1話【ラードで揚げようサクサクの】
「――え?」
「……まあ、そう身構える必要はない」
命の灯火を消すなんてことを言われれば、誰だって身構えますけども。
「お前も稀人なら、何か特別な技術なり知識なりを持ち得ているのではないか?」
……なるほど。
ここが異世界だというのなら、色々と地球とは異なる技術体系が構築されている可能性が高い。
今までどんな人が稀人としてここに来たのかは知らないが、地球における技術や知識がこちらで物珍しく映ったのだろう。
「お前は、もとの世界で何をしていた?」
「りょ、料理人を」
料理なら誰にも負けないなどと言うつもりはない。
しかし、おれが胸を張っていえるのは、料理が好きということだけだ。
「料理人か。それはいい。ちょうど腹が減っていたところだ。何か作ってはくれないか?」
それが助けてくれた礼になるというのなら、喜んでお受けしたい。
だが……今まで料理は人間の舌に合わせて作ってきた。
竜の舌を満足させるにはどうすればいいのかなんて見当もつかないし、満足のいくものを作れなかったら、自分がパクリといかれる可能性も捨てきれない。
「稀人の世界の料理とはなかなか面白そうだ。わしも長く生きているが、初めて食べる」
ふうむ……どうやらおれが住んでいた世界の料理に興味があるようだ。
それならば下手にレシピを変えず、いつも作っているようなものを出すべきかもしれない。
しかし、リュックの中身は調味料が大部分を占めており、メインとなる肉や魚などの食材がないのだ。
となれば、おれ自身ちょっと気になっているアレを食材としてみようかと思う。
アレ……というのは、さっき竜に引き裂かれて絶命した巨大猪である。
背中に翼がある猪といえど、最初に襲ってきた虫の化け物と比べると、遥かに食材として認識しやすいフォルムをしている。
「ああ、羽ブタは毒もなく食いやすいぞ。虫のほうは可食部がほとんどないがな」
羽ブタっていうのか……あの巨大猪は。ずいぶんと可愛らしい名称であるが、ついさっき興奮した羽ブタに襲われたときは死ぬかと思った。
まあ、食べられるのなら、ありがたく料理させていただくことにしよう。
ちなみに、虫の化け物のほうはメタルアントというらしく、体表面の甲殻が鉄のように硬く、なおかつ分厚い。
この甲殻を引き裂いて致命傷を与えたということは、竜の一撃が鉄の鎧を着込んだ人間だろうと容易に引き裂けることを意味している。
「あ、でも、これは使えそうだな」
丸みをおびた甲殻の一部が地面に転がっており、つるりとした表面は磨かれた鍋のようでもある。
他にもメタルアントの顎の部分なんかは細かな刃がついており、欠けた部分は立派な刃物として使えそうだ。
……よし、なんとかなりそうだぞ。
「あの、竜……さん? 羽ブタを解体したいので、近くに水場があれば運んでもらいたいんですが」
「いいだろう。お前もわしの足につかまっていろ」
竜はふわりと空中へと浮かび、あっという間に澄んだ水が流れる渓谷へと移動した。
激しく揺れるかと思い、振り落とされないように身構えたものの、不思議とほとんど揺れは感じなかった。吹きつけるような風が頬を叩くこともなく、なにやら柔らかな膜に包まれているかのように快適だったと言っておきたい。
渓谷の足場には小さな砂利があり、ここだけ見ると、まるでキャンプへ来たかのような錯覚に陥りそうだ。
……そういえば、子供のときに家族でキャンプ場へ遊びに行ったことがあったな。
野鳥が飛び交い、ピィピィと可愛くさえずっているところへ、父親があの鳥はうまいぞとか言ったもんだから、そんなの可哀想だと妹が泣いてしまったんだっけか。
小さな翼を懸命にパタパタと動かして飛び回る鳥たちを食べるだなんて、たしかに可哀想だと、当時のおれも思ったものだ。
……あれ、なんだろう? もしかしてこれって現実逃避ってやつかな。
あはは。
「羽ブタはここにおくぞ」
だが、目の前にどん! と横たわる羽ブタが現実を突きつけてくる。
お、おう……。
ちなみに、羽ブタの翼は血塗れである。
こんなショッキングな映像は、そうそうキャンプ場では見ることができない。
よし……やってみるか。
店で働くぶんには、枝肉から骨を抜いた正肉を仕入れていたため、当然ながら解体作業を経験する機会はなかったのだが、料理長ことオーナーに猟師の知り合いがおり、良い機会だからといって、休日に野生鳥獣の解体を手伝わされたことが何度かある。
羽ブタの全身を解体するのは難易度が高そうだが、とりあえず必要な部分だけを切り取ろう。
引き裂かれた首元からの出血は激しく、すでに血抜きの必要はなさそうだし、さっそく解体作業にかかる。
まずは腹を開き、内臓を取り出した。臓器などの配置は本物の猪と変わりはないようで、膀胱や腸を傷つけないように気をつける。
料理に使いたいのは、背中側にあるロースと呼ばれる部分の肉だ。
背中にある翼が邪魔なので、取り除こうと根本の部分に切り込みを入れると、どうやら肩甲骨と連結しているようだった。
肉を裂いていき、関節同士がくっついている部分を外そうとしたところで――
バギッ、という音とともにメタルアントの顎から採取した刃物が砕けてしまった。
「しまった……」
もともと欠けた部分だったから、強度が弱かったか……。
「人間というのは、爪も牙も持たぬ生き物だからな。どれ……これを使うがいい」
竜はそう言って、自らの爪を口元へと近づけると――立派な牙を器用に一本引き抜いた。
ええええええええええええ!?
