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黄色いレインコート麗子 作者:ジュゲ
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第三十一話 台風 上陸

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 何かあったんだ、何があったんだ? 何が。
息が上がってる。
 座っているだけなのになんで?
 彼女の言葉は続かない。
 声が出ない。
 唇がピクピクと動くだけで音にならない。
 心臓が別な生き物のように強く鼓動をうっている。
 息が苦しい。
 言わなきゃいけない。
 でも声が出ない。
 その後ろにある得たいの知れない何かに押し潰させれそうだった。
 腹の底に力を込める。
 幾らの間でもなかったはずだ。

「ど・・・」

 辛うじて音が口をついた時、まるで遮るように彼女は言った。 
「ごめんなさい!なんでもない」
 笑った彼女はいつも通りに彼女は戻っていた。
 無様に突き出された唇が息場所をもとめ震える。
 僕の中でなにかが弾け飛んだ。

「なんでもないはず・・・ないじゃないか!」

 唇の端が震えている。
 彼女は驚いていた。
 目を丸々と見開き、これまで見たこと無い顔をしている。
 といっても、発した自分が一番驚いている。
 今まで公衆の面前でこんな大声を出したことはない。
 自分の声に自分が驚いている。
 こんな大きな声を出すつもりじゃなかった。
 アウト・オブ・コントロール。
「うるせーぞ!」
 一瞬の間の後、隣の男性が壁を叩く音と同時に怒声が響く。
(うるせーだと・・・)
 僕は壁を睨みつける。
 奥底からどす黒い何かが鎌首をもたげる。
 僕は跳ねるように立ち上がった。
 全身が怒りに包まれ、いつの間にか握られた拳は力の行き場を求め震えている。殴り返してやりたい、殴ってやりたい、でも、でも、落ち着け。
「マーさん!マーさん、ごめんね」
 彼女は慌てる風もなく穏やかに声をかけた。
 自分の息が荒い。
 まるで五十メートル走の記録をとっていた時のようだ。
 声を聞き段々と冷静になってくる。
 落ち着け。
 そうだ。
 こんな時間に大声を出す。
 迷惑なのは僕なんだ。
(でも隣のヤツだってクソみたいなテレビを見てバカみたいに笑ってたじゃないか!不公平だ)
 緩みかけた握り拳が再び強く握られる。
 違う、ちがう、駄目だ、彼女に迷惑がかかる。

「丁度降りが落ち着いたよ。早く帰った方がいいね」

 僕は彼女を見た。
 落ち着いた表情。
 取り繕うでもなく平然としている。

 ザーッ。

 彼女のその声を聞き、顔を見て全身の血の気が引く音が聞こえた。
 ザルの上で小豆を動かしたような音みたいな。
 僕は一瞬で彼女が遠い人になったように思えた。
 沸騰した力が行き場を失い萎えていく。
「そっか。僕じゃ駄目か・・・。そりゃそうだよね振られたんだし」
(関係ないか・・・そうだよね)
「ごめんね、迷惑かけて」
 どこからどこまで声に出ているのか、いないのかわからない。
 声が震えている。
 彼女は黙っていた。
 顔色一つ変えない。
 僕は自分でも恥ずかしくなるほど動揺している。
 濡れたタオルを敷いたまま、お礼も言わず足音も荒々しく玄関まで歩く。

「餓鬼の癖に・・・盛ってんじゃねーぞ」

 隣から吐き捨てるような声がまた聞こえた。
(クソが、クソが、クソが、クソが)
 僕は彼女に頭を下げることもなく、壁を一瞥し、後にした。
 後ろを振り返ることもなく。
 傘もささず。
 走った。
 全力で。
 全身が沸騰しそうだった。

 家に帰ると母さんが大騒ぎ。
 僕が出た後に急に降りが強くなり心配していたようだ。
 そうかもしれない。
 その上で帰ってこないわけだから。
「あなた警察に電話して!」
 父さんと言い争っている声が玄関で聞こえた。
 その後、何やらごちゃごちゃと母さんは喋っていたが覚えていない。
 僕は風呂に入る。
 自らの情けなさに泣いた。
(まただ)
 父さんが僕をかばってくれていたようにも思うが記憶にない。
 自室に籠もり、パソコンが目に入る。
 そういえば電源落としてなかった。

