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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦16

 敵部隊の上陸を支援するための艦砲射撃から始まったその日は、ひどく長く、辛い一日だった。デム軍曹は迷い込んで合流した陣地周辺がようやく夜の帳が下り、暗闇に包まれようとしているのを密かに安堵しながら空をみあげていた。

 だが、周囲が暗くなっても安心はできなかった。デム軍曹が見上げた空には、天候が思わしくなかった昨日の夜とは打って変わって、他の星々を押しのけるように眩く光る月が姿を見せようとしていた。
 昼間よりも暗くはなりはしたものの、シチリア島の荒涼とした岩肌は、月明かりに照らされて白く光っていた。
 この光量では専用の夜間戦闘機どころか、単発単座の昼間戦闘機でも容易に飛行できるのではないのか。デム軍曹はげんなりした顔でそう考えながら、岩肌から、遥か海岸近くまで広がる僅かな立ち木と小麦畑の方に向き直っていた。


 デム軍曹が生まれ育った中部ドイツでは、ちょうど今頃が小麦の収穫時期のはずだが、幸いなことに温暖な地中海に面するシチリア島では収穫期はもっと早いらしく、周囲の小麦畑は収穫されていくらか経っているらしく、昼間に見た畑は赤茶けた地肌をむき出しにしていた。
 ただし、畑の色彩は何処かまばらだった。周囲の様子を見る限りでは、収穫を終えてから何ヶ月か過ぎているはずだが、収穫後の土造りが中途半端だったり、収穫を行った後は放置されているような耕作地が多かったのだ。

 耕作を放棄された畑があるのは、開戦後の相次ぐ動員の強化で、農家の働き手も軍に招集されたからかもしれなかった。
 ドイツ本国では東部戦線の開戦直後に大量に獲得した捕虜の一部を、兵士として動員されて働き手のいなくなった農場などで労働させていたが、イタリア軍の場合は労働させようにも獲得した捕虜の絶対数自体が少ないはずだし、前線に近いシチリア島では大規模な捕虜収容所の建設は出来なかったはずだ。
 それに最近では、自国の兵役適齢者の大半を何らかの形で動員してしまったドイツ軍でも、ソ連軍の捕虜からも多くの志願者を募っていると聞いていた。

 一時は占領下にあったフランスでも武装親衛隊がフランス人からなる義勇兵部隊を編成しようとしていたらしいが、それはヴィシー・フランス政権の正式な参戦によって立ち消えとなったらしい。
 敗戦によって著しく弱体化した状態から再建されつつあるヴィシー・フランス軍は、その主力を北アフリカ戦線と本国防衛に割り振っていたから、ドイツ、イタリア両軍は自国の戦力のみでイタリア防衛に必要な戦力を整えなければならなかった。


 今次大戦の戦局が悪化した現在、イタリア軍は予備役招集や満期除隊の延長などの手段を駆使して兵員数の拡大を図っていた。特にイタリア本土への上陸が現実化した最近では、重火器などを省いた警備部隊である沿岸警備師団などの新編成を行っていた。
 だが、新たに設けられたイタリア陸軍の沿岸警備師団は、門外漢であるデム軍曹の目から見てもひどく頼りないものに見えていた。

 元々訓練期間を終えたイタリア軍の現役兵のうち、装備の充実した精鋭部隊はその多くが既にロシア戦線や北アフリカ戦線に送られていた。
 だが、それらの部隊の多くは、これまでに大きな損害を受けて再編成を受けるか、北アフリカ戦線に送られた部隊の中には再編成に必要な基幹要員すら確保できないほどの損害を受けたものも少なくなかった。
 何とか本国まで撤退できた部隊も、その多くは重装備を北アフリカに放棄して人員だけで後退してきたから、兵器生産数に伸び悩むイタリアが再度部隊を高練度に上昇させて装備を充実させるのには長い時間が必要だった。

 沿岸警備師団は、そのような損耗した部隊群を補うように再編成、新編成が相次いでいた部隊だった。シチリア島でも再編成中の4個歩兵師団と共に防衛任務につく沿岸警備師団が編制されていた。
 シチリア島に展開する沿岸警備師団は、国際連盟軍の上陸が予想される南西岸に南から第206、第18、第207の3個師団が海岸地帯に分散配置されて防御陣地を構築して上陸に備えていた。


