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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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王都

【元転職屋店主 カナメ・モリモト】




「兄ちゃん、着いたぜ。終点、王都ノルヴィスだ」


 来る日も来る日も馬車に揺られ、もはや時間の感覚がなくなっていた俺は、御者のおっちゃんに声をかけられて意識を覚醒させた。


「ありがとうございます」


 荷台の後ろにまとめてあった荷物を下ろし始めると、この一か月の行程でそれなりに仲良くなった御者のおっちゃんが一緒に手伝ってくれる。最後の荷物を下ろすと、彼は俺の後ろを指差した。


「あれが検問所だ。どんどん列が増えていくから、早めに並んでおいた方がいいぜ。じゃあな、兄ちゃん。縁があったらまた会おうや」


 御者のおっちゃんはいい笑顔を浮かべて他のお客さんのところへ去って行った。俺はその言葉に従って後ろを振り向いて、そしてげんなりする。


「うぇ……」


 つい声が出てしまった。なんせ、すでに数十人が検問所に並んでいたのだ。これ以上列が長くなるとか、並ぶのが苦手な俺にはもはや苦行でしかない。俺は急いで行列の最後尾に並んだ。


「にしても、やっぱり人が多いな……」


 行列の話ではない。検問所の向こうに見える王都が、思っていたより広大だったのだ。

 王都は城を中心に放射状に広がっており、城と都の端のちょうど真ん中くらいの位置に外壁がそびえ立っている。おそらく、初めはあの外壁までが王都だったのが、発展と共に壁の外まで広がっていったのだろう。


 そんなことを考えていると、背負っているリュックがもぞもぞと動き始めた。キャロだ。起こしても起きなかったため、そのままリュックの一番上に乗せていたのだが、ようやくお目覚めのようだ。


「あ! うさぎさんだー!」


 目を覚ましたキャロがリュックから飛び降りると、そんな声が後ろからかけられた。見れば、俺の後ろに並んでいる家族連れだ。


 禿頭がやけに似合うごついおっさんと、穏やかそうな雰囲気の奥さん。それに十五、六くらいの少年とまだ五、六歳であろう女の子の四人家族。もちろん、声をかけてきたのは小さい女の子だ。


「キャロル! 勝手に触っちゃいけません。兎さんもびっくりするでしょう?」


 女の子はさっそくキャロを捕まえようとしていたが、お母さんに即座に叱られていた。一瞬しょんぼりした女の子だったが、やがて気を取り直したのかキャロに話しかける。


「ねえねえ、さわってもいい?」


 あ、俺に聞くんじゃないのか。まあ、俺の所有物なわけでも何でもないから、それが正解だな、うん。


 その言葉が分かったのか、キャロは自分から女の子に擦り寄っていった。女の子が大喜びでキャロをモフる。そりゃもう狂喜乱舞だ。

 クルネもそうだったけど、やっぱりもこもこの小動物には抗えない魅力があるんだろうなぁ。


「すみません、うちの子がご迷惑をおかけして」


 大はしゃぎの女の子を見て、お母さんが申し訳なさそうに謝ってくる。


「いぇ、いえいえ、キャロも楽しんでいるようですし、お気になさらないでください」


 俺は即座に接客モードをオンにした。あぶなかった、この一か月ずっと素のキャラで馬車に乗り続けてたから、ちょっと反応が遅くなった。素の根暗で人見知りなキャラで対応されては、相手がかわいそうというものだ。


「キャロ? このうさぎさんキャロっていうの? あたしキャロル! おなまえにてるね!」


 突然会話に入ってきたのは女の子――キャロルだ。名前が似ていて嬉しかったのか、「キャロちゃん! キャロちゃん!」と繰り返している。


 その様子を微笑ましく眺めていると、ぬっと近づいてくる影があった。禿頭のお父さんだ。……まさか「娘を好色な目で見やがって!」とか言われるんだろうか。いやいや、いくらなんでも早すぎるだろう。


