1943シチリア上陸戦28
第7師団を始めとする重装備となる遣欧第1軍の戦車部隊の輸送には主に特1号型輸送艦が割り当てられると知っても、実際に乗艦して外洋での航行を開始するまで池部中尉達には特に思うところはなかった。
北アフリカ戦線に投入されるためにアレクサンドリアまで池部中尉達やその乗車である一式中戦車を輸送してきたのは、戦時標準規格船二型を原型とする戦車輸送船だったが、港湾から港湾までの輸送ではなく、海岸への強襲揚陸を行う揚陸艇に関して池部中尉たちはそれほど詳細な知識を有していなかった。
日本陸軍でも屈指の重装備部隊である第7師団は、平時における兵員の充足率などから、自他共に有事の際に真っ先に派遣される部隊であると認められていたが、本来の仮想戦場はシベリア―ロシア帝国とソビエト連邦との実質上の国境地帯となるバイカル湖周辺だった。
第7師団の海上輸送も敵地への強襲揚陸などではなく、安全な後方地帯であるウラジオストックなどへの単なる輸送しか考えられていなかったのだ。
だから第7師団の古参兵達も揚陸艇の知識など有していなかったのだ。
池部中尉達は実際に乗艦するまでは特1号型輸送艦は大発動艇の親玉のようなものだという認識しかなかったし、重量物を搭載するために通常の貨物船形式から船底部の構造強化を行っただけの戦時標準規格船派生型の戦車輸送船と大した違いはないだろうと高をくくっていた。
だが、彼らの考えは誤っていた。特1号型輸送艦は外洋型の純粋な艦船としてみると大きく劣っている部分が少なくなったのだ。
確かに特1号型輸送艦は、元をたどればガリポリ上陸作戦の戦訓を受けて開発された大発動艇にたどり着く座礁式の揚陸艦艇だった。人員輸送用の小発動艇が従来型の船艇とほとんど変わらない外見なのに対して、搭載物資や車両の揚陸に便利な船首道板などを備えた大発動艇は画期的な構造を持っていた。
車両などを搭載したまま浅瀬に接近できるから大発動艇は使い勝手の良い揚陸艇だったのだ。
ただし、この自らの推力で海岸まで接近して座礁して搭載車両や物資の荷役を行う座礁方式の揚陸艇は、船としては少々いびつな形状となっていた。
道板を船首に設けざるを得ないということは、搭載された戦車などの大型車両の積み下ろしのために道板を内蔵した船首構造は幅広となってしまうし、平らな道板は通常の船舶のように浪を切るような構造にはなっていないから抵抗が大きかった。
艦型の大きな二等輸送艦や特1号型輸送艦では格納された折りたたみ式の道板を囲うように観音開き式の艦首扉が設けられていたが、航行中の圧力を繰り返し受けることからこの扉は水密構造ではなく、内部の道板部分が実際の水密構造区画となっており、造波抵抗を完全に通常方式の船舶レベルにまで低減できたわけではなかった。
もっとも艦体に関しては、艦首部よりも艦底部の形状の方が問題が大きかった。海岸線に搭載部隊を揚陸するために、就役期間中に幾度も意図的な座礁と離岸を繰り返す輸送艦は、艦底部を他艦種よりも著しく強化していた。
揚陸艇程度ならば生産数も多いし、損耗したとしても補充は容易だが、大型で搭載艇などではなく単独の艦として調達される輸送艦は取得価格も段違いだから運用時の破損には注意を払っていたはずだ。
しかし、艦底部の構造を強化するだけでは座礁時の破損は免れないはずだった。いくら相手が柔らかい砂浜だったとしても、数千トンもの荷重が艦底構造で最も低い位置にある構造材である竜骨の最前部という一点に集中してしまうからだ。
これを避ける方法は一つしか無かった。通常の船舶のように前後から見て深く海面に切り込むように見えるV字ではなく平底とするのだ。これにより座礁時に発生する荷重は一点ではなく線になるし、喫水線も浅くなるからかなりの浅瀬まで前進することが出来るはずだ。
実際には日本軍の座礁式をとる揚陸艦艇では、構造上の強度や建造時の工作の容易さを考慮して、平底というよりも船首底部で∨字ではなくW字のように見える双胴にも似た形状をとって荷重を分散させていた。
