リビエール
【クローディア王国第十二王子 リカルド・ゼノ・クローディア】
辺境の北にあるゼニエル山脈を越えると、リビエールという街が見えてくる。この街はゼニエル山脈からくる魔物を警戒し、南側に城壁のような防御壁を築いていることで有名だった。
そんな街の目立たない酒場の個室で、彼らは再会を果たしていた。
「久しぶりだね、カナメ。僕の提案にのってくれて嬉しいよ」
まず口を開いたのはリカルドだった。視線の先には、彼が命運を賭けた相手の姿がある。
その隣にいる旅装の娘は、転職屋の店員だったはずだ。足元にいる兎は彼女のペットだろうか。
「こちらこそ、私のために色々とお骨折りをしてくださったようで、本当に感謝しております」
相変わらずのカナメの口調にリカルドは苦笑した。
「カナメ、僕は君と対等な関係でありたいと思っているんだ。……いや、今の時点ではむしろ僕の方が低い立場にあるとさえ言える。もっと普通に話してくれていいよ」
「分かったよ、リカルド。……こんな感じか?」
予想外のカナメの反応に、リカルドは驚きを隠せなかった。以前はあんなに慇懃さを崩さなかったというのに、何か心境の変化でもあったのだろうか。
もちろん、あの時のリカルドの言葉が真実であり、その後カナメのために走り回っていたという加点要素はあるだろうが、不気味なくらいあっさりと、カナメは口調を変更してみせた。
「あ、ああ。その方が親しみが湧いて嬉しいよ」
「……なんだか驚いているように見えるんだが」
「正直に言えば、驚いている。あんなに丁寧口調を崩さなかった君が、なぜこんなにあっさり話し方を変えてくれたのかと思ってね」
リカルドは正直な心中を口にした。その言葉に今度はカナメが苦笑した。
「……この前、仲間に対してあの喋り方は失礼だと怒られてさ。それからは気を付けるようにしてる」
「それは、僕を仲間として認めてくれたと解釈してもいいのかな?」
「それなりには。なんせ、だいぶ俺のために頑張ってくれたみたいだしな」
カナメの返答を聞いて、リカルドは彼の情報収集能力を見くびっていた事を知った。今の彼の台詞は、リカルドがどの程度の権力を持っているかを把握していなければ出てくるものではない。
実際、リカルドは今回の神学校特待生枠の確保のために、自身のコネを総動員させた。それだけでは足りず、いくつかの場所には頭を下げに行ったし、借りを作ったりもした。これでカナメが突然姿を消すようなことがあれば、リカルドは完全に赤字だった。
「なあリカルド。なんでそこまでするんだ?」
カナメは知らない。リカルドがどんな思いでこの二十年近くを過ごしていたのか。生まれた時から飼い殺しの一生が予定されていた第十二王子の心が、どれほど無機質なものだったか。
リカルドは、迷いのない表情で口を開いた。
「これは賭けだよ。……僕の人生を賭金にしたね」
「……そうか」
なにか感じるものがあったのか、カナメはそれ以上追及しようとはしなかった。今度は自分の番とばかりに、リカルドは幾つかの質問をすることにした。
「カナメ、僕からもいくつか聞きたい事がある」
「なんだ?」
「まず、一つ目だ。彼女はどういう立場の人なんだい?」
そう言うと、リカルドはカナメの隣の少女に視線をやった。やはりあの時の店員だ。
辺境の森ほどではないものの、ゼニエル山脈には危険なモンスターが出現する。その中をわざわざ連れてきた理由が、リカルドにはいまいち分からなかった。
「ん? クルネのことか?」
「もし君たちが恋仲だとしたら申し訳ないが、神学校の切符は一人分しか用意していないよ? 二人で王都へ行ったとしても、レディの方は短期滞在しか認められないはずだ」
その言葉に、クルネという少女の顔が真っ赤になった。一方でカナメの方はというと、涼しい顔をしているのが憎たらしい。……いや、そう見せかけているだけで少し照れているか。
そんな事を考えていたリカルドだったが、返答は予想外のものだった。
「彼女は護衛だよ。リカルドには話しておくが、クルネは剣士だ」
「なんだって!? こんな見目麗しい女性がモンスターをものともしない剣士だとは……!」