「兄ちゃん、娘がすまないな。……ところでその大荷物、ひょっとして俺たちと同じように村をモンスターに乗っ取られたクチかい?」


 と思ってたらただの世間話だったようだ。そりゃそうだよな。


 ……て、今このおっちゃん物騒なことをさらりと言わなかったか? 聞き間違いだろうか。


「村をモンスターに乗っ取られた!?」


「その様子だと違ったみたいだな。悪い悪い」


 ガハハ、という笑い声を上げながらおっちゃんは話を続けた。


「村の近くに岩蜥蜴ロックリザードが棲みついてな。しかも眷属の石蜥蜴ストーンリザードまでうじゃうじゃいやがる。危険すぎて避難命令が出たってわけだ」


 マジか。この世界の人間種族って、ひょっとしてあんまり大きな勢力じゃないのか? 避難命令が出たってことは、即座に討伐することができないってことだよな。


「そうだったんですか、大変でしたね……。岩蜥蜴ロックリザードって、そんなに恐ろしいモンスターなんですか」


「そりゃ、れっきとしたC級モンスターだからな。まして石蜥蜴ストーンリザードの群れを率いているとなれば、B級扱いされかねないレベルだ。級外モンスターとは訳が違うさ」


 む? モンスターってそんなランク付けをされてるのか。シュルト大森林で散々倒した銀毛狼シルバーウルフはどれくらいのランクだったんだろう。尋ねてみよう。


銀毛狼シルバーウルフ? A級モンスターの代表みたいなもんじゃねえか」


 何を言ってるんだ、とでも言いたげな風情でおっちゃんが教えてくれた。


「じゃあ、巨大鼠ギガントラットはどれくらいの位置づけですか?」


 話に食いつく俺の様子をみて、おっちゃんは少し考え込んだ。変な事を聞くやつだって思われてるんだろうな。


「ありゃD級だろう?群れりゃC級扱いだって聞いたことがあるが」


 けど、しっかり答えてくれるあたり、このおっちゃんいい人だな。なんだかラウルスさんを思い出す。


 それにしても、巨大鼠ギガントラットの群れがC級ってことは、それを危なげなく討伐したクルネと同格の剣士ソードマンなら、同じC級の岩蜥蜴ロックリザードを討伐できる可能性は高い訳で。

 いくら権力争いに忙しいとはいえ、国や貴族が固有職ジョブ持ちの一人くらい派遣したらいいのにな。


 そんな疑問をぶつけてみると、おっちゃんは呆れたように頭をかいた。


「いやいや、固有職ジョブ持ちを一人で放り込むなんて危険すぎるだろう。貴重な戦力をみすみす失ってどうする。まあその前に、そんな危険な任務を受ける固有職ジョブ持ちなんてほとんどいないだろうがな」


 あれ? なんだか話が噛み合わないような……。それとも、王都周辺のモンスターは辺境よりも全体的に強いのだろうか。


 だが、その質問を投げかける前におっちゃんが口を開いた。


「俺からも一つ聞きたいんだけどよ、兄ちゃんはこの王都に何しにきたんだ? ……いや、別に怪しいとか思ってる訳じゃなくてな、なんだか不思議な雰囲気を持ってるからよ」


「ああ、私は神学校に通うために王都へ来たんですよ」


 そう言うと、おっちゃんの目が見開かれた。


「そりゃ珍しいな! こう言っちゃなんだが、兄ちゃんはもう立派な成人だろう? 普通、神学校に入学するのはもっと小せえ年齢だって聞くが、その年齢で神学校に入ろうなんて、よっぽど何かあったんだな……」


 おっちゃんは勝手に何かを理解すると、深く頷いた。そして俺の肩にぽん、と手を置く。


「兄ちゃん、何があったか知らねえが頑張れよ」


 いや、そうじゃなくてただの保身のためというか自衛のためというか……。どう説明したものか、そもそも説明するべきなのかを悩んでいた俺だったが、幸いにしてそれ以上会話は続かなかった。


「次の者、来たまえ」


 話し込んでいる間に検問の順番が回ってきていたのだ。検問をしている衛兵の視線がこちらに注がれる。


「あ、はい、今行きます!」


 俺はおっちゃんに挨拶すると、衛兵の下へと向かった。




 ◆◆◆




「カナメ・モリモト……? 珍しい名だな。どこの出身だ?」


 俺が差し出したステータスプレートを確認して、衛兵がごくもっともな事を尋ねてくる。やっぱり、こっちじゃ日本の名前は一般的じゃないようだ。


 ちなみに、ステータスプレートは氏名欄以外すべて非表示にしてある。リカルドの話が正しければ、固有職ジョブ名まで確認されるのは王都の壁の内側へ入る時であり、ここでの検問は荷物の検査が主なはずだった。


