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第十四話

 一週間も経つと学校に馴染めたのか、翼は持ち前の要領のよさを活かして様々な者と交流するようになっていた。

 潜入調査も後半戦である一週間を残し、そろそろ翼が目的人物への接近を考えていた土曜日の放課後。

 高校で修めるべき範囲が広がったため、この高校は土曜日の午前中も授業を行う。授業終了後に友達と食事に出かける生徒もいれば、手早く昼食を食べて部活に励む生徒もいた。

 賑わう教室の中でぼんやりと遠くを見ている翼に、一人の男子生徒が話しかけてくる。


「空野君……君に聞きたいことがあるんだけど、時間いいかな?」


 彼の声を震わせているのは、翼に声をかける勇気と緊張であった。これから何を聞かれるのか察した翼は彼の心の揺れを感じ、「いいよ」と言って立ち上がった。翼が立ち上がるのと同時に男子生徒はほっと息を吐く。その吐息が「安心」を示すたぐいのものであるとこの一週間で学んだ翼は、向こうから話し始めるのを静かに待っていた。

 しばらく歩き、たどり着いたのは学校の屋上であった。普段は鍵がかかっているはずなのに、なぜか今日は開いている。鍵穴から青色の光が漏れているのに気付き、翼はすっと目を細めた。

 屋上へと続く扉は外と中を断絶しているかのように重く、特に鍛えてもいない男子生徒の力では開けるまでに時間がかかりそうだった。


「どけ。私がやる」


 翼が男子生徒に代わって扉を押すと、甲高い声を上げながらゆっくりと開いた。きいきいという鳴き声は軋む音にも鳥の声にも聞こえ、聞いている者の心をざわつかせる。

 屋上を駆け抜ける風はなく、二人を迎える空もなく。屋上としての価値はそばに人がいないということだけに留められた。扉を閉めて大声を出さなければ、二人の話が漏れることはないだろう。学校のいたるところに設置されている監視カメラや翼の録音装置に会話が記録されたとしても、この学校の生徒に聞かれることはない。


「空野君は、僕のこと覚えてる?」

地原ちはらだろう? 席は教卓から数えて二列目の廊下側。たまに授業中に居眠りしそうになり、そのたびに指のツボを刺激している。身長は172cm。もう少し伸びないだろうかと牛乳を飲んでいる。体重は――」

「うわああああああ! そんなことまで覚えてなくていいからっ。真顔で淡々と読み上げるのやめてくれない!?」

「覚えているかと訊いてきたのはお前だ。私に"覚えていることを話せ"と言ったんじゃないのか?」


 互いの認識の差がずれを生む。

 地原は溜息をついたあと、本題に入ると語気を強めた。


「――この街は魔法少女に守られている」


 詩をそらんじるような切り出しで、地原は話を進める。


「まあこんなこと誰でも知ってるよね。魔法少女について詳しい君にとっては、今更感が強いかな。それで、ここからが僕の言いたいこと。この街には……飛行警備隊以外の魔法少女がいるんだ」


 翼は地原の言葉に興味深く耳を傾けていた。魔法にかかって引きずられているかのように、自分でも恐ろしく感じるほど彼の言葉に反論すべきあらを見つけ出せなかった。

 今日も空を包む青色の閃光が視界の端を駆け抜けていく。


「そもそもなぜ飛行警備隊が"魔法少女"と呼ばれているのか、空野君は考えたことある?」

「空を飛ぶ姿が魔法のようだったからだと教わったな」


 天蓋が建設された当初、飛行警備隊という組織は存在していなかった。人間が天蓋を壊すはずがない……という幻想が崩れたある日、飛行警備隊通称魔法少女が水面下で結成され、少女用の飛行装備が開発された。天蓋の建設が2030年、飛行警備隊の結成が2040年前後であったと翼のデータベースに登録されている。


「人が安全に空を飛べるようになったのも最近だから、魔法に見えても仕方ないね。で、僕は飛行警備隊が"魔法少女"と呼ばれているのは、本物の魔法少女を隠すためだと思ってるんだ。飛行警備隊よりもこの街の力になっているのが本物の魔法少女。情報規制されているけれど、僕は聞いたことがある。この街は他の天蓋よりも居心地がいい――なぜかというと未来視のできる魔法使いがこの街をスーパーコンピュータのごとく計測し導いているからだって。確かにいくつかの事件は起きているけれど、治安のよさもこの魔法少女による力なんだよ」

