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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1943シチリア上陸戦17

 奇妙な音が聞こえてきたのは、密かに陣地を抜けだして行軍を開始してから数時間も立ってからの事だった。


 山岳地帯を縫うように複雑に曲がりくねった街道の真ん中を堂々と歩くわけには行かなかった。街道はさほど広くはないが、夜間であっても継続的な監視の目があると考えるべきだった。
 しかし、起伏の激しい地形を超えるために街道が曲がりくねっているくらいなのだから、特別な山岳用の装備を持たないデム軍曹達が山麓に逃げ込んでも簡単に踏破できるとは思えなかった。

 結局は街道を目視できる中途半端な距離を保ちながら移動するしか無かった。場合によっては街道上を通過するしかない場合もあったが、その時は露出を最低限とするように心がけていた。
 あるいは、必要以上に警戒していたのかもしれなかった。いくらなんでも上陸初日から国際連盟軍が海岸から離れてこんな山岳地帯まで侵攻できる可能性は低いだろう。


 ただし、その場合も安全に移動できるのは夜間だけのはずだ。朝になれば、ジェーラやリカタの飛行場を応急修復して国際連盟軍の航空機が飛来する可能性は高いのではないのか。
 上陸に先駆けて行われた艦砲射撃によって両飛行場は破壊されたはずだが、日英軍はブルドーザーや転圧機といった工兵車両や専用機材が充実しているらしいから、危険の大きい夜間爆撃でも強行されないかぎりは夜を徹して作業を行えば、ある程度の修復は出来るのではないのか。

 デム軍曹が想定していたのは、北アフリカ戦線で襲撃された経験もある九八式直協機だった。日本陸軍の九八式直協機は決して強力な機体ではなかった。エンジン出力は500馬力程度と低いし、主脚は1930年代後半に制式採用された機体なのにスパッツ付きの固定式だった。
 もしもデム軍曹が、今頃はジェーラ郊外の滑走路で残骸を晒している愛機Bf109に乗り込んでいたのであれば、低速で脆弱な九八式直協機などいい鴨としか思わなかったはずだ。

 だが、地面を這いずりまわるしかない身になってみると、九八式直協機は厄介極まりない敵機に変貌した。確かに機体は低速だが、視界の広い大型の風防と合わさると、僅かな行動でも上空から発見される危険性が高まるだけだった。
 他国の戦闘機改造の単発の戦術偵察機は高空を通過するだけだから少数の歩兵部隊にとってはさほどの脅威ではないが、地上部隊と密接な連絡を取り合って行動する九八式直協機の脅威度は低くはなかった。

 それに、ドイツ空軍でもこのクラスの連絡機は有していたが、それらの機体は基本的に非武装だった。それに対して九八式直協機は小口径の機銃に加えて合計100キログラム程度の爆装能力も有していた。
 やはり本格的な戦闘機や攻撃機に比べれた取るに足らない武装だったが、歩兵部隊を相手にするには充分すぎるほどだった。
 対空装備を有する部隊であれば撃退は容易だろうが、逆に言えば戦場で出くわす可能性が高い軽飛行機程度のために対空砲をどの部隊でも備えなければならないということになるのではないのか。


 実際にデム軍曹が恐れているのは、九八式直協機が旧式な枯れた技術を使用しているがゆえに、前線近くの応急飛行場からでも運用できる信頼性と高い短距離離陸性能をもつと言われている点だった。
 高価で高速の一線級戦闘機であれば野戦飛行場での事故による損耗も少なくないから、上陸してしばらくの間は無用の損耗を恐れてシチリア島に送り込まれる可能性は低いと思うが、緊急に修復された滑走路からでも運用できる九八式直協機であれば進出は容易では無いのか。

 もちろん、脅威となるのは陸軍機だけではない。日本海軍は複数の大型空母を地中海に投入しているというから、その艦載機は500機前後はあるはずだ。
 この数は、イタリア南部に駐留するケッセルリンク元帥率いるドイツ空軍第2航空艦隊と比べても遜色ない数字だった。これに加えて北アフリカやマルタ島からも出撃機はあるはずだから、独伊航空戦力の劣位は必至だった。


 デム軍曹は暗い顔をしながら、ぞろぞろと彼の後をついてくるようにして歩く面々に振り返っていた。付いてきたのはジェーラの航空基地から脱出していたドイツ空軍の兵士だけではなかった。

 結局、日中の間潜んでいた陣地の元の住人であるイタリア兵たちもいつの間にか後を付いてきていたのだ。デム軍曹は密かに陣地を抜けだしたつもりだったが、最初から逃げ腰だったイタリア兵達は目ざとくそれを見つけていたのだ。
 最も彼らはデム軍曹たちの逃亡を咎める気は全く無かった、むしろこれ幸いと同行する方を選んだのだ。

