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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦34

 負け戦はするものではないな。大不況の中で唯一成長を遂げていた軍に入隊してからデム軍曹はもう何度同じようなことを考えたかわからなかったが、とにかくため息を付きながらそう考えていた。


 夜の闇に紛れてシチリア島内を巡る街道を進むのは傷ついた戦車ばかりだった。後方の急増陣地では、撤退を待つ突撃砲隊が戦車大隊主力の後方陣地への収容が完了したとの連絡を待ち構えているはずだった。
 今度は戦車大隊に援護された突撃砲隊が撤退を開始することが出来るからだった。

 相互に援護と後方への機動を繰り返すのは、教科書通りに撤退する時を狙って追撃を掛ける敵部隊を阻止するのが目的であったが、同時に主要街道とは言いつつも大して広いとも言えない道路の混雑を避ける目的もあったのではないのか。
 エンジン音を響かせないように出力を絞ってゆっくりと移動する戦車のすぐ脇を馬に引かせた荷車が通るのを見ながら、デム軍曹はそうぼんやりと考えていた。


 昼間の内に街道を進む事ができれば、もっと容易に後退を命じられたシチリア島中心部のエンナまで短時間で到達できるはずだが、実際にはそれは難しかった。
 海岸から距離をとったことで激しい艦砲射撃の目標となることは避けられたが、その代わりに島内上空を国際連盟軍の航空機が我が物顔で所狭しと飛行するようになっていたからだ。
 デム軍曹が密かに恐れる九八式直協機に加えて、回転翼機までもが低空を飛来して撤退する部隊を狙っていたのだ。

 だが、こうした戦術偵察機の場合は、攻撃力は大したことはなかった。
 所詮は雑用機の軽飛行機にすぎない九八式直協機の搭載量はたかが知れているし、エンジン出力が小さいのか、あるいは特異な飛行形態が固定翼機よりもエンジン出力を要求するのか、回転翼機の方は精々小口径の機銃程度しか武装がなかった。
 直協機は昼夜の区別なく飛来して隊員たちの安眠を妨害もしていたが、1番恐ろしいのは、彼らに部隊が見つかると連絡を受けた戦闘機がたちまち飛来することにあった。

 飛来する戦闘機は、重火力を機首に集中配備した二式複座戦闘機もあったが、大半は身軽な単発戦闘機であるスピットファイアやハリケーン、三式戦闘機だった。
 いずれも大出力の水冷マーリンエンジンを搭載した機体で、主翼内に銃砲を装備するほかに、若干の爆装も可能だった。
 特にその中では旧式化したハリケーンは純粋な戦闘機としてよりも、頑丈な機体を活かしていわゆる戦闘爆撃機として運用されているらしく、爆弾搭載量や機銃の威力は大きかった。


 どうやらハリケーンの搭乗員は戦闘訓練よりも爆撃、地上掃射の訓練の方を受けているらしく、スピットファイアで編制された部隊と比べると、爆撃も地上掃射も命中率が高いような気がしていた。
 だが、英国軍が旧式化したハリケーンを地上攻撃機に転用していたのに対して、日本軍の場合は同じく三式戦闘機に比べれば旧式のはずの一式戦闘機を対戦闘機戦に特化してるようだった。

 デム軍曹が地上から虚しく空を見上げる限りでは、一式戦闘機が対地攻撃に駆りだされている気配はなかったし、対地攻撃専用と思われる機体が出現していたからだ。
 一式戦闘機は機動性は極めて高いが、小型化された機体に搭載された空冷エンジンの出力はそれほど高くないようだったから、余剰出力が乏しいために重武装を施すことが出来なかったのだろう。
 だが、その代わりに出現した対地攻撃機はある意味でハリケーンよりも剣呑な存在であるようにデム軍曹には思えていた。


 最初にその機体を地上から見上げた時に抱いた印象は、新型戦闘機が出現したのかというものだった。見た限りでは、主翼のみならず、胴体直下にも爆装しているようだが、エンジン1基を搭載した単発機であることは間違いないように思えた。
 だが、水冷エンジンを搭載していたとしても機首はやけに鋭く尖っており、今のように鋭い機動を可能にする大出力のエンジンが収まっているとは思えなかった。

