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第十九話 後編

 就寝の時間になるまで会話は続く。雲雀の両親の年代が経験してきた約五十年の動乱を振り返ってみると、意外にも彼らは大事も小事も覚えておらず、「そんなことあったかな」と首をすくめた。天蓋の着想・建造については誰もが知っている。しかしそれまでとそれからの時代の流れがあやふやになっていた。無為に時間を過ごし、捨てている。外交という道を捨てて、小さな箱庭に閉じ込められた者たち。そんな彼らにとって大人への通過儀礼は唯一刺激的なことだ。しかも法を犯さずに誰にもあまり迷惑をかけずに自己満足を追い続けることができる。すでに社会のシステムは完成されていた。

 雲雀の部屋は整理されており小綺麗であった。部屋全体に漂っている甘い香りの正体はアロマで、洋服ダンスの上に置いてある。ネックレスやブレスレットというアクセサリーケースもその場所にあった。鏡は小さめなテーブルの上に行儀よく置かれていた。写真立てには集合写真が飾られ、その他にも学校入学や卒業といったイベントの写真が壁のボードに貼り付けられている。友達と写った写真は少なく、ほとんどが雲雀だけか家族と一緒だ。

 人の部屋を粗探しする趣味はないはずなのに、自然と目があちらこちらに動いてしまう。本棚の空いた空間には毛糸や布や紐がまとめられたカゴがあった。それらは尋常ではない量で、突発的ではなく習慣的に使われている形跡があった。


「なによ、あたしが裁縫やっちゃいけない?」


 挑発的な言葉を返され、翼は少しだけ微笑む。


「どこかに笑う要素あった?」

「いや、なんでもない」


 人間らしい表情を再現する余裕があるならば、もっと別のところに力を注ぐべきではなかったのかと翼はうそぶく。体の構造はまだしも、感情の揺れ幅まで人間を真似する必要はなかったんじゃないのか。気を抜いた途端、空音の顔が浮かんでくる。自身の感情がなんであるか確認する前に、右手に力がこもっていた。

 雲雀が風呂から上がってくる頃には消灯時間となり、街は息を殺した静けさに包まれていた。階段を上がる足音が鮮明に聞こえるのもそのせいだ。リズミカルな鼻歌は抑えられなかったらしい。旋律は雲雀の部屋の前で止まる。


「あー、いいお風呂だった」


 そう言いながら雲雀は湿った髪を背中に垂らし、ぼふんとベッドに腰がける。短パンからすらりと伸びる足は健康的な色をしており、適度に引き締まっている。雲雀が足を揺らすと筋肉が少しだけ浮かび上がった。蒸気に包まれ火照っている肢体は先程まで勝気でズケズケとしていた少女と段違いだ。

 ただ一瞥するつもりだった翼は言葉を失い、換気を終えて締めた窓の奥へと視線を投げつける。屋外は光を吸い込むブラックホールのように渦巻いている。


「あんたもどう?」

「水は処理するのが大変なんだ」

「そっか機械だったもんね。たまに忘れちゃうなー、あっはは。でも防水ぐらいあるでしょ?」

「防水機能があるからといって、物を風呂に落としたら壊れるだろ。普段は清掃時以外、水を浴びないことにしている」

「なんかトゲのある言い方ぁ。こういうときはまず喜んで、だけど実は……って繋げるもんよー?」


 雲雀は背伸びをすると、後ろに倒れ込んだ。ベッドに背中を預け、天井をぼんやり眺めている。

 部屋が生温く感じるのは雲雀が風呂上がりであるせいか。むわっとした空気は張り付き、四肢にまとわりつく。電気を消してしまうと、もうここが屋外なのか屋内なのかわからないほど気持ち悪い。自分は一体どこにいるのだろう。


「翼」


 雲雀の声が翼を引き止める。


「床じゃ痛いでしょ。特別にあたしが……ゆっ許してあげるから、同じベッドで寝ない? ……や、やっぱりダメ! 床で寝て、うん。クッション使っていいからこっち来ないでっ」


 なぜ雲雀が焦ったように早口で言うのか、翼には理解が追いつかなかった。ふとひらめいて、翼は雲雀のいる寝台に近寄り、雲雀の耳元へ声をかける。


「私が隣じゃ嫌か?」

「……っ!」


 正方形の物体が飛んできた。手で触れてみるとそれは柔らかく弾力感もある。枕かと翼は立ち上がり、ベッドから離れて床に座り込んだ。

 枕を投げてくる以外の反応はない。しばらくして規則的な寝息が聞こえてきた。

 翼は雲雀の寝顔を見守りながら、窓の奥を穴が空きそうなほど鋭く凝視する。透視能力はないので空を見ようとも真っ黒な傘が邪魔だ。もしも透視能力が搭載されていたとしたら、自分はどこまで物事を見抜けることができただろう。傘の――、障害物を隔てた先を知り得たか。同時に人間がただの肉塊にならなかったか。


「私が……お前に空を見せる」


 念じるように呟いた言葉は重く、鎖となって四肢に食い込む。


「雲雀。よい夢を。私はこれが夢ならば、早く覚めてほしいと思っている。簡単に覚めることができないから……夢なんだろうな」


 寝台で横になっている少女の頭を撫でて、翼は目を閉じようとする。視界の中で青い光がきらめいた。空中に描かれた線は部屋の中から窓の外へと続いている。身に覚えのない寒気を感じ、翼は肩を抱いた。眠りにつく前に着信が入り、すぐさま通信に応える。


