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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦15

 最初に発砲したのは、疎林の影に潜むようにして狙撃眼鏡のレンズが反射して目立たないように射座に陣取っていた美雨だった。三八式歩兵銃改造の狙撃銃から放たれた6.5ミリ弾は、衛兵所の建物の近くで立哨していた兵の眉間を貫いていた。

 美雨が持つ狙撃銃は6.5ミリの三八式実包がもつ高い弾道安定性のおかげで実用射程が千メートル前後はあるから、疎林から衛兵所までの百メートルはこの狙撃銃にとっては指呼の間といっても良かった。
 それを銃の名手である美雨が操るのだから、外すはずはなかった。


 だからというわけではないが、歩哨への命中を確認するよりも早く襲撃を行う厨川大尉達部隊主力は駆け出していた。標的とならないよう散開しながら、全員が無言のまま音も立てずに駆けていた。
 部隊を分割して相互に火力支援を行いながら前進を続ける交互躍進や、軽機関銃等による火力支援は最初から考えていなかった。巧遅よりも拙速をとったというわけでは無かった。
 支援を火力に頼るのではなく、美雨による狙撃で代替りしようと言うのだ。

 それに減音器を銃口に取り付けた狙撃銃の銃声はそれほど大きくはないし、音質が低くなるから石造りの衛兵所の中で待機する兵員は、襲撃に最後まで気が付かない可能性も低くは無かった。
 だから、出来るだけ余計な騒音を立てたくなかったのだ。


 厨川大尉達が潜んでいた疎林の端から衛兵所の建屋までは百メートルほどの距離があった。その僅かな距離を足音も立てずに大尉たちは一気に走破しようとしていた。
 まるで走りだした厨川大尉達によって倒されたかのように、最初に撃たれた歩哨が頭蓋を貫通した銃弾によって後頭部に開けられた銃創から血と脳漿を撒き散らしながらもんどり打って倒れこんでいた。

 衛兵所の外に出ていた兵はそれほど多くはなかった。建屋や機銃座周辺の塹壕の規模からして、ほとんどの兵員は居住施設でもある衛兵所建屋の中で待機しているのだろう。
 外の兵たちが大きく騒ぎ出す前に制圧しなければならなかったが、衛兵所に向けて駆け出した厨川大尉にはわずか百メートルほどの距離がひどく長いように感じていた。


 初弾から間髪を容れずに美雨は二発目を放っていた。次の標的となったのは機関銃座に据え付けられた重機関銃の射手だった。
 衛兵所の目前で大きく屈曲した街道に対して、これを射界におさめる位置に構築された機関銃座は、近くから見れば地面をすこしばかり掘り下げて土嚢を積んだだけの簡易なものだった。据え付けられた重機関銃も古くさい外観のフィアット・レベリ重機関銃だった。

 しかし、三脚の上に据え付けられた重機関銃は、接近する歩兵部隊にとっては致命的な威力を発揮するはずだった。たとえイタリアの小火器の常として、複雑な装填機構のおかげで発射速度が遅く信頼性が低いフィアット・レベリ重機関銃でも、土嚢の影に隠れて狙いにくい状態では厄介な存在だった。
 だから美雨もまだイタリア兵達が状況を把握して戦闘態勢を整える前に機関銃手を狙ったのだろう。

 今度も射撃は正確だった。歩哨が倒れこんだ音か、それともくぐもった銃声を怪訝に思ったのか、振り返りかけていた機関銃手の顔面に6.5ミリ弾が着弾していた。
 その後は一緒だった。頭蓋骨の中身を吹き飛ばされた機関銃手は、担当していたフィアット・レベリ重機関銃にもたれかかるようにして事切れていた。


 その頃にはのんびりと談笑していた周囲のイタリア兵たちも、自分たちに向けて駆けてくる厨川大尉達を見て、慌てて壕に駆け込もうとしていた。襲撃に参加する隊主力を率いていた厨川大尉は一瞬部隊の一部を残してこの場で支援させようかと考えていた。
 襲撃に参加する兵たちが手にしているのは射程の短いモーゼル拳銃だったが、百メートルを切るこの距離では充分に有効打になるはずだ。通常の拳銃ではこの距離で人間大の標的を狙うのは難しいが、モーゼル拳銃は射程は長いし、銃床を取り付けてフルオート射撃を行えば、制圧射撃もできるはずだった。

 しかし、走りながらすぐに厨川大尉はこの考えを捨てていた。突然陣地の後方から襲撃されたイタリア兵たちは、反撃のために塹壕に飛び込んだというよりも、慌てて逃げ出したようにしか見えなかったからだ。
 それにこの衛兵所の陣地は街道側に防衛戦を張ることを前提に構築されていたから、後方のこちら側からの攻撃には脆弱だった。つまり塹壕にこもったとしてもそれほど脅威にはならないのだ。

