1943シチリア上陸戦22
フランス艦隊と、K部隊の数上の差異が少ない以上は、格下の巡洋艦群同士の戦闘の推移が主力である戦艦群同士のそれにも多大な影響をおよぼすのは当然だった。
これまで主力と離れて視界外で戦闘を行っていたはずの巡洋艦群が、水平線の向こうから次第にその姿を表しつつある状況で笠原大尉はそう考えていた。
英国海軍K部隊主力であるキング・ジョージ5世級戦艦2隻とフランス海軍の新鋭戦艦リシュリュー級戦艦2隻が慎重に距離を取り合って戦う海域に姿を表した巡洋艦群は、当然の事ながらフランス海軍のものだった。
ただし、その3隻の重巡洋艦の隊形は戦闘開始当初からは変化しているようだった。戦艦群と分離した時点ではアルジェリーを先頭にして2隻のシュフラン級が続行して緻密な隊形を維持していた筈だが、見張り員の報告では艦形の同じシュフラン級重巡洋艦と思われる2隻がまず最初に確認されていた。
先行していたはずのアルジェリーの姿が見えなかったのは、友軍の巡洋艦による奮戦で撃沈されたか、戦闘行動が不可能なほどの損害を受けたからではないのかと期待したのだが、しばらくしてから無念そうな見張り員の声がアルジェリーの姿が見えたことを告げていた。
アルジェリーからは火災が発生したのかか細い煙が上がっている上に、シュフラン級2隻よりも遅れてはいたが、残念なことに航行速度や姿勢に異常は見られないらしい。
あるいは被弾によって火災が発生したために消火活動や、応急損害復旧作業を停止した状態で行っていただけかも知れなかった。
現在の状況は笠原大尉が戦闘開始前に予想していたよりも一層悪かった。遅れて戦場に到着したアルジェリーも見張り員の報告では未だ戦闘可能に見えるようだし、先行するシュフラン級に至っては損害の跡すら見えなかったからだ。
被弾による影響で通信機能が低下しているのか、指揮下各隊との連絡が取れないために状況は不明だが、巡洋艦群同士の戦闘が一方的なものに終わった可能性は高かった。
K部隊巡洋艦群で唯一8インチ砲を装備していたカウンティ級重巡洋艦カンバーランドと交戦したアルジェリーのみがある程度の損害を受けただけで、2隻の防空巡洋艦は備砲威力の格差が大きすぎてシュフラン級重巡洋艦に歯牙にも掛けられずに一蹴されたのではないのか。
フランス海軍の重巡洋艦群の接近に浮足立った様子のキング・ジョージ5世の司令部艦橋の中で、笠原大尉はどこか冷ややかな目で周囲を見ていた。
もしも第1航空艦隊で戦艦分艦隊を率いる高橋中将から連絡があったように、日本海軍の一個水雷戦隊を増援として受け入れていればここまで事態が悪化することはなかったのではないのか。そう考えていたからだ。
第1航空艦隊からの連絡では、フランス艦隊の迎撃に差し向けられた戦艦分艦隊には巡洋分艦隊から第2と第4の2個水雷戦隊が配属されていた。分艦隊司令官である高橋中将がどちらをK部隊への増援として考えていたのかは分からないが、どちらの水雷戦隊も戦力は同等だった。
戦隊旗艦はいずれも改正軍縮条約による日本海軍の保有枠増大を利用して建造された阿賀野型軽巡洋艦だった。
旧式化した球磨型以降の5,500トン級軽巡洋艦やより小型の天龍型を代替する目的で建造されたから、阿賀野型の排水量は前級最上型軽巡洋艦とは異なり、条約規約を下回る7,000トン級でしか無かった。
だから、大型の最上型軽巡洋艦のように準主力艦として運用するのは難しいが、駆逐隊の先頭にたって敵軽快艦艇による防御線を火砲を用いて突破させるとともに、自らも敵主力艦に向けて雷撃を敢行するというある意味で軽巡洋艦本来の水雷戦隊旗艦という任務を与えられた為に、ある程度の指揮能力と巡洋艦程度の艦艇と交戦可能な砲戦能力、強力な雷撃能力などを過不足なく発揮する使い勝手の良い軽巡洋艦だった。
阿賀野型の戦闘能力はそれほど高くは無かった。おそらく単艦で戦闘を行えば、防空艦として建造されたダイドー級でも互角に渡り合えるのではないのか。