「そ、そんな簡単に引っこ抜いていいものなの?」
「大丈夫だ、問題ない。すぐに生えてくる」
そういうもの……なのか。地球だとサメとかは歯が生え変わるので有名だが、竜の牙も再生可能のようだ。
ごろんと転がった竜の牙は、いつも使っている包丁よりも大ぶりではあるが、切れ味はなかなかで、解体作業は順調に進んでいく。
無事にロース肉を切り分けることに成功したが、肉質はとても良い。
キメが細かく、適度に脂がのっているし、しっとりと柔らかな感触である。
……ここまでくれば、もう商品として販売されている豚肉と遜色はないだろう。
『異世界産 羽ブタ ロース肉 100g 198円』みたいな。
まあ、日本では怪しすぎて誰も買わないだろうけども。
メタルアントの殻をいくつか持ってきたが、皿のような形になっているものをよく洗い、新鮮なロース肉を取り置いた。
次は、羽ブタの皮下にたっぷりと蓄えられていた脂肪を切り出す。
この豚脂を炒めることで、油は比較的簡単に作ることができるのだ。
さっそくメタルアントの殻の中でも、鍋の代わりになりそうな形のものを焚き火にかけた。熱しても殻は変性することなく、本当に鉄鍋のような使用感だ。
さすがはメタルアントというだけある。
脂をじっくり炒めていると、甘みを含むような香ばしい匂いが立ち昇ってきた。
こうして作ったものを、揚げ油として使用するつもりである。
やや厚めに切った上質ロース肉に、香ばしい揚げ油。
……もうおわかりだろう。
そう、おれが作ろうとしているのは『トンカツ』である。
幸い、トンカツを作るのに必要な小麦粉やパン粉はリュックに入っている。
「あ、しまった……」
揚げ物の衣を作るのに必要なのは、小麦粉、卵、パン粉の三つ。
卵は割れやすいし、リュックも満杯だったので、また今度でいいかなと買うのを控えたのだった。
「なんだ? 何か材料が足りないのか?」
「えっと、卵がなくて」
竜の問いに、おれは鳥の卵が必要だと口にする。
「ふむ……ならば少しだけここで待っていろ。すぐに戻る」
バサッと翼を広げた竜は、ふわりと宙に浮かんでどこかへ飛んで行ってしまった。
――間もなく、『クェェェェェェェッ!』という断末魔が遠くから聞こえてくる。
何があったのかを悟ったおれは、その場で小さく手を合わせておいた。
しばらくして竜が戻ってくると、案の定、鶏卵の何倍もありそうな大きな卵を器用に手でつかんでいるではないか。
「これでどうだ?」
「……あ、はい」
渡された卵をこんこんと叩いてみると、かなり硬い。
見た目としては、本で見たことのあるダチョウの卵に近いようだ。
殻の厚みは相当なものと思われるが、大切に使わせてもらうとしよう。
だが……改めて考えると、巨大な竜の胃袋を満たすにはロース肉の量が少しばかり……どころか明らかに不足しているな。かといって、羽ブタの他の部位を全部解体していたら時間がいくらあっても足りそうにないし……。
「案ずることはない。わしは何千年も生きている竜だ。こんなことも……できる」
ゴキ、バキという音とともに、竜の骨格が一回り小さくなったかのように見えた。
柔らかな光に包まれた竜は、そのままどんどん体を小さくしていく。
心なしか、体形も竜ではなく、人形へと変化している気がした。
何千年も生きているという情報も驚きだが、自身の体を変化させることができるなんて、ますますここが異世界であることを認識させられる。
そういえば……この竜の性別はどっちなのだろう。
漠然と雄……男だと思い込んでいたが、声の雰囲気は年をくった老爺や老女のようにも、少年や少女のようにも聞こえる不思議な感じだ。
「ふう……人の姿となるのは久しぶりだな」
その答えは、すぐに出た。
燐光がゆっくりと消えていき、現れたのは、まぎれもなく人間の女性だったからだ。
衣服から覗く手足はしなやかで、胸の膨らみや腰のくびれは女性特有のもの。身長はおれと同じぐらいで、女性にしてはやや高いほうだ。長い銀髪は月明かりに照らされて金砂のように輝き、血のように紅い瞳は見ていると吸い込まれそうになる。
なんというか、とても……綺麗だった。
「どうした。竜が人の姿となったので驚いたか?」