 それ以上に後方で支援する美雨の狙撃にも期待するところが大きかった。塹壕にこもった兵たちは、果敢に反撃しようとして身を大きく乗り出したり、大声で命令しようとしたものから次々と銃弾を撃ち込まれていた。
 塹壕に逃れたイタリア兵の数自体それほど多くはなかった。厨川大尉はそれを見極めると一気に衛兵所の建屋に取り付こうとていた。


 衛兵所の建屋にもようやく動きが見えていた。外の様子がおかしいことに気がついたのか、一人の兵が顔を出していた。
 だが、特務遊撃隊による射撃は美雨の持つ減音器の取り付けられた狙撃銃によるものだけだったし、イタリア兵の反撃も中途半端なものだったから、本格的な戦闘が始まったとは思えなかったのだろう。
 扉を開けた兵は、首を傾げながら塹壕の底に必死になって隠れようとするイタリア兵達を眺めてから、ようやく建屋のすぐ側まで近づいていた厨川大尉達に気がついて声を上げようとしていた。

 建屋まではほんの僅かだった。厨川大尉は、一気にその距離を駆け抜けると、声を上げようとしたその兵に体当たりをして、もつれ込むように建屋の中に踊り込んでいた。
 本来であれば外の塹壕を制圧してから建屋内に侵入する手筈だったが、向こうから無防備に外に出てきたのだから、内部に侵入する絶好の機会だと咄嗟に判断したのだった。


 肘を使って建屋から出ようとしていた兵に当身を食らわせてから、ようやく厨川大尉はその兵が他の兵とは服装が違うことに気がついていた。
 夏の最中で暑いのかいささかだらし無く前がはだけかけていたが、開襟の野戦服の襟元には二本線の下に星の付いた明らかに将校を示す階級章が縫い付けられていた。
 確かイタリア陸軍の階級体系では、二本線は中尉を示し、その下の星は先任を示すから、鳩尾に厨川大尉の体重をかけた一撃を食らってあっさりと気絶したのは中尉と大尉の間に当たる先任中尉ということになるはずだ。

 この衛兵所の規模を見る限り、ここに駐留する部隊が中隊以上という可能性は低いから、気絶した将校がこの場の最高指揮官である可能性は高かった。その指揮官が人事不省に陥ったのだから、この部隊の兵達が投降する可能性も低くはないのではないのか。
 僅かな間にそう判断すると、厨川大尉は手にした九五式拳銃を室内の兵たちに見せつけるように高々と掲げると天井に向けて9ミリ弾を1発だけ発砲してから大声で投降するように促成教育で習ったイタリア語で叫んでいた。


 厨川大尉が違和感に気がついたのはその直後だった。何かそこにあっては不自然なものを見たような気がする。最初に目に入ってきたのは困惑した様子でこちらを見つめる大勢の将兵の目だった。
 内心うろたえながら、厨川大尉は威嚇発砲が思ったよりも効果を上げていないことに気がついていた。大尉の手にした拳銃は特殊戦部隊向けに支給されている九五式拳銃特型だった。

 セミオートの九五式拳銃はモーゼル拳銃と比べると制圧力には劣るが、特型は長い銃身の先に専用の減音器を取り付けることも出来たから、隠密性を要求される特殊戦部隊には最適、のはずだった。
 だが、厨川大尉が機動連隊に配属されていた頃から愛用していた九五式拳銃だが、スリムな外見の上に減音器のせいで銃声は低く抑えられていたから投降を呼びかける大尉の声にも迫力が出ていなかったのだ。


 そのような厨川大尉の困惑が伝わったのだろう。建屋の扉から一番近くにいた男が叫び声を上げながら、とっさに手元にあった銃を取り上げて殴りかかろうとしていた。
 一瞬、周囲を見渡した厨川大尉は、何故か男が襲いかかってきたことで、逆に急速に脳裏の一部が冷めていくのを感じていた。


 小銃の銃床で殴りかかろうとしている男は、先ほど気絶した先任中尉以上に他の兵たちとは服装が異なっていた。違うのは服装だけではなく身にまとう雰囲気自体が違っていた。
 制服はイタリア陸軍の野戦服ではなかった。黒に近い緑色の布地に赤の襟章はドイツ国防軍、それも将官級の高級将校のようだった。その男だけが明らかに周囲の将兵よりも年嵩だったから雰囲気が違っていたようだ。

 おそらくこの部隊の所属などとは関係なく、連絡か、偶々この場に居合わせただけなのだろう。周囲の弛緩した様子さえあるイタリア兵とは緊張感が違っていた。
 それ以上に、良くは分からないが、貴族出身の高級将校なのか、生まれついての指揮官という雰囲気があったのだ。その雰囲気は気絶した先任中尉とは隔絶するものがあるのではないのか。
 この男がいる限り、この部隊は頑強に抵抗を続けるはずだ。しかし、同時に本来のこの部隊の指揮官ではないのだから、この男さえ無力化すれば、指揮官を失った部隊の士気は呆気無く崩壊する。厨川大尉はそう確信した。

 だが、そのようなよく訓練された高級指揮官であっても、咄嗟の事態では銃を使うよりも、原始的に手元にあるもので殴りかかってしまうものらしい。そのことに妙なおかしさを覚えて、思わず厨川大尉は笑みを浮かべていた。

