101.建国から四カ月(秋)、裁判
暖房器具の修正はもうちょっとかかりそうです。
ご了承ください。
フジワラ郷の夜は長い。
大通りの飲食店は日が暮れても営業しており、灯が落ちるのは午後の八時の頃。
日中、仕事に精を出していた寂しいやもめたちが、帰るべき家庭もなく、酒や食事を目当てに市街へと繰り出すのである。
では、一歩町の中に入った住宅街ではどうなのか。
日が暮れると、各家庭からは明るい声が聞こえてくる。
夕飯を家族で食べているのだろう。
また、食事をする前後は定かでないが、手に桶をもって、道を歩く者たちの姿が散見された。
湯屋は町中至る所に存在しており、夕方から夜にかけては風呂に浸かって体の疲れを癒すというのが、フジワラ郷に住む人々の習慣になっているのだ。
「はい、娘のと二人分で十文」
「十文、確かに。ごゆっくり」
ある湯屋での一幕。
一組の母娘が女湯の暖簾を潜り、お金を払う。
大人は六文、子どもは四文。
この町の貨幣価値は、一文十円ほどと考えてよい。
そして、そのお金を番台に座って受けとったのは黒髪の女性――山田薫子である。
さて、水魔法の使い手である薫子がこんなところで何をしているのか。
王都ドリスベンにおいては水売りを生業としていた薫子であったが、この町において水という“商品”はあまり需要がない。
何故なら、住民の多くは元貧困者。
水はワインよりも高く、水屋から水を買うという習慣がほとんどなかった。
現在フジワラ郷で水屋を必要としているのは、警備隊の者が住まう区画や、飲食店や商会が並ぶ大通りのみ。
そのため、薫子は水屋の仕事からあぶれ、現在は役所から湯屋の仕事を与えられていたのである。
「はぁー」
客が途切れると、薫子は長く息をついた。
別にため息というわけではない。
むしろその逆で、平穏を満喫するような吐息であったといえよう。
「番台は楽でいいわね。はい、これ。忘れ物」
同僚の女がやって来て、薫子に水を切った状態の手ぬぐいが差し出された。
呟かれた言葉は嫌味ではなく軽口。
互いに冗談を言い合える仲という間柄で、薫子も笑顔で言葉を返す。
「昨日までずっと“沸かし”担当だったんですから、当然の権利ですよ」
沸かし、とは熱い湯をつくる仕事だ。
湯船の隣の土間で、お湯を沸騰させ、それを投入口から注がねばならない。
水という重量物を上下させるのは、大変な肉体労働であり、他の番台や雑用といった仕事と持ち回りになっている。
なお、せめて井戸の水を運ぶという作業を簡略化するために、湯屋の仕事には水魔法の使い手が当てられていた。
「あら、それはごくろうさま。でも、あんまり怠けすぎたら駄目よ。レイナ様が、最近お風呂に入るついでに見回ってるって言うわ。あの方に見つかったら、フジワラ様まで一直線。町から追い出されちゃっても知らないわよ」
女の言う通り、信秀はこれまでに何人かを町から追い出している。
その全てに確固たる理由があってのことであるが、庶民にその考えが行き届いているわけもない。
人々は、ちょっとしたことであっても町を追い出されてしまうのではないかと恐々としていた。
「それじゃ、頑張ることはないだろうけど頑張ってね」
それだけ言って、女は仕事に戻っていった。
残された薫子は暇つぶしに、ちょうど名前が出てきた信秀について考え始める。
「フジワラ様かあ。なんか凄すぎて、同郷って感じがしないなあ」
互いに元は日本人。
だというのに、どこでこんなに差がついたのか。
頑張って子どもたちの面倒を見てきたという自信はあった。
しかし現状、自身とは別次元ともいえる成果を信秀は上げている。
この巨大な都市をつくったことしかり。
貧困街で暮らしていた者たちに住む家と食べ物と仕事を与え、その生活水準は以前とは比べるべくもない。
清潔な町並み、豊かな食事、暖かな寝床。
文明は一段飛ばしくらいで跳ね上がり、ここに住む多くの者が信秀に感謝していた。
「自信なくなっちゃうなあ」
薫子は呟いて、だらーんとカウンターにうつぶせになる。
ここに来てもう四カ月。
以前の気を張るような薫子の姿はもうどこにもない。
明日の心配をする必要もなく、自身が面倒を見ている子どもたちも、皆笑顔に溢れている。
日々、生活に余裕ができると、心にもゆとりができて、薫子はちょっぴりずぼらになっていたのだ。
だが、平和には平和なりの事件というものが起きるものである。
「きゃあああああああ!!!!」
「覗きよ! 外に覗きがいるわ! 誰か捕まえて!!」
また出たか!