驚きながらも、リカルドは彼女が転職屋の店員だった理由を理解していた。
彼女が剣士だというのなら、たしかに適任だろう。接客にも慣れていた記憶があるし、腕っぷしの方は折り紙つきだ。
「彼女はここまで俺を護衛してくれたんだ。俺自身には大した戦闘力がないからな」
「そうか、それで色々納得したよ」
リカルドはうんうんと頷いた。次いで、第二の質問を口にする。
「最近このリビエールの街は、辺境のとあるパーティーの噂で持ちきりだ。凶悪なモンスターをたやすく狩り、ついにはドラゴンすら屠ったという。これはどこまでが真実なんだい?」
リカルドは、その噂にカナメが関わっている事を確信していた。彼の存在を知らなければ一笑に付しかねない内容だが、知っている者からすればそう難しい推理ではない。
「まあ、大筋は間違ってはいないな」
「ほう! ドラゴンの方はさすがに半信半疑だったが、本当にドラゴンを倒したんだね! ……いやいや、見事なものだよ」
予想はしていたものの、ドラゴンを倒してのけたというカナメの台詞に驚かずにはいられなかった。ドラゴンは、単に固有職持ちが複数人集まったところで敵う相手ではない。
「そのパーティーには、クルネさんも入っていたのかな?」
「……すまないが、素性の詮索は遠慮してくれないか」
「おっと、いささか不躾だったかな。申し訳ない」
リカルドの探りを、カナメは真っ向から拒否した。以前の彼ならもっと曖昧な回答で煙に巻こうとしただろう。
だが、今の答えはクルネが噂のパーティーの一員であることを認めているようなものだ。その程度にはカナメに信用してもらえたようだ、そうリカルドは判断した。
「リカルドなら心配ないとは思うが、万が一情報がもれると、彼らの下にスカウトが殺到して迷惑がかかるからな」
「心配しなくても、僕にはその人たちを見つけてお抱えにするつもりなんかないよ。いったいどれだけの報酬を出せばいいのか想像もつかない」
釘を刺してきたカナメに対して、リカルドはおどけて見せた。たしかに、竜を倒せるパーティーは希少だ。そんな事ができるのは、かつてこの大陸で名を馳せた冒険者集団くらいなものだ。だが、そのパーティーもだいぶ昔に解散したと聞く。
そう考えると、彼らは実質的にこの国で最高の戦力に等しい。貴族が召し抱えようと血気にはやるのも当然と言えた。
だがリカルドが彼らを雇おうものなら、『第十二王子に謀反の兆しあり』と王国の精鋭部隊が彼の命を狙い始める事は明らかだった。そういう意味では、どの途リカルドに彼らを雇うという選択肢はなかったのだ。
「ところで、君は大丈夫だったのかな? 貴族のスカウトや教会の手先は訪ねてこなかった?」
「……お察しの通りだよ」
心底嫌そうな表情でカナメは答えた。リカルドの予想通りなら、おそらくカナメの転職屋にはそういった輩が殺到したはずだ。
王都にまで噂が広まっているということはないだろうが、それでもこの王国南部に限って言えば、彼らは有名になりつつある。
「まあ、君が『神学校への入学を早めたい』なんて手紙を送ってくるくらいだからね。予想はしていたよ。……ところで、君が前に言っていた『気になること』の用事はすんだと理解していいのかな?」
それは、神学校への入学を勧めるリカルドに対して、カナメが口にした言葉だった。ただのブラフであったのならそれでも構わないが、後になって『やっぱり気になるから神学校をやめる』と言われてしまっては、リカルドとして非常に困る。
「ん? ああ、その件なら片付いた。……一応はな」
「一応?」
「リカルド、そのことで一つ意見を聞きたい。これは辺境のシュルト大森林で起こった話なんだが――」
カナメの話はちょっとした冒険譚だった。あのシュルト大森林へ分け入って銀毛狼やドラゴンを討伐してのけるなど、今の王国ならちょっとしたサーガになり兼ねない。
だが、カナメはそんな冒険譚を語りたいわけではなかった。
「なるほど。森に散布されていた魔力も、突然現れたドラゴンも、常識的に考えればあり得ない話だな」