「辺境のルノール村です」


 俺は素直に答えた。すると、衛兵の顔つきが明らかに変わる。


「ふん、蛮族か。変な名前なわけだ」


 衛兵の顔に浮かんでいるのは、明らかに侮蔑の念だった。内心でイラっとしつつ、表には出さないよう笑顔で答える。


「そうなんです、辺境でも変な名前だってよく言われていましたよ」


 俺の返答を鼻で笑うと、衛兵は俺の荷物をいちいち調べ始めた。さっき検問されていた人たちの様子を見た感じでは、ここまで入念に調べられてはいなかったように思えるのだが、これは俺個人が疑われているということだろうか。

 そういえば、辺境出身者は王都で苦労する、って誰かに聞いたような気がするな。


 ちょっと暗い気分に陥った俺だが、衛兵が丹念に調べるのを笑顔を貼り付けたまま眺め続けた。やがて、なにも出てこなかったのか、衛兵はじろりと俺を見てから、自らの指を王都へ向けた。行っていい、のジェスチャーだろうか。


 俺は衛兵に礼を言って、足早にその場を立ち去った。さっきの感じの悪い衛兵に呼び戻されるのはご免だからな。もし何か呼びかけられても全力で無視しよう。


 そんな決意が天に通じたのか、衛兵に連れ戻されるようなことはなかった。俺は検問所からだいぶ離れたところまで来ると、ようやく歩く速度をゆるめた。


「王都、って感じだよなぁ」


 ちょうどお店が軒を連ねるエリアに踏み込んだらしい。眼前の光景は非常に賑やかなものだった。もうすぐお昼時になることも手伝ってか、人通りも辺境の村々とは比べものにならない。


 漂ってくるいい香りは、どこかの料理屋から流れてきたものだろう。久方ぶりの誘惑に、腹の虫が鳴いた。


「腹減ったな……」


 こう言ってはなんだが、辺境の食文化は質実剛健というか、量と栄養が重視されていてあまり味を重視する傾向になかった。お世話になった辺境には色々と愛着があるが、そこだけは残念なところだった。


 それだけに、この美味そうな香りには抗えない魅力があったが、今の俺は大量の荷物を抱える身だ。この重装備で、知らない街の知らない店に入るような勇気はない。


 そんな誘惑だらけの商業ゾーンを抜けて、どれくらい歩いただろうか。初めは小さく見えていた外壁が、ついに実物サイズで眼前に現れたのだ。


 高さは五、六メールといったところか。元々は街の外壁として運用されていたであろう石造りの赤茶色の壁には、その当時の活躍を物語るかのように補修した痕跡が多々見られる。


 壁の上部に穿たれている穴は、おそらく飛び道具を射出するためのものだったのだろう。さらにその上に目をやると、一人の警備兵らしき男が壁の上を巡回している様子が遠目に見えた。


