遺された剣とペンタントの重さは
グローブで鉤爪を覆った紅いオオワシに抱えられたレイシーとサユキは沈黙のまま陸地まで送り届けられた。かなり速度が出ていたからか、2時間とかからないうちに陸地に着いた。
気候は温かいし、生えている植物も違う。あたりの様子を窺うに、もうここはライネンテ国内であるように思えた。呆然と立ち尽くす2人だったが、小柄な紅いタカが荷物を抱えてこちらを追尾していた事に気づいた。
一瞬身構えたが、すぐにアレンダの使い魔だとわかった。タカは空中に大きめの袋を落としていった。何かと2人は駆け寄って袋を観察した。
何やら棒状のものが入っているように見える。2人は目を合わせて袋の中身を確認した。
袋には鞘と柄に美しい装飾が施された細身の剣と、何かを録音したレコーディング・ジェム、そして2通の手紙が入っていた。
「こ……これは……もしかして……」
「一度、お父様に見せてもらったことがあるわ……ウルラディール家の正統継承者のみ手にすることが許されるという”ヴァッセの宝剣”よ……」
「お嬢様、失礼してもいいですか?」
サユキが剣に触れる許可を求めてきたのでレイシーは頷いてそれを許可した。彼女は袋から宝剣を取り出すと両手で抱えてつぶやいた。
「こ、これがSword・Of・Vasse……通称、SOV……。噂には聞いていましたが、ウルラディールの血族でなくとも触れることは可能なのですね」
「……抜刀してみてくれるかしら?」
サユキは思わずレイシーの方を振り返った。なんとも言えないといった表情でこちらを見ているが「いいからとりあえず抜いてみろ」と言いたげだ。
サユキは頷いて了解すると拳を握り返して剣の柄と鞘をかぶせるように掴んだ。そして鞘から剣を引き抜こうとした。
「………………びくともしないのですが……」
「やはりね……ソーヴが抜けるのはウルラディールの血を引くものだけだとお父様がおっしゃっていたの。実際に確認したことは無かったから、確信が持てなかったのだけれど。貸して頂戴」
しゃがみこんだサユキは体を捻って立ったままのレイシーに剣を渡した。彼女はその剣を腰に構えると目をつむった。
剣自体は細身だったが、大人が扱うサイズだったので彼女には大きく、まるで大剣のようにも見えた。深呼吸した後に彼女は剣を引き抜いた。
カランカランと鞘をする金属音を立てながら刀身が姿を現した。そのままレイシーは腕を伸ばして大洋に向けて剣先をかざした。2人は剣から発せられるプレッシャーをビリビリと肌で感じとった。
「……重いわね」
特に力を入れぬ彼女の腕力では剣を握る腕は下に下がっていった。剣の披露も程々に彼女は刀を鞘に収めた。
少し抜刀しただけでただの剣ではないのを感じる。愛用していたワンドとは比べ物にならないほど、マナを増幅させる効果がありそうだ。
レイシーは剣を扱ったことがないので剣としての良し悪しはよくわからなかったが、恐らく切れ味も相当なものだろう。彼女が鞘に収まった剣を見つめているとサユキが声をかけてきた。
「……お嬢様、ジェムの中身を聞いてみましょう。いきますよ」
そう言ってサユキは透き通った水色の掌に収まる程度の宝石を軽く撫でた。
「私はウルラディール家15代目当主、ラルディン・ヴェルチ・ディン・ウルラディールである。これが誰かに再生されているということは、私の身に何かがあったか、非常事態でこのヴァッセの宝剣が持ちだされた状況にあることだろう。もし、これを聞いているのがウルラディールの血族の者でないのなら、この剣をウォルテナの屋敷へ届けてくれるようにお願い致したい。報酬は約束しよう」
しばしの沈黙が挟まった。ここからが本題といったところだろうか。
「さて、もしこれを聞いているのが血族の者である場合だが、この剣はウルラディール直系の血を引くものにしか抜くことが出来ない。もし、ウルラディールの正統後継者を騙る者が現れた場合に己の身分を証明する手段となることだろう。何があってもこの剣を護り抜け。そうすればいかなる苦境に立たされようと、必ずや剣が活路を切り開いてくれる。いつ何時もウルラディールの矜持を忘れるなかれ。ヴァッセ!! ……以上だ」
メッセージを伝え終わるとすぐさまジェムに亀裂が入り、石ころのような色に変わってしまった。おそらく、もう再生出来ないだろう。
レイシーはこれを聞いて腰に添えた剣を強く握りしめた。そしてノットラントの方角の水平線を眺めながら、サユキに聞いた。
