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第二話

 無事に試験を通過し、翼と空音は普段となんら変わらない足取りで、いや少しだけ空音は弾むように帰路につく。

 休日の昼には親子連れや、機械動物(ぎあにまる)を散歩している人や、街の整備のために忙しなく働くアンドロイドがいた。立ち並ぶ街灯には監視カメラがとりつけられている。

二人が現在寝泊まりしている場所は住民区から離れたところにある。ひっそりとある研究所の一つ、木花(このはな)研究所という。

 重苦しい扉は二人を認識すると開いた。第二の扉では左手首に巻かれたデジタルコードによる人体認識とパスワード入力を求められ、翼は指を走らせた。

 やがて咆哮と煙を上げて第二扉は真ん中から割れ開き、二人は広い廊下に己の足音を響かせる。研究所内には湿度や温度を気にする繊細な機械が多いため、寒くもなく暑くもない環境に調整されている。空気調整装置の稼働音を聞いたり清掃ロボに挨拶をしたりすると、翼は生家に戻ってきた気分になるのだった。

 あてがわれている自室の扉の前には白衣を着た一人の女性が立っていた。彼女は翼と空音の姿を認めると、小さく手を上げる。


「二人ともお帰りなさい」

「コーノ、ただいまなの!」


 空音はコーノ――木花技師に抱きつくと、相手の体の感触を確かめるように頬をすりつけた。数時間しか離れていないのに一年ぶりに再会したような感動的親愛をぶつけ、気持ちよさそうにごろごろ鳴いて顔を上げた。


「聞いて聞いてっ。空音ね、ごーかくしてきたよ! 四月から魔法少女の仲間入りなの!」

「おめでとう。頑張りましたね」


 木花に褒められ、空音はさらに表情を崩してへにゃりとさせる。花がほころぶような笑顔は一輪だけでも周囲を明るくさせる力があった。


「四月から二人とも寮暮らしですか……寂しくなりますね」


 感慨深く木花は目元を和らげ、空音の頭を愛撫した。


「引越しの準備は済ませてありますか?」

「もうやったぽよ!」

「ではお菓子タイムにしましょうか。空音さんはお部屋で待っててくださいね」

「はーい!」


 屈託ない笑顔を浮かべ、両腕を広げて鳥のように空音は部屋に飛び入っていった。扉の開閉音がそれぞれ一回ずつ発せられ、最後に空音の言葉に表せない喜びの声が聞こえてくる。

 扉が完全に閉まってから、木花は通信機で調理用ロボットにお菓子を作るよう命じ、一息おいて翼と向き合った。


「……あらためてお帰りなさい、翼さん。あなたについては予定調和ですね。年頃の女の子はどうでしたか? 可愛かったでしょう?」

「あの青臭さまで含めての可愛いか。私はあまり好かないな」


 近況報告を行いつつ翼と木花は歩を進めた。翼は自分の背がより高く見えるほど姿勢を正し、隣で肩を並べる木花は重い肩を内側に縮こませていた。

 木花についてはいささか汚れている白衣と頭に乗せた白帽子が珍妙で、本人の動作よりも服に目がいきやすい。服に着られているという表現が似つかわしいか。目の保護のためにかけている眼鏡は特別性で、彼女は常にこれをかけている。化粧をしない状態でも肌は若葉のように瑞々しく、数日前見習い研究員が彼女に美の秘訣を聞きに来ていた。ただいくら外見や研究物が(ほま)れ高いものであっても、研究者の根が褒められたものであるとは限らない。


「単刀直入に言わせてもらいます。一刻も早く空音さんと縁を切りなさい」


 高性能な機械が集密している小部屋に入り、開口一番木花はそう言い放った。語気に込められた思いは嘘偽りなく、冗談で言っているのではないのだと翼にもわかった。理解できたからこそ翼はしばらくだんまりを決め込み、木花が続けるだろう言葉を神妙な面持ちで待っている。


「空音さんの夢は魔法少女になること。あなたの願いは彼女の夢を応援すること。……四年前、あなたは私にこんな風に説明しましたよね。空音さんの夢が叶った今日、めでたく二人の契約は切られました。我々が彼女に関わる理由もなくなったのです」