「――この街は魔法少女に守られている。そうしてこの結論に至るわけか」


 地原は頷き、黒い天蓋の向こうにあるはずの空を見ようと目を凝らしていた。


「その"本物の魔法少女"とやらを探るために、ハッキングを仕掛けたのか」


 翼の思いがけない一言に地原は一瞬目の色を変えるが、瞬きをした後にはいだ表情に戻っていた。それが無言の肯定であることは明らかだった。


「未来視の魔法少女……。信じがたい話だが……一級の私にさえ秘匿されている情報があってもおかしくはない」


 人類の行く末を占う魔法少女に出会えば、将来への憂いは消えるのだろうか。どのようにして空音が成長していくのかも知ることができるのだろうか。最善を知ることができればこうして無限に悩むこともなくなるに違いない。無駄な思考時間を減らせば、その時間を別のことに費やせる。


「……あっ」


 ふと地原が驚きの声を上げた。


「校庭に小さい女の子がいる。誰かを待っているのかな」

「女の子……?」


 地原が指差す方向に、白い髪を背中まで伸ばしている女の子がいた。他の高校生と比べるに身長は低く体格も小さく、この学校から出てくる誰かを待っているように見えた。

 その女の子が誰であるのか、翼には一目でわかった。


「地原。話はこれで終わりか? 悪いが迎えが来た」

「迎えって、校門のところにいる子かな? 妹さん?」

「妹――まあ家族みたいな奴だ」






「ツぅぅぅぅぅぅちゃぁぁぁぁぁぁん!」


 教室で帰宅の準備をし、急いで外に出ると、空音が翼に勢いよくタックルをかました。翼はその突進してまで伝えたい愛情を体で受け止めて、待たせたなと空音の頭を優しく撫でた。すると男子生徒姿の翼の腕の中で、空音は甘えた声を漏らした。

 二人の仲睦まじい光景に一瞬立ち止まった者もいたが、間違った方向に勘繰られるほど退廃的な雰囲気ではなかったため、仲の良い兄妹だなと素通りしていく。


「ツーちゃん、お勉強楽しかった?」

「ああ、楽しかったよ」

「今日のお昼ご飯はカナが作ってくれるんだって! メニューは何かなあ……ふへぇ」

「こんにちは翼くん。私のこと気付かなかったでしょう」


 空音の頭を撫でていると、金糸雀が横から顔を出してきた。空音しか眼中になかった翼は今ここで金糸雀の存在を把握する。


「カナと一緒のお散歩楽しかったぽよ」

「私がついていれば安心よね?」


 どうやら金糸雀が空音をこの学校まで案内してきたようだ。散歩という気分転換をする余裕を取り戻せたのか、金糸雀の顔色は以前よりも回復している。翼は自分が金糸雀の体調を心配していることに気付き、行方のない感情を胸に押し込んで言葉を紡いだ。


「確かにお前がいてくれれば安心だな。空音のことに対しては全面的に信頼しているよ」

「えっ……。ふふ、翼くんの手練手管は天下一品ね。でも口説く相手は考えた方がいいかしら?」


 冗談でしょうと軽く言う金糸雀の頬にはほんのりと朱がさしていた。その頬の赤らみと艶やかな金色の髪は彼女の女性らしさを際立たせ、甘い色香を放つ。穏やかな印象を与える垂れ目が少しだけ細められ、翼を真っ直ぐ見つめていた。


「口説いてはいない。私はいつもこんな感じだ」

「流れるように口説き言葉をささやけるなんて、翼くんは相当な手練ね。私にもご教授してくれないかしら」


 冗談を交わし、二人は以前の雰囲気を取り戻すことができていた。触れてはならない部分を冗談という虚偽で固める。冗談であれば真剣に取り合わなくてもいい。しかしその冗談の中に本音を織り交ぜるのが二人の会話だった。