 だが、今朝から始まった国際連盟軍の上陸作戦は、海岸近くのごく狭い地帯に構築されていた陣地に、戦艦、大型巡洋艦による艦砲射撃や、艦載機と思われる航空攻撃を集中して、事前の想定を遥かに超える物量を短時間の内に投射していた。
 特に、実際に国際連盟軍が上陸を開始した地点の周辺は念入りに砲爆撃を受けていたようだから、沿岸に構築されていた陣地はその大半が無力化されていたのではないのか。
 デム軍曹達が派遣されるはずだったジェーラの航空基地周辺には第18沿岸警備師団が展開していたはずだが、部隊の大半を沿岸地帯に展開させて水際防御を命令されていた同師団はわずか半日の戦闘で壊滅的な損害を受けて、後方の予備陣地まで撤退できた部隊は数少なかった。

 起伏の激しいシチリア島とはいえ、南西岸の海岸から数キロ圏内は耕作地の広がるなだらかな地形が連続していた。そんなところに急増の水際陣地を構築していたのだから、強大な戦力を誇る日英を主力とした国際連盟軍の攻勢に対して、沿岸警備師団が大きな損害を受けたのも無理はなかった。
 しかし上級司令部であるイタリア第6軍、その指揮官であるグッツォーニ大将にしてみれば、仮に大損害を受けることがわかっていたとしても、現地招集の老兵か訓練未了の若年兵からなる軽装備の歩兵部隊と、博物館から引っ張り出してきたような先の欧州大戦時ですら旧式化していた様な装備を与えられた砲兵連隊からなる沿岸警備師団では、沿岸に張り付ける以外出来なかったはずだ。
 練度に劣る上に機動力を持たない沿岸警備師団では運動戦を実施することなど不可能だったのだ。


 敵部隊の上陸を阻止するためには、沿岸で戦闘態勢が整っていない状態の敵上陸部隊を直接撃破することを狙う水際防御の他、沿岸部において最も強烈となることが予想される敵支援砲火を分散させるために、敵部隊をある程度内陸に引き込んでから念入りに構築された充分な縦深のある陣地で消耗を強要する内陸持久の2つが考えられた。
 だが、シチリア島を防衛するイタリア第6軍の戦略方針は明確に定まっていなかった。

 空軍の一下士官であるデム軍曹には詳細な事情が知らされることはなかったが、どうもイタリア軍とドイツ軍の現地軍の間で意見の衝突があったらしい。
 イタリア第6軍の指揮官で、シチリア防衛の責任者である老将グッツォーニ大将は、敵部隊が上陸してきた場合は、険しい起伏が連続するため防衛戦闘が容易なエンナ周辺の山岳地帯に在島する全部隊を撤収させて可能な限りの遅滞行動をとるとしていたらしい。

 典型的な内陸持久作戦と言えるが、援軍が存在しないかぎりシチリア島中央部の山岳地帯に全部隊が包囲される可能性は高かった。脆弱なメッシーナ海峡を使用するルートに全面的に後方連絡線を依存する以上は、本土からの迅速な援軍の到来で包囲網の解囲を行うのは難しいのではないのか。
 イタリア第6軍、それに駐留ドイツ軍を加えた兵力は決して少なくはないが、持久作戦だけで強大な国際連盟軍を諦めさせることが出来るとは思えなかった。


 それに対して、ケッセルリンク元帥などのドイツ軍の将官たちは、もっと積極的な防衛計画を主張していた。
 やはり詳細は噂が流れてきた程度だったが、それによれば国際連盟軍による上陸作戦が決行された場合、沿岸防衛師団は海岸近くに構築された各陣地に留まって抗戦し敵上陸部隊を拘束、その間にドイツ、イタリア両軍の予備戦力を迅速に投入して敵部隊を海に追い落とす、というものであったらしい。
 こちらは水際防御に近い考えだったが、実際に海岸陣地で防衛を行う部隊に加えて機動力に優れた予備戦力を後方から叩きつけるという点では、東部戦線で姿を表したという機動防御の考えを取り入れていたのかもしれない。

 しかし、ドイツ軍将官が立案したこの作戦も実際には完全に実行するのは難しかった。沿岸防衛師団が上陸したばかりで実戦力に不安のある敵主力を拘束する間に反攻作戦を実施するために、機動反撃部隊となる予備戦力は迅速な機動力と火力が必要だった。
 機動力がなければ沿岸防衛師団が抗戦しうる間に反撃を実施することが出来ないし、火力がなければ国際連盟軍を海まで追い落とすだけの戦闘は不可能だった。
 だが、デム軍曹の見るところ、ドイツ国防軍の装甲擲弾兵師団や空軍のヘルマン・ゲーリング師団はともかく、再編成中のイタリア軍の一般師団がそれほどの能力を持っているとは思えなかった。