そう思った時、薫子は傍らの木の棒をもって駆けだしていた。
覗きが出たことは一度や二度の話ではない。
ここ最近、覗き事案が増えていた。
最初は明かり取り(光を入れるための天窓)から覗くという簡単なもの。
最近では、女装し女湯に紛れ込もうとしたり、壁に小さな穴をあけようとしたり、手が込んできている。
貧民街の頃よりも治安は断然よくなったというのに、なぜ男たちは間違いを起こすのか。
原因は女性が皆美しくなったこと。
身を清め、化粧をし、誰もが見違えるようになった。
そんな美しい女性たちなればこそ、その裸身にも途轍もない価値が生まれていたのである。
「待てーーーーっっ!!」
夜の住宅街。
月明かりの下を、薫子は覗き犯を追って元気に走っていた。
◆
慣れの先にあるものは何か。
俺は心の安定であると思う。
町の暮らしに人々は十分に慣れた。
仕事の効率も上がり、日常生活にも余暇が生まれ、人々は日々ストレスを感じることが少なくなっていく。
とてもいいことだ。
だが、それだけだろうか。
貧困街に住んでいた者が一万人以上もいるという事実。
はたして彼らは恵まれなかったがゆえに、貧困街に住んでいたのだろうか。
必ずしもそうとは言えないだろう。
犯罪を行い、自ら貧困街に堕ちていった者もいるはずなのだ。
要するに今の生活に慣れ、心に安定がもたらされた時、悪しき者の本性が顔を覗かせ始める。
悪を心の一部としている者――いわゆる根っからの悪党は、その心をいつまでも隠し通すことはできない。
そのせいかして、我がフジワラ郷では目に見えて犯罪が増加していった。
まあこういったことは予想できていたこと。
そのために、相当な数であったドライアド兵士たちを全員警備隊員にしているのだ。
罰も厳しいものが多く、じきに落ち着くであろうというのが、町の有力者たちの見解である。
ところで、犯罪者が存在し、それを捕まえる者もいる。
では、犯罪者を裁くのは誰か。
言わずとも知れたことだ。
犯罪者を裁くのは、他の誰でもない。
――俺である。
広場に敷き詰められた白砂の上、筵に座る原告の男と被告の男。
開かれた座敷より広場を眺める位置に俺は座し、周囲には狼族の者が警護に当たっている。
現状は、まるで桜吹雪の彫り物がよく似合う白洲のような光景とでもいうべきか。
しかし、俺の背中にはそんなもの大層な彫り物はないし、そもそも秋の寒空の下で上半身を露わにすれば風邪をひいてしまうこと間違いなしであろう。
そこは人間居住区画に存在する奉行所。
その外観を簡単に説明するならば、四方を塀に囲まれた巨大な武家屋敷といったところだ。
奉行所の役割は、フジワラ郷の各地に散らばる屯所を統括することであり、座敷牢を完備し、数多の警備隊員たちが駐屯している。
ただし、一週間のうち一日だけ、奉行所からほとんどの警備隊員たちが姿を消す時がある。
それが、今日。
すなわち、俺が裁判官として奉行所に赴く時であった。
「王様、この者が金を返さないのです!」
立ち上がらんばかりに、俺へと訴える原告。
対する訴えられた被告は、平然とした、いや原告をまるで馬鹿にするような口調で言う。
「ふん、状況は変わったのだ。以前の金のやり取りなど、この町では意味をなさない」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「馬鹿なものか。いいか、お前の金は借りたんじゃない。元々返すつもりがなかったのだ。
つまり、俺が行ったのは詐欺という犯罪。そして、これまでの犯罪を不問にするというお達しは王様から出された。
何度も言うが、状況は既に変わっている。過去の犯罪は、許されたのだから、俺がお前に金を返す必要はない」
要は、この町に来る以前の金の貸し借りの問題だ。
こんなもの考えるまでもない。