 だが、今はこの歴史ある外壁に思いを馳せている場合ではなかった。なぜなら、俺の目の前には第二の検問所があったからだ。

 先程パスした外側の検問所とは違って、こっちは衛兵の装備もしっかりしているし、それを身に着けている衛兵自身も質が高いように見えた。


「すみません、中心街へ行きたいのですが」


 衛兵たちの前で立ち止まった俺は、そう声をかけた。


「その様子からすると、ここへ来るのは初めてだね? ステータスプレートを見せてもらえるかな」


 彼らの中でも一番若そうな衛兵が、爽やかに話しかけてきた。さすがだな、外にいた衛兵とはやっぱり一味違うようだ。


 王都の中心街へ行くことができるということは、それなりの地位を持っている人間が多い訳で、そこに迂闊な人間を配置するわけにはいかないのだろう。


 そんなことを考えながら、俺はまず若い衛兵に神学校への入学許可証を見せた。先にプレートを渡さないように、とリカルドにも念を押されている。


「まず、こちらが中心街へ行く必要がある事の確認書類です」


 衛兵は特に怪しんだ様子もなく、そのまま入学許可証に目を通す。


「へえ……。いや、失礼した。神学校の特待生なんてなかなか見ないからね。……ありがとう、この許可証は返すよ」


 差し出された入学許可証を受け取ると、今度は衛兵にステータスプレートを差し出した。もちろん、今度は固有職ジョブ名を非表示にするわけにはいかない。


 衛兵が受け取ったプレートを確認しようとして、目を近づける。


 ――ここだ。


 俺は、自分自身に転職ジョブチェンジの力を行使した。


「カナメ・モリモト君だね。固有職ジョブは『村人』と。……はい、ありがとう」


 衛兵は氏名と固有職ジョブ名を手に持った台帳に書き写すと、ステータスプレートを返してくれた。この間、およそ9秒。……危なかった、もう少し時間がかかるようなら小細工をしなきゃならないところだった。


 ……そう。俺は自分を転職ジョブチェンジさせて、十秒間だけ『村人』になったのだ。異邦人ストレンジャーなんて固有職ジョブ名じゃ騒ぎになるのが目に見えてるもんな。


 さすがに十秒でいけるかどうかは賭けだったが、先に入学許可証を見せておいた事もあり、最短時間でプレートの確認をすませることができたようだ。


 リカルド曰く、「もし十秒以上かかっても、固有職ジョブの欄は『村人』なら二度見することはないよ」との事だったが、やっぱり運任せの賭けは心臓に悪い。


 一応、十秒以上かかったらキャロに混乱を引き起こしてもらおうとか、偶然を装ってプレートを叩き落として固有職ジョブ表示機能をオフにしようとか色々考えてはいたけど、あんまりいい手だとは思えなかったので、正直助かった。


「それから、これが中心街への通行許可証だ。ステータスプレートのどこか四隅にはめておくといい。その印を見せてくれれば、今後はいちいちステータスプレートを僕らに渡す必要はないよ」


 そう言って衛兵が差し出したのは、金属製の紋章だった。時折変に発光するあたり、たぶん魔道具なんだろうな。


「ありがとうございます」


 俺はその紋章らしきものを受け取ると、彼らの横を通り抜けて、壁に設けられた門扉から王都の中心部へと足を踏み入れた。




 ◆◆◆




 当たり前かもしれないが、王都の中心街は広大だった。純粋な面積はもちろんだが、一つ一つの邸宅やら店やらがとにかく大きいのだ。

 人口過密国の日本に住んでいた俺としては、それだけでもう別世界の住人の気分だった。……や、日本にも広大な敷地を持つお金持ちはたくさんいるはずだけど、お目にかかる機会がないままこの世界に来ちゃったからなぁ。


 だが、しばらく地図通りに道を進んでいくと、やがて一般的な規模の建物が立ち並ぶ区画に出た。地図の通りなら、ここが今後の生活のメインになる学生街のはずだ。


 俺は南の検問所から入ってきたせいで、貴族の邸宅エリアを通過する羽目になってしまったが、この地図からすると、西側の検問所から入ればすぐにこの庶民エリアに入れるようだ。覚えておこう。


 そんな事を考えながら歩いていたのが悪かったのか、俺は困ったことに気が付き、はたと立ち止まった。


「迷った……」


 整然と区画分けがなされていた貴族エリアと違い、この学生エリアはかなり雑多な感じで建物が並んでいた。そのせいで、というわけではないが、俺は自分の現在地がどこなのか、まったく分からなくなっていた。


 何か目印になるようなものがないかと、辺りをきょろきょろと見回す。だが、地図に載っていそうなものは何も見当たらなかった。知らない人に話しかけるのは不本意だが、誰かに尋ねるしかないだろう。


「ん……?」


 そう思って道を尋ねやすそうな人を探していると、ちょっと気になる二人組を発見した。


 二人は男女のペアだった。といっても、恋人だとかそういう風には見えない。なぜなら、男性の方は初老といって差し支えない年齢にさしかかっている一方で、女性はまだ二十歳程度に見えたからだ。


 しかも上手く隠しているが、女性の表情に時折負の感情が見え隠れしている。クルネも変なお客に絡まれた時、あんな表情をしていたような気がするな。


 そう思った俺は、あまり褒められたものではないと思いつつも、ついつい二人を観察する。その時、ちょうど初老の男が手を――。


「あ、分かった」


 おっと、無意識に呟いてしまった。その声が届いたのか、観察していた初老の男は女性の腰に回していた(・・・・・・・・・・)手をぱっと放すと、こっちを険しい表情で睨んできた。


