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第七話

夢を抱く少女の願いとともに。

 オゾンホールの拡大が予測された日、人類は地下に移り住むか地上に残留するかの選択を求められた。地下の開拓には限度があり、窮屈な地下から逃げようと人々は空を求め、大半は地上に残った。だがしかし天蓋に覆われた世界には黒く塗られた仮初の空しか存在しない。あの青い空も、白い雲も、夜空に瞬く星も――人間は見ることができなくなってしまったのだ。

 紫外線から体を防護する特殊スーツの開発は進んでいたものの、日本に住む全員に行き渡る量を作る資金も材料もなく、天蓋のみがここにある。

 今現在天蓋の外へ出歩ける者は機械しかいない。遠隔操作で動く機械や自立運動ができる機械は青く透き通った空を見てどう思うだろう。

 そもそも人間のために作られた機械には心が宿っているのだろうか。美しいものを美しいと感じられる情緒を持ち合わせているのだろうか。

 空を美しいと思えない機械が人間に劣っているわけでもない。とある人間にとって必要なものが、とある人間には必要でない場合もある。

 鉱山や油田は人間が天蓋に閉じこもる前に大半を発掘された。火熱発電から自然エネルギーや原子力発電にシフトし、原子力発電は全て機械が遠隔操作で行っているのだが、限界はいつか来る。

 天蓋の中で奏でられる前奏曲は破滅への誘い。貴金属や鉱石も限りがあるため機械の生成も近い将来途絶えるだろう。そして数世紀前の生活に逆戻りする。その頃には、地球が人間の住める場所ではなくなるかもしれない。宇宙開発をやめた今、人間は地球でしか暮らせないというのに。

 救いといえば、現在生きている人間は健やかに死ねるということだろう。長くても人間は百年しか生きられない。であるから――最後には人間の心を植えつけられた機械のみが生き残る。

 この世界が人間のために生まれたものであったならば、最後に生き残ると予測されている存在が己のために創造した機械である皮肉にどう対応すべきなのだろう。笑うべきか。悲しむべきなのか。答えは見つからないかもしれない。答えを見つけるために足をとめようとしたとき、人は滑り落ちる。






 入隊して早一ヶ月。翼と空音は己の仕事に慣れ、単独行動を認められるようになった。

 三級の同期とは未だにシコリを残しているものの、先輩達とは馴染み始めている。空音は遊んでもらったりお菓子をもらったりしており、翼は美貌の秘訣をよく聞かれるようである。

 二人の生い立ちについては補佐役である金の魔法少女・金糸雀と、魔法少女を裏から支えているごく一部の大人しか知らない。本人らは語らなくとも、十歳の少女が学校ではなく魔法少女の門を叩いたということで、察しの良い者は二人へ極力優しく対応していた。だが誰ひとりとも二人の懐へ入ろうとしない点を考えると、二人が畏怖の対象になっていることは想像し難くなかった。


「ふっふーん。青い空に白い雲ー。太陽の下で泳ぎましょー」


 シフトのない休日の昼、空音は床に寝転んで絵を描いていた。白いスケッチブックには写真で虜になった光景が、しかし実際に見たことはない光景が、己の目に焼きついているかのようにありありと描かれている。青く塗られた空には赤い太陽が鎮座し、地面にはたくさんの人間が手を繋いで笑っていた。

 空について情報規制がかかるようになれば、空音のように「空を飛ぶために魔法少女になりたい」だなんて言い出す子供は生まれなくなる。街にあるプラネタリウムも全て潰され、空への夢は完全に閉ざされる。空や雨や雪を知らなくても、人間は生きていけるのだから。

 天蓋の外に出て空を見るという夢も実現性が低く、今すぐには叶えられない夢だ。特にいつか母親になるであろう女の子には。


「ツーちゃん。ツーちゃん。今年の冬は雪降るー?」


 たとえ降ったとしても、天蓋に守れた街では雪を観測できない。天蓋が透明であれば雪が積もった様子を観察することはできたかもしれないが、光を通さない目的として作られた黒色天蓋では不可能である。


「今年も暑いから降らないと思うよ……すまない、空音」

「どうしてツーちゃんが謝るの? 雪ってお空さんが寒くなると降るんでしょ? 暑いときはお天道様で、機嫌が悪いと雲りで、風邪を引くと雨が降ってくるの!」


 いつ少女の夢を折ってあげるべきなのだろう。叶う、叶うと嘘を吐いて暗示させるのは誰にでもできる。だからこそ彼女の夢を家族である自分が責任を持って壊さなければ。

 寿命を縮めてしまう行為の一つが天蓋の外に出ることだ。ただ外出口である門を出入りするには許可証が必要であるので、どの道正当法では通れない。許可証の申請ができるのは人とは違う体をもつ機械だけ。特に人間社会に溶け込めることのできる人型アンドロイドに授けられている。