木花このはなの言うように名は体を表すというならば、金糸雀は声で私を魅了するんだろうな」


 和やかであった空気が一変する。

 空気の変化に気付き、翼は自分の放った言葉がいかに誤解を招くものであったかを理解して、髪をかきあげ視線を泳がせる。

 空音は二人の話を理解できないのか、首を傾げて翼と金糸雀の表情を交互に見比べていた。


「……調子に乗りすぎた。今のなし。消せ、忘れろ。一生思い出すな」

「いいえ、覚えておくわ。"大人にならない"あなたの言葉はどんな言葉よりも響くもの」


 金糸雀が浮かべたのは、翼が彼女に会ってから見た中で、最も穏やかな笑顔だった。


「でね、翼くん。木花ってもしかして――」

「ツーちゃん、ツーちゃん、後ろに誰か来てるよー? お友達ー?」


 振り返ると、一人の男子生徒が翼のところに向かって走ってきていた。彼は先ほど屋上で話した地原という少年で、やや肩を上下させてから口を開いた。


「空野君、一つ言い忘れてたんだ……ちょっといい?」


 地原の目配せを受けて、翼は空音と金糸雀から離れた。特に空音には聞こえないよう、慎重に立ち位置を選んだ。地原と話す前に空音を一瞥してみると、その幼い顔には怯えと震えの色があった。


「……妹さんの前で話す内容じゃないけど、この街で騒がれている誘拐事件を知ってるかな。誘拐されるのはほとんど子供で、しかも家庭に何かしら問題があったっていう事件。僕、偶然その犯人と出くわしたことがあるんだ。屋上で話した"魔法少女"についてもその人が教えてくれたんだよ」

「……なぜ、その話を私にする?」

「伝言を頼まれたんだ。夏の始まりに転校してくる人に伝えてって。多分、君のことであってるよね?」


 翼の脳裏に九藍の姿がよぎる。どこか人を馬鹿にした態度、自分の行為を正当化させていること、そしてなによりも一週間前に逃がしてしまったことを悔い、拳に力を込めた。


「その犯人にいつ言われたか覚えているか? だいたいでいい」

「うーん……。高校に入学したあたりだから、今年の四月ぐらい……? たまたま帰りが遅くなった日だったと思う」

「――たまたまではなかったら?」

「うん? 空野君、引っかかることでもあった?」

「もしもその出会いが偶然ではなかったとしたら、お前はどうする」

「犯人との出会いが必然だったって? あはははは、小説の読みすぎだよ。そんなことあるわけない」


 地原に一笑にされても、翼の頭には一つの推論が組みあがりつつあった。その推論を裏付ける確証はない。しかし胸騒ぎはやまず、考えるだけで心が黒く染まっていく気がした。


「だけど……何度も偶然を必然にさせていけたら、僕も空を飛べるのかな」


 地原の焦げ茶の瞳が空を覆う天蓋を射抜いていた。彼の熱い視線は天蓋まで届かなくても、隣にいた翼には届く。やがて翼も視線を上げて、空に向かって手を伸ばした。


「空野君には"空"っていう字があるんだね。誰かの苗字に使われていく限り、僕らは空を忘れずにいるんだろうね」

「お前は空を飛びたいのか」

「少しね。僕が女だったら魔法少女に立候補したよ。……あ、ここでいう魔法少女は飛行警備隊のことだからね。現実から逃げたくなったとき、空を飛ぶ妄想をするんだ。地面から足を離している間は誰にも僕を捕まえられない。誰も僕に関わろうとしない」


 地原の最後の一言で翼が何か思いついたように目を細めていたら、白い髪を揺らした空音がいつとなく地原の前にまでやってきていた。翼が驚いている間にも白き少女の宣告は開始されている。


「おにーちゃんも空が好きぽよ?」

「"も"ってことは君も?」

「うんっ。空音ね、空が好きなの!」

「そうだよね、空っていいもんね。天蓋がなければいつでも本物の空を見られ――」

「地原っ!」


 翼が突然上げた大声は地割りのように大きな衝撃をもって地原と空音を襲った。地原は続けようとしていた言葉を飲み込み、翼と数年連れ添ってきた空音も驚きで肩を縮こませる。


「天蓋がなければいいだなんて一生言うな! お前ら人間は天蓋がなければ生きていけないんだぞ、わかっているのか!? ……空音、帰ろう」


 乱暴に空音の手をつかみ、翼は地原に背を向ける。

 天蓋にぼつぽつぽちゃんと雨がぶつかり始めた。小さな音ではあったが翼はその音を拾い上げて上空を仰ぐ。目に飛び込んできたものは黒い傘・天蓋であった。





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