 今から四年前、天涯孤独となった空音を翼は拾ってきた。拾い癖のない翼が女の子を連れて帰ってきたことは、当時驚きと一種の喜びをもって騒がれた。無関心な人物が他人に興味をもったということと、新しい実験材料を得られたということで。

 記憶回路に刻まれた四年間の思い出を走馬灯のように思い出し、翼は自分の気持ちを告げる。


「お前になくても私にはある。お前が匿ってくれなくても私達は生きていける」

「どの口が言うのですか」


 翼の瞳が沈み込む闇ならば、木花の緑の瞳は光を吸い込む暗き樹海だ。そして一度迷い込んできた者に道を誤らせる魔女の素質がある。事実多くの人間が彼女の研究にとりつかれ、空想では得られない甘い誘惑を欲していた。

 木花は白衣のポケットから小さなスイッチを取り出し、翼の前でぶらぶらと揺らす。そのスイッチを目にして翼が固まる様子さえも、木花には一興にすぎない。


「あなたの命は私の手の中にあります。逆に言えば、あなたは私がいなければ生きていけません。一度だけ聞きましょう。あなたを生み出したのは誰ですか?」

木花知流姫神(このはなちるひめ)だ」

「よろしい。もう一度質問しましょう。この研究所の責任者は誰ですか」

「木花知流姫神、お前だ」

「気持ちのよい解答をありがとうございます」


 質疑応答を終え、木花は背もたれのある黒椅子に座ってくるくると回り始める。彼女の手には翼に見せつける用の仰々しいスイッチが握られたままだ。お手玉をしたりサイコロを振るように手で慰めたりしていると、観念したと言わんばかりに翼が息を漏らした。


「……すまないな、言い過ぎた。これでもお前には感謝している。お前が私に期待していることも、理解しているつもりだ」

「はい、私はある目的であなたを作りました。機械は目的をもって初めて人の役に立つ。あなたが子供を保護してきたときは頭で壁をぶち抜きそうになるほど狂喜しましたよ。ですがこれから空音はあなたの枷になるでしょう。一人で立てない子供は捨ててしまいなさい」

「私が拾ってきたんだ、落とし前は私がつける。極力お前の手を借りるつもりはない。お前が期待していることについては、私がしたいと思ったことをしていくしかないだろう。役目の達成には空音が必要だ。彼女は枷ではない」

「ふむ、そこまで考えていたのですか。賢い子は好きです」


 笑顔のような真顔のようなはっきりしない笑顔を浮かべたまま、木花はスイッチを丁寧にポケットにしまった。


「よいでしょう、しばらくはあなた方のことを認めます。…… 温情を組んだ覚えはないんですが、どこで覚えたのでしょうね」


 おどけた調子で耳を閉じ、木花はその部屋に置いてある装置を起動させた。一瞬だけ青く発光すると、眩き光線が様々な機械を眠りから呼び覚まし、起動の準備を行わせる。人が一人横になれる寝台に大きなディスプレイが繋がっていた。木花はそれを操作し、翼に寝台に横になるよう促す。落ち着いた表情の翼が寝台に体を預けると、と様々なコードが伸びてきた。

 触手のごとくうねうねと動くコードは翼の体をまさぐり、異常がないか故障している部分はないか念入りに確認していく。


「そういえば木花、縁談の話はどうなったんだ?」


 寝台で寝ていた翼がすることもないので話を切り出すと、機械の前で不機嫌そうに木花は目を(すが)めた。


「私は誰になんと言われようと結婚しませんよ。必要性を感じませんからね。結婚とは性交と子供を作る行為をすることへの合意なのです。肉のぶつけ合いに興味はありません。子供がほしいなら試験管を使えばいい」

「お前は変わらないな……」

「あなたもいつかわかるようになりますよ。息苦しさや、価値観の押し付けっていうものをね」


 木花は手元の機械を愛撫し、満足してから翼へと視線を戻した。

 オゾンホールの拡大によって人間の居住地域が制限され、耕地面積も減ってしまい食糧の確保もしづらくなっている。食糧の内部生産を増やそうと、地下に栽培所や養殖所の設営計画が練られていたため即飢え死にすることはないが、数十年前のように一億人を養える力はない。