 しばらく機動する敵機を観察している内に、唐突にデム軍曹はある機体のことを思い出していた。以前航空雑誌で見た米国のP-39、エアラコブラだった。P-39は双発の重戦闘機であるFM-1、エアラクーダの直掩機として開発されたらしい。
 FM-1は双発重爆撃機並の巨体に重火力を施した機体で、戦闘機という名前とは裏腹にひどく機動性が低く、米国本土に進攻する敵重爆撃機を迎撃する専門機であるらしく、それを護衛するための単発戦闘機がP-39という触れ込みだった。
 今にしてみればかなり怪しげな話ではあるのだが、P-39がFM-1に追随出来るだけの高々度飛行が可能な新機軸をふんだんに採用した機体であることには変わりは無かった。

 P-39において高々度飛行用の排気過給器と共に採用された新機軸が、エンジンを操縦席付近の胴体中央部に置く特異な配置だった。重量のあるエンジンを重心近くに置くことで横方向の旋回性能などの運動性を高めると共に、機首部には中央部のエンジンからプロペラまで動力を伝達する延長軸しか無いから、双発機のように大口径機銃をモーターカノンのように配置することが出来るらしい。
 日本軍の新型機もP-39のようにエンジンを中央部に配置したらしく、排気管や側面に配置された冷却器吸気取り入れ口が確認できていた。


 だが、配置はP-39と同様であっても、日本軍機は用途が全く異なるようだった。新型機の塗装は、これまで見てきた日本軍の戦闘機とは異なって、やけに鮮やかな多色の迷彩だったからだ。
 おそらく上空から見下される際に背景となる地上に溶け込むことを狙っているのではないのか。逆に言えば、この新型機の予想飛行高度は、地上の背景が読み取れるほどの低高度ということになる。
 それに三式戦闘機と同様に、胴体側面にはマーリンエンジンのものらしき排気管が突き出しているから、P-39のように集合排気管を用いた高々度飛行用の排気過給器を装備していないのも明らかだった。

 おそらく、日本軍がこのような特異な配置を行ったのは、純粋に対地攻撃用に重火力を欲したからだろう。冷却器を胴体側面に装備したのも、弱点となる冷却器を主翼の影に隠すとともに、大型の爆弾や増槽が配置できる胴体下部を空けておくためでもないのか。
 実際、その新型機の搭乗員は地上攻撃機としての訓練を受けているらしく、機種転換の期間を考えるとそれほど訓練期間が長かったとは思えないが、ハリケーン同様に純粋な戦闘機よりも地上攻撃時の命中率は高いようだった。

 いまはこのような軽快な単発機や双発戦闘機程度が飛来する程度にすぎないが、枢軸軍の戦線が縮小して国際連盟軍に制圧されたジェーラなどの航空基地の整備が完了すれば、より大型の四発重爆撃機まで島内から運用されるのではないのか。
 部隊の移動を阻止するためか、我が物顔で昼間に空を飛び回る日英の戦闘爆撃機を恨めしそうな顔で見ながら、デム軍曹はうんざりしながらそう考えていた。


 しかし、そのように激しい航空攻撃の脅威に晒されているにもかかわらず、同行する戦車部隊の士気はそれほど低くは無かった。最終的に撤退を余儀なくされたとはいえ、強大な敵に一矢報いたという達成感を得ていたからだろう。

 敵部隊による防衛線を突破して、海岸線にまで最終的に達したのは、1個中隊にも見たない数だった。それ以外の部隊は、重厚な防衛線を敷く国際連盟軍に拘束されていたのだ。
 防衛線への正面攻撃と同時に、現地民しか知らないような峠道を使用しての迂回挟撃も実施されていたのだが、こちらも有力な敵戦車部隊の前に頓挫していた。

 正面攻撃には重装甲だが速度の遅いティーガー戦車が集中して投入されたが、迂回挟撃の方は、残存する機動性の高い新型の六号戦車パンターに1個中隊分の四号戦車と装甲擲弾兵を配属した部隊が投入されていた。
 作戦前には大きな期待を掛けられていたパンター戦車だったが、機関部に設計上の問題でもあったのか故障が頻発しており、初日の攻撃は戦線に投入されずに野営地にとどめ置かれていた程だった。

