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2話【ほのかに香る、鉄の味】

「もとの世界に……帰れない……?」


 イルルさんが口にした言葉に動揺を隠せず、繰り返すように復唱した。

 家出などの失踪ではなく、本当の意味で神隠しにあった人物が奇跡的に生還した事例など、たしかに聞いたことがない。


 いや、待て。

 おれが知らないだけという可能性だってある。むしろそうあってほしい。


「ふむ。少々言葉の選び方を間違えたか。方法がない……というよりは、数千年生きているわしが知らぬのだから、人の子が自力で帰る方法を見つけるのは、限りなく可能性が低いことだと言うべきだったか」


 慰めになっているのかよくわからないが、イルルさんはそんな答えに言い換えてくれた。


 さて……どうしたらいいのだろうか。

 全て夢だと叫びたい気分だが、目の前にいる、竜から人間へ変身したイルルさんの存在がそれを許してくれない。

 付け加えるなら、さっき口にしたトンカツの余韻も舌に残ったままであり、夢ではないと主張している。


「あの、この近くに人が暮らしている村や街なんかはありますか?」


 落ち着け。

 とにかく、まずは人里を探すべきだ。

 こんな森の中では、おちおち寝ることすらできそうにない。


「近くではないが、ここから北にずっといけば、ファルファトリア聖教国とアテナ連合国の国境だ。そのあたりなら、人が暮らす街もあるだろう」


 ファルファトリアに、アテナ……やはり、聞いたこともない国の名前だ。

 ここが地球でないのなら、それも当然か。

 せっかくなので、イルルさんに色々と尋ねてみることにした。


「ファルファトリア聖教国は、この世界を創造したとされる神を信仰する宗教国家だな。隣国であるアテナ連合国とは仲が悪く、小規模な争いが頻繁に起こっているようだ」


 ちょっと物騒だな。なんでまた争いを繰り返しているんだろうか。


「アテナ連合国は、小国が同盟を結ぶことで一つの国家として機能しているようだが、同盟を結ぶこととなったそもそもの原因は、ファルファトリア聖教国にあるのだ。稀人の世界にも似たような事例があるかもしれんが、聖教国が創造神への信仰を他国にまで強要し始めたのだよ。国が変われば、信じるものも変わる。人間がたくさんいれば、それだけ多くの思想があるというものだ。反発が起きるのも道理というものだろう」


 やだー、すごく物騒じゃないですか。


「国境に着いたとしても、どっちの国に向かえばいいんでしょう?」


 ファルファトリア聖教国は、信仰を強要するっていうのがちょっと怖いけど、神の慈悲とかで困っている稀人がいたら優しく手を差し伸べてくれるなんてことも――


「聖教国において、稀人は、本来ならば神が創ったこの世界にいるはずのない者――つまりは異物という認識らしい。どういった扱いを受けるかまでは知らぬが、楽観的に考えないほうがいいだろうな」


 はい、神の慈悲とかはないんですね。本当にありがとうございました。


「アテナ連合国は、稀人にも寛容だと聞いている。稀人が持つ技術には学ぶべきものも多い。そういった新たな風を積極的に取り入れているのだろう。小国が集まって形成された国家ならではなのかもしれんが、来る者拒まずといった感じだな。まあ、そういったところも聖教国にとって面白くないのは間違いないだろうが」


 うん。どちらの国に行くか、なんていう選択肢はなかった。

 おれ、アテナ連合国、いく。

 ファルファトリア怖い、だめ、ぜったい。


「まあ、どちらにしろ今日のところは寝るといい。ジンはかなり疲れているように見えるからな。わしが傍にいれば、あのような虫や動物は寄って来まい」


 たしかに、異世界に来てしまってから気の休まる暇がなかった。

 改めて自分の体へと意識を戻すと、まるで鉛を流し込んだように重たく感じる。


「それじゃあ、お言葉に甘えてちょっと横に……」


 リュックを枕の代わりにして、おれは焚き火に近い位置で寝そべった。

 火がちろちろと燃えている様子をじっと眺めていると、不思議と眠気が増していく。


 ――ふと、イルルさんと目が合った。

 早く寝ろ、と言いたげな表情に見えたが、おれは少し眠気に抵抗してみることにする。


 おそらく、それはきっと……もうちょっとだけ彼女を眺めていたいという気分になったからだろう。

 人間の姿をしている彼女はとても綺麗で、優しい瞳をしていた。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 ――翌朝。