「アレンダはお父様が暗殺されたと言っていたわ……でも、あの振る舞いに反して、私達を逃がしてくれた……。ニセの後継者が現れたというのも、お父様が暗殺されたというのも、お芝居よね?」
サユキはこの質問にどう答えるか悩んだ。今になって振り返ってみればアレンダはあの時、ギリギリまで違和感なく現状を説明するように苦心していたように思えた。
おそらく、ラルディンの兄弟を騙る者が、何かと罪を着せてラルディンを誅殺したというのは事実だろう。
だが、彼女の生きる意味と言っても過言ではない実の父が死んだなどと軽々しく言えるわけがない。答えは沈黙で保留して彼女は残りの手紙に目を通した。
「袋の中には2通手紙がありますが、1通はアレンダから私達へ向けての手紙のようです。封筒に必ず先に読むようにと書いてありますね。もう1通も封筒です。こちらはクラリア様からお嬢様にあててのもののようですね……中に何か入っているようですが。ではアレンダの手紙から読み上げます」
アレンダの書いた手紙は殴り書きのような荒々しい文字をしていた。彼女が急いで書き上げている様子がすぐ思い浮かんだ。
―――この手紙は屋敷を出る直前に書いています。もし、計画通り事が運んでいればお嬢様達はライネンテの浜辺でこの手紙を読んでいるはずです。まずは、見つからないようにすぐ近くの林に身を隠してください。
そして上陸後、1時間経っても私が到着しないようであれば合流の見込みは薄いです。発信機として登録された物を捨てて、その場からお逃げください。
発信機はプロテクション・タリスマンとマジックレジスト・タリスマンに指定されています。これらは貴族にとっても非常に高価なため、まず無闇に捨てたりしないでしょうからね。
発信機にはうってつけというわけです。もし、合流できた時は次の策を伝えることにします。どうか、お嬢様達と合流できますように……―――
これを読んだ2人は顔を見合わせて、周囲を見渡して背後に広がっていた林へと移動した。どうやらアレンダは着陸地点まで計算していたようだ。
そして各々が両腕にはめたリング状のタリスマンを見つめた。これが発信機になっているとは盲点であった。2人は林の中でしゃがんで姿を隠した。
一息つくと木漏れ日のさす場所で手紙を照らしながらサユキが続きを読み上げた。
―――今回の一件の全ての元凶はルーブです。彼はお嬢様の母上、マーネの実父にあたります。マーネ様をウルラディール家に嫁がせた直後から彼の計画は始まっていました。
ウルラディール派の重役や武士を恐喝、買収、暗殺などで徐々に減らしていったのです。故に近年では屋敷の重役の多数はルーブの実家であるエッセンデル家の息のかかったもので固められていました。
ですが、生まれてきたのが女子だった事、マーネ様が早く亡くなられた事、そして、ラルディン様が後継者としてのお嬢様の教育に熱心だった事などはルーブの予想外でした。
屋敷の主導権を握るにあたって、ラルディン様とレイシーお嬢様の2人は邪魔者でしかなくなったのです。
そこで、ルーブが取ったのはお嬢様の”暗殺”でした。ラルディン様がから魔女狩りと親善試合をするように言われたかと思いますが、実はあれはルーブの発案なのです。
彼はアーヴェンジェと内通していました。次期当主抹殺という名誉をちらつかせて、アーヴェンジェをお嬢様にけしかけたのです。
私も同行していましたが、その時、私はその事実を知らされていませんでした。一応、親善試合という事で分析官を付ける必要があったのですが、エッセンデル派に属していない私を使い捨てるつもりでつけたのでしょう。
今思えば情報部の中でそういった扱いだったのは私だけのようでした。私たちはバウンズ家に辿り着く前に”死んでいるはず”だったんです。
暗殺したはずのお嬢様がアーヴェンジェ討伐の名乗りを上げ、バウンズ家との親善試合も無事に終えて屋敷に帰ってくるなどとはルーブは思ってもみなかったことでしょう。
屋敷に帰った直後、私はウルラディール派の重役であるイーザルテ様から暗殺計画のことや、情報部が既に完全にルーブの手中にあるという事実を知らされました。
そして情報部の情報網を利用してウルラディール家側の密偵を務めてくれと頼み込まれました。もちろん私は事実を知ってルーブが許せませんでしたし、ラルディン様には拾っていただいた御恩があります。
