ホット・ホット・リゾートのヒートウェイブに当てられて
店の入口でファイセルと別れると、リーリンカ達は彼女を先頭にしてリジャントブイル魔法学院へと向かって小路を歩き出した。
フレリヤがはぐれないようにアシェリィは大きくはあるが、柔らかな女性らしい手を握ってメガネの女性の後を着いていった。
リーリンカの通るルートは独特でジグザグと街中の小路を縫うように進んでいく。
時折、人通りの多そうで賑やかな通りが見えたりすることもあるのだが、そこに合流することを意図的に避けているように見えた。
やはりフレリヤを気遣っての事なのだろう。普通の体格ならばあえて人の中に紛れる事で身を隠すことも出来るだろうが、体が人一倍大きいフレリヤはとにかく悪目立ちする。
それに、彼女特有の問題として人混みでははぐれてしまうリスクも高かった。
そのあたり、彼女はあらかじめ把握しているようだった。おそらくザティスがこまめにリーリンカ宛に報告を書いていたのだろう。
ちょくちょく後ろを振り向いて立ち止まりながらてくてくと先陣を切って歩いて行く。
酷い方向音痴はともかくとして、王都の風景や交易路の様子を見るに亜人であること自体はそこまで目立たないように思えた。
以前、街でタコの亜人を見たときは肝がつぶれるかと思ったが、国内を北上するにつれ、亜人の数や種類は増えていった。
ただ単に、南部に亜人が少ないだけだったのだ。
現にここまで毛むくじゃらの獣人や両腕が翼の翼人種、トカゲ人間、二足歩行する魚人、クラゲ型の亜人、歩く樹木のような木人、姿は獣だが人語を解するものなどなど様々な姿を見てきている。
人は意外と環境に順応できるもので、人間の純血族しか見たことなかった少女はいつの間にかこの人種のごった煮が当たり前だと思うようになっていた。
恐らく、村のクラスメイトや親友のハンナなどがこんな話を聞いたら冗談だと笑い飛ばされてしまうだろう。
そんな事を考えるうちに潮の香りが強くなってきた。海が近くなってきたようである。同時に遠景に独特の形をした建造物群が見えた。
明らかに他の建物とは様式が違っており、ひと目であれが魔法学院であることがわかった。
壁面の色などはトレンドを汲んでいて洒落ていたが、建物自体はかなり堅牢そうな作りをしていて、さながら巨大要塞の様相を呈していた。
アシェリィ達が建物に気づいたのを察してかリーリンカが建物を指差した。
「あれがリジャントブイルだ。まだ距離があるからわからんかもしれないが、浮島の上に建っている。本来は島と街とをつなぐウォルナッツ大橋から学院に入るんだが、亜人のお嬢さんと学生が鉢合わせになると面倒くさいことになりかねない。学生といってもひとくくりにはできなくてな。賞金稼ぎ(バウンティハンター)や希少動物ハンター志望の連中は血眼になってこの娘を探しているからな。裏道を行くぞ」
リーリンカは手のひらをひらりと振ってアシェリィとフレリヤを誘導した。細い路地を抜けると開けた海のパノラマが広がった。
オシャレな建物が並び、砂浜と真っ青で美しい海が目に入る。太陽と白い波打ち際が美しかった。
まさにリゾートといった感じである。とは言ってもアシェリィはリゾートになど来たことはなかったので初体験のリゾートの雰囲気を噛み締めていた。
浜辺や町並みは賑やかで観光客で溢れていた。
楽しそうな彼女をよそに、フレリヤは肩を落とし、膝に手を当てててうなだれた。
心配したリーンリカがすぐに人気の少ない路地に隠れ、声をかけた。
「大丈夫か? 人混みで気分でも悪くなったか? すぐ抜けるから少し辛抱していてくれ」
それを聞いたフレリヤは顔を前に上げてリーリンカを見つつ、手のひらを左右に振って問題なしのサインを送った。
だがあまり平気そうには見えず、酷く汗をかいて息が上がっていた。
今までいつでもケロっとしていた彼女が調子を崩しているのを見てアシェリィは少し驚いた。
「はぁ……はぁ……。大丈夫。ちょっと暑くてさ。なんでここはこんなに暑いんだ……。こんなの初めてだよ。これがナツってやつなのか……。サイアクだよ。うぅ……あっち~……」
フレリヤがバテるのも無理はない。今まで通ってきた道は舗装され、照り返しの厳しい場所ばかりだったからだ。
建物の影で日光が当たらない場所も多いが、この気温では石畳の路地が高温になるのも致し方なかった。
なんとかしてあげたいと考えたアシェリィは思いついたようにサモナーズ・ブックを取り出して詠唱を始めた。
「裏路地ならバレないよね……いでよ癒やしの雨渦!! クリアブルー・スカイブレスド!! ヒーリン・レイン・ランフィーネ!!」
彼女は雨を降らそうと幻魔を召喚しようとしたが、全く反応がなかった。詠唱をミスしたとか、なにか心当たりがあるわけでもないのに幻魔が呼べず、彼女は首をかしげた。
それを聞いていたリーリンカが胸の前で抱えるように腕を組み、釈然としない召喚少女に対して答えを返した。先の詠唱内容からやろうとした事を推測していたようである。
「そうか……夏の気候に慣れないのか。にしても雨乞いか? 残念ながらミナレートでは一部を除いて天候魔法はすべて無効化して打ち消されるんだ。天候課が管理、監視しているからな。毎日の天気や気温、湿度は徹底的に管理されていて、雨が降る日も指定された日にしか降らん。よって、天候魔法は一切効かない。まぁ少し待つんだ」
