第三十話 台風 接近
ミズキさんとは週に一回会うことになる。
マキらとダブルデートしてみて馬も合いそうだと感じた。
(まだ付き合わってはいないからデートではないか)
合いそうといっても彼女はあまり喋らない。
スズノと違って積極的じゃないけど、今はその方が落ち着く。
以前なら二週間ぐらい普通にほっといてしまうけど、それではいけないと知ったから週末は誘うように決めた。断るのは相手の自由だし。メールやチャットはどうしても受け身になってしまう。面倒くさい。
そもそも彼女じゃない女友達とどの程度の頻度でチャットすればいいんだろうか?そこがわからない。彼女とですらわからないのに。女友達なんて未知の世界。
スズノの時は恐らくそれが主な理由で振られたんだろう。彼女から来るのに対しては必ず反応はするように気をつけてはいるけど。毎日やらないとダメなのかな。友達なのに?友達だから?わからない。僕にとっての友達は気遣いがいらない仲だけど、これはなんなんだ。気遣い過ぎでは?マイコちゃんの言うように知人ってことか。でも知人ならそんなに連絡しあうのもおかしくないか。わからない。
(マイコちゃんに聞いてみるか)
あれ以来、マイコちゃんとは仲良くなった気がする。
彼女は信頼出来ると感じた。
それに彼女の紹介でもあるから相談しやすい。僕はチャットがあまり好きじゃないので電話をすることに。
「何言っているの?毎日に決まってるじゃない!」
決まってる・・のか?
「頻度は?」
「したいだけ」
「したくなかったら?」
「嫌いなの?」
「いや、そうじゃなくて・・・んー無精なんだよね。前もそれが理由で振られたもんだし」
「あ~この前言ってた中学時代の」
彼女とはなんだかんだチャットすることも多くなり、相当なことは言ってしまった。レイさんとのこと以外は。
「それはダメ。マメじゃないとダメだよ」
「でも、友達なんだよね?ていうか友達以前というか」
「あ、そういう心構えはどうかと思うよ」
「どういう意味?」
「だってお付き合いが前提なんだから。攻めていかないと親しくもならないじゃない。特にミズキ相手なら尚更よ」
「うーん、でも、好きかどうかもまだ定かじゃないのに、どうなんだろう」
「マーちゃん考えすぎ!なんかこう彼女見てて来ないの?可愛いなぁとか、喋りたいなーとか、会いたいなーとか」
「あるといえば勿論あるけど」
「だったら連絡すればいいじゃない」
「うーん・・・」
「ちょっと待って、あのさ、ゴメンね、怒らないで聞いて。もしも、もしもだけど・・・ひょっとして・・・あっちの方ってことないよね」
「え、あっちって?」
「ほら・・・時々、マッキーと気持ち悪いぐらい仲いい時あるでしょ」
「そうだっけ?」
「・・・なんだ、違うんだね。安心した」
「え、ちょっと待って何が言いたいの?」
「まーいいわ。とにかく焦らないで。来週も誘ったんでしょ」
「うん」
「当面はそれでいこ。それと一日一回は自分からチャットして」
「一日一回!」
「面倒くさがらないの」
「はい」
彼女曰く、男はマメで攻めろ。
放置は最悪だとのこと。
(マキはどうしているんだ?)と思ったら、案の定マメじゃないらしく言い争いは絶えないらしい。昨日愚痴ってた。
(でしょうね)
マキの性格を考えると当然そうなる。
僕はこれでもマメな方だって言われたんだけどなぁ。
朗読劇以後、ナメカワさんとの距離がぐっと近くなった気がする。
ちょいちょい僕に声かけてくれたり、目が合うことが多くなった。
まぁ、マキが必ず参戦してくるけど。
(彼女にも相談したいなぁ)
痒いところまで答えてくれそうだ。口も固そうだし。
でも、まだ付き合っているわけでもないんだから変に広げない方がいいんだろう。父さんに言ったら「ガールフレンドだろ」と言っていた。母さんには黙っていた。面倒なことになりそうだし。
実際の所、勉強に集中出来ないから後ろめたいというのもある。
なんでなんだ?
自分でもわからない。
全く頭に入らないのだ。
ちゃんと机に向かい、参考書を開き、相応の時間やっているのに、手のひらから溢れるように何をやったが全く覚えていない。小テストも悲惨で我ながら驚く。勉強を全くしていない時ですらもっととれたのに。
そう言えばミズキさんよりスズノとチャットしていることの方が多いかもしれない。アイツは攻めるからどうしても答える回数が多くなる。少し放置したぐらいで「どうして返事くれないの?」と来る。
(どうしても何も昼間だし!)