 実は殴りかかってきた将官を除くイタリア兵たちは、そのような事態の中で笑みを見せていた厨川大尉に恐怖を覚えていたのだが、そのことに大尉自身は全く気が付かなかった。
 殴りかかってきた将官同様に、体が反射的に動いていたからだ。


 厨川大尉は、自分の神経が研ぎ澄まされていくような奇妙な感覚を覚えていた。同時に表情が漂白されたように一気に抜け落ちていた。
 大尉に遅れて建屋内に踊り込んで来た特務遊撃隊の兵たちが、大尉の体がじゃまになって援護射撃ができずに焦っていたが、そのような背後の慌ただしい動きに気を取られることはなかった。
 脅威となるのは、目の前の将官だけだった。厨川大尉と同じように、将官の体が邪魔で他のイタリア兵たちは満足に動くことが出来なかったのだ。

 厨川大尉は、次に頭上に掲げていた九五式拳銃から手を離すと、素早く右手は左腰に帯びていた軍刀に伸びていた。もっとも厨川大尉が帯びていた打刀で軍刀らしいのは拵えだけで、刀身は無銘だが大尉の一族に代々伝えられてきた話では、陸奥守吉行の作と言われる一品だった。
 実際に有名な刀匠である陸奥守吉行が作刀したのかどうかはともかく、透き通るような刃紋は軍刀というよりも、古美術品といったほうがふさわしい流麗さをその刀に与えていた。

 拳銃を手放した厨川大尉は、無意識の内に過去に幾度も道場の板敷の上で繰り返した動作をなぞっていた。自然と左腰に伸びた左手で鯉口を切ると、ほぼ同時に柄を握った右手でするりと滑り落ちるように刀を鞘走らせていた。
 無心のまま、厨川大尉は道場での稽古のように逆袈裟に刀を振り上げていた。

 将官が銃床を振り下ろすよりも早く抜かれていた刀身は、衛兵所建屋の薄暗がりの中では、一瞬のうちに稲妻が走ったようにしか見えなかったのではないのか。
 気がついた時には将官が斬られて、厨川大尉の手に音もなく刀が収まっていたように見えたはずだ。


 厨川大尉が抜刀の緊張から抜け出すと、どたどたとがさつな音を立てて特務遊撃隊の兵たちが室内に駆け込みながら銃を構えようとしていた。
 そして、振り下ろそうとしていた銃床ごと斜めに切り裂かれた将官の首から噴水のように血が吹き出していた。
 唖然として両軍の将兵が見つめる先で、将官の体は力を失ってゆっくりと倒れていた。勢い良く吹き出し続ける血流とともに、倒れこんだ衝撃で外れた頭部が転がっていた。

 将官の首が足元まで転がってきて思わず恐怖の色を浮かべて後ずさりしてしまったイタリア兵の顔を、返り血を僅かに浴びた厨川大尉はじろりと見つめると、今度は日本語でいった。
「次に掛かって来るのはは誰だ。おとなしく縄に掛からねば、斬るぞ」
 あまり大きな声ではなかった。なぜそのような時代がかかった言い方になったのかもわからなかった。それ以前に日本語を解するものは、特務遊撃隊の隊員たちまで含めても、この場には一人もいなかったはずだ。
 だが、先ほどのイタリア語で呼びかけた時とは効果は段違いだった。恐怖を浮かべたイタリア軍の将兵たちは競うようにして特務遊撃隊の隊員達が向けるモーゼル拳銃の前に高々と両手を上げながら、哀れっぽい声で何かを懇願していた。


 厨川大尉はイタリア兵たちの急変ぶりに首を傾げながら、抜刀の緊張で知覚が鋭敏化されたことの反動なのか、手際よく投降したイタリア兵達を武装解除していく隊員たちを見ながら、こういった時には洗練された外観の九五式拳銃よりもいかついモーゼル拳銃のほうが押出しが効いていいなと益体もないことを考えていた。

 だが、厨川大尉はすぐにげんなりとした顔をすることになった。特務遊撃隊の隊員たちが無遠慮に楽しげな声で話すのを聞いてしまったからだ。
「こいつら何を言ってるんだ。南、早く通訳の役立たずを連れてこいよ。こんな時くらい役になってもらわんとな」
「なぁに、通訳なんぞいらんさ。どうせお母ちゃん怖いよ、斬り殺されたくないよとでもいってるだけさ」
 にやにやとしまりのない笑みを浮かべたお調子者の南は更に続けた。
「次も拠点を襲ったら最初に先生に一人斬ってもらおうぜ。そしたら残った奴らみんなおとなしくなるさ」

 言われた方の隊員も面白そうな顔で頷いていたが、後ろ手に縛られたイタリア兵達だけは、不安そうな顔でいつまでも特務遊撃隊の隊員達と返り血を浴びて表情の見えない厨川大尉を交互に見つめていた。
九五式拳銃の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95p.html
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