この形状であれば、座礁した際に船体を左右にふることなく水平を保つから、揚陸作業も容易だった。
だが、波浪を考慮する必要性の少ない河川用の船舶ならばともかく、外洋航行型の艦船で平底構造とするのは無理が多かったのではないのか。というよりも純粋な船としての機能よりも揚陸能力を重視したためにこのような構造をとったのだろう。
だから艦首の道板を覆うことで一見すれば外洋型船舶に似た外観ではあるものの、座礁式の揚陸艦艇である二等輸送艦や特1号型輸送艦は水線下の形状によって航洋力が低いために主機関の出力の割に速力は低いし、荒天時に外洋を航行するのも難しかった。
池部中尉達がこのような特1号型輸送艦の特徴を詳細に知り得たわけではなかったが、航行時の揺れの大きさからすぐに以前乗船した戦車輸送船のようには行かないことを悟っていた。
だが、戦車隊の隊員たちにとってこの上陸作戦における問題はそこだけではなかった。輸送艦の構造上というよりも作戦の都合によって彼らの居住環境が劣悪なものなっていたからだ。
今回の作戦では、特1号型輸送艦に便乗する将兵の数は多かった。揚陸時の制限を超える量の物資や人員を搭載していたのだからそれも当然だった。彼らの多くは、上陸時にはやはり増設されたダビットに搭載された大発動艇に乗り移るとはいえ、上陸岸までは同乗するしかなかった。
だが、元々戦車揚陸艦として設計されていた特1号輸送艦の居住区画の能力は貧弱極まりないものだった。
本艦の乗員は駆逐艦や海防艦以下の百名程度でしか無いし、乗艦させる戦車部隊の将兵もそれほど多くはないはずだったからだ。
歩兵であれば1個小隊の定数は4,50名にはなるが、戦車隊の場合は多くともその半数20名程度しか無かった。戦車1個小隊は四両で編成され、一両あたりには4,5名しか乗車しないからだ。
それが戦車隊に加えて同数の歩兵部隊まで乗艦したものだから、乗艦させた揚陸部隊の将兵の数は想定よりも三倍程は多くなっているのではないのか。
そして想定外であったのは揚陸部隊の数だけではなかった。小型の揚陸艇ほどではないにせよ、特1号型輸送艦などは制空権を完全に把握しきっていない状態での敵前での上陸が想定されていたから、自衛火力は比較的充実していた。
特に最後部に設けられた艦橋や、道板が収納された艦首部に大口径の高角砲や機銃座が集中していたから、その区画だけはまるでハリネズミのように武装した城郭のようだった。
それは良いのだが、このような艦艇では設計中に戦訓を取り入れて図面を修正する事が少なくないらしいから、それらの増設されていく一方の対空火器を操作する将兵の分の居住空間まで当初計画に含まれていたとは思えなかった。
つまり、本艦乗員ですら当初計画図通りの居住区に収まらなかったのかもしれないのだ。
これでは居住区画などはもちろん、給食能力なども揚陸部隊を含めた乗員数と釣り合うとはとても思えなかった。
だが、特1号型輸送艦の居住性が低いのは予定外の便乗者が多かったからだけではなかった。元々外洋航行能力に劣るものだから、戦地近くまでの部隊輸送は貨客船などの通常形式の船舶に任せて、輸送艦は前線近くの策源地から上陸岸までの移送に専念する予定だった。
それが今回の作戦で建造時に計画されていた策源地からの航行開始から上陸予定までの期間である一昼夜以上になってしまったのは、乗艦させた部隊が上陸第一波ではなく予備兵力としてしばらく待機する第7師団指揮下の部隊だったからだ。
その辺りに妙に矛盾したものを池部中尉は感じていた。
それが急に揚陸時間が早まったとの噂が流れていたから周りの将兵たちは怪訝に思うことはあっても、厭う気持ちは無かったようだった。戦闘に投入される危険性よりも、人熱れするような艦内の様子や支給が手間取って冷め切った食事などにうんざりしているもののほうが多かったのだろう。
だが、兵たちはともかく、先任小隊長である池部中尉はそのことを喜んでいられるわけではなかった。場合によっては強襲上陸となる可能性もあるのだから、このような判断に至った理由を知りたかったのだ。