「あ、いや……驚いたのはたしかですが、その……てっきり男の方だと思っていたので」
そう言うと、竜は面白そうに声を上げて笑った。
今度は、はっきり女性とわかる声だ。
「実はわしも、長く生きていると自分が女だか男だかわからなくなるときがある。他の竜と最後に会ったのも、数百年ほど前のことだからな」
うーむ。長いこと異性の相手が近くにいなければ、そういう感覚になるものなのかな? さすがに数百年という年月は長すぎて、想像できない。
「この姿であれば、少量でも腹を満たすことができる」
らしい。
食べた後に竜の姿へと戻ったとき、いったい胃袋の中身はどうなってんだ? という疑問はあるが、そこは考えないようにしたい。
量の問題が解決したのであれば、料理再開だ。
「ところで、それは何をしているのだ?」
「ええ、油を取ってるんですよ」
興味があるのか、竜……だった女性が鍋の中を覗き込んでくる。羽ブタの脂肪が溶け、みるみる油が出てくるのが楽しいようで、熱い油に指を突っ込もうとしたのを慌てて止めた。
もっとも、もともとが竜なので火傷なんてしないのだろうが。
――しばらくすると、鍋にたっぷりの油を取ることができた。
ロース肉のスジに竜の牙で切り目を入れ、揚げたときに縮まないようにしてから、塩と胡椒を適量ふりかける。
さっきの大きな卵は、こつんと岩にぶつけてもビクともしなかったので、竜の牙でゴンッと衝撃を与えると簡単にヒビが入った。
ボウルのような形状になっているメタルアントの殻に落とし入れ、木の枝を折って作った簡易的な箸で卵を溶いてやる。黄身の色は鶏卵よりも薄いようだが、別に色の濃いものが上質というわけでもなく、鳥の種類や食べる餌によっても色は変化するのだ。
基本的に、新鮮な卵は種類を問わずうまいと言っても過言ではないだろう。
そうして出来上がった溶き卵に小麦粉を投入し、少量の水を混ぜれば、ロース肉がダイブする準備は完了だ。
下地となる衣をつけてから、パン粉をしっかりとまとわせてやれば、あとは熱々の油へと一直線。
本当は冷蔵庫などでしばらく冷やしてから揚げるほうがいいのだが、さすがに今は無理だ。
ジュワッという音が耳に心地よく、揚げ物特有の香ばしい匂いが辺り一面を蹂躙する。
空腹の人間にとっては拷問ともいえる、あの匂いだ。
肉汁が上質な油のなかで弾け飛び、表面のパン粉がキツネ色にこんがりと色づいてくるときの、胃袋が悲鳴を上げそうになる暴力的なまでの香り。
ぶくぶく、ジュワジュワと、油の海を気持ちよく泳がせてやる。
衣に色がついてきた頃合いを見て、トンカツを一度引き上げた。
そうして余熱で火を通し、今度は高温の油で短時間揚げてやるのだ。
そうすれば、中は肉汁たっぷり、外はサクサクとした食感のトンカツとなる。
「あれ……しまったな」
焚き火に枯れ枝を足してやれば、火力が強くなって油も高温になると思っていたのだが、ガス火と違って調節が難しい。
衣の一部を浮かべて温度をみてみると、どうにも火力が弱い。
やはり、慣れない状況で料理をすると色々とイレギュラーな事が起こるようだ。
「何か問題でもあったのか?」
余熱で火を通しているトンカツに手が届きそうな位置にまで来ていた相手が、尋ねてくる。
「いや、ちょっと火力が弱いみたいで……」
「なんだ、そんなことか。どれ……わしが手伝ってやろう」
そう言って、女性の姿の竜がすうっと息を吸い込んだ。
映画やゲームの世界では、竜が炎のブレスを吐いていたりする姿はよく見かける。
目の前の女性が炎を吐いたとて、もう驚くことではないのかもしれないが、鍋ごと消し炭になってしまうのでは、という不安が頭をよぎった。
……が、そんな事態にはならず、実に器用に小さな炎のブレスを披露してくれた。
ボボボ、という音とともに赤く白熱したような炎が油の温度を高めていく。
「あ、そのぐらいでしばらく続けてもらえますか?」
「任せろ」
ほどよく高温となった油で二度揚げし、サクサクに仕上がったトンカツを皿代わりの殻に盛りつけた。
適当な大きさに切り、味見のために一つ取って口の中へ。
ザクザクした衣に歯を立てると、中からジュワリと肉汁が飛び出してきた。