「あー、もういい。事情はわかった。判決を下す。被告は原告に借りた額を、この町の金で二倍支払え」
「は!? そんな、何故!」
俺の判決に、驚いたように目を剥いて異を唱える被告。
「そこの者は、お前という人間に金を貸した、これは誠意だ。なればこそ、今日まで待たしてしまったことに対する誠意をお前は見せねばならない。人はそれを利子という」
「しかし、王様が以前の犯罪を不問にすると!」
「そんな世迷言が通じると思っているのか。詐欺を行ったことは確かに不問にしてやろう。だからそのことに対する罪は償う必要はない。だが犯した罪と金銭のやり取りは別だ。
これが受け入れられないというのなら町を出ろ。それなら、原告の腹の虫もおさまるだろう」
悔しそうに唇を噛む被告。
原告は顔を輝かせて、「王様、ありがとうございます! ありがとうございます!」と頭を何度も下げている。
俺が「下がれ」と言うと、両名は警備員に付き添われて退場した。
「さあ、次は」
俺が問うと、進行役の警備隊長は言う。
「次は殺人の容疑者です」
殺人。
俺はごくりと喉を鳴らした。
いつかは起きると思っていた。
しかし、起きてほしくはなかった。
「連れて来い」
「はっ」
連れてこられたのは腕を後ろ手でグルグル巻きにされた三名と、泣き崩れる一人の女性。
一見するに、これは集団犯罪。
三人で一人を殺害。女性は殺害された被害者の親族といったところか。
「えー、殺害されたのはエドワード、三十三歳男性。妻であるカエラと共に飲食店を経営。そちらの女性が妻のカエラです」
なんと。
容疑者は三人。
そのうちの誰が犯人かがわからない、ということだったのか。
まるで探偵役にでもなったような気分だ。
現代の裁判所ではありえない、この町だからこその光景と言えるだろう。
「右の男はベンドリュフ。大工として、フジワラ郷の建物を模造し、建築方法を研究しています」
一人目の容疑者は、つるりと輝かしい頭をした男――ベンドリュフ。
なるほど、大工というだけあってたくましい体をしている。
頭はともかくとして、その肉体は少しうらやましい。
「真ん中の男がピョッポ。農業に従事しています」
二人目は細身で、背も低い男――ピョッポ。
視線は揺らぎ、時折びくりと頭を震わす様は明らかに挙動不審といっていいだろう。
「左の男がジョネス。今日までに幾つも仕事を変えており、現在はポーロ商会で下働きをしています」
最後の一人は、中肉中背で目つきが悪い男――ジョネス。
仕事を変えているというのは別に悪いことではない。
今日まで、町に必要な職業の取捨選択が行われており、強制的に仕事を変えてもらうことがあった。
おそらくジョネスは、そのあおりを受けたのだろう。
「この三人に被害者であるエドワードを加えた四人は、フジワラ郷に来る以前からの知り合いで、五日前にエドワードの家で酒を飲んでいました。三人はエドワードの家に泊まり、翌朝に便所の前で発見されたのが、包丁で胸を一突きにされていたエドワードの死体です。
なお、カエラについては、男性ばかりの家に己がいて間違いが起こってはならぬと、その晩は知り合いの家に泊まっています。これについては、件の家の者にも確認済みです」
「ふむ……何か申し開きはあるか」
ギロリと目に力を込めて、三人の容疑者を睨む。
「……」
「ひいいい」
「ふ、ふざけんなよ、俺は関係ねえ! 冤罪だ、冤罪!」
ベンドリュフは黙念とし、ピョッポは怯え、ジョネスは不敬にもこの厳粛な場で冤罪だと騒ぎ立てている。
現実の世界ならジョネス、物語の世界ならピョッポが犯人といったところだろう。
俺は簡単な質疑応答を行い、今日のところは以下の言葉を最後にお開きとした。
「三人をひとまず牢に入れろ。見張りはつけなくていい。彼らは容疑者であり、そのうち二人は無実の者だ」
それから一週間後。
再びやって来た裁判の日。