「翼さん、処理が重くなっていますね。一度シャットダウンさせてもいいですか?」

「ああ。頼む」


 メモリに記録を残し、機能を停止させる。翼は一時的に仮死状態に陥っているのか、人間偽装機能である呼吸や心音も止まっていた。寝台に横たわる姿は己の眠りを覚ましてくれる王子を探しているようであり、この世界に王子はいないという拒絶も感じられた。

 翼が眠っている間に木花は内部を念入りに調べていく。頭を調べるためにチューブが繋がったヘルメットを被せ、最後電子チップを翼のこめかみに埋め込んだ。

 作業中、木花の表情は真剣なものに変わり、一つの穴さえも見逃さない鋭い目つきとなって額に影を落とした。彼女の研究者としての一面はこれが表であり、研究のためならば悪魔にだって魂を売る。樹海に潜んだ獣は迷い込んできた者を食い殺し、骨だけを口から吐くのだ。


「A call to the hope, call to the hope. System call〝魔法少女九藍〟」


 液晶画面に藍色の光が迸った。悪夢を呼び込みそうな色のそれは数秒間煌々と発せられ、その光が過ぎ去ると画面の中に藍色の少女の姿が映る。


「All right. I swear to God. 〝Hope springs eternal.〟――九藍、ただ今馳せんじた」


 プログラムとは思えないほど藍色の少女は滑らかな口調で話し、藍色の少女は木花へ指示を仰ぐ。少女の前髪は真ん中でわけられ、綺麗なおでこを露出している。藍色の目はどうすればさぼれるのか考えているのか気だるそうだ。海にたゆたう藻のように、その目からは意志を感じられない。使用者の意のままに動く少女、という印象は生気 を彼女から奪っていった。


「被検体を一人送ります。識別番号は――」


 木花はAから始まる識別番号を厳かに告げた。


「〝黒い翼〟か。希望の翼か絶望の翼か見ものだ」


 口角を上げて鷹揚に九藍は笑う。凛としたアルトは、今にも歌を奏でたり詩を諳んじたりしそうなほど独特な雰囲気をまとっていた。演技慣れしていると換言するとわかりやすいだろうか。さしずめディスプレイという画面を通して九藍という人物の映像を流されている気分だ。生きていると錯覚しそうになる。


「希望の翼にするのが九藍さん、あなたのお仕事です。きりきり働いてください」

「人使いが荒いなあ。ロボットもボイコットできないかな」

「お戯れを。あなたの魂は人間のものです」

「体は人間、魂が機械な人物は……君にとって人間かな?」


 九藍の問いに木花は息を止める。近くで横たわる翼を一瞥し、ためていた息を吐き出した。


「……憎ましいほど弁が立ちますね。あなたなら頑固な人物を前にしても、上手く動けるでしょう。成功を祈っています」

「うぬ。報酬はいつもので」






 しばらくして翼は眠りから覚め、ゆったりと体を起こした。乱れた髪を整え、周囲に木花しかいないことを横目で確認し、手を開いたり握ったりする。足裏で地面を何度か蹴り上げたとき、誤作動で急停止したかのように、綺麗に削られた断面のように、すっぱりと動作を止める。


「なあ木花。何かおかしくないか? 感覚がいつもと違うんだが」

「頭部にチップを埋め込みました。その異物感でしょう」

「そうではなく、青色の光が――」


 言いかけて翼は首を振る。木花に感謝の意を告げると、一人そそくさと出口のそばまで歩いていった。扉が開くと足を止めて、木花に背を向けたまま口を開く。


「明日にはここを発つ。見送りはいらない」

「そんなに急がなくてもいいのに……」

「空音を向こうの生活に馴染ませたいんだ」

「……いってらっしゃい、翼さん。定期検査の日には戻って来てくださいね」


 空音の名前を出されては、翼を引き止めるのは難しい。木花は翼と空音の二人の絆を知っているからこそ、最低限しか口出しせず、二人の将来を見守ろうとしている。

 翼は無造作に手を上げ、そのまま研究所の奥――空音と二人で過ごしている部屋に戻っていった。




 ――魔法少女は空へ飛び立つ夢を見る。

 まどろみの中で目を閉じて耳をも塞ぎ、夢にだけ執着する。

 夢を見ているのは誰だろう。少女は己が夢を見ていることに気付かない。

 夢を信じているのは誰だろう。夢とは不安定で、追い続けなければ叶わない。

 ゆえに少女は空へ飛び立つ夢を見る。






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