1943シチリア上陸戦36
―――これがフランス艦隊が出撃した本当の理由だったのか……
笠原大尉は、満身創痍と言った様子のキング・ジョージ5世の艦橋で、バレアレス諸島周辺の哨戒を再開していた二式飛行艇から送られた情報が転記された電文用紙を眺めながらぼんやりとそう考えていた。
二式飛行艇からアレクサンドリアの遣欧艦隊司令部に電文が送信されたのはずっと前の事だったようだが、遣欧艦隊の指揮系統から遥かに外れて、しかもシチリア島周辺海域まで戻って、共同作戦をとっているわけでもないK部隊に対してはH部隊司令部を通して転送されるのに時間がかかっていたようだ。
だから、その電文用紙の内容は既に新鮮味を失って、単なる過去の情報に過ぎなくなっていた。
電文用紙には、日英の水上砲戦部隊と交戦して撤退していた2群のフランス艦隊に続く第3の艦隊が発見されたことが記載されていた。
ただし、前者2群と第3の艦隊には大きな相違点があった。前者が新鋭戦艦それぞれ2隻を中核に、巡洋艦群や大型駆逐艦で補強した高速水上砲戦部隊であったのに対して、第3の艦隊で最大の艦艇は2隻の重巡洋艦だったのだ。
個艦の識別は出来なかったが、二式飛行艇からの観測によれば重巡洋艦はいずれもデュケーヌ級であるらしい。
デュケーヌ級は就役時期はシュフラン級重巡洋艦とそれほど変わらずに全体的な艤装も類似していたが、シュフラン級以降のフランス海軍巡洋艦が仮想敵であるイタリア海軍との砲撃戦を前提として重装甲化が推し進められていたのに対して、軍縮条約型巡洋艦の一番手として建造されたデュケーヌ級は弾片防御程度の弱装甲しか無いらしい。
速力の点ではシュフラン級をも上回るという情報もあったが、日英の新鋭戦艦、巡洋艦群との砲撃戦を想定すれば弱装甲のデュケーヌ級を艦隊に編入するのは危険度が高いと判断したのではないのか。
だが、第3の艦隊を構成する艦艇を見ると2隻のデュケーヌ級重巡洋艦は貴重な護衛戦力としても期待されていたのかもしれなかった。この艦隊には多数の輸送艦らしきものが確認されていたからだ。
全体としてみれば、高速の大型戦闘艦ばかりで構成されていた2群の既報の艦隊と比べて、第3の艦隊は雑多な艦艇で構成されているようだった。
あるいは、急遽ヴィシー・フランス本国で艦隊を編成できる艦艇をかき集めた結果、日英の戦艦群に対抗できる高速艦隊をまず編成して、残りの艦艇で第3の艦隊を構築したのかも知れなかった。
第3の艦隊には、デュケーヌ級重巡洋艦以外にも3隻の巡洋艦が含まれていたが、それらは全て同型艦でもなければ艦型も大きく異なるものだった。ただし、この3隻には共通する一点があった。いずれも戦闘区画以外に、大きな容積の空間があったのだ。
戦前の艦隊編制では、この内2隻は同じ戦隊に所属していたらしいから、艦の性能に隔たりがあったとしても現在では3隻で1個戦隊を構成しているのかも知れなかった。
この内の1隻は、練習巡洋艦として士官候補生の外洋航行訓練などに使用するジャンヌ・ダルクだった。
日本海軍でも旧式の装甲巡洋艦転用の練習艦を代替するために香取型巡洋艦を建造していたが、現在ではその大きな収容人数や設備を請われて船団護衛部隊の旗艦に転用されていた。おそらくフランス海軍で唯一の練習巡洋艦であるジャンヌ・ダルクも同じように転用されていたのだろう。
ただし、その使用目的は護衛部隊の旗艦というよりも、客船のような多層式のプロムナードデッキに象徴される本来士官候補生が乗り込む為の収容人数の多さを期待されてのものになっているのではないのか。
残りの2隻も事情は同じはずだった。ただし、こちらの場合は本来は人間を収容するための区画ではなかった。この2隻、ラ・トゥール・ドーブルニュ、エミール・ベルタンは艤装方針などに隔たりはあるものの、共に高速敷設艦として建造された艦だった。
こうした高速敷設艦は、敵艦艇の侵入を阻止するために海峡などに機雷網を敷設する防御機雷戦ではなく、敵港湾付近などに侵入して機雷を敷設することで敵艦隊の行動を阻害したり、あわよくば撃破を狙う攻勢機雷戦に投入されるのを目的としていた。
攻勢機雷戦用の高速敷設艦は、敵地に侵入するための高速力と警備艦艇による哨戒網を突破できる程度の砲力を兼ね備えており、結果的に軽巡洋艦に機雷庫を追加したような性能の艦が多かったから、敷設巡洋艦とも呼ばれていたのだ。
