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第二十一章 つながり

 部屋を訪れた人物に、席を勧めることもなく、部屋の主は歯を磨き始めてしまった。

 話があると言ったのに。

 洗面所の入口に立ち、こちらに背を向けて歯を磨く男に話しかける。

 その話の内容は、とてもではないが、人前でできるものではなかった。

 だから、この時間まで待ったのだ。

 それなのに。

 話を聞いているのかいないのか。男は表情を変えなかった。

 そうと分かるのは、男の顔が洗面台の鏡に映っていたからだ。

 彼は歯を磨き終えると、数度口を濯いで顔を上げた。

「不破が伯父様のところにまで、話を持って行こうとしていたとはね」

 皮肉気な口調で言ったのは、一条健介だった。

 健介がこちらを振り返った。

 その顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。

「確かに不破とは知り合いだ。だが、そんな話は知らないね」

 そんなはずはない。と、主張したが、健介は一蹴した。

「どこに証拠がある? 不破が言ったことのどこに証拠があるっていうんだ。あいつの虚言を信じるなんて、君もまだまだだな」

 その言葉に、唇を噛みしめた。

 確かに証拠はない。

 不破は胡散臭い男ではあったが、彼が言うことは、今まで自分の中にあった疑惑の全てを、払拭できるものだった。

 それが、どれほどに悲しい真実だったとしても。

 自分には、真実を知る権利があるはずだ。

「君の境遇は可哀想だと思うよ。だが、伯父様は君に十分な支援をしたじゃないか」

 健介は、訪問者を押しのけるようにして洗面所をでると、ベッドへと向かった。

 部屋は薄暗い。ベッドサイドに置かれた、フロアスタンドの明かりだけが灯されている。

 壁には二人分の影が大きく映っていた。

「今更不破なんかの言葉を真に受けて、自身の信頼を無にした挙句、恩をあだで返すつもりか」

 背中を向けたまま問いかけてくる健介を、悔しい面持ちで睨む。

 チッチッチッ……

 棚の上にある置時計が、秒針の音を響かせていた。

 その音に混じり、健介が鼻で笑った音が耳に届く。

「所詮は君も、あの女の血を引いてるってことか」

 あざ笑う声が、引き金となった。

 壁に映った影の一つが、腕を振り上げ、振り下ろす。

 健介が昏倒する。

 とっさに掴んだ置時計が手から滑り落ちた。

 足元から、まだ音が聞こえる。 

 チッチッチッチッチッ……

 秒針を刻む音が静かな部屋にただ、響いていた。




 携帯電話を耳に当て、三コールを数えたあと、電話がつながった。

『もしもし……』

 どことなく疲れた声が、耳に届く。

 私市は口の端を上げた。

「やあ、河合くん。元気かな?」

『え? き、私市さん。何やってんすか。急に休むから虻さんカンカンっすよ。っつうか、何で、非通知でかけてくるんすか!』

 疲れなど吹き飛んだかのような河合の大声に、私市は少しだけ、携帯電話を耳から遠ざけた。

 今どこにいるんすか。と、河合が問うので、自分のいる場所を見回す。

 あてがわれた部屋にいる。ホテルのような内装。置かれた調度品がどれも高級な物であることを私市は知っている。

「水色の部屋にいるよ」

『なんすかそれ』

 私市が今座っているベッドのカバーも水色。窓にかかるカーテンも水色である。ここは、全体的に水色でコーディネートされた部屋なのだ。

 この館の客室は、一部屋一部屋違う色で統一した調度品が置いてある。確か隣の部屋は青、そして、その隣は緑だったはずだ。

『聞いてんすか、私市さん』

 河合の声に思考が逸れていたことに気付く。

「聞いてるよ。ところで、河合。不破孝造の件どうなった」

 一瞬の沈黙の後。河合のつんとした声が耳に届く。

『部外者に教えられる訳ないじゃないっすか』

 私市は河合の倍以上の沈黙を返した。

 電話の向こうで、焦ったのか。河合がうかがうような声をかけてきた。

『私市さん?』

「そうか。河合は俺を部外者というのか」

 冷たい声を出すと、河合が怯んだのが気配で分かった。

『……なんか、怒ってます?』

 さらにうかがうような口調の河合。

 私市が目を向けた窓の向こうは、暗く夜の色が濃い。窓ガラスには室内の様子と、自分の姿が映っていた。冷たい声を出した後とは思えないほど、窓ガラスに映った私市の顔は楽しそうだ。

