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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(下)

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013

 宴の熱気はすっかり冷めていた。
 初夏とは云え夜の風は涼しく、チュニックの裾をはためかせるほどには強く吹いている。

 地面の上を雲の影がよぎる。
 余りにも月が明るいために、深夜にもかかわらず影が出来るのだ。シロエはその影と月明かりのコントラストを追うように、真夜中過ぎのアキバの街を歩いていた。

 目的地らしい目的地はない。

 得体の知れない黒々とした気持ちから逃げるように。あるいは確かめるように。シロエには自分でも自分の感情がよく判らなかった。

 重くて巨大な質量が胸の中にあるように感じる。夜の海のような、しかも爽やかなそれではなく、まるでコールタールででも出来たかのような、把握しきれないほどのどろりと暗い正体不明の質量。持っているエネルギーは大きいけれど、どこに向かう訳でもなく、ただそこに『在る』感覚。

(……在るだけだけど)

 シロエにも判っている。
 これは、やり場のない感情なのだ。

 もちろん悪いやつは居るだろう。〈ハーメルン〉と云うギルドは、善とは決して云えない。もしその機会があるのならばシロエは〈ブリガンティア〉にもそうしたように、戦いになっても構わないという気持ちは、ある。
 しかし〈ハーメルン〉が仮に悪だとしたとしても、所詮は小悪党だ。今のアキバの街の状況の原因全てが〈ハーメルン〉にあるわけではない。色んな事――いろんな“どうしようもないこと”が重なって、今のアキバの街はこんな雰囲気になってしまった。その雰囲気に対して自分は遣りきれない気持ちを抱えている。

 そしてその気持ちを〈ハーメルン〉だけにぶつけるのだとすれば、それは八つ当たりなのだとシロエは理解してしまっているのだ。

 呼吸を詰めて、シロエは歩く。

 八つ当たりは格好悪い。
 自分が爽快感を得るためだけに当たるのは嫌だ。

 だからシロエは、シロエの中にある真っ黒い気持ちをはき出すことが出来ない。それを〈ハーメルン〉にはき出すのは、シロエにとっては、当の〈ハーメルン〉達に劣るほどの醜態だ。

(でも、だとすれば)

 だとすれば、シロエにはその気持ちをはき出す場所がない。
 〈ハーメルン〉が小悪なのはよい。
 では誰が大悪なのか?

 〈EXPポット〉がどうやって供給されているのかうすうす気が付いていながらも、自分たちの勢力拡大のために見過ごしてきた大手戦闘ギルドが悪いのか?
 自分たちが搾取されていると判っていながらも、自分たちが弱者である事実に甘え、誰かに守って貰うという呪縛にとらわれ続けている新人プレイヤー達が悪いのか?
 ギルド間に不平等があると理解し、それを打破すべく結集したにもかかわらず自らの権益にとらわれて協力できない、小競り合いしか能のない中小ギルドが悪いのか?
 街の雰囲気が悪くなっているのを知りながらも、手をこまねいて傍観を決め込んで、無責任な第三者気取りのプレイヤー達全てが悪いのか?

 ――それは、悪い。
 全員が、悪い。
 しかし、その悪は小さな悪で殆ど愚かしさであるとか自分本位と云った程度のものでしかなかった。どの1つをとっても、全ての悪の裏側に潜む“黒幕”等ではありはしない。
 誰かを倒せば全ての問題が解決するような悪は居ない。そう都合良く簡単には出来ていない。

 全てが少しずつ歪んでいて、ただ苛立たしかった。

 そして歪みの中に、シロエ自身も居る。だんだんと息苦しく、いびつな秩序が作られて行くアキバの街にあって、アキバの街の住民の大多数よりレベルも装備も持っているのにもかかわらず、こうして何もしないでいる自分。事態を十分に理解していながら、今この瞬間も見過ごしている自分。
 それはシロエ自身がいらだっている“無関心な街の住民”と何ら変わりがない姿だ。知り合いが問題に巻き込まれている分、さらに性質(たち)が悪いと云える。

 マリエールは失敗したとは云え、ギルド連合の話まではこぎ着けたのだ。なのに、シロエはその地点へすらもたどり着けては居ない。
 そんな自分が「小競り合いしか能のない中小ギルドが悪い」等とは、情けなくて可笑しくて噛みしめたくちびるが千切れそうになる。

(僕が格好悪い。……下手したら、一番格好悪い)

 いつの間にか橋の上にたどり着いていた。石造りで苔むした、古びた西洋橋がカンダの河に掛かっている。欄干にもたれると、水の香と揺れるような音が月影の中に広がる。

 ではどうしたらいいのか?
 意識的にそんな気持ちを働かせるまでもなく、シロエは考える。問題を与えられれば考えざるを得ないシロエの性格でもあったし、〈放蕩者の茶会〉で染みついた「役割」でもあった。

 いくつものストーリーが組み上げられては破棄される。
 シロエの右手には赤いトランプの兵達。シロエの左手には黒いトランプの兵達。それらが交差して、否定の槍と肯定の剣で論理の音を奏でる。意味のない事実は淘汰され、可能性が検討され、推論は夜の河に流れて行く。

 答えは出ない。出るはずもない。都合の良い答えが無いことなど、初めから判っている。シロエには、そもそもの最初から大きすぎるハンデがあるのだ。しかもそれは自ら望んで背負ったハンデ。

(ハンデなんて考えること自体おこがましい。ただ単にツケじゃないか。……僕が逃げ回っていただけで。僕がソロプレイヤーなのは、僕がそう望んできたからじゃないか)

 〈彼女〉なら何と言ったかな。シロエは川面に向けていた視線を月にあげる。真っ白い月は、洗いざらしの絹のような光沢で夜明け前のアキバの街を照らしている。

(あの人は豪快な人だったから……。それに僕みたいに卑怯でも未練でもなかったし)

 あの人だったら大きな口を開けて笑いながら何もかも台風のような勢いで解決した、とも思えるし。もしくは面倒くさくなってアキバの街など放り出したかも知れない、とも思える。
 リアリティがあるのは、言いたい放題やりたい放題なことをやった後に「後始末の方法はシロ君が考えるっ! いいのよね、それでっ! 文句ある? 無いわよね! シロ君優秀なんだからばびびっと片づけちゃって!」と宿題を出すラインだろうか。

 念話機能を呼び出す。
 フレンドリストには、二つの名前。
 ――トウヤ、ミノリ。
 おそらく〈ハーメルン〉にいる双子の姉弟。

 助けてやりたいと思う。どうにかしてやりたいと思う。でも、〈三日月同盟〉のセララを助けた時とは一緒には出来ない。

 ひとつには、〈三日月同盟〉の場合にはマリエールがいたと云うことだ。明示的にせよそうでないにせよ、シロエはマリエールの代理としてセララの救出を行なった。つまり「依頼者」が居たのだ。
 もちろんセララという少女を助けたい気持ちはあったけれど、どこかには「依頼があって、自分はその実行をしているだけ」という甘さがあったことを、シロエは知っている。