ただし、戦隊旗艦として建造された阿賀野型は戦場に単艦で進出することはあまり考えられなかった。指揮下の複数の駆逐隊と一体に運用されて水雷戦隊単位で戦闘を行うのが常だったからだ。
日本海軍の場合は駆逐隊は駆逐艦3乃至4隻で編成され、水雷戦隊は旗艦となる軽巡洋艦1隻の下に3乃至4個駆逐隊が置かれるから阿賀野型軽巡洋艦は最低でも10隻以上の駆逐艦を帯同することになる。
実際には水雷戦隊単位では規模が大き過ぎて小回りがきかないことがあったから、駆逐隊単位で分派される事もあったし、地中海での激戦で戦線を離脱した艦もあったから、駆逐隊に欠員も出ていた。
だが、第1航空艦隊はこのシチリア上陸作戦の前に水雷戦隊に大規模な再編成作業を行っていた。予備兵力である水雷戦隊を戦力として整えると共に、輸送分艦隊直援となる第5水雷戦隊を使い勝手の良いより小規模な戦力として再編成していたのだ。
この措置によって第5水雷戦隊や、旗艦である軽巡洋艦夕張を喪失して本国で再編成となった第6水雷戦隊から転属となった駆逐艦を加えて第2、4水雷戦隊は一時的に戦力を回復させていた。
確かに、先のマルタ島沖海戦における夜戦で、従来ほどは水雷戦隊などによる大規模な雷撃の実用性が疑われてはいたが、喫水線下に大きな損害を与えられる魚雷攻撃そのものが否定されたわけではないから、水雷戦隊の戦力は決して戦艦群でも無視できなかったはずだ。
水雷戦隊を積極的に戦闘に加入させなかったとしても、現在のように距離を取ろうとする敵艦の予想針路に展開して友軍戦艦との近距離砲戦を強要することぐらいは出来たのではないのか。
だが、フランス艦隊に対してやや不利な戦力のまま戦闘に突入した結果、戦局は笠原大尉の予想通りK部隊の戦線が崩壊し始める形で進んでいた。
切っ掛けとなったのは敵戦艦の転舵直後にこちらも回頭を開始してしまったことだった。シュフラン級2隻の重巡洋艦群が合流する前にリシュリュー級に損害を与えておきたいという焦りがあったのかもしれない。
しかし、カナンシュ少将の判断はすこしばかり早すぎた。敵戦艦群が、これまでとは異なりその場で一斉回頭していたからだ。笠原大尉は唖然としながらその様子を見つめていた。
敵戦艦群は、それまでの一斉回頭によって2番艦が先頭に入れ替わっていた。たった2隻の艦隊とはいえ、敵前で一糸乱れずに一斉回頭をするとは予想外だった。
リシュリュー級の行動が国際連盟軍に確認されたのはこれが始めてだったが、敵艦乗員や指揮官の練度はかなり高いようだった。これまでの針路から180度以上捻じ曲げられた新たな針路を驀進しようとしている敵戦艦群を見ながら笠原大尉はそう考えていた。
敵戦艦が再び距離を取ると判断したカナンシュ少将は、敵艦の予想進路に接近するように艦隊を回頭させていた。だが、敵戦艦はその場で回頭を続けたまま、今度はこちらに向けて急接近するように新たな針路をとっていた。
回頭を終えたのは、隊列を保ったまま針路を変えたK部隊戦艦群の方が早かった。だが、敵艦の思わぬ行動につられたのか、K部隊戦艦群の動きにはどこか戸惑いの色が見えていた。
艦橋内の困惑は射撃指揮所にも伝播していたようだった。いち早く回頭を終えて針路を安定させたキング・ジョージ5世が敵艦に先んじて主砲射撃を再開していた。
だが、司令部艦橋から見ても、今回の射撃はどこか腰が引けているような気がしていた。
これまでキング・ジョージ5世による射撃は、視程の利く日中で、更にレーダーによる観測まで併用していたにも関わらず有効射は得られていなかった。敵戦艦群が巧みな機動を行って14インチ砲の実用有効射程内に踏み込ませなかったからだ。
もちろんこの距離ではリシュリュー級の38センチ砲も有効打を与えるのが難しかったはずだ。事実、今までの射撃では幾度か挟叉されて至近弾の破片によって少々の損害は出ていたものの、主砲射撃能力といったキング・ジョージ5世の戦闘力そのものに低下は見られなかった。