カナメが言いたいことは分かった。つまり、森の異変には原因があり、しかもそれは人為的に引き起こされたものではないか、ということだろう。
「もし人為的に引き起こされたものなら、今後も同じことが起きる可能性がある」
「それで『一応』か……」
リカルドは納得したように呟いた。カナメの話から考えると、辺境の森で出会ったという商隊は怪しい事この上なかった。
だが、森に魔力を散布していたと思われる空地の痕跡は十日以上前のもの。そこに因果関係を見い出すのは少し強引すぎるかもしれない。
こういう時は、もう一つの異変に焦点を当ててみるべきだろう。
「……カナメ、一つ確認しておきたいのだが、そのドラゴンはどんなタイプだった?」
リカルドの質問に、カナメの瞳が少し泳いだ。だが、隠すつもりはなかったらしく、すぐに答えを口にする。
「地竜だった」
「地竜だって……!?」
それは紛れもない上位竜の一種だった。あまりの驚きに二の句が継げず、リカルドはただただ唸っていた。
「それで、ドラゴンのタイプが何か関係あるのか?」
放心状態だったリカルドを引き戻したのは、カナメの一言だった。
「タイプによって、そのドラゴンが無理やり連れてこられたかどうかが分かると思ってね」
例えば、海に火竜は棲まないし、逆に火山地帯に水竜がいることもない。だが、地竜であれば森にいてもそう不思議はなかった。
「だが、あんな凶悪なドラゴンを力づくでどうにかできるものなのか?」
カナメの言葉には、実際に戦った者にしか分からない実感がこもっていた。見れば、隣のクルネも深く頷いている。
「僕は専門外だから詳しくないが、下位竜の洗脳に成功した国があるらしい。ただ、催眠術のようなもので昏睡に近い状態まで追い込む必要があるせいで、非常に大雑把な命令しかできないはずだ。軍事利用の目途が立っていないのが救いだな」
「正直、あんな怪物級を洗脳できるとは思えないが……」
そこまで言って、カナメはハッとした表情で顔を上げた。
「クルネ、そういえばエリンが何か言ってたよな? 目を狙ったらどうのって」
「あ、そういえば……。なんだっけ、目を狙おうとしたら目が虚ろで不気味だったとか……」
「それだ……!」
リカルドとカナメの声が見事に重なった。ついでに噂のパーティーメンバーの名前が知れてしまったわけだが、ここは忘れておいたほうがいいだろう。
「不可能だと思って考慮に入れていなかったが、奴らがあの竜を連れてきた可能性があるのか……?」
「けど、異変が起きていたのはもっと前からよ。ほら、モンスターの異常発生分布図を作った時に、森の空き地を中心にした分布と、もっと奥から突出してきている分布の二種類が混ざってたわよね。
あのうちの、突出してたほうがドラゴンの影響を受けた分だと思うんだけど……」
カナメの推理に異議を唱えたのはクルネだった。彼女は考え込むように額に手をあてながら、言葉を続ける。
「あの地竜が森の奥に出現して、そこにいたモンスターが森の浅いところまで逃げ出してきた結果、手強い魔物が増えてきた。その流れは分かるわ。
けど、地竜があの時連れてこられたのなら、それ以前から起きていたモンスターの異常発生とは関係ないんじゃないの?」
たしかにドラゴンの出現は大事件だが、それにしたって効果が過去に遡ることはないだろう。それはクルネの言うとおりだった。
「クルネ、もしあの商隊が前にもシュルト大森林へ来ていたのだとしたら? 以前に森の奥へ連れてきて放置していたが、何かの理由があって森の浅い部分まで地竜を移動させたとか」
しばらく悩んだ末、カナメは口を開いた。たしかにそれなら説明はつく。だが、シュルト大森林の地理を知らない者が森を行き来するにはかなりの戦力が必要になる。少なく見積もっても固有職持ちが三、四人は必要だろう。
しかし、そんなに多くの固有職持ちを短期間に何度も動員できる者は、貴族にも教会にもそういない。
その話をカナメにすると、彼は驚いた様子で口を開いた。
「だが、あの商隊には騎士が一人いただけだったぞ」
「それは無謀だな……。その陣営であの森の奥深くまで行けただけでも奇跡だ」