 ふたつめは、今シロエはトウヤとミノリを助けたいとは思っているけれど、それ以上に「全て」をどうにかしたいと思っていると云うことだ。それはススキノ脱出の時も感じた。あの時ススキノにはセララと同じような境遇のプレイヤーも多くはないにせよ何人か居たはずだ。そう言ったプレイヤーを見捨ててセララだけを救出してきたことに、シロエはどこか居心地が悪いものを感じていた。
 だがそれも「目の前の任務はセララ救出である」という前提で、いわば目をつむってアキバの街へと帰還したのだ。
 今回はその種の逃げは、したくない。

 では双子を助けて大手ギルドの専横を廃し、街の雰囲気を良くして新しい秩序を回復する――。そんな事などギルドにも所属していない単独プレイヤーであるシロエに出来るのか? と云われれば。不可能だ。

(ギルドにも“所属”していない、か……)
 それはシロエに鈍いが堪える痛みをもたらした。

 考えてみれば、シロエは今までギルドを「所属するもの」だといつでも捉えてきたように思う。ギルドは常にシロエとは無関係に存在し、それが良いの悪いの、合うの合わないのと……云ってみれば第三者のような評価で眺めてきた。

 無責任な態度だ。
 今となってはそう思う。

 それではまるで、アキバの街に暮らしながら「今のアキバの街の雰囲気は……」と眺める第三者とまるで同じ構造ではないか。

 シロエは今まで一度だって「ギルドに参加」もしていなかったし「ギルドに責任」だって持っていなかったのだ。その上で自分の好みや都合を押しつけて……それはなんて傲慢な考え方なのだろう。

「ギルド。……ギルド。か……」

「シロエちはいまだにギルドは嫌いですかにゃ?」

 からり。アスファルトの欠片が転がる音を立ててビルの影から現われたのは、にゃん太だった。
 にゃん太はその穏やかそうな目を細めて、シロエの独り言に問いかける。

「……」
 シロエは驚くけれど、肩をすくめて少しだけ場所を譲った。

「いや、そんなことはない……と、思う」
 ギルドと云うものを嫌っていたのは、おそらく幾つかの不運な出会いによるものだろうとシロエは思う。〈三日月同盟〉との付き合いが頑なだった思い込みを融かしてくれた。
 今となっては自分が傲慢な思いを持っていたことも理解できる。

 しかし一方で、アキバの近郊で出会ったPKや、ススキノの街で出会った強盗団まがいの連中のことも思い出す。ギルドと云うシステムは、腐敗しやすい側面があるのも事実だ。縄張り争いが常態化した大手ギルドではモラルが低下していくのは容易く想像できる。

「……まぁたしかに、そういう側面はあるかも知れないにゃ」
 にゃん太はシロエの述懐に答える。

「でも、腐らないものがあったら逆にそれは信用ならないのにゃ。
 生・病・老・苦は三千世界の理なのにゃ。
 生まれ出でたものは、腐りもすれば、病に苦しみもする。老いて衰えることもある。いずれ死を迎える。それを否定するのは、誕生を否定するのと同じ事なのにゃー。
 シロエっちは判っているはずなのにゃ。例えば〈あそこ〉は確かに特別に居心地が良かったけれど、それは居心地を良くしようとみんなが思ってたから居心地が良かったのに過ぎないのにゃ。
 だれもが何もせずに得られる宝は、所詮宝ではないのにゃ」

 シロエは思い出す。
 ああ、本当に、その通りだと思う。

 その努力は余りにも自然で皆が当たり前のように支払っていたから、努力だとすら気が付かなかった。だが、今ならそれが尊いことだと判る。目の前の猫耳の仲間が、目に見えない努力をどれくらいしてくれていたのかも。

 それはたとえばマリエールがしている努力と一緒のものなのだ。
 マリエールのあの笑顔がどれだけ〈三日月同盟〉を支えていることか。レアアイテムをばらまこうが、金貨をばらまこうが、決して敵わないような強さで〈三日月同盟〉はまとまって居るではないか。

 であるならば、もし今までのアキバの街の居心地が良かったのならば、それはどこかの誰かが物も云わずに目に見えない努力をしていたからなのだ。シロエは思う。

「班長。僕はどうすればいいのかな……」

 シロエの言葉に、にゃん太は同じ月を見上げる。
 黒い耳が頭部の上で風にふかれてひょこひょこと動き静かになる。

「一番すごいことをするといいにゃ」
「すごい……」
 シロエはにゃん太を伺う。その表情はいつも通り穏やかだったけれど、月の光の中で何時にもまして大人に見えた。

「シロエちは遠慮をしすぎにゃ」
 それは何時の日か、直継にも云われた言葉。
 あの時流した言葉の意味をシロエは追いかける。
 その場限りの軽口ではなかったとして、その意味するところを真剣に考える。

 その意味するところは。
 自分が直継にしていたことは。
 自分がアカツキにしていたことは。
 つまりあの2人は、そんな事はとっくに判っていて。

「僕、待たせてたのか」
「そうにゃ」
「2人とも、待ってくれてたのか」
「そうにゃ」
「他のところにも行かないで。僕のそばにいてくれたんだ」
「そうにゃ」

(――僕がギルドに誘うのを、待っていてくれたのか)

 シロエはうつむく。胸の中の黒い海のような固まりが轟々と音を立ててうねる。どこにも行き場のない感情が、押し殺した蓋の下で暴れて、あふれ出そうになる。

 夏の虫の音と、静かな水の音。後は白々とした月明かりの中で、シロエは棒のように立ち尽くしたまま、拳をぎゅっと握りしめて、必死に押さえつける。

 ――期待してくれていた。
 ――買ってくれていた。
 ――待っていてくれた。

 色んな事を考えて分析して悩んできたつもりの自分が、何でそんな事も判らなかったのかと。あるいはそれほどまでに血の巡りが悪いのかと。自分に対する不信感と劣等感は堤防のように高いにもかかわらず、嬉しさが親しさが信頼が冷たく凍えたくびきを洗い流して行く。

「間に合うかな」
「もちろんにゃ」
「にゃん太班長。にゃん太班長も、僕のトコに来て。……班長が一緒に来てくれると、嬉しい。班長が居ないと、困る」
 シロエはにゃん太を見つめて誘った。にゃん太は照れたように笑うと「良い縁側が欲しいにゃ」と云う。

「うん。僕と僕たちが作るから。良い縁側も、用意するよ」
 シロエは頷いた。

 もし「一番すごいこと」を望むのならば。それを望むのが許されるのならば。シロエには支えきれないような大きな責任と共にではあるが、考えつく策がある。

 もし、共に背負ってくれる仲間がいるのならば。


 ◆


 暗い部屋の中は湿っていた。
 カーペットの引かれていない床は太古のコンクリート製で、無制限に熱を吸い込むために、初夏ではあれ、今のような夜明け際には墓場の土のように冷たくなる。
 くすんだ色合いの汚れたマントをしっかりと巻き付けて、ミノリは何度目になるか判らない寝返りを打つ。

 夜は長く、果てしなく思えた。
 疲れた身体は眠りを欲していたが、余りにも堅く冷たい寝床のせいか、それとも明日をも知れない不安からか、眠りは浅く、ふとしたことから容易く醒める。
 夜の闇から意識が浮かび上がるときに案じるのは、軋るような苦痛。思い出せるのはおぼろげな夢ばかりで、その内容は胸騒ぎと後悔を残して闇の中で曖昧に溶けてゆく。