ラードで揚げたせいか、衣にも甘みのある脂の旨味がぎゅっと凝縮されてしみこんでおり、飛び出た肉汁と合わさると、自然と笑顔になってしまう。
自分で言うのも何だが、羽ブタのトンカツ……上出来である。
普段お店で使う豚肉よりも、肉の味が濃いように感じる。二度、三度と噛んでも、肉の旨味がさらに膨らんでいくようだ。
なんというかもう、ずっと噛んでいたい。
仕入れ値が高すぎるものは店で使えないとはいえ、異世界でこのような上質の豚肉に出会えるとは、不思議なものだ。
「それが、稀人の世界の料理か?」
「あ、はい。トンカツといいます。どうぞ食べてみてください」
おれはリュックからソースを取り出し、完成したトンカツにかけてあげた。
これは何種類もの野菜や果物の旨味をじっくり時間と手間をかけて凝縮させたソースで、おれが一番好きなやつだ。
贅沢をするなら食卓で、というのがおれのモットーなので、一般的なソースよりも値が張るが、皇室御用達というのは伊達ではない。
もちろん、トンカツとの相性も抜群だ。
「どれ……」
カジュッという音を立てて頬張った後、竜の女性はしばし無言で口を動かす。
「これは……うまいな」
顔をほころばせながら、揚げたてのトンカツに手を伸ばし、次々と口の中へと放り込んでいくではないか。
「むぐ……いくらでも……もぐ……食べられそうだ」
自分の作った料理を食べて相手が喜んでくれるのは、やはりとても嬉しいものだ。
おれの場合、それが最初は家族であり、その範囲を広げるために料理人となったのだから。
「あ、ちょっと待ってください。もうそろそろ炊けるはずなので」
リュックに入っていた白米を、こっそり焚き火で炊いておいたのだ。
土鍋炊きならぬ、殻鍋炊きであるが、どうやら上手く炊けたようである。
蓋の代わりには、余った羽ブタの皮を伸ばして小さな穴を空けたものを使った。
「これを、トンカツと一緒に食べてください」
「これは……米か? うむ……! なるほど、これもよく合うな」
差し出した白飯は、トンカツとともに豪快に平らげられていく。
追加でトンカツをどんどん揚げていき、ちょっと作りすぎたかなと心配したが、それらも全て彼女の腹に吸い込まれてしまった。
人間の女性が全部食べられる量ではなかったが、やはりもとが竜なので、そんな心配はまったく必要なかったようだ。人の姿ならば少量で腹を満たせるというのは、あくまで竜からしてみれば、という意味だろう。
「ふぅ……稀人の世界の料理というのは初めて食べたが、とてもうまいものなのだな」
「どういたしまして」
そういえば、竜の姿のときに牙を一本引き抜いていたが、そんな状態で飯をガツガツ食べて大丈夫だったのだろうか。
「問題ない。もう新しいのが生えておるからな」
にかっと笑った口元には、白い歯が綺麗に並んでいた。
あ……そうですか、もう生えましたか。
「これで、おれを助けてくれたお礼になったでしょうか? 命の灯火は消さないでほしいんですが」
「ん? ああ、あれは冗談だ。まさか本気にしていたのか?」
くつくつと笑っていらっしゃるが、あの状況でそんな冗談はやめていただきたいものだ。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。お前の名前を教えてはくれないか」
「橘 仁志といいます。店では“じん”って呼ばれてましたけど」
オーナー曰く、名前の仁という文字から取ったらしい。
「じん……、ジンか。わしの名前はイルル。これでも最古の竜種でな。そこそこ物知りだと自負しておる」
「あの、それなら教えてほしいことがあるんですが」
とりあえずの危機も去り、自分がおかれている現状を理解したところで、おれが知りたいと思うことは一つだろう。
すなわち、もとの世界に、地球に、日本に帰るにはどうすればいいのかということだ。
数千年も生きているイルルさんなら、その方法を知っているかもしれない。
しかしながら、そんな希望をのせた質問は、半ば予想していたことではあるが無残にも打ち砕かれることとなった。
「もとの世界に戻る方法……か。残念だが――そんなものはない」
読んでいただきありがとうございます。
今日のランチにトンカツなどいかがでしょうか。