洗脳した上位竜を連れて動く。それはどう考えても重大任務だ。いくら隠密行動が必要とはいえ、森のモンスターに襲われて全滅する程度の戦力しか用意しないというのは無理があった。
だが、商隊は危険度が跳ね上がっているシュルト大森林に踏み込んでいる。それは、どう考えても尋常な行動ではなかった。
「ねえ、モンスター避けの護符はどう? うちの店にはそんなに強い効果のものは置いてなかったけど、王都ならそれくらいあるんじゃないの?」
クルネが新しい仮説を提示する。だが、リカルドは首を振った。
「たしかに、護符があれば護衛は騎士一人で充分かもしれないな……。しかし、あの森のモンスターを退けられる程の効力だ。それこそ退魔の護符製造の総本山たる教会くらいしか――」
言いかけて、リカルドの背をつう、と冷や汗が伝った。他の二人も同じことを考えたようで、一様に苦い顔になる。
「背後に教会がいる可能性もあると?」
カナメが実に面倒くさそうな顔をした。これから教会関係者の巣窟たる神学校へ行こうという彼にとって、それは非常に幸先の悪い話だった。
「……カナメ」
「なんだよ、改まって」
突然神妙な面持ちになったリカルドに対して、カナメがいささか引き気味に答える。それを無視して、リカルドは真剣な口調で言った。
「頼むから、神学校で目立つなよ」
―――――――――――――
【元転職屋店主 カナメ・モリモト】
まだ森の異変の話は途中だったが、そろそろ時間だというリカルドに急かされて、俺はリビエールの街を歩いていた。もちろん観光などではない。王国民の証たるステータスプレートを発行してもらうためだ。
俺はこの国の人間ではないが、なし崩し的に辺境のルノール村で住民登録をしている。ただ、真っ当に入国したわけでもなんでもないため、本来なら国民が必ず持っているステータスプレートを持っていなかったのだ。
「王都へ入る時には必ずステータスプレートを確認されるからな。持っていないと入都できないぞ」
そんな話を聞きながら、俺はリカルドの後に続いていた。リビエールの街はさすが王国南部でも有数の街だけあって、道も石畳でしっかり舗装してあった。
辺境では珍しかった石畳を足裏の感触で楽しんでいた時、俺はふと見覚えのある顔とすれ違った。
「カナメ、どうしたの?」
突然振り返った俺を見て、クルネが声をかけてくる。それを聞いて、前を歩いていたリカルドもこちらを振り返った。
「今のは……!」
俺は慌ててその人物を探したが、もはや人ごみに紛れて行方は知れなかった。だが、あの顔は間違いない。
「ほら、商隊の中にジークフリートが知ってる奴がいただろ? あの場所ではエモンドとか呼ばれてたっけ。あいつがいたんだよ」
「あ、あの人?」
クルネも思い出したようだ。あのエモンドとかいう男は、確実に何かを知っているはずだった。この街の住人だったのだろうか。ジークフリートの記憶違いでないなら、彼は短期間に二度も辺境へ足を踏み入れたことになる。
そもそも、なぜ彼は異なる二つの商隊に属していたのだろうか。そして、なぜ別人であると嘘をつかなければならなかったのだろうか。
と、そこまで考えた時、ふと思いついたことがあった。
「リカルド、商人なんかが辺境へ行く時って、この街で案内役を雇ったりするのか?」
「また突然だね。……そうだね、この街にはそれを生業にしている者もいるよ」
リカルドの答えを聞いて、俺の中で一つの推理ができあがる。しかし、もしそうだとしたらジークフリートにとっては嫌な展開かもしれないな。そんな事を考えながら、俺は口を開いた。
「ジークフリートと一緒にゼニエル山脈を越えた奴らが、森の空き地にあった魔力の発生源を持ち帰ったのかもしれない」
「え? どういうこと?」
クルネが目を丸くした。リカルドに至っては、何のことだかよく分かっていないようだったが、詳しい説明はせずそのまま言葉を続ける。
「ジークフリートとメリルが瀕死の状態で発見されたのは、たしか大森林の調査をする十日ほど前だったよな」
「うん、そんな気がする」
「つまり、ジークフリート達と一緒にゼニエル山脈を越えた商隊は、二人と別れた後に森に埋めてあった魔力源を回収したんじゃないかな」