 一日の大半を狭い部屋の中で〈裁縫師〉として働かされている彼女の両手は、まるで筋肉が枯れ木になってしまったように痛んだ。今日に限って、冷えた指先で何度撫でても痛みは引かない。
 隣では弟のトウヤが、膝を抱きかかえるように眠っている。
 この部屋には20人近くの仲間達が寝ていた。

 ギルド〈ハーメルン〉。
 初心者互助を謳った、中堅のギルド。
 いまやミノリとトウヤの所属ギルドでもある。

 〈大災害〉のあと、街は混乱と閉塞感に包まれていた。突然の出来事に皆が呆然として、何をして良いかも判らなくなってしまったのだ。最初の数日間の間、街が大規模な争乱状態にならなかったのは、多くのプレイヤーがこの出来事をどう捉えて良いか判らず、もしかしたら何かしら手の込んだ冗談のようなモノではないかと期待していたせいだと、ミノリは思う。

 自分たち姉弟もそれはまったく同じ状況だった。
 初めの数時間は何が起きたか判らなかった。
 それに続く数日間で、何が起きたかは判ったものの、どうしてそれが起きたのかは判らなかった。
 この「どうして」については、未だに判らない。今になって判ったのは、「何故このようなことになってしまったのか?」という答えが出るはずのない問いに我を忘れて、最初の数日間という取り返しがつかないほどに貴重な時間を失ってしまったと云うことだけだ。

 それにつづく何日間かの記憶は、実を言えば霧の中にある。
 空腹だったことは覚えている。食事の仕方もよく判らなかったのだ。マーケットで幾つかの食料アイテムを買い、弟のトウヤと分け合って食べた。街から出ようとして、襲われ、訳も判らぬうちに全財産を奪われた。
 街から出るのならば銀行の貸金庫に必要以外のアイテムを全て預けるべきだというシロエのアドバイスを思い出したのは、一文無しになった後だった。

 多くのプレイヤーは知己と連絡を取り情報収集に努めているようだった。しかし、二人は初心者プレイヤーで、頼るべき相手は居なかった。たった一人だけいたが、その名前に連絡を取ることははばかられた。

 もしかしたら〈大災害〉の直後だったら連絡を取れたかも知れない。しかし〈大災害〉に続く数日間を茫然自失のまま過ごした二人は、財産を失ってしまい余りにもこの世界の中で足手まといだった。

 自分とトウヤは、仲が良い姉弟だとミノリは思う。
 聞くところによれば、中学生の年頃にもなると、兄妹や姉弟など多くの場合その関係は険悪になるという。その年代の潔癖さや自立心は、同年代の兄妹を排斥対象に峻別してしまう。目障りでしかたがなくなるとクラスメイト達は云う。

 しかしそうは云っても、自分とトウヤは仲の良い姉弟だ。
 喧嘩しようとは思わないし、そもそもトウヤを助けたいと、ミノリはいつものように思っていた。

 理由はある。
 幼い頃の事故の結果、トウヤは歩行能力を失った。脚という器官自体に問題はないのだが、後遺症で神経に異常が残ってしまっているのだという。
 別にそのことでトウヤを哀れんでいるから喧嘩をしないのではない。事故は非常に不幸な出来事だったけれど、出来れば変わってやりたかったと時に思うけれど、ミノリにどうこうできる事件ではなかったのだ。

 しかし、トウヤは姉である自分の目から見ても明るくて頑張り屋だ。そんな境遇であっても、周囲に対する怒りや苛立ちを見せたことはない。障害者の家族の生活は何かと大変だ。父や母の負担を減らそうと、トウヤはいつも気を張っている。
 月に2回向かう病院への送り迎えなどの時、トウヤとは他愛ない話をしてばかりいた事を思い出す。トウヤは中学生の男子らしく、漫画やネットのことなどをおどけて話す。医師の話によれば、検査は時にかなりの痛みを伴うらしいのだが、そのような様子を見せたことはない。

 トウヤの子供っぽい言動も、じつは気遣いなのではないかと、ミノリは時に思うのだ。

 ミノリのトウヤに対する評価は「良くできた弟」であった。もちろん姉の目から見れば子供っぽくてお調子者だし、後先を考えてないバカと云えば、バカである。
 しかし、本質的な部分では信頼できる弟だ。例え両足が不自由であろうと、この先後遺症がぶり返してくる可能性があろうと、トウヤはトウヤらしい道を歩くだろう。
 そうであるならば、例え数時間差であろうと先に生まれた自分は、姉としての姉を全うしなければならない。自分は、トウヤの保護者である。トウヤが力を必要とするときその必要とする能力を備えていたい。
 兄妹や姉弟、特に年齢の低い間のそんな関係の間には発生しづらい、ある種の敬意に似た感情が二人を仲の良い姉弟にしていたといえる。

 〈エルダー・テイル〉を始めたのも、そんな理由だった。
 検査の後などは消耗して外に出掛けられなくなるトウヤ。そのトウヤが興味を示したのがオンラインRPGだった。通り一遍の室内遊戯に飽きていた二人は、両親にねだり――勉強をおろそかにしないという約束付きで――ゲームを許可してもらった。

 姉と一緒に始めたゲーム。
 トウヤが誰に気兼ねもせずに、好きなだけ走り回れる世界。トウヤはとても喜んで楽しんでいたし、ミノリも今まで経験したことがないような種類の遊びに興奮していた。

 ふたりは〈エルダー・テイル〉が大好きだったのだ。

 しかし、だからこそ、ミノリは「どうにもならない」と云うことをよく知っている。

 子供であるというのは時に残酷なことだ。
 それは、自分の望みを、思いを、力尽くでかなえることが不可能だと云うことを意味する。ミノリは両親のことが好きだったけれど、言いたい我が儘を、云いたいだけには云えないで育った。
 トウヤが居る以上、両親にはこれ以上負担はかけたくない。ミノリが年の割に大人びた話し方や考え方をするとするのなら、その原因はこの一事に尽きるだろう。

 トウヤもまた、世間で言うところの足手まといなのだろう。
 そして自分も子供である以上、トウヤに負けず劣らず足手まといなのだ。

 能力が足りない、自分の面倒を見られない、足手まといである――それらは好きな人の顔を曇らせる特質だ。

 ――〈大災害〉のあと、一度だけ、遠くからシロエを見た。
 眼鏡をかけた背の高い姿を見た瞬間、それがシロエだと判った。
 声をかけることは出来なかった。血と埃に汚れた姿の隣には、シロエと同じくらい歴戦の気配を漂わせた重装甲の戦士と、夜の精霊のような美しい少女が居たからだ。
 シロエにはシロエの戦いがある。
 そう考えると、ミノリには何も言えなかった。

 瞳を閉じると、まぶたの裏にメニューが開く。
 ミノリのフレンド・リストは短い。弟のトウヤ。〈ハーメルン〉で出会った同じ初心者の何人か。そして、シロエ。
 シロエの明るく輝く名前を、想像上の指先でそっと撫でる。
 自分の財産らしいものを殆ど持たなくなったミノリにとって、それは誰にも奪えない宝物だ。

(シロエさんに、もうちょっと色々教わっておけば良かったな……)

