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1943北大西洋海戦3特設巡洋艦興国丸

 特設巡洋艦興国丸の指揮所の中央に設置された海図盤の上には、興国丸を中心とする周辺海域の状況が再現されていた。

 海図盤の前に立った伊崎少将と吉野大佐は、素早く興国丸に音源探知を報告してきた海防艦沖縄の位置を確認していた。このとき沖縄は船団針路の斜め前方の海域で、ほとんど停泊しているのと変わらないほどの低速度で航行を続けていた。


 船団の基準航行速度では自艦が出す騒音に紛れて聴音能力が著しく低下するものだから護衛艦艇の一部は、予め高速で船団の前方に出てから船団が側面を通過するまで最微速で聴音を行うことになっていた。

 敵船らしき聴音対象が発見されずに無事に船団に追いぬかれた護衛艦艇は、再度航行速度を上げて船団を追い抜いてから速度を落として聴音を開始する。この繰り返しで護衛艦艇は船団の側面からの敵潜侵入を警戒していた。


 この側面援護を繰り返す護衛艦艇の他は、船団後方に展開する船団護衛用に配属されていた航空母艦の直援にあたる艦や、敵潜が発見された際に増援として派遣されるために待機する艦、そして撃沈された輸送船からの船員救助艦などを兼ねた興国丸を始めとする特設巡洋艦による戦隊が存在していた。

 側面援護用の護衛艦艇が鵜来型海防艦などの対潜任務に特化した艦艇であるのに対して、空母の直援に付いているのは防空艦型や標準型の松型駆逐艦の場合が多かった。

 直援についている艦艇は、いざというときに増援として敵潜を発見した所に送り込まれることが多いから、海防艦よりも機動性の高い駆逐艦の方が予備兵力となっていたからだ。


 さらに船団護衛隊には英領南アフリカから合流した英海軍の戦艦レゾリューションまでもが含まれていた。二年前のダカール攻略作戦時に損害を受けたレゾリューションは南アフリカで損害復旧工事を行った後、インド洋で活動していたが、本格的な整備を行うために英国本土に帰還するのを兼ねて船団護衛任務についていた。

 日本海軍では戦艦クラスの大型水上戦闘艦を船団護衛に就けるような余力も確定された戦策もないが、英国海軍では鈍足の旧式戦艦を積極的に船団護衛に用いていた。独海軍がしばしば大型の水上戦闘艦をも通商破壊作戦に投入しているのに対抗するためだった。

 だが、船団護衛隊司令部では独水上艦の脅威を高く見積もっているものはいなかった。すでに独海軍の通商破壊作戦の主力はより秘匿性が高く、生産単価の低い潜水艦に移行していると判断しているからだった。

 日英混成の船団護衛艦艇が聴音による対潜警戒を重視しているのもそのためだった。



 不審音源を探知した沖縄は、船団の前方に出て聴音を開始したばかりだった。前後の状況からすると不審音源がドイツ海軍の潜水艦のものであることは間違いないようだ。海図盤の前の伊崎少将が確信を持った様子で言った。

「やはりこの不審音源は昼間に探知された独潜かな……」

 話しかけられた形の吉野大佐はしばらく考えこんでから重々しく頷いていた。

「詳細な検討は必要ですが、状況からしてその可能性は高いでしょう」

 そう言いながら、吉野大佐と伊崎少将は何らかの作業を行っている航海参謀に目を向けていた。古澤特務中尉も二人の様子をうかがいながら海図盤に再現された状況を見つめていた。



 予備役に編入されていたところを招集された吉野大佐は、少将進級から間もない伊崎少将よりも年齢は上だった。大佐は海軍兵学校を卒業した正規の海軍将校だったのだが、軍縮条約による海軍軍備の縮小の影響で予備役に編入されていたらしい。

 海軍兵学校同期の中にはすでに中将に進級したものもいたが、吉野大佐は予備役に編入されて長かったせいで卒業年度で言えばずっと後の伊崎少将に階級で追い抜かれることになったのだ。


 最近では船団護衛部隊を含む遣欧艦隊の規模の急拡大で高級指揮官が不足していたから、予備役士官の招集が相次いでいた。正規の軍艦はともかく、特設巡洋艦の艦長などには予備役から招集された士官が充てられることも多かった。


 ただし、予備役に編入されたとはいっても吉野大佐に何か落ち度があったとか、海軍兵学校の席次が悪かったということでは無かったらしい。

 古澤特務中尉が下士官達の噂話として聞いた話では、吉野大佐が予備役に編入された時期は軍縮条約によって現役艦艇の数が減少しており、艦隊勤務を好んで陸上勤務を嫌った大佐は予備役編入を自ら望んだらしい。

