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1942シチリア海峡海戦3

 シチリア島沖合を南下する重巡洋艦ボルツァーノの艦橋で、マリーオ=ボンディーノ大佐は苦虫を噛み潰したような顔で海図を睨みつけていた。海図上には、先ほど通信を送ってきた駆逐艦アルティリエーレの現在位置が書き込まれていた。

 不安そうな顔になった戦隊参謀のルティーニ中佐は、険しい様子のボンディーノ大佐を見つめていた。アルティリエーレが敵潜水艦らしき目標を探知したとの報告が入ってからずっと、ボンディーノ大佐は黙りこくって海図を見つめていた。



 アルティリエーレは、ボルツァーノを旗艦とする護衛艦隊の中でも有力な戦闘艦だった。今次大戦の開戦に前後して就役を開始したソルダディ級艦隊型駆逐艦の2番艦として建造された艦だったが、就役直後から相次いで激戦に投入され、そのたびに大きな損傷を受けながらも生き残ってきたから、艦歴は短いものの、歴戦の殊勲艦といっても良かった。

 就役した直後は他の同級艦同様に、ソルダディ級初期建造艦の艦型を保っていたのだが、相次ぐ損傷復旧工事の際に実用試験を兼ねた最新装備の増設や、後期建造艦に取り入れられた改良点の折込などが、段階的に実施されたものだから、現在ではソルダディ級の他の艦とは全く異なる異様な姿になっていた。

 ソルダディ級駆逐艦は、基準排水量で二千トン近い大型駆逐艦であったから、相次ぐ改装工事に対応出来るだけの余力があったのだろう。

 先のマルタ島沖海戦にもアルティリエーレは参戦しており、同海戦後の損傷復旧工事の際に、最新の聴音機を搭載していた。おそらく、敵潜水艦らしき目標を探知できたのも、その最新機材の性能が高かったせいだろう。

 もしも、アルティリエーレの位置に護衛艦隊の他艦が存在していたとしても、敵潜水艦を探知することは出来なかったのではないのか。


 最近では、敵潜水艦の静粛性が大きく向上しているようだった。というよりも、静粛性の高い新造艦が新たに戦線に投入されたと考えるべきなのだろう。おそらく投入されたのは、日本海軍の潜水艦隊だった。

 ルティーニ中佐も資料を確認しただけだが、日本海軍の潜水艦と英国海軍のそれとでは静粛性に違いがあるらしい。ただし、日本と英国で潜水艦建造能力に大きな差があるとは思えなかった。もちろん、独伊との技術格差もさほど大きくはないはずだ。

 違いが出来るとすれば、日本海軍の場合は、静粛性の向上に使用される緩衝材などに、東南アジア産の品質の良い天然ゴムを豊富に使用できるからではないのか、イタリア海軍ではそのように推測されていた。

 いずれにせよ、現在の護衛戦隊で遠距離から海中深く潜航した潜水艦を音響探知することが可能なのは、アルティリエーレだけだった。新鋭のアニモソ級護衛駆逐艦は、比較的高性能の聴音機を搭載していたが、他の艦は簡易なセンシング能力しか持たなかった。



 航空巡洋艦として改装されたボルツァーノを旗艦とする護衛艦隊は、ナポリに在泊していた戦闘艦をかき集めてきたような、雑多な編成をしていた。ボルツァーノを中核として、これに数隻のアニモソ級護衛駆逐艦を加えたのが、本来の編成のはずだったが、実際には相次ぐ戦闘による損害や新造艦就役の遅れなどから、同級艦ばかりで護衛艦隊を編成することが出来なかったようだった。

 旗艦であるボルツァーノは、十年程前に就役した高速重巡洋艦だったが、現在では多数の水上戦闘機を運用する航空巡洋艦として改装されていた。改装の際に最新の大型対空レーダーも装備していたから、対空索敵能力は艦隊でも有数のものだった。

 艦体の中で、基準排水量で一万トンを優に超えるボルツァーノに次ぐ大型艦は、基準排水量五千トン弱の軽巡洋艦バリだった。この次がアルティリエーレだったから、この艦隊の中ではバリはかなりの大型艦といっても良かった。