 冷たい身体にマントを巻き付けながら思う。今日の夜の闇は、いつもより一層深いようだ。胸の鈍痛が眠りを妨げる。

 そのミノリの耳元で、不意に鈴の鳴るような柔らかい音がした。
 鋭く息を飲み込んで、それが暗い室内に思ったより大きく響いたことにびっくりする。
 脳裏ではたった今撫でたばかりのシロエの名前が脈動している。
 誤って念話機能を使用してしまったのではないかと確認するが、その形跡はない。シロエの方から通話が届いたのだ。こんな夜明け間際の時間に。

 鈴の音が再び鳴る。
 この音はミノリ個人にだけ聞こえると云うことは経験上知っている。しかし、声を出せば〈ハーメルン〉のメンバーに気付かれるかも知れないし、周囲の仲間を起こしてしまうかも知れない。

 それでも鈴の音を無視することは、ミノリにとって難しかった。
 脳裏でメニューを操作し、消え入りそうな声で「はい」とだけ小さく返事をする。

『あの……。今晩は。判るかな? シロエだけど』
「……っ」
 それは聞き覚えのある懐かしい声だというばかりではなく、楽しかった頃へと繋がる架け橋のようで、ミノリの胸をいっぱいにしてしまう。
 暗くて湿った寝床の中で、汚れた毛織りのマントの中で、ミノリは小さく鼻をすする。

『……ミノリ、だよね?』
 余りに気持ちがあふれかえってしまい、鼻の奥が水っぽくなったためにシロエの言葉が一度耳を通り過ぎてゆく。ミノリは返事が出来ない。声を出せば部屋にいる他の人に不審に思われてしまうかも知れない。でも、それ以上に、ひび割れて涙で湿った声をシロエには聞かれたくないのだ。

 心の中ではそれこそ何十回も頷いていたけれど、ミノリは消え入るような声で「はい」と呟くことしかできなかった。

『――』
「……」
 2人の間に、呼吸音が流れる。ミノリは自分の聞き分けのない鼻を何とか愚図らせないように必死で、シロエに呆れられてしまうのではないかと怖くて、目の奥がちかちかするほどに緊張してしまう。なぜ、こんな時間に? なぜ、自分に? そんな問いだけが頭の中をぐるぐると駆け回る。

『あのね、ミノリ。よく聞いて。……Yesなら小さく咳払いを一回。Noなら二回。何か間違っていたり伝えたいことがあるなら咳払いを小さく三回。……いいかな?』

 そのシロエの問いかけで、ミノリは雷に打たれたように気が付く。

(知ってる。シロエさんは、全部知ってるんだ)

 自分の今の状況も。〈ハーメルン〉がどういう場所なのかも。
 毎日の単調な強制労働でなかば麻痺させられていた思考力が蘇ってくるのを感じる。

(シロエさんにだけは、迷惑をかけたくない……)

 〈ハーメルン〉に所属してみればよく判る。例え自分やトウヤより10もレベルが高いようなプレイヤーであろうと、初心者はこの〈エルダー・テイル〉の異世界について体系的な知識を持ってはいない。〈ハーメルン〉の中堅プレイヤーでさえ、〈エルダー・テイル〉の戦闘システムに対する理解は、ミノリ自身に及ばないことがある。
 それをひけらかせば無用な争いを呼ぶために、口外したことはなかったが、シロエが遊びながら教えてくれた「常識」は自分とトウヤをこの異世界で生き延びさせる力になっているのは確かなのだ。シロエは恩人。ミノリはずっとそう思ってきた。

 あるいは恩人以上の存在だと、願ってきた。

『判ったら一回咳を』

 ミノリはなけなしの熱をかき集めて、小さく、ほんの小さく喉を湿らせる。
 こんっ。ほんの小さな咳払い。
 思ったよりも喉が渇いてひりついていたらしく、自分でも情けないような音が漏れ出す。
 自分はシロエに恩がある。それに報いなければならない。ミノリはそう考えながら何度も唾液を飲み込み、耳を澄ます。

『ミノリとトウヤは〈ハーメルン〉に居るんだよね?』
 小さい咳払いをひとつ。

『〈ハーメルン〉に〈EXPポーション〉を納めている』
 もう一回、咳払いをひとつ。

『……大丈夫?』
「……」

 指で触れるほどの静寂が、闇の満ちる室内を目指す。
 ここまで聞かれれば、シロエが何を尋ねているのか。何をしてくれようとしているのか、ミノリにも判る。
 でも、判るからこそ胸がつぶれるような痛みを覚える。シロエが「どうやって」くれるのかはミノリには全然判らない。だけど、方法は問題ではない。問題なのは、シロエがミノリとトウヤを助けてくれようと、そんな決意をしかけている事だ。

 自分たちをどうにかするために、シロエが支払おうとしている代価はなんなのか? このサバイバルを要する異世界で、自分たち二人という足手まといを救うために、シロエは何を支払うことになるのか?

 自分たち二人にはどれほどの価値があるのか?
 それを問えば、自ずと答えはひとつしかない。

(大丈夫。まだ全然大丈夫。……毎日ご飯は貰えるし、ちょっとずつ〈裁縫師〉レベルは上がってる。わたしとトウヤだって、ここで生きていける。だからわたし達は、大丈夫……)

 自分に言い聞かせるような、まるで他人のような自分の胸の声。開きかけた願いの扉を閉じるように、ミノリは咳払いを、小さくひとつだけする。

――大丈夫です、と。

『ほんとに?』

 シロエが再び尋ねる。その声は優しくて、ミノリは一緒に遊んだ頃を思いだしてしまう。

 トウヤが敵に突っかけて、自分がそれをフォローするために走り込み、その不用意な動きがかえって敵の増援を呼び寄せてしまった時のことを。
 シロエが眠りの呪文で増援を寝かしている間にトウヤが必死で戦い、自分はみんなの回復をして回る。敵は多くてHPはいつも赤く染まった表示。てんてこ舞いでMPは尽き果てて、もうダメだ、全滅だ! と何度も思いながらも、最後にはへとへとになって三人で生き残った。

 レベル90といえば、〈エルダー・テイル〉では最高峰だと聞く。
 死んでしまえば、ペナルティとして経験点が下がってしまうと云うのに、たかが10レベル前後の自分たちに付き合わせて生死の間際を彷徨わせてしまった。それが情けなくて、申し訳なくて必死に謝って、トウヤの頭もげんこつで叩いて謝らせた。
 自分たちなんかのために、シロエの大切な経験値を傷つけてはいけないと。だがそれなのにシロエは子供みたいな笑顔で笑っていた。

 ――僕は面白かったよ。冒険だもんね。ピンチだからこそ身につく技術ってあるもんだよ。……ミノリはちょっと行儀が良すぎだとおもう。楽しかったよね? 僕は楽しかったよ。

 その声が優しくてミノリは救われた。そしてその時と同じ優しさが、念話の目に見えない回線を通して伝わってきている。

 だから、もう一度だけ咳払いを返す。

――大丈夫です、と。

 そうすれば、今度シロエと会ったときに、笑顔で話が出来るかも知れないから。もちろん、それには少し時間が必要だ。今の自分は薄汚れていて、浮浪児みたいに見える。お風呂にだって入っていない。女の子だなんて、云えないほどだ。
 胸の奥が小さくちりちりと痛むが、それでも、シロエに迷惑をかけるよりはずっとましなはずだ。ミノリは、もう自分でも信じられなくなっているその理屈を自分自身に言い聞かせる。