そういった経緯で私は親善試合の直後からエッセンデル家側の情報をイーザルテ様方にリークしていました。
お嬢様が後継者として実質上の表舞台に立ったことによって、ウルラディール派の者達が再集結する機運が高まったのです。
ですが、不幸な事にクラリア様の病状をエサに、ルーブはまたもやお嬢様の暗殺計画を企てました。
国外遠征の提案は完全にルーブの独断であり、ラルディン様は一切関与しておられませんでした。つまり、今回の一件はルーブの二回目の”暗殺計画”に他なりません。
前回、アーヴェンジェを使っての暗殺が失敗したことにルーブは相当やきもきしていました。そのため、今度こそ確実にウルラディールの血を根絶やしにしようとご当主様の暗殺も同時に行うように企てました。
それにあたって、奴はイーザルテ様をはじめとする重役の暗殺を着々と進めていきました。
私も出来る限り暗殺の情報を流したのですが、どうも命惜しさにウルラディール側に情報を漏らしてい者が居たようで……。私の力では重役の方々の暗殺を食い止めることは出来ませんでした。
結局、私はまたもや捨て駒として情報部からお嬢様達の暗殺計画のリーダーに任命されました。
メンバー編成を適当にやったので、お嬢様達が逃げやすくなっているはずです。もし船の上かどこかで失礼な言動を取ってしまうことになるとしたらご容赦ください。
代わりにと言ってはなんですが、イーザルテ様から万一のときはヴァッセの宝剣、"ソーヴ"を屋敷から持ち出してお嬢様に届けるようにと宝物庫の鍵を受け取っていました。今、手元に"ソーヴ"があります。
ラルディン様はお嬢様が誕生してからはもう前線で戦うご身分からは退いております。ですからお嬢様はお父上の戦いぶりを知らないかもしれませんが、お父上の魔法剣の腕は超一級でした。
ご当主様はまずお嬢様の魔術の基礎を固めてから、剣技も教えるという教育方針だったようです。しかし、今となってはそれも叶いません。
もともとお嬢様が学んでいたウルラディールの秘術の魔法の数々は剣技とのコンビネーションを前提に作られております。
その剣技、魔法を融合した独自のスタイルを編み出したのが1代目のヴァッセ様でした。代が飛ぶことはありましたが、代々ウルラディール家には魔法の秘術と同様に剣技の秘術も存在します。
それを伝授できる者はもう屋敷には残っていません。かといって剣技が絶えてしまったかといえばそうとも限りません。
それはそれとして、これから私はお嬢様達を追い越してマトーアへ向かいます。どのタイミングになるかわかりませんがソーヴを無事に渡せるように調整しようと思います。
これはその性能もさることながら、お嬢様が正統後継者であることを示すものです。ここが重要なのです。
ルーブは今回の暗殺をお家騒動で片付けるつもりです。流石に何の理由もなしにご当主を暗殺というわけには行きません。
そのため、今回ルーブは存在しないラルディン様の兄役の影武者を用意しました。おおかた、ソーヴの継承権問題で争った末、弟に地下牢に監禁されていたとでも理由をつけ、ご当主の殺害を正当化するつもりでしょう。
そしてソーヴを解析して抜刀できるようにして、影武者が正統後継者であると大衆の前で証明すると。ですが、まさかソーヴを持ち出す者が残っているとは思わないはず。
これをお嬢様が読んでいる頃には屋敷は大騒ぎでルーブも激しく動揺しているでしょう。お嬢様がそれを持っている限り、ルーブ達は正統後継者を名乗ることが出来ません。してやったりといったところですかね。
それと、ウルラディール家の勢力は潰えてしまったように思えますが、屋敷の外のノットラント全土や国外にウルラディールの同志たちは散って行きました。
もし、お嬢様がソーヴを手に立ち上がるとなれば彼らも立ち上がってくれるはずです。もしかしたらそれに呼応して剣技の秘術を伝授できる者も見つかるかもしれません。
ラルディン様の意志である”ウルラディール家を継ぐ”という悲願は何もお嬢様だけのものではありません。
貴女はウルラディールに残された最後の希望であり、星なのです。もはや、貴女の御身はあなただけのものではありません。これだけはどうか覚えておいてください。
とは言いますが、以前言ったようにお嬢様が完全に自分を殺す必要はありません。貴女の人生は貴女のもの。自分が「すべきと思う事」よりも「やりたいこと」を常に優先してください。