エドワード殺人事件の関係者が奉行所の広場に集められ、裁判が開始された。
「お前が犯人だ、カエラ」
開口一番に俺は告げた。
俺が犯人だと断言した相手は、エドワードの妻であるカエラ。
まさかの宣告に、三人の容疑者は唖然とし、当のカエラは目を大きく開いてから俺に詰問する。
「な、何の証拠があって!?」
「我が心眼は万物の心を見抜き、我が耳は天地のあまねくを聞く」
なんていうのは当然嘘。
俺は容疑者たちの牢屋に盗聴器を仕掛けていた。
一人になり、やることがなくなれば、彼らは自ら罪を告白する。
誰かに告白するというわけではない。
つい呟いた独り言や寝言、そこに本心が詰まっているはずなのだ。
しかし、あの三人の中に、一人として怪しい者はなかった。
それどころか、三人が三人ともエドワードの死を悲しんでいたのである。
これを怪しいと思った俺は、警備隊の者にカエラを見張らせていた。
それによって明らかになった、ある者との深夜の密会とその内容。
それこそが、事件の真実を決定づけるものだったのである。
「連れて来い」
俺の命令により、引っ立てられた優男。
悲しいことではあるが、拷問の痕がある。
犯人とわかっている以上、現代日本のように黙秘などという手段は取らせない。
「ジョニー!」
カエラの悲鳴のような声。
もはや、ただならぬ仲であることは明らかだ。
新たに現れた優男の名前はジョニーといい、ジョネスと同じく何度も仕事を変えて、行きついたのが繁盛するエドワードの店の下働き。
そこでジョニーとカエラは禁断の愛に溺れてしまった。
「カエラよ、そいつが全て白状したぞ。動機はエドワードが経営していた飲食店の乗っ取り。それから、お前と一緒になること。
事件が起きた日、エドワードが昔の仲間と夜遅くまで飲むことを知ると、お前は前々から考えていた計画を実行に移す時だと思った。
夜間エドワードが必ず便所に行くことをジョニーに伝え、そしてジョニーは犯行に及んだのだ。
判決を言い渡す。カエラとジョニーを死刑とする。連れていけ」
俺の判決に、「何卒、ご慈悲を!」と命乞いをしながら連れていかれるカエラとジョニー。
同害報復を謳うつもりはない。
止むにやまれぬ事情や、不意の事故など、情状酌量の余地があるならばまた違っただろう。
罪を反省しているようなら、町を追い出すだけで済ませたかもしれない。
だが二人には悪意しかなかった。
それだけのことだ。
「容疑者として連れてこられた者には慰労金を渡す。今日までの代価だ。結構な財貨ではあるが、無駄遣いはするなよ。金があるからといって働かないようなら、取り上げるからな」
ははぁーと頭をつける容疑者であった三名。
これにて一件落着である。
とはいえ、他の裁判はまだまだ続くのであるが。
「次は覗きと暴行事件です。湯屋の女性が逃げる覗き犯を殴りつけて捕らえたのですが、覗き犯はやってないと言い張り、さらに暴行されたことを許せないと訴え出ています」
なんというか、たくましい女性だな。
覗き犯を女の手でやっつけてしまうとは。
おそらくゴリラのような女性なのだろう。
いや、ミレーユやミラのような例もあるし、偏見はいけないか。
「ふむ、連れて来い」
連れてこられた二名。
途端、「あっ」という間の抜けたような声が、俺の口から漏れた。
そこにいたのは忘れもしない同郷の人間。
なんとゴリラ女とは山田さんのことだったのだ。
俺の顔を見ると、恥ずかしそうにぺこりと頭を下げる山田さん。
思いもよらない再会である。
まあだからどうしたというわけではない。
互いは王と町人という立場なのだ。
されど、覗き犯の裁判が終わったあとは、これを機会にと別室で少し話をした。
町の生活のこと。
仕事のこと。
面倒を見ている子どもたちのこと。
それらのことを彼女の口から聞き、ありがとう、とお礼を言われた。
どうやら彼女は、この町で元気にやれているようだ。