その少女の読む本は偏っていて
一ヶ月の差は大きいだろうなと思っていたアシェリィだったが、実は他の新入生とそこまで差はついていなかった。
というのも、リジャントブイル魔法学院は入試で実技に重きを置いている。
そのため、どうしても新入生の中には学力が不足している者も少なくない。
それに対応するため、新入生たちはおよそ一ヶ月半にわたって基礎的な知識や技術をみっちり身につける期間があるのだ。
これはスタートが遅れてしまった少女にとっては不幸中の幸いとしか言いようがなかった。
更に、この学院は講義や勉強に置いて行かれた学生にとても優しい体制をとっていた。
闘技場での負傷や、実習での不在期間が生じるケースが多いため、それをカバーするように教授たちは柔軟かつ臨機応変に講義を開いてくれていた。
遅れが生じたり、つまづいたり、ブランクのある生徒だけでクラスを編成してフォローすることもある。
やっている学問の難度はかなり高いが、落ちこぼれを出さないような手厚い教育メソッドが確立されているのである。
もっとも学問がからきし出来なくとも、腕っ節が強ければ立派な学院生として扱われるきらいはあるのだが。
いつもは所属しているクラス単位での行動が基本だ。朝来たらここに集まるし、HRもやる。
何かの行事やイベント、実習や演習、緊急時もクラスで行動することになっている。
ここ一ヶ月の下地を作るプログラムの間はずっとそのクラスでまとまって勉強をしていたとナッガンからは聞いていた。
アシェリィはというと、ナッガンのクラスと同時進行で、勉強の進み具合の差をカバーする後発クラスにも編入されることとなった。
そこには各々の事情を抱えた10名弱の生徒たちが集まっていた。
最初は眠っていた分を取り戻せるのかと彼女は不安だった。
だがそれは杞憂で、わかりやすい丁寧な指導や、不安を和らげるメンタルカウンセラーなどの豊富なアシストで着実にカリキュラムを進めていけた。
ただ、出される宿題や課題には相当、苦戦させられた。
アシェリィはアルマ村やシリルに居る頃は「よく出来る優等生」と周りからたびたび言われていた。
だが、いざ学院に来てみると習う内容は難しく、真剣にやっていても小テストなどでは悪い点数を連発してしまった。
彼女の居た環境は片田舎だったため、教育水準自体が低めだったのが一因であった。
それに、そこまで熱心に学問の本を読んでいたわけではなく、冒険活劇や探検日誌、財宝図鑑などの類ばかり好んで読んでいたというのもある。
おかげで冒険者としての知恵はかなり身についており、長旅をしてきたことでそれに磨きはかかった。
故にサバイバル能力はかなり高くなっていたが、逆に言うとそれと召喚術以外はどれも今一つだった。
入学直後なので、追試や落第もなく、わかるまで教えてもらえるものの、アシェリィにとってはかなりのハードワークとなった。
放課後になってからも、真面目な彼女は予習復習を欠かさなかった。遅れているという実感もあったからだ。
勉強が始まるとそばの部屋に住んでいるリーリンカがやってきて、家庭教師役を買って出てくれた。
ファイセルに会う機会もあったが、学院の寮は男女別で基本的には異性の棟には出入り禁止となっている。
彼はアシェリィの自室ではコーチをすることはできなかった。
もちろんセミメンターであるラーシェもしょっちゅう面倒を見に来てくれた。
ただ、彼女はあまり学問が得意でないらしく、そこはリーリンカに丸投げだった。
代わりに実技の部分を担当し、格闘術やそのトレーニング、肉体エンチャントについて教えてくれた。
格闘の強さを極めるのに筋肉トレの類はほとんど意味がないと聞いたりもした。
そういえば、ザティスもそれらしいことはしておらず、静かに座って瞑想している事が多かった。
精神を研ぎ澄ましてマナの力で肉体を強化するのが基本らしい。
もっとも、マナを放出したり、肉体や物に纏わせたりすることが一切できない召喚術師にとっては実用的ではなかったが。
しかし、学院ではたとえ自分の適性に合わない技術や知識でも一通りやることになっている。
もしかしたら自分の新たな能力に気づいたり、対峙する相手の能力を予測、把握できる可能性があるからだ。
ラーシェは格闘術だけでなく、学院内の施設の案内もしてくれた。
屋外は眩しい陽光に照らされ、常に南国だ。海岸沿いの浅瀬で水遊びしている生徒たちが見える。
「あ~、あっついね~。毎日だけど。ここからじゃ見えないけど、プライベートビーチもあるんだよ。エリア限定だけどね……。見ての通り、学院は小島の上に建ってるんだ。見た目はそこまで広くないけど、内部は複製された部屋とか、仮想空間、テレポートの扉もあるから見た目よりはるかに広いね」
彼女は指を指しながら各施設の説明をしていった。
「本校舎があそこで、その隣の大きい建物が入学挨拶のあった大講堂ね。その隣がアリ―ナ。室内の運動部とかが使ってるね。ちなみに屋外グラウンドもあるよ。ほら、空飛んでる人達見えるでしょ?」
アシェリィが目を凝らすと多種多様な物で空中を駆ける生徒たちが見えた。思わず故郷のハンナを思い出した。
「学院内は基本的に乗り物禁止だからね。地上のものは言うまでもなく、飛行系のものを許可しちゃうと衝突事故が起こるからね」