 ただし、戦力価値はさほど高くはなかった。


 軽巡洋艦バリは、元々はドイツ海軍の艦艇だった。第一次欧州大戦において敗北した当時のドイツ帝国が、イタリア王国への賠償艦として引き渡した内の一隻だった。

 第一次欧州大戦中はドイツ帝国海軍艦艇として運用されていたが、更に元をたどればロシア帝国向けに建造されていたものを、大戦の勃発に伴い接収していたものだった。ロシア帝国海軍が重要視していたためか、機雷戦能力が高く、120個もの機雷を搭載することが出来た。当時としては有力な巡洋艦だったのではないのか。


 そのような複雑な経緯を辿って、現在のようにイタリア海軍艦艇となったものだから、同型艦は存在しなかった。ドイツ帝国海軍に接収された当時は同型艦があったようだが、第一次欧州大戦中に喪失していた。

 ただ一隻となった賠償軽巡洋艦を取得したイタリア海軍は、大戦によって大きく戦力を低減させていたから、バリと命名された軽巡洋艦をドイツ帝国海軍時代から大きく改装することとなしにそのまま艦隊に編入させていた。

 だが、イタリア海軍が取得してからでも、すでに20年以上が経過していた。旧式戦艦群などとは違って、徹底した改装なども実施されなかったから、現在のバリの戦力価値は大きく低下していた。

 缶の一部と煙突を撤去し、陳腐化した主砲も幾つか撤去した代わりに高角砲を増設したバリは、巡洋艦というよりもは警備艦として運用されていた。

 その特徴であった機雷格納庫には、現在では対潜用の爆雷を搭載していたが、対潜戦に必要不可欠な聴音機は簡易なものが搭載されているだけだから、艦隊でも有力な対潜攻撃能力も宝の持ち腐れとなっているようだった。


 護衛艦隊に所属する艦で第一次欧州大戦を生き延びた旧式艦は、軽巡洋艦バリだけではなかった。二隻のアニモソ級護衛駆逐艦と並んで航行している水雷艇オーダチェも建造次期はバリと大差なかった。

 ある意味において、オーダチェはバリ以上に複雑な経緯を持つ艦艇だった。戦利艦であったバリとは違って、就役時からイタリア海軍の艦隊籍にあったが、元々は現在交戦中の相手である日本海軍が、イギリスに発注した駆逐艦だったからだ。

 ルティーニ中佐も詳しくは知らないが、性能に不満足であった当時の日本海軍が、大戦勃発に伴う艦隊増強を図っていたイタリア海軍に売却したものであるらしい。

 日本海軍で就役した準同型艦といえる艦もあったらしいが、新鋭駆逐艦を続々と就役させている日本海軍では、とうの昔に退役しているのではないのか。

 ただし、現在のオーダチェは、長い就役期間の間に何度か改装を受けた上に類別変更されているから、駆逐艦として運用していたらしい日本海軍の準同型艦とはかけ離れた姿となっていたはずだ。

 今次大戦勃発に前後してオーダチェは、水雷艇という艦種にも関わらず、対艦兵装の魚雷発射管を撤去する代わりに、実質上は両用砲である主砲や機銃の増設を行って、対空護衛戦闘に特化した艦艇に改装されていた。

 対空戦闘能力だけに限れば、新鋭の護衛駆逐艦であるアニモソ級よりも上かもしれなかった。


 急遽編入された二隻の旧式艦は、最大速力や運動特性などの諸元が他艦と全く異なることから、戦隊司令部唯一の佐官参謀であるルティーニ中佐や旗艦艦長と戦隊司令官を兼任するボンディーノ大佐の頭を悩ませていた。

 二隻のアニモソ級護衛駆逐艦も就役したばかりで、乗員の練度もさほど高くはなかったから、頼りになるのは旗艦であるボルツァーノを除けば、歴戦艦であるアルティリエーレだけかもしれなかった。



 護衛艦隊に負けず劣らずに、護衛される側の輸送船団の顔ぶれも多彩なものだった。弾薬を満載した中型貨物船は喫水線を大きく沈めて四苦八苦しながら波濤を苦労して乗り越えていたし、旧式で大型のタンカーは船団についていくのがやっとという様子だった。

