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丸生物襲来

 その生物は、丸い。

 そして、白い。

 羽根が生えており、ぱたぱたと空を飛ぶ。

 つぶらな瞳、愛くるしい仕草。サイズは人間の頭を一回り大きくした程度。

 愛玩動物として十二分に通用しそうだが、この見た目でありながら、最近キャサリンと結婚したばかりの一家の大黒柱。だからきっと雄。

 名を、ジョニーという。

「やあ、これはこれは。ようこそいらっしゃいました、ジョニーさん」

 噂のジョニー氏が探偵社を訪れたのは、まさにキャサリンがかくまってくれ宣言をした直後だった。

 二人の愛の巣発言に、シャルロットとエリスンの思考が停止した、そのさなかだ。

 巣、いうのは、比喩なのかそれとも本当に巣なのかどうなのか。

 そもそも二人っていうか一人と一匹じゃないのだろうか。

 愛のというのは、いや結婚式にだって出席したわけだけれども、夫婦であることは重々承知しているけれども、もしかしてそろそろおめでただったりするんだろうか。

 とかなんとか、様々な思いが二人の脳内をかけめぐり、結果、思考停止に至っていた。

 探偵と助手をよそに、なにかを察知したらしいキャサリンは、ビフォーアプリンの容器とカップ&ソーサー、それぞれ一人分を水平にキッチンにぶん投げ、証拠隠滅。素早くエリスンのスカートに潜り込み、いまは息をひそめている。

「ちょうどお茶にしていたところです。ジョニーさんもいかがかな」

 こういう状況では、名探偵はその真価を遺憾なく発揮する。彼の妻であるキャサリンがこの場にいることなど微塵も感じさせない悠然とした態度で、シャルロットはジョニーを招き入れた。要するに物事があまり脳に浸透しないので、不信感を抱かせないという意味では彼は強い。

「ヒュイ」

 ジョニーはそう挨拶をした。たぶん挨拶なのだが、探偵サイドはジョニー語を解さないので、なにをいっているかはわからない。というよりも普通はわからないのだが、キャサリンは愛の力で言語の壁を超えている。

 声だけ聞いていれば、女性、または変声期前の男性のそれだ。身体を揺らして手を挙げてヒュイする様子は、あまりにもかわいらしい。が、異様でもある。そもそもどういった生物なのかという疑問はすでに抱いたら負けだ。

「そ、それにしても暑いですねっくすぐった! い、いえなんでも。オホホ」

 対して、エリスンはこういったシチュエーションは苦手だった。しかもいまは、スカートのなかにキャサリンがいるのだ。うかつに動くこともできない。

「ヒュイ……ヒュヒュイ」

 ジョニーはそっと、首を左右に振った。

 首はないので、身体全体を右と左に揺らした。ぶいんぶいん。

「ふむ、なるほど」

 探偵は深くうなずく。

「あ、気にしないでくださいね、最近ちょっと暑いのでドアを取っ払ったんですのオホホ」

 助手はいわなくてもいいことをいった。挙動不審が服を着ている。

「ヒュイヒュイ、ヒュヒュイ。ヒュイ。ヒュイヒュイ、ヒュー」

 重々しく紡がれる、ジョニー語。

「ふむ、なるほど」

 探偵は深くうなずく。

「ヒュイヒュイ、ヒュイ」

「ふむ、なるほど」

 探偵は以下略。

 繰り返しになるが、探偵はジョニー語を解さない。

 彼にとっては、ヒュイはどう転んでもヒュイだ。

 まったく、これっぽっちも、意思の疎通ができていない。

「あ、プリン、プリンいかがですか? ちょっと、その……新しいプリンなんですけど」

 なんでもいいからなにかいわなくてはという衝動に駆られたのだろう。エリスンが自らの食べかけのビフォーアプリンを、シャルロットの前から一度引き寄せ、差し出す。立ち上がってしまうわけにはいかないので、それしか選択肢がなかった。