 デム軍曹たちにとっては意外なことに、彼らの同道は軍曹たちにとっても利点が少なく無かった。早期の編制完結が要求されていた沿岸警備師団の兵員はその殆どが防衛に当たる地域から招集されていた。
 本当にシチリア島のこの辺りで生まれ育ったものも少なく無かったから、街道を離れた裏道などの地理に通じた兵がいたのだ。彼らの存在がなければ、今以上に無防備に移動しなければならなかったはずだ。


 兵役適齢の中核である現役兵の数は限られていたから、沿岸警備師団の兵は、兵役をとうの昔に終えたところで予備役招集を受けた老兵や、これまで健康診断などで兵役基準を満たしていなかったものが多かった。
 その上、話を聞いてみると招集された沿岸警備師団は大部隊単位での訓練をほとんど行っていない状態だったらしい。個人単位での練度があまりにも低く、小隊どころか分隊内での動きすら徹底されていないものだから、師団規模での訓練などを行っても碌な効果は期待できなかったからだ。

 沿岸警備師団の編制が決定されて動員が開始されてからこれまでの期間が短かったものだから、師団の練成に必要な期間が取れなかったのだろう。
 再招集を受けた老兵ですらもう何年も軍隊とは関わり合いのない生活を続けてきたのだから、始めて招集を受けた兵は銃の撃ち方すら満足に訓練する余裕もなかったのではないのか。

 おそらくは配属された将校も、招集を受けた予備役将校や正規の士官教育を受けたことのない戦時昇進をうけた下士官出身者ばかりではないのか。もちろんそんな将校に諸兵科連合の大部隊を統率する高い指揮能力は期待できなかった。
 それどころか、最新兵器の性能や戦術すら理解していない老兵も少なくないのだろう。


 逆説的かもしれないが、デム軍曹は沿岸警備師団を海岸近くの陣地に張り付け配置としていたドイツ軍上層部の判断は正しかったのかもしれないと考えていた。
 招集されたばかりでろくな部隊単位での訓練も受けていない兵隊ばかりでは、仮に装備が優れていたとしても高練度を要求される機動戦に投入することなど出来なかったからだ。

 だが、海岸陣地に最後までこもって抗戦するのであれば部隊単位にさほど高い練度を要求することもないし、指揮官の能力もそれほど必要としないからだ。極端な話、指揮官は目の届く範囲、命令する声が届く範囲だけ見ていればいいし、兵士は銃さえ撃てれば最低限の役には立つだろう。
 もちろんそんな低練度の部隊の戦力などたかが知れているが、塹壕に篭った部隊を完全に制圧するのは相手が低練度であっても時間がかかるはずだ。
 それで敵部隊をわずかでも拘束できれば、その間に今度は機動戦を行うだけの高練度で機械化された部隊が投入されるのだろう。


 ただし、これはあくまでも兵士を一人の人間ではなく、単なる戦力の数値としか見ていない場合だった。デム軍曹は、わずかに皮肉げに考えていた。確かにドイツ軍の上層部は沿岸警備師団を人間の集合としては見ていないのだろう。
 別にデム軍曹は単なる人道的な感覚で考えていたわけではなかった。単にドイツ軍上層部の考えが、あまりに職業軍人の狭い視界からしか見ていないのではないのではないのかと考えていたのだ。

 デム軍曹自身も職業軍人たる下士官ではあったが、軍曹が軍人を志願した理由は、単に社会に出た頃にドイツが大不況の真っ盛りで職にあぶれており、その中で建軍さればかりの空軍であれば人数不足から何とか潜り込めるのではないかと考えていただけのことだ。

 それにデム軍曹は東部戦線で負傷してから暫くの間イタリア本土に駐留する部隊に所属してイタリア人たちと交流する気合があった。もちろん軍曹が知っているイタリア人とは貴族階級の多い高級軍人などではありえない。

 軍人であっても精々下級将校だし、殆どは下士官や徴集された兵だった。民間人であれば土産物を買いに出かけた市場で働く労働者や出入りの業者といったところだ。
 それだけにごく普通のイタリア人のメンタリティも理解しているつもりだった。あるいは、ごく普通の民間人と言い換えてもよかった。良くも悪くも、ドイツ人と比べると一般的にイタリア人は個人を重んじる感覚が強かった。


 昨日まで民間人として当たり前に生活していた人間が、銃の撃ち方を教えこまれただけで即座に兵士になれるのであれば苦労はしない。これが年若い新兵の教育であればそれほど問題はないはずだ。経験の少ない彼らは軍隊とは、戦争等はこういうものかと思うだけだからだ。
 だが、これまでの社会での生活で根付いた常識を抱えた人間を戦場で戦える精神を持った兵士にするのは難しいはずだ。それこそソ連軍にその存在が噂される督戦隊でもない限り、徴兵されたばかりの人間を兵士にすることなど不可能なのだ。
 軍隊における精神教育を軽視するものは、部内でさえいないわけではないのだが、これはむしろ兵士である彼ら自身の精神を守るためのもののはずだった。