ただし、第3の艦隊に所属する2隻の敷設巡洋艦の機雷格納庫の中身は空のはずだった。おそらくはジャンヌ・ダルクの候補生用居住区や講堂も地中海を南下する間は空けられていたはずだ。
この艦隊の目的が戦闘ではなかったからだ。
高速艦隊と比べると第3の艦隊には他にも個性的な艦がそろっていた。巡洋艦以下の艦艇には4隻ほどの小型艦が所属していた。
艦の寸法で言えば駆逐艦に近いが、兵装が貧弱な上に長船首楼方式で居住区らしき空間が大きく取られていたらしい。艦級は不明だったが、特徴からするとフランス海軍の植民地通報艦であることは間違いなさそうだった、
植民地通報艦は、広大な海外領土を持つフランスなどに特有の艦艇で、その名の通りに植民地などの海外領土や通商路を防衛するための外洋型警備艦艇だった。
洋上での警備や救難が主任務であり、また高度な造修施設のない海外植民地で使用するために軽巡洋艦から駆逐艦程度の排水量しかない上に最新の兵装などが搭載されることもなかった。
その代わりに広大な海外領土をもつフランスの事情を反映して艦型の割には航続距離は長く、長期間の哨戒任務を行うために居住性も高かった。
先の欧州大戦に前後してフランス海軍では排水量千トン程度の中小型通報艦を建造しており、この代替としてここ10年ほどの間にブーゲンヴィル級通報艦を集中して整備していたから、おそらく艦隊に含まれていたのもこのブーゲンヴィル級か、生き残っていた中型の1等通報艦なのだろう。
開戦前、通報艦の多くは海外領土で警備にあたっていたはずだが、ヴィシー・フランスに所属する海外領土が次々と失われていく中で、自由フランスに寝返ったもの以外の通報艦は撃沈されるかヴィシー・フランス本国に脱出していたから、そのような艦が護衛艦として臨時編成の艦隊に配属されていたのではないのか。
あるいは、やはり練習巡洋艦ジャンヌ・ダルクのように、海外領土警備用の純粋な戦闘艦としては広大な居住区に人員を収容するために配属されていたのかも知れなかった。
笠原大尉の判断には根拠があった。第3の艦隊には、明らかに軍用艦ではない輸送船が多数含まれていたのだ。
これまでもバレアレス海を通過して北アフリカ戦線に密かに補給を行う高速の輸送艦隊の存在は疑われていたが、この艦隊は北アフリカに展開する枢軸軍の補給を目的としたものとは考えづらかった。
確認された輸送船の船型からすると艦隊の航行速度は高すぎたし、喫水線がかなり下がっていたことが確認されていたからだ。
輸送船の速力だけ見れば、2つの高速艦隊を支援するために高速輸送船を集中投入した補給艦隊という可能性もあったが、10隻を超える数の輸送船が確認されていたから、ヴィシー・フランスに残留した輸送船だけで高速の輸送艦隊を編成できたとは思えなかった。
それだけ高速の輸送船があったのならば、これまでの北アフリカへの輸送に投入されていないのが不自然だったからだ。
残る可能性は一つしかなった。
喫水線の状態からみても、輸送船は殆ど空荷の状態にしてあるから、高速航行が可能なのではないのか。
もしもこの艦隊が航行する海域が太平洋のように荒天が続くような箇所であれば復元力の低下を招く喫水線の下降は危険を招くことになるが、鏡のように穏やかな地中海であればよほどのことがない限り航行には支障はないのだろう。
だが、空荷にして速力を稼ぐと言っても限度があるし、喫水線が下がりすぎてしまえば場合によっては海面からプロペラブレードが露出して推進効率が低下するから、この処置は一時的なものにすぎないはずだった。
つまり、この第3の艦隊は、2つの高速艦隊とは異なり戦闘ではなく輸送、しかも往路ではなく復路において荷を積み込むことを目的としているということになる。
二式飛行艇から高速艦隊の後方に潜むようにして航行していた第3の艦隊の詳細を送られた遣欧艦隊司令部では、この艦隊は北アフリカ戦線から枢軸軍を撤退させるための輸送艦隊と判断していた。
北アフリカ戦線では枢軸軍の戦線縮小が続いており、降伏は時間の問題だと考えられたようだが、その部隊を救出するために輸送艦隊が送り込まれたのではないのか。
戦線を後退し続けていたとはいえ、枢軸軍にはまだそれなりの数の戦力が残っていたはずだが、これだけの輸送船や人員の輸送が可能な艦艇が揃っているのであれば、重装備を放棄して人員の輸送に専念するとすればかなりの数の兵員を救出することが出来るはずだった。
北アフリカ戦線に展開する自由フランス軍が、この枢軸軍の脱出を単独で阻止することは難しそうだった。
