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105/109

105.建国から五カ月~七カ月(冬)、異種族居住区画の学校

 場所は異種族居住区画にある大きな屋敷の一室。

 畳敷きの床に座卓が並び、石油ストーブのおかげで部屋の中は程よく暖かい。

 チクタクチクタクという、柱時計の時間を刻む音だけが聞こえ、そこに人の気配はないように思われる。


 いや、いた。

 座卓にだらしなく体を預けている女性が一人。

 艶やかなブラウンの髪を垂らし、手を枕にして顔を横に向けている若い人間の女性――彼女こそ、亡国の女王オリヴィア・フォーシュバリ・ドライアドその人である。


「はぁ」


 小さくぷっくりとした唇から漏れ出るため息。

 今、オリヴィアの心は憂鬱であった。


 その理由は? といえば、彼女が今いる場所に関係する。

 そこは異種族居住区に存在する、子どもたち専用の学校の職員室。

 彼女は、今日から日本語の特別講師として、獣人たちに言葉を教えなければならなかったのだ。


「はぁー、気がめいるなあ」


 再び大きなため息を吐き、ぼやくオリヴィア。

 それもそのはず、てっきり大好きな執筆活動だけをやって暮らしていけるものだと思っていた。

 しかし、その期待は見事に外れてしまい、今はここにいる。


 そもそも何故、彼女が教師をしなければならないのか。

 オリヴィアは少し前に信秀と、ある約束を交わしている。その内容は、自身が書いた本が売れなければ、新たな職に就いてもらうといったもの。

 幸いにして、結果は売り切れ御免の大繁盛。

 それはもうとんでもなく本は売れ、これで大好きな執筆活動だけをして悠々自適とした暮らしをしていけるとオリヴィアも思っていた。

 その矢先、信秀から、「申し訳ないが……」と声をかけられたのである。


「獣人たちに日本語を教える。

 人間に慣れさせるという意味でもあなたには、教師役を是非お願いしたい」


 そんな信秀からの要請。

 オリヴィアは己の立場をよく理解している。

 信秀の要請を断れるはずもなかった。


 ちなみに、どうして獣人たちに日本語を学ばせるのか、という質問はしていない。

 近頃導入された暖房器具や時計などからおおよそ察することもできていたが、それについてすらも深くは考えないようにしていた。

 全ては保身のため。

 知りたがりの捕囚者は嫌われるであろう、と自身を案じての行動であった。


「あーあ、ニートまっしぐらだと思ったんだけどなあ」


 自身が思い描いていた夢のような生活への未練はいまだタラタラだ。

 すると、外がざわざわとやかましくなった。

 授業が終わり、休憩時間に入ったのである。

 職員室の襖が開く音がして、オリヴィアは物凄い勢いで跳ね起き、まるで先ほどまでの姿が嘘のように姿勢を正す。

 忍者もかくやという変わり身で、要した時間は一秒もかかっておらず、襖も開ききってはいない。

 職員室に入って来たのは、教師役であるジハル族長の部族の者たちであったが、よもやオリヴィアが実はだらしない人間であるなど思いにもよらないことであろう。


「オリヴィアさん、次の一組の授業、よろしくお願いしますね」


 ジハル族長の息子であり当学校の校長でもあるゾアンが、オリヴィアに話しかけた。


「はい、わかりましたわ」


 内心の憂いなどおくびにも出さず、オリヴィアは百合が咲いたように微笑んで見せる。

 その美しい笑みは種族の違うゾアンであっても、ほう、と見とれてしまうほどだ。


 そのまましばらくすると、柱時計の針が休憩時間の終了を知らせ、他の教師たちは立ち上がり、自分が担当する教室へ向かう。

 オリヴィアもまた優雅かつ、流れるような所作で立ち上がった。


「やはり私が一緒に行きましょうか」


「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、必要ありませんわ。生徒たちとは正面からぶつかりたいので」


 ゾアンの提案は断った。

 たとえ獣人の子どもたちが人間を憎んでいたとしても、所詮は子ども。

 しり込みする理由にはならないのだ。

 オリヴィア・フォーシュバリ・ドライアド――こう見えて、やる時はやる女である。


「では、行ってまいります」


 ゾアンに挨拶をして、職員室を出たオリヴィア。

 少し歩けば『一組』と書かれた襖の前に到着する。

 オリヴィアは、なんの躊躇もなく襖を開けた。

 すると、いるわいるわ。

 狼、牛、蜥蜴、豚、鼠、エルフといった人間でない者たちがズラリと座っていた。


(これは、なんというか圧巻よね)


