1943シチリア上陸戦37
―――ひどい目にあったものだな。
池部中尉は、傷ついた三式中戦車で無理やりに牽引してきた敵戦車をぼんやりとした目で眺めながらそう考えていた。
その戦車は、峠道での戦闘で鹵獲されたドイツ軍の戦車だった。
急増の戦車壕にこもって防御火力を峠道に集中する中隊に対して、戦闘の終盤に一部の敵戦車が道路を離れて傾斜地を強引に突破して防御線の隙をつこうと迂回機動を試みたのだが、尚少佐率いる騎兵部隊による側面からの奇襲と友軍戦車からの砲撃によって最終的に防衛線の突破を断念した敵部隊は撤退していた。
そして、敵部隊が撤退した後に戦場を確認していた尚少佐が発見したのが乗員が投棄していったこの新型戦車だったのだ。
当初は池部中尉はその新型戦車にそれほど興味を抱かなかった。
確かに新型戦車を鹵獲できれば利は大きいが、それよりも一度撤退した敵部隊が再度進攻してくる可能性もあったし、同時に本来池部中尉が聞かされていたとおりに逆に日本軍がこの峠道を辿って海岸に侵攻しようとする敵部隊の後方に回りこむように機動するかも知れなかったからだ。
峠道の中でも鞍部となるこの箇所はどちらの場合にせよ両軍にとって緊要地形となるから、迎撃戦闘によって生じた損害を把握して必要なら陣地を修理して防衛線を強化しなければならなかったのだ
だが、結局その後は部隊を待機させている間に、本隊が海岸線からシチリア島中心部に繋がる街道を進攻していたことで、緊張地形も意味を成さなくなっていた。
実のところ、その夜の間に敵部隊は密かにこの峠道を下りたところにあった野営地から撤退していたというから、池部中尉たちの待機は殆ど徒労だったようだ。
そこで一度海岸線まで後退して戦車の修理や負傷した人員の後送を行うことになった時に連隊本部に新型戦車の存在を伝えたところ、何処かから話を聞きつけてきた技術本部から派遣されていた技術将校の強い要請で、敵戦車を三式中戦車で海岸まで牽引するはめになったのだ。
他にも機関部が損傷して自走できなくなった友軍戦車を牽引する車両もあったから、曲がりくねった峠道をゆっくりと下りる部隊は、とても戦闘行動が可能な戦車中隊には見えなかっただろう。
池部中尉達が苦労して牽引してきた新型戦車は、四号戦車までの従来のドイツ軍戦車とは形状がかなり異なっていた。同時期に確認されたティーガー戦車や、フランス、チェコなどのドイツがこれまで併合、降伏させてきた国で生産されていた戦車や、イタリア軍の戦車とも異なっていた。
端的に言ってしまえば、これまでのドイツ製戦車が垂直面の多い形状であったのに対して、車体や砲塔の形状が避弾経始を考慮したのか大きく傾斜したものになっていたのだ。
その傾斜装甲で形成された砲塔からは、車体前縁を大きく超える恐ろしく長い砲身の戦車砲が突き出されていた。戦車砲の先端にはティーガー戦車のそれと形状が似た無骨なマズルブレーキが取り付けられており、砲口はティーガー戦車の8.8センチ砲よりも小さいようだが、3インチ級の長砲身砲から放たれる砲弾はかなりの初速を持つのではないのか。
ただし、池部中尉はそれほどこの新型戦車を異様とは感じなかった。
確かに新型戦車の形状は従来型のドイツ軍戦車とはかなりの変化があったが、池部中尉にはその変化自体に既視感があったのだ。それは初めて池部中尉が乗り込んだ九七式中戦車から、第7師団にいち早く配備された一式中戦車に乗り換えた時に感じたものに近しいものだったからだ。
それまでの歩兵支援用の戦車から一転して機動戦を指向した一式中戦車は、常設の特別陸戦隊に配備するために海軍が独自に開発していた九八式装甲車に影響を受けていた。
この九八式装甲車は、名称こそ陸軍では豆戦車とも呼ばれて、機甲科統合前の騎兵科で一時期使用されていた簡易な戦闘車両である装甲車を思わせるものだったが、実際には50ミリにも達する前面装甲と、旧式化した高角砲を転用した長砲身の3インチ級砲を固定式戦闘室に搭載した実質上の戦車だった。
九八式装甲車は重車両開発の経験のない海軍が主導して設計が進められたこともあって、既存のエンジンや砲をかき集めて搭載した急造品という印象は拭い去れなかったが、少なくとも書類上の性能では後に一式中戦車の支援車両として同一車体から改設計された一式砲戦車にも匹敵するものだった。