 それに沿岸警備師団の兵士たちは、ドイツ軍が自分たちを敵主力を拘束するだけの役割を与えられた単なる捨て駒にすぎないと判断していることを敏感に感じ取っていたのではないのか。
 別に高い戦術眼や用兵の知識など必要なかった。自分たちを馬鹿にしたようなドイツ兵の目を見るだけで充分だったはずだ。

 そんな状態の沿岸警備師団の兵たちが海岸での死守命令を受けてもまともに戦うわけがなかった。むしろ勝手ばらばらに逃げ出さずに、後方に脱出して味方に合流しようとしているデム軍曹に同道しているだけまだ彼らはマシなのかもしれなかった。
 単に一見すればまともな軍人に見えるデム軍曹に安心して付いて来ているだけかもしれないが。


 だが、ここまで同道していた沿岸警備師団のイタリア兵たちは、浅い渓谷の底を伝うように伸びた街道の曲がり角の向こう側から微かに聞こえてきた騒音が聞こえてきた途端に不安そうな目でデム軍曹を見つめていた。
 正確には不安そうな目になったのはイタリア兵だけではなかった。ジェーラから共に脱出してきたドイツ空軍の地上要員も不審そうな目を街道の向こう側に向けていた。

 視線を向けられたデム軍曹は、こと更にゆっくりとした動作で余裕が有るように見せかけながら、腕にはめたパイロット用の時計に目を向けながら言った。
「意外と遅かったな」
 イタリア兵たちや地上要員たちを不安がらせないように半ば演技をしていたのだが、実際には月明かりで時計の表示を確認するのは難しかった。だが、あの陣地を抜けだしてから相当歩いてきたはずだから、すでに日付が変わっているのは間違いないはずだ。
 それにデム軍曹も確信があったわけではなかったし、予想よりも遅かったのも事実だった。
 だが、この街道はジェーラに向かう島内の主要通商路のようだから、遭遇する確率は低くはなかった。


 デム軍曹の演技に騙されたのか、地上要員の一人が首を傾げながら言った。
「軍曹は何が来るかわかってたんですか」
「状況から見て、機動反撃部隊に指定された予備兵力だろう。この辺りに配置されていたのは我が軍のヘルマン・ゲーリング師団か、イタリア軍のリヴォルノ師団だったはずだ。もしかすると国防軍の装甲擲弾兵かも知れないが、いずれにせよ機械化された有力な部隊のはずだ。
 おそらく空襲を避けて夜の間に攻撃発起点まで進撃して、夜明けとともに本格的な反撃に移行するのだろう」

 わざと明るい声で言ったデム軍曹の説明に、地上要員は目を輝かせていた。国際連盟軍の上陸初日は圧倒的な火力差からいいように叩かれてしまったが、まだ島内には無傷の有力な師団が残存していた。
 それらの部隊を集結させれば、明日は一気に反撃に出ることも可能なはずだ。言葉は完全にはわからなかったが、雰囲気で察したのかイタリア兵たちもお互いに安堵したような顔を見合わせていた。


 しかし、僅かな月明かりで何とか時計を見ようと向きを変えたりと四苦八苦していたデム軍曹は、ようやく現在時間を確認して僅かに眉をしかめていた。
 日が変わってからでも意外なほど時間が経過していた。どうやらあまり経験のない野外行軍が連続したものだから時間経過の感覚が曖昧になっていたらしい。

 いつの間にかほとんど夜通し歩き続けていたらしく、夜が明けるまでそれほど時間は残されていないようだった。
 デム軍曹たちは歩きだったし、行軍速度を上げられる街道を通行出来たわけではなかったからそれほど距離は稼げていないはずだが、それでもこの時間で現地点からジェーラ平原まで朝までに到達するのは難しいのではないのか。

 機動反撃部隊の攻撃発起点がどこかは正確なところは分からないが、夜明けまでにたどり着けるかどうかはわからなかった。
 夜が明けてもこんな曲がりくねった街道を行軍していては空襲の的になるだけだから、反撃が明日以降に延期されたのでなければ、ジェーラ平原の外れ辺りに反撃に参加する各隊の攻撃発起点が設定されているはずだが、反攻作戦に参加する部隊が戦車や半装軌車をふんだんに装備した機動力の高い部隊ばかりでなければそこまでたどり着くのは難しいのではないのか。

 ―――それとも、なにか予想外の事態が発生したのだろうか。
 唐突に銃声が聞こえたのは、デム軍曹がそう考えて首を傾げた瞬間だった。弾着は僅かに遅れて発生していた。
 足元に撃ち込まれた銃弾を、威嚇なのか単に外れたのかがわからずに、デム軍曹は固まったまま考えていた。
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