この時ばかりは携帯もっていなくて心から良かったと思う。
かなりのことが「携帯もってないんだよね」で済んでしまう。事実だし。
まぁ「どうして持ってないの?」に会話がシフトするけど、これは簡単だ。「親だダメだって言うから」
「そっか」
このコンボで終了。
この時ほど母さんに感謝したことはない。
でもスズノは更に食い下がる。
「今どき携帯もってないなんてダメだよ。お母さんに必要性をもっと訴えて。本気で欲しいって思ってないでしょ」と望んでもいないのに作戦を伝授してくれ、挙句に非難される。鬱陶しいことこの上ない。スズノのことをマイサンズのメンツに相談したら、
「メンヘラの傾向がありますな」
新しいワードをミツが教えてくれる。
話が長くなるとのことで夜の会合で詳しく説明してくれることになった。
そう言えばスズノは中学の時も携帯メールしたくてウズウズしていたな。
何度も何度もシツコク食い下がってたっけ。
僕も欲しかったから母さんには何度も言った。
その結果がパソコンに変化したわけだが。
今にして思うと何が幸いするかわからないもんだ。
マイサンズの動画は僕が編集している。
いいパソコンだからだけど、元はと言えばその交渉があってのもの。
(ま、その結果スマホが未だに持てせてもらえないんだけど)
あんまり興味もないけどね。
あれって結局は小さなパソコンみたいなもんなんでしょ?
僕は直接会ってしゃべる方が好きだ。
チャットは正直いって煩わしい。
結局スズノとは会うことになっている。
僕が折れた。
彼女にミズキさんのことも言ったけど、また例の独自理論を展開する。
「まだ付き合ってないんでしょ?」
「でも限りなく付き合っているといっていい」
面倒くさくなり僕も意味不明な言い訳を言ってしまう。
「私・・・いいよ、それでも」
(僕がよくないと言っているんだ!)
彼女は変わってない。
ただ、彼女の寂しがり方は普通じゃない。
あの頃とも少し違う。
気にならないと言えば嘘になる。
一時はどうあれ付き合ってもいたんだ。
(あー・・・こういう所を付け入られるのかなぁ)
とはいえ彼女がどうにかなっちゃうんじゃないかと心配でもある。
また雨が降ってきた。
まだ台風は四国辺りなのに随分と影響が強い。
超大型とニュースでは言っていた。
こんな日でもレイさんはいるんだろうか。
黄色いレインコートを着て。
そういえば最近は夢も見ていない。
これはひょっとして彼女らとの別れを意味するんだろうか。
引き際なんだろうか。
朗読劇以後、何やら忙殺されて彼女のことが少し遠くなった気がする。
心の中で存在が小さくなっているような。
レイさんは相変わらずだ。
(相変わらず?)
不意に彼女の横顔が思い出された。
何かが違う。
挨拶が返ってこないのはいつもの通りだけど、全く僕に気づいていないかのような振る舞いだった。今迄も反応はほとんどないけど「わかっている」っていう感じを自分なりに受けていた。思い込みかもしれないけど少し違うんだ。 僅かに覗いた顔が少し不安そうに見えた。
気のせいなのか?何かあったんだろうか。
そう言えばササキ先生に呼び出されていたな。
何かあったのか。
「そうだ。一昨日も声をかけられていたかも」
目の端に僅かに映った像が過る。
何かがおかしい。
胃のあたりがモヤモヤして来た。
皮膚の表面が波打つ。
また勉強が手に付かない。
さっきから全く頭に入らない。
(目の前のことに集中だ)
目の前のこと。
目の前は勉強なのか?
レイさんなのでは?
それともスズノ?
ミズキさんなのか?
マイサンズとのチャット予定が近い。
明日の予習をチャットまで片付けておきたかったのに。
目の前ってなんだ?
(目の前・・・)
あー・・・胃腸がぐるぐるしてきた。
(目の前・・・目の前?)
勉強だろ!
でも、その勉強が捗らない。
こういう時どうするんだ。
(散歩だ!)