 その中には、ルティーニ中佐には懐かしく思える船型の客船もあった。ただし、中佐の記憶にある船と同一というわけではなく、その同型船だった。正確にはイタリア海軍が取得して、改装していた空母ファルコの原形ともいる一番船が、船団旗艦として所属していたのだ。

 昨年のマダパン岬沖海戦で撃沈されたファルコは、空母とは言いつつも実際にはフロート付きの水上機を運用する水上機母艦だった。その搭載機は、艦隊防空を実施するための水上戦闘機アストーレだったから、半ば景気づけに空母と呼称されていただけの話だった。

 その一番船は、元々は地中海に煌めくように白く塗装されていたが、戦時の兵員輸送に駆り出された現在では、撃沈されたファルコと同じようにくすんだ灰褐色で塗装されて惨めな姿を晒していた。


 護衛艦隊ばかりではなく、輸送船団の諸元もばらばらなものだから、船団の陣形は乱れがちになっていた。船団指揮官にも有力な権限が与えられていないのか、それとも有効な通信手段が無いせいなのかはよくわからないが、夜の間に乱れた船団は、朝になると視界内の広い範囲に散らばっていたのがわかっていた。

 だから護衛艦隊は、拡散してしまった船団を再集合させるために、主隊から駆逐艦の半数を分離していた。


 実は、アルティリエーレが敵潜水艦を探知したのも、偶然によるものだった。現在アルティリエーレは、夜闇の中を航行するうちに、船団内の定位置から大きくはずれてしまった一隻の貨物船を支援するために船団前方に進出していた。

 貨物船は最近建造された高速型のものだったから、夜の間に知らず知らずに船団を追い越してしまっていたらしい。

 だが、アルティリエーレは貨物船との邂逅を中止して、現在位置に急行していた。船団近くの海域から不審な電波発振が確認されたからだ。これが船団を発見した敵艦から発振されたものである可能性は高かった。

 だから、偶然にも近くを航行していたアルティリエーレを急遽向かわせていたのだ。放置された形の貨物船は、危険だが単独で船団に合流させるしか無かった。



 ルティーニ中佐は、ため息を付きながら船団の配置状況を確認していた。だが、何度確認しても状況は同じだった。夜明けを迎えたばかりの輸送船団は、ある程度のばらつきをもって散開しながら航行していた。

 ここから再び緻密な隊形を作り上げながら、護衛艦隊を周囲に配置するにはかなりの時間がかかるのではないのか。

 海軍と違って、民間船を徴用した輸送船を操船する船員たちは、緻密な陣形を保ったまま航行することに慣れていなかったからだ。前後の輸送船との相対距離を明確に確認できる昼間ならばともかく、急遽集められた船団では、夜間の編隊航行は難しいようだった。

 ―――やはり長距離の輸送船団を効率よく航行させるには、船団を構成する輸送船に対して、ある程度の諸元を一致させる必要があるということか。

 ルティーニ中佐はそう考えてから、首を振った。今考えてもしかたのないことだったからだ。

 こんなに早く敵潜水艦に遭遇するとは思わなかったものだから、ルティーニ中佐も動揺してしまっているようだった。


 当初の予想では、敵潜水艦の哨戒ラインと接触するのは、あと半日ほど先のことだと考えられていた。ここまでシチリア島に近い海域まで日本海軍の潜水艦が進出しているとは思っていなかった。この海域では、シチリア島から出撃する味方の哨戒機に発見される可能性も少なくないからだ。

 だから、双方の制空権が均衡するため、味方哨戒機が飛行することの難しいマルタ島周辺海域に、敵潜水艦は潜んでいると考えていたのだ。

 船団の航行計画もこの予想に従って構築されたものだった。もっとも危険が予想されるマルタ島周辺海域の航行時に、ちょうど船団の発見が難しいであろう夜間となるように船団の航行速度を調整していたのだ。


