第六話閑話
電気が消された暗い部屋で雲雀は思案に暮れていた。壁に背中をつけて、瞳の色は暗闇に沈む。
黒い髪に刺々しい態度をみせる翼。幼い頃に忘れていた気持ちを掘り返してくれそうな空音。
二人にとって魔法少女は夢を叶える魔法なのだ。ゆえに守らなくてはならない神聖なものであるとするならば、こちらが口を挟む権利はない。
「……もやもやするなぁ」
ぼふんとベッドに背中からダイブし、脱力する。今日の訓練もなかなかきつく、体の悲鳴が耳元まで聞こえてきそうだ。
天井には何も写っていなかった。視線を横に動かし窓から見えたのは息をしていない暗い街。大志を抱けと諭されても、どこに大志があるのかわからない沈んだ街。
寝返りを打って枕に顔を沈める。お風呂に入って濡れた髪はすでに乾いていた。
「翼……」
繰り返す、小さな夢を。繰り返す、大切な時間を。
愛しき人しか目に入らないかのように、雲雀の頭の中は二人のことで頭がいっぱいだった。仲良くなりたい……のかはわからないが、理解したいという気持ちに嘘偽りない。
もう一度自分の悩みの種である人物の名前を呼んで雲雀は目を閉じる。眠りの国から追い出され、数秒後には再び目を開けて今日の出来事を思い返していた。
突如扉がノックされ、雲雀は体を起こし足をひきずって扉に近付く。
「まだ起きていたの、雲雀」
扉を開けて顔を覗かせていたのは雲雀の母親だった。どうやら雲雀が寝ているかの確認をしにきたらしい。
「……考え事していたら眠れなくて」
「その考え事は親に言えないこと?」
雲雀は首を傾げ、言えないことではないという結論に至る。
「言えなくはないけど、言ってどうにかなるとは思えないの」
「悩むのは言ったあと。すぐに結果を求めるのは悪い癖だって、月並みで言ってるじゃない」
「うぐ……うぐぐ……うぐぐぐぐ! だって世の中結果が全てじゃん。だから自分と同じぐらいの子があたしより上にいるのすっごくムカつくの!」
「結果が全てなのに、その結果に文句を言うの?」
母親の一言で雲雀はぐうの音も出せず、水がなくなってのたうち回る魚並にじたばたしたくなった。言葉ではわかっているのが簡単には受け入れられない。その迷いが態度として発露する。
「……何か飲みながら話しましょう」
時刻は真夜中、家の中は暗く物静かだ。一階の台所に明かりを灯し、雲雀は椅子に座って自分の手元を見ている。しばらくしてホットミルクの準備をした母親が雲雀の前に一個のマグカップを置き、雲雀の真正面にあたる席に腰を下ろした。
橙色の線で彩られた白いマグカップとその中の液面を雲雀は見続け、やがてぽつりと話始める。
「お母さんは、理解できない存在に会ったこと……ある?」
「ええ。ほら雲雀の後ろに……」
「お、脅かさないでよ!」
きょどきょどしながらバッと振り向き、何もいないことを確認して雲雀はほっと胸をなで下ろした。
「幽霊とかツチノコとかネッシーじゃなくて、あたしが言いたいのは人間のこと」
「我が娘にもついに思春期がやってきたの……お赤飯炊かなきゃ」
「思春期とかじゃないからっ! 話そらさないでよお母さん」
「つい癖で……その、人間っていうのは日本語文化圏? ああ飛行機飛んでないんだった」
たおやかな笑みを浮かべ、母親は遠い昔に思いを馳せる。
この数十年で日本は大きく変わってしまった。歴史はつねに波乱で溢れているが、親世代もこれから永遠に受け継がられていくだろう動乱に巻き込まれた。例えばデジタルコード。例えば大人になるための試練。二十一世紀初頭にはなかった法律や規律が作られ、人の生き方や考え方も変化を遂げていく。
「お母さんが子供の頃は日差しも弱くて外に出られたんでしょ。飛行機が空を飛んで、船が海を渡って……太陽が……。そうだあたし、小さな子供に太陽みたいな色って言われたことがあるんだけど、どういう意味?」
「……眩しいってことじゃない? それより、その子供が本物の太陽を見たことがあるとなったら大事件よ。人間は天蓋の外に出られなくて、天蓋は真っ黒だから太陽なんて見えないもの」
「さあ……写真で見たんじゃん? その子、十歳で魔法少女の試験に受かったんだって。あたしと同期。しかもあたしより一つ級が上……ん……ふぅ」
母親の顔を見ながら雲雀はカップに口をつける。口の中で広がるホットミルクの甘い味に、雲雀は大きく息を吐いた。母親の返答はどれも抽象的に思え、迷宮の深さが増す。太陽を知らない時代で育った雲雀には、母親の言葉が本当であるか確かめる術も手元になかった。
「太陽を知っている世代が死ねば、きっと社会は情報規制を始めたり、そういう時代があったと美談にするわ。三十年経って天蓋の存在が生活の基本となり、太陽は解雇。ばいばいさん。汚くて大変な仕事は機械がしてくれる、という常識になったのと同じようにね」
「……母さんが言いたいこと、わかんないよ。目で見たことがないからかなあ」
「わかったでしょう? 雲雀の理解できない人間っていうのは、前提としているものが違うの。人間がいくら鳥に空の素晴らしさを説かれても、私達は生身じゃ空を飛べない。同様に雲雀の常識が他人の常識ではなかった。逆も然り。そのことについて気付けただけでも良い経験をしたのよ貴女は」
「あたし、その人と仲良くなれるかな? その人が"常識としているもの"を知ることができる?」
「理解と共感は似て非なるもの。同じ感情を抱けなくてもいいのよ。共感を強制されたら断っていい。相手がそうしてこないのならば……貴女自身に選択が委ねられる。人間関係はシミュレーションで勉強できない部分もあるから、今のうちに悩んでおくのが手よ。……つまり、頑張りなさい」
意味深長な微笑みを向けられ、雲雀は何この人楽しんでいるのと目を丸くする。それからホットミルクを飲み終えると、おやすみなさいと声をかけて一人階段を登っていった。
「頑張りなさい、か……あーうーん、頑張るしかないのかー」
また次に会うときがあったら頑張ろう。そう誓い、雲雀は夢の国に吸い込まれていった。