 裏ルートで入手したとしても、空音の体に外の世界は毒であり病であり害だ。外見に惑わされて罠に引っかかるという失敗を先人が幾度も経験してきたじゃないか。罠にはめられ歴史が動き、変わる。歴史を作るのは常に勝者だ。

 防護用スーツを入手するとしても裏ルートで探し大金をはたくしかない。完全に紫外線を防御できる品質となると国に一着あるかどうか疑わしい。百万か千万か一億かそれとも一兆か。一般人がそんな大金を持ち合わせている誰が考える? 心優しい空音のことだ、一つしかないと聞けば自分以外の子に使ってと身を引くのが目に見えている。

 翼が頭を抱え込んでいると、空音はうずうずした様子で翼の体を揺すり始めた。


「今日お休みなんだよね? お外出ようよー」

「急に何を言うんだ?」

「ツーちゃん暗い顔してる。空音といる時は笑って?」


 空音に指摘され、翼は息を呑んだ。次にありがとうと自分よりも小さな少女へ微笑みかける。


「うん……そうだな、外に行くか」


 外出許可を得て、翼は息のつまった現状から逃げるように歩き出し、空音は休暇だと羽を伸ばし始めた。警備隊の仕事でそれほど疲労を感じなくなってきて、己の生活の一部となろうとしている。周囲を騒がせるような大事件が起きていないこともあり、仕事面でも一息つけるほどの余裕はあった。

 どちらかが言い出すのでもなく、二人は自然と手をつないだ。離れていかないでという願いを込め、この温もりだけは忘れてしまわぬよう心に留める。

 五月。黒い天蓋のせいで熱気が逃げず、さっぱりとした夏の香りを感じさせる日。


「そうだ空音、さくらんぼを木花このはなからもらったんだが……誰かおすそ分けしたい人はいるか?」


 商店街に行きたいと空音が言い出し、二人は人通りのある道へと躍り出た。

 休日ということもあって学生の姿がちらほらと見受けられ、店の前では大人の試練を終えた"大人"がいらっしゃいと客に声をかける。食品販売系は需要がある。安定した雇用を保ち、それなりの賃金を給金としているからだ。試練を終えても「自分」でいられた人物が多いからか、朗らかで人当たりのよい人物が多い仕事である。


「おすそ分けできるほどもらったの? 空音はね、本部の人全員にあげたいなぁ」

「流石に全員は無理があるな。友達も少しはできただろう? これだと思った人にあげればいい」

「友達を選ぶなんて空音にはできないよ……喜びは色んな人にあげたいぽよ。みんなを幸せにしたいっていうのは欲張りなのかなツーちゃん」

「いいや。空音は自分の心に素直であればいい。研究所にいた頃に、かけがいのないものを教わっただろう? 木花このはなが嬉々としていたから心配ではあるが……あいつのことだ、悪いことを教えてはいない」

「コーノは空音にいっぱい教えてくれたけど、半分は理解できなかったぽよー。……あ、お魚さん」


 店に並ぶ食物は全て天蓋の中で作られたものだ。たまに天蓋同士で機械や地下鉄を介して食物のやり取りをすることはあるが、ほとんどは売る場所で生産されている。地上で足りないスペースは地下で補い、また全体的な人口が減ったこともあって食料自給率は高水準を維持できていた。


「お魚さん、生きてるぽよ?」

「空音が食べる時には死んでるよ」


 魚屋の店先で氷漬けされている魚を指差し、空音は魚とにらめっこを始める。空音が魚を笑わせようと表情をころころ変えても、魚から反応は返ってこない。


「お肉さんは?」

「動物は死んだだろうけれど、肉自体は死んでいないかもしれないかな……」


 この後も「どうしてカラスは黒いの」レベルの質問を投げかけられて翼はタジタジになっていた。子供の好奇心に振り回され、最後にはもう質問しないでという雰囲気を垂れ流す。


「あ」

「どうした? 空音」


 空音が突然地面に縫われたかのように足を止めた。視線の先には仲良く買い物をする家族の姿がある。たくましい父親に優しそうな母親。幼い子供は二人と手をつなぎ、花を咲かせるような笑顔を浮かべていた。家族であるならば当たり前の光景であるが、親類を早くに失った空音にとっては羨ましく妬ましいものでしかない。

