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お料理教室




 隠し味 (かくしあじ)


 一般的にその料理に使われるメイン食材以外の材料、調味料のことで、気づかれない程度、ごく少量使用する。

 なければ料理が成立しないというものではない。




「あのー……ちょっといいにくいんですけど」

 とりあえず扉をそのままはめ込んで、壁のへこみ部分には名探偵直筆サイン色紙を何枚も貼ってごまかし、もとの状態をなんとなく取り戻した探偵社。

 昼食の時刻も過ぎていたが、昼は抜きということで、急遽お料理講座が開かれていた。

 講師、エリスン。補佐、シャルロット。

 そして受講生、キャサリン。

「なんでしょうか、エリスン先生」

 目を輝かせたキャサリンが、エプロン姿のエリスンに食いつく。エリスンはさらにいいにくそうに、苦笑いをした。

「あのですね……この場合の隠し味って、愛とか、そういうのじゃ?」

 実にいいにくいことだった。

 本来ならば、隠し味、それはずばり愛だ! とかいうのはシャルロットの仕事のはずだ。

「愛なら、込めています、もちろん」

 キャサリンが力強く断言する。

「わたしがジョニーに作るものには、いつだって、愛情たっぷりこもっています。でも、愛って、味、しないですよね?」

 リアリティ溢れる意見に、エリスンは衝撃を受けた。正論過ぎる。

「たしかに、キャサリンさんのいうとおりだ。愛とは一見美しいが、おそらくは無味無臭だろう」

 愛は無味無臭。名探偵から名言っぽいものが飛び出す。

「たとえば今日のビフォーアプリンだがね、エリスン君。もちろんあれには十二分に愛が込められていることと思うが、たとえそこに愛がなくとも、君のプリンはおいしいだろうという自信がある」

「愛はまったく込められていないし、申し訳ないけどあれはそもそもプリンになりそこねた液体だし、全然おいしくもなかったわよケンカ売ってんの」

 エリスンの声が低くなった。わかっていてやっているのならここにいる武闘派に制裁を加えてほしいものだが、悪気がないのだからたちが悪い。

「もっと、具体的なものを隠したいんです。作るのは、普通のクッキーでいいんですけど……なにを隠せばいいでしょうか、エリスン先生」

 キャサリンの目は真剣だった。

 なにを隠せばいいのか。

 味を隠せばいいのだが、なんの味を隠せばいいのか。

 エリスン脳はすでにショート寸前だ。そもそもあまり認めたくはないが、どうやら料理が得意というわけでもないかも知れないかも知れないエリスンにとって、あまりにも難題だった。

「それを、推理しようじゃないか。隠し味……カクシアジ。そう、ずばり! これだ!」

 シャルロットは振りかぶると、どうやらあらかじめ用意していたらしい皿を、どどんとお披露目する。

「こ、これは……!」

「これは……まさか、シャルロットさん……!」

 美女二人は瞠目した。

 シャルロットの掲げた皿に載っていたのは、アジだった。

 スズキ目アジ科アジ亜科。

 魚だ。

「誰もが……誰もが思いつくでしょうけども……! まさかこれを、本当に、やるというの……っ?」

 エリスンが打ち震える。カクシアジ。思っても越えてはいけない一線というものが世の中にはあるのではないだろうか。

「でも、上手に隠せるでしょうか……! わたし、自信がありません!」

 キャサリンは怖じ気づいていた。だって作りたいのは普通のクッキー。

「それを克服してこそのカクシアジではないのかな! さあ、作ろうではないか、エリスン君、キャサリンさん! いざ、アジを隠した普通のクッキーを目指して!」

 とりあえずエリスンが、アジを三枚におろした。

 それからできるだけ細かく、包丁で切り刻んでいく。

 まな板の上に、こんもりと、準備万端のアジ。

「これを、混入するわけですね」

 キャサリンが、小麦粉を入れる手前のボウルに、アジを景気よく入れた。混入とかいわないでください。変わる色味にエリスンはちょっとぞっとする。

 なんともいえない色になったクッキーのタネを成型し──キャサリンの希望でジョニーの形だ──、天板に並べていく。熱したオーブンで、焼くこと十五分。

「完成だ!」

 シャルロットが手を突っ込んだ。やけどをしたのでエリスンにバトンタッチ。エリスンはミトンをはめてそっと天板を取り出す。

 見た目は、こんがりきつね色。

 わりとアリな雰囲気。

「できましたね!」

 キャサリンが嬉々として、三枚の小皿に一つずつジョニーを入れていく。

 三人は一斉に、それを口に入れた。

 無言で、咀嚼。

 焼いている間に用意しておいたノンシュガーの紅茶を、それぞれ飲む。

「新しいな……」

 シャルロットが呻いた。ノースリーブ探偵ルックと同じぐらいの新しさを感じた。

「なんていうか……これは」

 エリスンが、キャサリンの瞳を見る。

 キャサリンはそれを見つめ返し、そっとうなずいた。

「隠せてませんね」

「そうですね」

 まったくもってアジだった。

 アジ味のクッキーだった。

「あと、おいしくもないですよね」

「うーん……」

 しかしとりあえず、抜いた昼食の代わりにはなりそうだった。甘さと魚臭さのコントラストがなんともいえないというか要するにマズイが、おかず的ではある。作ってしまったものはしようがないので、三人はしばらく黙ってアジジョニーを食べ続ける。

「では、これで」

 綺麗になった天板を眺めながら、エリスンが宣言した。

「お料理教室を、終わります」

「待ってください! もっと量を少なくするとか……! そう、たとえば、エキスを絞ったものなら、アジを隠せるんじゃないでしょうか!」

「ええ、まだやるんですか!」

 なんとなく流れで終われそうな気がしていたが、そういうわけにもいかなかったようだ。キャサリンの訴えに、エリスンは悲痛な叫びをあげる。

「うむ、完成するまでが料理教室だ。試行錯誤を繰り返し、見事カクシアジクッキーを完成させようではないか!」

 なぜか探偵はやる気だった。そもそも彼はアジクッキーをそれなりに気に入っていた。

「ええー……じゃあ、次はどうします?」

「エキスを絞り出しましょう。あ、アジまだありますか? わたしちょっと一山買ってきますね」

「では私はその間に推理しよう。カクシアジ……カクシアジ……」

 これ以上は、もうやめましょうといえる空気でもなく。

 結局料理教室は、翌朝陽が昇るまで、夜通し続いた。






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