そうだ、気晴らしが必要だ。
彼処へ行こう。
幼稚園へ。
全く迷いなくあの幼稚園が浮かんだ。そのイメージには彼女もいた。
この時間にはもう居るはずもないけど。
彼女は六時半にはもういないから。
あそこに行けば落ち着く気がした。
チャットまで一時間はある。
予習はチャットの後でいいだろう。
「何?こんな時間にどこいくの」
「ちょっと気晴らしに散歩に」
「何もこんな雨が強い日に出なくても」
「勉強が進まなくてさ」
「そうなの・・・気をつけてね。河川の近くに行っちゃ駄目よ」
母さんは 勉強 が背景にあれば大概のことは甘くなる。
それにこの辺に河川はないでしょ。
それとも僕が「ヒャッハー台風だぁ~」って川を見に行く人間だと思っているのだろうか。
(凄い雨だな)
ゲリラ豪雨というやつか。
普段なら雨が降っているというだけで外出を取りめる僕なのにフットワークは軽かった。
不思議と躊躇いはない。
雨の中、小走りに向かっている。
なんで顔がニヤけているんだ。
自分でもわからない。
でも胸の高鳴りがある。
これは小走りになっているからなんだろうか、それとも。
幼稚園の門前。
外灯のみの幼稚園は軽いホラー。
僕の目線は知らず幼稚園よりあの窓を見ていた。
レイさんのいる部屋。
「電気が消えている・・・」
まだ寝る時間には早いだろ。
まさか何かあったのか?
それとも前にみたいに出かけているとか。
こんな雨の日に?
何をしに。
こんな時に出歩くのは忙しい人か頭の・・・ゲフンゲフン。
幾らもたっていないのに靴はおろかパンツの膝から下もグシャグシャになっている。
(声を聞きたいなぁ)
しばらく聞いていない気がする。
この前みたいに戸を叩こうか。
でも寝ていたら迷惑になる。
(思った以上に雨脚が強い)
まだまだ台風は遠いのに、今これで後どうするんだ?
なんだろ、少し落ち着いた。
(帰ろう)
ふと足下を見ると、小さな川のようになっている。
「これは!」
夢と似ている。
いや鉄砲水が出来るような具合ではないけど、川みたいになりつつある。
これはひょっとして・・・まさかあれは正夢だったのか?
正夢?予知夢、過去視?
僕の興味は彼女から夢の存在へと移行していた。
(もう少し見ていれば夢の謎が解けるかもしれない)
でもミイちゃんがいる感じはしないし、そもそもこんな時間にいるはずもない。まさか、鉄砲水に流されるのは僕ってオチなのか?気をつけなきゃ。
雨脚が更に強くなってきた。
これだ、これだ!
(傘が役にたたない)
やけとばかりに傘を閉じ周囲を見渡す。
両手を広げ映画のジャケットの真似をする。
(あっは、気持ちい。小学生の時にやったな~。なんか興奮してきた)
どことなく夢と似ている。
あたりを見回す。万が一ということもある。
僕は無意識にミイちゃんの影を探した。
するとアパートの方から黄色い何かが動いた。
薄暗い中、僅かに灯る光の軌跡。
(まさかミイちゃん・・・あれは予知夢だったんだ。助けなきゃ!)
それまでの夢が走馬灯のように流れる。
繰り返される悲劇。
これまでの失敗を繰り返さないようにどうすればいいか頭は答えを求めた。
光の方に走り寄る。
「マーさん何やってるの」
え?
そこに居たのはレイさんだった。
「レイ・・・さん?どうして」
「どうしてって・・・来てずぶ濡れじゃない」
「それよりこれなんだよ!夢でみた景色、こんな感じなんだ!」
僕は幼稚園の門前を指す。
「門の辺りが川みたいになってるでしょ、あれがもっと酷くなった時にミイちゃんが流されたんだ」
彼女は一瞬、ポカンとしたように見えたけど、僕の指した方を見ると言った。
「ほんとだ小さな川みたいだね。なら尚更危ないから」
まるで子供をみる母親のように優しい物言いだ。
「あ、そうだね。危ないね」
(まさかあの夢はミイちゃんじゃなくて、レイさんなのかもしれない)
そんな考えが過る。
(なら危ない近づけちゃいけない)
そうだ、あの夢だって僕の想定を常に超えてきた。
ミイちゃんじゃなくて、レイさんてこともあり得る。
(レイさんを助けなきゃ)
夢の答えを見たくて少し後ろ髪を引かれる思いもしたが僕は彼女についていった。黄色いレインコートに黄色い雨傘、そして黄色い長靴。雨の日のいつもの出で立ち。玄関前で彼女はレインコートを脱いだ。
「入って」
「うん」
にしても想定外に雨脚が強くなった。
ニュースで今夜から雨が強くなると言ってたけどここまでとは。
だから母さんも止めたのか。
ん?
それよりもなんだこのシチュエーション。
これって・・・。
「このタオルで拭いて」
「あ、ありがとう」
ん?