私も、生き残った家の者たちも、お嬢様を犠牲にしてまで再興を望むわけではないのですから……。
最後になりますが、もし、お嬢様がこの手紙に目を通しているのなら、どうか、どうか気を強く持ってください。急なお伝え方しか出来ない事をお許し下さい。
実は、既にクラリア様はお亡くなりになっています。ルーブ達はウルラディール派の重役の暗殺の仕上げにしばらくの時間が必要でした。しかし、クラリア様の病の進行が思ったより早かったのです。
そのままのペースで文通が続き、クラリア様がお亡くなりになってしまったらお嬢様がリジャントブイルまで出向くかどうかはわからない。
ですから、お嬢様の血印のついた手紙は届けられることなく、ダミー住所の民家に置き去りにされていました。もしやと思い、民家を漁ったところ、クラリア様から送られてきた封筒を見つけました。
失礼ながら内容を確認させて頂きましたが、これが彼女からの最後の手紙です。繰り返しになりますが、お嬢様はどうか心を強くお持ちください――
ここでアレンダの手紙は終わっていた。サユキは手紙を声に出して読み終わり、後ろで立膝をついているレイシーを振り向いた。
彼女はうつむいていたが、視線を感じると顔を上げ、こちらを見返してきた。その表情はこわばっていた。一度にこれだけの事を聞かされればショックを受けるのは当たり前だ。
だが、その反応に反して彼女はすぐに脇においてあった袋から封筒を取り出した。封筒を傾けるときらびやかな装飾の施された銀色で円形をしたペンダントが出てきた。
サイズは大きめなコインより二回りほど大きい。ストラップは細くきめ細かい鎖で出来ていた。裏面は平たくなっており、表面には透明なグラスのような素材がドーム型に張ってある。少し揺らすと中身の透明な液体が揺れて光が反射し、キラキラ輝いた。
封筒の底にはまだ何か残っている。どうやら手紙のようだ。封筒を逆さまにしてそれをとりだすとレイシーは無言のまま目で文字を追った。
―――レイシェルハウト様へ。こんにちは。お元気でしょうか。バウンズ家の次期当主であり、クラリアの兄であるランカースです。
お嬢様からの返事が来ないため、妹は大層寂しがっておりました。やはり水解症の事は明かすべきではなかったと連日連夜しくしくと泣いておりました。
私はこれに関してレイシェルハウト様が悪いとは決して思いません。やはり水解症の相手とやり取りするのは気味が悪く、また伝染るのではないかと思えば恐ろしくも思えます。
私がもし、レイシェルハウト様と同じ立場に立ったらきっと私も文通をやめていると思います。ですが、せめて妹の最後だけは伝えようとお手紙を送らせて頂きました。
今、クラリアは鼻のすぐ下まで溶けてしまい、バスタブに溶けている面を浸しながらネットで吊られています。まだ耳がなんとか残っているので、こちらの言うことは理解できているようです。
まばたきの反応と回数で両親や私、家の者達とやりとりしています。ですが、もはや今夜のうちに水に溶けきって完全に水になってしまうでしょう。
彼女は常々”皆から忘れられない思い出”を作るのだと奮闘していました。まるでそれが彼女自身の”生きる意味”と言わんばかりに。それは頭半分だけになった今も変わりません。
今となっては貴女が妹を避けるのは致し方ありません。ですが、私はせめてレイシェルハウト様の思い出の中だけででも妹が生きていてほしいと強く願っています。
妹はもし自分が水になってしまったら残った水を大事な人達に配ってくれとよく言っておりました。もっとも、友人が離れていってしまった今、それを受け取っていただけるのは屋敷の者以外では貴女くらいしか居りません。
私は彼女の浸かっているバスタブから水をすくってペンダントに詰めました。
さぞかし不気味かもしれません、気持ち悪いかもしれません。著しく気分を害されるかもしれない。でも、これは間違いなく妹が生きた証であり、彼女の一部なのです。
貴女がこれを捨てたとしても、妹は「仕方ないね」と笑ってくれることでしょう。これを一方的に送りつけるのは我々のエゴであり、非常に失礼にあたると承知です。
ですがあえて私はこのペンダントを、妹を貴方へ贈ります。長々と失礼致しました。また模擬合戦でお会いしましょう―――
手紙を読み終えるとレイシーは優しくペンダントを握って、木漏れ日にかざした。中の液体は光を浴びてキラキラと光りながら揺れた。