 別に人間でない者に対して偏見を持っているつもりはない。

 オリヴィアは今日までジハルの部族と共に暮らしてきており、獣人が人間と全く変わらない存在であることを知っている。

 それどころか、獣人たちの姿はむしろかわいいとさえ思っているくらいだ。

 しかし、こうも雁首を揃えられると流石に来るものがあった。


「委員長、挨拶を」


 オリヴィアの指示。

 委員長が号令し、それに従って、起立、礼、着席と子どもたちは挨拶をする。


 空気が重い、とオリヴィアは思った。

 席についた子どもたちは、ジッと観察するようにオリヴィアを見つめているのだ。

 人間に対する感情か、それとも新任教師に対する感情か。


 だが、それらはまだマシであるといえる。

 なぜならば――。


(うわあ……)


 オリヴィアが思わず唖然とした相手。

 それは先ほどの号令にも反応しなかった二人――両足を机の上に乗せ、クッチャクッチャと口を動かしているエルフ族と鼠族の男子であった。


 ちなみに口の中身はチューイングソフトキャンディ。

 一週間学校に通った子どもたちにご褒美として配られている物だ。


(悪ガキ、ってところかしら。それとも、やっぱり人間の私に対する当てつけか)


 敵意ムンムンといった様子で、二人はオリヴィアを睨みつけている。

 だが、そこにいるのは悪童ばかりではない。

 彼らの態度に我慢できなくなり、すくっと立ち上がって見せたのは、先ほど号令をかけた女の子。


「ちょっと、先生が困ってるでしょ!」


 とても可愛らしい声で注意するが、その顔は牛そのものであることをここに記して置く。


「へっ、いい子ちゃんのキャシーは人間の肩を持つのかよ」

「こりゃあ、ハブ決定だな。あとでモーモーって泣かしてやるぜ」


 エルフ族と鼠族の二人が、へらへらと馬鹿にするように言った。

 断っておくが、牛族のキャシーとエルフ族・鼠族の二人では、牛族のキャシーの方がはるかに強い。

 ただキャシーはとても優しいので、決して暴力を振るうことをしないが。


「おい、キャシーに当たるのはやめろよ」


 さらにもう一人、キャシーをかばうために立ち上がる者があった。


「おやおやー? 愛しのキャシーをかばうのはイケメン蜥蜴男のジャスティンさんじゃないですか。かっこいいねー」

「いよっ! 禁断の愛!」


 悪童二人がヒューヒューと囃し立てる。

 牛頭のキャシーと、蜥蜴族のジャスティンは共に顔を赤くした。


 恋愛話はオリヴィアも大好物。

 もしやと思ったオリヴィアは、牛族と蜥蜴族の決して許されぬの愛の物語を妄想し、にわかに鼻息が荒くなりそうになったが、しかし今はそれどころではない。

 しょっぱなから学級崩壊など、面目丸つぶれもいいところだ。


「ええと、そこの二人」


「……」

「……」


 オリヴィアが呼びかけると、無言で睨みつけてくるエルフ族と鼠族の二人。

 だが所詮は子ども、オリヴィアは全く恐怖を感じない。

 それどころか、鼠族の男子などは剥き出しのげっ歯がとても可愛らしい。


「邪魔をするなら出ていってもらえませんか」


 教師として、毅然とした対応を取るオリヴィア。

 これにエルフ族の男子は「はっ」と小さく笑って言う。


「なんで俺が人間なんかの命令を聞かなきゃならねえんだよ」


「あら、この町の王様も人間のはずだけど?」


「……」


 エルフ族の男子は、苦虫を潰したような顔になった。

 信秀の名前は、彼らにとって弁慶の泣き所やアキレスの踵ともいうべき弱点であったのだ。

 無論、オリヴィアはそれを看破しているために、信秀の名前を口にしたのであるが。


「お前、フジワラ様の名前を出すなんて卑怯だぞ」


 エルフ族の男子に代わって言葉を引き継いだのは鼠族の男子だ。


「何が卑怯なのかしら。フジワラ様は人間。私も人間。これは変えようのない事実だと思いますが」


「フジワラ様は人間じゃない!」


「あら、じゃあなんだっていうの?」


「……」


 沈黙。

 人間以外の答えはない。だって、信秀はどこからどう見ても人間なのだから。


(要するに彼らは人間は大嫌い、でもフジワラ様は好き。だからフジワラ様が人間だとは認めたくないってことね)