シチリア島での戦闘が開始されたのに前後して、北アフリカ戦線で枢軸軍による大規模な攻勢があったらしく、現地の自由フランス軍主力部隊は一時的とはいえ再編成が必要なほどの損害を被っていたらしい。
状況からして枢軸軍が撤退を偽装するために行った攻勢なのだろうが、これまで温存していた、しかも最終的には放棄せざるを得ない機材を使い切るつもりで集中投入していたのではないのか。
それに、再編成が必要となった陸上部隊とは別に、航空戦力の場合は自由フランスの戦力は防空戦闘にしか使用できない極限られたものしか無かったから、最初から単独で輸送船を多数含むとはいえ正規の戦闘艦を含む艦隊を阻止することなど出来なかったのだ。
北アフリカから撤退しようとする枢軸軍に対する単独での阻止行動を断念した自由フランス軍は、後詰として北アフリカに残されていたスリム中将率いる英第9軍の投入による敵陸上部隊の早期殲滅と、日英海軍あるいは航空戦力による輸送艦隊の阻止を要望していたが、実質上国際連盟軍がこの要求に応えることは出来なさそうだった。
航空戦力、英第9軍の投入はどちらも自由フランス軍自身の判断が尾を引く形で難しい状況だった。
当初旧フランス領を自力で開放することに自由フランス軍の上層部がこだわり続けていた結果、チェニジアを超えてアルジェリア領内まで他国部隊が進出するのが遅れていたのだ。
英第9軍に所属する一部の対戦車部隊などは自由フランス軍の要請で先行していたが、シチリア島への投入も考慮して英第9軍の主力は未だにチェニジアにとどまっていたほどだった。
滑走路を含む航空基地の西進が遅れていた航空部隊も事情は同様だった。長距離攻撃能力のある重爆撃機でも運用できる滑走路の整備は遅れていたし、仮にそれだけの戦力があったとしても未だに一部の部隊が頑強に抵抗を続けるシチリア島内に優先して投入されていたのではないのか。
第3の艦隊の存在を報告してきた二式飛行艇は、爆装して単独でバレアレス海まで進出できるほど長大な航続距離を誇るからその例外ではあったが、大型で特殊な構造を持つ高価な機体だから、数は少なかった。
それ以前に、輸送船に対して貴重な長距離哨戒機を危険を伴う雷撃に投入することを部隊指揮官が承認するとも思えないから、単独機か少数機での高々度からの水平爆撃では洋上を機動する艦隊に対しては命中率は低いはずだった。
残る手段は水上艦隊か潜水艦による洋上での襲撃だったが、これも難しかった。
北アフリカとヴィシー・フランス本国間の通商路を妨害するためにバレアレス海には日本海軍第6潜水艦隊指揮下の潜水戦隊が展開していたが、前進根拠地をマルタ島においていたから、シチリア海峡を通過してバレアレス海まで進出するのに時間が掛かるため、常時バレアレス海に展開しているのは1隻か2隻程度しか居なかったはずだ。
この程度の数の潜水艦では会敵することすら難しいのではないのか。
かといって水上艦隊を派遣するのも難しかった。
第3の艦隊自体に重巡洋艦2隻と自衛戦闘が可能な巡洋艦級艦艇3隻という無視できない戦力があったし、日本海軍戦艦分艦隊との交戦でダンケルク級戦艦1隻を喪失したものの、未だに少なくとも戦艦3隻を有する高速艦隊がバレアレス海周辺で遊弋し続けているのが確認されていたからだ。
キング・ジョージ5世級戦艦2隻と交戦したリシュリュー級戦艦にも無視できない損害を与えているはずだし、ヴァンパイアが止めを刺したアルジェリー以外にも重巡洋艦石鎚と第2水雷戦隊による追撃でシュフラン級重巡洋艦も1隻が撃沈されていたから、巡洋艦以下の艦艇も損耗が激しかったはずだから、どの程度の実戦力が残されているかは正確には分からなかったが、2群に分かれていた部隊を再編成すれば、当初の1群程度の戦力にはなるのではないのか。
しかもフランス本国に接近することになるから、戦闘機は進出距離からして難しくとも爆撃機などが支援に飛来する可能性も無視できなかった。もちろんサルディーニャ島に依然として存在する敵航空戦力も大きな脅威となるはずだった。
現実的に考えて、水上艦隊をバレアレス海まで進出しようとすれば、シチリア島沖に展開する艦隊から戦力を抽出するほかなかったが、上陸部隊の支援とフランス海軍高速艦隊の迎撃を終えた現在の日英艦隊にその余力は存在しなかった。
