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104.建国から五カ月~七カ月(冬)、人間居住区画の寺子屋

 大陸に冬が到来し、酷烈な寒さがエドの国を襲った。

 フジワラ郷では雪がしんしんと降り、辺りは一面真っ白。

 家の外に人影は少なく、鶏の鳴き声すらもない。

 人も鶏も皆、家の中に籠っているようである。


 唯一の救いは、積雪量が少ないことであろう。

 これはエドの国のみならず大陸全土にいえることであるが、日本の寒冷地ほど厳しい積雪は、高山地帯でもなければ存在しない。

 信秀が合掌造の家から瓦屋根の土蔵造に変えたことについても、エド国の積雪がそれほどでもなかったことが理由の一つに挙げられる。


 そんな冬の日のことだ。

 異種族居住区画の役所にて、レイナから町の報告を受けていた信秀。

 しかし報告も半ばのところで、自身、今最も気になっていたことを切り出した。


「どうだろう、寺子屋の様子は」


 寺子屋とは、人間居住区域で近頃開校した教育施設。

 読み書きを教える場所で、読んで字のごとく、日本人なら誰でも知っているであろう江戸時代の手習い塾がモチーフとなっている。

 ただし一つ違うところがある。

 フジワラ郷の寺子屋で学ぶのは、子どもだけではなく町の住民たち全員であることだ。


「教師役の人間がまるで足りません。教えられる側は自宅学習が常となりますが、その自宅学習で何をするかも、まだ教えることができていません」


「まあ、そうだろうね。冬が終わったら、他国から教師役の人間を募集するか」


「教師役というと、教会の人間が主となりますね。あちらからすれば願ったりかなったりでしょうが」


「本末転倒だなあ」


 信秀は、溜息をつくように言葉を吐き出した。

 大陸において、学問を主に扱っているラシア教会。

 上は学者たちの研究発表会から、下は寺子屋のような読み書きの指南所に至るまで、学問の全てを教会が牛耳っていると言っていい。

 彼らは、学問を独占することが大陸の支配につながることをよく知っている。

 大陸の価値観を変えるような研究成果は決して認めず、文字を教わる将来有望な子どもたちにはラシア教の素晴らしさを刷り込んでいく。


 そんな教会の人間が文字を教えるとなれば、当然、教会の教えに沿った勉強方法になる。

 たとえば「ラシア教は最高だ」「教皇猊下は何よりも素晴らしい」なんていう文章を延々と書かせて、文字を教えようとするかもしれない。


 獣人たちという存在がある以上、ラシア教の教えは人の心から可能な限り排除すべきものだと信秀は考えていた。

 エド国の民は第一に、この国独自の法律と道徳を重んじなければならず、そのためにも勉学と宗教は隔絶したものとする必要があったのである。


「教会はなしの方向で」


「ではまず、ごく一部の人間に集中的に教え込み、その者たちを教師役にするという方針がいいのでは? 当然これについても、この冬の間に文字を浸透させるというのは難しくなるとは思いますが」


 レイナの提案に、信秀はううんと唸った。

 来年度からは、他国の工作が激しくなる。

 だからこそ、文字による意識の統制をできるだけ早めに始めたかった。


「新聞はまだまだ先の話になりそうだなぁ」


「……新聞、ですか?」


「ああ。紙にね、大陸の情勢や、身近な出来事などを印刷して、町の人たちに見てもらうんだ。風聞に頼らない情報獲得手段になるし、娯楽の一種にもなる。人々は知識を得て、何が正しいかを選択することができるようになる。