アシェリィそうとは知らずうっかり召喚してしまった自分の物知らずを恥じ、思わず赤面した。
それをよそにリーリンカは肩掛けカバンの中を漁った。小瓶同士がぶつかるような音がガチャガチャとしていた。
「あった。これだ。気休めにしかならんが、飲んでみると良い」
そう言うと薬師の少女はミントの袋に入った粉末の薬をフレリヤに渡した。
「水なしで飲めるB・Rという薬……というか、魔法成分はあまり入ってない生薬だから安心して欲しい。カゼキリ虫の羽から抽出された成分で、飲むと体の内側から熱を逃がす成分が分泌され、体温の冷却を助ける発汗作用もある。まぁ一時的なものだが、学院に着くまでなら十分だろう。飲んでみると良い」
するとフレリヤは露骨に嫌悪感を表した。まるで子どものように薬が嫌いなのがバレバレである。
「フレリヤちゃん……とりあえず、飲んでみたら?」
アシェリィにまで勧められるともう飲むしか無いといった状況だった。それに、このままでは身が保ちそうにないというのもある。
フレリヤはギュッっと目をつぶって袋の中の粉末を口の中に流し込んだ。苦しげな表情をしていた彼女だったが、すぐにいつものにこやかな顔に戻った。
「う~ん、スースーするけどマズくはないぞ……。むしろ、ほんのり甘くてお菓子みたい。このパチパチする後味もなかなか……」
彼女の感想を聞いてリーリンカはニヤリを笑い、かけているメガネをクイッっと上に上げた。
「そうだろそうだろ。まぁ薬を飲みやすく製造、加工するのは魔法薬学の基礎だからな。どんなに効果が高くてもマズくて飲めなくては話にならん。さ、学院に向かうぞ」
フレリヤがすっかり調子を取り戻したのを確認すると再び一行は学院を目指して歩き始めた。
裏路地から表通りに出ると浮島の上の魔法学院が更に大きく見えて間近に迫ってきた。
左右を見ると右手にさっきリーリンカが話していた”ウォルナッツ大橋”らしい大きな橋がかかっていた。
しかし、学院に通じている道はあの橋以外には見当たらない。泳いだり、船で接近する事はできても橋の周囲は岸壁がむき出しになっていて、上陸は難しそうだ。
「あの……やっぱり、あの橋を渡る以外、学院の浮島にたどり着けない気がするんですが……」
先を行く学院生は歩きながらそれに関する解説を始めた。
「ああ、一応、ウォルナッツ大橋しか入り口は無いことになっている。橋を通るものの出入りはすべて記録されて、常に監視されている。だから学院としてはセキュリティの利便性が高いんだ。そう聞くと窮屈に思えるかもしれんが、監視しているがゆえに学院見学者や保護者、街の人なども割りと自由に出入り出来るという利点もある。まぁ学院生しか入れないエリアもたくさんあるんだがな……」
語りながら彼女は学院に背を向けて全く別の方向に歩き出した。先程から同じところをグルグル回っているような気もする。
何やら地図らしきメモ帳を見ながら進んでいるが、ルートには一貫性がなくて滅茶苦茶な方向に曲がったりしている。
「なぁ、これほんとに学院に向ってるのか? どっからどうみても学院は背中の後ろの方なんだけど……」
急かすというよりは率直な疑問としてフレリヤはリーリンカに尋ねた。
「まぁ焦るな。ウォルナッツ大橋以外にもミナレートの各所にいくつかの隠し扉が存在するんだ。扉と言ってもテレポーテーションのだがな。有事を除き、本来は私達のような一般学生がこの扉を通ることはない。だが今回はボルカ先生が臨時の扉を用意してくださってな。よっぽど希少生物を保護したいと見える。そら、扉が開くぞ」
前を歩いていた彼女は立ち止まって案内するように腕を振った。一見して何もない裏路地の壁だが、なんだか不思議な感じがする。
アシェリィにもフレリヤにも目には見えないものの、そこに何かがあるという感覚ははっきりわかった。
「さっき歩いてきたルートを忠実にたどると”これ”が出現するという事だ。ボルカ先生からのメモ書きだな。さすがに扉が見えると色々不都合があるから今は目には見えんが、なんとなく場所はわかるようになっている。さ、学院内部へ行くぞ」
そういうとリーリンカは壁に手を突っ込んだ。肘から先が壁にめり込んだまま無くなった様に見える。
そのまま体を壁に埋めていって、しまいには右腕だけが壁から出ていた。
リーリンカのものらしき右腕は腕を手前に振ってこちらに来いといった感じのジェスチャーをとった。そしてすぐに壁の中に完全に消えてしまった。
アシェリィとフレリヤは顔を見合わせた。二人揃って面食らっている感は否めなかったが、フレリヤは臆することもなくすぐに壁に向かって歩いていき、溶けるように壁に消えた。
一人残されたアシェリィは二の足を踏んていた。かつて読んだ本の内容が頭を巡っていたからだ。
「テレポーテーションは座標指定に失敗すると異次元に飛ぶこともあるし、元の体の形を保てない事もある」という一文を反芻していた。
彼女は不安に支配されつつあったが、大きく深呼吸すると壁をじっと見つめた。もしバンジージャンプするときはこんな心境になるのだろうか。
だが、虎穴にいらずんば虎子を得ず、そして案ずるより産むが易しと覚悟を決め、壁に向かって飛び込んだ。