 予備役編入後はつてを頼って民間船会社で貨客船の船長職を務めていたというから、現役復帰後に同クラスの貨客船を原型とした特設巡洋艦の艦長を任されたのもその経験を評価されたということなのだろう。


 あるいは、予備役編入前の一時期に当時はまだ研究機関でしかなかった海上護衛総司令部で海上護衛戦闘の研究に携わっていた方を評価されていたのかもしれなかった。

 海上護衛総司令部が当時から護送船団方式や対潜戦闘の研究を行っていたのは、将来の戦争を見据えてのことと公式にはなってはいたが、実際には軍縮条約の影響で配置がなく予備役に編入するしか当座は使い道のない士官達を海軍にとどめておくための機関という側面もあったのではないのか。

 当時海上護衛総司令部で研究が行われていた成果の一部が現在の護送船団の編成に生かされていたのは事実だが、その後の軍縮条約改正による艦隊規模の拡大の際に逆に海上護衛総司令部の規模が縮小して、その分の人材が艦隊勤務や支援部隊に回された形跡があったからだ。


 もしかするとあと少しばかり予備役編入の時期が遅ければ、吉野大佐も適当な艦隊勤務の部署に配置されて今頃は艦隊を指揮する将官となっていたのかもしれなかった。

 古澤特務中尉は部外者ながら理不尽なものを感じていたが、当の吉野大佐は年下の上官である伊崎少将と相対しても特に気負った様子もなく飄々としたものだった。



 司令部要員が見守る前で、沖縄が探知した不審音源が海図盤と戦況表示板の上に再現されていた。伊崎少将は振り返ると古澤特務中尉にいった。

「今日の昼……いやもう昨日か、昨日の昼に探知された不審音源と電波源の位置を表示してくれ」

 古澤特務中尉は慌てて帳面を捲って該当の箇所を担当の兵に教えてみせた。担当の兵も緊張した顔で昼間に他の護衛艦艇が船団の側面方向で探知していた潜水艦らしき不審音源と唐突に現れて短時間で消えた電波源の位置を海図盤と戦況表示板に再現していった。


 昨日の昼間、僅かな期間に観測された不審音源と電波源の位置は曖昧なものだった。特に電波源の方は発振されたのが暗号化された位置情報であったらしく、発振時間がごく短時間だったものだから複数の艦で測定を行った後に計測結果を計算する際に大きな誤差が生じていたから、電波源と船団との距離は未確定なままだった。

 予め準備していたか、長時間の観測で精度を高めない限り、三角計測の要領では正確な位置の特定は出来なかったのだ。



 しかし、曖昧な状況にもかかわらず興国丸に座乗する護衛隊司令部の参謀たちは、その電波源と不信音源が同一の独潜水艦であると推測していた。その行動の規則性がここ最近の独潜水艦のそれと一致していたからだ。

 独海軍潜水艦隊は、何隻かの群単位で出撃すると船団航路帯で単艦に別れて哨戒を続けるものと思われていた。だが哨戒中も独潜水艦は艦隊司令部との連絡を絶やすことはなかった。船団に大打撃を与えるために、独潜水艦は単艦ではなく群単位での襲撃を基本戦術としていたからだ。


 哨戒中に船団を発見した独潜水艦は、それぞれ周波数帯の異なる無線機で周辺の海域で遊弋しているはずの僚艦や後方の司令部に向けて船団の発見を報告する。報告を受けた潜水艦隊司令部では無線をとりそこねた群の僚艦や更に遠方を哨戒中の別の群に船団が航行する海域への集結と攻撃の命令を出しているものと考えられていた。

 そして発見された船団は集結した独潜水艦に多方向から反復攻撃を受けることになるから、数少ない護衛艦艇が発見された潜水艦にかかりきりになっている内に別方向から無防備な船団に攻撃を受けることもあったのだ。

 最初に船団を発見した独潜水艦は、船団を視野に入れるぎりぎりの距離を保って接触を続けながら、必要に応じて僚艦を誘導しつつ夜間には一斉に攻撃に移るようだった。


 この群狼戦術と呼称される多方位からの攻撃を逃れるには、哨戒中の敵潜が僚艦や後方の敵司令部に通信を来る前に制圧するか、接触を継続しようとする敵潜を追い払うしか無かった。

 実際に、敵潜水艦らしき音源や電波源を探知した護衛隊は、探知した水上艦と共に昼間の内に随伴する空母から発進した哨戒機で敵潜の制圧を実施していた。

 敵潜の存在を明確に確認することは出来なかったが、敵潜の予想存在海域や水中航行速度を考えると、発見された時点で針路を変更した船団の追跡を行うことは難しいのではないかと判断されていた。

