよっ! お砂糖はススキノで買ってあるから、クッキーが作れますよ!」
「キャベツとジャガイモも手に入れたのにゃ~」
 二人は手柄顔で戦利品を見せてくれる。それだけの食材があれば、アキバの街までは狩りをしなくても余裕で持たせることが出来そうだった。

「良いんですか?」
 一応シロエが老人に尋ねると、彼はもちろんだと頷いた。

「この春は天候が良くて家畜たちも増えましたからな。村の衆も、多少の金貨を得られてかえって有り難いでしょう。……おおそうだ。シェリー酒がありますよ? よろしかったらそちらも買いませんか?」
 思いついたように付け加える老人。彼もまた「多少の金貨」が手に入れば喜ぶに違いない。

「喜んで」
 シロエは案内をする〈大地人〉の老人について歩き出した。
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正
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