 ただし、その野営地での整備部隊による必至の修理と簡単な改造によって機関部の信頼性は格段に高まっていた。1個中隊分のパンターに対して、初日に出撃した部隊分の整備能力まで集中して投入したのだからそれも当然だったが、迂回挟撃作戦の間くらいは何とか機関も回ってくれるのではないかと期待されていたのだ。


 しかし、整備兵の祈りも無駄に終わっていた。平地ではなく、急勾配の峠道を行軍したパンター戦車の中には、敵の姿を見ることなく機関部が突然に発火して放棄された車両が少なくなかったらしい。
 残存するパンター戦車も、稜線付近で鞍部を通過した直後に待ち構えていた敵戦車部隊の待ち伏せによって壊滅的な被害を被っていた。

 鞍部に辿り着く前に唐突に出現した騎兵によって、部隊の隊列がかき乱されたのが損害の原因だという声もあったが、野営地に残されたデム軍曹が遠望する限りでも、峠道のあたりは傾斜が激しかったし、樹木も多かったからとても馬に乗って縦横無尽に駆けることなど出来そうになかった。
 だから、貴重なパンター戦車を多数失った部隊指揮官の言い訳としかデム軍曹には思えなかった。


 いずれにせよ、鞍部で待ち構えていた敵戦車隊は、短時間でこちらの戦車の多くを撃破したことや、交戦距離からして海岸で確認されていた戦車とは全く別種の新型であると考えられていた。

 海岸でも日本軍が従来使用していた一式中戦車よりも、より重厚な戦車が確認されていた。情報によれば、それは今年になって日本軍の現地部隊への配備が始まった三式中戦車で、その主砲はこれまで確認されていた一式砲戦車と同じものである可能性が高いらしい。
 ドイツ軍では一式砲戦車は三号突撃砲と同程度かやや劣ると判断されていたから、三式中戦車も長砲身の主砲を装備した最新型の四号戦車G型に匹敵する可能性のある戦車だった。


 しかし、その四号戦車G型であっても、100ミリにも達するパンター戦車の傾斜した正面装甲を貫通することは容易ではなかったはずだ。
 被弾して放棄されたパンター戦車からかろうじて脱出してきた戦車兵の証言によれば、正面装甲を貫通して操縦手ごと内部を破壊されたというから、三式中戦車とは全く異なる戦車が投入されたのだろう。

 それに、戦車2個中隊に装甲擲弾兵を配属させた有力な部隊を短時間で壊滅させたのだから、敵部隊の規模が大隊を下回るということもないだろう。
 峠道を四苦八苦する戦車隊を援護するために、更に迂回しようとした装甲擲弾兵の乗る半装軌車には容赦なく大威力ロケット砲弾らしき攻撃が加えられていたから、重火力を備えた歩兵部隊までも随伴していたようだった。


 撤退してきた部隊の証言をまとめると、おそらく峠道に布陣していたのは重戦車を装備した1個大隊規模の部隊だった。
 三式中戦車よりも有力な砲を装備した戦車なのは間違いないし、投入時期からして開発期間が三式中戦車のそれと重複しているはずだから、同時並行で中戦車を強弱二種類開発していたのでもなければ、ティーガー戦車とパンター戦車のように重中二種類の用途の異なる戦車が投入されたと判断するのが普通だった。

 いずれにせよ、迂回挟撃が失敗したのは事実だった。むしろ敵部隊の出現位置からすると、同じように迂回しようとしていた敵部隊に先を越されて待ち伏せされたとも考えられるから、今度はこちらが敵部隊を迎え撃たなければならなかった。
 それで残存戦車や整備兵までかき集めて峠道の方向に急ごしらえの防衛線を構築していたのだが、逆に正面攻撃を行っていた部隊は、その頃一部ではあるが防衛線の突破に成功していた。


 突破したティーガー戦車と四号戦車の混成1個中隊は、最終的に敵部隊の激しい反撃によって撤退に追い込まれたが、その間に海岸で敵戦艦と交戦したらしい。
 巨大な艦橋と重厚な連装砲塔を4基も備えた戦艦に対して、主砲塔に戦車砲を直撃させて破壊したとティーガー戦車の乗員が自慢しているのをデム軍曹も聞いていた。