『……わかった。大丈夫なんだね。でも、また一緒に遊ぼう。一緒に遊びたい。楽しかったから。だから……ちょっと待っててね』
「……ッ!!」

 それでは全然判ってくれていないではないか。
 いいや、全部判ってくれているからこそかもしれないけれど。

 ミノリの胸の中で矛盾した思いが叫び割れて、鼻の奥から熱い涙になって押し寄せてくる。どうしてシロエはこんなにも判らず屋なのか。そしてどうしてそんなに優しい言葉を言うのか。
 自分の気遣いを判って貰えない苛立ち、申し訳なさ、戸惑い、巻き込んでしまったことに対する罪悪感、哀しみ。そんなネガティブな感情と同量の、嬉しさ、優しさ、喜び、そして希望。

 ……シロエへの信頼。

 そんな二つの相反する感情が交じり合い、ミノリの内側を洗濯機のようにかき回す。何かを言わなければならない。でも何を言えばいいのか判らない。

 シロエを止めるのならば、ここが最後のチャンスなのだ。
 咳をする。何回? 助けて欲しいの一回なのか、助けて欲しくないの二回なのか。ミノリは、こぼれてしまった涙のままに、最初に一回。そして二回の小さな咳をする。

『どしたの? 云いたいこと?』

(……っ。三回の咳をしちゃったんだ。わたし。違う、云いたいことじゃなくて、シロエさんは……。シロエさんはわたし達のお父さんやお母さんじゃないです。シロエさんは優しいけど、それに甘える資格なんて、わたし達にはないっ。だからそんな、お荷物みたいなわたし達を背負い込む必要はないんですっ)

 けれど、その言葉は声には鳴らない。
 〈ハーメルン〉の静まりかえったかび臭いギルドホールの一室に、喘息のような自分の呼気が広がるのを、ミノリは必死に押えている。

『何か言いたいことがあるなら三回って云ったもんね。
 判った。それを聞くためにも、急ぐね。でも、こっちはもう、決めたから。出来ることはする。
 トウヤと一緒の時にも云ったよね。“後衛を信頼できない前衛は死を持って罪を償うことになる。前衛を信じられない後衛もそれに倣う”って。だから、いまはミノリの“大丈夫”を信じる。
 ミノリもこっち(後衛)を信じて。ちゃんと救援に向かうから』

 小さな途絶音と共に通話は切れる。

 自らを抱きしめるようにぎゅっと縮こまるミノリ。その胸の中には一時間前まではなかった、温かくて確かなものが育ち始めていた。


 ◆


 ヘンリエッタがドアを開けると、そこにはすでに自分以外の参加者が全員揃っていた。

 あの大騒ぎの祝宴から二日後。後片付けに一日を費やし〈三日月同盟〉のギルドホールは元の落ち着きを取り戻している。

「どうしたんですの? 突然のお招きでしたけれど」
「まぁ、座ってや。ヘンリエッタ」
 ギルドマスターのマリエールはヘンリエッタに席を勧める。

 昨日まではご馳走の食べ残しだの酒瓶などが散乱していた〈三日月同盟〉の会議室は、今や綺麗に片付けられて爽やかな空気を漂わせていた。

 巨大なテーブルに着席しているのは、4人の男女。
〈三日月同盟〉からはギルドマスターのマリエール、会計を取り仕切っているヘンリエッタ。そして戦闘や狩りの面倒見ている小竜。実質的に〈三日月同盟〉を率いている三名。
 そしてそれに向かい合う形で座るシロエ。

(あら……シロエ様)

「今日はシロエさんからお話があるとかで」
 年下の小竜は、シロエに会釈をしながら続ける。

「内容はまだうちらも聞いてないんやけどね」
 マリエールと小竜の言葉だが、シロエの表情は硬質だ。確かに目つきが鋭い、というか凝視がちの癖のあるシロエだが、それにしても今日は静かな迫力がある。愛嬌のある丸眼鏡も役に立たないほどの気迫を感じるのだ。

(ふむ……)
 ヘンリエッタはその様子を心にとどめる。
 普段のシロエも頼りがいがある。けれど、目の前にいるシロエは、それとはまた別人だ。一緒にする訳には行かない。

「お世話をかけます。今日は僕が声をかけたんです。……まずは、先日の大宴会。ありがとうございます。マリ姐も〈三日月同盟〉のみなさんも」
 シロエの言葉にマリエールは手をぶんぶんとふる。

「気にせんで! あんくらい何でもないからっ!」
 小竜もとんでもないと云って手をふる。昨日の宴会は見た目も派手だったし、料理も大層美味だったけれど、費用らしいものはさほど掛かっていない。
 何より〈三日月同盟〉たちも楽しんでしまっている。実質自分たちのためのお祭りでもあったのだ。謝礼はいずれ正式にしなければいけないというのは、〈三日月同盟〉内部で以前から上がっていた話題である。

「いえいえ、良いんですよ。わたくしはアカツキちゃんの事を隅々まで堪能させて頂きましたから」
 ヘンリエッタもアカツキの可愛らしい反応を思い出してうっとりとした表情で微笑む。この際そのアカツキ本人が涙目だったなどは論の脇に置くべきだ。

「で、それはそれとして本日は別件なのです。今回は前回と逆に、力を借りたいことが出来ました」

(あらあら。それは……。さて)

 ヘンリエッタは才女風のリムレス眼鏡の奥からシロエを見る。
 その申し出は、多少意外の感は否めなかった。

 彼女の見てきたところによれば、シロエは実力あるプレイヤーだし、情け深い性格だ。たとえば相手が自分よりも実力で劣るなら――悔しいが今回の〈三日月同盟〉とセララの件のように――力を貸すのに躊躇う人間ではない。
 あの遠征において、シロエとその仲間達は〈三日月同盟〉の救出部隊の代役を見事にこなした。おそらくヘンリエッタ達の何十倍も上手にこなしただろう。自分が役に立つ、上手くやれると感じれば、シロエは力を貸すことを躊躇わない。

 しかし逆はどうだろう?

 ヘンリエッタの見るところ、シロエは常識的で情け深いと共に、内省的でとても……不器用な青年だと感じる。他人を助けることに比べて、他人に助けて貰うのがひどく下手なのだ。
 そのシロエが「力を借りたい」と云う。

(どんなお願い事があるのでしょうか?)

 もちろん、他人に力を借りることが苦手なシロエの足元を見て礼を値切ろうなどという考えはヘンリエッタにはない。マリエールにはさらにないだろう。しかし、本人がはっきりと「力を借りたい」と申し出るのは、意外だったというのが本音だ。

「なんでも云ってください。シロエさん!」
「ええ、そうですわ。シロエ様は〈三日月同盟〉の恩人ですから」
 小竜の言葉に合わせて、ヘンリエッタも歓迎の答えを返す。この場合には返さざるを得ない。〈三日月同盟〉はシロエに大きな恩があるのだ。

 だが、同時にヘンリエッタはマリエールの様子も気になった。マリエールはヘンリエッタがこの部屋に入ってきてから、どこか張り詰めた表情を崩していない。
 もちろん、表面上は友好的に振る舞っているし、その心遣いや優しさが陰るなどとヘンリエッタは微塵も疑っては居ない。もう長い付き合いの親友なのだ。マリエールがシロエを嫌うなんて事があり得ないのは十分に承知している。

 だが、それではマリエールの表情の重さは何なのか?
(マリエはシロエ様が何を願うか知っている?)