「どう思う?」

『お、おこ、怒ってると思います』

 随分と噛みながら、素直に返事をする河合。

 笑い出したいのを堪えたせいで、また間が空いてしまった。

 不安を感じたのだろう。

 私市が何かを言う前に、河合が早口にまくしたてる。

『ふ、不破孝造っすよね。私市さんがいなくなってから分かったことっつーと、ちょっと待ってくださいよ。えーっと……』

 紙を繰る音の後、河合が続けた。

『不破孝造の持っていた新聞記事の刊行元と、日付が分かったんす』

「確か、二枚あったな」

『はい。一方は地方紙で、もう一方は全国紙です。どちらも、日付は同じで、共に二十年前の物でした』

「二十年前……。随分古いな」

 私市の呟きには応じず、河合は続けた。

『そのうちの一つの事件に不破は関わっていました』

「二十年前というと不破孝造は……」

『大学生っす。えっと、当時二十歳っすね』

 私市の疑問にすばやく答えた河合に、私市は確認する。

「関わっていたというのは、事故の方だな」

『はい。被害者を発見した内の一人っす。って、な、何で事故の方だって分かるんすか?』

 素っ頓狂な声を上げた河合に、私市の不適な笑みはもちろん見えなかった。

「新聞記事を読んでいたからだよ。大学生が関わっていたのは、あの事故死の記事の方……」

 私市が言葉を止めたのは、私市の脳裏に過ったもののせいだった。

『私市さん? どうしたんすか』

 記事の内容を思い出していた私市に、河合の声は届かなかった。


 新聞記事を要約するとこうだ。


 友人の別荘に泊まりに来ていた大学生の一人が、近くにある湖で水死体となって発見された。前夜、大量に飲酒していたという友人らの証言から、警察は酔ったあげくの事故死と見ている。


 二十年前。

 別荘。

 湖。

 事故。


 この四つのキーワードが、私市の古い記憶と結びついた。 


 河合の私市への呼びかけが、五回を数えた頃。ようやく、私市は声を出した。

「河合君。どうやら俺はいつの間にか、登場人物として、舞台に立たされていたみたいだよ」

『はあ? 何言ってんすか』

 また、訳の分からないことを言い出したぞ。とでも思っているのだろう。私市はほくそ笑んだ。

「一体、どんな役回りなんだろうね」

『訳分かんねぇっす』

 溜息を吐かんばかりの河合の声が耳に届く。

 私市は、笑みを消すと、至極真面目な声音で言った。

「不破孝造は今日、ここへ来るはずだったんだ」

『へ?』

 間の抜けた声を発する河合の混乱などお構いなしに、私市は続ける。

「ここは、事故があった湖の近くの別荘だ」

『うえぇえ!』

 奇妙な声を発する河合の近くに虻がいたのだろう。うるせぇぞ河合! という声が、漏れ聞こえてきた。

「今、二十年前に事故のあった湖の近くで、ミステリー会が開かれている。そして、そのミステリー会参加者に、事故の関係者が少なくとも三人いるというわけだ」

『あ、あぁ、あの、私市さん。話が全くもって見えないんすけど』

「だろうね。河合君だから」

 しれっと答えると、どういう意味っすかと、怒った声が返ってきた。

「河合。今から言う人物達が二十年前の事件と関わり合いがなかったか。調べてくれ」

『えっと、なんか、もう、訳分かんないすけど、分かりました』

 矛盾するようなことを言う河合に、私市はミステリー会関係者の名前を告げる。

「あ、先に言っておく。その記事。二つともに関わっている人物がいる」

『え?』

「今言った人物を調べれば、自ずと分かるよ」

『て、分かってるんなら、今教えてくれたらいいんじゃな……』

 では、おやすみ。と、言い置いて、河合の声を遮るように、通話を切った。

 

 はたして。

 不破の死と、二十年前の事件は関係があるのか。

 新聞広告を見て、応募してきたという不破が、選ばれたのは偶然だったのか。

 偶然ではなく、作為的だったのだとしたら、一体誰が仕掛けたのか。

 そして、その目的は?

 分からないことが多すぎる。

 私市は片手で、乱暴に頭を掻くと、もう片方の手に握っていた携帯電話をサイドテーブルへ置いた。

 もしも、ここが誰かによって用意された舞台なのだとしたら。

 これから一体、何が起こるのだろうか。


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