それまで戦車の運用実績のない海軍陸戦隊が九八式装甲車のような重車両を配備したのは、同盟国であるシベリア―ロシア帝国の諜報組織が当時入手したソ連軍で開発中という次期主力戦車の極めて高い性能に脅威を覚えたためだった。
おそらくこの次期主力戦車とは現在独ソ戦に投入されているというT-34戦車かその試作車両であったらしく、一式中戦車の九七式中戦車とは様変わりした傾斜装甲も、僅かな写真からソ連軍次期主力戦車も避弾経始に優れた傾斜装甲を有していることが判明したことから取り入れられたものだった。
もっとも、日本陸軍にとって一式中戦車はあくまでも繋ぎの戦車でしかなかった。
九七式中戦車開発時に取得価格の高さなどから競合試作に敗れたチハ車が一式中戦車の原型だった。チハ車から車体は一回り大きく、エンジン出力も大馬力化していたが、懸架装置などの構成部品にも限度があったから極端な大型化は出来なかった。
九七式中戦車として採用されたチニ車や、原型であるチハ車が競合試作時に搭載していたのは歩兵部隊を支援するために敵特火点や機関銃陣地を撲滅させることを目的とした18.4口径と短砲身の5.7センチ砲だったが、一式中戦車は戦車砲、対戦車砲で部品の共有化が図られた長砲身57口径5.7センチ砲を搭載していた。
この長砲身砲は、短砲身型に比べて格段に初速が高く、これを装備した一式中戦車は北アフリカ戦線でドイツ軍の主力戦車であった三号戦車とも対等に渡り合えることができていた。
しかし、日本陸軍戦車の本来の仮想敵であるソ連軍次期主力戦車は長砲身の3インチ級砲の搭載が予想されており、それに対抗するのは長砲身とはいえ5.7センチ砲では難しいはずだった。
常識的に考えれば、軍主力戦車たる中戦車はある程度の装甲を有しており、その基準は自車が装備する主砲であるからだった。つまり長砲身3インチ級砲を搭載した戦車に対抗するには、やはりこちらも同級砲を搭載するのが常道だったのだ。
一式中戦車は、高初速かつ砲弾重量から装填速度の早い5.7センチ砲と、敵戦車の側面に回り込むための高い機動性で敵戦車に対抗するとされたが、その側面に回り込む時間を稼ぐために長距離から大口径砲で支援する戦車として一式砲戦車が同時並行して開発されていた。
もっともその一式砲戦車にしたところで野砲を改設計した7.5センチ砲はともかく、装甲厚は一式中戦車とさほど変わりはないし、固定式戦闘室に備えられた主砲はある程度しか向きを変えられないから照準のために車体ごと旋回させる場合もあるせいで移動中の咄嗟射撃なども不可能だから、九八式装甲車と同じく代用の戦車にしかならなかった。
ソ連軍のT-34を仮想敵に定めていた日本軍戦車にとって、現時点における完成形としてようやく制式化されたのが三式中戦車だった。
長砲身の7.5センチ砲を旋回式砲塔に装備し、同時に避弾経始を考慮した分厚い装甲を大出力のミーティアエンジンと動揺周期と耐荷重のバランスが取れたトーションバーで支える三式中戦車は、ようやく日本軍が予想されていたソ連軍戦車に相当すると判断出来るものだったのだ。
だから池部中尉は、一式中戦車とおなじ感覚を覚えたこのドイツ軍の新型戦車は、一式中戦車や三式中戦車のように対ソ連戦でドイツ軍が遭遇したT―34に影響を受けたせいで、それまでのドイツ製戦車とはかけ離れた形状に変化したのではないかと考えていたのだ。
もっとも、この新型戦車の設計が三式中戦車と同様にT-34に強い影響を受けたものだったとしても、その役割に関しては池部中尉に疑問が無いわけではなかった。
ざっと見たところ、この戦車は三式中戦車よりも一回りは大きく、重量もありそうだった。木組みのように組み合わされた為に正面装甲と側面装甲の一部が露出している箇所があったが、そこや砲塔部防盾を見る限り装甲もかなり厚く作られているようだった。
三式中戦車の自重は日本軍の中戦車としては最大の35トンにも達しており、これは九五式重戦車をも凌駕していたが、この新型戦車はそれよりも10トン程度は上回っているのではないのか。