艦隊の航空戦力でサルディーニャ島の敵部隊を制圧している間に、高速で航行できる少なくとも3隻の戦艦を中核とした戦力でなければ、リシュリュー戦艦を有するフランス海軍高速艦隊の残存部隊に対して安心して投入することは出来なかったが、それは難しかった。
日本海軍第1航空艦隊戦艦分艦隊に配属された計6隻の戦艦で撃沈された艦はなかったが、ダンケルク級戦艦の激しい抵抗によってフランス海軍を迎撃した常陸型、磐城型の計4隻は決して軽微ではない損害を被っていた上に、長時間の戦闘で徹甲弾の残弾が心もとなくなっていた。
シチリア島沖に残されていた金剛型2隻には散発的な空襲以外攻撃がなかったから目立った損害は発生していないが、やはり残弾は僅かだったし、旧式化した金剛型戦艦を2隻だけで危険な海域に突入させることも出来なかった。
英海軍にはそれ以上に余力が無かった。H部隊で艦砲射撃を行っていたネルソン級戦艦は鈍足だからこうした速力が必要とされる任務には向いていないし、K部隊は大きな損害を被っていたからだ。
ただし、K部隊で撃沈された艦艇はそれほど多くはなかった。プリンス・オブ・ウェールズは結局多くの乗員を退艦させた後でシチリア海峡沖に沈んでいったが、最終的に他に喪失した艦艇は重巡洋艦カンバーランド1隻だけだった。
アルジェリーとシュフラン級2隻のフランス海軍の重巡洋艦3隻が主戦場に姿を表したものだから、当初はカンバーランドだけではなく、防空巡洋艦でしか無いフィービ、ロイヤリストの2隻も重装甲のフランス海軍重巡洋艦に一蹴されてしまったのだろうと考えられていたのだが、真相はかなり違っていたのだ。
無線妨害などで本隊との連絡が立たれた時点で、K部隊巡洋艦群は先任だったカンバーランド艦長の判断で、敵重巡洋艦3隻をカンバーランド1隻で拘束している間に、フランス海軍の大型駆逐艦4隻と不利な戦闘を行わなければならない英駆逐艦3隻の支援に防空巡洋艦2隻を差し向けていたらしい。
その結果、駆逐艦群はモガドル級大型駆逐艦1隻を撃沈し、残り3隻を撤退に追いやったが、三対一という不利な状況で交戦していたカンバーランドは撃沈されてしまったようだ。
カンバーランド艦長の判断が最終的に正しかったかどうかは分からなかった。確かに駆逐艦群は勝利を収めたが、やはりモガドル級大型駆逐艦の戦力は大きく、主戦場に即座に投入できたのはヴァンパイア1隻だけだったからだ。
その時、日本海軍から派遣された重巡洋艦石鎚と第2水雷戦隊が出現していなかったら、K部隊はもっと大きな損害を被っていたかもしれなかったのだ。
そのような状況だったから、K部隊は損傷艦ばかりで再編成を行っても投入できる戦力は少なかったのだ。
最も、仮にフランス海軍高速艦隊残存に匹敵する戦力があったとしても、笠原大尉は日英両軍が無理をおしてバレアレス海に艦隊を進出させるとは思えなかった
現に金剛型戦艦や残存する重巡洋艦に補給を行えば当座必要な戦力は確保できるはずだが、シチリア島周辺ではそのような動きは見られなかったのだ。
自由フランス軍上層部の思惑はどうであっても、欧州大陸への反攻作戦の実施とそれによる枢軸軍の盟主たるドイツとの講和を最終目的とする国際連盟軍全体の戦略を考慮すれば、無理に北アフリカ戦線に重装備を残して撤退せざるを得ない敗軍の独仏軍を撃破するよりも、未だに島内での戦闘が続くシチリア島に戦力を集中させた方が有利なはずだった。
シチリア島を完全に制圧できれば、次はイタリア本土が視野に入ってくるし、そうなれば細長いイタリア半島を北上してドイツ本国まで戦線を押し上げるのも遠い将来のことではなくなるだろうからだ。
―――そうすると、予備戦力となるこちらの高速艦隊に損害を与えた時点で、あのフランス艦隊は目的を達したと考えても良いのかもしれないな。
笠原大尉はぼんやりとキング・ジョージ5世の艦橋から傷ついたK部隊の艦艇を眺めながらそう考えていた。おそらくこれ程大きな損害を受けたK部隊は大規模な再編成を行うか、そのまま解散してもおかしくはないはずだった。
その場合、指揮官であるカナンシュ少将はどのように評価させるのか、その点に興味が無いわけではなかったが、それよりも笠原大尉はK部隊や戦艦分艦隊が離れた後のシチリア島に上陸した部隊のことが気にかかっていた。
もしかすると笠原大尉以上に今回の戦闘で貧乏くじを引かされたのは彼らかもしれなかったからだ。
二式飛行艇の設定は下記アドレスで公開中です。
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