 エルフ族と鼠族は頭がいい部族だと聞いている。

 目下の二人はその頭のよさゆえに、子どもの時分では折り合いがつけられなかったのだろう、とオリヴィアは予想した。


 だが、彼らは『信秀が人間である』以外の答えを見つけたようだ。

 再びエルフ族の男子が、その口を開いた。


「フジワラ様は人間じゃねえ! フジワラ様はサル族だ!」


 どうだ見たかといわんばかりに、机を踏み台にして、信秀が人間ではないことを宣言するエルフ族の男子。

 鼠族の男子も「そうだそうだ! フジワラ様は猿の一族だ!」などと声高に叫んでいる。


 ぶっ、とオリヴィアが噴き出しそうになったのは秘密だ。

 どんないい訳が出てくるのかと思えば、まさかのサル族。

 確かに人間の祖先は猿だが、それにしたってサル族はないだろう、とオリヴィアは内心で笑った。

 とはいえ、そこをつつくのは、どうにも大人げない気がする。

 そのため、信秀が猿か否かはひとまず置いて置き、もっと根本的な話題へと変更することにした。


「あなた方が人間に大層な恨みを持っているのはわかるわ。でも私が何かしましたか」


 実際のところ、オリヴィアは元女王であったため、全く責任がないというわけではないが、人には色々と事情があるものだ。

 仮にオリヴィアが獣人たちを保護していれば、それを理由に女王の座から降ろされて、次に王位についた者が、前王との違いを見せるために獣人たちを滅ぼしていたかもしれない。


「うるせえ! お前ら人間のせいで俺たちがこれまでどんな目に遭ってきたかわかってるのか! お前も人間なんだから同罪だ! 親父たちが必死に戦って守ったこの町ででかい顔すんじゃねえ!」


「なるほど。つまり、私が人間だから、他の人間が行った悪事も私のせいにされるということですか。

 ということは、あなたの態度の悪さは、ここにいる人たち全員の責任ということで、フジワラ様に報告していいのね?」


 妖艶に微笑むオリヴィア。

 彼女は権力を笠に着ることなど、恥ともなんとも思っていない。

 使えるものはなんでも使え、というのがオリヴィアの心情である。

 伊達に権力闘争激しい王宮で、今日まで命を長らえてきていないのだ。


「そんなっ!」

「俺たちは関係ないっ!」


 効果は覿面であった。

 オリヴィアの言葉に、クラスの者たちは慌てふためいている。

 信秀に告げ口でもされたらどうなるか。

 ここにいる誰もが、両親から信秀に対し、決して失礼な真似はするなと厳命されていたのだ。

 そもそも自分たちは何も悪くないのに、なぜ悪いことになっているのか。

 そう思った時、彼らは責任の所在を、現状をつくり出した犯人へと向けた。

 皆の視線は錐のように鋭くなって、エルフ族と鼠族の男子へと集中したのである。


「お、お前!」


 エルフ族の男子は怯えるように声を震わせる。

 隣の鼠族の男子も血相を変えていた。


「ふふっ。冗談よ、冗談。ここにいる子たちはみんな私のかわいい生徒だもの。そんな真似しないわ。言ってみただけ」


 勝ち誇るようなドヤ顔で、オリヴィアは言う。

 これに、クラスの者たちはホッとして瞳の色も和らぎ、それに伴って悪童の二人も胸を撫で下すように安心した表情を見せた。

 さらにオリヴィアが諭すように言葉を続ける。


「フジワラ様はあなたたちにたくさんのものを与えています。この日本語という授業もそう。そして私は、あなたたちが日本語をよく学べるように、フジワラ様がここによこしました。

 教室から出ていかないというのであれば、それも結構。

 私はあなたたちをいないものとして、授業を進めます。ただし、授業を妨害するようなら、それはフジワラ様への冒涜です。フジワラ様への恩に対し、仇をなす行為は到底許せるものではありません。これは他の人についても同様です」


 とにかくフジワラという名前を連呼し、自身の正義を証明するオリヴィア。

 フジワラという名前は、まさしく黄門様の印籠のごとし。

 これを前にしては、跪かない者などいないのだ。

 オリヴィアが「返事は?」と聞くと、エルフ族と鼠族の二人を除いた生徒は「はい!」と息を合わせて返事をした。


(一発目の授業からこれって、先が思いやられるわね)


 オリヴィアが心中で愚痴をこぼしながらも、淡々と授業は進められる。

 翌日、件の二人は両親に連れられて、オリヴィアのもとに謝罪に現れ、一件落着となった。


 このように、異種族居住区画においては日本語の教育が行われていた。

 もちろん子どもだけではなく大人も学び、やがてそれは獣人たちにとってとても大きな財産になっていくのである。

 


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