だからといって状況がどう変化するかわからない以上、小隊を離れて本艦乗員などに情報を求めに行くわけにも行かずに、池部中尉は苛立たしげなものを感じていた。
戦車隊の隊員たちが顔を見合わせあって根拠の無いうわさ話をしていると、するりとどこからともなく池部中尉の乗り込む小隊長車で砲手を務める由良軍曹が隊員たちの輪に入っていた。
不思議そうな顔で池部中尉が見ると、由良軍曹は照れ笑いを浮かべてから、次の瞬間顔を青くして両手で口をおさえていた。
池部中尉はうんざりした表情で由良軍曹をみながらいった。普段は中隊でも古参の下士官として飄々とした顔で調子のいいことを言っているばかりの軍曹だったが、特1号型輸送艦が航行を始めた瞬間にひどい船酔いで使い物にならなくなっていた。
ここ一両日は食事もほとんど喉を通らなかったのではないのか。
「由良さんよ、車両甲板が臭くてかなわんから吐くなら外でやってくれ。おい、田中一等兵。お前装填手なんだから砲手の相棒だろう。上甲板まで持ってってやれ」
そう言って池部中尉は装填手の田中一等兵に上甲板へと繋がる傾斜梯子を指差したが、一等兵は嫌そうな顔で狭く細長い傾斜梯子を見ていた。
だが、田中一等兵が文句か何かを言おうとしていると、由良軍曹がそれよりも早く青白い顔でふらふらとしながらいった。
「いやいや、もう甲板から海に吐き出すことも出来やしませんぜ」
怪訝そうな顔で池部中尉は由良軍曹の顔を見つめた。そういえば、軍曹は今まで風にあたると言ってその上甲板に出ていたのではなかったのか。
「上のほうじゃバッタ共が大わらわで下船の準備中ですよ。どたどたいってるのが聞こえませんかね」
思わず池部中尉達が車両甲板にとっては天井となる上甲板を見上げたが、機関音や輸送艦が艦首で浪を切る音のほうが大きいのか由良軍曹が言っているように、バッタ、つまり歩兵部隊が動きまわる様な音は聞こえなかった。
問いただすような視線を感じたのか、由良軍曹は不機嫌そうな顔になっていた。
「間違いありやせんぜ。あの脇についた大発に取り付いてた兵隊もいたし、装甲兵車や自動貨車も手回しの良い奴らは試運転を始めてましたぜ。外はまだ明るくなり始めたばかりのようだったが、薄暗い中で陸に上がるんじゃないですかね。俺はもうとっとと一秒でも早く陸に上がりたいもんですがねぇ……」
そう言いながらも話している間に耐え切れなくなったのか、由良軍曹は車両甲板の壁に向かってかがみこんでいた。
やがて漂ってきたすえた匂いに眉をしかめながらも、池部中尉は怪訝に思っていた。座礁式の大型揚陸艦である特1号型輸送艦の上陸予定時間は厳密に定められていると聞いていたからだ。
喫水の浅い大発動艇などの揚陸艇ならばともかく、大型の特1号型輸送艦は艦内に搭載した上陸部隊の重量に対して、艦体側の重量が大きいから座礁上陸には干満の差位を利用するのが通常のやり方らしい。
つまり干潮に近い状態で座礁して部隊をおろして艦体が軽くなって来る間に、満潮に近づいて海岸線が陸地側に向かっていけば、自然と艦体が浮き上がって海岸から引き出す際の負荷が小さくなるという理屈だと池部中尉は聞いていた。
最も実際には上陸岸の地形や作戦実施日における干満差などから揚陸作業が円滑に行える時間は決まってくるらしい。満潮に近い状態でなければ上陸以前に海岸線に接近すら出来ない場合も多いからだ。
裏を返せばその時間を逃してしまえば、揚陸作業や揚陸艦の撤収作業自体が難しくなってしまうのだ。池部中尉達を載せた特1号型輸送艦の揚陸作業予定時間も、干満差やその時の上陸岸の混み具合などから設定されているはずだったのだ。
だから、予定時間以外に揚陸作業を強行すれば、最悪の場合は自力で離岸できずに輸送艦が海岸に巨体を晒すことになってしまうはずだった。それともその覚悟をしてでも池部中尉たちを必要とする自体が発生したのだろうか。
―――上陸部隊に一体何があったのだ……
全力を上げているらしい主機関の振動に身を委ねながら池部中尉はそう考えていた。
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