「翼くん。今どこにいるの? 外泊していくなら許可はとった?」


 耳元までよく通る声の持ち主は金糸雀であった。彼女に言われて初めて翼は外泊のきまりを思い出した。忘れていたわけではない。データベースで検索を行うと数件ヒットしたのだ。ただ膨大な情報量の中に埋もれてしまい、存在を思い出すことができなかったのである。機械に「忘れる」などという愚行、あってはならない。


「すまない。今夜は雲雀の家に泊まっていく。申請は今やる。……面倒をかけたな」

「いいえ、ちゃんとやってくれるなら私は構わないけど……」


 言い淀んだ言葉の先に一人の少女の姿を思い描く。そうだ彼女は今、金糸雀のもとで寝起きしているのではないか。


「……空音がどうかしたのか?」

「言うべき、よね。知らない女の子と一緒にいたらしいの。親しげに"クー"って呼んでたらしいわ。翼くんの知り合い?」

「クー……か。聞いたことないな。飛行警備隊の誰かではないのか?」

「残念ながら私にも聞き覚えがなくて。念のため、監視カメラや空音ちゃんのデジタルコードで身元を割ってみましょうか?」


 雲雀が寝返りを打った。むずむずしたような吐息とともに、ベッドのスプリングがきしむ。彼女のむにゃむにゃという意味のない言語に紛れた言葉を耳にして、翼は一瞬思考停止に陥ったが、我に返って意識を通信へ傾けた。無言であった時間は金糸雀に思考時間と思われたのか、特に何も言及されなかった。


「そんなことしないでいい。私の知らない交友関係があっても、おかしくはないからな」


 通信速度は快適だというのに返事が遅い。矢も盾もたまらず直接会いに行って話したくなる気持ちをどうにかおしとどめ、視線をやや下に保つ。


「わかったわ。あなたが言うならこの件は保留にしておきましょう。何かあったらすぐに連絡するから、心配しないでちょうだい」

「ありがとう、助かる」

「ふふっ……先輩だもの、これぐらいはして当然かしら」


 機械に拾われない音量で再び感謝を述べて、通信を切る。息を入れずに外出許可を本部に求めて、ようやく翼も眠りにつく準備を整えられた。雲雀の気持ちよさそうな寝息に誘われながら、就眠モードに移行させる。意識が途切れる寸前、雲雀の何度目かの寝返りを認識した。




 朝は皆に等しく訪れるが、その時刻は人によって様々だ。翼が定刻通りに起きた一方で、雲雀は休日だからと名残惜しくベッドに貼りついている。早起きは三文の徳だと言う翼に「一文じゃやだ。せめてお札一枚ぐらいの価値は欲しい」などとだだをこね、結局腹の虫がなるまでうつつと夢を行き来していた。


「朝は弱いのよねー。みんなの時計が狂って、一時間ぐらい遅れたりしないかなー」

「そうだな。少なくともお前の腹時計は狂っているんじゃないか」


 雲雀の腹の虫とともに時計を見やると午前十時。遅めの朝食か早めの昼食か、意見が分かれる微妙な頃合だ。


「ご、午前十時はおやつの時間!」

「おやつという名のただの間食だろう。呼び方を変えたって間食であることに変わりない」

「あーあーナニモキコエマセーン」


 翼にネチネチ言われながらも、食欲にまかせて雲雀は冷蔵庫にあったタルトを頬張った。一個目をペロリとたいらげ二個目に手を伸ばそうとしたときに、雲雀は己の腹を見下ろした。しばらく難しい顔をして考え込み、よしと笑顔を作って二個目三個目を胃の中に放り投げた。


「動けばいいのよ! 動けば!」


 かつてそう言い放った猛者達が、どれぐらいの割合で後日嘆いたのかは二人の知るところではない。

 昼に近付き天蓋の下は明るくなっていく。変わらず太陽の姿はどこにもない。雲が隠しているわけでもないのに天上にあるはずのものがない。雲雀達のように忘れてしまえば、胸の痛みを感じることもなかったのか。

 昼食前に翼が帰ると言い出し、見送りのために雲雀も外に出る。雲雀は足元を見下ろしながらこんこんと靴で地面をつつくと、眉を寄せて翼に向き直る。


「ねぇ。一秒先だって未来じゃん? だったら未来なんて考えても意味なくない?」

「お前の間食も未来を考えていない行為だったな」

「うん、だってお菓子美味しんだもん。食べている時間が至福じゃん? 体を動かすのも楽しいし、いいことだらけっ。今を楽しめば未来も楽しくなれるって! うん、そうに違いない!」


 嫌味にも雲雀は笑って返し(彼女のことだから気付いていないだけかもしれないが)、胸を張ってふんぞり返る。大地に根を伸ばしてそびえ立つ大樹のように安定した足元だ。広げる枝は他へ興味を向けて成長している証。良い環境で生きてきたことが傍目にもわかる。


「……言わないとわからないだろうから言わせてもらう。四年前は未来だった。もう未来ではない。楽しかったよ雲雀。このままよい夢を見続けていてくれ」


 不安げな雲雀に、翼は大丈夫だと語る。


「夢を夢で終わらせないために、この夢から覚めるんだ――」






次話より五人の思わくが一点に収束していきます。

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