 デム軍曹には巨大な艦橋というのはよくわからなかったが、確か北アフリカでロンメル軍団を阻止した金剛型戦艦は連装砲塔4基を備えていたはずだ。もしかすると、ティーガー戦車隊はその時の敵を討ったことになるのかも知れなかった。

 そのような戦果を上げたせいか、夜を前に撤退に追い込まれたとはいえ、部隊の士気は決して低くは無かった。損傷した戦車の中にも撤退できたものもあったから、夜間は戦車の整備に徹して、昨夜と同規模の増援部隊が到着すれば、戦局を逆転させるの無理ではなかったはずだ。

 だから、戦闘団長であるベルガルド少佐が撤退を決意したのは、相次ぐ攻撃が失敗したせいでも、被害が続出していたせいでもなかった。単純に言ってしまえば、そのような命令が下されたからだった。


 思い起こせば、その予兆はすでにその日の攻撃の際に現れていたのだ。前日にベルガルド戦闘団と共に海岸線の国際連盟軍橋頭堡に突入を図ったイタリア沿岸警備師団が戦場に姿を表さなかったのだ。
 その時は、ベルガルド少佐を含めて大半の将兵が、前日の攻撃で激しい艦砲射撃の弾幕を浴びせられた沿岸警備師団残余に戦力が残っていないか、再編成を行っているのだろうと考えていたのだが、実際にはもう少し事情は複雑だったらしい。

 その日に海岸線への攻撃を含めて、前線に移動しようとしていた部隊は、ヘルマン・ゲーリング師団と第15装甲擲弾兵師団の2個師団隷下のものだけだった。
 シチリア島内の枢軸軍の中で、数的には多数を占めるイタリア第6軍の指揮下にある各正規師団及び沿岸警備師団は、戦力を温存するために島内中心部への撤退が下命されていたのだ。
 実際にはドイツ軍の2個師団にも命令が出ていたらしいが、師団長が抗命していたのか、命令が届かなかったらしい。

 イタリア第6軍の作戦は、防衛戦闘に有利な山岳地帯で国際連盟軍に対して抗戦を継続することにあり、軍司令部のあるエンナに一時的に部隊を集結後、シチリア島で最大の火山であるエトナ山山麓まで後退する予定だった。
 そこでエトナ山の険しい傾斜を利用した構築された陣地に部隊を収容して防衛戦闘に移行するつもりらしい。


 ヘルマン・ゲーリング師団の師団長であるコンラート中将などは消極的な防衛戦闘への移行に激しく抗命していたらしいが、最終的には同時に海岸に進出するはずだったリヴォルノ強襲師団の撤退によって、師団戦線の側面が開放される恐れが出てきたことから、撤退命令を指揮下各隊に出さざるを得なかったらしい。

 本来は、このような上級司令部の意見の齟齬を解消するために、イタリア第6軍司令部には連絡官としてドイツ軍からエッターリン中将が派遣されていたのだが、中将はエンナの軍司令部からヘルマン・ゲーリング師団、第15装甲擲弾兵師団の司令部に連絡のため移動中に消息を絶っていた。

 未確認だが、エッターリン中将は移動中に立ち寄った哨所が襲撃された際に戦死したという情報もあったが、戦線後方にある哨所が容易に攻撃されると思えないから、何らかの事故に遭遇したのかも知れなかった。


 もしかすると、戦車部隊の士気の高さもその撤退命令にあったのかもしれない。今回の敗北は不甲斐ない友軍が撤退を開始したせいであり、自分たちは決して負けてはいないと考えているのではないのか。

 ―――まぁ負け続けて意気消沈されるよりもはましか。
 戦車兵たちの自慢の声にどこか辟易させられながら、デム軍曹は呆けたような顔で空をみあげていた。どうせ戦死するのならば、せめて地に足をつけてではなく、空中でありたいものだ。
 実のところ、単に歩き疲れたからそのようなことを考えているのだとはデム軍曹は気がついていなかった。
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