ドイツ軍の主力戦車である三号戦車や四号戦車の重量は、精々が日本軍の一式中戦車と同程度の20トン台半ばといったところだから、新型戦車は従来の主力戦車の倍の自重はあることになるから、単純にこの新型戦車が主力たる中戦車とは思えなかったのだ。
だが、重戦車と捉えるのであれば、今度はティーガー戦車との役割分担が分からなくなってしまうのではないのか。実際、海岸線に直接進行した部隊は、先頭にティーガー戦車を据えていたらしいが、峠道に攻め込んできた部隊もこの新型戦車を先鋒としていた。
ドイツ軍は同じような用途の戦車を同時に二種類も開発していたのだろうか。
そう考えて池部中尉が首を傾げていると、軍衣が汚れるのも構わずにパンター戦車の内部に潜り込んでいた技術将校である服部技術大尉が口をへの字にしながら戦車から降り立っていた。
服部技術大尉は歩きながら煙草を口に加えようとしたが、マッチで火をつける直前に何かに気がついたのか慌てて仕舞戻していた。
池部中尉は、服部技術大尉から奇妙な臭いが漂ってきているのに気がついていた。
おそらくは揮発性の高い燃料油の臭いだった。あの新型戦車はどうやらガソリンエンジンを搭載しているようだったから、その燃料の匂いなのだろう。
だが、同時に漂ってくるのは消毒剤のような刺激臭だった。
それに三式中戦車も本来は航空機用エンジンであるロールスロイス・マーリンを陸上用に転用したミーティアを石川島造船所で国産化したエンジンを搭載していたが、燃料槽が破壊されでもしないかぎり車内を検分したくらいでここまで臭いが強くなるほど衣服に付着することはないはずだった。
―――やはりこの戦車は被弾して機関部を破壊されていたのか。
それにしては被弾痕の見えない新型戦車を池部中尉は怪訝な顔で見ていた。
「こいつはまだ試作か先行量産の段階だな。しかも、ろくに装備品の試験もしないまま実戦に投入したようだ」
池部中尉は怪訝そうな顔をそのままにして服部技術大尉に視線を向けていた。いくらなんでも1個中隊程度のまとまった数を投入した戦車が試作品ということはあり得ないはずだ。
だが、それを質すと、服部技術大尉は苦笑しながらいった。
「少なくとも機関部は実戦を想定した配置になっていないようだ。あるいは姿形はT-34を真似たとしても、中身までは模倣できなかったというところかな。まぁソ連のT-34はディーゼルエンジンを搭載しているから、大出力軽量ディーゼルエンジンを製造出来るだけの技術力がドイツにはないのだろう」
まだ怪訝そうな顔をした池部中尉に向かって、服部技術大尉は更に続けた。
「何だ。あの戦車の喪失理由を知らなかったのか。あれは中尉達の砲撃で無力化されたわけではないよ。燃料が漏れだして引火、それで自動消火装置が働いたようだ」
ようやく服部技術大尉の軍衣に染み付いた斑な染みと奇妙な臭いの正体に気がついた池部中尉は、無意識の内に一度小さく頷いていた。
やはりこの臭いの一部は揮発性の高い燃料油によるものだった。それに混じっていたのは消火剤の臭いなのだろう。ドイツ軍の消火装置に使用される消火剤が何なのかは分からないが、独特の刺激臭からして塩素系の化合物によるものかも知れなかった。
だが、それでも疑問は残っていた。そもそも何故被弾もしていない戦車が燃料漏れを起こしたのか、それに漏れだした燃料に簡単に引火したのも妙だったし、最大の疑問は自動消火装置が働いたにも関わらず乗員は何故戦車から脱出してしまったのかということだった。
服部技術大尉は煙草をしまったポケットを恨めしげな顔でみながら、池部中尉の疑問に淡々とした口調で答えていた。
「火災の原因は燃料配管の位置が悪いせいだな。それとエンジン出力が車体重量に見合っていないのか、それとも冷却器の性能が悪いのか、とにかくエンジンが過熱してしまうようだ。それで配管から噴出した燃料が加熱したエンジン部品に触れて引火したのではないかな」
そう言うと、皮肉げな表情で続けた。
「こういったことは中尉の方が専門かもしれんが、おそらく乗員達もこの戦車の機関部の信頼性が低いことはわかっていたのではないかな。状況を見る限り、同じような現象は他の車輌でも起こっていたはずだ。