 沿岸防衛師団以外のイタリア軍一般師団の多くは北アフリカ戦線からの撤退後にシチリア島で戦力の補充と再編成を行っている最中だった。それが国際連盟軍による上陸作戦が近々に想定された為に慌ただしく戦闘序列に組み込まれたのはそれほど前のことではなかった。
 当然の事ながら再編成中だから充足率は低く、北アフリカで失った砲やトラックなどの装備も少なく無かったから実際の戦力や機動力は同じく再編成中であっても国力の差からドイツ軍よりも著しく低いのではないのか。

 もちろん、再編成中のイタリア軍には強大な火力と機動力を併せ持つ有力な戦車部隊など存在していないはずだ。イタリア軍でも最精鋭を謳われたアリエテ、リットリオの機甲師団は共に北アフリカ戦線で壊滅していた。
 イタリア本国では機甲師団の新設が開始されたというが、実際に戦力になるのは当分先のことだろう。新設されるイタリア軍機甲師団は国内だけでは戦車の調達がままならずに、大半の装備はドイツから供与された三号戦車になるらしい。


 沿岸防衛師団が戦力を保持している間に、機動力も火力も足りない部隊が精鋭を投入してくるであろう敵主力と互角に渡り合う方法は一つしかなかった。予想される敵上陸地点近傍に事前に部隊主力を配置して、上陸直後の混乱に乗じて歩兵の近接戦闘距離まで一気に接近してしまうのだ。

 イタリア軍の主力小銃であるカルカノ小銃は、幾つかのバリエーションはあるものの、基本的には先の大戦時で使用していたものと同型といってよかった。
 しかし、今次大戦に参戦した列強各国で使用されている小銃にそれほどの性能差はなかった。

 日本軍は歩兵銃をセミオート射撃の可能な自動小銃に切り替えていたし、ドイツ軍の一部も主力小銃こそボルトアクションのKar98kを継続使用していたが、一部の部隊はGew43自動小銃や機関銃のようなフルオート射撃すら可能なMP43まで装備していた。
 しかし歩兵分隊の火力の根幹が各員の小銃ではなく、分隊ごとに配備される軽機関銃などであることを考えれば、大きく部隊単位でみれば小銃の性能差はそれほど影響がなかったのだ。
 それにフルオート射撃が可能なMP43のような特異な火器はともかく、訓練された歩兵であればボルトアクション方式であっても発射速度の点で自動小銃に劣るものではないらしい。

 近接戦闘距離まで接近する理由は、歩兵の有する小銃の性能であれば国際連盟軍に太刀打ち出来るということだけではなかった。
 状況が錯綜しがちな至近距離で交戦することになれば、敵味方の識別が難しい航空支援はもちろん、絶大な火力を誇る一方で危害半径が大きすぎる重砲や艦砲射撃による支援も難しくなる。
 そのような状況であれば貧弱な火砲しか持たない沿岸防衛師団や再編成中のイタリア軍一般師団でも、火力に勝るはずの国際連盟軍と互角に戦えるはずだというのだ。


 デム軍曹がシチリア島での戦闘が始まる前に聞いた噂では、ドイツ軍上層部が強弁して積極案である水際防御をイタリア第6軍に強要したらしいという話だった。
 だが、このような作戦では、仮に短時間の間国際連盟軍と互角に渡り合ったとしても、近接戦闘距離で歩兵部隊が血みどろの激戦を繰り広げれば短時間の内に戦力を使い果たして消耗してしまうことは容易に予想できた。
 それに至近距離での戦闘が開始されてしまえば、兵力を引き離すのも難しいから撤退も容易では無いはずだ。つまり戦闘が始まればどちらかが勝利を得るまで交戦を中止することも出来ないのだ。

 イタリア軍は北アフリカ戦線で国軍の主力部隊とも言える精鋭部隊を喪失して再建中だったはずだ。そのような状況下で、将来の主力部隊の中核となることを期待されている再編成中の師団を、損耗させることがわかりきっている戦闘に投入することをイタリア第6軍の首脳が容易に選択するとは思えなかった。
 上層部の詳細な事情などうかがい知れないが、両軍首脳の間には相当激しいやり取りがあったのではないのか。