迂闊だった。すっかり存在を見過ごしていたが、ジークフリートは商隊と一緒に辺境へやって来たのだ。その商隊が真っ当なものである保証はどこにもない。
しかも思い起こせば、当時ルノール村を訪ねてきた商隊などいなかった。ルノール村は辺境ではそこそこ規模の大きい村であり、辺境に来た商隊が立ち寄らない可能性は非常に低い。そう考えると、非常に怪しいと言わざるを得なかった。
「ジークフリートは、商隊は急用が入ったから引き返したって言ってたわよ?」
「まあ、『森に仕掛けた魔力発生装置を回収しにいく』なんて言うわけないからなぁ」
俺はクルネの疑問に答えると、一度言葉を切って深呼吸をする。そして、あまり考えたくない事を口にした。
「商隊と別れた後、教えられた道を進んだらモンスターに襲われたっていうのも偶然じゃないかもな」
「え、それって……」
目的行為の性質上、おそらくその集団は人に姿を覚えられたくなかったはずだ。だが、彼らはジークフリート達と共にゼニエル山脈を越えることになった。
ジークフリートがどういう経緯でその集団の行先を知ったのか分からないが、彼らの存在と行先を知ってしまった以上、放っておくわけにはいかなかったのだろう。
幸いにして相手は若い男女二人だけだ。モンスターが多く出没するエリアに踏み込むよう誤った道を教えてやれば、後はモンスターが二人を殺してくれる。辺境の人気のなさを考えれば、それは確実な方法だと言えた。
事実、ジークフリートに治癒師の素質がなければ、二人とも死んでいた可能性が高かったのだから。
「あのエモンドとかいうやつ、なんであそこまで人違いだって言い張るのか不思議だったんだが、それなら辻褄があう。十日前に死地に送り込んだはずの男と遭遇したんだ、そりゃ迂闊なことは言えないよな」
「ひどい……」
クルネが拳を握りしめる。やや口が悪いジークフリートだが、根は素直な青年だし、一緒に戦った戦友でもある。それだけに、彼女の憤りは大きかった。
「あのエモンドとかいう男がどこまで加担していたのか知らないが、捕まえて情報を吐かせてやりたいもんだ」
俺の言葉にクルネが勢いよく頷いた。基本的に常識人な彼女だが、仲間や身内に危害を加える者に対しては容赦しない側面も持っている。このままだと、俺が王都へ旅立った後エモンドを締め上げに行きかねないな。
「リカルド、頼みがあるんだが」
「そのエモンドとかいう男を探し出せばいいのかい?」
「ああ。情報は俺に教えてくれ。間違ってもクルネに伝えないように」
俺はそう言うと、今にも抗議してきそうなクルネの肩に手を置いた。
「クルネ、相手はエモンドという男だけじゃない。下手をするともっと危険な組織がいるかもしれないんだ。間違っても突撃したりするなよ。
あと、ジークフリートにも秘密だ。そもそも、これは俺の推理でしかないんだからな」
ジークフリートのことだ。こんな話を聞いたら即座にこの街へ飛び出してくるだろう。いつかは伝えるべきなのかもしれないが、少なくともそれは今ではないように思えた。
注意しなければならない事が多すぎる。俺は空を見上げると、大きくため息をついた。
◆◆◆
「着いたよ。ここがステータスプレートを発行してくれる町役場だ」
リカルドが差し示したのは、いかにも役所っぽい大きな建造物。……の裏口だった。なんだろう、一気に非合法な雰囲気が漂ってきたぞ。
リカルドは石造りの町役場の中を迷いのない足取りで進んでいく。石造りとはいっても、ランプが至るところに灯されていて暗いイメージはない。
炎でこんなに明るくなるはずがないから、この明るさはおそらく魔術によるものだろう。
そんな事を考えながらリカルドの背を追っていると、とある部屋の前で彼が立ち止まった。そして、部屋のノブに手を掛ける。
「リカルド殿下、お待ちしておりました」
俺たちが部屋に入った瞬間、そんな声がかけられた。そこで俺たちを待っていたのは年配の男性だ。
役所に相応しい真面目そうな雰囲気を持った人物だが、リカルドを見ると、その表情が好々爺然としたものに変わる。少なくとも、ただの知人ではなさそうだった。