「ふぁぁ~、よく寝た……ん?」


 おれが目を覚ますと、羽ブタを一頭丸ごとバクっと呑み込む竜の姿が視界に飛び込んできた。

 バキボキ、グシャメキャ、という盛大な音を響かせながら太い骨ごと噛み砕いていく光景は、眠気覚ましにはもってこいである。


「おお、起きたか。いやなに、残ったままでは勿体ないだろう。さすがにトンカツのようにおいしくはないが、生のままでもそれなりに腹の足しにはなるからな」


 羽ブタからはロース肉を切り出しただけで、他の部位を解体するまで手が回らなかったのだ。

 たしかに、残したままで腐らせるのは勿体ない。


「どうした? なにやら言いたそうな顔をしているようだが」


 でも、なんだか、その……ギャップがね。

 うん。ちょっとビックリしただけです、はい。


「この姿に戻ったのは、なにも羽ブタを食すためではないぞ。国境付近にある街まで行くとしても、人間であるジンの足では森を抜けるだけで何日かかるかわからん。わしの背中に乗るがいい」


 なるほど……森の外まで送ってくれるということか。

 最初に竜の姿で現れたときは、正直ものすごく怖かったが、実はかなりいい人(※竜)なのではないだろうか。


「えっと、それじゃ失礼します」


 さっそく、イルルさんの背中にお邪魔させてもらおうとしたのだが……。


「言っておくが、土足厳禁だからな」

「あ、そうですよね」


 おれが素直に靴を脱ごうとすると、「冗談だ。本気にするな」と笑われてしまった。

 うん。彼女は、意外とお茶目さんなのかもしれない。


「では、いくぞ」


 イルルさんの巨大な竜の翼が、力強く風を掴んだ。


 ――竜の背中に乗る。

 これは、異世界に来て良かったと思えるぐらいの体験だった。

 昔、雪国への修学旅行で一回だけ飛行機に乗ったことがあるが、感覚としては飛行機よりもずっと速い。


 渓谷に運んでもらったときは足につかまっていたが、背中に乗ると、まるで自分が空を飛んでいるかのような錯覚を起こしそうになった。

 周囲を流れていく風の音が気持ちよく、まさに気分爽快である。


 程なくして眼下にあった森が途切れ、平野が続くようになってから、イルルさんは徐々に下降を始めた。


「この姿で人間の街に近づくと、いらぬ騒ぎが起きるだろうからな」


 そう言って、緩やかに着陸した。

 街の近くに巨大な竜が接近してきたら、そりゃあ住民は驚くだろう。

 ここからは歩いて行け、ということか。


 だが、恐ろしい獣やら、化け物のような虫が生息している森を抜けただけでも十分嬉しい。

 突然見知らぬ世界に放り出され、正直なところ不安で一杯なわけだが、とにかく今は進むしかない。


 おれは気持ちを奮い立たせ、イルルさんにお礼を言ってから勢いよく歩き始めたのだが――むんず、と背負っているリュックが引っ張られた。


「ちょっ、なにするんですか?」


 振り返ると、そこには人の姿となったイルルさんがいた。


「勘違いをしているようだから言っておくが、わしもついていくからな」

「え……」

「送ってやるだけ、などと言ったつもりはないが?」

「でも、イルルさんは森で暮らしていたんじゃ……」

「わしは何千年も生きていると言っただろう。気まぐれでジンについていった程度で時間を無駄にしたと思うほど、生き急いでいるわけではないからな。それに……またうまい料理を食べることができるかもしれん」


 羽ブタのトンカツを思い出したのか、イルルさんはごくりと唾を呑み込んだ。

 何千年という永い時を生きてきた竜にとっては、おれと一緒に来るぐらい、数日旅行にでも行く程度の感覚なのかもしれない。


 が、こちらにとっては願ったり叶ったりだ。

 ここでイルルさんの誘いを断り、異世界の地をずんずんと進んでいけるほど、おれは強くない。

 むしろ弱い。

 森を抜けたとはいえ、凶悪な野生動物や化け物なんかに遭遇した場合、おタマや鍋でどう戦えというのか。今はそれすら持っていないし、武器になりそうなのは、リュックに収納してあるイルルさんがくれた牙ぐらいだろう。


「はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

「うむ。どれほどの付き合いとなるかはわからぬが、腹が減ることはなさそうだな」




 ――そうして、半日ほど休憩をはさみながら歩き続けた頃だろうか。


「あ、イルルさん見てくださいよ。街が見えてきましたよ」

「ああ。わしの記憶が確かなら、あれはレイトルテの街だ。アテナ連合国に属しており、国境にある砦へ物資を供給する役目も担っているため、かなり大きな街といえるだろう。港が近いために別大陸と交易ルートを持ち、小競り合いが多いとはいえ、ファルファトリアとの交易も完全に切れているわけではない。ゆえに様々な交易品が出入りしている」

「へえ、たしかに大きな街ですね。これだけ遠目にも街を囲む高い外壁が見てとれますし、交易が盛んなら、活気がありそうです」


「……ところで」


 ずずいっ、とこちらとの距離を詰めたイルルさんが、尋ねてくる。


「ジンはいつまでよそよしい口調でわしと会話するつもりだ? わしはお前のことをジンと呼んでいる。そちらもイルルとだけ呼べばいいだろう」

「えっと、その……何千年も生きていると聞いたので、年上には敬語を使うのが普通かなという感覚が……」

「ほう。つまりジンは、わしのことを年寄り扱いする気か? そっちのほうが余程失礼だと思うのだがな」


 ぎらり、と鋭い眼光で射抜かれた気がした。

 最古の竜種とはいえ、やはり女性に年齢のことを指摘するような発言は禁句だったのか。

 でもあなた、永く生きすぎたせいで、自分が男か女かも忘れかけていたとか言ってたじゃないですか。


「……まあいい。ところで、ジンは街に着いてからどうするつもりだ?」

「もとの世界へ帰る手がかりを探そうと思ってます。大きな街なら情報も集まるだろうし、もしかすると他にも稀人がいて、色々と話を聞けるかもしれないですから」

「その可能性はなくもないな。しかし、言葉も通じぬ場所で情報を集めるのは、多大な労力を要するのではないか?」


「え……」

「わしと普通に会話が成立しているから忘れているようだが、ここはジンにとって異世界なのだぞ。言葉も異なれば、文化も異なる」


 ……はい、忘れてました。

 異世界に飛ばされて、初めて出会った人物がイルルさんだったので、なんだか普通に会話できるものだと思い込んでいた。


「と言うと……やっぱり、使用している言語も違うんですか?」


 まいったな。こちとら英語もまともに話せないというのに、いきなり異世界言語で話せと言われても、できるはずがない。


「稀人が異世界へと迷い込んだとき、誰しもが言葉に不自由すると、人間の書物で読んだ記憶がある。ジンだけが例外ということもあるまい」

「あれ……? それならなんでおれは、イルルさんとこうして会話ができてるんですか?」


 そんな素朴な疑問が、ぽんと頭に浮かんだ。


「ジンの世界にそのような概念があったかは知らぬが、この世界には魔力というものがある。人間の中にも魔力の強い者はそこそこいるが、わしのように永く生きている竜は、とても強い魔力を有しているのだ。そのように強い魔力を持った者は、たいてい言葉に不自由はせぬ。相手に伝えたい意思さえあれば、言魂は魔力によっていかようにも姿を変えよう」


 ……魔力、か。

 地球にだって、昔は魔女狩りなんてものがあったぐらいだ。たとえそれが迷信だったとしても、火のないところに煙は立たないわけで、何かしらの不思議な現象を起こせる者は極々稀にいたのかもしれない。


 科学の発達によって、それら様々な事象が解明された現代地球においても、未だ解明できない超常現象があるとされているのだ。そう考えると、超常現象を引き起こす力の源は魔力である――そう定義されている異世界のほうが、ある意味わかりやすい。


 とにかく、魔力が強い者は言葉が自動的に翻訳されて相手に伝わるという認識でいいだろう。

 まあ、おれにはもともと魔力なんて備わっていないのだろうが。


「問題は他にもあるぞ。わしも最近は人間の街を訪れていないが、おそらく街へと入る前に検問を受けることになるだろう。特に怪しいものを所持していなければ、わずかな金額を納めることで通ることができるはずだが……ジンはこの世界の貨幣を持っているのか?」


 うん、持ってるわけがない。

 いちおう、財布の中には日本の硬貨や紙幣がつつましく入ってはいるが、こんなものを渡したら変な顔をされるに決まっている。


 下手をすれば、貨幣を偽造したとかで逮捕されるかもしれない。

 自分が稀人なのだと説明しようにも、言葉が通じなければ言い訳もできない。

 これは……思っていた以上に厳しいかもしれないぞ。


「安心しろ。少しぐらいならば、わしに持ち合わせがある」


 そう口にして、イルルさんは懐から、チャリッという小気味良い音を響かせる小袋を取り出した。

 ちなみに、竜の姿をしているときは、いったいどこに隠しているんだろう?