 つまり、護衛隊司令部では哨戒機による空中からの支援を受けた護衛艦艇の対潜制圧で接触を断つことが出来たと考えていたのだ。



 しかし、伊崎少将に命じられて海図盤の敵潜予想位置を元に類推されている独潜水艦の航続距離や速力を前提として素早く計算を行っていた航海参謀は、何度か計算しなおしてから眉をしかめながら言った。

「昼間の音源がこれまでに判明している標準的な性能の独潜水艦と仮定して、本船団の追尾を行いつつ日が落ちてから高速で航行すれば、計算上船団前方に進出することは不可能ではありません」

 伊崎少将は押し黙ったままだったが、険しい顔の航空参謀がすかさず口を開いた。

「だが、昼間の音源と現在発見されている音源が同一であると仮定するのは無理があるのではないのか。確かに独潜水艦の航行速度であれば、対潜警戒のため之字運動を続ける船団を追い抜かすことは難しくないだろう。

 だが昼間の間は隼鷹と飛鷹の艦載機が絶え間なく船団周辺の哨戒飛行を続けていた。水上艦の対潜制圧を仮に逃れられたとしても、航空哨戒の目から逃れられるとは思えない。少なくとも連続した水上航行など不可能だったはずだ。それよりも本船団が敵潜水艦の群狼戦術が狙う包囲網に陥ってしまったと判断すべきではないのか。そう考えれば哨戒中か攻撃待機中だった別の潜水艦に遭遇したと解釈することもできるのではないのか。

 そちらのほうが我が航空哨戒を敵潜が逃れ続けたというよりもありうると思うのだが」

 航空参謀は航空哨戒の成果を否定されたと感じたのか、険しい顔つきになっていたが、航海参謀のほうは戸惑ったような顔になっていた。


「私は計算上と申し上げたはずです。敵潜が船団から一定の距離を保って航行したとして、航空哨戒のたびに潜行して目視を逃れている間の時間も考慮に入れての計算結果です。

 昼間と現在発見された音源が同一艦であるかどうかは現在得られた情報からでは否定も肯定もできません。ただし、船団の航行速度と確率からして昼間と現在の敵潜が異なる場合、独海軍潜水艦隊はこの海域に相当に濃密な哨戒網を構築していたことになります。

 それこそ他の航路帯の哨戒を無視しているかのようにです。もしも独海軍が我が船団の行動を事前に把握してそのような哨戒網を構築していたとすれば、何らかの情報が独海軍に漏れていたことになります。航空哨戒が不調だったということよりも、そちらのほうがはるかに危険な事態である事になります。

 ことは我が海軍だけではなく、防諜体制の見直しとなれば海陸軍に加えて政府各機関、他国軍にも関わってきますから」

 航海参謀が淡々とした様子で言うと、航空参謀が再び口を挟もうとした。


 だが、その前に参謀長が首を傾げながら言った。

「計算上では敵潜が船団を先回りできるのは分かったが、現実的にそのような事が可能なのだろうか。航空参謀の言うとおり、航空機による哨戒の目を逃れるのはかなり難しいのではないのか。

 我が方の哨戒機は対水上電探を使用しているから、水上航行中の敵潜水艦を目視外から探知できるはずだ。それに哨戒機は交代で常に船団周辺の海域を捜索していたから、昼間の間に之字運動と針路の韜晦を続ける船団との接触を保ちながら水上航行を続けていたのならば、複数回接触があってもおかしくはないはずだ。

 そのたびに敵潜が常に我が哨戒機を先に発見して、適切な判断で先行していたというのはあまりにも出来過ぎていないだろうか。理屈の上ではありえたとしても、賽子の出目が常に一定になるようなものではないのか」

 参謀長は不思議そうな表情で、航空参謀と航海参謀の顔を見比べていた。古澤特務中尉も怪訝そうな顔になった参謀たちを見ていたが、ふと伊崎少将と吉野大佐が議論に加わっていなかったのに気がついていた。

 伊崎少将は参謀たちの議論に結論が出るまで自らの決断を先延ばしにしているようだった。それが一番効率のよいやり方だと判断しているのだろう。

 だが、吉野大佐は議論そのものに興味が無いかのように、一人で海図盤と航海参謀の手からもぎ取るように奪った計算結果を記した用紙を見比べていた。


 吉野大佐が口を開いたのは、議論が行き詰まったと見て伊崎少将が介入しようとした時だった。

「敵潜水艦には逆探知装置が搭載されているのではないのか。それに潜水艦長はかなりの手練なのだろう。慎重と大胆とをかね合わせた優秀な指揮官なのではないのか」

 あまり大きな声ではなかったが、議論を続けていた参謀たちを振り向かせるには十分だった。

鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/esukuru.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

特設巡洋艦興国丸の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/hskkoukokumaru.html

戦時標準規格船の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji2.html

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