ただし、主砲弾の重量はリシュリュー級の方が大きいし、砲身長の関係から初速も大差無いはずだから、この距離では敵艦からの射撃のほうが落角が大きくなって水平装甲に着弾する確率が高かった。
キング・ジョージ5世級戦艦は装甲厚を高くとった防御性能に優れた戦艦だったが、水平装甲は標準的なものにとどまっているとも聞いていたから、場合によってはあっさりと装甲を撃ちぬかれる可能性もあったのではないのか。
それにもかかわらず、これまでキング・ジョージ5世による射撃は敵艦に劣らぬ勢いで続けられていた。むしろ発射間隔で言えばキング・ジョージ5世の方が短かったほどだ。
おそらく射撃精度よりも手数を優先したのと、レーダー観測によって得られた高い精度の観測値に信頼をおいているのだろう。それが功を奏することがなかったのは、当初の想定よりも戦闘距離が長かったからではないのか。
しかし、敵艦の一斉回頭によって戦艦群同士がお互いの艦首を向け合う反航戦になって急速に距離が縮まりつつあったにも関わらず、キング・ジョージ5世や続行するプリンス・オブ・ウェールズの射撃からは勢いが弱まっていた。
ふと気にかかって艦橋から後方のプリンス・オブ・ウェールズを確認した笠原大尉は、その理由に気がついていた。
キング・ジョージ5世級戦艦は四連装砲塔と連装砲塔が1基づつ艦橋前の前甲板、残る四連装砲塔1基が後檣楼より後ろの甲板に装備されていたが、その後部甲板に据え付けられた第三砲塔だけが発砲していなかったのだ。
発射間隔には変わりがないし、艦橋から見える第1、2砲塔にも変化がないから最初は気が付かなかったようだ。
―――この対敵角度では上部構造物が邪魔になって第3砲塔は敵艦を射界に収められないのか……
笠原大尉はキング・ジョージ5世だけではなく、プリンス・オブ・ウェールズも後部の第3砲塔を舷側に旋回させたまま虚しく宙を睨みつけているままなのを確認していた。
キング・ジョージ5世級戦艦の4連装砲塔は、英国海軍が始めて設計した戦艦主砲用四連装砲塔だった。経験のないこのような多連装砲塔の設計には多々の問題が生じたらしく、竣工直後の同級の主砲射撃は不調で、主砲に限った話ではないが艦隊への就役当初は残工事を行う工員を乗せたまま作戦行動を行った艦もあったらしい。
だが、1番艦キング・ジョージ5世の竣工から3年が過ぎた現在では、四連装砲塔の故障問題は度重なる改造工事と運用手法の確立によって解決していると笠原大尉は聞いていた。
事実、この戦闘の間も第3砲塔は射撃を継続したのだから、2隻の同型艦が揃ってこの砲塔だけが故障した可能性は考えられなかった。
―――リシュリュー級を率いる敵司令官はこれを狙ったのだろうか。
ダンケルク級に続いて、英国海軍のネルソン級、米海軍のノースカロライナ級と同じように主砲塔を前方集中配置としたリシュリュー級ならば、急角度で敵艦に相対していたとしても全主砲塔を使用できるはずだった。
だが、笠原大尉はすぐに自らの考えを否定するように首を振っていた。現在の両艦隊の速度で反航戦を続ければ、K部隊戦艦群とリシュリュー級2隻の間隔は急速に狭まると同時に相対角度も変化することになる。
しばらくすれば、上部構造物前後に主砲塔を分散させる通常の配置をしたキング・ジョージ5世とプリンス・オブ・ウェールズも第3砲塔を含めた全主砲での射撃が可能になるはずだ。
それに距離が縮めば敵艦に対して口径の小さいキング・ジョージ5世級の14インチ砲の命中率も上がるし、装甲貫通距離も伸びるはずだ。そうなれば手数の多いキング・ジョージ5世級の方が優位となる可能性もあるのではないのか。
それに反航戦では最接近以後は転舵まで敵艦に背を向ける姿勢になってしまうから、今度は第3砲塔を後部甲板に配置して後方にも主砲射界が存在するキング・ジョージ5世級の方が有利になるはずだ。