「あっちゃー・・・」

 忘れていた。
 マキらとのチャット時間をとっくに過ぎている。
 キーボードを打つ手が震えている。
 僕は思いっきり自分の右頬を平手打ち。
 それでも落ち着かず、今度は左頬を。
(いてー・・・)
 ようやく震えが少し落ち着いた。
 言い訳に追われる。
 予習なんてもうどうでもよかった。
 マイコちゃんに言われたばかりなのにミズキさんとチャットするのを忘れる。スズノのメッセージなんか読む気にもならない。

「どうでもいいんだ」

 いつ寝たのかも記憶にない。
 僕は夢で現実の登場人物は出たことがない。
 なのに彼女が夢に登場した。
 いや、夢じゃないのかもしれない。
 なにせ寝つけなかった。
 胸の辺りが苦しい。
 無慈悲な隣室の怒声。
 冷めたようなレイさんの言葉。
 みっともなくパニクる自分。
(あー・・・タオルのお礼も言っていない)
 寝ているか起きているかわからない。
 彼女は暗闇の中、あの格好をしている。
 黄色いレインコートに黄色い雨傘、そして長靴。
 幼稚園の門前でたった一人暗闇の中に立っている。
 俯き、寂しそうな顔。
 涙は出ていない。
 でも心で泣いているのがわかる。
 途方も無い不安に一人耐えているような。
 夢の中で彼女は僕に気づくと一瞬明るい顔を見せる。

「嬉しかったよ。ありがとう」

 そう言った。
 そして彼女は闇にのまれた。

「ぬぐぁぁああああ・・うわあぁうぅぁぅぅぁ・・・」

 得体の知らない声を出しながら起きた。
 布団をしこたま叩きながら起きた。
(また泣いているよ・・・高校生だぜぇ~・・・)

 彼女は学校を休んでいた。

 この日 僕は誰とも挨拶をかわさなかったかもしれない。
 覚えていない。
 ナメカワさんが声をかけてくれた時に「ああ」って言った記憶はある。
 他は「うん」とか「ども」とかで済ませていたような。わからない。
 自分でも驚くほど不機嫌でイライラしていた。
 昨夜のチャット会をボイコットした件をマキらに冗談で攻められただけでも余裕がない。「わるい」とトゲトゲしい態度になった。酷くイライラする。授業は全く頭に入ってこない。
(なんだこの無力感は・・・)
 この日、自分がいかに悪意をばら撒いていたかが帰り際のナガミネさんの一言でわかった。
「どうしたの?」
 彼女が心配そうに普通のことを言ったのだ。
 その瞬間、あのナガミネさんが素になるぐらい今日の僕はおかしかったのだと気付かされた。