 なんだセクハラじじいか。女性の曇った表情の理由が分かってしまった以上、ここで目を逸らすのもなんだか腹が立つな。


 別にこっちから声をかけるつもりはないが、ひたすら生温かい視線をセクハラじじいに注ぎ続ける。お節介かもしれないが、俺の視界にいる間はずっと居心地の悪い思いをさせてやろう。

 見たところ、『先生』とか呼ばれていそうな風貌をしているし、人目を気にするタイプと見た。


 と、しばらく俺とセクハラじじいの眼力勝負が続いていたが、元々あっちはすねに傷を持つ身、分が悪いと見たのか女性を置いてどこかへ去って行った。ふっ、勝ったな。


 セクハラじじいの姿が見えなくなるのを確認して満足した俺は、目的地である神学校へ辿り着くため、再び地図を広げた。


「あの……」


 すると、地図を見ていた俺に話しかける声があった。声のした方を向くと、そこにはさっきの女性が立っていた。


 二十歳前後かと思っていたが、この至近距離で見た感じだともう二、三歳は若いかもしれない。おっとりした印象を受ける下がり気味の目が印象的だが、容貌としてはかなり整っている部類に入るだろう。

 青色の柔らかそうな髪を束ねて前に垂らしているのが、彼女の雰囲気にとても合っていた。


「もし勘違いだったらごめんなさい。助けてくれてありがとうございました」


 そう言うと、彼女はぺこんと頭を下げた。そうして改めて向き直った姿を見て、俺は彼女がセクハラ被害に遭った理由の一端を理解した。


 ……なんというか、彼女は服の上からでも分かるほどスタイル抜群というか、つまりはそういう女性的な体型をしていたのだ。おっとりした雰囲気とのアンバランスも、好きな人にはたまらないだろう。


 だが当然ながら、それは彼女にセクハラをしてもよいという訳ではない。


「いえ、私の自己満足ですし、気にしないでください。余計な真似ではなかったのなら何よりです」


 俺はそこでいったん言葉を切ると、周りを少し注意深く見渡した。……よし、今のところあの爺さんは戻ってきていないな。


「それより大丈夫ですか? もし私と話しているのをあのご老人に見られると、あなたの立場が悪くなるのではありませんか?」


 狭い電車内じゃあるまいし、この広い公道で無関係の人間から痴漢行為を受ける可能性は低いだろう。

 まして、彼女が内心で嫌がりながらも逃げ出そうとしない理由を考えれば、あの爺さんとの間に何らかの上下関係がある可能性は高かった。


 俺が口を出さずに視線だけ送っていたのは、セクハラじじいが詰め寄ってきた時に「私はぼーっとしていただけですよ」とごまかす為でもあったが、直接言葉で伝えると、あの爺さんが「お前はワシを嫌っておるのか!」と彼女の方を責めたてる可能性を懸念したからでもあった。


「あの先生の性格なら戻ってこないと思います。……ひょっとして、だからあんな方法を?」


 そんな俺の考えが分かったのか、彼女ははっとした表情を浮かべた。だが、俺は彼女に恩を売りたいわけではないし、見知らぬ街で知らない人と会話を続けるには、ちょっと精神力が残り少なかった。