もちろん第1、2砲塔はその間発砲できなくなるはずだが、敵艦に対して一方的に主砲弾を放つことは出来るのではないのか。
つまり、今現在は一時的に不利であっても、更に複雑な機動を行わないかぎり、敵艦隊の優位は続かないはずなのだ。
改めて敵司令官の意図を探ろうとしていた笠原大尉は、前方の見張り員からの報告を聞いて眉をしかめていた。どうやら2隻のシュフラン級重巡洋艦、それに遅れて続いている重巡洋艦アルジェリーも転舵を開始したらしい。
艦橋に置かれた海図台に目を向けて敵戦艦群と新たに出現した重巡洋艦群、それにキング・ジョージ5世級2隻のK部隊戦艦群の針路を脳裡に描いた笠原大尉は思わず目を見開いていた。
このままではK部隊戦艦群は敵重巡洋艦群によって行く手を遮られるはずだった。前進を続ければ、8インチ砲の射程内にまで踏み込んでしまうのではないのか。
8インチ砲では重防御のキング・ジョージ5世級戦艦に対してそう簡単に有効打を与えられるとは思わないが、2隻、遅れているアルジェリーも含めれば3隻の重巡洋艦による20門を超える数の8インチ砲の砲撃は、戦艦相手でも無視できない火力となるはずだった。
かと言って巡洋艦群による砲撃を恐れて迂闊に機動する事はできなかった。巡洋艦群を避けて無理な進路を取れば、より大きな脅威であるリシュリュー級に優位な位置をとられるかもしれないからだ。
むしろ、後方に主砲の射界を持たずに死角を持つリシュリュー級の支援を行うために、敵重巡洋艦群はこのような機動を行っているのではないのか。K部隊戦艦群の自由な機動を阻害することで、リシュリュー級の射界に収め続けようというのだ。
笠原大尉は、反射的にカナンシュ少将の方を伺っていた。少将がこの展開を把握しているかどうかはわからなかったが、ここでどのような指揮をとるつもりなのかが気になっていたのだ。
視線を向けられたカナンシュ少将も、笠原大尉と同じように眉をしかめて海図を睨みつけていた。どうやら、敵重巡洋艦群の狙いには気がついてたらしい。
ふとカナンシュ少将は顔を上げると、視線を向けていた笠原大尉と目を合わせていた。気まずそうに大尉が視線をそらすよりも早く、少将は険しい表情をした顔を大尉から背けながら艦長に向かっていった。
「右回頭用意、合図あり次第回頭を開始しろ。砲術長にも予め伝えておけ。それと左舷両用砲群は敵巡洋艦群に対して射撃用意だ。こちらは射程に入り次第命令を待たずに射撃開始だ。以上をプリンス・オブ・ウェールズにも送信」
最後は通信参謀に向けてカナンシュ少将はいっていた。
―――カナンシュ少将は戦艦群と重巡洋艦群の双方を相手取って戦闘を継続するつもりなのか……
笠原大尉は懸念を抱きつつあった。主砲で相対する戦艦群はともかく、キング・ジョージ5世級戦艦が装備する13.3センチ口径の両方砲では8インチ砲を装備した重巡洋艦を制圧し続けるのは難しいのではないのか。
現にキング・ジョージ5世級戦艦が片舷に指向しうる両用砲群4基8門と同数の13.3センチ砲を主砲として装備した軽巡洋艦フィービ、ロイヤリストの2隻は重巡洋艦群との戦闘に敗北していたはずだった。
中途半端な中間口径砲では、戦艦以下の艦艇が装備する砲としては最大口径の8インチ砲に撃ち負けてしまうのではないのか。
しかし、戦局は笠原大尉の予想を超えて急速に展開しようとしていた。通信参謀がキング・ジョージ5世の通信長にカナンシュ少将の命令文を発信させるように命令する声に被せるようにして艦橋後部を担当してた見張り員が悲鳴のような声を上げていた。
見張り員の声は、プリンス・オブ・ウェールズに複数発の被弾が生じたことを告げていた。
そして次の瞬間すさまじい閃光と衝撃がキング・ジョージ5世の司令部艦橋を襲っていた。
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