 シロエはヘンリエッタと小竜の歓迎の言葉に微笑むでもなく、眼鏡を指先ですり上げるとまっすぐに目的を切り出した。

「知り合いの子二人がとあるギルドに――拘留中というか、所属させられています。その2人を助けたいと思います」
 シロエの言葉に小竜は頷く。

「そんな事ですか。ギルドを解約させれば良いんですよね? 適当な囮作戦ですか? おやすいご用ですよ。……あ。それともあれかな?
 助け出した後のアフターケアなんでしょうか? そのお二人を〈三日月同盟〉でお預かりするとか? もちろん歓迎しますっ。仲間が増えるのはむしろお願いしたいくらいですから」

 明るい小竜の返事。
 しかし、その言葉に一層マリエールの表情は引き締まる。

(――それはないでしょう。シロエ様であれば、おそらくわたし達の協力を得なくても、2人を助けるだけなら可能なのじゃないかしら。わたし達の協力を、わざわざこんな席を作ってまで願うような、シロエ様の願い事……)

「その性質(たち)たちの良くないギルドは、新人プレイヤーを集めて〈EXPポット〉を巻き上げているそうです。売りさばいて運営資金にしているのでしょう。それ自体が許されないことだとは、僕は思っていません。――『今』は、ですけど。
 でも、好き嫌いで云えば、好きではありません」

 シロエは和やかな口調で続けるが、小竜の動きがぴたりと止まる。

 事ここに至って、やっと話が飲み込めてきたのだ。

「そのギルド、ってもしかして〈ハーメルン〉ですの? 確かにあそこは……そう性質が良くないですわ。良ろしくは無いですわ。しかしあそこはバックに大手ギルドも……」
 ヘンリエッタは当然の疑問を呈する。くだんのギルドが〈ハーメルン〉だとすれば、その顧客には〈黒剣騎士団〉と〈シルバーソード〉が含まれている。どちらもこのアキバの街の有力ギルドだ。戦闘系だけで云うのならば五本の指に入る。

「はい、そうです。退場して貰おうと考えています」
 シロエはまっすぐに口にした。

 会議室の中を重い静寂が流れる。
 マリエールの小さなため息。

(やはりマリエは知っていたか予測していたようですわね……)
 それであの張り詰めた表情にも納得がいくという物だった。

「た、退場って。その……。それって潰すという意味ですか? それは――本当に? そもそも、ギルドをひとつ退場させるって、そんな事が可能ですか? PKをしてこてんぱんに倒したとしても、それは相手はプライドをへし折られるでしょうけれど、ギルド自体が潰れるとは……」
 小竜がおずおずと声を上げる。

 ギルドが解散するというのは、ギルドリーダーが解散決定をするか、全てのメンバーがギルドから脱退するかしかあり得ない。システム上は少なくともそうである。
 PKという手段は、確かにプレイヤーキャラクターを殺すことが出来る。しかし、復活のあるこの世界において、殺害は決定的なダメージにはなり得ない。ギルドメンバーの士気や財産に影響を与えることは出来るかも知れないが、ギルドの存続そのものに直接影響は出来ないはずだ。
 だから小竜の抱いた感想、「ギルドを潰すなんて可能なのか?」という疑問は、正しい。理屈で考えればそれは外部からの干渉ではあり得ない事態だ。

 たとえば超大手ギルドなどが、その豊富な資金等を餌にして弱小ギルドのメンバーを引き抜きまくり、結果としてギルドをつぶすことは可能かもしれない。その種の作戦ならばアキバの街で聞くことも出来る。
 しかし、賄賂や資金提供などの多くのリソースを投入したとしても、それで対象のギルドが潰れるという保証はない。たとえばそのような買収工作に〈三日月同盟〉が狙われた場合、その殆どのメンバーが引き抜かれたとしても、マリエール一人が居残って抵抗し続ければ〈三日月同盟〉というギルドはシステム上存続するのだ。

 「ギルドを潰す」というのはそれだけ難事であり、成し遂げがたい行為である。狙って潰せるようなものではない。そんな事が可能であれば、そもそもいま現在のアキバの街の状況はあり得ないはずだ。

 だいたいのところ「ギルドを潰す、退場させる」などという台詞は、罵倒や売り言葉に買い言葉というようなシーンで耳にするような言葉だ。それは脅し言葉の類で、計画として聞くような言葉ではない。

 小竜は、シロエの言葉を、いわば意気込み、目標として受け取るべきなのではないかと考えたのだ。「お前を倒す!」と似たような宣言として、だ。

「いいえ。文字通りの意味です。アキバの街から退場して貰います」
 しかし、その小竜の疑念をシロエは真っ向から否定する。

 落ち着いた、感情をそぎ落としたような声はいっそ冷徹なほどだった。ヘンリエッタはシロエの表情をこっそりと伺う。もしそこに浮かんでいるのが、怒りや苛立ち、決意だったのならば、ヘンリエッタはこれほどに確信は出来なかっただろう。

 しかし、シロエが浮かべていたのは、有るか無きかのかすかな笑みだった。笑みとは云っても、面白さとも嬉しさとも無縁の、くちびるの端をわずかにつり上げる狩人の表情。
 シロエはすでに決意も必要ないほどに決心しているのだ。

(ああ……。シロエ様は)

 やるのだろうな。
 ヘンリエッタはそう思った。
 止めても無駄だ、とも思った。多分シロエの決意は翻らない。

 証券マンであるヘンリエッタの父が大きな相場に乗り出すとき、または市場が荒れ狂うような大恐慌の中で売り浴びせを行なうときにこんな表情を浮かべていた記憶がある。何日も家には帰れず、たまに帰ってきても短い仮眠とシャワーだけで飛び出していくような夜明け前に、玄関口で浮かべていたのと同じ、虎のような笑みだ。

 と、同時にマリエールの苦渋もヘンリエッタには理解できる。

 〈ハーメルン〉には、大手ギルドがバックについている。顧客である〈黒剣騎士団〉と〈シルバーソード〉は〈EXPポット〉の経験値上昇効果を用いて、90レベル突破をめざしているのだ。
 豊富な資金を持つA級サイズのギルドだけができる、無理矢理な成長方法だが確かにその方法であれば、次のレベルを目指すことも可能に思われる。
 新人から〈EXPポット〉を巻き上げて売りさばくなど、道徳的に見れば外れた行為だ。ヘンリエッタだって嫌悪感を感じるし、もし〈三日月同盟〉でそんな話が出るのであれば、首をかけて反対するだろう。

 しかし「許されざる罪だ」とも断言は、出来ない。
 そこに精神的重圧があれ、ある種の脅迫があったのであれ、その新人達は自分からそのギルドに入会し、今でも在籍しているのだ。そうである以上、その巻き上げや転売が、ゲーム的に見て違反だとは言えない。そしてそれは、この異世界では「違法」では無いことを意味する。

(法……。法、ですか……。確かにそれはもはや夏の朝の蜃気楼よりも儚い物です。在るかどうかは疑わしい。けれど……)