 大陸の情勢は悪化の一途をたどっている。

 新聞を月に何度か発行すれば、その都度ここがいかに恵まれているかを知ることができるだろう。

 言い方は悪いが、エド国の民であるという自尊心を育むことができると思うんだ」


 信秀が語った展望。

 それは新聞の発行だ。

 かつての世界でも新聞の力は絶大だった。

 インターネットが普及するまで、情報メディア界隈は新聞の独擅場どくせんじょうであったと言っていい。

 ペンは剣よりも強しの言葉の通り、たった一つの記事が、何千万という人間を動かすこともあった。


「そういうことならば、この冬だけでも他の商会から人を貸してもらいましょうか。それからエルザ会長にも手紙を出して、こちらは来春からとなりますが、人手を工面してもらうことにしましょう」


 レイナの青い瞳がキラリと光ったのを信秀は見逃さない。

 金の匂いを嗅ぎつけたということなのだろう。

 彼女は貴族であると同時に、ポーロ商会支部長でもあるのだ。


「では、それで頼もうかな」


 貴族としてのレイナも頼もしいが、商人としてのレイナもまた頼もしい。

 これならば大丈夫だろうと信秀は思い、話は終わった。

 こうしてフジワラ郷では、各商会からの一時的な人員の引き抜きが始まったのである。





 商人たちにとって冬の寒さなど足を止める理由にはならない。

 彼らは商隊を組み、雪の中をひたすら北へと進んで、フジワラ郷へとやって来ていた。

 全ては金のため。

 金の匂いのするところ、たとえ火の中水の中であろうとも向かってやろうというのが、商人たちの矜持である。


「はっはっはっ。いやあ、ありがたいありがたい。やはり、こちらが買うばかりでは、交易とは言えませんからな」


「そうですか、それはなによりです」


 ポーロ商会がフジワラ郷に有している大きな屋敷。

 その応接室で、恰幅のいいドライアド商人がポーロ商会の担当者に対し声を弾ませていた。

 ドライアド商人の機嫌のよさの理由は、たった今、フジワラ郷に運んだ多量の酒類の売買が成立したゆえのこと。

 何物も必要としないと思われたフジワラ郷であったが、冬に入る前より、エド王である信秀から多量の酒を求めているという告知がなされ、それを知ったこのドライアド商人は直ちに葡萄酒を集めてフジワラ郷にやって来たのだ。


 世の商人たちは知らぬことであったが、この突然の酒の需要は、信秀が『このまま金貨や銀貨がこの世から消えていけば、大陸に多大な影響を及ぼすだろう』と考えたために取られた行動である。

 一説によれば、地球で発掘されたきんの量は五十メートルプール三杯分しかないといわれており、この世界も同様であったのなら、この世界のきんは信秀の【売却】によってすぐに足りなくなってしまう。

 これは由々しき事態であった。

 まあ大陸の歴史には、錬金王などと呼ばれ、黄金を自在に出すことができたという者までいるのだから、実際の金の量ははるかに多いかもしれないが。


 それにしたって、やはり貨幣の消失は混乱を生む。

 大陸内で循環しない以上、貨幣の一極集中と同義であり、いずれはエド国以外の国で大きなデフレーションが起こるであろう。


 ゆえに酒であった。

 酒の原料は大地によってどれだけでも生み出すことができ、手間がかかるため値も張る。

 また、毎年凄まじい規模で生産が行われており、それらが少々エド国に来たところでもともと消耗品であるのだから、貨幣ほどの混乱は起こらない。

 つまり信秀が能力によって【売却】するのに、これ以上の物はなかったのである。


 以上のことにより、信秀の思惑など露知らず、商人たちはフジワラ郷に酒を運んだ。

 なお、フジワラ郷の人口受容量を明らかに超えている酒の数に、一体それらはどこに消えるのかと商人たちが疑問に思ったのは必然であるが、自分たちが得る利益の前には些細なことでしかない。