「トーラス爺ちゃん、世話になるよ。……カナメ、この人はトーラス執務官だ。このリビエールの街役場ではけっこう偉い人なんだ」
「初めまして、執務官を務めているトーラスと申します。殿下から伺ったところによると、カナメ殿は辺境の出身ゆえステータスプレートをお持ちではないとか。
たしかに、あの近辺はプレートの発行手続きを失念する方が多いですからな。せめて辺境でもプレートの発行ができるようになればよいのですが」
リカルドの紹介を引き継ぐようにして、トーラスさんは長々と話し始めた。リカルドがどういう風に俺の素性を話したのか分からないけど、多分これは建前の話なんだろうな。そう思って俺は話を合わせることにした。
「そうなんです。辺境ではあまり使う機会がなかったものですから、ついプレートの発行を先送りにしてしまいました。申し訳ありません」
俺がそう答えると、トーラスさんはにっこりと笑った。
「なんの、辺境の方にはよくあることですよ。それではカナメ殿、これをお持ちくだされ」
彼は俺に一枚の書類を手渡した。何やら細々と文字が書いてあって、下の方に署名がされている。おそらくトーラスさんの署名なのだろう。
ちらっと見ると『辺境出身のためステータスプレートの発行を失念していた者』みたいな説明書きがされている。
「これをプレート発行の部署へお持ちください。ステータスプレートを発行してくれるはずです」
「ありがとうございます」
「トーラス爺ちゃん、ありがとう」
俺が頭を下げると、リカルドも合わせたようにお礼を口にした。リカルドに促されるまま退室すると、今度はプレートを発行してくれる部署へ向かう。
今度はリカルドもよく知らない場所らしく、何度かすれ違う役場の人に道を聞いて、ようやく目的地へ辿り着いた。
「こんにちは、ステータスプレートの再発行ですか?」
プレート発行部署のフロアへ入ると、受付らしき女性に声をかけられた。
「いえ、初めての発行なんですが……」
そう言って、俺はトーラスさんにもらった書類を見せる。やはりこの年齢で初交付などあり得ないのだろう、受付の女性は怪訝な表情を浮かべたが、トーラスさんの署名を見てなにも追及しない事に決めたようだった。トーラスさんありがとう!
「それではステータスプレートの発行を行います。この書類を持って、あちらの窓口へ行ってください」
俺が言われるままに示された窓口へ進むと、そこには黒いカードを持った男性職員がいた。彼はカードを変な箱型の装置に挟むと、俺の渡した書類を見ながら何かごそごそやり始めた。
「カナメ・モリモトさん、こちらへお願いします」
職員に導かれるまま、俺は高さ三メートル、幅二メートルくらいの棺桶のような装置の中に入った。
「はい、もう結構です。出てもらっていいですよ」
俺が棺桶装置に入った直後、職員はそう声をかけてきた。思っていたよりも早いな。まるでレントゲン撮影みたいだ。
「じゃあ、これがステータスプレートです。今はこの通り真っ黒ですが、数分で表示が現れます。もし十分経っても何も表示されないようでしたら、もう一度ここへ来てくださいね」
そう言って、職員は俺に真っ黒なステータスプレートを渡してくれた。名刺サイズだが、金属質でかなりの頑丈さを伝えてくる手触りだ。
俺が自分のステータスプレートを眺めていると、クルネやリカルドが寄ってきた。
「ねえねえ、カナメの固有職って何て表示されるのかな!」
「気になるところだね」
二人とも妙に楽しそうだ。俺のほうは入試の合格発表を待っているような心持ちで、なかなか二人のようにはいかなかった。
やがて、真っ黒だったステータスプレートにぼう、と文字が浮かび上がってくる。黒地に柔らかい白色で記された俺の固有職名。それは――。
異邦人だった。
「……え?」
最初に戸惑った声を上げたのはクルネだ。何度も瞬きを繰り返してはじっとプレートを眺める。
「初めて見るな……」
リカルドも同じようなもので、こちらは瞬きすらせずプレートを凝視していた。
「マジか……」
そして、俺は内心頭を抱えていた。異邦人て。それ固有職じゃないだろ! 正しいけど!