それだと急いでいても学内の移動にはマナボードは使えないなと案内される側の少女は少し残念に思った。
「そして、本校舎に並ぶ大きさの赤茶色の円形の建物がコロシアムだよ。どっか昔の建造物がモデルになってるらしいけど、あたしにはサッパリ。ここは学院生が日々、実力を競い合う施設だね。激しい実戦が行われてるんだ。ほとんどの学生が課題とかで一度はここで戦うことになるから覚悟しといたほうが良いよ。まぁ、大怪我しても綺麗に治るんだけどね……」
立派な建物だ。四六時中、人の出入りがある。ザティスが特に楽しそうにここについての話をしていたのを思い出す。
彼は自身の武勇伝を一方的に語るわけではなく、負けた戦いの振り返りもしており、彼の戦いに対する謙虚さを知る機会でもあった。
ふと思い出してラーシェに聞いてみた。
「選手に賭けが出来るって聞いたんですが、ホントですか?」
それをきいた彼女は首を縦に振って答えた。
「そうそう。ファイセルくんたちに聞いたんだね? 確かに闘技場運営が決めたオッズで賭けが行われてるよ。これが学生の一番の娯楽でね。見てるだけでも熱くなれるよ。ま、ハマり過ぎた学生とか、八百長とかの違反行為のあった学生は罰則あったり、参加権停止されたりするんだけど」
話を聞きながら、アシェリィは群青色の制服の上着を脱ぎ、ブラウスだけになった。もう汗だくである。
思わずボタンを一つ外し、碧いリボンタイを緩めた。
他の学院生は着込んだり、厚着をしていても涼しい顔をしている。きっと何らかの対策をとっているのだろう。
これに慣れるのも準備期間の一部なのは間違いなかった。セミメンターの女性はこちらを気遣いつつも続けた。
「あたしはあんまり賭けるほうじゃないけどね。でも観戦するだけで戦い方の勉強になるからオススメだよ。バトル・ロイヤルの時みたいに、仮想空間のフィールドで戦う事が多いね。全然着地するポイントがない上空とか、水で満たされた水中とかは工夫しないと戦えないから特に面白いかな」
聞いてだけで面白そうだなと新入りは思ったが、自分が大勢の人前で戦うとなるとあまり気乗りがしないな、などと感じた。
「まぁまだ他に室内にいっぱい施設があるから、毎日少しずつ案内していくよ。後発クラスでも案内してもらえると思う」
後発クラスの講義を受け、学院内を見て回り、帰って予習復習する。
そんな毎日を過ごしていると、あっと言う間に半月が経ち、基礎づくりの期間が終わろうとしていた。
アシェリィはどちらかといえば、人懐こい性格をしていたので後発クラスにも何人か友達が出来た。
勉強面のサポートは続くものの、そのクラスは期間の終了とともに解散されることとなっていた。
彼ら彼女らとの別れを惜しみつつ、それぞれが自分のクラスへと戻っていった。
これで更に専門性の高い内容に入っていってもなんとかついていけるだろう。もしダメでも誰かしらがフォローしてくれるという安心感がある。
いよいよ明日から本格始動ということで、寝る前に机の上で今後の予定についての解説文を読んでいた。
―――基礎学習期間が終わると、大きく3つのクラスでの活動を同時進行していくことになります。
まずは今までの担任とクラスメイトと共に、幅広い知識や魔術の本格的な修練に入ります。これがメインクラスです。
次に自分の能力と合致するクラスである”サブクラス”に所属し、自分の強みや特性を大きく伸ばします。
サブクラスは入試時に受けた専門科目で決定しており、後から変更することは出来ません。
そして自分の興味のある分野を選択して学ぶ”エキスパートクラス”になります。
なお、エキスパートクラスは途中変更が可能です。複数選択も可能ですがエレメンタリィ時は1クラス限定となります。
以上の3クラスを軸にしていくことになります。
事前に提出した希望表の控えをよく確認して、自分の所属するクラスを確認して下さい―――
手元の希望表の控えに目をやるとサブクラスは召喚術、エキスパートクラスはトレジャーハンティングと記述してあった。
ナッガンやラーシェから話を聞くところによると、メインクラスで過ごす時間が長く、次いでサブクラスで過ごす時間も長いという。
一方、エキスパートクラスは割と流動的で、人の出入りがあるようだ。違う学年の生徒も来ることがあるらしい。
固定のクラスメイトというより、その場その場の面々で構成されるようだった。
どうやらサブクラスの人達とは深い付き合いになりそうである。
メインクラスにはある程度慣れてきていて、世間話をする友達くらいは出来ていた。
もっとも、イクセントとシャルノワーレには徹底的に避けられているが。
エルフの乙女に関しては事あるごとに目線を逸し、モジモジとして恥じらいの表情を浮かべていた。
周りから常にプロポーズされているとなれば、そうなるのも仕方なかった。しまいにはクラスメイトにまで”例の”呼び名が定着してしまった。
結果的に彼女の凶暴さや傲慢さがうまい具合に中和されていた。
気の毒だなとは思いつつも、班長としては非常に助かると痛感せざるを得なかった。
明日のサブクラスではどんな人達がいるのだろうか。ワクワクと不安を半々にしてアシェリィはベッドに潜った。