何をしているんだ僕は。
「お風呂ないんだココ、悪いね」
「え?悪くないよ、ありがとう・・・」
何を・・・しているんだ僕は。
玄関で身体を拭いながら混乱している。
「上がってよ、そんな所じゃやり辛いでしょ」
「あーじゃーせめて下だけでもちゃんと拭いてから」
「いいよ濡れても。見てないから服脱いでちゃんと拭いた方がいいよ」
「う、うん」
何を・・・言っているんだ。
頭を拭いながら顔を上げると彼女が見えないところで顔をふいている。
あの時と同じ格好だ。
いや、下は短パンだな。
「・・・」
(なんだコレ!)
ぼ、ぼ、僕は、今どういう状況なんだ。
彼女の部屋にいる。
どうして?
僕が雨の中で傘もささずに立ち尽くしていたから・・か?
(まてよ・・・それって完全に頭おかしいですやん)
いやいやいや、あの中で傘さす無意味ったらなかった。
彼女は部屋にいたんだ。
じゃーなんで電気つけてなかったんだ?
たまたま僕に気づいた?
それでずぶ濡れで・・・。
(うわーどうしよう、完全に頭がおかしいと思われたかも・・・)
さっきの彼女の反応が思い出され頭を抱えた。
「何かあったの?」
彼女の声が五臓六腑に染みわたる。
全身に鳥肌が立っている。
これは寒気?それとも。
なんて優しい物言い。
子供の頃の母さんのことを思い出した。
あの頃はいつもそうだった。
いつも暖かく包んでくれた。
今や勉強やれやれマシーン。
「何って?」
「こんな日に傘もささずに・・・」
「あーそうだよね。・・・頭おかしいよね」
「おかしくはないけど。・・・何でもいいよ。私で良かったら聞くよ」
どうしよう。
彼女とは決別すると決めたんだ。
そうだ。
言わなきゃいけない。
レイさんも知る権利がある。
僕がミズキさんとお付き合いを始めたって。
(でも付き合ってないだろ)
じゃーなんて言えば。
何を聞けば。
そうだ。
女心だ。
教えてもらおう。
女心がわからない。
女性にか?
でも女心は女性にしかわからないんじゃ。
そうなのか?
とにかくミズキさんのこと・・・スズノことがいいか。
でも好きだって言った相手に聞くっておかしくないか?
(おかしいですやーん)
一瞬彼女の横顔が目に入る。
「最近、元気ないけどどうしたの?」
僕の口からは出た言葉、考えていたことと違うものだった。
「なんで?」
「学校で見て、ここ二、三日元気なさそうだったから」
「・・・なんでそう言えるの」
「なんでって、なんで?なんだろうねぇ。そんな気がしただけなんだけど。勘違いかな。あ・・・これってストーカーみたいで気持ち悪いか」
またやってしまった。
「気持ち悪くないよ」
(え!)
彼女が涙を流して見えた。
何があったんだ。
一瞬だったけど間違いない。
「あ、入って」
「あ、うん」
部屋に入る。
オコタが出ていた。
僕はタオルを敷き、あの時と同じ場所に座った。
彼女はあの時と同じように向かい側に座る。
「僕でよかったら聞かせて欲しいな」
「なんでもないよ」
嘘をついている。
胸が締め付けられるこの声。
こんなに彼女の声が弱々しいのを初めて聞いた。
何があったんだ。
(ジロジロ見ちゃいけない)
目線は外に向ける。
雨の音だけが部屋を満たす。
遠くで落雷の音。
雨脚は強いままだけど、さっきより少しはましになったか。
レジ袋に囲まれた部屋で二人は言葉が出なかった。
隣の部屋からテレビの音と同時に笑い声が聞こえ僕はビクっとする。
漫画でこういうの読んだことあるけど「本当に丸聞こえなんだな」と思った。
声からすると二十代の男性だろうか?
左隣は静かだ。
確か両隣の電気はついていたような。
さっきの一言は僕にとってはなんてことはないものだった。
ちょっと気になった。その程度のもの。
「私、どうしよう・・・」
彼女の見ると表情はみるみる暗くなり膝を抱え顔を伏せた。
細い腕が震えている。
僕はその様子に釘付けになった。
あの彼女が。
いつも飄々として力強く。
草原に一人立ち、風に吹かれて笑っているような彼女が。
震えている。
目を見開いたまま僕の時間は静止した。
これまで感じたこともない恐怖心と、身体の奥底から得体の知らない何かが湧き上がるのを感じる。