 彼らはホクホク顔で酒を売却すると、得た資金でさらなる富を得るために、フジワラ郷の特産品を求めたのであった。

 しかし――。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。売らないとはどういうことだ」


「言葉の通りです。この町に多くの商会の方が詰めかけているのはお判りでしょう? 商品の生産の方が追いつかないんですよ」


 恰幅のいい商人と、ポーロ商会の担当官との会話の続きである。

 商人の方は、てっきりフジワラ郷の特産品を購入できると考えていた。

 しかし、担当官からの返事は“否”。

 全く当てが外れてしまったのだ。


「ふざけるな! こっちは雪の中をわざわざワインを売りに来たんだぞ! だったら、そっちも俺たちに物を売ってしかるべきじゃないか!」


「こちらから売りに来てくれと打診したのであれば不義理となりますが、そちらが勝手に売りに来ただけのことでしょう。文句があるのであれば、ワインを返しますよ。もちろん、こちらが支払ったお金も返してもらいますが」


「だ、誰も取り引きをなしにしろとは言っていない」


 あっさりと契約を反故にしようとした担当官に、商人はうろたえた。

 そもそも、ここは相手の土俵。

 さらにポーロ商会といえば、新興でありながらも既に大陸でも有数の大商会。

 それがどれほど凄いのかといえば、行き遅れの商会長エルザ・ポーロを誰が嫁に貰うのかと商人たちの間で大きな話題になるほどだ。

 ポーロ商会の背後にはサンドラ王国の影も噂されており、ドライアドの木っ端商人程度が強気に出ても決して太刀打ちできる相手ではない。


「ううむ……しかし、このまま何も仕入れずに町を去るというのも……」


 あきらめ悪くも、食い下がりを見せるドライアド商人。


「ではこういうのはどうでしょう。私どもが今求めているものがあるのですよ。それをあなた方が提供できると言うのであれば、こちらもなんとか商品を用意しましょう」


「な、なんだそれは……」


 担当官の勿体付けた言い方に、ドライアド商人は己が手に汗が滲むのを感じた。

 いったい何を要求されるのか。

 過去には、似たような状況(ポーロ商会相手ではない)で非合法ともいえる物を何度か要求されたことがあり、命を危険に曝したこともあった。

 自然、ごくりと喉が鳴る。

 だがそれは杞憂でしかない。

 担当者は至極あっさりと言う。


「人ですよ。教養のある、ね。フジワラ様は民に教育を施そうとお考えです。

 まずは手始めに、読み書きを覚えさせるということで、教師役に識字能力を有する者を求めています」


 担当者の話を聞いて、なんだそんなことかとドライアド商人は内心で息を吐いた。

 またそれと同時に、フジワラ郷の方針になんの意味があるのか、とも思った。

 支配者からすれば、民など頭が悪い方が扱いやすい。

 下手に知恵をつけさせれば、数多の弊害を生む。

 しかし、そんなことは己が考えることではない。

 ドライアド商人が今考えるべきことは、奉公人にどれだけの値段がつくか、だ。


「し、しかし、そんな人を売り買いするような真似……くうぅ……」


 ドライアド商人は眉を寄せ、声を震わせ、唇を噛んで見せた。

 既に彼の中で、奉公人を売っぱらうという考えは決まっている。

 あとは少しでも利益を得るために、目いっぱいもったいつけようという算段であった。




 ――このように、商会の人間は期限付きで引き抜かれていった。

 商会に勤める者、文字と計算は必須の技能である。

 奉公人であっても、それくらいのことは簡単にこなせるのだ。


 引き抜かれた者たちは、教師役として町の人間たちに文字を教えていく。

 生徒たちからは、尊敬を込めて先生と呼ばれ、また商会で働いていた頃よりもはるかに給与を貰っていた。

 なお、あまりにも好待遇だったため、派遣期間が切れた際には「もう戻りたくない!」「このまま教師として働かせてくれ!」と、涙ながらに懇願する者が続出し、信秀とレイナを悩ませることになる。

次回は獣人居住区画の話で、明日か明後日に更新します。

本当は今日のに繋げるつもりだったのですが、時間がなくて無理でした。

積雪の世界記録は日本の滋賀県らしいです。凄いですね。

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