 知らない人と話す機会がほぼなかったこの一ヵ月で、精神力の燃費がさらに悪くなったのかもしれない。


「勘違いだった時や、詰め寄られたりした時にごまかしが効くと思っただけですよ」


 俺はそう言うと、話を終わらせるために地図を広げた。精神力的な問題もあったが、そろそろ真剣に神学校を探さなければ日が暮れてしまいそうだ。


「……あの、もしどこかお探しでしたら、道順くらいは案内できると思いますよ」


 爺さんが戻ってくることを警戒して、あまり彼女と視線を合わせないようにしていた俺だったが、そんな救いの声を耳にして、思わずその顔を見つめる。


 大荷物を持ってこれ以上道に迷うのもご免だし、ここは彼女の好意に甘えることにしよう。俺は正直に事情を話すことにした。


「実は、この神学校へ行きたいんです」


 そう言うと彼女は少し驚いた顔をして、それから何も言わずに地図を覗き込んでくる。


「神学校ですね。それなら、今はこの辺りにいますから……」


 彼女の説明は非常に的確で分かりやすかった。念のため地図にいくつかの情報を書き込むと、俺は彼女に別れを告げて神学校へと向かった。




――――――――――――――




【????】




「えー! そんなことがあったの? あたしも見たかったな……!」


 彼女の話を聞いて、ルームシェアをしている同居人にして学友たる少女は楽しそうな声を上げた。


「あのセクハラじじい、めっちゃムカつくよね! そりゃ、あたし達が考えた魔法の仮説を実証するのに付き合ってくれてるけどさ、お金は取られる身体は触られる、ほんと最低よね!」


 それがあの魔術師マジシャンの悪口に引き続くのは、もはやお決まりのパターンだと言ってよかった。


 彼女たちは魔法の研究者だ。……否、その卵だ。だが、残念ながら魔法系の固有職ジョブを持っているわけではない。


 魔法を使えない者が魔法を研究しているというのは本来おかしな話なのだが、そもそも固有職ジョブ持ちは国や貴族に召し抱えられて贅沢な生活を送るものがほとんどであり、わざわざ魔法理論の研究をするような物好きは滅多にいない。


 その結果として、この大陸には魔法の使えない魔法研究者が当然のように存在しているのだった。そして、そんな研究者がいざ自分の魔法理論を実証しようとする時は、当然ながら魔法系の固有職ジョブ持ちに依頼するしか方法はなかった。


「……あんな先生でも、わたし達の実験に協力してくれる数少ない魔術師マジシャンだもの」


「だから我慢するっていうの!? あんたはあのエロじじいに特に気に入られちゃってるんだから、もっとしっかり自衛しないと!」


 自分に言い聞かせるように呟いた言葉を、彼女の同居人が否定する。だが、彼女は首を横に振った。


「そうやってあの先生を怒らせてしまったら、私たちの魔法実験をやってくれる人がいなくなってしまうじゃない。

 私にとって大切なことは、魔法理論を研究して、新しい理を見つけること。そのためなら、セクハラくらい耐えてみせるわ」


 それは何度も議論になった事柄だった。魔法の研究者が若い女性である場合、魔法実験の実証を請け負っている男の魔術師マジシャンは役得とばかりに彼女たちに手を出そうとするのだ。


 件の『セクハラじじい』は隙あらば身体のあちこちを触ってくる不埒者ではあるが、過去には身体を触るだけでは飽き足らず、無理やりその先まで進んだ悪辣な魔術師マジシャンの例も珍しくない。そういう意味では、彼女たちは幸運な部類であると言えた。


 だが、だからといって彼女たちの気が楽になるはずもない。たった一人でいい、魔法の研究に理解のある、常識を持った魔術師マジシャンが欲しい――それが、彼女たち研究生の共通の願いだった。


「ねえ、そう言えばそろそろだったよね?」


「……なんのこと?」


 同居人が突然切り出した話題が理解できず、彼女は首を傾げた。


「ほら、同郷の人がこっちに来るんでしょ?」


 その言葉に彼女はああ、と頷いた。先日、故郷の幼馴染から届いた手紙に、故郷で暮らしていた青年が王都へ留学しにやってくるという知らせが書かれていたのだ。


 とはいえ、彼女にとっては顔も知らなければ性格も分からない男性だ。某魔術師(マジシャン)のおかげで男性が少し苦手になってしまった彼女としては、あまり積極的に挨拶しにいく気にはなれなかった。


「同郷といえばそうだけど、私は会った事のない人だもの。あんまり気にしてないかな」


「えー、せっかくの出会いなのにもったいない……」


 常に恋人募集中の同居人は、どうやら心の底からそう思っているようだった。放っておけば「あたしが代わりに会ってあげる!」くらいは言いかねない。

 見ず知らずの男によくもそこまで期待できるものだ、と彼女は本気で感心した。


 どうせ男性と会わなければならないのなら、数か月故郷に住んでいただけの見知らぬ人よりも、昼間の青年にもう一度会ってお礼を言う方がよっぽど有益だ。


 そんなことを考えながら、彼女は魔法実験の資料を見つめるのだった。


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