 しかし、予想に反して、敵潜水艦は哨戒範囲が狭まる夜間に、逆に敵中深く進出していたようだった。昼間は哨戒機の姿を見ることも少なくないから、敵潜水艦にとって危険な海域ではあるが、それだけに枢軸軍側に与える影響もすくなくなかった。

 この海域は、シチリア島と北アフリカ側のボン岬半島に挟まれた狭い海域だった。だから少数の潜水艦で構成された哨戒線であっても、船団を発見できる可能性は大きかった。

 ここからさきは、パンテッレリーア島を超えてしまえば海域が広がってしまうから、船団側が欺瞞航路を取ることも容易だった。

 だから、船団の発見を重視した日本海軍の潜水艦がここまで進出してきたのだろう。



 ふと気が付くと、何らかの結論が出たのか、ボンディーノ大佐が顔を上げていた。相変わらずのしかめっ面をルティーニ中佐に向けると、大佐は素早く質問を重ねた。

 だが、ルティーニ中佐は、手元の資料をほとんど確認せずにすらすらと答えていた。大半の質問は予想されたものだったからだ。それらは現在の船団の間隔や、アルティリエーレの搭載物資定数の確認だった。

 おそらくボンディーノ大佐はそれらの数値の大半を記憶しているはずだ。その上で今後の行動計画を策定したのだが、外見に似合わない慎重な性格が、最後の最後で実際の数値を確認するという行動に至ったのだろう。

 ルティーニ中佐はそう考えていたのだが、最後の質問は、中佐にも想定外だった。

「先ほど射出したアストーレの残燃料の飛行時間はどのくらいになる……想定速度は巡航速度とする」

 慌ててルティーニ中佐はアストーレの諸元が記載された書類をひっくり返していた。戦隊を構成する各艦の諸元がばらばらであることに加えて、航空巡洋艦を旗艦としたにも関わらず、専任の航空参謀は配属されなかったから、参謀長のルティーニ中佐にかかる負担は大きかった。


 ようやくのことで探し当てたアストーレの諸元表を睨みつけながら、ルティーニ中佐は素早く計算した。

「巡航速度を維持したと仮定しますと……あと5時間ほどかと思われます」

 まっすぐにボンディーノ大佐を見つめながらいうと、大佐は満足そうに頷きながらいった。

「アルティリエーレの艦長は誰だったかな」

「ピオキーノ中佐です。士官学校では自分の二期下だったはずです」

 ボンディーノ大佐は頷きながら小声で言い始めた。

「航空戦の指揮をとったことは……あるはずがないか。まあいいか。アルティリエーレ及び飛行中のアストーレに下命。アルティリエーレは敵潜水艦の制圧を続行、撃沈が確認された場合のみ戦隊に復帰、上空を哨戒中のアストーレはこれを支援する。なおアストーレの指揮はピオキーノ中佐に一任するが、ボルツァーノに帰艦不可能の際は、搭乗員はアルティリエーレで回収、またその場合は機体の破棄を認める」

 ルティーニ中佐は、命令を書き取りながら、艦橋伝令から通信室に伝えようとした。

 だが、中佐が電文を書き終えるよりも前に、艦橋に慌ただしく通信室からの伝令が飛び込んできた。伝令は、焦った様子で、ボンディーノ大佐に電文用紙を押し付けるようにして渡した。


 呆気にとられた顔で電文用紙を受け取ったボンディーノ大佐だったが、見る見るうちに不機嫌そうな顔になっていた。

「只今の命令は取り消し……いや、アルティリエーレは別命あるまで敵潜制圧を続行、アストーレの支援もそのまま、ただし燃料切れになる前に必ず帰艦せよ」

 わけも分からずに慌てて電文用紙を書き直し始めたルティーニ中佐の耳に、不機嫌そうなボンディーノ大佐の呟く声が聞こえてきた。

「エル・アゲイラだと……艦隊司令部は何を考えているんだ」

 思わず顔を上げてしまったルティーニ中佐は、呆けたような表情になって、ボンディーノ大佐を見つめていた。

ボルツァーノ級航空重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cabolzano.html

空母ファルコの設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvfalco.html

レッジアーネ Re2000、Re2000Pの設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/re2000.html

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