 などという無粋なことは、今は考えるべきではない。


「ただ、検問官にはジンとわしの関係について聞かれるだろうな」


 そりゃあ、見ず知らずの者にお金を貸す人なんて、そうそういないもんな。


「いっそのこと、わしとジンは夫婦ということにでもしておくか? 困っていた稀人を助けて一緒に旅をしているうちに……など、いかにも人間らしいだろう」

「ええ!? い、いきなり何を言い出すんですか!?」


「そう驚くこともない。困っていたところを助けたのは事実だし、男女の二人旅ならば夫婦であるほうが自然だ」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

「なんだ、もとの世界に想っていた相手でもいたのか?」


 残念ながらそんな相手はおりませんが……というか、そんな悲しいこと言わせないで!

 ぐぬぅ……いいんだ。おれの恋人は料理なんだ……。


「ならば、夫婦ということでよかろう。それと……ジンがどうしてもと言うのなら、言葉の問題を解決する方法がないわけでもない」

「ほ、本当ですか? 言葉が理解できるようになるのは正直すごくありがたいです。ぜひお願いします。でも、おれには魔力なんてないでしょうし、いったいどうやって……」


「ふむ……先程言ったように、わしのような最古の竜種はとても強い魔力を持っているのだ。そのせいか、竜の生き血を飲めば不老不死になると信じている人間も多い。まあ、実際それに近い存在になるだろうが……」


 イルルさんは、さらにおれとの距離を詰める。

 手を伸ばせば、すぐそこにある顔に触れることができるくらいには近い。


「生き血とまではいかなくとも、竜の体液を人間が口にすれば、かなり強い魔力を宿すことができるだろう。そうすれば、言葉に不自由することもなくなる」


 たい………えき?


 体液――は、たしか体内を循環している液体成分のことを指し、血液もこれに含まれるのだろうが、イルルさんが言っている体液とは、おそらく……唾液や汗のことを指しているのではないかと思われる。


「そ、その、体液を口にするっていうのは、もしかして……」


 イルルさんが、にっこりと微笑んだ。

 綺麗な女性が意地の悪そうな顔をすると、とんでもなく魅力的であることを、おれは初めて知った。

 同時に――それを目の前にした男性に、抗う術などないことも。


「ちょ、あのっ」

「なに、夫婦の間では珍しいことでもあるまい」

「それは、あくまでフリをするって話じゃ――むぐぅ」


 ろくに抵抗することもできず、静かに唇が重ねられた。

 その柔らかな感触におれが体を硬直させていると、だんだんと唇が熱を持ち始めたかのような感覚に襲われる。

 その熱は喉から体内へと移動していき、身体の中心をゆっくりと降下し、ちょうどヘソの下あたりで止まった。


「あれ……なんだか、体がポカポカしてきたような気が……」

「それでいい。しばらくすれば、わしの魔力が馴染むことだろう」


 これで言葉が通じるようになるのなら嬉しいが、あんな突然……いや、イルルさんのように綺麗な女性と口づけをするのに不満があるわけではない。


 だけどなんだろう。この……奪われた感は。

 普通はこういうの、男女の立場が逆なんじゃないの?


「ふふ。これでわしと話すときに、少しは口調もくだけるのではないか? 言っておくが、今のわしの姿は、もし人間ならこれぐらいの年齢の女性ということだ。ジンとさほど年は変わらんということを覚えておけ」


 あ、さっきのこと、まだちょっと怒ってらしたんですね。

 だって、同い年にしては威厳がありすぎるんですもの。


 しかし、こうなると多少強引にでも、口調を変えたほうが良いかもしれない。


 ――あ。


 全然関係ないけど……そういえばイルルさん――いや、イルルは、朝に羽ブタを生のままで丸かじりした後、そのままだったような気が……。

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