この車両は偶々うまくいっていたようだが、多分迂回機動のために傾斜した地形でエンジンに負荷がかかってそれまでよりも過熱が激しくなってしまったんだろう。それに戦闘が終わる頃に戦車は迂回しようとしていたのだろう。だから撤退する部隊に置いて行かれるの恐れて、自動消火装置が働く前に逃げ出してしまったのではないかな」
池部中尉は服部技術大尉の言葉を聞きながら、ふと違和感を感じて新型戦車に目を向けていた。戦闘の終盤であったとはいえ、あの場にはこの新型戦車と四号戦車が同時に存在していたが、迂回機動を図ろうとしたのはこの新型戦車の方だった。
ドイツ軍では、どうやらティーガー戦車は重装甲と大火力の代償に重量が大きく運用面に難点があるものだから、軍直轄の独立部隊で集中運用しているらしいと聞いていた。
通常であれば正面攻撃にこそそのような重装備の戦車を使用し、迂回機動にはより軽量な戦車を使用するのではないのか。
幸いなことに援護の騎兵と素早く分派した一部の小隊による射撃で迂回攻撃は頓挫していたが、あの場では逆に脆弱な四号戦車が正面攻撃を続行する間に、新型戦車が迂回を開始しようとしていたのだ。
しかし、もしもこの新型戦車と四号戦車が同じ部隊に所属しているのであれば、それほど不自然では無い気がしていた。大隊内の1個中隊を援護射撃、1個中隊を機動に回すというのはありふれた行動だったからだ。
服部技術大尉は、眉をしかめて押し黙ってしまった池部中尉を興味深げな様子で見てから続けていた。
「中尉の懸念していることはわからんでもないよ。おそらく、この新型戦車はティーガー戦車とは違って重戦車ではなく軍主力たる中戦車であるはずだ。戦線への投入を急ぐあまりに、技術的な問題点を解決する時間を惜しんでしまったようだが、見たところ問題の解決は不可能ではないはずだ」
「その問題が解決して、この戦車の信頼性が向上すれば恐ろしいことになりますね……機動性と防御力、火力をすべて兼ね備えた中戦車など、もう他国の重戦車など存在価値がなくなるはずだ。我が三式でこれに対抗できますか」
問われた服部技術大尉は僅かに首を傾げながら言った。
「英国と共同で以前から行っていた戦車砲弾の威力向上に関する研究を理論的なものから実証段階に移行してはいるよ。装甲もドイツの四号戦車のように追加することは無理ではないな。対弾性の低下しない追加装甲の取付方法はこちらもいろいろと研究はしている。
足回りはそのままでも追加装甲の重量にも耐えうるだろうが、エンジン出力の方はどうかな。機関室の形状や容積の問題だから、本体を総取っ替えするのは難しいだろう。むしろ強化すべきは調速機や過給器の方かもしれんな。今のミーティアエンジンは航空機用エンジンを転用したものだが、陸上用に最適化したとはまだいえないからな」
そこで服部技術大尉は一旦口を閉じると、訝しむような表情になりながら続けた。
「だが……こいつが中戦車として、本当に主力として大量生産されるのかね。我々だって海軍の九八式装甲車や一式中戦車で製造業者を増やして工場を拡大して、その下地があってようやく三式の大量生産体勢を確立したんだ。従来からここまで一気に巨大化して、それに初期故障すら解決していない新型戦車がそう簡単に量産できるとは思えんよ。
これは技術将校が言うことではないが、暫くの間はこの新型と四号、三号が併存して使用されるのではないかな。極論してしまえば、たいして多くが戦場に出てくるわけでもないこの新型戦車に対抗して、我が軍の戦車を無理に価格の高い重量級戦車にするよりも、従来型の戦車の生産数を向上させたほうが効率は良いはずだから戦局に寄与するのでは無いかな」
―――冗談じゃない。効率なんぞで敵の重戦車に勝てない戦車を与えられて戦死したら、こいつらのところへ化けて出てやるぞ。
池部中尉は渋面を作りながら聞いていた。ようやくのことで敵国本土とも言える場所に攻めこみはしたが、ここはまだ欧州の入り口に過ぎなかった。
此処から先どのような難敵が待ち構えていることか、中尉には戦争はまだ始まったばかりのような気がし始めていた。
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