 それに実現性の問題もある。
 仮にその行為が――合法か非合法かはともかくとして、悪だとする。しかし、その悪を咎めることの出来る者や組織がアキバの街に実在するのかと問われれば、答えは否だ。
 大手ギルドの発言力は巨大で、さしたるメリットもないのにそれに逆らおうなどと云う酔狂なプレイヤーは居ない。すでに大手ギルドのメンバーが、ギルドの名前を利用して、街の各種設備を優先的に使用する。しかも、やや横暴なやり方で、中小ギルドのプレイヤーを邪険に扱う風景が目立つようになってきている。

 この状況下で、シロエのような意見に同調することは、すなわち大手ギルドを敵に回すと云うこと。〈三日月同盟〉という小さいながらもひとつの組織を率いる立場として、マリエールの厳しい表情の意味もわかってくる。
 正義は何かと云うよりも、その正義を実行する権限も権力も戦力も、誰もが持っていない。ゆえに正義が絵に描いた餅にしかならず、結果として正義があやふやになる。それがいま現在の、アキバの街の偽らざる真実なのだ。

(マリエ……)
 ヘンリエッタもくちびるを噛む。

 シロエには恩を受けている。個人的には好感も持っている。
 もちろん可愛らしさの欠片もない男性の中では、と云う但し書き付きだが友人にしても良いと思える青年だ。でも、だからといって頷くことが出来ない「お願い」もある。

 本来であれば心からの忠告としてシロエの暴走を止めるべきなのかも知れない。
 でもあの不敵な決意を見れば、その言葉も出てこない。
 ふだんは控えめに見えるほど内省的なシロエが初めて見せた「戦意」に、自分ごときが口出ししても良いのか? と問われれば、答えに自信が持てるはずもない。

 二人の幹部のそんな風に口ごもる姿を横目で見ながら、マリエールは何度か躊躇った後に口を開いた。

「シロ坊……。シロ坊の気持ちは判る。せやけど……、うち……。いや、うちらはな……」
 それは、謝罪の返事だったのだろう。ヘンリエッタや小竜というギルドの幹部に云わせることなく、ギルドリーダー自らが、シロエの願いを断る。
 もしかしたらその言葉でシロエの機嫌を損ねる、嫌われることもマリエールは覚悟をして口を開いたことを、ヘンリエッタは理解した。

 しかし、そのマリエールの言葉を、シロエはキッパリと遮る。

「マリ姐。悪いですが残りも云わせて下さい。
 それではまだ半分です。
 それじゃぁまだ半分でしかありません。
 〈ハーメルン〉なんて最初からもののついでです。そんなのじゃ、全然足りない。まったく届きやしない。そんなのはただの行きがけ駄賃に過ぎません。
 この際だからはっきり云います。僕は今のアキバの街の空気が好きじゃないみたいです。せこくて格好悪くてみっともないです」

 唖然とする周囲の中で、シロエだけは最初から全て納得していたように言葉を続ける。

「だから、アキバの街の掃除をします。
 〈ハーメルン〉のことはそのついでです。ミノリとトウヤは友人だから助けるだけです。
 僕たちは他にやらなければならないことが沢山あるんです。こんな事で時間をとられている訳にはいかないんですよ」

 小竜もヘンリエッタも。そしてマリエールさえも彫像のように固まっていた。そんな3人にシロエはたった一人で言葉を続ける。

「小さいギルドに居るってのは、いつからこそこそしなきゃいけないような悪いことになったんですか?
 ススキノは確かに荒廃してました。2000人しか居なければ、強いギルドが我が物顔で威張るのも判らなくはないです。でも、アキバは僕らのホームタウンです。日本サーバにいるプレイヤーの半分以上の本拠地です。日本サーバ最大の街です。
 それが格好悪くて雰囲気が悪くてギスギスしてて、なんだかみんなが下を向いて歩いているって……。それはないでしょう。それじゃぁ、僕ら全員が格好悪くなるために生まれてきたみたいじゃないですか。
 狩り場の占有、大手ギルドの躍進、ライバル同士の確執、それらが悪いなんて口が裂けても云いませんけれど、自分の首を絞めてるのは見るに堪えないです。
 そういうのって、新人泣かせてまでやることでしょうか。
 異世界飛ばされちゃったサバイバルを蹴飛ばしてまで、やることですか?
 僕らは三万人もいますけれど、三万人しかいないんです。
 みんな、舐めてます。異世界を甘く見すぎてます。必死さが、足りないです」

 それは途方もない話だった。
 ヘンリエッタや小竜はおろか、マリエールが凍り付いているところを見ると、これは予想もしていなかった話なのに違いない。
 知り合いを助け出すのは判る。しかし、そのついでにギルドひとつ潰そうという時点で桁外れだ。だがその上、今の状況や風潮を変えるとなれば、これは桁外れと云うよりは、正気の沙汰ではない。

 だが、話を聞いていた皆を震え上がらせたのは、その内容よりもシロエの声だった。高ぶったところのない穏やかな声だったが、流れているものは鋼だ。触れれば切れるような鋭さがある。

 ヘンリエッタは我知らず止めていた息をそろそろとはき出す。
 見誤っていた。このシロエという青年を。実力も優しさもあるけれど、内省的でシャイな青年だと思っていた。でも、違う。この青年の本質的な部分は、ひどく純粋なのだ。目標に対してひたむきで、その考えも手法も直線的。効率的で、容赦というものが、無い。
 戦って奪い取る。この青年は、そのシンプルな原理に忠実なのだ。決めるまでは散々迷うかも知れない。刃が鈍るかも知れない。でも、決めたら「やってしまう」青年なのだ。

「マリエ……さん?」
 尋ねかける小竜の言葉に、マリエールはくちびるを噛みしめている。ギルド一個を潰すと云うだけでも〈三日月同盟〉には荷が重く、そのリスクは高い。その計算で行くのならばシロエの提案に応えることは出来ないのだろう。
 しかし、シロエは「この街全体を変える」と云った。それは勝負に勝った場合のリターンが跳ね上がったことを意味する。
 マリエールの逡巡はそれ故のものだ。リターンとは、この場合中小ギルドの地位向上だ。だがしかし、それだけではない。もっと魂の問題でもある。

「うちは……」
「力を貸して下さい」
 シロエは初めて頭を下げた。

「シロエ様? 他のお仲間はどうなさいました?」
 言葉を探すマリエールに助け船を出すべく、ヘンリエッタは口をはさむ。本来であれば、例えば直継やアカツキといったメンバーはこの席にいても良いはずだ。

「調査と準備に掛かってます。挨拶が遅れてごめんなさい。
 僕シロエがギルドマスターとして、ギルドを結成しました。
 〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)って云うのがその名前です。直継、アカツキ、にゃん太、そして僕の四人がそのメンバーで、今回の任務(ミッション)は、その最初の作戦になります」

「ギルド……作ったんや」
「はい。誘ってくれていたのに、済みません」
「ううん……」
 マリエールはまるで子供みたいに首を振る。

「ううん。そんなん、ぜんぜん謝ることない。
 そか。シロ坊……。おめでとうな? ギルド、作れたんや。シロ坊、作れたんやね。おうち、作れたんやね」
 マリエールは微笑んだ。その目尻には小さな涙の粒がある。

 ギルドに入ることを避けてきたシロエが自分の居場所を作る。その意味合いはヘンリエッタには正確に計ることは出来なかったけれど、マリエールの涙の意味はわかった。ヘンリエッタの天然気味な友人は、シロエという青年に心から祝福をしているのだ。