 言うべき言葉を探そうと翼は視線を動かす。すると本来ならそこにいないだろうはずの人物が目にとまった。


「ヒバヒバ」

「雲雀」


 空音と翼の声が重なると、呼び止められた人物は「げ」とさあさあ血の気を引かせていく。

 制服ではなく私服姿の雲雀は、バッグを腕にかけてぶらぶらと歩いているところだった。

 本能で逃走状態になっていた雲雀を空音は追いかけ、腕を引いて飛びついた。


「ヒバヒバだぁ!」

「……こんにちは、空音ちゃん……足が速いなんて……っ、思わなかった……」


 全力で逃走したというのに空音に捕まってしまった雲雀は、息を荒げ白旗を上げる。

 雲雀にじゃれつく空音の姿は飼い主に遊んでとせがむ子犬のようだ。本当に空音が犬だったならば、耳と尻尾がぴょこぴょこ動いていたに違いない。


「ヒバヒバー」

「そ、空音ちゃん。そろそろ放してくれない? 黒くて怖くて大きな人が仏頂面で待ってるよ?」

「ツーちゃんのこと? ツーちゃんは怖くないよー」


 空音は雲雀の抱きごごちを気に入ったのか頬を擦り付けたり離れないようがっちり腕を回す。流石に年下の子の好意を無下にできず、雲雀もあたふたと空音にされるがままになっている。

 横で翼は空音の喜びの原因を探し、そうかと結論を導いた。


「雲雀。これから時間あるか?」

「……ないわけじゃないけど」

「今日だけ家族になってくれ」

「へ!? か、家族って……あたし、そっち系じゃないから!」


 腕を伸ばし、違う違うと雲雀は手を振る。必死に否定したせいで顔は真っ赤になっていた。ただ体をよじっても空音がくっついてくるため、根負けするのも時間のうちだろう。


「何誤解しているんだお前。空音の家族になってほしいんだ。母親……は若いから姉だな。空音、今日だけ雲雀がお前のお姉ちゃんになってくれるんだと」

「ヒバヒバが空音のおねーちゃん!? わぁい、わぁい」


 胸を弾ませて空音は雲雀に飛び上がる。空音は雲雀の服を握り締めると、小さな膨らみへ頭を押し付けた。


「ツーちゃんよりもおっぱい大きい」

「な!?」


 胸の大きさを比較され、雲雀はさらに頬の赤みを強めてゆでダコになった。冷却するには水をかけるのが一番だろうが、水をお湯に変えそうなぐらい真っ赤で熱そうだ。やがてはっと気付き、雲雀は翼にしたり顔を向けた。


「……私が貧乳でおかしいのか」

「あんたに勝てるところやっと見つけたなぁ、と」


 赤い顔のまま、にしにしと雲雀は胸を張った。平均的なサイズの胸は形がよく、姿勢を正すとより大きく見せられる。成長ののりしろがある健康的な胸部は、壁と称される翼よりも夢と希望に溢れていた。


「空音も大きくなる?」

「なれるよ、空音ちゃんなら」


 これが女の子トークかとしみじみしている翼をよそに、空音と雲雀は姉妹のように会話をし始めた。雲雀が見栄を張ろうとしている以外は、自然な関係なように思えた。空音は友達作りが得意な子であるから、学校に行けば人気者になったかもしれない。研究所で育てて魔法少女になったのは、正しい道であったのか胸が塞がる。


「……子供の成長に必要なのは親だ。道を示す父と、家族を迎える母。私は……私は……空音に何を示してあげられるのか。男でも女でも人間でもない自分が……」


 翼のぼやきは空音と雲雀のつんざくような笑い声にかき消される。目を細めながら、翼ははしゃいでいる二人の会話に分け入った。


「ツーちゃん、ヒバヒバのこと、これからもおねーちゃんって呼んでいいのかな?」

「雲雀本人に聞いてごらん」

「ヒバヒバ、おねーちゃんって呼んでいい?」

「いっいっ、いいに決まってるじゃん! あたし、空音の純粋なところ好き」

「私が純粋でないように聞こえるが」

「翼は腹黒で陰湿家よ。ていうか自分のこと純粋だと思ってたの?」

「傷つくじゃないか。私のガラスのハートが壊れたぞ」

「壊れるぐらいのチキンハートなら、あたしと言い争わないでしょ。友達っていうのは美しい関係じゃなくて、時にはぶつかりあい時には励ましあう関係なのよ」

「雲雀は私のことを友達と思っているのか?」

「……知らない知らない知らないっ」


 最後吹っ切れたように翼と雲雀は笑いあった。二人に囲まれ、空音も良かったとつられて笑顔になる。


「ツーちゃん、おねーちゃん、手つなご?」

「ああ」

「うん」


 三人は家族のようにゆったりと歩く。


「三人でお空見たいなぁ……」


 夢を抱く少女の願いとともに。









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