3話【大きな街、レイトルテ】
――レイトルテの街。
人間の背丈の何倍もあるような大きな門の前で、人が列をなしていた。
検問を受けるため、おれたちもさっそく列へと並ぶ。
「あ、イルルさん! あれってなんですか!?」
「…………」
「あ、えっと……イルル。あれってなんだろう?」
おれが興奮して指差したのは、馬が引いているわけでもないのに動いている、クルマのような物体だった。
四つの車輪に、前部にはボンネットのような箱が備え付けられ、座席に人が乗って移動している。洗練されたデザインとはいえないが、自動車によく似た乗り物だった。
「うむ。おそらくあれは……魔導機関を搭載した乗り物だろう」
「まどう……きかん?」
「魔力を原動力とした装置のことだな。装置に溜め込んだ魔力を、他の様々なエネルギーに変換して外部へと放出することができる」
魔導機関が搭載された自動車……か。
最初に原生林のような場所に来てしまったから、まさか自動車みたいなものがあるとは思ってもみなかった。
もしかすると、ああいった技術も稀人がもたらしたものだろうか?
だとすれば、形状が自動車に似ているのも納得できる。
稀人が重宝されるというのも、真実味のある話に思えてきた。
地球にある大国も、様々な人種が移り住むことで文明は飛躍的に発展したのだ。稀人という異分子を取り込むことによって、異世界の文明が加速度的に進化したとしても、不思議なことではない。
「しかし、ここまで実用化が進んでいたとはな。人間の技術の進歩は目を見張るものがある」
魔導車か……すごく便利そうだし、馴染みのあるフォルムのせいか、ちょっと欲しくなってしまった。
しかし、周囲を見回すと馬車や徒歩の人がほとんどで、魔導車はあれ一台だけのようだ。
おそらく、まだ普及するには至っておらず、極々一部の人しか乗ることができない高級車なのだろう。余程偉い人か裕福な人が乗っているのだと思われるが、案の定、魔導車は列の横をスィーっと走り去り、検問を顔パスで通過していった。
「魔導機関っていうのは、誰でも使えるものなのかな?」
「人間には魔力を持つ者と持たざる者がいるが、魔導機関に魔力を補充しておけば、誰でも使えるはずだ」
なるほど。魔力の補充さえしておけば、万人が使えるというわけだ。
そうしてイルルにいくつか質問しているうちに、検問の順番が回ってきた。
「――ジンはわしの伴侶でな。二人で各地を旅している。しばらくはここレイトルテに滞在することになると思うが、よろしく頼む」
検問官に対しても、彼女の口ぶりは変わらなかった。
だが、これだけ大きな街ともなれば、毎日たくさんの人と顔を合わすことになるのだろう。慣れたように、にこりと笑顔を浮かべて入街税を払うように言ってきた。
「任せておけ。ここはわしが払おう」
イルルが、小袋から銀貨を二枚取り出して検問官に手渡す。
「これは……ラクシャード銀貨ですか。珍しいですね」
「らくしゃー……ど?」
「ラクシャードは、かなり昔にアテナ連合国と同盟を結んだ国ですよ。その国で使用されていた貨幣には、代々のラクシャード王の顔が彫られているのです。現在アテナ連合国では、金や銀、銅の含有量を連合国内で取り決めたアテナ金貨、アテナ銀貨、アテナ銅貨が多く流通していますが、たまにこういった昔の貨幣を見かけることもあるんです。各地を旅しておられるということなので、どこかで混じったのでしょう。刻印を見る限りでは、かなり昔のもののようですが」
なるほど。この世界では金貨や銀貨、そして銅貨が貨幣として流通しているようだ。色々と種類がありそうだが、基本的にアテナ連合国内では、アテナ硬貨が使われている、と。
「その銀貨で入街税を支払うことは可能か?」
「ええ、問題ありません。ラクシャード銀貨は、銀の含有量がアテナ銀貨と比べて少ないですが、潰れたり削れたりしていないものは、同じぐらいの価値があります」
「それなら、通らせてもらうぞ」
イルルは、そう言ってずんずんと門を通過しようとする。
「あっと、すみませんが、そちらの荷物の中身を調べさせてもらえますか?」
荷物――というのは、おれが背負っているリュックのことだ。
調味料なんかがぎっしり詰まっているが、特に怪しいものは入っていない。
料理に使うものばかりであると告げると、検問官は丁寧に中身をチェックしていった。
「これは……あまり見慣れない容器ですね。匂いから香辛料だということはわかりますが……どこか遠い大陸から旅をされてきたのですか?」
「いえ、おれは稀人なんです。それらはあっちの世界で買ったものでして。えっと……この街には他に稀人が住んでいたりしますか?」
「それは……先程の銀貨以上に珍しいですね。服装などは、たしかにあまり見慣れないもののように見受けられますが……ずいぶんとこちらの言葉に堪能されているように感じます」
――稀人は、誰しも最初は言葉で苦労する。