 帰り道、僕は先生の所にいた。
「それでどうしたいの?」
 先生はいつも通り平然としている。
「わからないです」
「答えは出てると思うんだけどね」
「え?」
「気になるんでしょ」
「わかりません」
 イライラは収まっていない。
 突然先生は笑った。
「いやいや御免ね。まさか君をここまで動揺させるとはね。その彼女は大したもんだな。今度その子も連れて来なよ。凄く興味がある。是非とも会いたい」
 僕は昨日の件もあってか酷く胸くそ悪くなり先生相手にムッとしてしまう。
 こんね経験は初めてだ。
 一方で酷く失礼なことを感じ自らの不甲斐なさに一層苛立だつ。
「まーそうムッとしなさんな」
 先生はいつのようにまるで意に介さないといった様子。
 それが僕の癇に障った。
「してません」
「まあいい。僕は今迄君の心をどうやって揺さぶろうかと色々やってきたんだけど君はなかなか動かない。だからちょっと驚いたんだ。まさか君がここまで夢中とは意外だったよ。君はもっと冷めていて冷静で何事も頭で解決する人だと思っていたからね。僕らのやっている活動というのは感動してなんぼの世界だからさ」
「動揺してません!」
 僕は強く言葉に出てしまう。
 先生から笑顔が消えた。
「男なんだだろ!ついてるもんついてるんだろ!」
 稲妻のような怒声。
 まるで間近で雷が落ちたかかのような迫力。
 いつもだったら氣圧されるのに、今日の僕はおかしかった。
「ついてます!」
 向かっていった。
「だったらなんでココにいる?君が行くべきは彼女の所じゃないか」
「僕は振られたんです!昨日だって何でもないって言われたんです!」
「それが君を思っての嘘だって思わないのかい?」
「彼女のこと知りもしないのに何でそんなことがわかるんですか」
「むしろ何でわからないと聞きたい」
「だって僕は振られたんですよ。先生には言ってませんでしたが三回。その上で”なんでもない”って言われてどんな顔して会えますか」
「相変わらず見栄っ張りだな~君は。それとも臆病と言えばいいか」
 なんて呑気なもの言いだ。
 人の気も知らないで。
「見栄っ張りじゃないです!事実なんです!」
「言い訳はいいよ。そんな条件付けになんの意味があるんだい?その子のことが気になるんだろ。なんとかして上げたいんだろ?それとも君は彼女じゃなければ好きな相手が困ってても見捨てるのかい。やらせてもらえなければ見過ごせるのか。見返りがなければ何も出来ないのか?君はそんな人間なのかい」
 先生は淡々と言った。
(ふざけるな・・・・僕がそんな人間だと思っていたのか・・・)
「僕は!・・・僕は・・・」
 彼女のあの爽やかな笑顔が脳裏に浮かぶ。
「僕は・・・」
 僕はなんだ?
 言葉が続かない。
 彼女は泣いていた。
 間違いなく泣いていたんだ。
 それを置いて帰った。
 見栄?
 違う。
 じゃあなんで?
 わからない。
 臆病風に吹かれた。
 臆病・・・。
 否定出来ない。

 先生のところでガチ泣きしたのは初めてだった。

 いや、人前で泣いたこと事態がそもそも記憶にない。
 朗読劇の時だって稀だった。
 これが嗚咽っていうんだ。
 止まらない。
「答えは出てるじゃないか」
 先生はいつもの穏やかな声に戻っていた。
「行ってきなよ。今、どうあれ会わないと後悔するよ。逃げんなよ」 
「はい・・・」
 泣き止まない。
 立ち上がれない。
 力が入らない。
「男がこの程度のことでメソメソするな!」
 言葉は厳しかったが、その響きには温かいものが感じられる。
 顔は笑っていた。
「すいません・・・」
 あれほど混乱していた頭が落ちつている。

 雨だ。
 彼女は幼稚園の前にいるに違いない。
 あの出で立ちで。
 降っているけど昨日ほどではない。
(いた)
 黄色いレインコート。
 俯いている。
「おはよう」
 僕が声をかけると、彼女は驚いたように僕を見た。
 見られてはいけないものを見られたような動揺を感じる。
(関係ない)
 彼女はすぐに何時もどおりに応えた。
「もう夕方なんですけど」
「劇団の人や芸能人って、その日、初めて会った時に”おはようございます”って言うんだって」
「そうなの?」
「うん、父さんが言ってた」
 僕は息がきれながらも整えず荒れるまま声を出した。
「私どっちでもないけど」
「そうだったね」
 僕が笑うと彼女が少し笑った。
「ここにいていいかな?」
 彼女は少し狼狽えると、
「公園の方に行こ」
 そう言った。
 レイさんからきまりの悪い雰囲気を感じつつも僕は驚くほど平気だった。
「昨日は御免ね。タオルとかそのままで出ちゃって」
 前を向いたまま頭を下げる。
「ううん、いいの。こっちこそ・・・御免なさい」
 お互い顔を見なかった。
 彼女は幼稚園の方が気になるのかチラチラと見ているように感じる。
「今度さ、先生の所に来ない?」
「先生?って、前言っていた習字の先生?」
「是非とも会いたいって。君のこと大物だって言っていたよ。芸術の才能もありそうだって」
「いいよ私は」
「お願い。連れてこないと稽古受けさせないって言われちゃって」
 これは嘘だ。
「えーなんで?」
「わかんない。ちょっと常人では計り知れない先生なんだ」
「そうなんだ・・・わかった。いいよ」
 彼女は驚くほど惑うことなく答えた。
「ありがとう!絶対気に入るよ。凄いいい先生なんだ。信頼出来る人」
「なんかわかるな」
 初めて目があった。
 笑っている。
(良かった)
 こんなの何の解決にもならないかもしれない。
 でも、この瞬間でも彼女が昨日のような思いをしなくて済むなら、それだけで意味はある。そう思いたい。そう思える。