古代魔法文明の遺産だとは聞いていたけど、このプレート本当に凄いんだな。まさか俺が異世界から来た事までバレるとは思ってなかったぞ。
さて、これはどうやってごまかしたものか……。
「ま、まさか異邦人とはね。たしかに俺はこの大陸の出身じゃないからなぁ。いや、さすがは古代文明の遺産。凄い精度だ」
うーん、少し無理があったかな。あまりプレートに詳しくないクルネはともかく、リカルドは色々考えているようだった。
「たしかに、他の大陸の人がプレートを作った例はないだろうからなぁ。しかし、ということは古代文明はこの大陸にしか影響を及ぼしていなかった……?」
こらリカルド、そんなところまで考えなくてもいいって。俺はリカルドがそれ以上考えるのを防ぐため、無理やり声をかけた。
「リカルド、こっちの特技についてはどう思う?」
そう言って俺が指差したのは、もちろん特技の欄だ。固有職名が表示された時点ではまだ真っ黒だったのだが、いつの間にか表示が完了していたのだ。
「ん? どうかし……え?」
リカルドは、本日二度目のプレート凝視タイムに入った。なぜなら、そこには『魔力変換』という特技名が表示されていたからだ。
俺とクルネは予想していた分驚きも少なかったが、リカルドはそうもいかないだろう。よし、これで異邦人から意識を逸らせたかな。
「カナメ、この『魔力変換』というのは何だい!?」
少し興奮した様子でリカルドが聞いてくる。なんだかジークフリートを思い出すな。まあ、俺だって当事者じゃなければ同じような反応をしたに違いないが。つまりあれかな、これが男のロマンってやつなんだろうか。
「さっきドラゴンを倒すくだりで軽く話しただろ? たぶんあれの事だ」
俺の言葉で思い出したらしく、リカルドは一人納得したように頷いた。あの時の感覚からすると、やはり魔力を集めて別の力に転化させる特技なのだろう。
……普段は気持ち悪くなるだけで何の役にも立たなさそうだけど。
「まさか、そんなレア特技まで持っているなんてね……」
だが、そんな俺の感想とは裏腹にリカルドは羨ましそうだった。
「希少だから役に立つとは限らないけどな。それよりリカルド、今後の詳しい手順なんだが……」
「ああ、まだきちんと説明していなかったね」
先刻の羨ましそうな表情を見事に消し去ると、リカルドは王都へ至るまでの詳しい日程や移動手段について説明を始めた。この辺りの切り替えの早さはさすがだな。
予想通り、ここから王都までは馬車を使うらしい。残念ながら旅費は俺持ちになってしまうが、転職屋の稼ぎがそれなりに残っている。お金が足りなくなることはなかった。
もし地竜の素材が売れたら、お金の心配なんてしなくてよくなるらしいんだけどね。エリン曰く「レア素材過ぎて信じてもらえないし、信じたとしても相場が高すぎて手を出せる商人がいない」そうだ。なんて世知辛い。
乗合馬車は王都までの直行便を利用するため、途中の細々した乗り換えは不要とのことだった。なんてありがたい。この世界の地理なんて全然頭に入ってないから、乗り換えなんてやってたら永久に王都に辿り着けない自信があるぞ。
そして、王都における注意事項、神学校の場所などを説明し終えると、リカルドは真剣な口調で最後に付け加えた。
「カナメ。神学校を無事卒業するまでは絶対目立つなよ」
大切な事なので二回言われたようだ。俺を何だと思ってるんだ……。
それから数日後。俺は車上の人となった。