頑張って言葉を学んだとしても、稀人の喋り方はどこかたどたどしい感じがするのかもしれない。検問官がおれを稀人だと認識していなかったのは、流暢にこちらの言葉を話せているからだろう。
厳密には魔力で言葉が翻訳されている、ということだろうが。
これもイルルのおかげだな。
「魔力を持つ者が言葉に不自由しないのは知っているだろう。そういった稀人もいるということだ」
竜の体液のおかげで魔力を得たと素直に言えるわけもなく、イルルは堂々と検問官にそう言った。
「……なるほど。そういうことでしたら、このレイトルテを治めているリムリア総督に会ってみてはいかがでしょう。あの方は稀人の知識や技術に大変興味を持っておられますから、色々と話を聞いてくださるでしょう」
「わかりました。ありがとうございます」
列の後ろにはまだまだ人がたくさんいる。あまりここで長話をすべきではないだろう。
そう考え、おれはイルルと門を抜けて街へ入ろうとした。
「ああ、ちょっと」
――だが、なぜかおれだけ検問官に呼び止められる。
「……なんでしょう?」
やはり、何か問題があったのだろうか。
柔和な顔つきをしていた検問官だが、何か不審なことがあれば鬼のような形相になるのもまた検問官である。
おれが働いていた店のオーナーは大の酒好きで、酔い潰れてしまったときに車で送ってあげることがしばしばあった。そんなとき検問に引っかかり、車中から酒の匂いが漂っているときの相手の表情の変わりようときたら、まさに菩薩から般若である。
もちろん、おれは一滴も酒を口にしていないので、すぐ笑顔に戻ったわけだが。
いや、今はそんな過去の思い出はどうでもいい。
なぜおれは呼び止められたのか――
「頑張ってくださいね。なんというか、ファイトです」
そんな言葉を、検問官からいただいた。
小さく拳を握り、ガッツポーズまで取っている。
……まあ、その、イルルと夫婦であるということを信じているのなら、その言葉の意味はなんとなくわかる。
財布の紐をがっちりと握られ(※もともとイルルのものだが)、あれだけ威厳のある姿を見てしまえば、誰がどうみても旦那が尻に敷かれていると勘違いしてしまうだろう。
だけど待ってほしい。
頼むから、そんな哀れみを込めた表情で『頑張れ』とか言わないで!
なんか悲しくなってくるから!
――とまあ、そういうわけで無事に街へと入ることができたのだが、まずは門のところで教えてもらったリムリア総督という人のところへ行くことに決めた。
イルルに貸してもらったお金もきちんと返したいが、おれにできることといえば料理だけであり、かといって見知らぬ街では勝手が全然わからない。
リムリアという人物が稀人に興味を持っているのなら、色々と教えてもらえるだろう。
もし可能ならば、この街で小さな料理屋を開く許可だけでもいただければありがたい。
アテナ連合国が稀人に寛容だとしても、稀人ということだけで手厚い保護を受けられるとは思えないし、きっとそんなのは優れた技術をもった一部の人だけだ。
軍資金は、自分でなんとか貯める必要がある。
「よいのではないか? ジンがそうすると決めたのなら、わしはついていくだけだ」
やだー、男前。
……というのは冗談ではなく、イルルが傍にいてくれるのは非常に頼もしいことこの上ない。
リムリア総督がいる場所は街の中央にある総督府らしく、総督といえば、その地域における軍の総司令官なる人物のはずだ。
物怖じするなというほうが無理である。
「ふむ……やはり人間の街は、しばらく見ないうちにかなり変わるものだな」
イルルは周囲の街の風景を眺めながら、うんうんと頷いている。
おれも一緒になってきょろきょろと辺りを見回すが、レイトルテの街はとても賑やかな街であるという印象を受けた。
通りを歩く人々は、肌や髪、そして瞳の色などがばらばらで、多くの国が一つとなった連合国ならではといった様相を呈している。
市場に飛び交う声はとても活気があり、感謝の言葉や怒号が喧騒となって、街の空気に溶け込んでいっているようだ。
だからといって、街全体が雑然としているわけではない。
大通りには街灯がきちんと並んでおり、夜には違った街の風景が楽しめることだろう。
もしかして、あの街灯にも魔導機関が使われているのだろうか?
建物は様々な文化が混じりあった影響もあり、外壁ほどの高さの立派な建物もあれば、民族的な装飾が施された特色豊かなものもある。
日本のように、一つの文化のなかである程度統一されたデザインの建物が並ぶ風景もいいが、こういった多国籍な街並みというのも、どこか心躍るものがあるなと感じた。
ある意味、初めての海外旅行……いや、『界外』旅行に来たような気分である。
最初に原生林へ飛ばされたときはどうなることかと思ったが、これでもし帰る方法が見つかったなら、のんびりと観光でもしたいぐらいだ。
――なんだか、ちょっとだけ楽しくなってきたぞ。