「ここにいたんだ」

 声がした方を見ると、傘をさしているスズノいた。
「どうしてお前・・・」
 僕は固まってしまった。
「昨日からメッセ送っているのに全然返事よこしてくれないから、何かあったんじゃないと思って心配して探しに来たんだから・・・」
「その子がミズキって子なの?随分話と違うじゃないの。私に嘘ついてたの?」
 レイさんを睨むと言った。
 言葉が出ない。
 今さっきまでの僕はどこへ行ってしまったんだ。
 今なんでここにスズノがいるか理解できない。
 その理由を探し僕の脳は錯綜している。
 少しの間の後、僕の代わりに彼女が答えた。
「私は違います」
 レイさんは淡々と答えた。
「じゃー貴方は何なの?」
「クラスメイトです」
「そんな変な格好して」
 錯綜していた僕の意思はその瞬間に戻ってきた。
「失礼だろ」
「頭おかしいんじゃないの」
「スズノ!」
「だってクラスメイトってことは同級生でしょ?高二でソレって何よ」
 中二時代の彼女との思い出が走馬灯のように蘇る。
 その記憶が真っ赤に染まった。
 身内から信じられないほどの怒りが込上げてくる。
 昨夜の罵声が思い出され、行き場を失っていた握り拳が再び獲物を求める。
「失礼にもほどがあるぞ!」
 向かって行こうとする僕を彼女の言葉が制した。 
「そういう貴方はどなたですか?」
 レイさんは涼しげに言った。
「彼女です」
 スズノが攻撃的な目でレイさんを見る。
「元だろ・・・何年前の話だよ」
「元でも今でも彼女は彼女でしょ!」
(コイツ・・・スズノがこのモードになったら何を言っても無駄だ)
 僕が更に一歩詰め寄ろうとするとレイさんは笑った。
「マーさんも大変ね・・・今日はありがとう。またね」
 まるでスズノがこの場にいないかのように言い放つ。
 いつもの穏やかな顔に戻っていた。
 そして幼稚園の方へ向かって歩き出す。
「逃げるんですか!」
(お前は・・・)
「いいから」
 僕はレイさんのお陰で大分冷静になってきた。
 雨脚がまた強くなっている。
 強く降り、弱く降り、土砂降りになり、また弱く降り。
 寄せては返す。
「雨がまた酷くなってきたから帰ろ」
「じゃー家まで送って!」
「はいはい、わかりましたよ」
「バカにしてるの?」
「バカにはしてないでしょ。・・・モンバーでも寄ってくか?」
「当然 奢りよね」
 スズノの弱点は胃袋。
 そういえば大概のことを飯で片付いたな。
 そんなことを思い出した。
「何が当然かわからないけど、わかったよ」
 レイさんの平静な態度を見てスズノがまるで子供に思えた。
 出来の悪い妹のような。
 まるで次元が違う。
 腹を立てる方がおかしいんだ。
 それまでの怒りが嘘のように鎮まっていく。
 何時もなら「お前に払わせたことあったか?」と突っかかっていたかもしれない。それで更に口喧嘩だ。実際のところ自分から誘って払わせたことはまず無いのだがスズノはそんなことすら覚えてないのか。
 いや、今はどうでもいい。
(マキの言う気持ちもわかるな・・・)
 妹をもつとこういう面倒くさい心境なんだろうか。

 スズノと帰る姿をレイさんが見ていたことを僕は知らない。
+注意+
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