 それ以上に疑問だったのは、この方針転換が決定された時期だった。
 デム軍曹がこの噂を初めて聞いたのは、軍曹が負傷休暇を終えてシチリア島に駐留する原隊に復帰した頃だったからそれほど昔の話ではなかった。その頃もまだ真新しい話として出回っていたから、実際にドイツ軍とイタリア軍首脳の会談があったのも最近の話ではないのか。

 しかし、方針が変換されたとしても、決して小さな島ではないシチリア島内で大規模な部隊配置の変換を行うにはかなりの時間がかかるはずだった。
 一個師団の定数は通常は何処の軍でも一万から二万名に達する大所帯だった。再編成中で定数を満たしていなかったとしても、一万名を割るということはないはずだ。
 以前の戦闘で兵員に損耗があったとしても、よほど大規模な敵部隊に後方に浸透されたというのでもない限り、損害は前線で戦う歩兵のような近接戦闘部隊に偏るからだ。
 現代戦においては最前線で戦う部隊の後方には、整備や兵站といった後方支援のために膨大な人数が必要となるのが常識的だった。
 逆に言えば、戦力が低下した師団でも人数的にはさほど低下していないということになる。

 一万名といえば、それだけでもちょっとした都市の人口に匹敵する規模になるが、駐屯地を移動させるということはこの小都市並みの人数が衣食住を行う空間を移転させるということになるのだ。
 短時間の行軍ならまだしも、一個師団をある程度の期間一箇所にとどまらせようとすれば、野営地であっても上下水道や排泄、給食設備を設営するだけでも大規模な工事が必要だった。
 戦力となることを期待するのであれば、その程度の作業は必要不可欠だったが、もちろん宿営地の移設にはある程度の時間が必要だった。近代化に出遅れたイタリア軍は工兵装備に優れた軍隊ではないから、一度駐屯地を構えた師団を恒久的に再移動するには並大抵のことではないのではないのか。
 ましてや警備任務用の沿岸警備師団では工兵部隊そのものが貧弱なものしかなくても不思議ではなかった。

 果たして国際連盟軍の上陸までにイタリア軍の部隊移動が完結しているのかどうかは疑問だった。身軽な歩兵部隊はともかく、重器材を有する砲兵隊などは作戦発起点近くまで移動が完了していないのではないのか。


 だが、デム軍曹はそれよりも悪い予想が浮かんでいた。その予想が半ば確信に至ったのは、壊滅したジェーラの航空基地から何人かの地上要員とともに、彷徨うように後方に移動していた時に迷い込んだこの陣地で防衛に当たる部隊を見た時だった。
 海岸からやや距離のある、山岳地帯への入り口とも言える場所に構築されたこの陣地は、本来海岸線近くに駐留していたはずの沿岸防衛師団が使用しているものだったからだ。
 現地で招集されたらしい素人くさいイタリア兵たちは、不安そうな目でこちらを見ていたが、あまり言葉が流暢に通用しないのをいいことに、デム軍曹はお互いに無関心な様子を装っていた。

 この中では面倒なことにデム軍曹が一番の上級者だった。しかも整備や事務の兵ばかりだったから、武装も何丁かの拳銃があるくらいで非武装と言ってもいい状態だった。
 だからデム軍曹はこれ以上の厄介事を背負いたくなかったのだ。もしも軍曹はここで積極的にリーダーシップを発揮してしまえば、それに期待したイタリア兵たちまでもが付いてきそうな予感があったのだ。

 悪いことに日中はそれ以上の行動は不可能だった。朝から開始された艦砲射撃に始まって、艦上機と思われる単発の軽快な攻撃機による狙いすまされた急降下爆撃まで開始されたものだから、充分に隠蔽されていた陣地を離れる気になれなかったのだ。
 不安そうな顔を隠そうともしないイタリア兵達を見ながら、デム軍曹も内心不安に陥り始めていた。だから夜の闇に紛れて自分たちだけで逃げ出そうとしていたのだが、不安に思ったのはそれだけが原因ではなかった。


 ―――もしかすると、実際には両軍の方針のすりわせなど行われなかったのではないのか。ドイツ軍もイタリア軍も、どちらも相手が自分たちに従うと思って行動していただけではないのか。
 デム軍曹は、当座の目標と定めた山陰が月明かりに明るく照らしだされているのを忌々しそうな顔で見つめながら、そんなことを考えていた。
九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です
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二式艦上爆撃機彗星の設定は下記アドレスで公開中です
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