「バカな! それは私のではないかね、エリスン君!」

「あたしのようるさいわね! さあさあ、どうぞどうぞオホホ」

 しかし、それを目にしたジョニーに、異変が起こった。

 元々顔面積の大半を占めている大きな瞳が、さらに大きく見開かれた。

 徐々に、潤んでいく。

「……っ、ヒュイ……!」

 ぽろり。

 その目から涙がこぼれ落ちて、シャルロットとエリスンは戦慄した。

「泣いてしまったぞ、これはどういうことだ!」

「そんなにプリンがイヤだったのかしら、いらないっていってくれていいのに……あ、いえないんだわ! ヒュイっていらないってこと? そういうこと?」

「いや、ビフォーアプリンは間違いなく美味。では一体なにが原因で……そうか、いまこそ推理のとき。つまり彼は……なるほど、わかったぞ! ずばり、悲しいのではないかな!」

「いわれてみればなんて悲しそうな顔……! でもどうして……」

 以上、すべて聞こえていないつもりのひそひそ会話。

 ジョニーは短い手をえいやと伸ばして涙を拭った。

 羽根の付け根から封筒を取り出し、シャルロットに差し出す。

「ヒュイ」

「ふむ、なるほど」

 とりあえず受け取った。

「ヒュイ、ヒュヒュイ」

 そうしてジョニーは、肩……はないけども肩っぽいなにかをがくりと落とし、重い足……じゃなくて重い飛び方で、探偵社を去っていく。

 静寂が、訪れた。

 扉はなくなっていたが、これといって風が吹き抜けることもない室内に、じっとりとした沈黙が落ちる。

「ジョニー……」

 ばさっと景気よくスカートをめくりあげて、キャサリンが這い出してきた。

「ち、ちょっと! もうちょっとそーっと出てきてください、キャサリンさん!」

 乙女なエリスンがスカートを押さえる。スカートのなかに人を招き入れるなどと初めての経験だった。今後はご遠慮願いたい。

「手紙を受け取ったのだが、これはキャサリンさん宛てかな? 開けてみても?」

 シャルロットが白い封筒を掲げる。どうせなにが書いてあるかはわかっていた。

「いいですか、キャサリンさん?」

 これについてはエリスンもだいぶ投げやりだ。キャサリンが弱々しくうなずいたので、シャルロットの手から封筒を取り上げる。ハートのシールを剥がして、白い便せんを抜き出した。

 ほらね。

 やっぱりね。

 探偵と助手が、うなずき合う。

 便せんには、大きな文字で、


 ヒュイ


 と書かれていた。

 あまりにも簡潔な内容。

 なかなか達筆だ。

「ジョニーっ!」

 しかし、そこからなにかを読み取ったのだろう、キャサリンの瞳から涙が溢れ出す。

「そんなふうに、いってくれるなんて……!」

 どんなふうにいってくれたのだろう。

 知りたいような知りたくないような複雑な心境で、探偵とその助手は困惑していた。なんでもいいから夫婦で勝手にやってくれないかなという共通の思い。ジョニー絡みはちょっとハードルが高い。

 どう声をかけたものかと二人が逡巡していると、空気も読まず、つけっぱなしのテレビジョンから例のコマーシャルフィルムが流れ出す。

 ポップなメロディーに乗せた、軽やかな歌声。



  作り方はとってもカンタン


  おいしいおいしい手作りクッキー


  お好きな材料さっくり混ぜて


  仕上げはもちろんカクシアジ


 

「これです」

 意を決した声で、キャサリンがいった。

「どれかな?」

「どれです?」

 探偵も助手も推理放棄。キャサリンは涙をエプロンで拭い、シャルロットとエリスンをじっと見据える。

「カクシアジって、なんだと思いますか。耳に残るので、つい歌ってしまうんですが……カクシアジってなんだろうって気になったら、作るもの全部が味気なく思えてしまって。カクシアジを入れた最高のお菓子を、ジョニーに食べてもらいたいんです」

 気になり始めてからは、作ったものを片っ端から捨てるようになってしまったのだと、キャサリンは語った。このままでは妻としてやっていけないと、家を飛び出したのだという。

「これは依頼です。シャルロットさん、エリスンさん──どうかわたしに、カクシアジがなんなのか、教えてください」

 

 

  たっぷりたっぷり心を込めて


  愛するひとに贈りましょう

 

 

 流れ続けるコマーシャルフィルム。

 一度とならず二度までも。繰り返し放送されていく。

「なるほど、任せたまえ!」

 エリスンが止める間もなく、シャルロットはいつもどおり、どーんと胸を張って安請け合いをした。






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