「ギルマス。……話だけ、聞いちゃダメかな? 俺。興味ある。俺達は街での活動も多いし、やっぱシロエさんの言うような悪い雰囲気、感じてきたよ。
 この街はずっとこのままいっちゃうのかって、不安に思ってきた。ずーっともやもや思ってたんだよ」
 小竜は言葉少なめに意見をした。
 彼だって〈三日月同盟〉の戦闘班幹部として状況は読めている。もし自分が余計な口出しをすれば、マリエールが苦しむことになるのも判っている。けれど、そう言う意味で言えばマリエール自身が協力したい気持ちと、ギルドを守りたい気持ちの間で引き裂かれているのはすでに傍目から見ても明らかなのだ。

 ヘンリエッタも同意する。
「ええ、協力できるかどうかは手法によります。まったく目処が立たない計画に乗る訳には参りませんでしょう? シロエ様」
 本来ならば自分が矢面に立とうと考えていたはずのマリエールは2人の部下が前に出て、ちょっと鼻白んだ様だったが、すぐに自らも「シロ坊、話てや」と促した。

 シロエはその言葉に、ほんの半瞬だけ喋る内容を整理するかのように見えたが、唐突に結論を述べる。
「資金が必要です。とりあえず、金貨500万枚」
「そんな無茶なっ!?」
 ヘンリエッタが悲鳴を上げる。〈三日月同盟〉の金庫を預かっている彼女は、かなり正確にギルド資産を把握しているのだ。
 〈三日月同盟〉のギルド口座にある資金は、金貨にして6万枚。在庫アイテムなどを徹底的に処分すれば、10万枚では用意できるだろう。ギルドメンバーの個人的な財産を残らず処分すれば、おそらく50万枚までは達成できる。

 しかし、それが限界だ。メンバー全員の資産を投げ打っても、50万枚以上は捻出できない。レベル90であるヘンリエッタの手持ちの資産が2万ほど。個人で5万も持っていれば相当に資産家である状況を考えれば、金貨500万枚というのは桁外れな金額だ。

「そんな金額どうやって集めるんっ。うちら、こういっちゃお終いかもしれんけど、――零細ギルドなんやで?」
「お、お、お金ですか!?」
 案の定、マリエールと小竜の口からは絶望的なうめき声が零れる。
 戦力や労働力というのならば「頑張って」みることは出来る。しかし資金調達となると、彼女達にははなから無理な難題にしか感じられないのだろう。


「ヘンリエッタさんはどう思いますか?」
「わたし、ですか?」
「ヘンリエッタさん、元の世界では経営学の修士とって会計の仕事してるんでしょ? 僕はいけると思っています。まだ、この世界ではみんなが“舐めて”ますから。
 別にそんな大したことじゃないです。ようするに、ただ引っ張ってくれば良いだけで」

「……引っ張る」

 ヘンリエッタの意識が引き延ばされる。
 シロエの言葉を軸に、波紋が広がる。
――異世界を甘く見すぎて、舐めている。
 なぜシロエはそんな事を云っているのか? 何を舐めていると云っているのか? ここは〈エルダー・テイル〉の世界だ。異世界というならば異世界だが、既知の世界と云えばこれ以上既知の世界は無いとも云える。

「どんな資金かとか、誰の資金か? なんて深く考えなくて良いんです。どうせ向こうだってルールを守る気はないんですから。
 違うか。……『ルールが無いのがここ』なんです。自分たちで狭いルールを作ることはない」

 ある意味むちゃくちゃだ。
 でも、それだけにヘンリエッタには判る。おそらく、ヘンリエッタにしか判らない。今、この部屋には自分とシロエしか、居ない。
 シロエの言葉が届くのはわたしだけだ。ヘンリエッタは何の脈絡もなくそう確信する。そうである以上、その領分内の判断は、自分がマリエールに代って見極める必要がある。

 シロエの云っていることは。

(お金が集まるルールを作れ、という事ですわね……)

 反抗する勢力は全て叩きつぶせと云わんばかりのシロエの言葉に、ヘンリエッタはくらくらとする。つまりそれは、奪えという意味だ。
 奪うというのは、何も暴力的な事をする必要はない。それどころか、不正規だったり非道な手法を用いる必要はない。それらは下策だと彼女は父親と職場から学んでいる。非合法や精神的軋轢の残る手段は最後の最後にやむなく切るカードなのだ。
 どちらかと云えば、みんなが喜んでお金を持ってくるような『ルール』が望ましい。

「……いけ、ますわ」
 ヘンリエッタは頷く。
「わたし達は、その資金を集められます」

「へ?」
「ええっ!?」
 マリエールと小竜の驚きの声に、ヘンリエッタはまだ少しぼんやりした思考で応える。頭の中では思いついたプロットに細かい修正を加え肉付けをしている最中なのだ。

「500万を集めるのが一番高いハードルですの?」
 ヘンリエッタはシロエに直接尋ねる。それだけはどうしてもはっきりさせておかなければならないラインだった。

「ハードルで云えば500万を集めるのは入り口です。一番高いハードルはその先にあります。それは……なんというか、みんなの善意と、希望です。
 このアキバの街に住む多くのギルドが、このアキバの街の雰囲気なんてどうなっても構わないと思っているのならば。
 その場合は、僕たちは負けます。でも、それはそれで仕方ないです。僕はそんな街に未練はありません。だけどそんな事はないって信じてもいます。アキバの街を好きな人は、嫌いな人より、多いはずです。
 ……今さらですけれど、〈三日月同盟〉へ恩に着せて協力を要請するつもりはありません。〈三日月同盟〉に声をかけたのは、その力が必要だからです。マリ姐にも、ヘンリエッタさんにも、小竜にも、やって欲しいことがあるからです。
 もう一度云います。力を貸してください」

 小竜は小さく頷いた。それを見たマリエールがヘンリエッタの表情をのぞき込む。……シロエが云っている言葉は本物だ。シロエが本気で言っているから、小竜は話の続きを聞きたがったし、マリエールは決断を躊躇ったのだ。

 そしてヘンリエッタは、本気のシロエならばこの途方もない作戦でも、もしかしたら勝ち筋を見つけられるかも知れないと思っている。
 ヘンリエッタの中のシビアな財務担当者の勘が、そう囁いている。

「ええ、マリエ。あなたの望むままに」
「うちは……。うちら〈三日月同盟〉は」
 マリエールは手をぎゅっと握りしめ、ギルドリーダーの表情でシロエに答える。

「〈三日月同盟〉はシロ坊の作戦に乗ろうと思う。
 ――うちたちだって、この街にはもっと格好良いところであって欲しいから。このままだと何かが決定的になくなってしまいそうだから。
 で、でもな。うちらも苦しい所帯やねん。だから、夜逃げだけは勘弁して欲しいんやけど……。でも、それもしゃぁないか。見て見ぬふりを何時までも続けたら、気持ちの方がすっかり腐ってしまうんよね。
 魂の問題やから。
 だから、うちらも持っているのなら賭けてみる。
 ――教えて、シロ坊。その方法を。
 もしそのために何かが出来るときに、何もしなかったら、うちらずっと後悔しそうやから」
2010/04/16:誤字訂正
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/13:誤字訂正
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